●リプレイ本文
●エレナ走行会
エレナはテンションだだ上がりだった。傭兵が六人あっという間に集まったと聞いて、失神するまで踊り狂った。そして今日はレース当日。睡眠? 取れるはずがない。目の下にくまを作って、エレナは六人の傭兵の到着をまだかまだかと待っていた。レースは午後二時。現在午前六時。来るはずがなかった。
ハッと、聞き慣れないエンジン音にエレナが目を覚ましたのは、丁度お昼を回ったときだった。サーキット入り口のアーチに寄りかかって寝ていたエレナの前を、六台の車両が通り抜けていく。
「あ! 傭兵の皆さんですね! お待ちしていました!」
目の前を通り過ぎようとした車が止まる。続く五台も後に続き、六人が降りてきた。
「エレナさんですね。本日はよろしくお願いします」
黒髪の少女にぺこりと頭を下げられて、エレナは仰天した。能力者というからいかついおっさんが押し寄せてくるのかと思っていたが、全員想像以上に若い。
「へへ、楽しみにしててな〜」
のんびりした少女が言う。
「ああ、きっといいレースにしてみせる」
と続けたのは、静かな雰囲気を持った女性だ。少女かもしれない。
「ま、負けるつもりはないけどねっ♪」
と、どこか猫っぽい少女。男性陣二人も、近付いてきて一度頭を下げた。
「皆の言う通り、良いレースをできたらと思います。私自身、楽しみですから」
「そうだな。LHの外でレースってのはなかなか無い経験だ。それに、コースは初めてだ。だが負けないぞ」
皆やる気十分といった風情である。早くも泣けてきたエレナだったが、おとなしく彼らを控え室に案内する。
それから、エレナは点検に説明にと大忙しだった。能力者達も、車両のセッティングに余念がない。
そうこうしていると二時間はあっという間に過ぎる。能力者達は準備も終え、いよいよスタートのため、フォーメーションラップを走っていた。六台のエキゾーストノートが、サーキットに木霊している。
客の入りは当然ながら少ない。あくまで本番はカートレースだし、最初だからこれでいいとエレナは思っていた。今日のレースで全ては決まるのだ。休日の昼下がり、興味のない人には退屈なカートレースを寝っ転がりながら暇つぶし程度のつもりで眺めていた視聴者が、びっくりしてくれたらまずはそれでいいのだ。
「さて、いよいよスタートですねエレナさん」
不意に、男性キャスターに尋ねられる。ああそうだ、今本番中なんだ。
「そうですねー。もう私楽しみで眠れなくて」
へへ、と笑いながら応える。
「そうですか。ではここで本日の特別イベントのドライバーをグリッド順に紹介致します。一番、聖・真琴(
ga1622)。二番、ジェイ・ガーランド(
ga9899)。三番、ヴァン・ソード(
gb2542)。四番、如月・由梨(
ga1805)。五番、篠原 悠(
ga1826)。六番、レティ・クリムゾン(
ga8679)の順となっております。ちなみにこれ、くじ引きで決めたということで、どうなるのかさっぱりわかりません」
知人や家族が出場するのか、カートレースのために集まった観客およそ百人。彼らは何か始まるらしいと興味を示していた。エレナはにやにやする。
「さあ、フォーメーションラップを終えた六台がスターティンググリッドにつきました。高鳴るエキゾーストサウンド! 間もなくスタートです!」
キャスターは頑張って盛り上げている。レースは僅か三周。あっという間に終わるだろう。だがそのあっという間が、きっと歴史を変えるのだ!
