●オープニング本文
前回のリプレイを見る「こ、ここまで来れば大丈夫だろう」
ハンドルを握る痩せぎすの男が言う。隣に座っていた男も、コクコクと頷いた。場所は、マドリードを南東に抜けたところだ。奪還されたばかりの同市周辺には、いまだバグアの放ったキメラも残存している。掃討に出た軍との交戦は、まだ日常の光景だ。
「‥‥後少し‥‥、だ、な」
助手席の男が警戒するように後ろを見る。彼らはマドリードがUPCに制圧された事を知らずに市内へ入り、慌てて逃げ出してきたのだ。
「何とかして届けるんだ。そうすりゃ俺達は大金持ちになれる。そうだろ? バリー」
「‥‥そう、だな。ジェフ」
バリーがチューンした改造車の後部には、大きな箱が積まれていた。くすぶっていた彼らに、運び屋の仕事が舞い込んだのはほんの数日前。裏の仲介屋を介して会った依頼人はうさんくさい老人だった。
『単刀直入に言おう。グラナダまで運び屋をしてくれんかね? 報酬は‥‥』
老人が掲示したのは、見たことも無いような大金だった。手付け代わりにと渡された金塊は、すぐに車の改造代に消えてしまったが、老人のいう額の半分も貰えれば、元を取ってお釣りがくる。
「行き先がバグアの支配下ってのは怖いけどさ。あの爺さん、俺たちに取っちゃ幸運の神様かもしれないな」
「‥‥前、向いて走れ」」
バリーは双眼鏡片手に周囲を見回していた。2人はいわばバグア側の人間になるのだろうが、キメラからすればそんな区別は無い。いざとなれば、積み込んだ火器を使わねばならないだろう。
「了解了解、大事なお客様の為に尽くしましょうってか?」
歯を見せて笑うジェフに罪悪感は無かった。彼にとっては、自分の走りの腕を認めてくれ、金も支払ってくれるならば素晴らしい客に他ならない。陽気な鼻歌と陰気な相槌を旅の友に、車は南を指してひた走る。
マドリード市内。イタリアからの至急伝を受けたベイツ大佐は自らアジトに踏み込んだが、手配の2人組には紙一重の差で逃げ出されていた。ホテルを借り上げた仮設本部へと戻ったベイツに、エレンが届いていた第2報を手渡す。
「‥‥レンズ、だと!? 奴らの積荷は、連中が血眼で捜していたアレか」
ベイツの声にエレンの顔も曇った。バグア側と人類の交戦報告に、しばしば名前の出る希少物質、『レンズ』の名は、先のグラナダ偵察時にも出てきている。ゾディアックの1人、カッシング博士がそれを欲しがっていた、と報告書には記されていた。人類にとっては未知の物質だが、バグアはその扱いを知っているらしい。
「奴らに渡すわけにはいかんが‥‥、小部隊で追っても下手すりゃ返り討ちだな」
ため息をつきつつ、ベイツはエレンを見る。心得たように、エレンは頷いた。危険な、そして重要な任務を託せる相手の心当たりは1つしかない。例え、彼らにばかり重荷を背負わせる事が辛くとも。
「市内にいる傭兵に、急いでコンタクトを取ってくれ。急ぎだ、とな」
「はいっ!」
「大雑把に言うと、マドリードから南へ逃げている車を追いかけ、確保してほしいという依頼です」
エレンは集まった傭兵達にそう告げた。破壊であれば空軍を出せば早い話だが、そうもいかないわけがある、とエレンは言う。
「レンズは、衝撃を受けると割れるそうなんです。車ごと爆撃すれば破壊はできるでしょうが、‥‥粉々になってしまっては回収は困難ですね」
KVを降りて能力者が手で回収するという方策は、万が一の事を危惧した参謀部に差し止められた。鹵獲KVで頭が痛い現状を思えば、止むを得ない。飛び散った小さな物体を拾い集めるのにかかる時間は分単位ではすまないだろう。だが、陸軍には更に前進するような戦力の余裕はない。誰かが、歩行形態のKVがアームで車を捕まえる事ができるかと問えば。
「ドライバーは、闇のレースでかなり名前が売れていた人だそうです。難しいでしょう」
‥‥と、参謀部の人が回答してくれました、とエレンは舌を出して付け足す。彼女たちにできる範囲で、色々な可能性を考慮はしていたらしい。そして、その結論が。
「‥‥車で追いかけて、捕まえてください」
というものだった。
