●オープニング本文
前回のリプレイを見る 2人の軍人が、リヨン市内のうらぶれた店に足を踏み入れた時には、男は既に二杯目をあけていた。
「揃いも揃って時間にルーズなのは頂けんな、トミーズ」
唇をへの字にするドイツ人へ、英国人たちはドイツ製時計の信頼性について辛辣な批評を返しながら席に着く。
「大体お前はホストだろう。客を待たずに始めていると言うのは紳士的ではない、と言わざるを得ん」
「いや、待つ相手が女じゃねぇんだから当然だろ。俺だって酒抜きで手前の顔なんざ見たくねぇ」
英国人同士も、遠慮の無い間柄のようだった。とりあえず、出てきた料理をひとつつきしてから、店のソーセージに罪は無いと言う所で3者は意見の一致を見る。
「では、互いの悪運に‥‥」
それぞれの言語での、乾杯。すぐに話題の種は、数年越しのポーカーの貸しや学生時代の馬鹿騒ぎの思い出、それにお互いの悪癖のけなしあいに移った。どこにでもあるような、生き残り中年軍人達の再会の光景だ。少し普通と違うのは、彼らが現役最前線の佐官である事だろうか。
「お、そういえば忘れるところだった。こいつを渡しておく」
ドイツ人が机の下を滑らせたトランクケースを、2人は視線も向けずに受け取る。
「‥‥そういえば、この間はうちの連中が迷惑をかけた」
男が、手にしたタバコを灰皿に擦り付けた。飲み始めて1時間ほどだと言うのに、吸殻は尖塔の如く積まれている。
「お前のところも被害者だろ。頭越しに政治屋が動かした話だ。気にするな」
死んだ男たちを悼むように、ドイツ人が杯を上げた。
「おかげで今回は俺が貧乏くじのようだな‥‥」
グラスに目を向ける3人目。杯の色は血よりも赤い。
「せいぜい気張ってくれ。お前らが転んだら最後のツケはこっちに来るんだからな」
そういい残してドイツ人が席を立つ。男達の会合は、こうして終わった。
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「依頼に応えてくれた事を感謝する。状況を説明するぞ」
会議室の前に立つベイツ大佐は、手短かにそう切り出した。無精ヒゲもなくこざっぱりとした外見は、どうやら夏辺りから継続中らしい。前面のスクリーンに、イベリア半島南部の戦域図と共に、いくらかの粒子が粗い画像が左右に映し出される。
「現在、敵要塞が保有しているらしい超兵器、だ。奴さん、FRを落とされて後がなくなったんだろう。大物を見せびらかしてきやがった」
右側の映像は、青空を裂く赤い閃光だ。目撃者の証言を総合すると、グラナダ方面から撃ちこまれた太い一本の火線が途中で無数の光条に別れて地表へと降り注いだのだという。空戦部隊が確認したのは、この最後の段階であるらしい。
「先に行っておくと、分析にかかった連中はお手上げだそうだ。奴らの技術はこちらの想定の外ってことだな」
まぁ、俺にはどっちにしろ判らんが、と大佐は苦笑する。分かっているのは、その分散した散弾の一撃づつが、地表に傷跡を残す威力を持っているという事だ。直撃を受ければ、兵士や戦闘車両はひとたまりも無いだろう。
「それと、小型のギガワーム、だな。メガワームとでもいえばいいんだろうが」
左側に写されていた円盤兵器は、シェイドと並ぶバグアの力の象徴であった。メトロポリタンXを、東京を陥落させた大型兵器。しかし、グラナダに現われたそれは従前のギガワームと比べれば小型だった。
「故に、単機の戦闘力はさほどではないと想定される。艦載能力も、もしもあるとしても対処できぬ戦力ではあるまい」
警戒すべきなのは、その個体戦力ではない。グラナダ要塞が構築されてから数ヶ月。その短期間で製造されたという事が脅威なのだと、大佐は言う。1ヶ月や2ヶ月単位で小型ギガワームが就航するようにでもなれば、辛うじて維持された欧州の平穏は消えうせるだろう。
「だが、防備が固まる前に手の内を晒したのは連中にとって失策だったな」
余力無しとして手をこまねいていた欧州軍も、事ここに至ってグラナダの敵要塞を座視しえぬ戦力と認めたのだ。
「現在、マドリードの俺たちも含めて戦力の集結を続けている。2週間以内には攻撃が開始されるはずだ」
