●リプレイ本文
かつて、このアイワーンガーデンは美しい庭園だった。
風になびく木々の声が鳴り響き、太陽は恵みの光を与えてくれる。
デリー市民にとって、この庭園は心安らげる場所の一つであった。
――しかし。
バグアの襲来で、この庭園は一変した。
木々は枯れ、庭園の水も流れなくなっていた。
戦争が原因で、庭園を手入れする暇を失っていたからだ。
それでも、ランジット・ダルダ(gz0194)は庭園復興を目指す。
あの美しい庭園と共に、デリー市民の心を取り戻すために。
「復興に手を貸してくれた事、感謝する」
大ダルダは、アイワーンガーデン復興作業へ入る前に謝意を述べた。
この場へ集まってくれた、すべての人間に対して心から感謝したい気持ちでいっぱいだったのだ。彼らの協力があれば、きっとデリー市民の心安らぐ場所を取り戻せるはずだ。「私の先祖が代々手入れしてきたお屋敷の庭も荒らされました。
でも‥‥その後、父が頑張ったから、今ではまた素敵な庭園になっています。
この庭も、きっと素敵な庭園になります」
メアリー・エッセンバル(
ga0194)は、大ダルダの前でそう言い切った。
デリーの人達の手でこの庭園は再生され、平和の証として次へ、また次の世代へと受け継がれていく。メアリーは、そんな素敵な事業への手伝いができる事を心から喜んでいた。
「インドを訪れたのは‥‥大規模作戦の時でしたでしょうか。
この庭園が、復興の先駆けになれる様、お手伝い致しましょう」
ハンナ・ルーベンス(
ga5138)もまた、庭園復興に手を挙げた者の一人だ。
人の心を癒し、安らぎの時間を与える庭園を復活させる。
ハンナもデリー市民が本当の意味で復興を遂げるには、この庭園の復興が不可欠だと考えていた。
「そうか、そう言ってくれたか。
我が祖国のため、力を貸してくれ」
「それでは、早速庭園の全体図や戦争以前も写真を拝見させていただけますか?」
夏 炎西(
ga4178)は、かつての庭園がどのような姿だったのかを知るべきだと主張する。
過去の姿そのままで庭園を復活させる為ではない。
あくまでも過去の庭園を知る事で、デリー市民が憩いの場としていた姿をイメージとして知っておく必要があったのだ。それがあれば、庭園に新たなるアレンジを加える事は容易になる。
「うむ。既に準備してある。‥‥梓、全体図を」
「はい」
職業傭兵集団Maha・Karaの中山梓がテーブルの上へ広げた資料は、庭園の全体図だけではない。写真やイラスト等、アイワーンガーデンを描いた物が多数あった。炎西の依頼を受けた大ダルダが方々手を尽くして掻き集めた資料だ。
「これだけの資料を‥‥ありがとうございます」
「いや、ワシに出来る事なら気軽に言ってくれ」
炎西は大ダルダへ感謝の言葉を述べた。
資料によれば、アイワーンガーデンはかつてアイワーン族が管理していた。
当時のマハラジャはアイワーン族から庭園を献上された。マハラジャはその見返りとして、アイワーン族に庭園の管理を一任。こうして、アイワーンガーデンは、数百年に渡って王族の別荘として利用されてきた。
この為、庭園内はムガール帝国時代の建築様式を今に伝えるテラスも存在。文化遺産としての価値はかなり高い。
そのような経緯もあって、アイワーンガーデンに関する資料は様々な分野に影響を及ぼしている。
「なるほどねぇ。じゃあ、自分は建築物の修繕を担当ですかねぇ」
破れたビニールシートをガムテープで補強していた古河 甚五郎(
ga6412)。
事前に庭園内の危険箇所をチェックした上で、必要な重機も手配済みだ。
さらに退役者の積極的な雇用も打診している。こうした裏方仕事は誰よりも優れていると自負する古河らしい気配りだ。
「こっちは雑草と樹木植え替えのサポートかな。
楽な仕事じゃないけれど、誰かがやらないとね」
