タイトル:【共鳴】Go Ahead!マスター:クダモノネコ

シナリオ形態: イベント
難易度: 不明
参加人数: 25 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/05/30 22:51

●オープニング本文



 ハーモニウム・ファーストの二体を預かる、カンパネラ学園本校舎エリア研究棟地下層「特別監視域」。
 管理責任者である学園講師 宮本 遥(gz0305)は、バックヤードに備え付けられた自分のデスクに向かい、液晶モニタをじっと覗き込んでいた。頭にはインカムと一体化したヘッドセット・マイクを装着している。
「墜落した輸送船から回収したエミタ鉱石に、軍から引き渡し要請が? 話が違うじゃない」
 鋭い口調の矛先は、モニタの向こう側。白衣を来た男に向けられたものだ。
「ああ、どこでかぎつけたんだか‥‥ま、エミタ鉱石は軍事的には価値のある代物だからなぁ。バグアのため消費すること自体に、否定的な意見も多いし」
「で、藤野まさか、全部渡したとか不甲斐ないこと言わないでしょうね」
「酷いなあ。そこまで僕もお人好しじゃないよ」
 男はモニタ越しに、首を横に振ってみせた。そしてやや得意げに胸を反らし、
「君の所にいる人型キメラ2体の『治療実験』分と、あとそうだな‥‥数体分は必要だからってことでキープしたさ」
 言葉を継ぐ。
「あら、やるじゃない」
「どう? 惚れ直した? もっかいやり直すなら、僕はいつでも‥‥」
「学者のジョークってのはどうしてこう下らないのかしらね。‥‥それと藤野、間違えないで。うちのコ達はキメラじゃないわ。人間よ」
 親しさが垣間見えたのはほんの一瞬。すぐさま仕事の顔に戻った昔馴染みに、肩を竦める男。
「随分入れ込んでるコトで」
「バカな子ほど可愛いって諺どおりよ」
 否定も怒りもせず微笑む表情は、男の知るものではなかった。
 かつての「傭兵仲間」は、既に新たな道を見出しているようだ。
「お喋りがすぎたね、話を戻そう。まぁそんな成り行きだけど、治験自体は問題なく行える。ただ、装置は動かせないから君にキメラ‥‥じゃなかった強化人間を、こちらまで連れてきてもらうことになるけど」
「問題ないわ」
「そう、じゃあ機材の調整や何かを含めて‥‥5日後はどうだろうか」
 モニタの向こうで、昔馴染みがついと目を反らした。壁に張ってある何かを確かめているようだ。
「5日後ね。丁度いいわ、くだらない職員会議があって辟易してたの」」
 君は昔からブリーフィングの類が嫌いだったね。
 言いかけて飲み込んで、男は業務連絡だけを付け加える。
「あ、そうそう。一つ厄介なことがあってね。UPCから視察が入るんだ。北極圏制圧以後、初の『治療実験』だからな。断り切れなかった。ついでにキープ分以外の鉱石も回収していくらしい」
「仕方ないわね。お偉いさんの所属と階級は分かる?」
「さほどお偉いさんでもないかな。特殊作戦軍のアナートリィ・ボリーソビッチ・ザイツェフ中尉だ。今データを転送する」



 神様が全ての動物に、与えた鼓動の回数は15億回、呼吸の数は3億回、らしい。
 そして鼓動と呼吸の速さで、種族の寿命は司られる、らしい。
 生を受けた瞬間から、カウントが始まる残り回数。
 ハムスターは数年、猫は20年をかけて。
 人類は80年近い時間をかけて。
 そしてゾウガメは、数百年もの時をかけて。
 それぞれ与えられた回数を、少しずつ使ってゆく。
 ──Qが遺した「いのちの欠片」。
 それは種族のもつ「時計」を遅らせる薬に他ならなかった。

 カンパネラ学園本校舎エリア研究棟地下層「特別監視域」。
 太陽を模した照明が人工植物に降り注ぎ、木漏れ日そっくりの光となって人工土を敷き詰めた床に散らばっている。
 そんな箱庭の片隅で眠り続けるノアの傍に座ったAgは、半ば無意識に黒い頭を撫でていた。
「ノア、いい加減起きろよ」
 答えは返らない。耳も瞼も睫毛の先も、ぴくりとも動かない。
「俺、暇じゃんよ」
 掌に触れる温かさだけが「死んではいない」ことを控えめに主張している。でも、ただそれだけ。
「俺──」
 Agは呻いて、俯いた。
 もう何度も繰り返している一方通行。苦しくなってノアから手を離してしまうところまで、いつも同じだ。
 だが今日は、いつもと違う展開が訪れた。息を弾ませて、笠原 陸人(gz0290)が駆けてきたのだ。
「Ag、ニュースニュース!」
「‥‥リクト?」
「ノアを治せる方法が、手に入ったんだ!!」
「!!」
 思いがけない言葉に、Agは弾かれたように立ち上がった。
「ほんとか!? いつ!? 今から!?」
「ちょ、待‥‥!」
 泡を食う陸人の肩ごしに助け舟を出したのは、ゆっくり歩いてきた遥。
「Ag、笠原から手を離して。そこに座って、私の話を聞きなさい」
 大柄な体躯の強化人間に、全く物怖じせず言い放つ。能力者の卵相手に教鞭を振るう日々は、伊達ではないようだ。
「‥‥」
 しばしの逡巡の後、ノアの横にAgが腰を降ろした。
「そう、いい子ね」
 向かい合う形で座った遥は、経緯を話し始めた。
 チューレ基地が、地上から去ったこと。
 イェスペリも、地上には居ないこと。
 傭兵たちの尽力で、強化人間の治療施設が手に入ったこと。
 バグアが行っていたメンテナンスとは違う形ではあるけれど、強化人間の命をつなぐ手段を人類が手に入れたこと。
 しかしその手段は、「セカンド」の為のものであること。
 ノアの「治療」は、「セカンド」の為の技術を確立するための過程であること。
 そこまで聞いたAgが、深くため息をついた。
「‥‥ノアは、実験台、なのか」
「否定はしないわ。勿論ノア以前にも実験は重ねているけれど、失敗の可能性もゼロではないわね」
 遥は俯くAgから目を逸らさず、首を縦に振る。
「あんたの言うとおり、この機会にノアを利用する意図があるのは確かよ。でも、この『機会』を作った連中、いえ『ハーモニウム』と関わり続けた連中は、他の誰の為でもなく『ハーモニウム』の為に汗を流した。それも確かなの」
「‥‥」
 Agは答えない。ただ縞柄の尻尾で、小さく地面を叩いた。理解はしているようだ。
「勿論、受けるか受けないかはあんたが決めることよ。ノアの分もね」
 遥はついと立ち上がった。慌てて陸人もそれに倣う。
「返事は改めて聞きにくるわ」