それに伴い、情報収集が急務となってきたと大佐は言う。長い前置きだったが、つまりはそう言うことだ。
細目の説明に関しては、いつもどおりにエレンの担当である。
「現地までの行程は前回やその前と同じ、南からを想定しています」
アルメリアの西から上陸し、18時間後の回収だ。通常の速度であれば往路、復路ともに6時間を見込んでおり、現地で動けるのは6時間という事になる。
「皆さんにお願いしたいのは2つ。1つは要塞にまだいる一般人の方への警告、です」
警告に関しては、反攻作戦の時期や規模を告げても構わないと言う。西と北から、大軍による正面攻勢を軍部は企図していた。そして、その事は相手にも筒抜けのはずだ。衛星軌道は敵の勢力下故に、移動や集結は隠す事が難しい。
「以前に皆さんが知らせてくれた地下の洞窟は相応に深く、空爆でも全面崩壊の危険は少ないだろう、と言う事です」
ただし、鍾乳洞が出来る時点で地盤は緩い。部分的な落盤が起きる可能性は高いとも言う。また、人々が避難した場合の安全性についていえば、要塞内部で火災や爆発が起きれば保証などできない。酷な様だが、総攻撃の際に自分達を守る事に関しては、彼ら自身の才覚を期待するしかないのが現状だと言う。
「‥‥その地下洞窟を利用して、要塞深部へ通じる裏口を探して欲しい、というのがもう1つの依頼になります」
幸いな事に、敵の対人レベルの警戒は現在までのところ決して厳重ではない。これまでの調査では、表層部分までの潜入は容易だった。そして、階層を下った所で厳しい警戒態勢に初めて突き当たっている。裏を返せば、そこに裏から近づく事ができれば歩兵部隊による破壊工作が可能ではないか、というのが軍の、というか大佐の着眼点らしい。
「それが可能ならば、連中の度肝を抜いてやれる。ドンパチの最中に台所から火が出た時の奴らの顔が見てみたくてな」
攻撃開始までの時間は少ない。問題の新兵器の調査は必要ではないのか、という疑問に対しては大佐がニヤッと悪戯小僧のような笑顔を向けた。
「そっちは、専門家がきっちり仕事をしてくれるさ。ああ見えて、奴らはプライドが高いからな。この間は奴らが悪かったわけじゃなかろうが‥‥」
ブツブツ唸り始めた大佐。ぼやきから察するに、どうやら、今回の依頼については上層部に詳しく伝えていないようだ。
「新兵器への調査は軍の特殊部隊がやる。お前らへの依頼は今までどおり、俺の連隊の独立裁量、って事だ。手柄が欲しいわけじゃないが、これがうまく行けば戦闘は早期に終わる。‥‥色気を出した政治屋に余計な手出しをされるのは腹が立つからな」
大佐は頑固そうに腕組みして目を閉じる。
「‥‥そう言うことで、お願いね」
演台の前から、エレンが唇にそっと指を当ててみせた。
●リプレイ本文
●何度目かの正直
シエラ・ネバダ山麓の敵要塞、通称グラナダ要塞への傭兵達によるアプローチは、今回で4度目になる。遠隔撮影した写真以外は雲を探るような状況だった最初の潜入。そして、試作型のサンドリヨンを用いて突入した2度目。軍部の勇み足により、敵の警戒が強化された中での3度目。そして、今回。出発前の打ち合わせに挑む面々も、その多くは慣れた様子だ。
「この敵要塞もすっかりおなじみなのでありますよ。だからと言って油断は険呑剣呑なのであります。」
これまでの潜入行全てに参加してきた美海(
ga7630)は、戦域地図を見ながらともすれば緩みそうになる気持ちを引き締める。気合を入れるためにパン、と叩いた頬は、その思いの強さを示すように、赤い。
「赤い光線兵器に‥‥メガワーム? まったく、次から次に厄介なものを‥‥」
同様に地図へ目を向けていたリン=アスターナ(
ga4615)が、小さな溜息をついた。これまでの彼女達の潜入で見つからなかった以上、問題の施設の所在はおそらくムラセン山を挟んで反対側の西側山麓なのだろう。今回の自分達の目標でこそ無いが、気にならないわけも無い。彼女もまた、グラナダ要塞とは随分長く、深い付き合いだ。要塞を巡る戦いが大詰めを迎えた気配に、リンは内心で感慨深い思いを抱いていた。
「皆、いつもの青い作業衣、持ってきたわよ」
エレンが持ってきたのは、現地で強制労働に従事させられている市民達が纏っていた衣服、‥‥に似せて作られた作業衣だ。以前も要塞へ潜入した面々には馴染みの衣装だが、今回が初の作戦参加となる遠石 一千風(
