タイトル:新たなる旅立ちマスター:紀藤トキ
シナリオ形態: イベント |
難易度: 普通 |
参加人数: 49 人 |
サポート人数: 0 人 |
リプレイ完成日時: 2010/06/19 01:45 |
●オープニング本文
「訓練部隊ですか? 隊長が?」
エレン、ことエレーナ・シュミッツ中尉は、直属の上官である少将の言葉にそう返してから、何とか表情を取り繕った。戦傷で足の自由が効かなくなるまで前線勤務ばかりだったベイツ少将が、訓練部隊で何をするのか、彼女に想像はつかなかったが。
「看板だ、看板。まあ、将官クラスで役に立たんのが俺くらいだと言う事だろうさ。で、エレン。お前はどうする?」
ベイツの言葉に、口元を押さえていたエレンが首を傾げる。
「ついてくるか、それとも本部勤務に残るか。医療士官も傭兵との窓口役も、引く手数多だぞ」
「‥‥そうですか?」
疑わしげな顔をするエレンだが、自分で思うよりは彼女の評価は高い。実戦部隊で過ごした医療士官が、戦地で必要な実務に関して後方勤務より経験を積んでいるのは自明の理だ。そして傭兵との窓口として彼女を求める声は、より大きいかもしれない。ラストホープの傭兵との繋がりは、昨今では戦車よりも貴重なものだった。
「まあ、すぐに決める事じゃない。それに訓練部隊といっても、学校というよりは‥‥。まあ、いい。それでも見ておけ」
どさ、と机の上においた資料を指して、ベイツは口をつぐんだ。要するに、見るのも聞くのも喋るのも嫌らしい。苦笑しつつ、エレンは資料を手に退室した。
「‥‥確かに、学校じゃないわね、これは」
むしろ入れ替わりの多い実戦部隊、と言った方が実態に近い。扱うのも、有る程度の戦闘訓練は終えた者になるようだ。軍人だけではなく、例えばカンパネラの学生や、傭兵といったような。
「あ、でも。学生さんは最初から来ているのかな?」
カンパネラの校章のついたファイルには、幾人かの顔写真と履歴が入っている。経歴をみるに、厄介払いされた可能性も否定は出来ない。厄介払いの先として、戦地が適当かどうかはさておき、だ。軍人だけではなく、研究者のような人間も、幾人かいるようだった。
「前線、か‥‥」
実家の母親は、いい顔をしないだろう。兄は困った顔をしつつも認めてくれるかもしれない。そして祖父は、きっと苦笑するだけだろう。長く生きた老人は、人生には避けようが無い事があるのを知っている。
「後は」
自分にとって大事な友人、それ以上の人。彼らは認めてくれるだろうか。彼女が、安全なラストホープで待つ日々にじりじりしている事を。再び、危険に向かう事を。
「‥‥ン? 日本の人もいるのね。空戦の教官‥‥?」
呟いてから、経歴を見て首を傾げる。10歳年下の傭兵と結婚、と言う辺りで。
「こういう人に、学校の教官とか任せていいのかしら。何か過ちを起こさないといいけど」
ブツブツと言いながら、彼女はもう一度資料に目を通す。さらに、もう一度。読み終えた頃には、夜が明けていた。
「先日の件、お受けします」
パリッとした軍服に身を包んだエレンは、ベイツにそう言った。それを予期していたように、ベイツは頷く。
「とりあえず、新しい住処は用意されてるらしいぞ。何て読むんだ? カシ‥‥」
「カシハラ、ね。確か奈良の地名だと思います」
資料に拠れば、半壊して後送された揚陸艦を、練習艦として再生した際に改名したらしい。改装は外装や機関などに限り、艦内居住区画は以前のままだとも書いてある。
「つまり、荒れ放題って事よね‥‥」
現地についてからの大掃除を思って、エレンは溜息をついた。配属される学生達も、手伝ってはくれるかもしれないが、それでだけではきっと足りない。溜息をついてから、彼女はやおら顔を上げた。いや、他に手が無いわけではない。
「予算、まだ余ってましたよね?」
依頼すれば、きっと手伝ってくれる知人達がいる。知人で無くとも、物見遊山気分で顔を出す者がいると、彼女は確信していた。
●リプレイ本文
依頼主の人柄のせいだろう。任務は掃除だったが、気がつけば夕食会まで計画されていた。
「エレンも予算の使い道って奴をよく心得てるわね」
『経費につけといて』と言うエレンを思い出し、リンはくすっと笑う。
「こちら輸送機ロメオホテル(LH)36、カシハラキャットコー、着艦許可を願います」
毅は手配された輸送機の操縦を買って出ていた。積荷は50人近い能力者達と、その他だ。
「人数が多くても、掃除が捗るとは限りませんから」
掃除道具を積み込んだ愛車の中で、ハンナは段取りを練り直す。食材調達担当の悠季は隣席だ。買出しを手伝ったアルは、後席で艦内図を睨んでいる。
「長い付き合いになりそうね」
窓から機外を見て、悠季が微笑した。同じ物を見ながら、ラナは物憂げにサングラスへ手を伸ばす。
「揚陸艦カシバラ‥‥カピバラみたいな名前ね‥‥」
台詞さえ無ければハンサムな彼女だったのに。
「船の掃除か。爺ちゃんの漁船よりでかいのでやるのは初めてだな」
昼寝から覚めた涼は、懐かしげにそう言った。
●
「おお〜、こりゃ壮観ですね‥‥!」
