タイトル:【DAEB】北国の赤い夏マスター:紀藤トキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/07/25 23:32

●オープニング本文


 ロシアの夏は暑い。特に、大陸中部は最悪だ。冬は極寒、夏は猛暑というのがたまらない。
「‥‥軍曹、生きているかい?」
 大学生上がりのイワノフ少尉は、軍役について一年。少しはたくましくなったはずだが、部下の軍曹には及びもつかない。
「無論であります、少尉殿」
 今日も、軍曹は微動だにせず、彼の言葉に答えた。彼だけではなく、部下についた兵士は皆、この都会からきた士官殿よりも頑丈だ。いやいや、それでも自分だって捨てたものじゃない。小銃と背嚢を友に1日行軍しても倒れる事などなくなったし。
「‥‥何をなさっておられるので?」
「いや、その。力瘤を」
 ぐっと曲げて見せた自分の腕よりも素のままで太い軍曹の腕を見て、少尉は溜息をついた。まあいい。チュニジアに回った友軍が戻ってくれば、溜まっていた長期休暇も取れると言うものだ。モスクワに戻って、昔の友人に会えば自分の変化はわかるだろう。露店でクヴァスを買って、一息にあおる。そんな事を想像しただけでイワノフは溜息をついた。
「状況は、変わらないか?」
「は、異常なしであります」
 かつて、ウダーチナヤパイプと呼ばれた地の激戦を制してから、ロシアにおける勢力図はやや人類側が優位を取り戻している。キーロフから再び前線に回った彼らの任地は、以前よりもだいぶ東だった。懐かしいモスクワよりもオリエンタルな空気が近いほどに。
「なあ、軍曹。今度の休暇‥‥」
 予定はあるのか、と尋ねようとした彼を、丸太のような腕が突き飛ばした。耳を弄する轟音と、土砂。

「‥‥! 敵襲!」
 伝声管に叫ぶ。が、もうとっくに判っているのだろう。丘の上のトーチカから、機関銃が威勢の良いスタッカート。土煙の向こう側に、大柄な身体が倒れている。
「クソッ。この腐れた罰当たりのバグア野郎が‥‥!」
 威勢良く吐き出される罵声に、少尉はほっと胸をなでおろした。慌てて駆け寄った先で、軍曹はまだ色々なものを呪っていた。右膝から下が、本来ありえない方向に曲がっている。嫌な匂いの血液が、濃緑のズボンと茶のブーツの残骸を赤黒く染めていた。
「少尉、すぐにKVが来る。撤収してください」
 そんな言葉には耳を貸さず、肩の下に手を回す。予想通りに重い。背負うのは5秒で諦めた。
「片足で立てるだろう。ほら、肩貸すから」
 クマのような唸り声。意識はしっかりしているようだ。
「さっさと行け、この餓鬼!」
「断る!」
 言い放った瞬間、少尉の前髪を爆風がなぶる。トーチカの辺りに着弾したようだ。息を呑んだが、銃声が続くのを聞いてホッとする。敵の射線の向こうに回るには、塹壕伝いに500m。さっきのような直撃で無ければ大丈夫だろう。
「‥‥ったく、人が良いにもほどがあります、少尉殿。それより、あちらを」
 ブツブツ言う軍曹だが、これ以上抗弁するつもりはないようだ。言われて顔を回してみれば、タートルワームの低い姿がある。おそらく、さっきの砲撃はアレからだ。無人の平地を行くかのように、猫科のキメラが突っ込んでくる。不恰好な大砲を背負ったキメラは、たまに地雷を踏んでいたが。
「止まらない、か‥‥」
 怯みはしても、致命傷には程遠いらしい。マグナムキャット、と言われる対装甲用のキメラだった。
「‥‥どんくさそうな亀と、突撃猫ですか。奴ら、本気じゃないようですな」
「哨戒は何をしてたんだ‥‥!」
 少尉が舌打ちする。ビッグフィッシュなどで輸送されたのではなく、おそらくは少数の襲撃部隊が徒歩でここまで来たのだろう。目的は? 成功しないだろう攻撃を仕掛ける理由を、少尉は考える。
「陽動‥‥?」
「でしょうな。おそらく、敵は他にやりたい事があるのでしょう」
 軍曹が意外とはっきりした声で頷く。彼らは預かり知らぬ事だったが、バグア・ウランバートル軍は北京方面に向け、その主力部隊を動かそうとしていた。

