タイトル:【AA】リノの憂鬱マスター:紀藤トキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 12 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/06/30 00:51

●オープニング本文


 ピエトロ・バリウスの戦死とユニヴァースナイト弐番艦の大破の報せは、勝利に酔いかけた欧州軍本部をその黒い翼で一打ちした。チュニジア沿岸に恒常的な拠点を確保するという大業を果たした将兵の顔も、暗い。それは勝利と言う言葉で表すには余りにも苦い味わいだった。
『数百人規模の一般人の収容所があるようだ』
 そう、生き残った兵士が語る。場所は、かつてカサブランカと呼ばれた都市のやや北側。バリウスの指揮下の一部隊は、陽動のためにそこへ強襲を仕掛けようと企図していたらしい。陽動はもはや、果たす意味が無くなったのだが。
「彼らをもしも解放できるならば‥‥」
 バリウスから指揮を引き継いだブラットは、言葉の後ろを宙に漂わせた。この戦場が無駄でなかった証が一つ、増える。それは、暗く沈んだ空気に光を射す事でもあった。
「ブリュンヒルデ、拝命します」
 マウル・ロベルは綺麗な敬礼を返した。今の欧州軍は小さくとも価値ある勝利を欲している。いや、必要としている。『比較的』損傷の軽微なブリュンヒルデで収容所を強襲、民間人を確保の上離脱するという作戦を立案するほどに。

 その頃。
「デヴィルめ。1人で満足して逝きおって」
 ゼオン・ジハイドが1、リノは不機嫌だった。しかし、それと同じか、あるいはそれ以上に上機嫌だった。既に数度、この星の住民とは様々な形で交戦している。
「確かに、強いな。惚れ惚れするほどだ」
 肝心なのは、あのデヴィルが倒されるほどの相手と言う事だ。長く生き、多くのヨリシロを得れば、バグアの力はそれだけ増大する。もしかしたら、リノが生死を賭けて戦う機会はこの星が最後やも知れない。いや、おそらくはきっとそうなる。敬愛するブライトンは、デヴィルの死を聞いた時すらも退屈そうだった。絶対的な強者に待つものが絶望的な退屈でしか無いのならば、それは彼女の望む未来ではない。
「――ふむ」
 ややあって、彼女が足を向けたのは、奇しくもブリュンヒルデが向かっているのと同じ施設だった。

----

 赤ん坊や幼児を集めた一角を、リノは訪れていた。案内には現地の老婆が1人。この場の主役であろう子供よりも、それを抱いた女性たちがリノへの怖れを態度に出している。それに釣られて、周囲から泣き声が上がり、すぐに誰かがその口を塞いだ。抑えつけられた恐怖が占める空気の中を、彼女は気に留めた様子も無く歩き。
「ほう」
 一声上げて、手を伸ばす。周囲が制止するまでも無く摘み上げられた赤子は、泣きもせずに彼女を睨んでいた。
「いい目だ。それに‥‥」
 じょぼ、と水音がする。下を見てからリノは八重歯を見せた。
「これは、私を敵として威嚇しているのかな。先が楽しみだ」
 ざわっと周囲が引く中、その赤子をリノに取り上げられた若い娘が、一歩前へ出る。年齢的に見て母ではなく、姉なのだろう。あるいは、血縁ですらないやもしれない。
「大事に育てよ。私の未来の好敵手やもしれぬからな」
 そう言葉を添えて、彼女は赤子を少女へと返した。返そうとした、が。
「‥‥袖をつかまれた」
「気に入られたようですな」
 ヒッヒッヒ、と老婆が笑う。赤子はまだリノを睨んだままだった。

「しかし、この生き物が、十数年もすればあれだけの強さを発揮するのか?」
 信じられぬと言うリノに、老婆がまた笑う。
「お嬢さんもそれくらい前にはこうだったんじゃ。覚えておらんだろうがねぇ」
 最初に室内に来た時にバグアと自己紹介はしたのだが、この老婆の耳には入っていなかったらしい。
「ふむ、興味深い話だな。確かに、このヨリシロの知識には、発生については欠落が有るようだ」
 眉をしかめるリノへ、もう一度老婆が抜けの目立つ歯を見せた。