 来訪者の去った箱庭で、Agは考え込んでいた。
(あいつらは、失敗はゼロじゃないって言った。もし俺もノアも『治療』を受けて、俺だけ失敗したら、ノアは一人になってしまう。‥‥そしたら、誰がノアを守る? 俺はオトナのオスだけど、ノアはそうじゃない)
 それは彼に撮って、ノアを失うことより、恐ろしいことだった。
(もし、ノアが『ここ』に帰ってこれなくなっても、その時はQがノアと一緒にいてくれる。あのキモウザに任せるのは癪だけどよ‥‥)
 んもォ〜、ひどいなァAgたんは。
 聞こえるはずのない仲間の声が、脳裏に蘇る。
「うっせーよ、バーカ」 
 それが可笑しくて一人笑い、ノアの頬に触れた。
(ノア、もうすぐだ。もうすぐ、話が出来る)
 変わらず反応はない。
(Qのとこなんか、行くなよ。待ってるから。俺、待ってるから)

●参加者一覧

/ 綿貫 衛司(ga0056) / 須佐 武流(ga1461) / エマ・フリーデン(ga3078) / 終夜・無月(ga3084) / UNKNOWN(ga4276) / 西村・千佳(ga4714) / 風代 律子(ga7966) / M2(ga8024) / 小野塚・美鈴(ga9125) / 麻宮 光(ga9696) / RENN(gb1931) / 嘉雅土(gb2174) / キリル・シューキン(gb2765) / アレックス(gb3735) / プリセラ・ヴァステル(gb3835) / ソーニャ(gb5824) / ソウマ(gc0505) / 獅月 きら(gc1055) / 御鑑 藍(gc1485) / 過月 夕菜(gc1671) / 春夏秋冬 立花(gc3009) / イレイズ・バークライド(gc4038) / ドゥ・ヤフーリヴァ(gc4751) / 明河 玲実(gc6420) / 紅月言葉(gc7373

●リプレイ本文


 ハーモニウム・ファーストの治療実験。
 それは人類がはじめて試みる強化人間の救済に他ならなかった。
 未成年とはいえ敵兵に、貴重なエミタ鉱石を消費する是非については、未だに意見が分かれている。
 故に今回の実験の、数年後の評価は未知数だ。
 大きな前進として記憶されるのか、愚策として語るもはばかられるに落つるのか。
 ただ、未来の評価がどうであれ、変わらぬ事実もある。
 それは。
 多くの能力者がそれぞれの想いで、まなざしていたということだ。


●Before X day

 太陽は西に傾き、建物が長い影を落とす頃合い。
 カンパネラ学園本校舎エリア研究棟地下層「特別監視域」のバックヤードを、小野塚・美鈴、(ga9125)麻宮 光(ga9696)、嘉雅土(gb2174)、過月 夕菜(gc1671)が訪れていた。管理責任者である宮本 遥(gz0305)とともに囲むテーブルの上には、紙カップに入ったコーヒーと美鈴手作りのケーキの皿が乗っかっている。
「小野塚、麻宮、嘉雅土。先日は鉱石回収はご苦労だったわね。今回の実験ができるのはあんたたちのおかげよ。軍の介入があって、鉱石の大半は渡すことになったけど」
 労い半分、嘆息半分の遥の言葉に、嘉雅土は頷いた。
「今後も、無報酬でも鉱石回収依頼あれば手伝うよ。多分皆も」
「ああ、治療方法の下地を手に入れ、鉱石も手にいれた。あとは成功するように祈るのみ‥‥だな」
 同意を示しつつ、天井を──否、どこか遠くを見つめるのは光。
「これが成功すれば彼女も助ける事ができる‥‥かな」
 願いと祈りの色が、小さな呟きに滲んでいる。
「で、先生。他のファースト達の予定は?」
 嘉雅土が畳み掛けた。
「予定、とは?」
「早くしないと貴重なバグアの機械操作と情報解析源が死ぬぜ。軍と巧く話をつけれれば‥‥なぁ」
 遥は彼から目を反らし、コーヒーの水面を見つめ口を開く。
「麻宮と嘉雅土が言ってるのは、第三キメラ研究所のお嬢さんの事かしら」
「‥‥」
「だとしたら、言っておくわ。私にはそこまでの力はないの」
 わかりやすく、光の顔色が変わった。
 ケーキを食べていた夕菜も、手にした猫の手帳の影で嘆息する。
 嫌というほど感じられる二人の気持ち。だが遥は尚も問うた。
「今回、ノアとAgが実験の対象になれたのは何故だと思う?」
「‥‥ノアくんに残された時間がないから?」
 答えたのは、美鈴。
「ハズレ。ひとつはあの二人が『ファースト』の中で、今まで実験を重ねてきた『キメラ』に最も近い、つまり段階として最適だったから。もうひとつは、軍部にあの二人を恨む者がいないから」
「?」
「もちろんAgとノアだって量産型SSに乗ってたんだから、過去に人を殺していたかもしれない。ただ幸い『誰かの仇』としては認識されていなかったの。これはとても大きな事よ、人間は感情の生き物だから」
 あんた達だってあの二人が親兄弟や友達の仇だったら、救おうとは思えないでしょう?
 言外の意味を悟った夕菜と美鈴は、顔を見合わせ押し黙る。
「それでも私の友人はノアとAgの分以外に、数体分の鉱石を確保してくれたわ。セカンドの『治療』用ではない『実験』の為のエミタをね。私に出来るのは新たな『実験』が必要な時、研究所に繋いであげることだけ」
「そうか‥‥」
「有難う、心砕いてくれて」
 重い空気が、五人の間を埋めた。
「このケーキ美味しいね、美鈴ちゃん」
「ありがとなのだ。宮本お母さん、Agくんの分もつくってきたんだけど、届けていい?」
 場の空気を和ませようと、少女たちがつとめて明るく振る舞う。
 健気な申し出に思いやりを感じ、遥の頬に笑みが浮かんだ。
「もちろん。ノアの所にあんたの友達が詰めてるから、ついでに届けてあげなさいな」