 ――だが、今はそれどころではない。肩に掛かる重みに内心でうめき声を上げながら、少尉は一歩づつ壕を歩く。その頭上に、友軍の機影が影を落とした。

●参加者一覧

御山・アキラ(ga0532
18歳・♀・PN
シャロン・エイヴァリー(ga1843
23歳・♀・AA
夕凪 春花(ga3152
14歳・♀・ER
潮彩 ろまん(ga3425
14歳・♀・GP
龍深城・我斬(ga8283
21歳・♂・AA
蒼河 拓人(gb2873
16歳・♂・JG
エイラ・リトヴァク(gb9458
16歳・♀・ER
杉村 太一(gc4196
20歳・♂・EL

●リプレイ本文

●奇襲正面への援兵
 侵攻中の敵に対して、傭兵達が取った作戦はシンプルなものだった。敵の射程外で地上に降り、点在するマグナムキャットを全員でしらみつぶしにしながら南下、タートルワームを駆逐する、と言うものだ。
「イワノフ少尉‥‥? イワノフ‥‥」
 うんうん唸りながら、B・Dと名づけたロビンを前へ進めるシャロン・エイヴァリー(ga1843)。彼女達が駆けつける事になった救援要請の中でその名を聞いたのだが、イマイチ記憶になかったらしい。その後方をジーザリオでついていく夕凪 春花(ga3152)は、その足跡から外れないようにハンドルを確り握っていた。
「い、意外と‥‥揺れます、ね」
 まさにこういう場所を走る為に作られた車の方はやすやすと畝を乗り越えるが、小柄な体は運転席でピョコピョコ跳ねる。しかし、地雷が埋まっている場所を避けて走るには先導するKVの足跡から外れるわけにも行かない。
「わ‥‥」
 などと考えている間にも、ロビンの足元からドン、と小さな音がした。

「行くよ竜ちゃん、ガオー!」
 負傷者がいる、と聞いた潮彩 ろまん(ga3425)は、新調した竜牙の機内で文字通り吼える。元気な正義娘である彼女にとって、悪い宇宙人の手でピンチになった誰かを助ける、というシチュエーションほど燃える物も多くは無い。
「太一ー、付いて来てるか? 塹壕には迂闊に飛び込むなよ。」
 もう一機の竜牙を駆る龍深城・我斬(ga8283)が、後ろへ声をかけた。
「俺のKVじゃ、役立たずになりますから‥‥。仕方ありません」
 空中戦の準備を整えていた杉村 太一(gc4196)は、やむを得ず徒歩で戦場に来ている。まだ能力者としての経験が浅い彼を、我斬は気に掛けていた。太一は、地雷原を越える為に先行する我斬機の足跡を辿りつつ、前へ。トーチカの設置された丘の稜線を越えれば、敵の姿が見える。
「1、2‥‥、12匹、ですか」
「通信だと20匹は居るって話だったぞ? 残りは塹壕の中ってことか」
 気の早いマグナムキャットは、既に塹壕線を越えているようだ。そして、その向こう側にはタートルワームの影が2つみえる。
『誰か逃げ遅れとかは? いるなら返事しないと死ぬからなんとしてでも返事しろー』
 拡声器で周囲に言いながら、我斬が手前の塹壕付近へ煙幕を放った。敵の動きも捉えにくくなるが、撤退中と思われる生き残りにとっては、ありがたい援護だろう。――もしも、彼らが動ける状況にあれば。