 ――ずしん

 周囲が揺れる。何者かが――。
「いや、奴らであろうな。この幼生達が取り返しに来ねばならぬほどに貴重と言う事か?」
 リノが呟く間に、バン、と扉が開いてバグア兵士が1人、逃げ込んでくる。その身は青黒い体液で汚れていた。
「くそ、こうなればせめてここの原住民どもを――」
 銃を室内に向けかけて、言葉が途切れる。その眼前に、無造作に間合いを詰めたリノが立っていた。
「バカを言うな。お前よりもここの連中はよほど強くなる見込みがある。それとも‥‥」
 私に向けてその引き金を引くか? と首を傾げた少女に、バグア兵は答える事が無かった。横から飛んできた銃弾が、瞬時に現れた赤いフィールドを貫いて、その身に刺さる。既に瀕死の重傷を負っていたバグア兵の目から光が消えた。
「来たか、人間」
 少女が楽しげに笑う。

●参加者一覧

大泰司 慈海(ga0173
47歳・♂・ER
柚井 ソラ(ga0187
18歳・♂・JG
御影・朔夜(ga0240
17歳・♂・JG
鯨井昼寝(ga0488
23歳・♀・PN
国谷 真彼(ga2331
34歳・♂・ST
月神陽子(ga5549
18歳・♀・GD
アンジェリナ・ルヴァン(ga6940
20歳・♀・AA
レティ・クリムゾン(ga8679
21歳・♀・GD
エレノア・ハーベスト(ga8856
19歳・♀・DF
白虎(ga9191
10歳・♂・BM
赤崎羽矢子(gb2140
28歳・♀・PN
メシア・ローザリア(gb6467
20歳・♀・GD

●リプレイ本文


 頭を撃ち抜かれたバグアが、叩きつけられるように床に倒れた。弾丸が命中すると知っていたのは、引き金を引く前か。あるいはこの任務を受けた時か、それとも自分が生を受けた瞬間か。御影・朔夜(ga0240)は、もはや疑問にも思わない。自分を襲い続ける既知感については、『そういう物』として付き合うしかないと諦めていた。その横を、身を低くした赤崎羽矢子(gb2140)が抜ける。扉の奥にいるだろうもう一匹、今のバグアが何かを報告していた相手がいるはずだ。
「っ!?」
 羽矢子が、足を止めた。いや、間合いを取る。予想外の敵がいたのか、あるいは。――まあ、いい。朔夜は扉の内側へ滑るように一歩進み、その相手の顔を見た。
「――貴様‥‥まさか、日下理乃か?」
 既知感は予知能力では無い。この場で彼女と出会う事など、ましてその相手が赤子に袖をつかまれた状況であるなど、知るはずも無い。だが、この呪わしい宿病に褒むべき所があるとすれば、それは如何なる事態に遭っても動揺とは無縁である事だった。
「此処で何をして――いや、それよりも『それ』は如何した?」
 落ち着いた声で言う朔夜に、リノは眉をあげ、
「当人に聞くが良い」
 どこか楽しげに言った。
「‥‥その声。あの紅いタロスのパイロット‥‥」
 身長ほどもある太刀を少女へ擬したまま、アンジェリナ・ルヴァン(ga6940)が囁く。
「アフリカ、ジブラルタル、蒼色のミカガミ、そして紅のタロスが腕を飛ばした烈火の剣‥‥」
 リノにとって最初の3つの単語は意味を持たなかったようだ。しかし、タロスの腕へ言及した瞬間、少女は八重歯を見せた。
「そうか、お前はあの時の。覚えているぞ」
 尊大に、という意識も無いのだろう。リノは造作も無く頷いた。一歩、動きかけて――。

「その子を離せ‥‥!」
 その名前、そして声は柚井 ソラ(ga0187)の脳裏にも刻まれている。彼の仲間を、ただ1人で蹴散らしていった敵。あの時に自分が負わされた傷は重かった。それと同じ痛みを、部隊の仲間達に負わせた相手だ。忘れられるはずもない。
「やれやれ、その子は将来大物ですよ。大切に扱ってほしいですね、ゼオン・ジハイド」
 国谷 真彼(ga2331)の声で我に返った少年は、自分が緊張していた事を知った。指が強張り、そして足が震えている事も。
「ここでの戦闘は危険だな」
 確認するように、レティ・クリムゾン(ga8679)が呟く。さほど狭くは無い室内には、思ったより多くの人間がいるようだ。もしも、と交戦の状況を想像したレティは、その被害を考えて眉をひそめた。

