●リプレイ本文
●暗号解読
諜報に身を置く者は孤独で猜疑心が強い‥‥と、これは一般的な認識でもあり、情報機関の人間を揶揄した言葉でもあるのだが、事実その通りだろう。
しかし言った側の思惑がどうであれ、諜報活動に従事する者にとっては、むしろそれは讃辞でさえあるとも言える。
今、残された写真を囲む四人の男女達もまた、孤独で猜疑心が強い者達なのだろうか‥‥定かでは無かったが、限られた手掛かりの中から的確に情報を拾い集めていた。
「ん、目的の人物が誰か解ったヨ。この方法で正しいのか確認したいカラ、皆の意見も訊かせてくれル?」
写真の裏に書き付けられた文字に目を通した後で、ラウル・カミーユ(
ga7242)は、紫の瞳に好奇心にも似た小さな笑みを込めて皆を見回した。
彼は小文節に区切られた文字列を見て、直ぐに一つの法則に当て嵌めて考えた。それは文節ごとの頭文字を繋げて、意味のある言葉が出来ないかを確かめる事。
どこか訝し気な表情で写真を見ていた水瀬 深夏(
gb2048)は、法則により出来上がった言葉を告げる。
「ああ、しろくろこまのかず‥‥白黒駒の数、だよな」
書き付けの文節毎の頭文字を抜き出すと、確かに『し、ろ、く、ろ、こ、ま、の、か、ず』となる。
「白黒の駒からリバーシやチェス、囲碁などが連想されますが、写真の内容からチェス駒の数と言う事に」
絵画の写真にあるチェス盤を指差しながら、佐藤 潤(
gb5555)もゆっくりと肯いた。
「チェスのコマって、ん〜‥‥32個?」
「はい、白と黒あわせて32個になります」
小さく首を傾げる深夏に、潤はもう一度肯いた。
「なので目的の人物は、図書館勤務のセドリオ・フレンバーだヨネ。年齢がコマの数と同じだモン」
ラウルは指を拳銃の形にして、セドリオの名前に照準を合わせる。
そんな遣り取りの中で、エルフリーデ・ローリー(
gb3060)だけは皆と違ったアプローチから暗号の解読を行っていた。
「成程、そう言う方向からも解読出来たのですね。わたくしは別方向からの解読ですが、答は同じですわ」
エルフリーデは書き付けの内容自体から、目的の人物が誰なのかを理論付けて分析したのだった。
「別方向から、と言いますと?」
潤の視線がエルフリーデに注がれ、他の二人もそれに続く。
「ええ、研究所は新しいものを作り出す場所、食堂は今を維持する為の場所、図書館は過去を記憶する為の場所」
写真の裏に書かれた、三名の人物の職業‥‥アリスタは研究所オペレータで、セドリオは図書館勤務。そして高柳は食堂勤務。
「老人の‥‥いえ、人の人生を覗き見るとはすべからくその人の過去を見ると言う事、なので図書館のセドリオさんを、と」
そこまで言い終えると、エルフリーデは銀の髪を上品に払って一息吐いた。
「ひとつの暗号をふたつの角度から解読しテ、同じ答が導き出されタなら間違いないネ」
写真をつまみ上げ、もう一度そこに写った絵画を眺めるラウルは、暗号の解読を愉しんでいる様に見える。気負いの欠片も感じさせない彼の振る舞いは、実にスパイ向きだと言えるのだが、彼の進む道は彼のみぞ知る。
そのラウルとは対照的に、深夏は眉間に小さなしわを寄せて腕を組んでいた。
「ん〜、まだ何かあるような気もするけど‥‥セドリオで間違いないのは確かだろうさ」
疑り深いのも良い事だ。どこかの国のことわざでも『信じるのは良いことだが、疑うのはさらに良い』と言われてるくらいなので、人を見たら泥棒と思え‥‥とはまた解釈が違うけれど、疑う事は一種の防衛手段でもあるのだから。
何にしても、臨時講師が絵画に関する何かを預けた人物は、図書館に勤務する32歳のセドリオ・フレンバーだと判断され、彼に面会する為に皆は図書館へと向かった。
●六行詩
図書館への道すがら、四人は受け取りのルール‥‥詩の持つ法則を理解して、六行目を考える‥‥を確認していた。
六行目が空白となっている詩の他の五行が、すべて回文で作られているところに着眼点が置かれた。回文とはつまり‥‥
「しんぶんし、みたいな感じの奴だよな」
深夏の言った通り、上から読んでも下から読んでも文字や音節の順序が変わらず、且つ言語としてある程度の意味が通る文字列の事を言う。
「ですね。五行とも五文字の回文で構成されています」
「法則はすぐ分かったケド、文章考えるのに少し悩んだヨ」
潤とラウルも解答を用意していたが、詩の持つ法則を理解した上で、全体的なバランスも取れた一行を考える事が必要なこの第二の関門は、決まった正解が用意されていない問題だと想像出来た。
解答を必要とする問いであるところの『問題』は、論理学的に四つに分類される。