百地・悠季(
ga8270)は、庭園内の雑草と樹木の植え替えを挙手した。
特に雑草は庭園の広さを考えれば骨の折れる作業だ。
しかし、ここで誰かが動かなければ雑草はそのまま。ならば、誰かが率先して動かなければならない。
悠季は、専門家との打ち合わせから始めるつもりだ。
「皆、よろしく頼む」
大ダルダは、再び傭兵達へ頭を下げた。
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「芝生をこっちに作るなら、植樹はここから始めるべきね。
枯れてしまった木は、抜くしかないけど‥‥若木が残っているなら、庭園へ戻れるようにしてあげましょう」
主に植物を担当するメアリーは、現場監督と細かい指示について打ち合わせを開始していた。
人手はあっても、適切な指示が無ければ無駄になってしまう。効率的に動くためには、統率者の指示が重要となる。
「姉様」
ハンナは、庭園内の資材や人員の運搬にジーザリオを持ち込んでいた。
重機が入れない場所では運用できないが、近くまで資材を運搬できる利点は大きい。能力者ならいざ知らず、一般人には資材運搬だけでも大仕事なのだから。
「重機を取り扱える修道女って‥‥新しいわね。いや、カッコいいわよ、ハンナ」
「ありがとうございます。
姉様。民族、文化、宗教が違っても、園は人の心を癒す事に変わりありませんよね?」
ジーザリオの運転席から顔を出すハンナ。
その瞳には、アイワーンガーデンを取り戻すために働く者達の姿が映っていた。
この光景は、平和に向かって歩み出したからこそ、見ることができる物だ。
出来ることなら、この平和をずっと享受できたらいいのに。
ハンナの胸に、そんな淡い期待が生まれ始めていた。
「そうね。
復活した庭園を前にすれば、きっと争う事が馬鹿らしくなると思うわ。
だって、こんなにも多くの人が平和への想いを込めているのだもの」
メアリーは、自信を持ってそう言い切った。
アイワーンガーデンは、数百年後のインドでも立派な庭園にしてみせる。
この時代に生きた人々の気持ちを、この庭園を通して後世に伝えたい。
メアリーには、アイワーンガーデンに対してそのような想いを抱いていた。
「では、気をつけて姉様。
何か有りましたら、トランシーバでお呼び下さい」
「分かった。何かあったらお願いすると思うわ」
勢いよく走り去るジーザリオ。
ハンナが去った後、メアリーは植樹の順番を待つ木々達との対話を始めた。
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悠季は、庭園の雑草と戦っていた。
手入れされていない庭園では、雑草が生い茂る。それも地面にガッチリと根を張っているので、駆除するのも大仕事だ。
「こういう建設的な事を従事して結果が目に見えてしまえば、それなりの希望が湧いて先に進める意欲が出来るものよね」
合金軍手に手を通して覚醒する悠季。
区画を決定してローテーションを編成、皆で雑草と戦い続けている。他の作業員を圧倒する作業量をこなしていくが、抜かれた雑草の山はまだまだ増えていく。
「この広さなら、まだまだ頑張らないとダメそうね。
‥‥うん? これは倒木?」
悠季の前で転がっていたのは、まだ倒れたばかりと思われる倒木だ。
時折、様々な理由によって倒されたと思われる木が転がっている。傭兵達は、これら不遇の運命を辿った木々も救うと決めていた。
「おーい、こっちにも倒木があるわよ」
「分かりました。そちらへ伺います」
悠季の知らせを受け、炎西が姿を現した。炎西は倒木の前で覚醒。鎖骨から頬に掛けて、黒い炎のような痣が浮かび上がる。
「しかし、庭園の果物を使った喫茶スペースは良い案よね。食べられるのがいいわね」
