タイトル:故郷での結婚式マスター:紀藤トキ
シナリオ形態: イベント |
難易度: 易しい |
参加人数: 20 人 |
サポート人数: 0 人 |
リプレイ完成日時: 2010/10/06 00:51 |
●オープニング本文
練習艦「カシハラ」の補修は、思ったよりも時を要するらしかった。損傷箇所の手当てだけならばすぐに終わるのだが、旧式の揚陸艦を能力者主体の部隊の母艦に仕立てるにはそれなりの手順がいるらしい。
「調整装置だの何だのと‥‥、ULTも土壇場になってうだうだ言いやがって」
指揮官のベイツ少将はうんざりした顔で言う。一ヶ月以上の独立行動をとる可能性がある以上、エミタの検査設備くらいつけておけ、というのがULT側の言い分だった。
「‥‥という訳で、おそらくあと2ヶ月は動けん。せっかくだから、士官連中は溜まってる休暇でも消費して来い。交代でな」
自分の事は棚に上げた少将に追い立てられるように踏んだ日本の土は、まだ一年ぶりくらいだというのに随分と懐かしい気がした。
●
去年や一昨年より、故郷の風は少しだけ冷たい。たった一ヶ月の差が、日本という土地では季節の違いになる。
「‥‥今年は遅かったのう、タテ坊。家は村の衆で掃除しておいたぞ」
変わらず息災の叔父に頭を下げてから、篠畑・健郎は実家の敷居を跨いだ。どうせ来ると思っていた村の一同の好意のおかげで、今年は掃除の必要は無い。LHから来る筈の傭兵達は、揃って翌日の到着だった。家の中の静けさが少しばかり耳に痛い。
「静かだな。随分」
仏壇に飾られた写真へ、ゆっくりと手を合わせる。きちんとした衣服で正面を向いた両親の遺影の後に、横に立てられた若い女性の写真へ。引き伸ばされたせいでボヤけた横顔を見るたびに疼いた記憶も、随分遠くなった。
「遅くなったが、報告するよ」
微笑む彼の左手には、簡素な指輪が嵌められていた。彼女を失った痛みから立ち直り、今を生きる事を選べた証。
「すまんな、響子。今まで、世話をかけた」
こうして、声に出して語りかけたのは死に別れてから初めてのことかもしれない。篠畑はオカルトを信じるほうではない。が、自分が今まで生き延びてこれたのは、先に逝った両親や恋人が、不甲斐ない自分を見捨てないで見守っていたからだ、と思う程度にはセンチメンタリストだった。
●
「何だと。結婚した!? こないだのお嬢さんとか」
そりゃ大変だ、と二度繰り返して、叔父は車で出て行った。その言葉の意味が判ったのは、夕方。今年も世話になる公民館へ挨拶に行った時の事だった。背筋を伸ばした老館長がちょっと埃くさい応接室で待っていたのだ。いまだに元気に現役らしい。
「‥‥や、叔父貴に結婚式とかってどうしたら都合がいいのか聞いただけなんですが‥‥なんか大事になってしまってすみません」
篠畑的には、どこかでやるなら出席してくれるかという意味だったようだが、叔父の脳裏に他所の町などという事は全く浮かんでいないらしい。
「そりゃあお前、よそからのお嬢さんを頂くんだ。村を挙げてきっちりせにゃあかん」
断固とした口調で言う老館長もまた、そんな事は考えてもいなかった。彼によれば、外から嫁を貰うのは随分久しぶりなのだと言う。この様子では、村中にすでに触れ回られているのだろうかと篠畑は思い、そしてそれは正しかった。
――老館長が『きっちり』というのは、村の外が異国も同然だった大昔からある行事だ。場所は黒潮の海の上。花嫁の実家が出す船から、板を渡って花婿の側の船へ移って、祝いの酒を二人が口をつけてから、海へと捧げる。それだけの事。漁で成り立っていた村だけあって、婚姻は海の神に祝われる物だったらしい。決まりの言葉があるでもなく、それが寂しいからか、後年になって双方の親族と介添えが花を撒いて祝福するようになったとか。
「船は篠畑の家の分は俺のとして‥‥、お嬢さんのは庄三さんとこにでも頼むかのう」
「大きいし、ちょうどよかろ。あと10年若ければワシが船を出すんじゃが」
忙しくなるぞ、と言う叔父はやけに楽しそうだ。もちろん、祝い事を肴に飲むつもりなのだろう。花嫁と花婿を乗せた船は、海岸に焚かれた篝火を目指してやってくる。その火の下では、夜を明かして騒ぎ続けるような宴会の準備がされるものらしい。