「制空権はこちらにありますから、なるべく近くまで大型ヘリで運搬します。ただ、目標の車は携行対空ミサイルを持っているらしいから」
多少離れた所に投下する形になるだろう。相手の車に、1kmほどのアドバンテージを与えるが、そこが限界ラインだ。つまり、1km遅れてスタートしたレースで勝利しなければならないという事だ。
「皆さんが有利な点は、ブースト加速が可能、ということですね。それと、車自体の性能も場合によっては相手より上かもしれません」
南方、敵の勢力下へ逃げ込まれたら負けだ。猶予は約20kmといった所だろうか。浅い沼地や林、池に茂みなどの障害物も点在しているから、直進性能があればいいと言うものでも無い。
「ルートに関しては地図を用意できますが、大きな縮尺の物しかありません。あちらも似たような物は持っていると思いますから」
同じようなルートで最短を競うか、あるいはやや大回りになっても直線で走れる距離が長いルートを見つけ、ブーストに物を言わせて追いすがるか。追いついた後、敵を停める方法は傭兵達に任せる、とエレンは言う。
「手荒な手段を使っても、積荷が飛び散る事は恐らく無いと思われる‥‥との事です」
KVの空爆とは破壊力の桁が違うという事だ。エレンはそこまでを事務的に告げてから、1つ息をついた。
「もしも、だけどね。交渉の余地がありそうなら‥‥」
相手は元は裏レーサーだ。無線の周波数をその時に使用していた物と合わせれば、コンタクトは取れるだろうとエレンは付け足す。生きて確保する事ができれば、聞きだせる事もあるだろう。ただし、あくまでも優先任務はレンズの確保だ。
「仕方が無いのは分かってるけど。敵だといっても皆に人間を‥‥、殺せなんて事は言いたく無いのよ」
世界の現実はわかってるから、ただの感傷ね。エレンは寂しげにそう言ってから一同を送り出した。
●リプレイ本文
●待ち時間
運搬用の大型ヘリを待つ間、一同はしばしの待機時間を過ごしていた。
「軍人の私より、皆の方がよほど落ち着いてる。‥‥駄目よね、こんな事じゃ」
ずらりと並んだ車列を前に、エレンは不安を隠しきれなかった。任務に赴く傭兵達へは全幅の信頼を置く彼女だが、今回の相手はキメラやワームではない。エレンからの依頼が、彼らに人殺しをさせるかもしれないのだ。
「心配するな、交渉だってやりきるさ。バグアを叩かなきゃいけないときに人間同士争っている場合じゃないもんな」
リュウセイ(
ga8181)が明るく言う。その横で、稲葉 徹二(
ga0163)は複雑な表情を見せていた。以前なら、バグアの協力者と聞けばは苛立ちしか感じなかった所だが、今はそればかりではない。
「‥‥相手にも事情があるんでしょうなぁ、色々と」
ラストホープでの多くの経験は、少年の視野を否応無しに広げていた。
「闇のレーサーらしいですし、案外、車の改造資金が欲しかっただけかもしれませんね」
冗談と言うには深刻すぎる口調で言う如月・由梨(
ga1805)は、愛車のために使った金額を思って遠い目をする。今回の任務は悪路とあってハンドルを鏑木 硯(
ga0280)に譲ったが、彼女はラストホープ傭兵中でも屈指のドライバーだ。
「『レンズ』が何かは知りませんけど、敵に渡って困るものなら阻止しないと」
そう言う硯へと、由梨は頷く。硯のジーザリオに乗るのは2人だけではない。今1人の同乗者、坂崎正悟(
ga4498)はカメラマンと言う職業柄か、興味津々の様子で研究員に話を聞いていた。
「特性は分からないが、衝撃で割れる。割れた双方がレンズ状に変形する‥‥か。確かに妙な物体だな」
透明度は異常に高く、正悟の考えるように光学系の用途に供すれば類を見ない精度の物が出来上がるだろうが。
「何が起きるかわかりません。貴重な鉱物ですから一般には出回らないと思いますが、もしも手に入ったとしても、現状で利用する事は止めた方がいいでしょうね」
そんな会話が為される横を、鼻歌交じりで美海(
ga7630)が歩いていった。
「デーデーデー、デーデーデーデデッデーデッデデデッ♪」