 遥達がいるバックヤードに隣接した一角はパーテーションで仕切られ、急ごしらえの病室となっていた。中央に据えられたベッドの上には、治験に備え「箱庭」から移されてきたノアが横たわっている。
「ノア君。今、君はどんな夢を見ているの?」
 枕元に座ったプリセラ・ヴァステル(gb3835)は、その手を握って語りかけていた。
「皆で楽しく一緒に遊んでいる夢なの? それとも、美味しいご飯の夢なの?」
 十一月の下旬に倒れてから、ノアが答えを返すことはない。もちろん今日も。
 掌の温さと心電図のモニタに描かれる曲線だけが、いのちを示している。
「‥‥でも、何時までもその夢の中で微睡んでいたら駄目なのよ‥‥」
 十二歳の少女には、辛い現実だった。
 床にぱたりと、水滴が落ちる。その音に控えめなノックの音が重なった。
「はーい‥‥あ、皆さん! 来てくれたんですねっ」
 振り向いた笠原 陸人(gz0290)の目に、朧 幸乃(ga3078)と御鑑 藍(gc1485)、それにケーキの箱を抱えた美鈴の姿が映る。
 ベッドに歩み寄った藍が、ノアの頭を優しく撫でた。
「ノアさん、久しぶり、ですね。プリセラさんも」
 藍がノアに会うのは昨年の夏、グリーンランドでのバスジャック事件以来だ。四人のハーモニウムとの対峙が失敗に終わっていたならば、今この時間は、確実になかった。
 一方の雪乃は少し離れたまま、昨年の冬のことを思い出していた。
(‥‥私が覚えているのは、捕らえたあの日の様子だけ)
 すべての発端となった、ホワイトバレイ防衛戦。
 ハーモニウムと人類の関わりの物語は、雪乃が率いる小隊が、ノアを捕獲したことから始まったのだ。
 己と小隊員にノアが向けたのは、険しい目だった。
 だが、季節が巡った今。目の前のハーモニウムは穏やかに眠っている。
(あの日から貴方は、変わったのでしょうね‥‥敵味方、どちらの心も惹きつける架け橋に)
「朧さん、美鈴ちゃんから差し入れです」
 甘い香りと少年の声が、雪乃を現実に引き戻す。
 言葉を交わすもののない白い部屋。
 心音を測る機械の音だけが静かに、だが止まることなく隙間を埋めている。
 と、そこに元気を振りまくような、可愛らしい声が響いた。
「笠原くん、ここにいたにゃ♪」
 訪れたのは。
「一緒にAgくんの所に行こうにゃ♪」
 ノアとその同胞のために幾度と無く戦った、西村・千佳(ga4714)だった。


 学園研究棟の地下に作られた「箱庭」。
 AU−KV演習場に用いた技術──人工樹や太陽を模した照明──を取り入れた二十メートル四方の隅で、Agはひとり座り込んでいた。
治療実験を明日に控え、ノアは既にいない。
「ノア‥‥俺は」
 彼は戸惑っていた。ひとりで居ることにもだが、それよりも何よりも「はじめて行われる強化人間の治療実験」のことを聞きつけて訪れる能力者たちの存在に。
 悪意がないのはすぐに悟ったが、理由が理解できなかった。
 とりわけ、面識のないソーニャ(gb5824)のような者について、特に。
「関係のない人が来るのは不快だっていう顔だね。でもこの件に関わっている人って意外と多いんだよ」
(それが俺に何の関係がある?)
 Agの苛立ちなど構わず、少女は喋るのを止めなかった。
「ねぇ、聞いてくれるかい? どうやら、ここは君の許可が必要なようだ」
 去れとは言い難く、顔だけ伏せて意思を示しても
「延命装置に繋がれた強化人間、亡命した強化人間。これでもボクは多くの強化人間と言葉を交わし、殺してきた。彼らの想いがどこへ行き、なにに変わったのか、ボクが死んだ時、彼らに報告しないとならないんだ」
 言葉にしないと、意思は伝わらないらしい。
(すればいいじゃないか)
「君にも続くもの‥‥ノアがいることを忘れないでね」
(違う。続く者なんかじゃない。俺はノアが)
 最後まで整然と話し、ソーニャは踵を返す。
 彼女の言葉を聞くことで形にできた思いを、Agは背中が遠くに見えなくなってから口に出した。。
「‥‥一緒じゃなきゃ嫌だ」
 聞く者のない言葉は、音となって消える。
 強化人間は俯いた。ひとりであることを改めて思い知って。

 陽の色の照明がオレンジを帯びる中、能力者はぽつりぽつりと箱庭を訪れる。
 穏やかに微笑み、手を合わせて祈ったのは終夜・無月(ga3084)。
「俺は無力で何も出来ませんが‥‥貴方達の先行きを祈る事と其の先を見届けさせて貰っても良いですか?」
「もし、ここでノアが治ってもAgが治療を受けないままだと今度はノアがAgを待つことになるんだよ?」
 明河 玲実(gc6420)は屈み込んで、静かに諭して去った。
 Agは首傾せずにいられなかった。はじめて会った「敵」の幸せを何故願える、こころ配れるのかと。
 そして見知った顔は、さらに真摯だった。
「あの時、ノアさんが私達を信じてくれたように‥‥Agさんも私達を信じてとは言えないけれど‥‥」
 夏のグリーンランドで、人間の子どもとノアの命を救おうとした藍も
「ノアくんともAgくんともまた皆で一緒に元気に遊びたいにゃ。だから、Agくんも治験受けよう?」
 ノアが「トモダチ」と認めた千佳も、そして
「ノアちゃんの事を真に想っているのなら、ノアちゃんと共に生きたいと言うのなら、辛さも、苦しみも、共に分かち合う事も必要だと思うわ」
 Qの遺した「いのちの欠片」を取り戻すため尽力した風代 律子(ga7966)も。
 彼らはそれぞれの言葉で、それぞれの想いを祈って、伝えて。
 それでいて、Agには何も求めずに帰っていった。
「俺は‥‥どうしたらいいんだろう」
 Agは一人思いを巡らせる。
 ──ノアを待つことが、最善ではないのかと。