「‥‥あー。彼女が嫌がるかもしれんぞ。クリスチャンだからあっちの教会でとかが本式なんじゃないか?」
頭の上で進む話に、篠畑が弱々しくそう告げたが。
「おめでたい事だし、二回でも三回でもやればいいじゃないの」
横で聞いていた公民館の事務のおばさんは一言で切って捨てた。実に日本人的発想だ。が、切って捨ててから、少し不安そうに考え込む。
「でも、ハイカラさんなお嬢さんだったしねえ。田舎臭いって嫌がられないかしらねぇ」
彼女的には、ハイカラというのは外国人の事らしい。嫌って言われたらその時は宴会だけでもいいじゃないか、と叔父が言い、お前はそればっかりだ、と老館長が苦笑する。
「俺、電話かけてくる‥‥」
遊びに来る傭兵たちは、まだ何も知らない筈だ。もちろん、彼女も含めて。
●リプレイ本文
●
「言ってくれたらもうちょっとマシな服着て来たのに‥‥ッ!」
ユーリは、友人二人の晴れの場にこの格好では、などと苦悩している。
「古来より、戦時中の軍人の結婚式は死亡フラグと言われてますが、そこんところどうですか?」
開口一番、そんな事を言う蒼志の隣では、加奈が控えめに微笑した。南米で怪我をして戻っていた所を蒼志に引っ張られたらしい。
「来れてよかったです。‥‥二人とも、おめでとうございます」
「あー、うん」
照れくさいのか鼻の横を掻きつつ横を向く篠畑。礼を言うセシリアの表情が、心なしか柔らかい気がした。鼻の下を伸ばした新郎へ蒼志が小声で追撃を加える。
「嫁さんに仕込んでたら倍率更にドンですかね。例えば‥‥」
「だ、大丈夫だ。計画性の無い事はしていない。というかそういう話題は夜にだなぁ‥‥」
慌てる篠畑に、女性陣は不思議そうな目を向けていた。
「今回はおめでとうございます! 全力でお祝いに来ましたよ! ‥‥って、あれ?」
そんな空気を吹っ飛ばすように元気一杯、声を掛けてから真琴は首をかしげる。どうやら連れとはぐれたらしい。集合時刻に遅れたのか、車で来ようとして道に迷ったのか。
「うー‥‥、食事とかデザートとか、色々やらせようと思ってたのに」
ぐ、と拳を握る真琴。一方、珍しく慌てていたユーリはといえば。
「あ、着物あった‥‥」
荷物の底に入れっ放しにしていた服を見つけて、ほっと息をついていた。
●
手配について古老に相談したい、というアルを案内した篠畑だが、古老というのは公民館の館長である。会話がしやすい中では一番上なのだとか。
「料理を作りたいという参加者がおりますので、何が取れるのかを伺いたく」
なるべくなら、現地の食材でというアルの元には、予想よりも豊富なリストが届けられた。鯛だの海老だのといった定番のお祝い魚介類はもちろん、山菜類もしっかり取れる場所なのだとか。もっとも肉類まではさすがに産出しないようだが。
「その分はあたしの持ち出しでいいわよ」
などと太っ腹に言う悠季だが、篠畑が苦笑して止める。結婚式の祝いの費用は本人達が出す物だ、と言われればそれもそうかもしれず。
「受付とか、そういうのは無いんですの?」
急な事だし顔見知りばかりだし、別に必要ないだろう、と答える篠畑にロジーは首をかしげてから、
「じゃあ勝手に作りますわね」
ニコニコとそう応じた。話を聞いて慌ててLHから取り寄せた薔薇でゲートを作ったり、ウェルカムボードを飾ったりする心算のようだ。きゃっきゃと笑う彼女に、僕も手伝うよ、などと白虎が手を挙げる。
「えー、僕、いい子にしてるよー」
その笑顔が限りなく怪しいが、いちいち突っ込むような参加者は居なかった。
●
篠畑の生家にあがったセシリアに、安息の時は訪れていない。
「おお、あんたが健郎の嫁さんか。めんこいのう、めんこいのう」
暇なのであろう地元老人が、表敬訪問にやってくる相手に忙殺されていたのだ。が、別にそこまで面倒くさいという訳でもないらしい。
「‥‥健郎の妻、のセシリア‥‥です。よろしくお願いします」
噛みしめるように挨拶する様子を見れば、その理由も判ろうという物だ。挨拶が済んだ辺りで、奥の座敷からなつっこい中年の声が飛ぶ。
「おじーさんも、こっちでやろうよ。前哨戦☆」
準備の手伝いなどはする気ナッシングだった慈海だが、新婦の負担軽減には役立っていたようだ。もっとも、その動機の何割かは篠畑の幼少時のあれやこれやを聞き出そうというものだったりしたが。インタビューと称してたまに回しているビデオは、後で新婦にプレゼントするらしい。