「えぇと、そちらの目的は何かなー?」
 のんびりと、あるいはそう聞こえるように大泰司 慈海(ga0173)が言う。リノはあっさりと会話に応じた。
「お前たち人間に興味がわいたのでな。ここには幼生がいると聞いて見に来たのだ。お前たちに会ったのはただの偶然だ」
「ふぅん。‥‥でもまずは‥‥赤ちゃん、床に落ちちゃうよ」
 はっと一同は息を呑み、赤ん坊の様子を見る。首はもう据わっているようだが、あのような持ち方をしていて良いはずは無い。
「こんなん言うんは筋と言うかあれなんやけど、せめてその赤ん坊を抱いたってくれへんやろか」
 エレノア・ハーベスト(ga8856)が懇願するように頭を下げた。状況がわかっているのかどうか、小さな当事者はむすっとした顔のまま口をもごもごさせている。
「そのままやと力尽きて手を離したとき、大事になりかねへんよってに、頼んます。手を添えるだけでも構いまへん」
 手を動かし、ジェスチャーでして欲しい行動を示す彼女を、リノは面白そうに見た。それから、手元の赤ん坊へと視線を落とす。逆の手が赤ん坊の尻の辺りを支えるように伸びた。明らかに不慣れな手つきではある。
「とりあえず、その子の中には赤子をどう抱くか、知識はないのですか?」
「無いな」
 真彼の声にリノは落ち着き払ってそう答えた。能力者数人を前にして両手を塞ぐ不利、というものは彼女の念頭には無いようだ。

「何故動かなかったのさ?」
 さっきの自分の攻撃に、リノが反応できなかった――、と思うほどに、羽矢子は自惚れてはいない。機体を下りたゾディアックの実力を、彼女は知っている。ゼオン・ジハイドがそれに劣ると考える理由は無かった。リノはちらりと視線を下ろし、口をへの字にして自分を睨みつける赤ん坊を見る。
「私が動けばこの者が死んだだろう。弱者を殺したと記憶されるのは面白くない。それに、お前が止まるかどうかを見てみたかったのでな」
 少女をじっと見つめてから、羽矢子はふ、と息を吐いた。肩を竦めた朔夜が銃をおろす気配を感じる。
「‥‥興が削がれたな」
 そういう、事なのだろう。


「中は任せた。私は通路を見張る」
 室内の様子を一瞥し、鯨井昼寝(ga0488)は扉へ向き直った。この部屋の出入り口はもう一つ存在するが、いずれも同じ廊下へ通じている。脱出路を確保することが、現在の安全にも直結するはずだ。リノ以外の、と言う意味だが。
「‥‥」
 彼女はするりと外へ出た。残余のバグア兵がいないとも限らない。リノと会話をしたいとは、あまり思わなかった。その在り様も、思考も、志向も、語らずとも理解できる気がするのだ。それはさながら、合わせ鏡を見るが如くに。

「あの時から。次に出会った時には、どう戦おう、どうやったら倒せるだろう。そんな風にずっと考えていましたのに、運命とは奇妙な物ですね」
 カチリ、と月神陽子(ga5549)の鞘が音を立て、リノがゆっくりと顔を向けた。
「お前の声には覚えがある。あれは良い攻撃だったぞ」
 アフリカのドーム要塞「α」にて、生身のリノを追い込んだのは陽子たちだ。この敵の気分が「遊び」から「狩り」に変わりかけた瞬間を、陽子は覚えている。背筋に走った寒気も。リノは明らかに倒すべき敵ではあるが、今この場で争う気は、陽子にも無かった。
「本当に彼女が、ゼオン・ジハイドリーダのリノはんどすか、実際に見て見ると可愛らしい少女にしか見えへんのに」
 かくいうエレノアよりも、リノの身長は高い。体つきを見るに年齢は自分の方が上かもしれないが、東洋人の体格は痩せぎすなので一概には言えない‥‥、と考えてから彼女は内心で苦笑した。愛らしい少女にしか見えないのに、そうではないというのがバグアの嫌な所だ。
「‥‥ありがとうございます。貴方のおかげで、一つの未来が救われました」
 陽子が深く頭を下げる様子をしばし眺めてから、リノは笑う。
「それがお前の服従ではなく感謝の動作なのは理解できる。もしも服従を申し出たのであれば失望した所だ」
「そっか、それもヨリシロにした子の知識なんだね」
 慈海の言葉に頷く彼女の異質さを、一同は改めて思った。

