●リプレイ本文
・現着
五十嵐 薙(
ga0322)は、真剣な眼差しで見渡す限りの草原を見つめていた。良い日差しを受けた元気な草がずっとずっと続いている、寝転がればさぞかし気持ちがいいことだろう。だが今は――。
「やっぱりアネットの姿はないみたい」
八人の眼前に妖しくそびえる広大な森、AU−KVを装着したドリル(
gb2538)が、双眼鏡を覗き込みながら残念そうに言った。
「彼女の到着予定時刻まではあと十分あるわけだから、仕方ないわね」
「ついてない人ね‥‥ほんとに。ここまで来てくれたら楽にはなっただろうけど、こういう状況なわけだし、機内で話した通りにやるのよね?」
エリアノーラ・カーゾン(
ga9802)と、水枷 冬花(
gb2360)が応える。
「そうなるだろう。急ぎたいところだが、その前に」
ブランドン・ホースト(
ga0465)は無線機で例の新人と話している寿 源次(
ga3427)に視線を向けた。気付いた源次が親指を突き上げて見せる。
「ビィさん、周波数がわかった。そっちへの連絡は任せる。――いやこっちの話だ。安心してくれ。必ず彼女は助け出す」
「了解ですわ」
源次の隣で待機していたロジー・ビィ(
ga1031)も無線機を取り出すと、源次に言われた通りにチューニング。月島 瑞希(
gb1411)がこっそりと、その背後で聞き耳を立てていた。
「こちらULTの傭兵ですわ。アネット、聞こえますか?」
反応はなし。走っている途中に落としたのか、はたまた出られない状況なのか。
「急ぎましょう‥‥アネットさん‥‥あたし達を‥‥待ってますから」
薙が呟く。
「ロジー」
瑞希が言っとき、ロジーの無線機が聞き慣れない声を鳴り響かせる。
『――らアネット。現在目標地点から南西におよそ1.5キロ。これより犬型キメラ四体と交戦――』
大なり小なり差はあれど、全員が戦慄した。この通信で、アネットの状態は手に取るように分かるからだ。アネットは逃げ切ればいい。この草原までたどり着けば、ほぼ確実に助かるのだから。だからわざわざ交戦する理由などない。あるとすれば、そうせざるを得ない状況に追いやられたとき。
平静を装っているが、今アネットは絶体絶命の状態にある。八人は互いに顔を見合わせると、それぞれ覚醒して駆け出した。
「アネット、今から照明弾を打ち上げますわ」
ロジーは言って、源次に無線を押しつけ、照明銃を頭上に向けると引き金を引いた。
「今すぐ駆け付けるから待っていてくれ。新米がガタガタ震えて帰りを待ってるんだ」
「生きてて」
源次に被せるようにして、瑞希が無線機に向けて言った。
日差しもろくになさそうな深い森、果たしてアネットに届くだろうか。一同は事前に取り決めていた班に分かれ、深い深い森へと入っていった。
・疲れた
足が上がらない。心臓が破れそうなほどに痛い。方角はかろうじて認識できている。じわじわと、キメラが距離を詰めてきているのがわかる。
アネットの視界は、酸欠によって黄色く変化し、視野も極端に狭く、練力も覚醒を維持できるギリギリの状態だった。いよいよ駄目だと、それなりに冷静に思った。増援が到着する草原までは、走って五分ほどの距離まで来ていたが、最早その五分を走る体力がない。あと五分くらい平気。そうやって騙し騙し走ってきた極みの状態が、今だ。
『‥‥ット』
無線機が鳴っている。時間を考えるに、これはきっと増援の傭兵からの通信だろう。
応答しようか、いやでもそんな余裕は‥‥。
そんな逡巡が、アネットの命運を決めた。地面でうねっていたツタに足を取られる。体が大きく傾く。受け身、取らないと。思った瞬間には腕から地面に倒れ込んでいた。