「‥‥この度は、おめでとうございます」
良かったですね、と微笑みかけるハンナも老人たちの相手はお手の物だ。狭い村だからだろう。話していると、篠畑の事を老人達が良く覚えていることに驚く。家族のように、というのともまた違う、少し不思議な連帯感。
「戦いが終って‥‥新郎新婦の二人が村に帰って来て‥‥。静かでも、幸せな日常が戻ると良いですね‥‥」
「そうじゃのう。戻ってくれればいいけんどなあ」
こんな田舎に、若い者の居場所は無いだろう、と笑う老人に卑屈な感じは無い。若い連中が年を取ってふと思い出したとき、こんな風に戻ってこれるならば、それが一番いいと、昼から出来上がった顔の別の年寄りが言う。
「ふと物欲しくなった時に渇きを癒してくれるのが、故郷の優しさというものじゃよ」
空いた杯を見つめながら言うので、台無しだったが。
「やだなぁ、しんみりせずにもう一杯行こうよ」
とくとく、と注いだ慈海の笑顔は、いつもより少し深かった。そちらに任せてから、セシリアは居間へと戻る。
「‥‥時間があったらお墓参り、行きたかったのですが‥‥」
この場所を訪れるのは3度目で、仏壇に手を合わせるのは初めての事。一年目は、その風習を良く理解できなかったから。二年目は、ちょっと別の理由。写真慣れしていない篠畑の父母と、――それから、篠畑のかつての恋人の響子。知っているのはその名前と、篠畑から聞いた短い話のみだ。これからはもっとたくさん、話を聞こうと思う。
『うちの墓、山の方だからちょっと今回は無理かな‥‥。響子の墓は、あいつの実家だ。いつか、行こうか』
そう言った時の篠畑の顔は、寂しそうで嬉しそうな複雑な物だった。
●
まだ陽のあるうちの準備は、公民館から机を出したりする設営側の方が主力だった。というより、料理をするにも浜に色々道具を並べる所からスタートなのだから当然ではある。ケーキなどは公民館の厨房を借りるが、焼き物煮物や汁物はワイルドに現場で、という方針だった。
「どこかでウェディングドレスをレンタルできないかしら?」
「あ、いいですね」
準備に混ざりつつ、ふと思いついたように切り出したシャロンの提案に、硯や透らが同意する。
「儀式は和装で、その後の宴会は披露宴みたいに洋装で」
「ウェディングケーキも、その方がらしいよな」
設置場所の確認に来ていたユーリが言い、この集団の中では唯一の『経験者』である悠季もそれはいい、とばかりに頷く。
「やっぱり、華やかな挙式で着飾って祝って貰いたいのが女心よね」
「‥‥じゃあ、行ってくるかな。ちょっとの間、手伝えないけどごめん」
調理班のつばめに言い置いて、透が村の中央の方へと走る。‥‥が、篠畑の郷里にはそんなしゃれた店などあろう筈がない。万が一を想定して立ち寄った篠畑の家にも、ドレスの備蓄は無く。
「‥‥何だか、申し訳ないですし‥‥、私はこのままでも‥‥」
婚礼衣装の表に手を伸ばし、感触を確かめるようにしていたセシリアが振り向き、言う。が、表情の薄い彼女とはいえ、さすがに付き合いが長いと色々とわかる事も有るわけで。
「うん。せっかくの晴れ着なんだし、ちゃんとしたいよね」
もう一度回ってくる、と透が言い。しばらくしてから引っ張ってきたのは公民館のおばさんだった。
「少しばかり古い物なんだけど、村を出てった娘が預けて行ったので構わなければ、使っとくれ。背丈は大丈夫だと思うよ」
一応、本人には電話で確認も取ったから気にする事は無い、と朗らかに笑う。
「ただ、ちょっと腰まわりがね‥‥。お嬢さん、細いから。直せればいいんだけど‥‥」
「いえ、ありがとうございます。十分です」
大事に取ってあったらしい白い衣装を受け取って、ケイは深々と頭を下げた。何よりその気遣いを、嬉しく思う。
「さ、忙しくなるわよ」
「‥‥はい」
こく、と頷いたセシリアに笑いかけてから。
「それじゃあ透、お裁縫できる女の子に声掛けてきてね。大急ぎで仕上げなきゃ」
「ん。つばめさんと、セシルさん‥‥シャロンさんも、大丈夫かな」
調理班の仕切りに入っている悠季や真琴、ケーキクイーンと化しているロジーの三人はとりあえず除外して、指を折り始める透。と、襖が不意にガラッと開き。