「あなた達は‥‥?」
 おずおずと掛けられた声に、能力者達ははっと我に返る。壁際で子供を抱く女達が、彼らにすがるような目を向けていた。数十人はいるようだ。
「此処はわたくし達にお任せを、貴女は清潔な布と滅菌綿を出して下さる?」
 リノの隣で呆気に取られていた若い娘に、メシア・ローザリア(gb6467)はエマージェンシーキットを押し付けた。そのままリノとの間に入るように立つ。
「――あ、でも」
 前に出かけた肩を軽く抑えて、実際に感じているよりも自信ありげに首を振った。表情や所作を意志の力で制御する事は慣れている。娘はリノの手中の赤ん坊を見た。不本意な扱いに泣き声もあげず、目に見える全ての世界をじっと睨みつけている小さな命を。
「あの子のお母さんは、もういないんです。‥‥だから、私が」
 しっかりとした共通語だった。無理を通そうと暴れるでもなく、意志と事実を語る声。メシアは埒もなく、この娘は良い母になれるだろうと思う。
「大丈夫。心配は要りませんわ」
 メシアの言葉の中身か、あるいは抑揚か、それとも身に付いた何かが娘の緊張を解いた。


 それ以外の収容所の人々にしてみれば、外見は少女のリノよりもいまだ床に転がる異星人の死骸への恐怖心が大きいようだ。
「どなたか、怪我をされている方はおられますか?」
 問いながら陽子が死骸へ布を掛けると、捕虜たちの間からホッと息をつく気配がした。
「このまま戦闘が無く、リノはんが撤退してくれたらええんやけど」
「‥‥大丈夫です。俺たちがいます」
 ふと漏らしたエレノアの危惧に、まだ警戒を解かぬソラが頷く。自分の力を過信してはいないが、身を守るすべの無い人々の為に時間を稼ぐ位は出来る筈だ。それとも、出来ないだろうか。不安を湛えた目で、少年はリノと、そして彼女と会話する真彼を見る。矢を握る指が、無意識のうちに襟元へ伸びかけるのを、意志の力で止めた。
 ――守らねばならない。役に立ちたい。認められたい。目の前で傷つかれるのは、一度で充分だ。
 ソラにとって真彼は友であり、兄であり、父でもあるような、支えだったから。
「わざわざ子供を殺して回るような人じゃないよ‥‥多分今のところは、ね」
 隅でお茶の準備を始めていた白虎(ga9191)がそう言う。それまで聞こえている素振りを見せなかった老婆が、喉を鳴らすように笑った。
「蟻は獅子の餌にはならぬが、獅子は蟻を踏んだ事も気には留めぬじゃろうて」
「大丈夫‥‥ボクの見込み違いだったら、刺し違えてでも助けるから‥‥」
 白虎の身長では、やや見上げねば表情を伺えぬ黒髪の少女は、チラリと彼の方を見る。聞こえている、と言うようにリノは冷笑した。
「そうは言うが、この子供はいつまで私を拘束するつもりなのだ? 私の忍耐も永劫は続かぬぞ」
「お前ッ!」
 リノの言葉に、生真面目に反応するソラ。
「強者は弱者に手をあげません、だって、手ごたえが無いもの」
 メシアが窘めるように口を挟む。
「そうとも限らぬ。だが、私はこの者を今は殺さぬと決めている。‥‥だからキャンキャン吼えるな。赤子より小さく見えるぞ」
 頭越しに怒声と嘲笑がかわされ、それでも赤ん坊は泣きはしない。おしめも濡れて不快ではあろうが、彼はこの世の全てがリノの袖にあるといわんばかりに、小さな指の力を込めていた。抱いてあやせば放すかもしれないというエレノアに、リノは不思議そうに首を傾げる。どうやってやるのか判らない、というよりは何故そのような事をする必要があるのかわからない、という仕草のようだ。