年齢相応より少し低めの彼女のファッションはコートにサングラス。背中にはショットガンを始めとした長物。明らかに何かの影響を受けた少女の足がぴたりと止まる。
「美海も今回の任務を受けていたのね。お互い、なかなかゆっくりはさせてもらえないわね」
マドリードにはエレンに会いに来ただけの筈が、ふと気がつくと任務で埋まっている。リン=アスターナ(
ga4615)は、そんな現状をため息一つで表現した。その様子を上目遣いに見る美海。
「‥‥明らかに似合い方が違うのです」
リンの出で立ちはスーツに咥え煙草。得物はショットガンと、美海の狙っていた方向性と実に似通っていた。
「私、サングラスはかけてないわよ」
苦笑交じりに言うリンも、やはり何かを意識していたらしい。2人の間に漂う微妙なシンパシー。
「美海、今日はよろしく頼む」
少女と同じ班のレティ・クリムゾン(
ga8679)の声からは、その何かに気付いたか否かは分からなかった。
「こちらこそ、よろしくなのです」
こくこく、と頷く美海。
「レティさん、頼りにしてます」
そう言って、助手席の篠原 悠(
ga1826)がレティへ右手を差し出す。
「こちらこそ。今回は篠原さんのナビに頼らせてもらうよ」
グッと交わされた握手に、悠が嬉しそうに頬を染めた。
「皆、誰かに愛されたり愛しているのです」
うんうん、と頷きながら後席へとよじ登る美海。シザーリオと名づけてかわいがっているレティ車の車体は少し高い。
「‥‥迎えが来たようだな。ここからは時間との勝負だ」
目を閉じ、心を研ぎ澄ましていた白鐘剣一郎(
ga0184)が言う。程なくして、上空から大型ヘリの爆音が聞こえてきた。
●スタートラインへ
着陸したCH−47改の後部へと、剣一郎のファミラーゼ、硯のジーザリオが積み込まれる。もう1機の腹の中にレティのシザーリオも収まった。SES機関による動力強化はその程度の荷重を物ともしない。
「徹二君のあれ、横幅大きいけど‥‥。大丈夫かな?」
エレンの独り言もなんのその。輸送一筋のヘリ部隊員は対衝撃パッドを当て、徹二のランドクラウンへ手際よく吊り上げ用機材を据えつけていく。少々振られても酔わなければ車内待機でいいですよ、などと言う輸送兵の横顔は自信に満ち溢れていた。
「今回も宜しく、稲葉君。即席のペアに負けない連携、見せてやりましょ」
「見慣れた顔と言うのは安心でありますなぁ」
6人乗りのゆったりスペースに2人が乗り込むと、ゆっくりと離陸したヘリはスムーズにランドクラウンの直上へ覆いかぶさる。そのまま真っ直ぐ上昇。僅かな振動を感じた時には2人は空を飛んでいた。
「くそったれ。ここまで来てヘリかよ」
視界の外から響くローター音に舌打ちする逃亡者その1。急ハンドルにも助手席の男は慌てず騒がず、後席の対空ミサイルへ手を伸ばしながらドアを開ける。が、その眉は不審そうにひそめられた。
「‥‥音が変わった。降りた、のか」
2人の手元の無線機ランプが点灯したのはその時だった。
「何だ」
インカム片手にそう告げるジェフ。戦闘はバリー、交渉は彼という分担らしい。
『お前たちは運ぶ荷物と届ける相手の事を本当に判っているのか?』
雑音も無く、クリアな剣一郎の声だ。
「こちとら運び屋でね。相手は問わず、貰うもの貰えば、地獄の底までお届けする寸法よ」
『うちが依頼人やったら、荷物を受け取って運び屋ははいサヨナラするけどね。美味しい話には裏がある‥‥って言うかお約束やん?』
自車の搬出に掛かる剣一郎に代わって悠が説得の言葉を続ける。だが、相手が反応したのは彼女の言葉にでは無かった。
「その音はジーザリオ。‥‥大分、弄っているな」
独り言だからか、バリーの口調が少し滑らかになる。ジェフが掠れた口笛を吹いた。
「って事は、車で俺たちに追いつこうって言うのか? これは舐められたもんだぜ。相棒、ドア閉めろ。ミサイルも仕舞え」
彼らが乗るのはレース用の特注車。得意とは言えないが、荒地用のセッティングで少々の障害は乗り越える。そして、操るのはその道のプロフェッショナルだ。
「オーケィ、追いつけるものなら追いついてみな、子猫ちゃん」