降り立った甲板で、新が周囲を見回す。空母と言うには短い飛行甲板には、ずらりと並んだKVが翼を休めていた。
「軍の揚陸艦って初めて入りますけど、こんな風なんですねー」
リゼットも、物珍しげに見回している。
「‥‥揚陸艦‥‥は‥‥初めて、ですが‥‥」
掃除なら役に立てるだろうか、と言う冬樹についてきた恭文の行動理念は単純明快だった。惚れた彼女と同じ任務に就く、それ以上の理由が必要だろうか。いや、無い。
「‥‥今日も一緒‥‥偶然、ですね?」
相手には、そんな風に認識されていたとしても。
「エレンさん、お久しぶりです♪」
待っていたエレンに、のぞみが元気よく挨拶する。
「ふぅん、この艦、カッシーっていうんだぁ。どこかで聞いた名前だね。あ、せっかくの海だしパラソルとかないの?」
「その略し方はおかしい気がするわよ。っていうか、遊びじゃ無いんですからね!」
早速ボケる慈海に、エレンが突っ込む。彼の後から降りてきたエレシアに、いらっしゃいと手を振った所で、
「だーれだっ」
忍び寄ったシャロンが、目隠しをして囁いた。元気だったか、とお決まりの友人の会話。
「私はもちろん、常にベスト・オブ・シャロンを維持してるわよっ」
「フフフ、ベストじゃないと、困るものね?」
クスッと笑って向けられた視線の意味には気づかず、硯は目を細めた。
「こちらは、まあ、良くも悪くもあんまり変わってないですね。‥‥ある意味幸せなことなのかもしれませんけど」
本当にね、ともう一度笑ってから、背中のシャロンに軽く肘を当ててクスクス笑う。
●
「あ、セシリアさん」
久しぶりの友人に、加奈は嬉しそうに駆け寄った。
「加奈さんが健郎さんの部隊‥‥何だか不思議ですね‥‥」
瞬きするセシリアに、頷く加奈。ゆっくり歩いてくる篠畑と蒼志が、何となく会釈をした。
「あ、こちら鋼さん。お付き合いしてるんです」
「‥‥あの、私も健郎さんと結婚、しました‥‥」
あ、どうも、などと再び会釈する野郎共。セシリアとも篠畑とも知り合いだったラスが、瞬きする。
「‥‥知らなかった、おめでとう‥‥。あ、それ?」
少年の視線が、セシリアと加奈の襟元を行き来した。随分前に、エレンの依頼でバザーに出品したネックレス。聞いた加奈が礼を言う。
「とっても大事な物なの。セシリアさんと、最初に一緒に買った物なんだ」
こく、と頷くセシリア。ラシードはくすぐったいような思いで笑った。それと共に、胸がチクリと痛む。あの時に一緒に笑っていた兄のような傭兵は、今はもういない。
「久しぶり。元気そうで良かった」
それに、幸せそうで、と透は内心で付け足す。若者達は、ニッコリ笑って近況を話し始めた。
「こんにちは、混ぜてもらってもいいかな?」
作業着姿のクラークが片手をあげる。加奈に軽く挨拶してから、彼は篠畑へと艦の防御施設について質問を始めた。
「‥‥」
取り残されたような気分で、セシリアが俯く。待つのには慣れたが、好きではない。そんな様子に気づいたのか、
「28日‥‥、僕の誕生日だったのですが」
透が、視線と言葉で篠畑の注意を引き戻した。
「ああ、そうか。おめでとう。今年こそ、飲みに行かないとな」
自身、妻帯者のクラークも、空気を察して如才なく話を打ち切る。
「中尉、昇進おめでとう‥‥! これからは大尉って呼ばなくちゃね」
話が一段落したと見て、サラやボブと話していたケイがやってきた。
「昇進おめでとう。気がつけば大尉か?」
篠畑や部下が成長したように、彼自身も今では小隊を率いる身だ。この歳月で得た物は多く、そして失った物は胸の中に残っている。
「僕、実は‥‥岩龍のパイロットの名前、覚えてなかったんだ」
隣で聞いていたラシードが、俯き加減に言った。もう忘れない、とも。
「そういえば、昇進。おめでとうございます‥‥」
聞いてませんでしたけれど、と言うセシリアの声には微妙に棘があった。
「俺も聞いたのが数日前で――」
言いかけた篠畑が、背後からの殺気に振り返る。
「凄腕パリィはご健在でして?」
ピコハンを振り下ろしたロジーが、にこやかに笑っていた。まるで3年前のようだ、と篠畑が苦笑する。
「今の幸せ‥‥手離しちゃダメよ。偶には帰ってあげて?」
見透かしたようなケイの台詞に、彼は鼻の横を掻いた。
「‥‥ああ」
●
「加奈ちゃーん」
クラウが駆け寄ってくる。どん、と抱きついてから、
「えへ、お久しぶりですっ! 元気でしたか?」
そう笑いかけた。
「何だか妙な編成の部隊よね」
「あ、ファルルさん」
甲板の隅でゾーンを作っている不良を見て、ファルルは眉をひそめる。
「自分の身を守れるのは、最終的には自分だけよ。それだけは忘れないように、ね?」
「は、はい」
頷く加奈よりも、蒼志の方が難しい顔をしていた。長い航海、不良の中に少女が1人。例えば――。
「間垣君とか沙織ちゃんも一緒だし、心配いらないと思うけど」
「む、女性1人じゃありませんでしたか」
クラウが、蒼志の妄想を始まる前に終わらせた。そんな少女達の方へとクラークが向き直り。
「本田さん、部隊に席は残しておきます」
「はい。ありがとうございます!」