ga3970)は、早速広げてサイズなど確認していた。
「お。ひょっとして俺のアレ、貰えてる?」
アレだよ、アレ。などとニヤニヤするOZ(
ga4015)へ、エレンは指を2本立てて見せた。
「ばっちり、よ。ちゃんと全員分貰ってきたから」
「は? 全員分?」
きょと、と首を傾げたOZ。
「全員で動けた方がいい、からね。皆の分は僕の方で申請させてもらった」
その横で、国谷 真彼(
ga2331)が頷いている。彼ら2人が要求していたのはダイバースーツなどの潜水用具だった。一般人であれば危険を伴う洞窟潜水も、エミタによる補助を受けた能力者であればさほど困難なものではない。
「‥‥あ、なるほど」
軍提供の地図を手にしていた鏑木 硯(
ga0280)がポン、と手を打つ。彼が軍へ調査を依頼したのは、要塞付近の河川や洞窟、水脈の場所だった。グラナダ周辺の地形は鍾乳洞が多く、つまりは地下水路も多いと言う事だ。硯が意図していたように水脈にそって歩くだけではなく、潜る事もできれば捜索範囲は格段に広がる。
「お、硯っち、いい物作ってるじゃん? 近場に湖とか無い? でかい奴」
「‥‥ここ、は無理そうだね。こっちはどうだろう?」
OZと真彼は地下の水脈が近くの湖に通じている事を期待していたのだが、最も近い湖であってもいささか距離が離れている。どうやら、一度完全に地下水になってから再び山麓で湧き出しているようだ。
真彼へ向けていた視線を、柚井 ソラ(
ga0187)は手元に戻した。この作戦中に誕生日を迎えるだろう少年は、真剣な目で自分の地図を睨む。そうすれば、以前のような無力感を感じずともすむかもしれない。自分が本当に役に立てるのか不安はある。怖れもある。だからと言って、ただ待つ事は選べなかった。
「‥‥俺は、俺の出来ることを」
動こう。自分が大人になるまで待っていてくれるといった青年に、年齢だけではなく、少しでも追いつけるように。
「わたくしの申請はどうなりましたか?」
育ちのよさがにじむ丁寧な口調で問う、月神陽子(
ga5549)。彼女も一千風同様、この地を訪れるのは今回が初めてだ。
「ええ、そちらも借りて来れたわ。今回は、特例ですって。‥‥フフフ、大事に使ってね」
傭兵への貸し渋りには定評のあるUPCだが、流石に作戦の成否による影響の大きさも考慮したのだろう。陽子の申請したビデオカメラや万歩計もすんなりと許可が下りたらしい。
「徹二君、嬉しそうね?」
作業衣を手渡しながら、少年の横顔を見たエレンが微笑した。
「‥‥やっとだ。やっとなんですよ」
これまでの探索で得た情報と、調べた物と。几帳面な字でびっしりと書き込まれた地図を前に、稲葉 徹二(
ga0163)が万感の思いを込めて呟く。つなぎではなく、気休めの援助や言葉ばかりの慰めでもない。解放へ向けた行動を起こせる事が、何よりも少年には嬉しい。
「‥‥彼等の為に」
短く囁いたホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)も、思いは同じだった。冗談めかして聖地奪還と口にしてから、真実それが叶うかもしれぬ今この時まで。あの地に生きる人々が耐えてきたであろう月日、傭兵達もまた、彼らを救うことができぬ胸の痛みに耐えてきたのだ。
●魔の山へ
潜入路は、いつもの如くツーロンからの海路を利用する物だった。海域はいまだ人類の支配下とはいえない状況ゆえ、潜水艦により密やかにアルメリアの西側へと向かう。
「‥‥や、もう何も言わねーよ」
以前は、女性不在の潜水艦乗員構成について文句を言わずに居れなかったOZも、もう3度も同じ経路を使っているうちにあきらめたらしい。元気なく座る青年の様子に誰かがクスリと笑った。
上陸後、傭兵達が選んだのは強行軍だった。今は、巧遅よりも拙速を。基本的に覚醒を続け、少数の敵を迂回するよりは殲滅を選ぶ。それが可能なだけの実力と経験を、彼らは兼ね備えていた。要塞を見下ろす地点へ辿り着くのに要した時間は、4時間。少なくない傷や疲労と引き換えに得た貴重な時間を無駄にせぬよう、一行は行動を開始する。