「降下阻止で使った機体を総点検してもらう間前線警備の手伝いとでも思って来てたのだが‥‥間が良いのか悪いのか」
 肩を竦める御山・アキラ(ga0532)も、太一同様に生身で前線に向かっていた。熟練の傭兵である彼女は、このような難局の経験もありさほど動じては居ない。というより、覚醒した彼女からは動じるなどと言う人間らしさが削げ落ちるのだが。
「そろそろ最初の地雷原、だね」
 蒼河 拓人(gb2873)が言う。救援要請を発してきた兵士に分布を聞いていたのだ。工兵ではなかったので大体の範囲しか知ってはいなかったようだが、大まかにでも把握できたのは――少なくとも、設置されていない場所が把握できた事は、大きい。
「あたしに任せな、ヘルヘイムの早さなら地雷なんて形無しだ」
 高速二輪モードで、愛機を突出させるエイラ・リトヴァク(gb9458)。その振動で、2つの地雷が爆発する。いや、それだけではない。
「そこか!?」
 斜め前方の塹壕から、飛び出したマグナムキャットが装甲の隙間に砲弾をねじ込み、下がった。人間に比べて反応が鈍るKVでは、不意打ちに対して後手に回るのは致し方ない。新手の姿に気づいた奥のマグナムキャットも、物陰を目指して地を蹴る。
「そこと‥‥、フン、そこか」
 突進したヘルヘイムが地雷を粉砕し、安全を確認したルート上をアキラが走った。最初から顔を出していた敵と、いまヘルヘイムに砲撃した敵、塹壕へ駆け込んだ敵の位置を記憶しつつ、あらかじめピンを抜いていた閃光手榴弾を手前の塹壕に放り込む。フギャア、とネコのような悲鳴が聞こえたのを確認して、アキラは口の端を上げた。
「援護は頼むよ?」
 拓人の声に、トーチカからの発砲音が景気良く応える。据付けられた機関砲は、フォースフィールドの上からでもキメラにダメージを与える事を狙った大口径型のようだ。火線を浴びたマグナムキャットが、フィールドだけではない朱を散らして跳び退る。本格的な戦闘の火蓋が切って降ろされようとしていた、その時。
「あーっ! あの時の!」
 シャロンはようやく、イワノフのことを思い出していた。

●逆撃つ手
 ろまん機の側面、塹壕へ身を潜めたマグナムキャットへ、太一は銃を撃った。キメラの気を逸らし、稼いだ一瞬のおかげでろまんは旋回し、
「吼えろっ、ツングースカ大爆発だっ!」
 鈍い響きと共に、塹壕ごと敵が吹っ飛ばされる。しかし、止めを刺される前に放った反撃は、太一に深手を負わせていた。能力者の体だからこそ、怪我ですんだのだ。普通の人間であれば、即死していただろう。
(エミタがなければ戦えないなんて、情けない‥‥)
 自嘲する太一。
「生き残っててくれたか‥‥」
 我斬が、労うように声をかける。しかし、太一の表情は晴れない。エミタが無ければ戦えない自分の身体は、ヨリシロとされて意に沿わず戦わせられる死者達と変わらないように思えた。
「怪我してる? となるとあまり時間を掛けてられんな」
 我斬が奥の塹壕へ煙幕を撃ち込む。それを目で追った太一は――。
「誰か、いますか? 2人‥‥、動きが取れないのですか。それに」
 上がる砂埃避けにと、ゴーグルを掛けていたのが幸いしたようだ。塹壕の中、跳ねるように進むキメラ。我斬の位置からは見えていない。見えていたとしても、間に合わない。
「くっ、やぶれかぶれですが‥‥」
 再び、青年は銃を構えた。