いつでも戻っておいで、と言われた加奈は嬉しそうに頷いた。
●
「煙式G駆除剤を使うのですね? ではその間、火災報知機は止めますけれど‥‥」
換気を気にするハンナの言葉は最後まで聞かず、缶を片手に白虎は階段を駆け下りる。――が。
「最初に区画ごと殺虫するのよね。目張りするから、適当に放り込んでいって」
一足先に艦内へ下りた悠季が、先回りで手配を進めていた。1時間は入室禁止、と言い渡す彼女の前で「作業中に騒ぎを起こしてやるのが目的だったのにゃー」と暴露する訳にも行かず、つまらなそうに缶を設置していく白虎。――の背後で。
「総員退避です。これより一旦、水密隔壁にて、この区画を閉鎖します」
ホキュウが冷たく告げる。
「ってなんじゃこりゃー!! け、煙が! 隅から黒いのが這い出てうにゃー!?」
数分後に救出されるまで、少年はとても恐ろしい思いをしたらしい。
1時間の待機中、傭兵や軍人達は旧交を温めたり、新たな出会いを楽しんだりしていた。別に甲板掃除は初めても構わなかったが、せっかくだし、とのんびりする事を依頼主自ら主張したのだから是非も無い。
「ま、僕は報酬分はしっかりとやらせてもらいますよ」
そう言って皆の輪から離れたソウマ。プロ意識から、時間を惜しんで掃除のハウツー本を読みこむつもりらしい。
「初めまして! 真彼さんには初依頼ですっごくお世話になったんですよ♪」
天莉がエレンに懐っこく話しかける。恋人を褒められたエレンは照れ臭そうにしていた。聞こえたのか、歩いてきたロジーが、
「エレン、真彼に言うことが在るならきちんと言うべきでしてよ」
「え、言う事‥‥?」
「プロポーズしたのに返事が無いって聞いたよ?」
フラフラしていた慈海まで戻ってきた。ああ、とエレンは頷き、
「いつの間にか郵便受けに指輪が入ってたんだけど、ね」
ちゃんと言ってくれないと、とそれでも嬉しそうに笑う。真彼の手紙は郵便事故にあっていたようだ。
「もし僕を心配させるために決めたのなら、降参だ。今からでも考え直してくれないですか?」
「フフ、もっと心配してもらわないと。普段のお返しなんだから。なーんて、ね」
恋人の声に、エレンは嬉しそうに振り向いた。旧知の青年を、ロジーがじっと凝視する。
「真彼‥‥分かってますわよね?」
人でごった返す甲板で何か進展を見込めるような2人ではないが。
「はわ、エレンさん、国谷さん。こんにちはっ!」
「おめでとうございます。ぴっかぴかにしちゃいましょうっ」
横を向けば、クラウとソラが元気よく挨拶していた。
「この船が僕の職場か‥‥」
感無量、と言った感じのsiennに、デッキに出ていた男が眉を上げる。
「たかが掃除で随分やる気だな?」
向き直ったsiennは、車椅子に座っている相手の襟章に気がついた。
「ハロルド少将ですか」
姿勢を正して挨拶をする彼に、ベイツは片手を振る。
「あー、今日は軍の作戦行動じゃない。気楽にやってくれ」
そも、カシハラに配属されるのは少数であり、学生や傭兵は任務ごとに招集が掛かる形であるらしい。
「ま、たまにはこんな依頼もいいだろ。毎回殺伐としてたんじゃ疲れるからな」
そんな会話を横目に、一馬が呟く。シクルはチラッと彼を見上げ、
「‥‥そうだな」
と言葉少なく頷いた。
●
「さあ、皆様。作業に掛かる時間です」
時間が過ぎ、通信室から陽子の声が響く。ある者は階下を目指し、ある者は甲板に散っていった。
「さてと、私も‥‥」
エレンも階段へ向かい掛ける。
「あ、そこの人、ここ掃除するんだけど、暇なら手伝っ‥‥ぁ」
声をかけたsiennが、階級章に気づいて固まった。エレンはクスッと笑ってから
「ずっとは無理だけど。ここを押さえて置けばいいのね?」
どぎまぎしながら礼を言うsiennに、頑張ってね、とウィンク一つ。
「こんにちは」
と掛けられた声に振り向けば、霞澄が控えめに立っていた。休憩中に挨拶しようかとも思ったのだが人の多い所は苦手なので、と彼女は自嘲気味に笑う。
「‥‥霞澄ちゃん、どうかしたの?」
問いかけたが、霞澄は首を振った。改まった口調で、エレンや他の人達の選択を尊重する、と言う霞澄。エレンは微笑んで礼を言う。
「‥‥あの、エレンさんはどこを‥‥掃除、するんですか」
エレシアの細い声。自分の部屋という返事を聞いて、少女はしょんぼりする。先に風呂掃除の人数が少ないと聞いていなければ、手伝いに行ったのだが。
「ふふ、じゃあ後で顔を出すわ」
汗も流したいし、と既に寛ぐ気満々の依頼主であった。
「マドリードの時はろくに挨拶も出来ませんでしたので。よろしくお願いしますね♪ お掃除頑張りましょう」
挨拶してから、美汐は荒れた周囲をみる。
「これは掃除しないと大変だな」
高良も、呆れたように呟いた。
「‥‥被弾の後は、無いんですね」
「ここまで攻撃が及んでたら、おそらく廃艦処分を受けていたでしょう」
不思議そうなsiennへ、ホキュウが告げる。艦は意外と脆弱なのだ。
「にゅふふ、床掃除は任せておけにゃー!」
復帰した白虎は、懲りずに何やら企んでいるらしい。