まずはパズルで、これは正解がひとつだけ存在する問題の事。そしてリドル、ジレンマ、パラドクスとあるのだが、今回の六行詩はリドルに該当する。
リドルとは『出題者が答だと思うもの』が正解である問題であり、広い意味でのナゾナゾである。正確には『正解が出題者の可能世界範囲内に限定される問題』となるのだが、難しく考える必要はない。
逆の言い方をすれば、詩の六行目が出題者を納得させるものであればそれが正解ともなるのである。
「修辞、レトリックとは文学的な美しい文章を作る術であると共に、相手を説得させるための技術でもありますわ」
エルフリーデが正解の解釈を裏付ける。説得‥‥つまりは出題者に正解だと思わせる事が出来れば良いのだ。
彼女の言った修辞学・レトリックとは、弁論や叙述、演説などの技術に関する学問で、聴衆を納得させる事を目的とした、心理操作の意味合いも濃い。
「諜報活動に詩文、あながち見当外れという気はしませんわね」
言語学に精通していると思わせるエルフリーデの言葉には、確かに説得力がある。皆がそれぞれに用意して来た解答で、セドリオ氏に納得させる事こそが正解となるのだろう。
「それにしても、写真に関係する物品って何だろーナ。絵画の中に動物がたくさんだったのも気になるネ」
絵画の内容を頭に浮かべてラウルが呟く。そう言えばあの絵は何と言うタイトルなのだろうか。
「さあ、到着です。いよいよセドリオさんとのご対面ですね」
潤の視線が図書館入口を捉える。視線はそのまま左右上下に動き、無意識に近い感覚で入口付近の安全を確認する。
何度か後ろを気にしていた深夏も肯く。まさか臨時講師が隠れて見張ってるなんて事は無いだろうが、これもまた半ば無意識に尾行を警戒していた。
ここまで来れば、後はセドリオに会ってルールに従い物品を受け取り、それを持ち帰るだけ。四人は図書館入口へと進む。
館内ではお静かに‥‥などと言われるまでも無く、皆は静かに入館した。課題の意味合い的にも、騒いで目立つのは得策では無いだろうと誰もが知っている。
また四人揃って面会に行くよりは、誰か代表者が一人で行って連れて来た方が目立たないだろうと言う見解に至り、その役目を潤が引き受ける事となった。
皆の中では潤が一番セドリオと歳が近いと思われたし、同性である事から最も自然に面会出来るだろうとの考えからだ。
他の三人は少し離れて待つ事にして、適当な本を手にして自習用のテーブルに。それを確認してから、潤は受け付けへと向かった。
受け付けには女性職員が二人座っていたが、潤は彼女たちが名札や認識票を付けている事だけを確認すると、そのままそこを素通りする。
職員が名札を着用していなければ呼び出して貰う事も考えたが、着用しているのであれば館内にいる限りは捜し出す事が容易だろうし、何より呼び出して貰うと証人を作ってしまう事になる。
潤は慎重に、本を探す素振りで館内を歩きながら職員達を目の端で追う。30代前半の男性職員‥‥該当者は動植物関連の書籍コーナーで本の陳列を行っていた。
キリンやゾウの柄をしたエプロンを付けているのはこのコーナーだからだろうか、エプロンには鳥や花のバッジも付いており、その隣の名札には‥‥セドリオ・フレンバー。
目的の人物だと確認すると、静かに近付いて声を掛けた。
「すいません、回文関係の書籍を探しているのですが。それとトリックアートの物も」
潤の言葉にセドリオは笑顔を見せる。手にしていた本を書棚に置いて、ゆっくりとした口調で返事をした。
「課題を受けて来られた方ですね、私がセドリオ・フレンバーです」
「佐藤 潤と申します。他の人達も向こうで待っていますので、一緒にお願いします」
小さく低頭してから、潤はセドリオを伴って皆の待つテーブルへ。
全員が自己紹介を終えると、歳の若い順に‥‥自称年齢で構わないので‥‥詩の六行目を披露する事となった。
「それでは伺いましょう」
水、命の泉
草花は咲く
鳥の祈りと
森の祈りも
咲くは若草
「これに続く最後の一行は、何でしょう?」
セドリオは笑顔を絶やさないままの顔で詩の五行を告げると、興味深そうに皆を見回す。
「それでは、わたくしからですわね」
最初はエルフリーデから。丁寧なお辞儀をしてから、彼女は六行目を答えた。
「命、泉の水(いのち、いずみのみず)‥‥わたくしのはアナグラムですが、こんなところですかしら?」
アナグラムとは、言葉の文字列を入れ替える事によって別の意味にさせる事で、暗号に使われる事が多い。何故多いかと言うと、例えば五文字の言葉であれば120通りものアナグラムが可能であるから。
その幅広さ故に、意味の通ったアナグラムを瞬時に見付け出す事は困難である。また暗号傍受者を混乱させたり、解読に時間を掛けさせてタイムロスを与える事も可能だ。