「時計を合わせておこうか。それと、合流場所の確認と」
ホアキンの低い落ち着いた声に、仲間達が頷いた。不測の事態が起きた場合の対処も、全員で意思統一を行っておく。事前準備の際に美海が言っていたように、幾度も訪れた場所とはいえここは敵地だ。危険への備えも忘れぬ事が肝要だろう。
――例えば、安全に思えた相手が敵の手中に落ちている可能性。以前に訪れた時、要塞から出て生活していた少数の一般人がいた。いわば顔見知りの彼らを最初の接触相手に想定していた傭兵達だが、実際に姿を見せる前におかしな様子や変化が無いか、双眼鏡を手にホアキンが入念に確認する。現地に訪れて後は、拙速は慎むべきだった。
「以前と様子は変わらないようだ」
外部に作られた小さな居住地。外側を歩く少年の変わらぬ姿を見つけて、青年は微笑を浮かべた。仲間の老人と何かを話していたようだ。他にいくらか見える顔ぶれも、先に訪れたときと変わりは無い。おそらくは安全だろうと言う確証を得てから、傭兵達は彼らへと近づいた。
「遅かったじゃないか、兄ちゃん達」
まだいくらか距離がある間に、外来者に気がついたらしい少年が出迎えに出てくる。生意気な声も、聞いた事がある面々からすれば懐かしい。
「開戦を警告に来た」
言葉少なく告げたホアキンに、少年は頷いてから居住地へと一行を誘った。木々の合間をしばし歩けば、そこが以前にも来た小さな洞窟の入り口だ。コロニーの居留者達は手を休めて傭兵達を出迎える。その様子は、傭兵達の到来を予測していたかのようだった。
「あれだけ、派手に何かやらかしてたから。きっと様子を見に来ると思ってたよ」
少年達の居る辺りからも、空を裂く赤い光は見えたのだと言う。
「今回も時間は少ないのでしょうな。我々が為すべき事と、知るべき事を伺いましょうか」
擦り切れかけた青い衣の上に、彼らは何かの毛皮を纏っていた。老いも若きも、無用に騒ぐ事も無駄な質問を挟む事もない。この地の一般人達のリーダーだったラウル青年が、己の志を託すべく選んだのは、そういう人々だった。
「ラウル君は、いまどうしているのだろう?」
「どこにいるか、とか。わかんねー?」
真彼とOZの質問には、あっさりと答えが返ってきた。以前と同じく、要塞や洞窟で他の作業者達と起居しているらしい。眼鏡も、相変わらずかけているそうだ。
「他の皆は洗脳を知らず、今もラウルに従っているかな?」
ホアキンの問いに、老人は無言で頷く。
「‥‥そうか」
まだ問いたい事もあったが、まずはラウルの身柄の確保が優先だ。ホアキンと真彼、OZの3人はその情報を聞いた時点でひとまず要塞へと向かう。残る面々のうち、少年達との接触回数が最も多いリンと徹二が状況の説明を担当する事になっていた。
「‥‥たァ言っても、自分達もそれ程詳しく解ってるわけじゃありません」
首を振る徹二。
「時期は、2週間後を目処に。UPCはマドリードとリスボンの2方向から要塞へ攻撃を行うそうよ」
そう告げたリンにしても、それ以上詳しい状況が解っているわけではない。それよりも重要なのは、彼らにこれから何が起きるのかを伝える事。そして、どうすればそれを乗り切る事が出来るか、の助言をする事だった。
「戦闘の結果、爆撃やら砲撃やらが飛んでくるでしょう。地表にいたら間違いなく危険ですが‥‥」
「地下にいても、必ず安全と言うわけでは無いわ。場所は、慎重に選ばないといけない」
リンが冷静な口調で言葉を引き取る。徹二は目を伏せる事無く、まっすぐに人々へと向けた。
「ですが、ここを切り抜ければ要塞は落とせます。今までの様な繋ぎじゃァありません。混じりっけナシの救助が入れられる」
傭兵達の、そしてこの少年はこれまでに嘘は言っていない。だから、その言葉は希望となってしっかりと伝わる。相手の、胸の奥へ。話に聞き入る人々の口の端がほんの少し上がり、目じりに微かな皺がよった。
2人は、UPCから託された考えうる危険の情報を包み隠さず、詳細に話す。鍾乳洞の落盤や崩落。それに要塞自体が火災を起こせば、繋がっている洞窟にも煙が流れてくるのは避けられない。
「長期的に見れば、物資の供給源が破壊される事になります。確保すべきは食料や、何よりも水場ですな」