「‥‥話は聞かせて頂きました。私も裁縫は一通り、できますので」
老人達の相手が一段落したらしいハンナが、微笑をたたえていた。
一方、その2つくらい隣の部屋では、シャロンと硯が新郎を襲撃している。
「駄目駄目、篠畑さんも正装!」
「お、おい。ちょっと待っ‥‥」
救いを求めるように同性の方を眺めては見たものの。
「軍服とか手抜きは不許可ですよ」
硯ににっこり駄目押しをされてしまった。
「窮屈なら宴会の時にスーツでも軍服でも、着替えて良いから」
「‥‥あ、ああ」
勢いに押されて頷いた篠畑に、よろしいとばかりに笑顔で頷き返すシャロン。こんな儀式の日は、野郎は添え物以上では無いのだ。素直に女性陣の言う事に従っていればいいので有る。
●
「タテ坊、時間だぞーう」
外から叔父の声が響く。篠畑は羽織姿の自分が映る鏡を、胡乱げに見ていた。すーっと横の襖が空いて、衣装を身に着けたセシリアと介添えのケイが姿を見せる。
「‥‥どう、でしょう。少し歩きにくいですけど‥‥」
「いいんじゃないか? ‥‥お袋の、なんだよな。きっと喜ぶよ」
頷いて、篠畑が手を伸べてから、
「しかし、他所から嫁さん貰うのに、花嫁姿を先に拝んでっていうのも風情が無かったかな。現地の楽しみに取っとけば良かったか」
等という。多分、照れているのだろう。玄関口で、叔父の車に篠畑が乗り、もう一台へとケイ、セシリアが乗る。それ以外の乗船予定の面々は、もう港へ移動しているらしい。
「介添え、透には頼んでおいたけど。ロジーは準備が忙しいから、ちょっと抜け出せないみたい」
「‥‥そう、ですか‥‥」
そう聞いたセシリアはきゅ、と膝の上の拳を握る。思ったよりも緊張しているらしい彼女の手に、上からそっと手を重ね、
「大丈夫。普段どおりで平気だから‥‥ね?」
ケイが微笑を向ける。ラストホープではじめて会った時から、少しづつ気持ちを表に出すようになってきた彼女の変化がとても嬉しく、それに繋がる今日という日が喜ばしい、と。そんな優しい言葉を耳にしている間に、車は港へついていた。
「むう、せめて時間差にすれば良かったか」
篠畑の叔父も、彼の言う風情の無さに今頃気づいたらしい。花嫁と花婿の船が仲良く出港してゆく図は少しシュールで、もっと離れて動け、などと船上で野次が飛んだりしていた。それを見送った白虎は最後に大きく手を振ってから、出て行った二隻よりだいぶ小さな別の船へと歩いてゆく。
「坊も大概悪さじゃな。だけんど、船を出すなら岸はだめだ。去年はあれで船底をやっちまってなあ」
とか言う漁師は、昨年の夏にも世話になった作造さん(64)だ。しっと団総帥の言ういい子とは、所詮この程度である。が、それはさておき。
花嫁側の親族が居ない為、セシリアの周囲には介添えの透とケイ以外にも、LHの傭兵たちが多い。逆に、篠畑の船は叔父をはじめ村の人が多く、加奈と蒼志の姿は浮いている。――慈海は、全然浮いていないが。
「‥‥海‥‥静か‥‥」
夕日に照らされた波は穏やかで、それでも小さな船はゆらゆらと揺れる。渡された板は踏み外すことなどないだろう幅だが、踏み出す前にセシリアは僅かに躊躇した。その手をぎゅ、と握ってケイが頷く。
「大丈夫か?」
心配げな篠畑の声に、顔を上げて。一歩踏み出した後は、揺れの事も気にならなくなった。渡り切った所でふらついた身体を篠畑の腕が支え。
「えーと、日本酒、飲んだことあったか? 半分位は、飲まないといかんらしいんだが」
困ったような顔で示したのは、一抱えもありそうな杯だった。篠畑の方がアルコールには弱そうな気もするのだが、一応気遣って見せるのが男性の甲斐性というものだろう。ならば事前に言えという話もあるが、そこまで気が回る男ではない。
「お代わりもあるから、遠慮なくいっちゃってね☆」
楽しそうに言う慈海と、花びらの籠を手に見守るケイ、透や加奈と蒼志。2人で杯の左右を支えて、ゆっくりと傾ける。
「‥‥ん」
どうやら、儀式用ということで薄めてあったらしい。ほんのり桜色の頬のセシリアと篠畑は、残る酒を海へと注いだ。
「おめでとう!」
祝福の声と共に、薄紅色の花びらが海へと舞い‥‥、
「よし、じゃあ最後にもう一つ行ってみようかな」