「‥‥あの」
 布の用意を済ませた娘が、メシアの注意を引くように控えめに声を上げた。
「ああ、それで充分ですわ。とは言え、わたくしも詳しい訳でもありませんのよね」
 早く連れていけ、と言外に含ませてリノが腕を揺する。おそらく、この場にもっとも必要な知恵を持つだろう老婆は、歯の欠けた口で音もなく笑っていた。陽子がす、と腰を折って不機嫌そうな赤ん坊と視線を合わせる。
「小さな守護者さん。もう、その手を離しても大丈夫です。貴方の代わりに、わたくし達が皆をお守りしますから」
 自分に語りかける少女をじっと睨み、赤ん坊はしばし考え込むように顔をしかめてから、握っていた手を開いた。それでいい、と言う様に老婆が笑みを深くする。
「ゆっくり指を解くと宜しいわ。強い子ですわね」
 指先に絡む裾を、メシアが優しく声をかけながら外していった。その間、リノは特に警戒した様子もなく興味深げに眺めている。ようやく離れる事を承知したらしい赤子を、抱き取ったレティの元へと娘が駆け寄った。
「僕も手伝おうか? いや、手は足りているかな」
 そもそもおしめの換え方など、覚えているかどうか。真彼にとっては、鈍い痛みの向こうにある遠い記憶だ。


 救助と言う言葉にも、捕虜達はさほど喜びを露わにはしない。淡々と、言われるがままに誘導に従う雰囲気だ。陽子が用意した背負い紐には、母親達が実用的な興味を示していたようだが。
「それほど酷い扱いを受けてはいなかった、と言う事ですか」
「支配地域で数年いれば、爪も牙も折れるのだろう」
 真彼の声に、扉際から朔夜が答えた。既に武器を手にしてはいない2人とは違い、アンジェリナはまだ刀を手にリノを見る。もしも敵が動く事があれば、即座に動く構えを見せながら。
「どうやら、外は制圧されたみたい。ブリュンヒルデまでは安全だから、今のうちに移動を始めようか」
 廊下から戻った昼寝がそう告げる。傭兵達に促されて、捕虜達はゆっくりと立ち上がった。廊下の外まで出れば、別班が誘導してくれる手筈だ。
「足元にはお気をつけて。もう危険はありません。先導いたしますわ」
 メシアが強い語調で言う。先頭をいく若い母親が、俯いていた顔をあげた。
「私たち、助かるの?」
 それは質問というより、独り言のようだったが、メシアは微笑を湛えつつ頷く。大丈夫、と言葉を重ねればそれが力になると彼女は思っていたし、実際にこの場ではそれが必要だったから。