 部外者なのにごめんね。そう前置きした柿原 錬(gb1931)は、Agの拠り所であり枷でもある組織の名を口にした。
「理想と現実は違ったし、思い通りになんかならないけど、死んでしまえば、何もかも終わりじゃないかな。‥‥言う必要無いだろうけどきっとノアを守れるのはAgだけだと思う。最終的には同じハーモニウムだけじゃないかな」
 そのあとすぐに、シア・ヘラ姉妹と縁の深いイレイズ・バークライド(gc4038)が訪れたのは、何かの巡りあわせだったのかもしれない。
「‥‥話には聞いていたが‥‥シアとヘラと違って‥‥ごついな」
 驚きを隠さないイレイズに、Agはちろりと顔を上げ問う。
「おまえはシアとヘラのトモダチか? シアとヘラは、元気なのか?」。
「俺はそうありたいと願っている。‥‥2人がどう思っているかはわからんね」
 騎士は答えを返した。シアとヘラ以外のハーモニウムが人類を「トモダチ」とする概念を持っていることに意外さを感じながら。
「元気なのかと聞いている」
「‥‥少なくとも、命に別状はない。今はゴットホープにいる」
「そうか」
 ふっとAgの顔に安堵が浮かぶ。それを確かめたイレイズは、二人の少女への思いを話しはじめた。
「シアはヘラを、ヘラはシアを助けて欲しいと願ったんだ。こちらの感情の押し付けでは無く、自分で生きたいと、確かにそう望んだ。だから俺は‥‥その救いを求める手を取った、つもりだ」
「‥‥人間というのは、面白い生き物だな」
 その言葉を自身の境遇に重ねあわせたのか。シアとヘラの同胞が僅かに笑う。
「俺はシアとヘラの事は、ノアのようには知らないけれど」
 Agはイレイズを見上げた。
「ふたりは、お前や他の『トモダチ』に護られたことをリカイしていると思う。お前の言葉に、嘘のニオイ、しないし。お前は俺と同じオスだろう? ふたりをこれからも、どうか」
 頼む。
 同胞の身の上を案ずる強化人間に、ガーディアンは頷いた。
「勿論だ」
 例え今までの自分を否定する事になっても、救おうとあがこう。そう誓った。

「Ag、わかっているか? 治療を受けて成功しても‥‥待っているものは、より過酷だ」
 須佐 武流(ga1461)の物言いは、他の能力者たちと異なっていた。
「ここに来る連中は、人間の中でも一握りの物好きだ。それ以外の人間はどうだって? お前達の事情なんて関係なくバグアでひとくくりさ」
 突き放すような物言いで、容赦なく事実を告げる。
「どこにいて何をしたって‥‥白い目で見られる。それでも‥‥その不条理と戦う覚悟はあるかい? 治療を受けるってのは、そういうことだ」
 だがそこには、視察に来た軍人が向ける如く冷たさはなかった。
「可能性に賭けるか、放棄するかはお前次第だ」
 一言残し背を向けた武流を、箱庭の主は黙って見送る。
(タケルの言うことが本当なら‥‥俺はノアより先には死ねない)
 思いは少しずつ変わってゆく。
(ノアは俺に‥‥)

「ノアは俺にどうして欲しいって思うだろうか」
 訪れるなり繰り出された問いに嘉雅土は肩を竦めた。
「んなの、俺に聞いてもわかるわけないだろ。ただ、さ」
「?」
「目覚めた時に『傍に居ると思ってた人が居ない』のと『目覚めた後に、治療すれば助かると聞かされてた人が居なくなる』の、お前ならどっちがより嫌?」
 問いを問いで返し、紅い瞳で青い眼を覗き込む。
「‥‥それは」
 そして絶句し瞑目するAgの様に、笑った。
「や、悩め悩め。悩めるって羨ましい。だって選択肢があるって事だから、さ」
「くっそ、ヒトゴトだと思いやがって」
 Agが毒づいた。
 彼には嘉雅土の笑みに潜むやるせなさは見えない。
「なぁAg。何が良くて何が悪くて何が正しくて何が間違ってるのか。そんなの俺には分からない。それは人によって全然違うから」
 諭す言葉が、過去の何かから導きだされたであろうことにも気がつけない。
「正直、皆がいた頃に戻れるものなら戻りたいとも思う。でも先生にとって、俺たちは道具でしかなかったから、これでよかったんだとも思う」
「そ、か」
「おかしいだろ。俺はどうしたいのかわからない。ノアと一緒にいたいって事以外」
「おかしくない。悩むのはAgに心が在り意思が有るってことだと、俺は思う。歩くのに、進むのに、必要なモノが」
「心‥‥意思」
 それでも嘉雅土の優しさと謎掛けの意味深さは、痛感していた。
(どっちが‥‥より『嫌』か)