地図を手に説明する徹二に、質問はほとんど飛ばなかった。少年から、地図を貰えないのかと尋ねられた時には、徹二が首を振る。敵の手に落ちたときのことを考えると、それはやめたほうがいい、という説明で、少年は納得したようだった。まだ10台も半ばの徹二と、それよりもなお若い少年との会話は現実的な殺伐とした物だったが、これでいいのだ。夢を語るのは、後でもできるから。
●檻の中の青年と
「‥‥こちらに異常は見受けられないのであります」
「俺の方も、大丈夫」
リンと徹二が説明をしている間、警戒を担当していた美海とソラにしても本来なら夢を見ていて良い年齢のはずだ。しかし、その目は油断無く、周囲の動きや要塞側に見える青い姿などに向けられている。キメラや監視装置、あるいは再洗脳された『救うべき人々』すら疑わねばならないのが、現状だった。
「話が一段落したら、こちらに手を貸してくれる人を募りたいのですが」
一千風の言葉に、それまでは聞く姿勢だった人々の空気が変わる。
「何か、手伝えるのですかな? 我々にも」
その言葉は、懇願にも似ていた。閉塞した現状を変える為に何ができるか、彼らはずっと考えていたのだろう。半年と言う時間が長いのか短いのか、一千風には想像もつかないけれど。
「皆さんが避難する為の場所の安全性を、確認したいと思います。案内を‥‥」
「わかった。任せとけよ」
皆まで言わないうちに、例の少年が頷いた。傭兵達は洞窟探査を2手に別れて行う予定だった為、もう1人。若い男が案内役に挙手した。
「本当は、皆も手伝いたいのですがな」
邪魔になってもいけない、と言う老人。この場に残る面々には、徹二とリンが危険に備える為のより細かな情報を伝える事になっている。
「それと、ご老人には、一つお願いしておきたい事があるの」
リンが切り出したのは、ラウルが敵の手中にある現状で、年長者である老人にまとめ役を依頼したいと言う事だった。無論、ラウル青年が無事に戻って来れれば一番良いのだろうが、そうでない場合のことも考えておかねばならない。
「幸運を」
「‥‥皆さん、どうかご無事で」
言い交わしてから、探索班は居留地を後にした。要塞に近い自然洞窟から、内側へ入る少年。もう1人の案内人は、別の場所から地下へ向かうつもりのようだった。
「じゃあ、私達が先に行きましょう」
案内役に危険が及ばぬように、と気を配っていた一千風は少年との同行を希望する。硯もその後に続いた。
「よろしく、一千風さん」
彼らがチームを組んだのは、もちろん顔馴染みであると言うこともあるだろうが、2人ともグラップラーであるのも大きな理由だ。敵に遭遇した時、それに何かの罠や地形で道を阻まれた時、瞬天速を使えるペアなら切り抜けられる事もあるだろう。
「では、わたくし達はあなたにお世話になりますね」
軽く頷く陽子に、こちらこそ、と慌てて頭を下げ返す青年。
「よろしくお願いします」
礼儀正しくそう言うソラの向こうで、美海がぴょこりとお辞儀した。
一方。ラウルを探しに先に向かっていた3人は、ほど無くしてその姿を見つけていた。場所は、以前もOZが遭遇したあの洞窟である。数ヶ月前と違い、無気力に人々がうずくまる姿は無い。というより、人の姿そのものが少なかった。
「1人か。監視の気配もない、な」
ホアキンが言う。出来すぎの状況だが、誘いや罠の様子はない。
「待ってるのもだりーし、ちゃっちゃと片付けよーぜ」
そう言い置いて気配を消したOZの姿は、一般人レベルでは簡単には捉えられないはずだ。
「そうだね。時間も無いし、それに‥‥」
青年がただ洗脳を受けただけとは、真彼は考えていなかった。彼の行動にも何か意味があるはずだ。例えば、彼がここにいることにも、何か意味があるのかもしれない、と。OZが対面へ回りこみ、ホアキンと同時に先手を取って飛び掛った。懐へ手をやりかけたラウルだったが、能力者達の方が素早い。
「妙な真似しやがったらケツに9ミリくれてやる。逃げられると思うなよ」
OZが手首を後ろに捻り上げた所へ、ホアキンが手錠を投げる。右手は、ラウルの口元を押さえていた。まだ暴れようとする青年の正面に、真彼が回る。
「僕はその眼鏡を外す。どうなりますか」