 子供達の多くは、親の緊張にまだ支配されている。今は泣くべき時でないと思っているように。あるいは、これまでに泣き疲れていただけかもしれないが。そんな光景を横に、白虎がしつらえた小さなテーブルに暖かい紅茶の匂いが漂う。
「ヨリシロに姿は関係無いと解っていますが、女の子がいつまでも汚れた格好をしているわけにもいかないでしょう?」
 溜息をついて、陽子が鞄の中からワンピースを取り出した。陽子の飾り気のない雰囲気は、リノの――、いや、日下理乃という少女の持っている雰囲気と似ている。
「ボクの服を貸してあげるのにゃー」
 負けじと持参の衣服を並べ始める白虎の、そのラインナップは見事な物だった。ゴシックワンピースだったりメイド服だったりバニー、チャイナ、レオタード、尼僧服まである。しかし。
「残念ですが、サイズが合わないと思います」
 陽子が言う様に、少しばかり背丈が違いすぎた。こんな時にも身長か、と歯噛みしつつ服を仕舞いなおす白虎の背中が煤けている。
「確かにこの匂いは不快だな。貰っておこう」
 受け取ったワンピースを横に置き、赤ちゃんの小便でじっとりと湿った制服を、ごそごそと脱ぐリノ。おそらく羞恥心は無いのだろう。服を着る動作はヨリシロとなった少女が知っているようだ。後ろの人々の危険を思えば視線を逸らす訳には行かないが、ソラの頬に血が上るのは仕方がない。
「その子の名前なんだよね、リノって。どういう子だったんだろう。‥‥キミが殺したの?」
 同じ光景を明らかに楽しんで眺めていた慈海へと、ワンピースの襟元から顔を出したリノは冷え冷えとした口調で答えた。
「私は価値のない殺しをする気は無い。このヨリシロの死は私の知る所では無いな」
 戦いの場から逃げようと建物をのぼり、煙に巻かれて死んだらしい、と彼女は言う。
「傷も損傷もない。まだ人間の体が珍しかった時期だったので、本星に上げられたのだ。そのまま保存されていたものを、私が貰った」
 選んだ理由を問われれば、目に入る中で一番弱そうだったが故に、と答えた。事実、外見から感じる迫力といったものは、目の前の少女にはない。
「君たちにとっての‥‥いや、君にとっての強さとは、なんだ」
 おしめをあてながら、レティが問うた。戦いとは、強者が弱者をいたぶる事ではない。自分より強き物に挑戦することが強さであるとするならば、このか弱い赤子こそは最強だろう、とレティは言う。リノは興味深げに聞いてはいたが、その結論には首を振った。
「私にとっての強さの基準とは、私を殺せるかどうか、だ。お前が言う様に、強者が弱者に戦いを挑めないかといえば、そのような事は無い。数であれ、策略であれ、弱き者が強き者と対等に戦う為に為す工夫は無為ではなかろう」
 あるいは強者が弱った折り、あるいは手出しが出来ぬ状況を選んで、弱者が戦いを仕掛ける事は卑怯ではない。そう彼女は言いながら席についた。白虎が淹れた紅茶は、少し冷めている。
「それ故に、私は『私を殺せるかどうか』を基準にしている。それに満たぬ相手は、殺さない。まあ、意図してはしない、と言う事だが」
 剣呑極まりない台詞を吐きながら、リノはカップに口をつけた。まだ熱かったのか、一口でソーサーへと戻した。
「私を殺す程の相手であれば、私も加減せずに殺す。その死骸は、この星を離れてからその記憶と共に喰らう。それが認めた敵への礼儀だと考えている」
「北米で戦ったヨリシロは『自分達は奪う以外の生き方が出来ない』と言ってた。あんた達は、本当にそれしか出来ない生き物なの?」
 羽矢子の声は、静かだ。それを口にしたバグアの声の辛そうな響きを、彼女は思い出していた。バグアの行為を許せはしないが、あの時のことを思うと哀れみを感じる気にすらなる。しかし、リノは冷たく笑った。
「力ある者が戦って勝ち得た物を奪うのは当然だ。その為に戦うのだから。お前たちも、勝てば私から奪うがいいだろう」
「戦う事が目的じゃないんだ‥‥?」
 てっきりそうだと思ってた、と慈海が言う。手にした得物はそのままに、アンジェリナがリノへ視線を回した。
「ゼオン・ジハイド。バグアの中では高階級なのだろう。ずっと聞こうと思っていた。お前たちは星を渡り何を望む」
「お前は何故生きている、と聞いた場合、人間は一致した答えを返すのか?」
 個によって目的は違うだろう。それはバグアであっても同じだ、と少女は返す。アンジェリナは納得しないようにまだ言葉を繋いだ。
「その星の人か? 技術か? それとも人の中にある知識か‥‥?」
「その全てだ。誤解ないように伝えておくが、我々は‥‥そう、収奪者だからな」
 言葉を選ぶように逡巡してから、リノは答える。おそらく、少女の脳裏から単語を拾い上げてくるまでのタイムラグだ。その様子には、少なくとも後ろめたいと言う雰囲気は全くなかった。
「あんた、誤解してるよ」
 羽矢子が言う。人間は、どんな人間であっても、その奥底には一致した生きる目的を持っているのだ、と。リノが聞く姿勢なのを確認してから、彼女は言葉を続ける。
「あたし達はいつか死ぬ。戦わなくともね。だけど、自分の血を受け継いだ子供は生きてまた子供を産む。そうやって自分の遺伝子を継ぐ存在がいる限り、あたし達は生き続けるのさ。想いを継いでね」
「‥‥そうか、御前達は身体的寿命を抱えている種だったな。だが、ならば何故その赤子を気にかける?」
 レティにおしめを替えられ、母親代わりの娘の手の中へと戻った赤子へ、リノは目を向けていた。娘は朔夜の横を抜けて出て行こうとしてから、振り向いて頭を一度下げる。傭兵達とバグアの見送る中、足早に先に行った仲間たちの後を追った。
「あれはお前達の誰の子でもないだろう? その為に何故危険を冒す?」
「その理由は、そこの桃色の総帥とゴミ箱に聞くといいと思うよ」
「う、うにゃ?」
 慈海に水を向けられた白虎が慌てる。真彼は閉じていた目を開けた。
「その少女の中に、答えはありませんか?」
 日下理乃、と言う名前の少女は人間だった。なればこそ、知識だけではなく学ぶべきものがあるのではないか、と青年は言う。羽矢子は抑えた声で少女の姿の異星人へと語りかけた。
「‥‥あんたがヨリシロにした体の持ち主も、人間らしく生きる筈だった」
「老いて死ぬ前に子を生して、か? うむ、そうだろうな。それがお前達の生き方であれば」
 リノの首肯に嘲りの気配はない。そして、後悔もない。ただ事実を確認しているだけのようだ。それを確認してから、羽矢子はゆっくりと言葉を続けた。
「その命と想いを、あんた達が踏みにじるなら、全てをかけて戦う」
 良い返事だ、というようにリノは頷き、席を立つ。避難民達は、案内の老婆を残して全て、去っていた。