「ああ‥‥いえ、はい。
そう言っていただけるとありがたいです」
口調に気をつけながら、倒木を持ち上げる炎西。
炎西は、庭園内で収穫できる果物を使った喫茶スペースを提案していた。
市民の憩いの場であれば、チャイの一杯があってもいい。
そう考えた炎西は、倒木や枯れた木を使ってテーブルやベンチを作り始めたのだ。
「この庭園の恵みを、皆さんに知ってもらえたらいい。そう考えただけですよ。
ハンナさん。この木も切断して積み込みますので、少しお待ちいただけますか?」
ジーザリオに乗るハンナに向かって、炎西は叫んだ。
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庭園内の建築物は、古河が担当していた。
ムガール帝国時代の様式を今に伝える石造りのテラスも、場所によってはヒビが入っており、このままでは倒壊の危険性もある。そこで古河は、デリー近郊の石職人を呼び寄せ、建築物復旧を目指す。
「いいですねぇ。やはり、職人技は一見の価値がありますねぇ」
職人の傍らで感心する古河。
その横では、カメラマンが職人を映し続けている。
「なんですかい? このカメラは」
「これは、皆さんの姿を後世に届ける為のものなんですよ。
ま、気にしないで作業を続けてもらえれば問題ありませんがねぇ」
古河は、庭園が復興していく姿を映像に残しておくよう提案していた。
映像に残しておくことができれば、この庭園が復興されるまでにどれほどの人間が携わっていたのかが、視覚的に後世の人へ伝えることができる。
メアリーとは手段が違えど、この庭園へ込められた想いを後世に伝えようという意図は、古河も同じであった。
「後世の人っていってもなぁ」
照れくさそうな職人の表情を、古河は好意的に受け取っていた。
やはり、昔ながらの職人はこうあった方がいい。不器用ながら、自分の得意分野では誰にも負けないという自負がある。
かつては、古河も――。
「おお、やっておるな」
梓を引き連れて、大ダルダが視察へやってきた。
「ええ。アゴアシ付でとっぱらいの仕事ですから、みんな気合い入ってますねぇ」
「アゴアシ? とっぱらい?」
「建築物は足場を組みながら手をつけてますが、酷いところは階段の蹴上げから見直しですねぇ。ま、同時代の石材があれば、何とか仕込みますよ」
「むむ、建築の事はワシも素人なので、よく分からん。ここは、任せるとしよう。
ところで、ワシに何か仕事があるそうじゃな。何をすればよい?」
大ダルダは、いつになく張り切っていた。
マハラジャという立場上、民と一緒に働くのは考えられない。しかし、齢80を超えた大ダルダとしてはみんなと一緒に汗をかけると思いこんでいたようだ。
「ご期待に添えず申し訳ないんですが、肉体労働じゃないんですよ」
「なんじゃ、そうかのか。つまらんのう」
「むしろ、大ダルダにしか出来ない大仕事って奴です。期待してますよぉ」
古河は、ニヤリと笑った。
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「ワシに言葉を残せじゃと!?」
梓とハンナ、悠季を連れて古河の話を聞いていた大ダルダは、思わず声を上げた。
古河の提案とは、デリー解放戦で砕けたメトロニウム城壁の欠片を記念碑として、この庭園に残そうというものであった。
「それでこの記念碑に言葉を残して欲しいんですがねぇ」
古河が大ダルダへ任せたかった仕事――それはこの記念碑へ刻む言葉を考える事だった。
「へぇ、本当に大仕事ね。皆を代表して言葉を考えるって、かなり大変な仕事よ?」
「うーん、そう言われてものう」
悠季の言葉をよそに、大ダルダは思い悩んでいた。
仕事が嫌なのではない。
ただ、インドを愛する者達の想いを表す良い言葉が見つからないのだ。