「床磨き‥‥は足りてそうですし、布団を干しましょうか」
「‥‥あ。は、はい」
振り返ったリゼットに言われて、冬樹が頷く。寝具はごわごわで、意外と重い。
「じゃあ‥‥、まずは運び出し、から」
「いやいや。井上さんは洗濯の方、頼みますよ! 重いのは俺が!」
割って入った恭文に、冬樹が恐縮しつつも礼を言う。そんな2人を眺めながら。
「‥‥ふふ」
ピンと来たらしいリゼットが、楽しげに笑った。
●
「では、この部屋から始めよう」
4人部屋に乗り込んだアキラは、篭った匂いにも動じない。
「まずは洗濯物や荷物を廊下に移動させよう。その次に部屋の掃除だな」
言うより早く、シクルはゴミやら何やらを運び出し始め。
「ピカピカお掃除キュッキュッキュ〜♪」
美汐は、雑巾を手に鼻歌を歌っていた。
「汚い場所をキレイにするのってたのしいです」
その辺りの感性は、ハーモニーも同様だ。
「ぴっかぴかにしちゃいましょうっ」
「ふふ、ソラ君、張り切って頑張ろうね!」
エレンの執務室には少年少女。幸い、2人で部屋を掃除するのは初めてではなく。
「そっち、お願いね」
「わかりました」
雰囲気から想像されるよりは手際がいい。
「じゃあ、私も‥‥、あら?」
エレンが机の隅を見て首を傾げた。空だった筈の花瓶に、紅茶色の薔薇が一輪刺さっている。遠くの機中で、黒衣の男が微笑した。
「ここが‥‥健郎さんの‥‥」
扉を開けたセシリアが瞬きする。着任直後の篠畑も訪れるのは初めてらしい。
「これは凄いな」
「健郎さんもぼーっとしてないで、お掃除、です」
唖然とした篠畑にセシリアがてきぱきと指示を出す。彼が掃除では役に立たないのは、よく知っていた。
室内には私物が残っている場合もある。
「見るな! 見たら死ぬよ!」
ベッドの下から入手した本を手に、容が抵抗する。しかし、歴戦のファルルの手を逃れる事は出来なかった。
「ハイハイ、没収するわよ。‥‥クッ」
チラッと見えてしまったスタイルの良い女性の写真に、彼女が歯噛みする。
「だが、この棚の後ろとかに第二、第三の‥‥」
未練がある様子で重いものをずらしはじめる容。
「何か面白い物がありますか?」
「うわぁ!?」
ひょいっと覗き込んだハーモニーに、素っ頓狂な声を上げる容であった。
●
その頃、甲板では。
「一番になったら『甲板磨きマスター』の称号を個人的に差し上げるわよ!」
声を上げるシャロンの元に、デッキブラシを手にした能力者達が集まっていた。名づけて甲板磨きレース。甲板の端から端まで十往復、見事完遂したらゴールだ。
「バトルモップ使いとして、負けませんよ」
「フッ、受けて立ちますわ」
透の宣言を、ロジーが胸を張って受ける。
「せっかくやるからには勝たないとな」
言う兵衛は、着慣れた胴着と袴、草履というスタイルに着替え直していた。
「我ながら大人げないとは思うがな」
しかし、勝ち負けがあるなら負けたくは無いのが武道家だ、と言う28歳。灯吾に集められた柏木達もアップを始め。
「ん。負けないよ」
不良達に混じったラスは、年はともかく1人だけビジュアルが浮いていた。
「勝負はいいが、余りふざけていたら海に叩き落すからな」
苦笑する涼の向こうで、主催のシャロンも頷いている。
「一体何をやるかと思えば。海兵下士上がりの私に甲板磨き勝負とはな」
「オゥ。本気がここにもいたネ」
サラとボブも硯に引っ張られてきたようだ。
「そろそろ用意はいいか? いくぞ」
スタートの合図役を買って出た一馬は、右手の銃を空に向ける。
「シャロンさん、もしも俺が勝ったら、今度どこかに遊びに行きません?」
「え?」
銃声。出遅れたシャロンをおいて、硯がスタートダッシュを決め。
「ちょ、硯ー!」
大声と笑い声が甲板に響く。
「おらおらおらぁ!」
「うおおお、負けるかぁ!!」
「なんびとたりとも以下略じゃっ」
灯吾と新、柏木がデッドヒートを繰り広げる中、兵衛は淡々とペースを守り。
(おそらくは長丁場の戦いになるだろうからな‥‥)
「ちょっと待って、先輩」
「あ、すまん」
などと言っている沙織と間垣を抜いて中間集団へ。トップでは、
「唸れ僕のバトルモップ! 頑固な汚れも磨き落とせぇぇっ! 疾走ーーっ!」
「ちょ、パネェええええ!?」
得物が良いのか、透がトリオをちぎっていた。しかし、ターンの隙にロジーが間を詰め、逆転。
「この勝負、貰いましたわッ☆」
「さすが‥‥でも、僕にはナックルガードもあるんだ!」
くわ、と目を見開いた透がロジーを追う。当初にリードを奪った硯は、往復でシャロンと擦れ違う度に間合いを着実に詰められていた。眼光が怖かったのか、揺れる何かに見惚れたのか、あるいはそれ以外か。そんなこんなで十往復はあっという間に終り。
「ゴールイン! 優勝はラシードだ」
一馬の声が熱戦の終りを告げる。
「‥‥え? 僕‥‥?」
主に偶然の神の作用によって、少年が最初に甲板磨きを完遂していた。二位は最後の周回でロジーに逆転した透。三位は地味に着実だった涼と最後に温存した体力で追い込んだ兵衛が同着だった。途中で転んだロジーは表彰台を逃したが、彼らに惜しみない拍手を送っている。