彼の言葉に反応は無い。拘束された事への抵抗なのか、それとも敵と認識したものへのそれか。身を捩るラウルの顔へ、真彼が手を伸ばした。ただの眼鏡と言うよりは幾分厳重な作りだったが、後頭部の接合部を外せば外れるようになっているようだ。
「――ッ」
びくり、と痙攣してから力をなくす、青年。
「‥‥どうかな?」
外れた眼鏡を手に、真彼が様子を見る。薄く開いた目の焦点が、ゆらゆらと揺れてから、合う。二度瞬きしてから、ラウルはホアキンの手の下でもごもごと何かを呟いた。傭兵たちは、お互いの顔を見交わしてから、拘束をそっと緩める。
「‥‥お久しぶりです。あのー、お手数を、おかけしたようで‥‥」
青年は決まり悪げに苦笑した。
●洞窟表層
陽子は、洞窟へ入る前にビデオカメラのスイッチを入れた。両手を開ける為に、録画モードにしたカメラはそのまま腰のポーチへ。開けた穴からレンズが顔を出している。何かを選んで撮ると言うよりは、移動中の情景を撮影しておくのが目的だ。撮影したデータを後で分析すればルートの把握も容易であろうし、その場では気付かなかった事が見えてくるかもしれない。
「裏口、なんて言うから紛らわしいのであります‥‥」
思い出したように、美海が口を尖らせる。今回の任務は裏口を探して欲しいと言う物だったのだが、より正確には、裏口にできそうな場所を探して欲しいと言う事だったらしい。美海をはじめ幾人かは、バグア側が使っている別の入り口の事だと勘違いしたようだが、爆破などで突破口を開ければ、必ずしも使用中のものでなくとも構わない。
「‥‥自分たちが避難場所として把握してるのはこれくらいです」
数時間かけて数箇所を回ってから、青年が言う。もっと洞窟はあるのだが、収容人数の面や場所などから避難には向かないと判断していたようだ。いずれも浅い深度で要塞からは遠からず近からず、といった場所だった。
「ありがとうございます」
丁寧に、ソラは礼を言う。一般人の同行は移動速度を鈍らせはしたが、その分場所の確認が手早く済んだので、結果的にかかった時間はずいぶん短くすんだ。内部をもう少し探査してから戻る、と言った傭兵達に、案内役の若者は余計なことは口にせず、ひとつ首肯を返して立ち去る。向けられた背中が、彼らの信頼の証だった。
「わたくし達の行動には、わたくし達だけでは無く、のちにここを利用する方たちの命がかかっています。注意して進みましょう」
陽子の声に、ソラと美海の表情が引き締まる。もしも、この探索が敵に知られれば、そこに罠を張られる危険もある。探索も重要だが、警戒も疎かにはできないと、彼女達は肝に銘じていた。
「少し下っていますし、こっちが要塞の方角‥‥、ですね」
ソラが進路を確認しながら、歩けそうな場所を見つけて進んで行く。途切れた崖の様な場所も、彼らの身体能力を持ってすれば降りれないことは無かった。
「次は‥‥こっちが、先に通じていると思います」
目を閉じて、ソラは微かな空気の流れを感じようとする。澱んだ様子が無い以上、どこかに開口部があるはずだ。
「静かなのです‥‥」
美海が囁いた。耳を澄ませど、自分たちの微かな足跡と、どこか遠くから聞こえる水音以外に何の音もしない。先導をソラ、警戒を美海が行い、じりじりと進む。陽子はこまめに手帳へと概略地図や情報を書いていた。
「KVで侵入するには、少し狭い通路ですが‥‥」
掘削すれば、何とかなるだろうか。しかし、開戦後にその余裕があるとも限らない。陽子は目についた情報をメモに残して行く。判断は、後で行えばいい。今は情報の収集こそが急務だった。細い通路をしばし進むと、再び広い洞穴へ出る。懐中電灯の明かりでは先が見えないほどの、広大な空間だ。
「‥‥壁が、露出していますわ」
薄い灯りを暗視スコープで増幅させ、左右を見ていた陽子が真っ先にそれに気がつく。崩れた壁面の一部に、いかにも人工物な壁が露出していた。
「爆薬を仕掛ければ、崩せそうですわね‥‥」
衝撃の逃げ道、待機場所なども確認しながら、陽子が頷く。おそらく、要塞の第二階層。以前に美海達が潜入した近辺へ直接乗り込むことができそうな位置だ。
「‥‥そろそろ、時間ですね」
時計を確認していたソラが囁く。
「この情報も、持ち帰れなければ意味が無いのであります。時間厳守で戻るのですよ」