ジェフは陽気にそう告げると、手袋をはきなおす。相棒は肩をすくめて双眼鏡を持ち直した。
「調べてもらったデータからすれば、相手は加速性に優れた車両のようだが足回りはさほどでもない。うまく荒地へ追い込めればいいのだが」
「とすると、勝負は中央の川を越えた丘陵がベスト、か」
通信機越しのレティの声に、硯の後席から正悟が答えた。硯と剣一郎の2台が敵を追走し、レティと徹二が先回りするのが今回の作戦である。手筈が狂わぬよう、各車の通信は密に行われていた。
「自分が敵ならばルートはこの辺りを選びます。この車は追いかけっこには向きませんが、こう回れば先回りも可能かと」
徹二が指で地図を辿った。リンは頷きながら彼の分析を頭にいれる。
「わかったわ」
彼ら2人のランドクラウンは、正面の森林を大きく南へ迂回、下流の橋を渡ってから北へと進路を転じる大回りのコースを選んでいた。
一方、もう1台の別動車のレティは、同乗者にシートベルトを促してからアクセルを強く踏みこむ。双眼鏡を片手に進路を見据える悠と、ショットガンを抱える美海を乗せた車の進路はまっすぐに西。
「大丈夫。キミなら行ける。頼んだぞ? シザーリオ」
少し甘い声でレティは愛車に語りかける。森林と言ってもそこまで密生した場所ばかりではない。レティは悠の目と自車の走破性を信頼していた。
●レース開始
「なるほど、腕前はさすがといった所だな」
剣一郎が唸る。敵の後尾は起伏によっては視認できるのだが、距離が思うほど縮まらない。
「あの森を右に回りこめ。向こうは平地のはずだ」
「わかった。俺自身の眼で道筋は見切ってみせよう」
ナビのリュウセイの支援を受け、ハンドルを切る剣一郎。森の木を中心に、テールがゆっくりとスライドする。
「見切った、此処だっ!」
ブースト作動。段違いの加速が2人をシートへ押し付ける。
「進路左、すぐに戻せ! それからブーストカットだ!」
短く指示するリュウセイに従い、剣一郎は正確にファミラーゼを操った。危険な沼地をスライドで避け、茂みはやや速度を犠牲にしつつも突っ切る。的確なブーストが更に敵との間合いを詰めた。
「くそ、やるじゃねぇか。面白くなってきたぜ」
ジェフが通信機に向かって声をあげる。
「ミサイルなんざ使う気はねぇが‥‥。バリー、闇レースの流儀を見せてやれ!」
「‥‥オイルも、撒き菱もない‥‥。が、これがある」
阿吽の呼吸で発煙筒を折るバリー。風下側、後続の剣一郎の視界から外れるように敵は進路を転じる。
「煙幕か‥‥」
「地図に出るほどの障害はないぞ、鏑木」
硯に決断を促す正悟の声。一度だけ目を閉じてから、見開いた硯の目は深紅だった。
「俺たちの武器、反射神経で勝負をかけます。如月さん、LHトップレーサーのナビに期待していますよ」
「‥‥分かりました」
頷いた由梨の目も赤く、鋭く煙幕の先を見通していた。硯の進路は直進。少々の悪路ならば視野を塞がれていても乗り切れる。
「抜けた!」
「ブーストを」
由梨の指示に、間髪入れずレバーを入れる硯。突っ込んだ沼地がタイヤに絡みつくが、ブーストが力づくでの突破を可能にしていた。
「小細工をすれば俺達が、正攻法なら白鐘が間合いを詰める。やりにくいだろうな」
呟く正悟の視界の中、敵車両は随分大きくなっている。親指と人差し指で四角を作れば丁度いい位に。
「地図に無い道、って奴があるのでありますから、何があってもびっくりはしませんが、いやはや」
地図上では平坦という事になっていた進路は誰かの気まぐれのように起伏が激しかった。墜落した機体の残骸もランドクラウンの行く手を阻む。先日のヨーロッパ解放作戦の余波だろうか。突っ込みかけて、急ブレーキで体勢を立て直した所である。
「とりあえず、自分の双眼鏡を使ってください。仕切りなおしと行きましょう」
「ありがとう、使わせてもらうわ」
徹二がリンへと双眼鏡を手渡した。加速性能に注力した彼の愛車ならば、まだ取り返せるロスのはずだ。
「前方、川! ロスタイムは7秒。このまま直進でっ!」
SASウォッチを片手に叫ぶ悠。木々の間をベタ踏みで突っ切ったレティもさすがに汗だくだ。軽量の美海はもしも身体を固定していなかったら上下左右の振動で大変な事になっていたやも知れない。