 照明のオレンジ色が濃くなり、箱庭の木々が長い影を落とす。
「どーした、そんな顔して」
 薄暗くなりかけた中、「トモダチ」を訪れたアレックス(gb3735)の胸には決意が秘められていた。
「Agに、どうしても言っておかなきゃいけないことがあって来た」
 ただならぬ雰囲気を察したのか。
「まぁ座れよ」
 樹の根元に腰を下ろすAgが人工土を敷き詰めた床を尻尾で叩く。
 アレックスは膝を折ってAgに目を合わせ
「話って、なんだよ」
 暫しの沈黙の後、口を開いた。
「ハーモニウム・セカンド、サルヴァドル・ベルサリア。──それに、Q。‥‥俺が」
 予期せず聞かされた近しかった少年の名。
 Agが目を見開く。Qが死んだことは知っていた。人間の誰かが手にかけたことは知っていた。
 「おまえまさか」
 祈るような思いで、アレックスの顔を覗き込む。
 唇が動いた。
 ころした。
 「──!」
 僅か四つの音は言葉になれず、ばらばらに途切れて散る。
「嘘だって言えよ!」
 アレックスの胸倉を力任せに掴んだAgが、低く呻いた。
「冗談だって言えよ!!」
「‥‥もうトモダチ、なんて言えなくなっちまった、か」
 アレックスは弁解も抵抗もしなかった。払いのけることなど容易いにも関わらず、だ。
「‥‥ごめんな」
「──ふざけんな! おまえはノアを誑かして、俺を騙してここに連れてきて、なのに何で肝心なときに、嘘ついてくれないんだ!!」
 強化人間は吠えた。
「嘘つけよ、騙せよ、作り笑いしろよ、でないと!」
 怒り、絶望、喪失。様々な感情にかられ、握った拳を振るう。
「でないと俺は、おまえを憎めないじゃないか! おまえはQの仇なのに!」
 そして己の拳が、仇に傷ひとつ与えられないことを悟り、無力を思い知った。
「Qの──!」
 長い咆吼が、つくりものの黄昏に溶けて消える。
「例えお前達に嫌われても、それでも。‥‥それでも、俺はお前達の側にいる」
 アレックスがその間を、ぽつり埋めた。


 初夏の月が南の空から顔を出した頃。
 監視域の訪問者すべての退出を見届けた陸人と獅月 きら(gc1055)は、帰宅の途についていた。
「きらちゃん、せっかく来てくれたのにごめんね。Agがアレッ‥‥いやちょっと、人に会える状態じゃなくなっちゃって」
ん、Agの事は、心配なんてしてない。皆が、居るもの。明日きっと会えるよ」
 アスファルトに、靴音がふたつ響く。
「りっくん、私ね。ノアと最後にかわした会話、覚えてる。‥‥『嫌いだ』って、あの子に言われた」
「うん」
 校門を抜け、ふたりが目指すのはチューブトレインの駅だ。
「ノア、元気になったら、私に会ってくれる、かな。‥‥ううん、嫌がられても伝えたい。あの時、薬を呑んでくれてありがとって。早く起こしてあげられなくてごめんねって。‥‥でもね、それよりなにより」
 道すがら、きらはゆっくり言葉を紡ぐ。
「『おはよう、ノア』って」
「‥‥大丈夫、だと思う。だってさ」
「だって?」
「ノアがどうかは分かんないけど、僕は本当に嫌なヤツに、わざわざ嫌いって言わないよ。好きな人になかなか好きって言えないのと同じで、って‥‥あ」
 今のなし! そう言わんばかりに陸人が口を押さえた。彼にとって幸いなことに、目の前は駅の改札口だ。
「りっくん?」
「な、なんでもないよ! じゃあまた明日ね!!」
 そのまま瞬天速ばりの勢いで改札をくぐり、階段を駆け上る。
 胸がバクバクしているのは動悸のせいではないことに、少年は気がついていた。


 夜八時を過ぎると、ラスト・ホープの歓楽街は目を醒ます。
 煌く灯りの片隅で店を開く小さなバー。十人も入れば満員になる店内の止まり木に、UNKNOWN(ga4276)と綿貫 衛司(ga0056)、それに遥は並んで座っていた。衛司の前には持ち込みのスブロフが、UNKNOWNと遥の前にはそれぞれウィスキーグラスが置かれている。
「さて‥‥実験なのか、人道的なのか、非道なのか。何が正しいかは判らん世界だが‥‥」
 ダブルのグラスを手に、黒を着こなした男が口を開いた。同伴者に気遣ってか煙草はない。
「今回に限っては、大切なのは結果ね」
「結果、ですか。正味な話、治験が失敗する確率と言うのは如何程なんでしょうね』
 遥の答えに、衛司が口を挟む。世間話を装っているが、眼鏡の奥の目に笑みはなかった。
「『失敗』の定義によると、私の友人は言っていたわ。キメラを用いた実験だと、対象の即死はゼロに近いそうよ」
「ほう」
「ただ、程度の差はあれ獲得した能力や記憶、情緒の喪失、余命の減少などは避けられないんですって」
「成る程‥‥では今回以降のファーストの治験が行われるスケジュールはどうなるんでしょうかね」
 なおも問う衛司に、遥はゆっくりと言葉を選んだ。彼がAgやノア以外のハーモニウムとも縁を持っていたことを思い出したのだ。
「結果次第だと思うわ。Agとノアに成果‥‥一定レベルの心身の健康と情緒の安定が認められれば『より人間に近い』サンプルでの治療実験に移るでしょうし、逆に死亡や後遺障害、その他予期できない結果が出たならばキメラレベルの実験に戻ることとなるわね。『不具合』がAgとノアに由来するものだったのか、技術的な何かだったのかを突き止めるために」
 しかし如何に繕おうとも、現実の非情さが変わるわけでもなく。
「‥‥ただ、成功を祈ろう。――何が成功なのか、判らんが」
 それを知るUNKNOWNはグラスを挙げ、そのまま一息に飲み干した。


 夜は更ける。
 月は昇る。
「今日」は終わり、「明日」が近づいてくる──。



●Just X day

 時は午前八時前。
 ラスト・ホープにほど近い学研都市に建つマンションの一室を、少女が訪れていた。
「おはようございますにゃ。笠原君はいますかにゃ?」
 出勤の準備をしながら扉をあけた南 淳紀は、訪問者をまじまじと見る。
「‥‥少々お待ち下さい」
 眼鏡を外して目をこすり、かけ直し、首を傾げながら室内に引き返した。学生服に袖を通しながらパンを齧る弟が、振り返って問う。
「どしたの、ジュンキ」
「リク、僕は過労死寸前かもしれない。アイドルの‥‥マジカル☆チカの幻が玄関にいる」
「あ、それ本物」
「は?」
「千佳さんおまたせ! んじゃ行ってきまーす」
「ちょ、リク、待てよ」
 淳紀の狼狽には構わず、玄関扉はばたんと閉まる。
 そして
「うに、笠原君。成功すると、いいにゃね」
 可愛らしい話し声と階段を降りる音が、小さくなって消えていった。