美海の声に頷いて、3人は帰路につく。
●水路を越えて・洗脳を超えて
一方、硯と一千風も少年と別れて奥へ向かっていた。大昔の伝承のように糸を残しながら、鍾乳洞の中を緩やかに流れる太い水流に沿って2人は歩く。足場の切れ目では、瞬天速がやはり役に立った。大回りしないですむ分、時間を節約してさらに奥へ。しばし進んだ先で洞窟は行き止まりになっていたが、岩盤の下へもぐるようにして水の流れはまだ続いていた。
「‥‥ダイバースーツ、持って来れて良かったですね」
「あ、うん」
言葉すくなに頷く硯。こういう時、お互いに信頼できる関係なのはありがたいことだ、と岩陰で着替えながら思ったのはどちらだろう。照明用具や方位磁石などを除いた装備のほとんどを、纏めて置いて行く。盗られる心配は必要ない場所だ。地下水に浸かると、空気よりも一段低い水温に身震いした。ほとんど無い水の流れを抜けて、さらに奥へと進む。
「低く‥‥なってます」
徐々に低くなる天井。声をかけあって頭上に注意する。さらに低く、‥‥やがて完全に水没。OZが酸素ボンベまで気を回していなければ、ここで探索の手が止まっていたかもしれない。ゆっくりと周囲を探りながら進む2人。10分、それからさらに5分。時折頭上に小さな空間が開ける事もあったが、基本的には水没した区画のようだ。
「‥‥ッ!」
20分を過ぎ、そろそろ帰路が気になりだした頃、急に視界が開けた。泡立つ水が静かに流れていく。滝などと言う程ではない、小さな段が3つほど。その下に地下水が溜まっていた。湖と言うには憚られるが、池と言うには随分広い。天井は相当に高く、水深は比較的浅いようだった。それだけの事が、一瞬で見て取れるほどの灯りが、そこにはある。2人は慌てず照明を絞った。
「ここが、裏口‥‥? 見つけたの、かな」
ぼんやりと明るい壁際の一角、幅2m程の明らかに人口的な水路が取水口になっているようだ。入り口に柵のようなものが見えるが、それ以外の障害は確認できない。
「罠の類は、見えないですが」
もっと近くによって観察すべきか、否か。迷った一千風の耳に水音が届く。硬質な外殻のキメラが水中を泳いでいるのが目に入った。
「行きましょう。見つかったらまずい、です」
戦闘は避け、情報の持ち帰りこそを優先に。今回の作戦は、危険を冒せる性質のものでは無かった。
作業者達はグラナダ要塞の内部に生活拠点を移しているのだと、ラウルは告げた。洗脳を受けたラウルの指示、すなわちカッシングの意によるものだ。自分が操られていた間の事も幾らかは覚えていると、青年は語った。
「頭がぼうっとして、自分の頭の中にいる誰かが勝手に喋っているような‥‥、感じでした」
どうやら、OZによって殴り倒されて以後、洗脳装置が変調をきたしていたようだ。逆に言えばその以前の事は覚えていないらしい。
「どういう原理かはわからないが、これには自爆装置もついていないし、少し弄れば役に立たなくなるようだね」
中核であろう共振体、『レンズ』を少しずらすだけで、見た目は変わらずに効果は途絶える。まるで、何者かに解除されることを望んでいるような作りだ。ラウルを操っていた眼鏡風の装置を弄りがら、真彼がつぶやく。カッシングの立場であれば、そんなに簡単に彼を解放するだろうか。あるいは、これも罠なのか、それとも遊ばれているのだろうか。
「カッシングの動向や考えは、わかるかな?」
ホアキンの質問にラウルは少し考えるぞぶりを見せる。一度だけ、脅しに屈して出頭した時に、カッシングとは顔をあわせたと、青年は言った。だが、よくわからない相手だった、と。少なくとも、ラウルは丁重に扱われたそうだ。
「流される民衆よりも、意思を示す者を尊敬する‥‥、と彼は言っていました。だから、機会をやる、と」
あれはまだ、初夏の頃。やがて来る人類との交戦で取るべき道を選ばせてやろう、そうカッシングは青年に切り出したと言う。
「なーんだ。ヤる気満々だったんじゃねーの。だとは思ったけど」
あのご大層な演説は、やはり嘘っぱちか、と嘲笑うOZ。来る戦いの際に、『人間の盾』としてバグアに利用されるか、不要な人員として処理されるか好きな方を選ぶように、というのが青年にカッシングが掲示した内容だった。