「ゲームをしないか? 日下理乃」
 立ち上がったリノへ、朔夜が言う。
「‥‥ゲーム?」
「そう、ゲームだ」
 ザ・デヴィルが生前、傭兵達を呼び寄せて戦った際に、傭兵からの提案に乗ったのと同じ内容。殺生無用の手合わせといったものだ。朔夜からその時の状況を聞いて、リノは深々と溜息を漏らす。彼女にとっては初めて耳にする内容もあったようだ。
「そうか、デヴィルがな‥‥」
「お前と俺の間の差を知らねば、自分の――そしてお前の望む戦いは‥‥」
 そこまで口にして、朔夜は言葉を途切れさせた。目の前の少女は笑っていた。いや、嘲笑していた。
「お前は、お前達はデヴィルに舐められたのだ。戦いに挑む戦士が手の内をわざわざ教えてやるという意味が判るか?」
 デヴィルは自身の特殊な感覚器官に対するヒントを与えていったと朔夜は言う。それに、自身が持つ攻撃の為の技も。
「お前たちの強さは今がピークだと奴は考えたのだろう。今よりも強くなる事は無い、だからハンデをやろう、とな」
 手を握ったり開いたりしながら、リノはイライラと吐き捨てる。歯の間から覗く舌が血のごとく赤い。彼女の豹変に驚く事があったとしても、朔夜の中でそれはすぐに既知に変わる。だが、今回に限っては既知感が与える耐え難いほどの退屈も、にじむ冷や汗を止める役には立たなかった。
「お前が今、戦いたいと言うのならば受けても良い。しかし、命の遣り取りはしない手合わせを申し込むだと?」
 そのような遊びに付き合う暇はない。そう言い放ったリノは、先ほどまでの少女とは別の存在だと、周囲は知る。知ると言うよりも感じた。これは、敵だ。
「貴様の言葉に、この場の全ての生命を賭けよ。さっき出て行った者達も含めてだ。私にできぬと思っているのならば‥‥」
「いけません!」
 メシアが、部屋の出口を塞ぐように動く。一歩遅れて、ソラも。しかし、その程度で何ができようか。相手は生身でKVと渡り合う怪物なのだと、2人も知っている。

