●リプレイ本文
●死者の眠る丘
式典を終え、来賓や警護の多くが去る。それを待っていたように、幾人かの傭兵が慰霊碑の前に立った。記された名を目で追い、白虎(
ga9191)は唇を噛む。被害を抑えるべく動いた彼ら『掃除屋』のお陰で、基地は壊滅を免れたのだろう。しかし。
「強くなりたいよね‥‥誰も死なせなくてすむ位」
「そうじゃのう」
神妙な面持ちで項垂れていた柏木が頷いた。
「兵たちが、信じる神のもとで、安らかに遊ばんことを‥‥」
そしてその命が平和への礎とならん事を、と祈る三枝 雄二(
ga9107)に、宗派を超えて唱和する者も多い。
「私はまだ戦うわ。人間が人間らしく生きれるようになるその日までね」
自分達の戦いを、彼岸から見守っていて欲しい、とファルル・キーリア(
ga4815)は囁いた。彼女がそっと置いた淡色の花束の脇に、無骨な腕が伸びる。
「悪いな‥‥まだそっちに逝く訳にはいかないんだ」
花を捧げてから、ブレイズ・S・イーグル(
ga7498)は半歩横にずれた。碑に向かう傭兵の列は、まだ途切れない。
「何度やっても慣れませんね、こればかりは」
黙祷を捧げた望月 美汐(
gb6693)がそう呟く。
「‥‥ありがとう」
静かに眼を開けたレティ・クリムゾン(
ga8679)は、慰霊碑に眠る者へ最後に笑顔を向けた。
参列するのは、肯定的な者ばかりでもない。
「慰霊、ですか‥‥」
叢雲(
ga2494)は苦笑する。覚悟の末に死した者へ、何の慰めがいるのかと。
「また飲もうって約束を反故にしやがって‥‥。俺は忘れないぜ、お前達が生きていたって事を」
この先も生き抜いて子供や孫に語り継いでやる、と言いながら、榊兵衛(
ga0388)は酒の瓶を傾けた。
「うちも、忘れません」
慰霊碑に刻まれた名を見つめ、不知火真琴(
ga7201)も同じ事を誓う。それは死者の為でもあり、自分の為でもあった。
「私も。この場所で戦った日々は、きっと、忘れないわ」
唇を結んだシャロン・エイヴァリー(
ga1843)の金髪が、夕風に靡く。ありがとう、と呟いた彼女の声は、居並ぶ皆の思いでもあった。
「安らかにお眠りください‥‥」
クリア・サーレク(
ga4864)のハーモニカの音が、肌寒くなった丘を流れる。それが不意に、途切れた。杖に身を預けて立つ守原有希(
ga8582)へと、駆け寄る。
「守原さん、無事でよかった‥‥」
抱きしめる腕は、労りを込めて柔らかく。まず傷を診せてと言うクリアを制して、有希は慰霊碑を見上げた。
「手当てはしてもらってます、し。‥‥やりたい事が、あるんよ」
百地・悠季(
ga8270)にとって、この戦いは絆を確かめ合う機会でもあった。
「あの時お祈り捧げてくれたんだってね、有難うね‥‥」
大切な者が誰一人欠ける事が無かった結果を思い、悠季は安堵に涙する。ジャンヌは、その背を優しく撫でた。自身の胸が、気丈な少女の泣く場所であれば良い、と。
「もうこの石碑に、名前が加わる事は無いのですね‥‥」
2人を見つめ、ハンナ・ルーベンス(
ga5138)が囁く。共に肩を並べたかった、と言う言葉に、ジャンヌは微笑を返した。
「私は戦う力と、語るすべを共に授かりました。ならば、私は語ろうと思います」
少女の示す以前より強い意志に、ハンナは頷く。少しの寂しさを秘めて。
「‥‥彼らの魂に、どうぞ、安らぎを‥‥」
眼を閉じるセシリア・ディールス(
ga0475)の隣で、篠畑も頭を垂れていた。彼ら2人も、有希と同じ任務明けだ。彼より傷が浅かったのは、巡り合わせに過ぎないと判っている。
「余り深刻に考えるなよ」
手を合わせている時間が長かったのだろうか。青年の声に振り返ってから、襟へ手を伸ばした。
「服‥‥埃ついてます」
初めて会った時の事を、思い出す。あれから変わった物と、変わらない物。待つ辛さは変わらずあるけれど、それより大きく膨らんだ想いが胸の中にある。
「‥‥また、撃墜されてたそうですね‥‥」
「ぁー、すまん」
だから、心配であっても待てる、と。握った手の強さで伝えた。
「この種の花言葉、『未来を見つめて』、なんだ」
向日葵の種を植えながら、ユーリ・ヴェルトライゼン(
ga8751)が呟く。何故か麦を植えていた白虎の向こうを、有希の屋台が水を撒きつつゆっくりと動いていた。怪我を負った有希の代わりに、操作しているのはクリアだ。
「此処に眠る人がこの花を憂いなく楽しめる世にせんば‥‥」
慰霊碑に目を向けて、有希がふと呟く。
「守原さん、君があそこに刻まれる事になったりなんかしても、ボクはレクイエムを奏でたりしないんだからねっ」
視線を合わせずに言う少女と、面目なさげに俯く少年を夕日が赤く染めていた。
「まだ何も返していないのに‥‥、いなくなるなんて紳士の行いじゃないです」
他の兵士と変わらぬ大きさで刻まれたモースの名を指でなぞり、霞澄 セラフィエル(
ga0495)が囁いた。確保していたワインを、碑に注ぐ。同じ様な思いを抱いた者がいたのか、碑には既に幾筋かの濡れ跡があった。