「僕は、皆さんも知ってのとおり。彼らに手を貸すことを選びました」
青年は少しうつむく。他にも、同様の脅しに屈して洗脳に身を委ねた者がいると彼は語った。決して多くはないのだが、今は完全にバグア側に立って、要塞側の人たちを監視しているらしい。
「という事は、俺たちは顔を出さないほうが良い、という事か‥‥」
以前のように、大勢集めて指示を出せば監視者の目に付くだろう事は、容易に推測がつく。
「僕は君たちを守るために、何をすればいい?」
そう、単刀直入に告げる真彼。
「‥‥もしも戦争が始まったとしたら、僕らは表層近くへ集まる予定です。爆撃が始まったら、多分地上へ追い出されるのでしょう。が‥‥」
その指示を出したのも、ラウルだ。今から二週間あれば、ひそかに別の意図をいきわたらせることも可能だろう。おそらくは、危険を伴うであろうが。その時、彼らを保護してくれる傭兵達がいれば、彼らの逃走は容易になるはずだ。あるいは、気にかけてくれるだけでもいい。そこに、守らねばならない存在がいる事を。
「空爆時は洞窟に逃げろと皆に伝えてくれ」
ホアキンへ、青年は深く頷き返した。
●再訪を期して
ラウルと別れた後、ホアキンは地上のリン達と合流する事にした。一般人達の避難場所の選定、補強やルートを最後まで考えていた徹二は、まだ見落としが無いかというように眉間にしわを寄せている。
「できれば、4人一組くらいで班を作っておいた方がいいですな。いざってときに混乱しないですみます」
「それも伝えましょう」
話を聞いていた青年が頷いた。ホアキンから知らされた情報からすれば、要塞内部の作業者への急な接触はやはり避けたほうが良さそうだ。ゆっくり、水が岩に染み入るように広めていくしかない。最初に傭兵達が接触した20人足らずの人たちの負担は大きくなるだろう。
「くれぐれも、慎重にね」
「なに、伊達にこんな生活はしとりゃせん。どいつがどこにいるかくらい、すぐに調べて裏をかいてやるわい」
リンの心配げな言葉に、老人はニッと笑顔を見せる。それは、彼らのリーダーが無事であったという知らせによる物でもあり、そして自分たちにできる事があった喜びゆえでもあった。細く長く、途切れずに希望はまだ続いている。
真彼とOZは硯達と同様に水脈をたどっての調査を開始していた。ラウルから多少は周辺の情報を聞く事ができたが、案内役をつけた他の班ほど効率よく、とはいかない。行き止まりなどにあたる事も、多かった。
「‥‥ん? なんだ、この糸」
「鏑木君達の班かな? ひょっとしたら近くにいるのかも知れない」
太い水脈をたどっていた4人は、程なくして合流した。濡れ髪の2人の大きな成果を耳にして、OZが苦笑する。
「あー、先に潜ってたら大当たりだったか? 惜しい事したっ」
でもそれよりも一千風の生着替えを見逃したのが痛すぎる、などと嘆く様子には、今回の殊勲者という雰囲気は感じられないかもしれない。だが、彼の提案なくしては下層への水路は見出せなかっただろう。
日が傾く。そろそろ、撤収の時間だ。集結した一行は、帰路につきながら今回の結果を確認した。
1:一般人のリーダーであるラウルの解放と、外部グループの協力確認。
手筈どおりに行けば、カッシングの意図通りに爆撃への盾とされる事なく、人々は洞窟へと避難できるはずだ。その為の情報伝播ルートは、ラウルからと外部の面々からの2通りがある。為すべき事は、できたと信じるに足る状態だ。
2:そして、要塞への裏口確保。
地表から近い攻略路は、大勢での攻撃に向いている。時間をかければ、KVを突入させる事も可能なようだ。映像を伴う情報は、侵攻計画の立案を容易なものとするだろう。そして、水路伝いに向かう隘路は、水没区画の存在ゆえに多数の侵攻には不向きかもしれないが、上手に利用すれば気づかれる事無く敵の急所近くまで侵攻できそうだった。
グラナダ要塞攻撃作戦の発令前に得たこの情報が、戦局へ与える影響は大きいだろう。しかし、情報はあくまで情報だ。それを人類が活かす事ができるかどうかは、その時が来なければ誰にもわからない。雪を抱く山脈、という意味のシエラネバダの山頂付近を、夕日が不吉な色に染めていた。