お約束だよね、などと言いながら慈海が篠畑を突き飛ばす。何とかバランスを取ろうとした篠畑だったが、歩み寄ってきた蒼志が足払い一閃。酔っ払いは哀れ船縁を越えた。
「ちょ、待‥‥」
――どぼーん。何が起きたのかきょとんとしている花嫁と、一拍置いてからよくやったとばかりに笑い出す村人と。波間に頭を出した篠畑の耳に、聞きなれた少年の声が響く。
「さてと‥‥ここからは粛清してもいいよね!!」
にゅふふ、などと笑いながら現れた白虎は、小さめの漁船の上で腕組み仁王立ちだった。「しっと団参上」「リア充抹殺」と書かれた旗をイカ釣り用ライトで照らし、作造さんも活躍中である。
「ちょ、何向けてるんだ」
「新兵器『しっとキャノン』をくらえー」
ぶんっと投げられたのはトイレのきゅぽん、という奴。
「そんな物で‥‥」
「そうじゃぞ。大物には網じゃ、網」
「ちょ‥‥!?」
結婚当日のリア充への扱いはこんなものでいいらしい。
「まぁ、これ位で勘弁してやるのだ。これに捕まるといい。にゅふ‥‥ふぉ!?」
もう一度突き落とす気満々だった白虎だが、気がつくと宙を舞っていた。
「そうそう引っ掛かるか」
むすっとした篠畑の隣に、水柱一つ。ざばっと水に濡れた顔を海面に並べて、
「にゃっはっはっは、おめでとうなのですにゃー♪」
白虎は楽しげに笑った。
「これ蹴り落とすまでが儀式だと思っていたんですが‥‥?」
「そうだと思います。皆さん楽しそうですし」
「ほうほう、変わってますね?」
蒼志と加奈の会話に、真琴が納得したように頷く。ちなみに、そんな事実は全く無い。放置も哀れ、と花嫁側の船から透とケイが救いの手を伸ばした。
「締まらないですよね、相変わらず」
「でも、とっさにセシリアを放したのは褒めてあげる」
ずぶ濡れの新郎に、そんな言葉をかける2人。花嫁が元の船へ戻るのは駄目だと聞いて、板の向こうで心配そうに見ていたセシリアと目が合う。
「ほら、セシリアさんが待ってますよ」
背中を押す透の手に逆らわず、舟板へ歩き出した篠畑の口元は緩んでいた。
●
一方、船上の儀式には出席せず、後刻の為の準備に奔走していた傭兵達も多い。
「おっ手伝いおってつだいー♪ です。手先には自信が有るのですよ!」
「あ、じゃあここの直しをお願い。3センチで良いわ」
増援のセシルは、銀細工で鍛えた器用さを遺憾なく発揮する一方で、少女らしくドレスへも興味津々。コサージュなども無く、前にセシルが着たものよりも更にシンプルなデザインなのだが、よく見ると細かくレースの刺繍が施されている。
「ちゃんと詰めないと、ずれちゃうんですね‥‥」
「大丈夫、ゆっくり解して、一針づつ縫い直しましょう」
難しい顔で手元と格闘していたつばめに、ハンナが優しく声を掛けた。手直しなのだから手を抜こうと思えば幾らでも抜けるのだが、この場の女性陣の意見はその辺では揺るぎ無く一致団結している。
「伸ばしておいたヴェールは、ここに掛けるわよ」
刺繍班から外れたシャロンは、長年仕舞われていた為についた皺を取ったり、ロジーから預かったブーケを冷たい場所に置いたりと、結構忙しく立ち働いていた。なお、刺繍班から外れた理由については特に明言しないので各自の想像にお任せしたい。
浜の側でも、準備は万端であった。
「こちらの方の下準備はだいぶ出来上がったわね」
悠季が考えていたのは、野外でできる調理という事で主に魚介の焼き物、それと蟹の味噌汁だ。都会だと珍しい沢蟹がまるっと使われていたりする。
「ほんに、これだけたくさん作るのは久しぶりじゃなあ」
地元の女性陣が朗らかに笑うが、確かに過疎が進む村ではこんなに大勢が一堂に集まる事などめったに無い。最初は遠慮していたらしい現地の人は、アルが町内に声を掛けて回ると喜んで手伝いに集まってきた。
「まあ、我々だけで、と言うのも何だか勿体無いですからね」
そのアルは、妻のそんな様子を遠目に眺めて言う。
「飲み物の準備もしておかないとね。グラスとか、先に浜に出しておこっか」
そんな視線に気づいてかどうか、悠季は忙しく立ち働いていた。仕事は探せばいくらでもあるのだ。
「こんなものでしょうか?」
奥のスペースでは、カナッペやパスタ、それにローストビーフっぽい浜焼きなど、洋風料理の仕上げを任された叢雲が一息入れていた。洋食で村の女性陣が戦力外気味であろう事も考慮して手の掛からない物にしてはいたのだが。