 グリーンランドで人類が手に入れた、強化人間の治療施設。
 その一部はゴットホープで下ろされ、別の一部は海を渡ってラスト・ホープに輸送されていた。さらに島内でも受け入れ施設は細分化され、二〇一一年五月現在、いくつもの研究所で並行して解析が行われている。
 今回、ハーモニウムの治療実験を行う研究所は、島の北端。UPC本部からは相当の距離を隔てた、海にほど近い高台‥‥僻地だ。
 その僻地を、特殊作戦軍のアナートリィ中尉がクノスペで訪れていた。
 墜落した輸送艇から回収されたエミタを受領し軍本部まで運ぶのと、強化人間の治療実験の視察の為である。

 アナートリィは通された研究室の窓ガラス越しに、階下を見下ろしていた。
 窓の外は屋外ではなく、天井が吹き抜けになった白い実験室だ。蛍光灯の光が隅々まで行き渡り、影すらないほどに明るい。
「ニ体ともバイタルチェックは済ませました。機材の最終調整中で、待機させています」
「そうですか」
「尚、複数の傭兵が今回の件で中尉との面談を希望しています。応接室に通していますが、如何されますか」
「伺いましょう」
 こちらの存在は階下からは視認できないのだろう。金属製のストレッチャーの上に仰向けになった小柄な素体も、床の上に膝を抱えて座る大柄な素体も、身じろぎひとつしない。
「うにゅ、アナートリィ中尉。お願いなの」
「?」
 名を呼ぶ声にアナートリィは振り返った。小柄な少女‥‥プリセラが眼に涙を溜めていた。
「彼女は?」 
「実験用鉱石を獲ってきた能力者のひとりですよ。呼びもしないのにちっこいキメラについてきたんですわ。一緒にいるって聞かなくて」
 白衣の男の答えには、うんざりした色が滲んでいた。エミタ適性はあれどメンタルは年端も行かぬ少女である。合理と効率をよしとする科学者と相性が悪くても、何ら不思議はない。
「成程、お願いとは? 一尉官に出来ることなど限られていますが」
「ノアくんとAgくんに、着るものを用意してあげてほしいの。おじさんたちは、あたしが何度言っても聞いてくれないの。ふたりはキメラじゃないの。あたしの友達なのよ〜」
 プリセラはぽろぽろと涙を零す。
(捕虜の扱いとしては、良心的な方だと思いますが)
 研究者に同情しながらも、アナートリィは口を開いた。
「彼女の言うとおりに」
 白瀬少尉の国には「ナクコトジトーニハカテヌ」って呪文があったっけ、等と考えながら。


 応接室‥‥というより小さめの会議室に通された能力者たちを待たせること数十分。
「特殊作戦軍のアナートリィ中尉です」
 治療実験の視察に訪れたという軍人は、彼らの見知った顔であった。
「極北戦前の茶会以来ですな、同志‥‥Добрый день.」
 彼と故郷を同じくするキリル・シューキン(gb2765)が笑顔で立ち上がる。
「Давно Не Виделись.」
 母国語での挨拶に、アナートリィは一瞬破顔した。が、それは長くは続かない。
「今回は先日回収された、エミタ鉱石を受領する任で赴きました。ハーモニウムの実験に関しても、立ち会う予定‥‥」
「聞いてる。軍に強奪される気分ダヨ」
 鉱石回収を成功させた一人、嘉雅土が呟いた故だ。
「その点に関しては上層部の決めたこととはいえ、申し訳ありません。今回ぼ‥‥私ができるのは、可能な範囲で皆さんの疑問を解消することと、意向を上層に持ち帰ることしかありませんが、よろしければお聞かせ願えますか?」
 人前で話すことは得手ではなさそうな尉官の目前で、ぱらぱらと手が上がる。
 口火を切ったのは、衛司だった。
「ハーモニウムと北米軍学校との関わりとやらについて、特殊作戦軍ではその後調査は進んでいるのでしょうか? や、ウチでも少年工科学校等の軍学校が敵占領地下になりましたから、東京開放戦が進行中のこの折、あまり他人事ではない感じがして来ましてね」
 思い過ごしだといいのですが。元自衛官はそう結び、息をつく。
「極北作戦終了を以て特殊作戦群の管轄は離れましたが、ウォルター准将率いるUPC欧州軍とカンパネラ学園が引き続き調査を行っています。調査状況については、私では分かりかねます」
 頷く衛司と入れ替わりに、武流が鋭い目をアナートリィに向けた。
「‥‥さて、中尉殿にはこの実験がどう見える?」
「どう、とは?」
「彼らに明日を与える希望か? 過酷な野に子供を放り出す行為? それとも‥‥明日に絶望を与える拷問?」
 それは本質を抉る問いであったが、アナートリィは淡々と答える。
「軍は今回の治験に意義を見出しています」
「そうじゃない。中尉がどう思うかだ」
「私は軍人です。軍の意思は、私の意思です」
 おそらくそれは、彼の本意なのだろう。
「そうか、分かった」
 能力者の多くとは一線を画すメンタリティを垣間見た気がして、武流は黙って座った。
「仮に、今回の実験が成功した場合の彼らの処遇は?」
 もし「彼女」を助けられたなら、なるべく普通の生活をさせてやりたい。その一心で光が問いを投げかける。
「『ファースト』は生涯『元強化人間』であり続けるとの認識です。治安維持、治験技術の向上の為に、軍の監視下に置くのが妥当でしょう」
(それでは今までと何も変わらないじゃないか)
 異を叫びたい衝動を飲み込み、光は項垂れた。
 再認識せざるを得なかった。軍と、強化人間を救おうとする者たちが歩み寄った歩幅はあまりにも小さく、隔てる距離はあまりにも遠いと。
 だからといって諦めるつもりなど、毛頭なかった。