「受け身もとれないってのは、ほんとにいよいよね」
アネットは自嘲して、倒れたまま腰の無線機を手に取った。
「こちらアネット。現在目標地点から南西におよそ1.5キロ。これより犬型キメラ四体と交戦する」
こんなときでも演技はできる。助けて助けて。ほんとはそう言って泣き叫びたい。けどそれは無理だ。
無線機が騒ぎ立てるが、それを聞く余裕はなかった。起き上がって愛用のルベウスを構える。愛用というのは嘘か。とても使いこなせない。けど、大事な人にもらったものだから使っていた。
ふと、木漏れ日の向こうに輝く何かが見えた。
「こちらから見て一時の方角に照明弾確認」
犬に注意しながら、そっと言って、無線を腰に引っかけた。
「行くわよ――」
四体は徐々に距離を詰めてくる。
「――っつーか粉みじんにしてやるから覚悟しろよ!」
すべてをかなぐり捨てて、斬り掛かる。無線機から「生きろ」と聞こえた気がした。
・大蛇
照明弾が見えたという通信を最後に、アネットとの交信は途絶えた。戦闘に入ったのだろう。アネットから一時方向。つまり、南南西に走ればおおよそぶち当たる。それだけの情報があれば十分だった。
本来なら、アネットとすれ違う可能性を考えて、ゆっくりと進みながら、注意深く捜索を行う必要があった。だがその手間は省けた。アネットが死ぬ前に、全速力でアネットの元にたどり着いてやればいい。
問題は大蛇のキメラだが、エリアノーラが探査の眼とGood Luckを発動し、ブランドン、ドリル、薙の大蛇対策チームが四方に散ってで警戒の目を光らせている。余程巧妙な相手でなければ、その警戒網には必ず引っかかってしまうことだろう。
「この足場‥‥どれほど急いでも三分はかかりそうだな」
右翼のブランドンが零す。
「三分とはいえキメラ四体との対峙。相手次第だけど、苦しいわね」
冬花が横目でブランドンを見ながら応じる。
「それに相当疲弊してるはず」
「もっと飛ばす?」
薙にドリルが問いかける。
「これ以上は、大蛇に急襲を受けると危ないな」
源次がやんわりと否定し、ドリルもまた同意した。
「止まって!」
エリアノーラが制止を促す。八人は即座に停止すると警戒態勢を取った。進路上、三十メートルほど先の木の上に、七メートルはあろうかという巨大な蛇が巻き付いていた。言われても気づけないような代物だったが、エリアノーラはしっかりと視認していた。
「そっちの仕事、増えるけどお願い」
薙が対犬チームに向けて言った。
「任せてくれ」
源次が強く肯く。
「俺たちで注意を引く。迂回しても構わんが――」
「一気に行く。信じてるよ」
瑞希の言葉に、対犬班の面々が肯く。
「責任重大だね! やろう」
ドリルが銃を構えたのを確認すると、エリアノーラと薙、ブランドンが大蛇目掛けて駆け出した。二人を、犬班が追う。獲物の不可解な動きに、キメラは大口を開けると尻尾を鳴らして威嚇した。
「効くかよ。今だドリル」
「了解!」
ドリルが発砲する。キメラは銃撃によって大きく吹き飛び、木から落ちた。薙とエリアノーラは落ちたキメラへ斬りつけるべく方向転換、ブランドンはショットガンの射程に入ると同時に発砲した。その横を、犬班が駆け抜けていく。
ずるずると這って逃げようとするキメラ目掛け、薙が二刀を振るう。が、大蛇は尾を大きく振り回すと、刀ごと薙を吹き飛ばした。
「っ! この――」
「蛇のくせに尻尾を振り回すなんて、可愛くない子ね」
受け身を取った薙と入れ替わるようにエリアノーラが月詠で斬り付ける。
「あら、硬い」