●スタート
各車コクピットに収った六人は、真剣そのものだった。傭兵の中でもとりわけ車好きな彼らが、真剣にならない理由はない。
中でも由梨、真琴の二名はテンション最高潮で、今か今かとグリーンシグナルを待ちわびている。
「さぁ、行こうか」
各自、それぞれに愛車に語りかけると、会場は静けさに包まれた。エンジンの高鳴りさえ耳に届かなくなるような緊張感。覚醒状態の傭兵の目は、いよいよ青く輝こうとしているシグナルへ注がれ、そして全員が同時に、アクセルを踏み込んだ。
先行逃げ切りを予定していたヴァンは、その考えをスタートと同時に改めることになる。レギュレーションによって、各車は全てにおいて横並び、という状況にある。おまけに全員が能力者。スタートは全車が完璧なタイミングを制していた。逃げ切るには、それこそ能力者と一般人ほどの差がなければ難しい。
「甘かったか。だが負けはしない」
各車は一列に連なると、そのまま第一コーナーへ飛び込んでいく。車速を一気に殺す第一コーナー。順位は変わりなく、各車難なくクリアする。第一の難関となるのは、続くS字コーナーだ。ほぼ直線で抜けられるが、それ故にその直後に待ち構える第一ヘアピンに不用意に飛び込んでしまう。
S字を抜けたところで、四番手の由梨が、三番手のヴァンに徐々に近付いていくが、仕掛けるポイントではない。ぴったりとヴァンの背後に張り付き、ヘアピンにさしかかる。
「逃がしません!」
ヘアピンでも、見ているほうが恐ろしくなるような距離に張り付き、プレッシャーを掛ける由梨。ヴァンは苦笑いだった。
と、背後で必要以上に派手なスキールが鳴り響いた。
「なんだ?」
思わずバックミラーを確認したヴァンは、由梨の更に後方で、派手に尻を滑らせている悠を捉えた。
「スピン? いや、ドリフトか」
二位のジェイも、目を白黒させた。
当の本人は華麗に決まったドリフトにご満悦だった。
「あういえー!」
車外に腕を伸ばし、観客にアピールをする。が、基本に忠実に走るレティが、あっという間に距離を詰めた。
「あ、ちょ! レティさん?」
「済まんな悠。もらうぞ」
悠の内側にぴたりと付けたレティは、ヘアピン立ち上がりでやや膨らんだ悠を、あっという間に抜き去った。
そうこうしている内に、トップの真琴は通称ランバートコーナーにさしかかっていた。大きなタイヤでできたブリッジでは、エレナのデフォルメキャラクターが微笑んでいる。
真琴は絶好調だ。車両はセッティングによりややピーキーになっているが、しっかりと特性を活かしたドライビングで、ジェイに距離を詰めさせない。ランバートコーナーを高速で抜けると、尚加速し、差を離しに掛かる。
「っくー、たまンないね!」
思わず零すも、六台はほぼ数珠つなぎのような接戦だった。特にジェイは真琴の真後ろに付いて空気抵抗を減らし、じわじわとその距離を詰め始めている。だが抜くことはできない。続く80R、第二ヘアピンでも順位変動はなく、各車は無難にクリアした。波乱は、バックストレッチで起きた。
●興奮
やべええええ。
エレナは鼻血を吹きそうだった。真琴、ジェイ、由梨、悠の四台が、バックストレッチに入った途端、急加速したのだ。慌てて車両情報を見直して、彼らの車にブースト機構が搭載されていることに気付く。その加速度と轟音は、まるで戦闘機かと思うほどだった。
由梨はヴァンを抜き、悠がレティを抜き返し、ジェイは真琴に襲い掛かる。トップ二両の争いは熾烈だった。スリップストリームを利用し十二分に加速したジェイが、真琴のサイドに出る。大気を震わせて加速する二台は、そのまま最終コーナーへ進入していった。
「うぉぉ」
思わず唸るエレナ。何故かその目には涙が浮かんでいる。
直線でイン側に出ていたジェイは、勝負に出た。本来ならば大きく膨らむことを恐れて下がるところだが、いけると踏んだ。二台は完全に横並び。ならば接触を免れるために、アウト側が譲る可能性が高まる。
『良い根性してんな!』
そんな真琴の声が聞こえるようだった。
真琴はジェイよりも早くブレーキを踏む。すぐさまジェイも減速し、真琴をうまくブロックしながら曲がっていく。一位にジェイが躍り出た。
「おっと! 一歩遅れたレティ選手がここでブースト! だがこれは危険だー!」
アナウンサーがまくし立てるのを聞いて、先頭を見つめていたエレナが視線を戻す。最終コーナーの頂点を過ぎたところで、最下位のレティが急加速したようだった。大きくドリフトする悠を大外から抜き返す。曲がれるのか、とエレナが生唾を飲み込む。タイヤを激しく空転させながらも、レティは最終コーナーを曲がりきる。そしてそのまま、メインストレートのブーストへ繋げた。
「いやいやいやいや。レースは二周目に突入ですが、凄いですねこれは」