「間もなく実験を開始いたします。今回の実験は未だ手探りの部分が多く、皆様に全てを公開することは出来ない状態です。ご了承下さい」
訪れた女性研究員の声に、好奇心からここを訪れたソウマ(gc0505)が、落胆の表情を浮かべる。
「代わりと言ってはなんですが、被検体と面会の時間を設けております。ご希望の方はご案内いたしますのでお申し付け下さい。‥‥では中尉は研究室へ」
 頷き一礼するアナートリィを玲実ときらが呼び止めた。
「私達が運んだのはただの鉱石じゃありません。‥‥それがどんな想いであの地に眠っていたか、どんな思いでここへ持ち帰ったか‥‥どうかそれを、偉い方に」
「‥‥Agとノアをお願いします!」
 まっすぐなまなざしを、アナートリィは見返せなかった。彼女らの望みを叶える力がないことを自覚している故に。
 だから。
「責任を持って、伝えます」
 自分に出来ることを約束して、その場を後にした。


 五分だけ。そう前置きされたのち。
 傭兵たちが通されたのは、天井の高い白い部屋だった。彼らが入ったのと反対側の壁には、実験装置に通じるらしい銀色の扉が開け放たれている。
「よぉ」
 そして水色の病衣を被ったAgは、部屋の真ん中に立っていた。傍らには金属のストレッチャー、白いシーツを胸まで被ったノアの手を握り締めたままで。
 その行動に不安を見て取ったドゥ・ヤフーリヴァ(gc4751)が問いかける。
「怖い?」
 初対面の傭兵に強化人間は本音を吐かない。ただ図星ではあったらしく、縞の尻尾がせわしなく揺れた。
「‥‥逃げるんなら‥逃げてもい──」
「‥‥俺はもう決めたんだ」
 逃げないって。
 ドゥにではなく、自分に聞かせるように呟く。
「それは良かった。助けられる命が増えるのは嬉しいですよ、たとえ過去敵だったとしても、ね」
 その様を見たソウマは柔らかく笑んだ。
 彼にとっての敵とは、言葉が通じても話が通じない者であり、目前の強化人間はその基準には該当しなかったのだ。
 ソウマの肩ごしに、顔を出した衛司が問いかける。
「以前にフィディエル嬢にも聞いた事なのですがね。Ag君達は、この戦争が終わったとしたら、何がしたいですか?」
「え‥‥?」
 正解がひとつではない問い。それはAgを少しばかり悩ませた。
「とりあえずノアと一緒に、ねぐらに帰って‥‥アザラシ狩ってワカサギ釣って眠くなるまで話して‥‥」
 しばしの沈黙のあと出てきたのは、失った日常への渇望だった。Agの望むものは未来ではなく、過去に未だあるのだ。
 つまり彼もいつかのフィディエル同様に、『未来』を思い描く事は、まだ出来ない。
 それを悟った衛司は苦いやるせなさを飲み込み、曖昧に笑った。
(ノア君とともに在ることで、未来が見えるようになるとよいのですがね‥‥)

 三百秒は瞬く間に過ぎ、研究員がノアのストレッチャーを、奥の通路へと押してゆく。
「お守りだ。幸運を祈ってる」
 後について歩きはじめたAgに、アレックスが小さなロザリオを手渡した。
「お前に借りを作るのは癪だから、ぜってー返してやる」
「上等、借りパク禁止な」
 ぎこちなさは残っていたものの、ふたりの間に交わされたのは笑顔。
「じゃ、また後で」
「おう」
 ひらひらと手を振る嘉雅土に片手をあげて返し、Agは扉の前まで歩いた。
 扉の内側に入る。研究員が開閉装置に手をかける。
 閉ざされる直前、強化人間は振り返り、確かに敵であったはずの人間たちに叫んだ。
「俺、おまえらに──」
 

 閉ざされた扉の前で、M2(ga8024)がぽつり呟いた。
「これがうまく行ったら、他のハーモニウムの子も‥‥ディアナも‥‥助けられる、かな?」
 紅月言葉(gc7373)も、祈るように頷く。
「人事は尽くした。天命を待とう」
 高い天井を見上げ、己に言い聞かせているのは光。
「きっと‥‥きっとうまく行くにゃ。うまく行くよにゃ?」
 千佳は隣に立つ陸人の手を握り、不安気に何度も繰り返した。
 震える千佳の肩に、律子がそっと手を置く。
「ノアちゃん達も頑張っているのだから、私達もあの子達を信じて待ってあげましょう、ね?」
「律子おねえちゃん‥‥」
 こらえ切れず涙を溢れさせる少女に、律子は大丈夫、あの子達は必ず助かると言って聞かせる。
 それは彼女が、自身に言い聞かせる意味合いも含まれていた。


 エミタは時間を巻き戻す。
 ふたりの身体に刻まれた、改変の記録を巻き戻す。
 本来在るべきだった姿へと、一度限り、遡る──。



●After X day

 能力者たちの携帯端末にメールが届いたのは、それから数日後の事だった。

─────
TO:●●●
FROM:rikugz0290@●●●●

タイトル:笠原です
本文:
 Agとノアが、一昨日学園に戻ってきました
 とても疲れたようで一昨日と昨日は食事もせずに眠っていたけれど、今日は朝から元気です。
 よかったら放課後にでも、監視域に来て下さい。研究所の藤野さんもいらっしゃるので、詳しい説明も聞けると思います。

P・S
 連絡するのが遅くなってごめんなさい。
 僕は治験は成功だったと、思えるようになりました。
─────

 学園の中庭でそれを受け取ったアレックスときらは、思わず顔を見合わせた。
「‥‥りっくん、どういう事?」
「治療ってのは、連中がキメラへと変えられたように存在の変質と聞いた事がある」
「それって‥‥」
「帰って来たのが、例え今までのアイツらじゃなくても。おかえり、って言ってやらなきゃな」