「なかなかやる。それに鍛えこんだいい体をしているな」
「あんたも、ただものじゃないな」
そんな会話を交わす三位組の向こうでは、飛ばしすぎた不良達や灯吾がへばっていた。
「だらしないのう」
撤回。約一名はピンピンしていた。
「柏木・涼人さん‥‥ですよね? はじめまして」
と、そこに新が声を掛ける。
「おぉー! 学生仲間発見! 学生仲間が少なくてちょっと心細かったんだぜ!」
AU−KVのチューニングについてと聞いて、見物に回っていたガルも腰を上げたが。
「さて、じゃれるのは後にしてさっさと掃除するぞ」
一馬がパンパン、と手を叩く。まだ掃除は終わっていないし日は高い。
「俺はサボりじゃねえ、監視員だ! 監視員はサボリ魔を見つけるのが仕事なんだ!」
と主張しつつ、ガルは戦略的撤退を試みた。
●
「お掃除、お掃除るんるんるん♪」
調理場の掃除をご機嫌で進めるのぞみ。食器などは磨いてから再び棚へ。
「力仕事は任せてもらいましょうか」
「ふふ。頼りにしてます」
笑う加奈に、蒼志も笑顔を返した。しかし、ここは狭い調理場。他の女性陣も大勢いる中でおおっぴらにいちゃつく訳には行かない。これがもしも居住区だったら。事故でベッドにどさっと押し倒したりして、
『あ、すまん‥‥』
『重いけど、嫌じゃない‥‥です』
などという美味しいトラブるが起きたかもしれない。いや、きっと起きたに違いない。
「あの、‥‥鋼さん?」
「んあ?」
夢は寝てから見るものだ。本日はしっと団員休業らしい神撫が肩を竦める。
「寸胴は4つあればいいか?」
彼の担当は掃除ではなく調理補助らしい。最初に片付いた机に道具を並べて、リンと一緒に故障が無いかを調べていく。
「換気扇も随分マシになったわ」
雑巾を手に、ケイは脚立から降りた。隅々まで掃除しようとすると案外大変だ。
「足りない物と壊れている物はここにリストアップしておいたわ」
「ありがとう。後で纏めるわね」
リンへ頷いてから、悠季は流し台との格闘を再開する。
「そろそろだと思って来たんですが」
「いい所に来てくれました!」
回収に回ってきた真彼へ、のぞみが溢れそうなゴミ箱を示した。
一方、お風呂。
「さて、ピカピカにしますか」
腕まくりした南十星に、ラナがゴム手袋を放る。
「カビとか要りませんよ、本当に」
手を動かしながらも、会話にも余念無く。ラナはこの機会に知り合いを増やそうと思っていたので、少人数の風呂掃除はもってこいだった。
「ん‥‥お掃除終わったら、お湯も‥‥張る」
エレンとの約束もあるし、エレシアはやる気だ。
『手の空いた方は、お風呂掃除を助けてあげてください』
最初は少なかった人数も、アルの報告を聞いた放送部がアナウンスするにつれて増えてきた。なお、放送部のお姉さんは陽子とハンナと言う、ある意味泣く子も黙るペアである。
「うお、すげえ。夜叉姫だぜ。サイン貰うのってあり?」
甲板で思わずそう呟いた恭文に、冬樹が首を傾げた。
「モップなら任せてください」
「水周りは手ごわいからな」
甲板デッキの死闘を抜けてきた透と、体力が回復してきた灯吾のペアが、呼集に応じてお風呂場へと向かう。
「ん〜〜っ、布団干しには最っ高の天気だ〜」
彼らと入れ替わりで外に出た容が、気持ちよさそうに伸びをした。どうやら、エロ本はあれ一冊しか見つからなかったようだ。恭文や冬樹、リゼットらがドンドン運んでくる為、干す手は幾らあっても足りはしない。
「いい掃除日和ですよね」
いい汗をかいた顔の硯が言うと、意外と湿度の無い風が通り過ぎていった。
「‥‥あ、シーツが」
「危ない!」
冬樹が布地に捕まりかけたところへ、恭文が手を伸ばす。
「力仕事なら、任せてもらおう」
揺れる物干し竿は、兵衛が片手で固定していた。
「錆びて台が緩んでたんだな。ちょっと待って」
こんな事もあろうかと用意していた工具箱片手に、容が駆けつける。
「真彼さん、このゴミもお願いね」
「よしきた」
ゴミ回収の真彼に、笑顔のエレンがバケツを渡す。そんな会話は、出勤前の旦那と新妻に見えなくもない。
「団員でありながらこの所業、許せん。突撃にゃー!!」
白虎は、廊下の端で使命感に燃えていた。洗剤入のバケツを幅一杯に並べ、倒せば起きる小津波。
「よーし、続きますよー♪」
普段は無駄な結束を誇るしっと団だが、総帥自身に疑惑があるせいか、今回の企てに参加したのは天莉だけのようだ。
「やれやれ。巻き込まれるのはごめんだな」
と、ソウマが一歩避け、見事にすっ転ぶ。
「何をしている?」
騒ぎを聞きつけたシクルの視線が、ストンと落ちた。角度、斜め下。ワンピースの影辺りに転んだソウマの頭がある。
「いや、見てない」
何を、とは言わず、問わず。シクルがパッと一歩下がったところで、
「はわっ!」
ドスン、とクラウにぶつかり、もろともに転倒した。
「はわ、クラウさん大丈夫ですかっ!?」
ソラが慎重に水溜りを渡り、手を伸べる。
「あは、やっちゃいました」
「す、すまない‥‥」
舌を出すクラウに、恐縮した素振りで言うシクル。その間にソウマはこっそり姿を消していた。