「わかった、直進、だな」
「悪路やけどレティさんのシザーリオなら突っ切れるっ!」
グォン、と唸りを立てて浅瀬を目指すレティ達。エレンが用意したのは軍用地図らしく、渡河地点は細かく注釈されていた。
●コースアウト
「しつっこい奴だな。バリー、煙幕は!」
「‥‥もう無い」
同じ車両ならば、ドライブテクで回避できない武器には頼らない、というのが彼らなりのプライドのようだった。レース開始時から2/3を過ぎた辺りで、白鐘、硯の車との距離は既に300mを切っている。しかし、彼らが有効射程に近づくよりも早く、別の爆音が迫る。
「ジェフ、左だ」
「なんだとぉ!?」
丘陵を駆け上がり、そのまま飛ぶように前方へ。レティのシザーリオが文字通り降って湧いた。その後ろドアが開く。
「ズキューンなのです」
顔を出し、ショットガンを構える美海。胡散臭いほど派手にマズルフラッシュが瞬く。
「ぐっ‥‥ペイント、か?」
ペイント弾がフロントグラスを真っ赤に染めた。それでも、速度の差で先行のシザーリオを追い越しかけた所に後続の2台が追い込みをかける。
「出来るだけ安定させる。上手く狙ってくれ」
そう言う剣一郎に親指を立ててから、リュウセイが真剣な顔でギュイターを敵に向ける。短い連射音が、敵車両の後部ガラスを赤く染めた。続いて、右のバックミラー。
「銃の扱いは不得手なのですが‥‥散弾でしたら、当たるでしょう」
未だ紅の瞳のままで敵を見つめて薄く笑う由梨も、スパイダーを構える。さっきの隙をつき、硯は温存していた最後のブーストで、一気に敵の前へ抜け出ていた。再びフロントグラスに真っ赤な弾痕が付着する。
「くそ、前が見えねぇ!」
サイドガラスをあけて前方を確認するジェフ。その瞬間、5つ目のエンジン音が戦場に加わった。
『遅れてごめんなさい。皆、目を閉じてね』
リンの声が通信機から聞こえる。事前に聞いていた仲間達は速度を落としてそれに備えた。
「発射3秒前! 2‥‥1‥‥0ッ!」
打ち出された照明銃が一瞬だけの閃光を生む。視界を失ったレーサーは、とっさの反応でハンドルを切り、ブレーキを踏んだ。
「あーあー、お前たちはもう完全に包囲されているのです。大人しく投降してくださいなのです。お母さんは泣いているのですよ?」
響く美海の声。
「どうする、ジェフ」
車内には火器もあり、人質ならぬ物質に使えるかもしれない貴重な積荷もある。それもあってか、包囲した能力者は制圧を急ぎはしなかった。悠のように、周囲からの奇襲を気にしたという理由ももちろんある。急な逃走に備えて、正悟は敵車をピタリと照準に捉えていた。
『降伏を要請する。車も人も傷つけたくない』
通信機から響くレティの声に、ジェフが不貞腐れたようにため息をつく。
「あー、負けだ負けだ」
「同感だ」
後ろについた2台の連携がなければ、あそこまで差を詰められはしなかった。2台に煽られ、翻弄する為に煙幕を撒いたり余計な動きをしていなければレティに先回りされる事も無かっただろう。そして、3台に攻撃されていなければリンの照明弾に不意を打たれることも無かったはずだ。だが、4対1であっても素人に追いつかれた事は彼らのプライドを著しく傷つけていた。
『オーケー、お前たちの勝ちだ。抵抗はしない』
通信機からの声と共に、改造車の扉が開く。出てきた2人はすぐに取り押えられた。
「犯人確保、なのです」
美海が澄まし顔で頷く。
「罠は‥‥無いようやね?」
確認していた悠が見たところ、積荷も無傷のようだ。
「何とか取り押さえられたのは僥倖だったな。後は荷物を無事運ぶだけか」
剣一郎が言う。
「‥‥俺たちの車も、連れて帰ってくれないか? いい子なんだ」
そんな事を言うジェフにレティが同情を見せたとか見せないとか。結局、飛来したヘリによって犯人達の車とレンズは回収される事となった。
「追いかけるのも楽しかったですけれど、ゆっくりドライブと言うのも悪くありませんね」
由梨が小さく笑う。泥と傷が刻まれた愛車を見るオーナー達の視線は、実に誇らしげだった。