 UPC本部にいたプリセラと美鈴も、言い知れぬ何かを感じていた。
 「うにゅ‥‥ノアくんは目を開けてくれたの?」
 「大丈夫なのかな〜‥‥心配なのだ」

 春夏秋冬 立花(gc3009)に迷いはなかった。
「お話を聞きに行かなきゃ。お友達になってもらうんだから」

 そしてUNKNOWNの呟きは、紫煙と一緒に空に昇って消えてゆく。
「忘れたの、かもしれんな‥‥記憶という財産を。だが周囲の若者が助けてやるだろう」

 無論、液晶画面の文字列は、それ以上何も語らない。
 自らの目で顛末を確かめるために、能力者達は学園へ足を向けた。


 日当たりのいいソファに座ったノアは、集まった能力者たちを興味深げに眺めていた。
 人々の表情はだいたい2種類に分けられると、ノアは感じていた。
 ひとつめは、難しい顔。
「‥‥強化人間の治療。それは皆さんも御存知の通り、エミタを用いた改変の巻き戻しに他なりません。そして見ての通り、彼ら2人の時間は、キメラ化する以前に戻った。そういった意味では、今回の治療実験は、成功と言えるのかもしれません‥‥」
 白衣を着た男の顔をノアはここに来てはじめて見たが、彼の名が「フジノ」なのは何度も聞いて、もう覚えていた。そう、フジノは難しい顔をしている。
 そしてもうひとつは、驚いたような戸惑ったような、困ったような顔だ。
「‥‥ノア、おはよう」
 例えばノアの「トモダチ」──嘉雅土の顔の色がそれで。
「ありがとな、帰ってきてくれて」
 絞り出すような声が、何とかつくろうとする笑顔が、ノアの金色の目には不思議なものとして映っていた。
「?」
 ノアは首を傾げ、隣に座るAgを見上げる。
 ──カガト、ノアが「こう」なったから困ってるのかな。
「‥‥」
 視線に気がついたAgがノアに顔を近づけ、鼻先をぺろりと舐めた。弾みで顎の下のロザリオが小さく揺れる。
 ──気にすんな、そのうち慣れてくれる。
 呑気なノアとAgのやりとりは一向に意に介さず、フジノは説明を続けた。
「現時点で、AgとノアからはFFの発現は認められません。もちろん断定には精密検査の結果が必要ですが『キメラ』の特徴が出る可能性は極めて低いでしょう。個人的な見解ですが‥‥」
 彼の言葉がもたらすのは、重苦しい、気まずい沈黙のみだ。
 ノアは一同の顔を見まわし、首を竦める。
 よく見知った顔が、いくつもあった。例えば、きら。
「ノア‥‥薬飲んでくれてありがとう。目をさましてくれてありがとう。‥‥でも私は、何もしてあげられなかった、起こしてあげられなかった」
 ごめんね。丸い目から涙が盛り上がって、ぱたぱたと床に音を立てて落ちる。
「ノアくんは元気になったにゃ。これでまた、皆と遊べるにゃ。僕は‥‥僕は、嬉しいにゃ☆」
 喜びの感情以外をひた隠し、笑顔でノアに笑いかけるのは千佳。
「うん、千佳ちゃんの言うとおりだよ。私も一緒に遊ぶ、ね、ノアくん!」
「お友達に、なってくれるよね!?」
 猫の手帳をぱたんと閉じた夕菜、そして立花もソファに向かって手を差し伸べている。
「‥‥」
 ──皆、どうしてそんな顔するの? ノアはノア、だぞ。
 ノアはゆっくりとソファから飛び降り、笑おうとする能力者たちの側まで歩いた。
 彼らの顔は黒猫の頭よりずっと高くにあり、前足じゃとても届かない。
 だからノアは、夕菜と立花の足元に身体をすり寄せた。千佳に尻尾もからめた。そしてきらを見上げて
 ──おはよう。
  言葉の代わりに、鳴いて伝えた。
「にゃあ」
 
「うにゅ‥‥ノアくんは、約束守ってくれたの」
 笑顔を作ろうと頑張るも作りきれないプリセラの横で、フジノが言いにくそうに結論を述べる。
「個人的な見解ですが、彼らは地球上の『イエネコ』であると、断言できると思います。診断確定後は、軍で身柄を拘束する必要もないでしょう」
 だってほら、見ての通り猫ですし。
 ぼそりとこぼす研究員の目を追うように、ソファの上に注がれる能力者の視線。
「にゃ?」
 クッションに寝そべっていた灰虎猫はきまり悪そうに緑の目をそらし、ソファから飛び降りた。
「さて、ノアちゃんとAgくんの帰還をお祝いしなきゃね」
 律子と嘉雅土が鞄から、牛乳パックを取り出した。
「‥‥今度は缶詰か何か持ってくるヨ」
 陸人から受け取った小皿に白い液体を写し、そっと床に置く。
 ノアの鼻先にパックをちょんとつけてから、律子は微笑んだ。
「闘いではない、新たな人生へようこそ!」
「人生‥‥つーか、猫生?」
 ──上手い事言うじゃねえか。
 嘉雅土の足元で祝杯(?)に預かったAgが、顔を上げて目を細めた。


 人間としての生還か、そうでなければ死か。
 多くの予想とは異なる結果を以て、最初の治療実験は終了した。 
 立ち会った能力者たちのまなざしは、前向きで、真摯で。
 今後続くであろう実験についても、力になることを予感させるものだった。

 学園に赴いた能力者たちが見届けた「終わり」は、他のメンバーにもメールで届けられた。
「思いは受け継がれ、実を結び‥‥別な何かに変わったのかもしれないね」
 夕焼けの中、ソーニャは過去の悲しみに思いを馳せ
「これでいいよな? ペレグジアにケメディ‥」
 ドゥは心に残る人たちの名を呼ぶ。
「‥‥鐘の音が聞こえましたよ。新たな始まりを祝福する音なのかも、ね」
 ソウマが笑み、学園の方角に目を凝らす。
 キョウ運の持ち主が聞いたのは、風に乗って流れてきた大鐘楼の音だったのか、それとも──。



 能力者の望んだハッピーエンドとは、少し形が違ったけれど。
 択んで切り開いた道の先には、穏やかな未来が続いていた。
 心ある人よ、願って欲しい。
 彼らにとって幸せな時間が、長く続くことを。