想定よりも硬い皮膚と、キメラが身を翻したためか傷は浅い。小さな切り傷一つ、という程度だった。三歩下がり、構えなおす。
キメラは四人をたいした脅威でないと判断したのか、大きく頭を振り上げると、大口を開けて舌を震わせた。威嚇。いや、小馬鹿にしたような様子だった。
「なめやがって」
ブランドンは言うや否やショットガンを発砲する。胴に見事に命中するが、致命傷には至らない。
「思ったより強いですね」
接近してきたドリルが発砲を続けながらこぼす。
「蛇革に傷つけちまうが、蜂の巣にしてやらぁ」
ブランドンはスコーピオンに持ち替えると貫通弾を装填し、キメラに向けて容赦ない弾雨を降らせた。一発、二発と命中すると、キメラの様子が目に見えて変化していく。
「効いてます!」
「この種なら目の下にピット気管を持っているはず。そこを狙うわよ」
「了解。借りは返す!」
その弾雨の中、薙とエリアノーラが一気に距離を詰めていく。キメラは薙よりもエリアノーラを敵と判断し、飛びかかる。エリアノーラは右に跳んで避け、口内に直撃したドリルの弾丸が、キメラを悶絶させた。さらに生じた隙を見逃す薙ではない。
「でっかければいいってものじゃないのよ!」
薙の渾身の流し斬りによって、キメラの上あごは大きく切り裂かれた。赤外線感知によって敵の居場所を正確に把握していたキメラに、最早対抗手段はなかった。
「‥‥もったいないけどキメラじゃ、ね」
エリアノーラは残念そうに呟くと、渾身の一太刀でキメラを真っ二つに切り裂いた。
「詳しいんですね、蛇」
銃を下げながらドリルが尋ねる。
「爬虫類」
エリアノーラはまだ蛇を名残惜しそうに見つめていた。
「好きだから」
・アネット
後方で響いていた銃声や剣戟が聞こえなくなると、四人は一度だけ背後を振り返った。
「終わった?」
「そのようですわね」
「となれば確認されている脅威は犬だけだ。急ごう」
源次の言葉に三人が肯く。冬花は口を開かずにじっと前方を睨みつけていた。戦闘の気配が、遙か前方から感じられる。
瑞希も気付いた様子で、じっと目をこらしていた。
「まだ無事だ!」
ロジーが気休めくらいには、と呼笛を吹き、持ち込んでいた布を捨てた。四人の足に力が入った。既に覚醒し、臨戦態勢にある四人ならば全力疾走で三十秒と掛からない距離。
間に合え。誰かが呟いたとき、気配が止んだ。拮抗していた戦いの気配が、狩りのそれに変わったのだ。嫌な予感しかしない。
四人は言葉も発することなくひたすらに走った。そして、一匹のキメラと差し違える格好で、血溜まりに伏せるアネットを目撃した。
「間に合わなかった‥‥!? そんな‥‥!」
瑞希は唖然とするが、それも一瞬のこと、即座にスコーピオンを構えると、アネットを捕食すべく取り囲む三体のうち一体に銃口を向けた。
冬花も既にS−01を片手に瞬天速で別の一体に肉薄、ロジーも別の一体へ即座に着いた。
すぐさまアネットに駆け寄った源次によって練成強化を施されたそれぞれの武器が、一斉に攻撃を始める。奇襲同然の登場から、一気に攻勢に出られたキメラは、反撃の態勢を作れていなかった。
瑞希が放った貫通弾はキメラを一瞬で肉塊へと変貌させ、冬花のS−01の牽制の後に放たれた一閃は、キメラを両断した。一匹だけ後方にいた、群れの長とも言うべきキメラだけは、ロジーに向かっていく気概を見せたが、無駄なことだった。二刀の乱舞によって、完膚無きまでに斬殺された哀れなキメラは、うめき声さえ上げずに死んだ。
「呆気ない」
覚醒を解いた冬花は退屈そうに呟いて、源次に練成治療を施されているアネットを見つめた。死んでいるように見えた。出血が酷い。腕、足、脇腹、そして致命傷になったであろう首には、痛々しいほどの牙の痕。