「――それでも、彼は正しく戦士だった。その事は否定させない」
 昼寝の声に含まれた何かが、リノの動きを止めた。自身の胸に挿したカーネーションを手に、昼寝はリノへと大股に近づく。
「私の敬意だ。自己満足だから、後でどう扱おうと構わない」
「‥‥」
 横目で睨むリノへ、花を差し出したまま昼寝は待った。ややあってから、リノはそれに手を伸ばす。どのような手段か、手にした花は萎れ、そしてすぐに煙を上げて燃えだした。リノは、自分の指が摘んだ一輪の花が全て灰になるまで、目を逸らさない。それは、30秒ほどの僅かな時間だったが、彼女の頭を冷やすには充分だった。
「デヴィルは死に急いだ愚か者かもしれない。だが、私にとっては古き友だった。‥‥奴に免じて、侮辱は許そう」
 冷え冷えとした声は、会話はここまでだと告げている。去りかけた傭兵達の中から、アンジェリナが1人、踵を返した。リノに声をかけてから、懐から取り出した小さなものを投げる。
「‥‥何のつもりだ、これは」
 受け取った鉄菱勲章を、リノは穴が開くほど睨みつけた。まだ苛立ちは過ぎていないらしい。
「あの時の一件で、おまえを食い止めたという名目で貰った勲章だ」
 アンジェリナの言葉を聞いて、リノはゆっくりと視線を上げる。
「小隊長として正しいと言われた、だからXCの隊長としてその勲章を受け取る。‥‥だが『私』という個として、自分がそれを貰う事を容認できない。だからお前へ『返す』」
「‥‥ふん」
 鼻を鳴らしながらも、少女は突っ返しはしなかった。
「いずれ自分が容認できる形で。この一刀の元に切り伏せて。おまえからその勲章を奪い取る」
「いいだろう。お前がその価値を示す限り、私はこれを持っていてやる」
 勲章を目の前に持っていってから、リノは刻んである名を読んだ。
「アンジェリナ・ルヴァン、か。‥‥誇るがいい。私が人間の名を戦士として覚えるのはお前が一人目だ」
 次は殺す、と言う意味か。いや、手加減をしないと言う事だろう。部屋から出て行きかけていた陽子が、振り向いて頭を下げた。
「次は、戦場でお逢いしましょう」
「ああ、そうだな。願わくば、戦場で」
 彼女は陽子を、そして朔夜を、去り往く人間たちの後姿をいまいちど目で追う。遠くからブリュンヒルデのエンジンが立てる轟音が響いてきた時になって、リノは八重歯を見せて音もなく笑った。


 飛立ったブリュンヒルデの艦内は、行きと違って混雑の極みだった。確保に当たった傭兵達は難民の世話からは外されているのだが、彼らを気にかけていたメシアやエレノア、レティ、それに白虎は流れのままに、気がつけば手伝いに入っていた。
「ここに来るまでは自信等ありませんでしたけれど、すっかり慣れてしまいましたわね」
 何人目かのおしめを換えながら、メシアが苦笑する。一方、待機室では。
「カサブランカ、かぁ‥‥有名なラブロマンス映画だね。そして戦争の映画でもある」
 窓から下を見下ろし、慈海が呟いた。海岸線のどこかに、その名の町があるのだろう。あるいは、その跡地が。
「そんな先の事はわからない、か‥‥」
 自分に凭れかかる様に寝てしまったソラに毛布をかけながら、真彼は有名な台詞を思う。知っているんだ、と慈海は微笑した。
「いつの時代も人は争う。生きるということは、誰かを犠牲にするってこと‥‥」
 バグアの生き方は、それが顕著なだけかもしれない。人間である自分達とは相容れないのかもしれない。そうだとしても、不要な犠牲は少しでも減らしたい、と彼は囁いた。

「‥‥あいつは違う、な」
 羽矢子は、手の中のハチドリのタグを見ながら呟いた。彼女自身の部隊章。もしもリノが僅かでも思い悩む素振りを見せたのなら、手渡そうと考えていたものだ。リノには、自身の生き方に疑問はなかった。奪う以外の生き方を探そうと考えてもいないだろう。
「次に会う時は、命の遣り取りになるだろうね‥‥」
 ぐ、と握り締めた手の中で、ハチドリの嘴が痛かった。
「死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し、ってね」
 昼寝は腕組みをして、座席のシートにもたれかかっていた。どう生きるべきか、どう死ぬべきか。そして、どう殺すべきか。重い問いではあるが、考える事は少ない。己の信ずるとおりに、と言う点では、やはりリノと彼女は似ているのだろう。