「な、なんか大勢巻き込んでしまったにゃあ‥‥」
「そうですね。罰が怖いですねー♪」
答える天莉は、何故か楽しそうだ。
「しっと団関係者を可能な限り拘束を。これ以上の妨害を許してはなりません」
ホキュウの声で、ハッと我に変えるしっと団総帥。しかしちょっと遅い。
「はいはい、悪ふざけも大概に。このままじゃ仕事が終りませんよ?」
騒ぎを聞きつけたクラークが白虎を捕獲していた。して、白虎の本来の目標はといえば、無傷だったりする。
「これはひどい、足元には気をつけないとね。大丈夫かい、柚井君?」
戦争で傷つくのは常に、罪無き人々なのだ。
「もう‥‥どうして男の子って掃除の時間になると他の事をしだすんでしょうか?」
ひどい有様の床にモップを出す美汐。
「でも、ちょっといいなぁ」
「本当ですよね」
と、美汐同様、真面目に掃除していて騒ぎに間に合わなかったハーモニーが、退場する白虎と天莉を微笑して見送った。
●
「あぁ〜、極楽極楽。やっぱ日本人は風呂に浸からにゃいかんぜ」
涼が溜息をつく。風呂掃除の特権として、彼らは一番風呂を味わっていた。
「そういえば少し面白い事を考えているのですが」
切り出した南十星に、野郎どもの視線が向く。湯気の向こうの南十星の姿は、ちょっと危険だが。
「艦内に、皆さんの名前を刻んだプレートをおいて行こうと思いまして」
「へぇ、いいじゃないか」
二つ返事で頷く涼、灯吾、透達。
「賑やかになるといいですね」
一方、女性更衣室では。
「ごめんね、ちょっとごたついちゃって」
遅れたエレンがエレシアに謝っていた。
「ん‥‥構わない‥‥」
「いい所に来てくれたわね。歓迎するわよ」
ラナが、言う。年齢不相応に育ったエレシアと2人で比べっこをするのはせつなかった。そんな年齢を省みぬガールズトークを横目に、男子更衣室に忍び込む影。
「柏木先輩は、夏の海が似合わないね! 冬の日本海とか似合うよね」
頷きつつ、慈海は荷物の中からセーラー服を取り出す。
「でもまあ、まずはカタチから入ろうよ」
柏木の学ランとそれを入れ替え、彼は脱衣所を後にした。
「なんじゃこりゃあ!?」
という叫びが上がったのはそのすぐ後の事である。
「そいや柏木、先月誕生日だっけな。これ、やるよ」
灯吾がごそごそと取り出したのは、【雅】甚平「漢」。この日、いなせな日本男児の必須アイテムと男の友情が、1人の不良の尊厳を救ったのであった。
「こんな筈ではなかったのにゃ‥‥」
甲板掃除で罰当番。白虎の横顔を照らす陽は、赤い。こんな事もありますって、と天莉は前向きだ。
「そう言うなよ、真面目に働いた後の飯は格別だぜ?」
「そういえばカレーが出ると聞いたのにゃー」
カレーカレー、と歌うように呟く白虎の背を、涼は励ますように軽く叩いた。
「コーヒーを淹れました。小休止といきましょうか」
「はい、皆さんどうぞ」
共にコーヒーには自信があるらしいクラークと美汐が、艦内へ回っている。
「‥‥ふむ。もう一杯貰えるか?」
珈琲通のアルが御代わりを所望する辺り、味は上々のようだった。
「おい、サボりじゃねぇだろうな?」
ガルが問えば、首を振り。
『厨房区に足の折れた椅子があるようです。補修できる方はお願いいたします』
「ん? また俺の出番かなっと」
響いた陽子の放送を聞いて、容が立ち上がった。その放送の為に情報を収拾する事が、今のアルの仕事だという。
「‥‥お、おう。頑張れよ」
サボり魔を探すガルの仕事は、なかなか実を結ばない。だが、目を転じればすぐ身近に目標はいた。
「‥‥何やってるんすか?」
甲板をうろうろする慈海へ、ガルがジト目を向ける。
「や、夜の為にデバガメスポットを見繕ってるんだよ。君も手伝う?」
中年は悪びれもせずに楽しそうに笑った。
――ガルが海千山千のおっさんに言いくるめられた頃。
「‥‥ふーん。愛に飢えてる人にプレゼント、ね」
「ま、KVフィギュアだから悪戯半分だけどな」
感心感心、と頷きながら、慈海は艦内案内の一点を指差す。
「この人は独身だし、ラブラブな相手もいないよ。まちがいない」
「お、サンキュ。あんまりサボるんじゃねーぞ?」
駆け出すガルを見送る慈海の笑顔は黒い。
●
調理場では、今宵の夕食が作成されようとしている。
「ロジーさんにはこれを使ってもらおうか」
神撫は寸胴の一つを、生贄に捧げる覚悟だった。
「ありがとうございます。腕が鳴りますわ」
ピコハンを振り回すのは、彼女の喜びの表現なのだろう。最初の一皿は食べて頂かなくってはと言われた青年は、己の気配りを後悔した。
「ロジー‥‥張り切り過ぎないでよ?」
言うだけ無駄な事もケイは理解している。せめて安全な食物を、と彼女は別の寸胴へ向かった。
「んー、何をしたらいいかな?」
首を傾げるクラウも、警戒すべき過去の持ち主ではある。
「お米を洗って、ご飯を炊いてもらえるかしら?」
ファルルは、警戒を隠せないようだが。
「あ、ボクがやるよ。おいしいカレーには、おいしいご飯が合うから、一生懸命とぎますよ〜♪」