「じゃ、次は机とかのセッティングですかね」
「いやいや、そんな事は男衆に任せて構わんけぇの」
奮闘振りがよほど目立ったのか、周囲からの休んでなさいコール。普段着なのにエプロンをつけたら誤解を招くのはどういう事か。まぁ、その『男衆』がどう見ても自分の祖父世代とあっては、力仕事を任せる方が危なっかしいのだが。
「完成、ですわね」
「ああ、そうだな」
やり遂げた顔で言うロジーに、ユーリが同意する。お年よりも多い場所柄、本格的より和洋折衷を目指してみたケーキは、ユーリにしても自信作だ。抹茶風のスポンジを土台に、フルーツの代わりに栗と小豆クリームを挟み込み、きなこチョコで薄くコート。落ち着いた色合いのケーキに、ロジーのアヴァンギャルドなセンス溢れる――むしろ溢れすぎる――飾り付けが施されている。
「自分の才能が恐ろしいですわっ!」
「‥‥そうだな」
一瞬の間と目線の逸れ方は気にしてはいけない。頂上に鎮座した栗きんとんの何かに笑われてしまう。むしろ、呪われるかもしれない。円錐状の外観に微妙なカーヴをつけた小さな飾り――イチゴとかそういうものの代用だろう――は、カラメルで四方に伸びる触手のような何か――おそらくは葡萄の弦のイメージであろう――を伸ばし、自己主張をしている。それが1つではなく複数まとまり、互いに触手、もとい弦を絡ませあっている上層部はちょっと怖い。でも多分切り分ければ大丈夫だろう。
そして、それら異教の祭礼品に見下ろされる位置に、凄まじく精巧な新郎新婦のオブジェが並んでいる。サイズは小さいのだが、ここぞとばかりに精力をつぎ込んで製作されたそれはキッチュな要素など皆無。結果としてナイフを入れるのは極めて恐ろしい代物と化していた。
「まあ、持って帰って貰ってもいいか」
冷静にそう判断するユーリだったが、自分が持って帰る気はさらさら無い。冷蔵庫の中でかさこそ動き出したら怖いではないか。
●
帰りの船上、ずぶ濡れになった篠畑だが、このような事態はよくある事らしく、着替えもちゃんと用意されている。
「今日は2人で居られる時間なんてほとんど無いんだから、ゆっくりしてなさい」
などと笑って、ケイが出て行った。
「やれやれ。酷い目にあった‥‥。と、疲れてないか?」
髪を拭きつつ言う篠畑に、セシリアは遠慮がちに頷く。やはり儀式というのは疲れるものなのだ。でも、疲れよりは高揚感が先に立っている、浮き立つような雰囲気。
「疲れてます、けど‥‥不思議、です」
そうか、と笑う篠畑は、海の匂いがした。
「そろそろ浜が見えるぞ」
上からの叔父の声に甲板へ出ると、周囲はだいぶ薄暗くなっていた。言われた方向に目を凝らせば、遠く並ぶ明かりが見えてくる。と、不意に聞き覚えのある轟音が頭上を通過した。
「‥‥KV?」
振り仰いだケイの視線の先、一機のフェニックスが上空へ差し掛かっている。
『雄二、予定変更だ。日が落ちてからじゃスモークも見えないからな』
『え? あ、いや。先輩? 自分、急ぐっすけど‥‥』
後席で服の皺を直していた雄二の抗議には、「走れ」とただ一言返し、毅は操縦桿を引く。素人のように慌てた声が後ろから聞こえるが、気にせずに太目のスモークを引き、大きくループを開始した。
「‥‥は、はは。やるもんだな」
篠畑が笑う。天に描かれたハートマーク。本当なら最低3機でやるアクロバットを、毅はKVならではのインチキ機動で無理やり進めていく。後席の雄二は諦めたらしく、いつの間にか静かになっていた。手伝う気になっても、複座機と違って計器も無いのでする事も無い。
「ハートと‥‥矢、かな」
透が首を傾げる。刺さった矢を描く頃には、最初のハートは随分崩れかけていたがまだそれらしき形状は残していた。
『幸せにな、篠畑大尉殿。さて、戻って始末書書くか‥‥』
ここから「カシハラ」まではそう遠くない。戻って始末書を一枚書いて、――それから、一杯だけやるのも悪くは無いだろうか。
『戻る前に自分を落としてってくれっす』
まずは、後ろの荷物を軽くするほうが先決だが。
「おー、凄いわね」
シャロンが言う。浜辺からも、バーティカルキューピッドは見えていた。両方から見えるように、海側に描いたのだろう。奮闘の甲斐あって、花嫁衣裳の直しもしっかり完了。料理も広げられ、待ちきれない客たちが既に一杯始めている。