キャスターも興奮気味だった。それほど、あの急加速は面白い。何より派手だ。レティの使い方には少々驚いたが、観客も大喜びしている。
「きもちいいですぅ〜」
エレナはふにゃふにゃだった。
「さてではここで、参加選手のレース前の意気込みを紹介したいと思います」
がさごそと、資料を漁るアナウンサー。
「見る方が主でしたが、こうやってレースに出れる日が来るとは‥‥と出場できる喜びを語ってくれたのは、ジェイ・ガーランド選手です。彼らはこの道のプロではありませんから、確かにあまり無い経験なのかもしれません」
「へへ♪ 前座とは言え、私らの走りでメインを喰ってやろうじゃん、と子猫のような笑みで応えてくれたのは、聖真琴選手。完全に食っていると個人的に思います」
「えぇ、夢を与えますよ、走りますよ。依頼主のエレナさんは本当に素晴らしい方です、えぇ、と興奮も露わに語ってくれたのは如月由梨選手です。何故それほど興奮しているのかは不明ですが、とにかく楽しみにしていた様子。現在第三位です」
ふにゃっとエレナが照れた。
「レースを盛り上げる、それと勝つ。そう語ってくれたのはヴァン・ソード選手。おかげさまで大いに盛り上がっております! 更に魅せて頂きたい!」
「うちはレースに目覚めた! いつかトップに追いついて見せるんやからっ! と気合い十分なのは篠原悠選手。レティ選手には負けられないとのことですが、日頃から親交のある間柄のようです。残念ながらレティ選手に抜かれ、現在六位」
「このレースだけでLH一速い者が決まる訳では無いが、その場所へ一歩近づけるのは間違いないだろう。全力で挑む価値はある、とクールにストイックな姿勢を見せたのはレティ・クリムゾン選手。仰天のブーストは二周目も炸裂するのか! そして成功するのか!」
ふう、と一息つくアナウンサー。二周目も既に最終コーナーを抜け、トップのジェイがメインストレートに入っていた。
「喋っている間に二周目も大詰め。順位に変動があったようです。真琴選手が最終コーナーで痛恨のミス。由梨選手に抜かれ三位に転落。そしてそして、レティ選手が最終コーナーでヴァン選手をパス。第四位に浮上しています。残すところあと一周! どんな展開を見せるのでしょうか!」
●ファイナルラップ
ランバート・サーキットで想定されているよりも速く走る六台の制御は、相応に難しい。トップを走るジェイの額に浮かぶ汗が、何よりもそれを物語っていた。しかし逆に、最終ラップになってその走りを鋭くする者もいた。現在二位につける由梨が特に顕著である。
虎視眈々と再浮上を狙う真琴にぴったりと張り付かれながら、由梨自身も見事にジェイの背後についている。
三台はまるで一台の車両のように互いの間隔を狭めているが、接触する気配は一切なかった。前、或いは後ろの車両の敏感な動き一つも見逃さない集中力は、能力者だからこその代物で、とても真似できるものではないし、誰もしようと思わないだろう。
無論、それを見つめる観客の視線を、トップ三台が釘付けにしていることは間違いない。そして、その期待はバックストレッチに集中している。殺人的な加速で驀進する車両の姿は、既に百名程度の観客の心を鷲づかみにしていた。
テレビカメラも見守る中、ジェイが一足早く第二ヘアピンを抜ける。ほぼ同時に由梨、真琴と続くトップグループは、派手な吸気音を響かせたかと思うと、爆発的な加速を見せた。途端、少ない、しかし大きな歓声がサーキットを包み込む。
一手早く攻めたのは由梨だった。抵抗を低減し、余力を残した状態でサイドに出た由梨は、猛然とジェイに襲いかかる。このサーキットのバックストレッチは、車両二台でほぼ埋まる。真琴の舌打ちが聞こえたのは、恐らく気のせいではないだろう。
二台はまるで一周目を再現するかのようだった。ブーストによって、直線はあっという間になくなる。みるみる近付いてくる最終コーナーを前に、どちらが先に下がるかで全てが決まる。勝負はチキンランの様相を呈していた。
どちらも退かない。絶対に負けられない、という気迫をアクセルに込めて、突き進む。
そして、一台が前に出た――。
●ネクストステージへ
エレナは寝られなかった。目がギンギンに冴えて、とても眠れなかった。誰が勝ったって、おかしくなかった。それほど実力は拮抗していたし、急造のレギュレーションは各車に平等にチャンスを与えた。それを制したのは、如月・由梨という美しい黒髪の少女だった。
「くぅ〜」
布団にくるまって、もぞもぞと悶えるエレナ。入賞できなかった選手は悔しかっただろう。けど、皆由梨を称えていた。優勝した本人も、嬉しそうだった。本当にいいレースだったと言えると思う。
――必ずまたやろう。
エレナは誓って、ようやく眠りに落ちた。
余談だが、街ではちょっとした騒ぎになっているらしい。傭兵が、聞いたこともないサーキットでとんでもないレースをやらかした、と。
了