その指示は、のぞみにインターセプトされた。おそらく、米はきっとおいしい。
「悠季ちゃん、どうしたらいい?」
「じゃあ、野菜を切って貰うわね。切り方とかは‥‥」
悠季の目がエレシアに向く。
「ん‥‥わかった」
「俺も手伝いますよ」
ソラも交えて、包丁が軽快な音を立て始めた。奥では、ロジーが担当する寸胴が早くも異臭を放ち始めている。
「隠し味にはコーヒーとチョコでOKですわよね?」
「‥‥ぇ」
物言いたげな冬樹だったが、満面の笑顔を返すロジーに何を言う事も出来なかった。
「しっと団お仕置き用に、たっぷり辛いカレーとワサビ仕込みのサンドイッチを作っておきましょう」
更に劇物を増やすホキュウ。厨房の一角は、物理的、というか化学的に目に痛い空間となっていた。
「そう、わたくしにも‥‥どうにもならない事はあるのです」
目をそらし、お菓子チームへ向かう陽子。人類の守護者を持ってしても、敵は強大すぎたようだ。
「じゃあ、私はカレーに合いそうなものを作るわね」
賢明にも、冷製スープやコールスローなどを選んだリンは奥に回り。最後の寸胴の前には、サラが引きずられてきていた。
「いや、私は料理は‥‥」
「あのままじゃ悔しいじゃないですか、女の子としては」
にこにこする間も手は緩めぬリゼット。実はこの日集まった中で3番目の力持ちである。自身は陽子と甘味を作りつつ、サラの指導に入るようだ。
「‥‥余り、年も変わらないのに、御立派です」
サラへ敬意をこめた視線を送る冬樹。しかし、今のサラは軍人の威厳よりも女の子分がやや増量していた。
「あ〜腹減ったな。おっ、カレーの匂いが旨そう!」
風呂上りの灯吾がまず反応したのは、アバンギャルドで危険なカレーだった。匂いはおいしそうなのが罪作りである。
「いい匂いだな‥‥。お、これは?」
やはりフラフラと匂いに釣られてきたガルは、にやりと笑った。ホキュウが残した赤くて辛い液体を、ロジーの寸胴にこっそりぶち込んだ所を。
「見ましたよ? 食べ物を粗末にしちゃダメです♪」
確り食べてくださいね、と天莉がガルへ言う。
●
「美味い! ‥‥こういう時に生きてて良かったって実感するよなぁ」
満面に笑みを浮かべる涼の皿は、既に半分減っていた。
「お代わり、一杯ありますわよ☆」
ロジーが爽やかに笑うが、その寸胴だけは中身が減らない。押しに負けた神撫と挑戦という単語に弱い灯吾は、早々に退場している。
「‥‥すまないが、飲むつもりなので御飯物は避けたい」
美沙は視線を背けながらそう言った。
「あ、うん。自分は辛いのは苦手なんで」
曖昧に笑いながら、高良も別の方角へ。そしてロジーの前に首を垂れているのはしっと団の罰ゲーム組だけとなった。
<暫く普通の食事風景を御覧下さい>
「うん、美味しいぞ?」
一口含んで、篠畑は頷く。
『まずは篠畑隊長で実験。反応は上々。しかし‥‥』
『よろしい、本命の攻略に移れ』
怯える海兵に、作戦本部は不退転の決意を指示した。ちなみに、以上のコンタクトは視線のみである。
「どうだ‥‥?」
「イエス、オイシイネ」
ニッと笑ったボブに、ホッと息をつくサラ。ガッツポーズをとるリゼット。控えめに微笑む冬樹。
「くぅ、俺、もう死んでもいい‥‥!」
自分の手料理に悶絶せんばかりに喜んでいる恭文の姿は、残念だが冬樹の目に入っていないようだった。
「ん‥‥やっぱり加奈の作る料理は美味いな」
加奈に頷いてから、蒼志は不意に周囲を見回した。
「軍の艦‥‥。親父さんが訪れてたりはしないよな?」
何やらトラウマがあるらしい。
「仕事じゃないみたいだったなあ、なんか楽しくて」
飄々とした容の口調が、今の空気にはぴったりだ。
「あ。リゼットさんって、シアンさんの彼女さんよね?」
不意に、エレンが声をかける。実はエレンとシアンは旧知の仲だったり。
「ほう。おめでとう」
リゼットが、今度はサラを初め篠畑隊のお祝い攻めにあう。
「あ、篠畑には言ってなかったな。嫁だ」
配膳のついで、といった感じで訪れたアルと悠季に目をぱちくりさせてから。
「御互い、身を固めるとは思わなかったな」
自分もセシリアを紹介して、篠畑は笑う。そういえば、厨房の手伝いにはいかなかったな、と首を傾げる篠畑に。
「‥‥手料理は、帰って来た時だけ、です」
「死ねないな、これは」
再び笑う二人の兵士。
更に時は過ぎ。
「堅物っぽく見られる事多いけど‥‥私だってはっちゃけたいわよ。恋したいわよ‥‥ぶえぇ」
「そうよね。恋したっていいじゃない」
できあがってしまったラナに、エレンが相槌を打つ。相手がいれば苦労はしない、と更に沈むラナ。まずはトモダチから始めましょう。
自身もアルから助言を受けつつ、篠畑は陸戦のリーダーの人選に悩んでいた。困った様子に、シャロンが柏木の名前を挙げる。
「あくまで訓練生のリーダーとして、運動部の主将のノリかな」
「ふむ。学生に任せる、か」
エレンやベイツのバックアップがあれば、大丈夫だと思うと彼女は言う。一緒にきていた硯が、
「エレンさんが篠畑さんのこと警戒してたみたいですけど、なにかやらかしたんですか?」
「ん? 管理官にか? 何もして無い、と思うが‥‥」