「主賓がいなくても始めちゃうんですね」
苦笑する硯だが、そもそも昼から飲みだしている連中に言わせれば、祝い事は朝から晩まで目一杯使うものらしい。とはいえ、さすがにケーキに手をつける不届き者はいなかった。
「さ、シャンパンタワーの準備もいたしますわよ!」
ロジーが嬉しそうに宣言する。
「え、シャンパン‥‥?」
ユーリが目をぱちくりして視線で追ってみれば、グラスとかお猪口とか色々でくみ上げたタワーっぽい物の製作が始まっていた。篠畑の生家にあった良さそうな物をごそっと持ってきたらしい。
「この陶器の色合いはここに嵌めるのが素敵ですわね。こっちのカラーグラスは上の方が映えるでしょうか」
本物のグラスの手配などできはしないが、これはこれで趣き深い。
「ぬおおおおおお! 船は!? ‥‥まだ着いてない! よし、間に合った!」
向こうの方から騒々しく駆けてきた雄二が、大げさにガッツポーズを取る。ちょっと皺の目立つ牧師服の彼は、寝坊で遅刻確定だったところ、先輩に便乗して何とか間に合わせたらしい。
「遅かったですわね。ヴァージンロードは飾り付けてしっかり設営済みですわよ」
「ありがとっす。えー、うちは外観には拘らないけど、綺麗な方がいいですしね」
ころころ笑うロジーの言葉に、浜辺の一角を「それっぽく」するように周囲に依頼してゆく雄二。
「オルガンは‥‥さすがにないっすね。じゃあ賛美歌はテープでかなぁ‥‥」
「あの、宜しければ‥‥、私が歌いましょうか?」
ロジーを手伝っていたハンナがそう声を掛けた。
●
海岸に作られた、質素な手作りの式場。左右に並んだ友人達と、篠畑の故郷の人達。演台の前では聖書を手に雄二が立ち、緊張しきった様子の篠畑が背筋を伸ばして待っている。
(懐かしいな)
慈海はふっと、去年の事を思い出した。模擬の結婚式で、偽者の神父役を務めた日。幸せには、形式も大事な事だと彼は思う。独り身じゃなくなって気ままが出来なくなる区切りの儀式。あの様子なら、篠畑は多分大丈夫だろうか。新婦の方は‥‥。
「おめでと、幸せになるんだよ」
ふっと振り返った彼女は、微かに笑んでいたように思えた。エスコート役の透が足を止め、篠畑と一礼を交わし。
「はうはうー、セシリアさん綺麗すぎますですよー♪」
背後、ヴェールを綺麗に広げていたセシルが、その横顔に思わず声を上げた。
「うわあ、綺麗だねぇ‥‥」
無邪気に言う真琴に、頷く叢雲。
「‥‥そういえば、ああいう立場だったのはそう昔じゃないのか」
ふと、アルが呟いた。隣に居る悠季と祝福を受けたのはつい先日のように思う。これからも、同じような時が過ぎるのだろうか。いや‥‥、変化が無いわけではない。
「いつまでも2人、ではなくなるか」
妻の、まだ目立たないお腹を眺めてそう呟く。
コリント人への手紙を読み上げる雄二の言葉は堂に入っていた。軍属だった故に送る側になる事ばかりだった彼は、この機会を誰よりも喜んでいたのかもしれない。型どおりの誓いの言葉と、心の篭った賛美歌と。覚醒せずとも、ハンナの歌声は一同の胸に染み入った。
「ベア隊長? 泣かせたら承知しないんだから‥‥っ!」
笑顔のような、少し泣いているような表情で言うケイ。約束する、と頷いた篠畑を、笑顔の透が見つめている。
(結婚――かぁ。今はまだ、想像もできないけれど‥‥いつか、こんな風に‥‥皆に祝福されるような式ができたら、いいな‥‥なんて)
並んでいたつばめが、そっと指先を絡めてきた。
「ブーケ‥‥投げますね」
世話になった大勢の友人たちを思い、セシリアは少し息を止める。叶うならば、幸せのお裾分けを全員に渡したい。けれども、手の中の幸せの数は一つだけ。息を止めて投げたブーケの行方は‥‥。
「はわわっ!? わ、私ですか?」
セシルの腕の中にスポッと入り込んでいた。残念なような、ほっとしたような気持ちでそれを見るロジー。胸に浮かぶ黒髪の少年の顔は「仕方がないですね」と苦笑していた。
「アトリエの皆から、お二人の門出をお祝いして‥‥受け取って下さい」
小さなオルゴールと一緒につばめが差し出した寄せ書きを、セシリアは大事そうに胸に抱く。
「そんな風にしたら、他のプレゼントが持てませんわよ?」