 戦闘はすぐに、乱戦の様相を呈していた。KVが粛々と前進し、目に付くマグナムキャットへまず攻撃を喰らわせる。直撃を受けたキメラは一撃、あるいは二撃で屍と化した。しかし。
「クソッ、ちょこまかしやがって‥‥!」
 エイラが吐き捨てる。一匹を倒す間に、別の一匹が足元の塹壕にもぐりこむのを止めるのは困難だ。ヒットアンドアウェイは、マグナムキャットの本能に焼き付けられた動きなのだろう。
「穿ち、砕き、貫き、屠る。それがこの戦場で為さねばならないことなんだよ」
 正面の敵をファランクスで迎撃し、拓人は言う。その言葉どおり、彼の機体は近距離から遠距離までをカバーするセッティングだった。――加えて。
「物陰にしか下がらない、というのは判りやすいな」
 塹壕へ避退する道筋を、アキラが見切っている。自身の手が届く範囲の敵には刃を送り、そして届かぬ敵は深追いしない。する必要が、なかった。
「よし、そこだね」
 拓人が誘導弾を撃ち放す。塹壕の影の敵には、直線のレーザー兵器より放物線を描く実弾兵器の方が望ましい。KVの身長の分だけ射点が高いだけに、なおさらの事だ。
「拓人すまねぇな‥‥悔しいけどあたしは兵装が近接ばっかしか無いからな」
 背後は万全、とみたエイラが前を向く。まだ平地に居るマグナムキャットが砲撃を浴びせてきたが、止まるつもりはない。
「く‥‥、この!」
 悪態をつきながら、点灯していくダメージコンソールの赤を無視する。正面、タートルのプロトン砲だけは貰う訳にはいかない。その覚悟は正しかった。プロトン砲の威力を、彼女は直後に目の当たりにしたのだ。
「‥‥!?」
 赤い火線が、交戦するKVのほぼ中央を割く。盛んに銃撃を放っていたトーチカが沈黙した。更にもう一撃。今度は直撃だった。鈍い音と共に、丘陵に黒煙があがる。
「あれじゃあ、どうしようもないな‥‥」
 危険があれば呼ぶように、と告げていた拓人が小さく首を振った。邪魔者を片付けた亀が、今度はエイラの方へ砲口を向ける。
「遅いんだよ!」
 踏み込んだアクセルの分、ヘルヘイムは加速した。砲火をくぐり、敵の背後へと回り込む。慣性制御特有の滑らかな動きで、ワームはそれに追随した。
「アレがあっちを向いている間に、片付けるぞ」
 再び、アキラが塹壕内の敵へ切り込む。右側の敵は見る間にその数を減らしていた。