彼女の隣に転がっているキメラの腹には、爪が深く深く食い込んでいた。良いもの使ってたんだな、と他人事のように思った冬花だが、源次の「生きてる」の声に、僅かに目を白黒させた。
「本当に?」
思わず尋ねる。ロジーと瑞希が、アネットの元へ駆け寄っていってその顔を覗き込んだ。
「息はある、って程度だが」
「この怪我で生きてるなんて」
覚醒を解き、無表情に戻った瑞希も、ロジーの言葉に同意して胸を撫で下ろしていた。とにかく、これで依頼は達成した。
・ありがとう
足はだるいし、首も腕も腹もどこもかしこも痛くて、痛くないところを探すほうが大変、みたいな状態で、アネットは目を覚ました。体に伝わる振動から、恐らく高速艇。
「目が覚めたか」
「アネットさん!」
目の前におっさ‥‥いやお兄さんがいる。あと、どこかで見たことある女の子。プロレスか何かで、たぶん。
アネットは源次とドリルの顔を穴があくほどに見つめて、何かに気付いたように勢いよく起き上がると、大きく咳き込んだ。
「おいおい、起き上がらなくて良い」
「どうぞ、これ」
ドリルが差し出した緑茶を手にとって、一息に飲み干す。死ぬほど美味い。それで、ようやくアネットは気付いた。
「生きてる」
「ええ、生きていますわ」
無線をしてきた人だ。
ロジーはアネットの首筋をじっと見つめていた。
「あの怪我で生きているなんて、凄いですわ」
「今回は生き残れたが」
ブランドンが、大きくため息を吐きながら言う。
「今後は過信しすぎないことだな」
まったくだ、とアネットは思った。連中を逃がすためとはいえ、四匹を一手に引き受けるのは無茶だった。結局死にかけたのだから。
「確かに‥‥その通りです‥‥でも‥‥アネットさんは‥‥強い人です‥‥仲間を気遣う‥‥心は‥‥戦いに身を置く‥‥者として、大切な事‥‥ですから」
顔を上げる。薙は微笑んでいた。ああ畜生。泣きそうだ。でも絶対泣かない。泣いてやるもんか。
「しかし、何だな。新米を逃がして且つ生還とはな‥‥またきみの株が上がるんでないか?」
「次に会うときには伝説の傭兵になっているかもしれませんわね」
源次とロジーが言う。そんな実の伴わない株は是非ストップ安でいてほしいと思う。
アネットは少し離れて成り行きを見守っている瑞希に気付く。瑞希は無表情に視線を受け止めたが、ほんの少しだけ、表情を緩めた。
ずがーん、と衝撃が走る。やばい、みんな超いい奴だ。ぼろぼろ泣き出しそうなのをじっとこらえて、緑茶ではまったく足りない! と喚いている喉に気付く。
「飲み物、何かもらえる?」
掠れた声で呟くと、ぬっとコップが伸びてきた。エリアノーラが差し出したものだった。
「おい、それは」
「あ、だめです!」
ブランドンとドリルが何か言っているが、気にもとめずにありがとうと受け取って、一息に飲み干す。あ、顔が爆発した。
「疲れたときにはお酒でしょう」
エリアノーラはからから笑う。少量とはいえ、アルコール度数99パーセントの恐ろしい奴だ。アネットはもんどり打って咳き込み、「水みずうぉーたー」とうめいた。そこに普段気取っているクールな様子など一つもない。
「災難だったわね」
スッと伸びてくる細い腕。その手にはミネラルウォーター。
「良ければどうぞ?」
静かな声。一も二もなく受け取って、ぐびぐびと一気飲み。その際に彼女の顔を窺ってみた。無表情、だけど穏やかな顔。あれ、この子超クールじゃね。
と思ったところで、アネットの意識は再び暗いところへ落ちていく。けどその前に、
「ありがとう」
全員にそう言った。