首を傾げる篠畑を遠望しながら、透は丁度その点について弁護を行っていた。
「篠畑大尉なら大丈夫ですよ。間違いを起こす人じゃないので」
「間違いぐらい歓迎するわよ。かかってこいっての‥‥」
ラナが据わった目で言う。
「ま、隊長が選んだ人だし、大丈夫よね」
エレンは苦笑しつつも、まだ微妙に疑いの視線を向けていた。と、天莉が椅子の上に立ち上がり、マイクを要求する。
「実は総帥の桃色がとうとう確定したんですよ♪」
「な、何も確定してないにゃー!?」
慌てふためく白虎。
「是非是非お祝いしてあげて下さいねー♪」
「これはめでたいのう」
「き、聞けにゃー!」
不幸中の幸いといえば、このあと弄り倒された白虎はデスカレーからうやむやのうちに逃げ延びられた事か。
「‥‥かはっ」
一方、様々な桃色報告が交わされる中、ガルの生命の蝋燭は燃え尽きかけていた。
●
「申し訳ないが、他に適当な手土産が思いつかなかった」
妙な気を利かせて夕食に顔を出さなかったベイツの元へ、日本酒片手のアキラが顔を出す。事前にアルと悠季が訪れていたらしく、安全な料理の皿が部屋の隅にあった。
「傷の具合はどうなんだ?」
マドリードで自分が駆けつけるのが一瞬早ければ、というアキラの詫びを、初老の軍人は片手で退ける。
「詫びる位なら、死に場所を逃した俺に老後の楽しみを提供してほしいもんだな」
勝て、と言外に含ませてベイツは杯を煽る。
「それは言われずともだ。‥‥愚痴くらいなら聞くが?」
「じゃあ一つ、聞いてもいいか?」
複雑な顔で、ベイツは部屋の隅を指す。
「これは何だと思う?」
そこには『寂しい野郎にプレゼントだ』という書付と共に、可愛らしいKV少女がポーズをとっていた。
そして夜。真面目に片付けに回る面々に混ざり、洗い場でしっと団がこき使われる。歓談を続ける人々に食後の紅茶を淹れてから、ラスは夜風に当たりに外へ出た。
「空、か‥‥」
港湾の中だけに暗くはない。闇に浮き上がる機影も伸びる滑走路も、空へと続く道筋だ。
「僕は『皆』のいる、こんな時間を守りたい。だから、この空を取り戻す為に戦うよ」
その決意は、夜空の星だけが聞いている。
「はわ、風が気持いい‥‥」
別の場所では、クラウが夜風に吹かれていた。星明りの中、遠く汽笛の音が一つ。
空を見上げる若者と違い、真彼は海と空の境界へ視線を彷徨わせていた。
「国谷さんは、エレンさんが前線に立つのどう思われますか?」
横を向けばソラがいた。少しの不安と自己嫌悪の表情に自分を重ね。
「心配だよ」
偽らずに、青年はそう答える。しかし、エレンが自分に出来る事をしようと選んだなら、それを守る事ために。
「僕もできることをしてみよう、と思うんだ」
「ちゃんとエレンさんを守って‥‥守られてくださいね?」
ほっとしたように言う少年を、真彼は見てから。
「ふふ、柚井君の方が僕の気持ちを上手に言葉にしてくれるね」
少年の大好きな微笑を浮かべた。
人の気配が絶えた食堂に、数名の傭兵達がいる。
「戦争が終わった時、ここにある名前が誰一人として欠けていませんように‥‥」
美汐が、祈るように頭を垂れ。
「できれば、貴方が、新たなる人類の砦とならんことを、わたくしは祈ります」
刻まれた艦名を見ながら、陽子が囁いた。彼女以外にも、南十星の呼びかけに応えた傭兵達がこっそり名を刻んでいる。一際大きなガルの署名が目立っていた。
「では、とりつけますよ」
南十星が潜めた声で言って、壁際に動かした椅子の上に登る。全ては静かに、密やかに‥‥。
出立の時刻。行きと同じく、輸送機の操縦桿は毅が握っていた。エレンは甲板に出て彼らを送る。
「君が死んだら僕はずっと男ヤモメだ。それはたぶん不幸なことだと思う」
「そうね。真彼さんは真面目だから」
その一途さはエレンにとって好ましく、そして重い。こんな時代だから、自分がいなくなっても幸せを諦めないと言ってくれれば、彼女の気持ちは少し楽になるだろう。
――そして、とても寂しくなる。
「それはちょっと困るので、君はできるだけ死なないようにしてください」
「‥‥はい」
頷いてから、エレンは首を傾げ。
「その代り、私を不幸にしないでね。約束、よ?」
「――最善を尽くします」
薬指の指輪を見せて子供のように笑った彼女は、青年へと身を寄せた。
●
「あら?」
騒々しい客が去った後、アルに渡された備品リストを手にしたエレンが目を細める。
「フフフ、こんな事、してたんだ」
食堂の隅に、金属製のプレートがしっかり固定されていた。
『カシハラの無事を祈って
南十星/ハーモニー/しっと団総帥☆白虎/秦本 新/380戦術戦闘飛行隊隊長 伊藤 毅/張天莉/佐治 容/K.Mahito/シャスール・ド・リス隊長 クラーク・エアハルト/巳沢 涼/シクル・ハーツ/椎野 のぞみ/ホキュウ・カーン/榊 兵衛/ガル・ゼーガイア/鐘依 透/百地悠季/セシリア・ディールス/Lana.P.E.Vecther/柚井ソラ/東野灯吾/エレシア・ハートネス/桂木一馬/ケイ・リヒャルト/霞澄 セラフィエル/望月美汐』