笑うロジーが用意したのは、ブーケとは別の花束。そういう時は男性が持つものでしょ、などと片目を瞑ったケイはローダンセを象ったリングを送った。
「これは僕から。セシリアさんの幸せをずっと願ってる」
透が渡したのは、手作りの熊のぬいぐるみだ。腕輪には5月の誕生石。フランス語で、石言葉どおりの内容が刺繍されている。
「はい。村の皆からの愛情篭ったお祝いだよ☆」
こちらは筆書きも多い寄せ書きを、慈海が差し出した。一緒に集めてきたという若かりし篠畑の写真やインタビューのビデオなども一緒だ。
「‥‥ありがとう、ございます」
嬉しそうなセシリアに口を挟めなくなった篠畑が、「覚えてろ」と目で語るのだが慈海は我関せずだった。
「私からは、銀細工の置物なのですよー」
本当は指輪を作りたかったけれど、時間が足りなかったと言うセシル。篠畑の方へは、素顔を露にしたアルが訪れていた。
「主なバグア敵機の傾向と対策。これは‥‥?」
「お互い死なないことが最初の妻孝行、だからな」
しれっと言うのは、結局のところ同類と考えているからだろう。待たせる相手がいても止められないならば、せめて帰る為に万全をと。
「‥‥感謝する」
鼻の横を掻きつつ、頷く篠畑。と、その眼前に小さな何かが飛んできた。咄嗟に受け取った手の中にあったのは『幸運のメダル』。
「小石程度の影響力かもしれませんが‥‥僕からも重し‥‥投げておきます」
指で弾いた透が、照れたように続ける。
「どこに行っても‥‥帰って来て下さいね」
メダルを握った篠畑の拳に、自分の拳をこつんとぶつけてから、透は笑った。
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宴会。披露宴というよりはただの宴会だ。色々片付けをしてきたらしい船の男衆も加わって、飲み会は随分と盛り上がっている。
「セシリア綺麗だったわね」
喧騒から少し離れて、シャロンと硯は波打ち際を歩いていた。
「そういえば、シャロンさんはどんな結婚式が理想ですか?」
尋ねた硯に、シャロンは少し遠い目をして詫びる。やはり、今はそのような事を考えられない、と。
「今は戦争を終わらせるために、一生懸命でいたいの」
ふっと口を出ただけの言葉に、それだけ真摯に言葉を並べてくれる、自分より少しだけ大人な女性。去年も、一昨年も、その背中に追いつきたいと思いながら、まだ並べた気がしない。
「だから‥‥その日まで、もう少し、私の我侭に付き合ってね」
振り返ったシャロンの顔の周りを、金の髪がふわっと舞った。
「色々あったけど‥‥良い式だったな、うん」
何となく良かった話に纏めようとする蒼志。あの後、別に蹴り落とす必要は無かったと知ったようだがそんな事はどうでもいいようだ。
「そう、ですね」
ぼぅっとした感じで言う加奈は、さっきの光景を思い浮かべているのだろう。
「セシリアさんの花嫁姿も綺麗だったけど‥‥。やっぱり俺が一番見たいのは加奈、かな」
「‥‥うん」
こく、と頷いて、少女は青年に頭を預けた。
「切り分けるのはやるから、ナイフ入れるだけでいい」
もう式典は終わったと思っていたらしい篠畑は、ケーキカットの場に引っ張り出されていた。無表情のセシリアだが、ナイフに手を添えて
「ここ、どうぞ」
やる気満々である。2人の共同作業だとかそんなお決まりのアナウンスの後に、さくりと一刀。
「おお、これがてーぷかっとっちゅう奴か」
お年寄りにも好評だったようだ。なお、ロジー渾身の2人のオブジェは、結局どこに刃を入れても扱いに困るので横に除けられており、参列の皆様の手元に悪趣味な首だけとかが届くことは無かった。
「カシハラはどんな感じ? あ、これ美味しい」
「修復っていうか改装には結構かかるみたいだ」
ケーキ片手の悠季に、篠畑はそう答える。一応艦載部隊は召集がありうるため、部下たちとは交代で休暇を取っている、のだとか。ここにいる人々だけではなく、大勢のお陰で今があると思い出す。
「皆にお礼‥‥何かしたいですね‥‥」
呟くセシリアに、そうだなともう一度頷いて、ふっと息を吐き、
「ま、来年もこうやって楽しく過ごせれば‥‥、それが一番の恩返しなんだと思う」
言った所で、遠くから声が掛かった。どうやら今日は自由時間が無いらしい、と苦笑する篠畑を見上げたセシリアの口元が、ほんの少しだけ笑んだ。