「次は俺だ。たまに使わないと頭も勘も鈍るって言うしな♪」
深夏が不敵な笑みを浮かべてセドリオを向いた。どこか誇らし気ですらある。
「消ゆは淡雪(きゆはあわゆき)‥‥あ〜、俺には似合わねーな、こういうの」
言った後で照れてみせる仕草も計算の内なのだろうか、かしかしと髪を掻き上げながら次の回答者であるラウルを促した。
「ん、僕の番だネ」
ラウルは皆の解答の間もセドリオを観察していた。臨時講師と同じで情報機関の人間だった様には見えないが、落ち着き払った物腰の奥に何かを感じていた。
そして何かに気付いたのか、ラウルは視線でセドリオのエプロンに付いているバッジを捉えると、笑顔になって答えた。
「遠く、聞く音(とおく、きくおと)‥‥神秘的な雰囲気を、表現出来てるとヨイな」
セドリオは三人の解答を嬉しそうに聞いていた。特に怪しい素振りを見せる事もなく、笑顔のまま最後の回答者である潤に視線を移す。
「それでは僕で最後ですね。参ります」
つられて小さな笑顔をセドリオに返し、潤も解答を口にする。
「詩の二行目と五行目、三行目と四行目が似た内容なので、六行目は一行目と少し似せて考えました」
「澄み清き水(すみきよきみず)‥‥これが僕の解答です」
全員の解答を聞き終えて、セドリオは満面の笑みで皆を称えた。
「君達は非常に素晴らしいセンスを持ってますね」
思わず拍手してしまうセドリオに、館内の視線が注がれる。
「図書館では静かにな?」
深夏からも突っ込まれて、恥ずかしそうに舌を出すセドリオだったが、館内の誰とも異なるラウルの視線に気付いて彼に向き直った。
相手が自分の視線の意味に気付いた事を確信したラウルは、にっこりと微笑んで、手の平を上にして右手を差し出す。
「預けられたモノ、やっぱり動物に関係してたネ」
こちらも笑顔のまま、セドリオはラウルの次の言葉を待つ。
「それ、鳥のバッジ‥‥その鳥って啄木鳥だヨネ」
セドリオはゆっくりと、深く肯いた。
「そう、啄木鳥‥‥キツツキです。上から読んでも、下から読んでも、ね」
エプロンのバッジを取り外すと、そっとラウルの手の平に置いた。
「あとは臨時講師の所に届けにいくだけだな。褒美に何か奢らせようぜ」
「それなら和食が良いですね」
「任務のあとは紅茶で一息、ですわよ」
「えー、ここは甘いモノでショ」
奢らせる事は半ば決定したらしく、セドリオに挨拶をしてから皆は図書館を辞した。
●課題提出
暗号の解読から、詩の六行目の解答、そして預けた物品を受け取って来るまでの一部始終を報告され、臨時講師は満足そうに肯いた。
「絵画の方にヒントも込められていたのだが、それを使わずに暗号を解読したのか」
大した奴等だよ‥‥と臨時講師は呟いて、絵画の中で立体的に描かれた煙を指差す。
この『老人のシルクハットを取る煙の手』がヒントだったのだ。帽子‥‥つまり頭を取る、と。
しかし皆はこのヒントを必要とせずに、文節の頭文字を繋げて隠された言葉を見付け出し、また理論的に図書館が意味するところから目的の人物を割り出した。
ラウルから渡された啄木鳥のバッジを受け取ると、臨時講師は短く二言だけで課題の結果を告げる。
「良くやった。正解だ」
受け取ったバッジを自分の襟に付ける‥‥あまり似合っているとは言えないが、このバッジにも何かしらの意味があるのだろう。
「あ、センセに質問」
なんだ、と視線を向けてくる臨時講師に、ラウルは笑顔で訊く。
「ルールの詩の他例を、いくつか教えて欲しいナ」
うむ、と肯く臨時講師が口を開く前に、深夏が先手必勝で持ち掛けた。
「ここで訊くのも何だし、どこかで腰を落ち着けて訊きたいな〜、食事しながらとかさ。先生の奢りで!」
機先を制され、臨時講師が一瞬言葉に詰まったところに、エルフリーデと潤の追い打ち。
「そうですわね、先生の奢りで」
「では行きましょう。先生の奢りで」
小さく嘆息して、臨時講師は諦めた様に手を振った。
「わかったわかった。私負けましたわ‥‥って、ところだな」
「うわ‥‥センセ、そのオチはあんまりでショ」
何を食べるかで多少揉めたのはご愛敬。四人は見事に、素早く正確に課題をクリアしたのだった。
因みに、あの絵画のタイトルは『老ペッカーの書斎』と言う。絵画作者の祖父であるペッカー・ボウマン老人をモチーフにしたシリーズ作だそうだ。
ペッカー(pecker)‥‥キツツキの事だ。分かってしまえば何て事はないのだが、過去にキツツキのエンブレムを持つ特殊情報工作部隊があったと訊いた気がする。
某国所属の特殊部隊だったが、既に解体されたはずだった。だから課題にこの題材が選ばれたのかは不明だが、臨時講師の過去を‥‥人生の一部を、少しだけ覗き見た気分にさせられた。