●救いの手
「急いでっ。ワームの砲撃は、さすがに何度も防げないわよ!」
 盾の上から、なおも。シャロンのB・Dは自慢の青い塗装を焼かれ、黒くくすんでいた。距離があるだけに、回避しようと思えばできる砲撃だ。だが、彼女の背後には守るべき者が居る。敵から見れば、トーチカ同様に狙いやすい的ではあった。
「お迎えに上がりましたー。ささ、遠慮せずにどうぞ!」
 その陰で。ジーザリオを塹壕線へ横付けして、春花は声を投げる。
「き、君は‥‥?」
 イワノフと春花に面識はあるのだが、覚醒した姿には覚えが無かったようだ。眩しげに見上げる青年の手を引きあげ、入れ替わりに塹壕へ飛び降りた。軍曹の身体はがっしりしているが、能力者の少女にしてみれば抱えて登るのも造作は無い。
「あ、ありが‥‥」
「しっかり、掴まっていてください!」
 言いかけた少尉が、言葉を途切れさせる。急発進したジーザリオの後席には、重傷を負った太一が収容されていた。彼が何故コレだけの傷を負ったのか、イワノフは知らない。知らないが、
「これ、借ります」
 用意されていた救急セットへ手を伸ばす。トーチカの陣地が無くなった今、軍曹にも太一にも、ちゃんとした手当てを行えるのは後方へ下がってからだ。それは、随分遠い道筋に思えた。
「‥‥今みたいなのを貰っても、あと1、2回はいけるかしら‥‥耐えてよ、ロビン」
 ジーザリオにあわせて後退しつつ、祈るように言うシャロン。しかし、続けて飛んでくるはずの連続砲撃は、来ない。彼女達が負傷者の回収に成功した頃には、マグナムキャットの群れはその過半を失っていたのだ。減った敵を我斬に任せて、ろまんも亀の後背に回りこむことに成功していた。エイラ機同様、最後の数十メートルを強引に突っ切った代償として少なくないダメージを負ってはいる。しかし、彼女の戦意は旺盛だ。
「前にヒーローのお兄さんに、亀は悪の帝王の分身だって聞いたもん、この地球をお前達の好きには絶対させないから!」
 多分、このワームにとっては初耳だっただろう。小さな砲が3つ旋回し、紫の火網を張る。彼女の竜牙の装甲を細く刻んだが、それまでだった。
「くらえっ、ハンマーボール剣玉殺法!」
 堅牢な甲羅に、鈍い音を立ててヒビが入る。
「もう一つ!」
 ガツン、と再び響いた衝撃音に耐えかねて、ワームは彼女の方へと向き直った。これで、2機ともが戦線に背を向けたことになる。砲撃に気を払う必要が無くなった2機と1人は、残るキメラを追い立てる側になった。
「次の塹壕だ。確認した限り、2匹」
「解ったよ。急がないと、エイラちゃんだけじゃ大変だしね」
 軽く言うが、BARRAGEと名づけられた拓人のフェニックスは、被弾を受ける事を省みずにアグレッシブに動く。その名のごとく、ファランクスの弾幕を撒きつつ、前へ。KVを盾に切り込んだアキラが、左側の最後のキメラを切り倒した。
「そっちは‥‥?」
「あと少し。でも、もうすぐ片付くぜ」
 我斬の竜牙の戦いぶりは危なげない。手数的に、まだ残余のキメラを駆逐しきれていないというだけのようだ。
「私があちらと合流しよう。お前は前へ」
 アキラに頷いてから、拓人はエイラの援護に回る。タートルワームをほぼ一手に引き受けていたエイラのヘルヘイムは、傍目に見ても危険な状況だった。
「ここで外したら、援護屋の名が泣くからね」
 タートルワームは拓人には背を向けている。隙だらけのその背中を、電磁加速砲「ファントムペイン」が容赦なく打ち抜いた。

●戦いの後
「敵の追撃はなく、戦線は再び元の位置に戻りました」
 皆さんのお陰です、と続けたイワノフは、揺るぎない敬礼をした。再建された前線を守るのは、彼の部隊ではない。イワノフは無事だったが、トーチカに詰めていた兵員を失った彼の隊は、再編成の為に後方への異動を指示されていた。
「‥‥ありがとうございます。僕達は全滅していてもおかしくありませんでした」
 彼は、形式張った口調でもう一度礼を言う。戦闘を放棄して真っ直ぐに後方へ向かった春花のジーザリオがなければ、軍曹は助からなかっただろう。いや、一命は取り留めたかもしれないが、もはや戦闘に堪えない身体になっていたはずだ。護衛についたシャロンとあわせて、2名。軍曹と少尉を助けて負傷した太一も含めれば、3名。半数近くを欠いた状況で敵を撃退した傭兵達の受けた傷も、少なくは無い。
「それでは」
 一礼して、背を向ける青年。初めて死を覚悟した遠い日に、傭兵達は颯爽と現れて彼らを救った。間近に迫った死の恐怖が嘘だったように、誰一人として死ななかった。そう、まるで魔法か奇跡のように。
 もしも、あの日には傭兵が奇跡を起こしたと思っていたとしても、彼はもう、そのような幻想は抱いていない。傭兵達の素の姿を、幾度かの交流で見て、彼らもまた人間だと知っている。戦場に死は付き物で、それは彼らの手があったとしても何も変わらないのだ。奇襲を受け、崩壊しかかった戦線が犠牲も無く守れるなど、奇跡でも無ければありえないことで――。

 ――だから、死線を共にした部下の為に、イワノフは傭兵達には聞こえず、見えぬ場所で泣いた。