大ダルダが腕を組んで思い悩む事、数分。
ここで意を決した古河が、動く。
何故か古河の右腕が隣に立っていた梓の尻に向かって伸びる。
殺気を感じた梓は直感的に古河の腕を掴んだ。
「何をする!」
「大ダルダ! 自分が梓さんに殴られている隙に、さぁ!」
良い言葉が浮かばない大ダルダを懸念した古河は、大勝負に出た。
意図を汲み取った大ダルダは、傍らに居たハンナの尻を慣れた手つきで撫で上げる。
「きゃっ!」
「大ダルダ!」
悲鳴を上げるハンナ。
古河の頬に拳を叩き込みながら、大ダルダの名を叫ぶ梓。
その声が同時に上がった時、大ダルダの脳裏に文章が浮かび上がる。
「‥‥おお、良い文章が浮かんだぞ。
やはり、女子の尻でリフレッシュできたのが良かったのかのう」
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地平線へ消えていく緋色の太陽を、メアリーと炎西は見守っていた。
倒木や枯れ木を利用して炎西が作ったベンチに腰掛けてから、数分の沈黙が流れている。
二人の関係は周知の事実であったが、メアリーは改めて二人きりになると何を話せばいいのか分からない。つい先程まで庭仕事で顔を泥だらけにしていたのだから、女の子らしいとはお世辞にも言えない。
「‥‥あ、あのね」
メアリーは、意を決して口を開いた。
「あなたが傍に居てくれるから、私は安心してこれからも植物バカで居られるのだと思う‥‥ありがと」
我ながら、恥ずかしいセリフを口にしたと思っている。
庭仕事は得意だけど‥‥恋愛関係については奥手で、どうすれば喜んでくれるのかは分からない。
だから、疲れ切った体に鞭打って、精一杯の笑顔で今の想いを伝える事にしたのだ。
「‥‥そうですか」
炎西は、そう答えた。
そして、僅かな沈黙の後で言葉を続けた。
「メアリーさん。何故、私がベンチを作ったと思いますか?
枯れ木になった木々を作り替えて、この庭園に居続けてもらう為ですが、もう一つあるのです」
炎西は、一呼吸置いた。
そして、ゆっくりと、想いを込めながら言葉を紡いでいく。
「あなたと‥‥こうして一緒に座れるなら‥‥。
あなたの隣に座らせてもらえるなら‥‥そう考えてベンチを作りました」
一度堰を切った言葉は、止まる事を知らない。炎西の想いは、次々と溢れ出る。
「庭仕事をしているあなたは、誰よりも綺麗です。その屈託のない笑顔は、私を捕らえて離しません。
私にとって魅力的な女性であるメアリーさんの隣に座って居られるなら、私は‥‥」
炎西は、メアリーへ向き直った。
同時にメアリーの体が、炎西へもたれ掛かる。
「メアリーさん‥‥」
炎西はメアリーの顔に視線を向けた。
そこには、昼間の庭仕事で疲れて眠りについたメアリーの顔があった。
一切の邪念が存在しない、自然で、そして美しい寝顔。
誰にも一切汚す事の出来ない存在――そんなあどけない寝顔を目にした炎西は、気付けばいつもの自分を取り戻していた。
「‥‥おやすみなさい、メアリーさん」
太陽は、静かに地平線の向こうへ沈んでいった。
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翌日。
傭兵達と大ダルダは、植樹を行った。
まだ小さな若木だが、この若木が大木になっても、アイワーンガーデンが美しいままの姿を保ってくれるよう――そんな願いを込めながら。
「それにしても‥‥この記念碑の言葉。
庭園で休む市民には、良い言葉じゃない?
もっとも、思いついたシーンは誰にも言えないのだけど」
記念碑を前に、悠季は思わず微笑んだ。
記念碑には、こう書かれていた。
『焦る必要はない。ここで心を休め、再び歩き出せばいい。
背負う想いは、決して逃げも失望もしないのだから。
ランジット・ダルダ』