「‥‥彼の、名前は‥‥」
柚井 ソラ(
ga0187)は目を凝らす。安っぽくライトアップされた慰霊碑に、人類の敵だった青年の名は無かった。しかし、関わった者達は、彼もこの場に眠っていると信じている。
「ご苦労様でした。大変な毎日だったでしょうが、もうゆっくりと休まれてください」
安い茶マニアの彼には珍しく少し高価なお茶を注いで、ソード(
ga6675)は細い目を閉じた。
「見届けさせてもらいました‥‥。でも少しだけ怒っています」
僅かに湿った声で、霞澄も碑を見上げる。逝った後に残る者の辛さを思えば、そう言いたくもなった。
「私の戦いは、負け続けだわ。今回も‥‥、ね」
守れなかった、と詫びるラウラ・ブレイク(
gb1395)へ、ニナは静かに首を振る。私服のニナは、どこか見慣れない雰囲気だった。
「彼は短い時間でも幸せだったと思いますか?」
佐伽羅 黎紀(
ga8601)の言葉に、ニナはしっかりと頷く。目を覚ますたびに、まず枕もとの花を見ていた青年は、きっと幸せだったのだろう、と。黎紀に今後を問われ、彼女は肩を竦めて見せた。
「自分勝手な主に振り回されるのはもう沢山ですから」
伯爵の下に身を寄せれば保護を受けられたのだろうが、彼女は市井に消える事を選んだ。軍の監視は、一生解けないだろう。
「ですが、私は何も後悔していません。過ぎた日を振り返っても仕方ありませんから」
多くの悔恨を抱える同性達に、彼女はそう言って控えめな笑顔を見せた。
「‥‥一度は落ち着いて飲んで話してみたかったかな」
長い瞑目を終えた秋月 祐介(
ga6378)が、ふと呟く。何も語る事など無いと思った自身の内側から、思ったよりも多くの言葉が溢れていた。
「まあ、60年程先‥‥、かな。貴方に会いに行く前に、済ませたい事をやってきます」
立ち上がり際、懐から出した指輪を指で弾いて掌で受ける。普段は嬉々としてちょっかいを出すだろう大泰司 慈海(
ga0173)は、そんな祐介を見つつ寂しげに笑った。
「一度、ゆっくり酒を酌み交わしたかったね」
碑を見上げて。女性達だけではなく、彼も悔恨を抱えている。先に逝く者を送る度に、感じる不甲斐なさ。それでも、死に損なった者には果たすべき物があると信じて、彼は立ち上がった。
●宴は始まる
「皆、お疲れ様だ」
剣一郎の音頭で、幾度目かの乾杯の声が聞こえる。
「女の子じゃなくてごめんなさい‥‥って前にも言ったことある気がしますけど」
去年ソラの挨拶を聞いた兵士のうち、何割がまだこの場にいるだろう。
「今晩は美汐お嬢様、今宵は貴女の従者を勤めさせて頂きます‥‥なんてね?」
そんな様子を静かに眺めていた美汐へ、五十嵐 八九十(
gb7911)が声をかける。
「あ、五十嵐さん。【従者】の隊長、お疲れ様でした」
しばし言葉を交わしてから、2人は肩を並べた戦友に挨拶に行くことにした。
「あ、榊さんに神撫さん、マドリードではお疲れ様、ですよ」
ちょうど杯を交わしていた2人に、八九十がそう声をかける。
「何かの機会に祝勝会を開くことがあったのなら、また皆と酒を飲みたいな。だから、生き残って必ず勝利を勝ち取ろう」
重々しく杯を掲げる兵衛の隣で、神撫(
gb0167)も頷いた。
「また、一緒に駆けたいね」
「その時は宜しくお願いします」
美汐が会釈してそう返す。他の仲間にも挨拶をしようと歩き出した、美汐がふと足を止めた。
「あ、守原さ‥‥あら? あれが噂の『憧れの人』でしょうか?」
「ほほう。御邪魔にならないようにしないといけませんね」
顔を見合わせ、そっと踵を返す八九十と美汐の姿に、有希とクリアは気付きはしなかったようだ。
「珍しい物を、ありがとうね」
季節物、ということで牡蠣を取り寄せた夏 炎西(
ga4178)に、ベイツについていたエレンが礼を言った。
「いえ。それよりせっかくですから、エレーナさんも楽しんできてはいかがですか?」
「え?」
瞬きしたエレンの手をベイツの車椅子の握りから外し、炎西は微笑した。
「ベイツ少将は御預かりしますよ」
ベイツをチラッと見て、エレンは頷く。
「それじゃ、お言葉に甘えちゃおうかな」
「人を病人扱いするんじゃない」
エレンを追い払うように、ベイツは手を振った。そんなやりとりを、微笑しながら炎西が見つめている。
「さ〜って、じめじめ禁止っと。まずは酒よね、酒。さすがに日本酒はないかしら?」
周囲を見回したファルルに、キョーコ・クルック(
ga4770)が手を振った。
「あんたも日本酒党? よかったら一緒にどうだい?」
1人酒も寂しいからね、と言うキョーコの言葉に甘えて、隣に座るファルル。舞台近くの熱気もここまでは及んでいないが、騒ぎは外から眺めていても判る。
「戦わなければならないのなら、せめてこうやって、みんなで笑いあえる機会が多ければいいわよね」
「この様子をみると、生き残れたんだって実感するね〜」
カツン、と御猪口をぶつけて笑う花二輪。そこに、喧騒の淵からもう1人が歩み寄る。
「あら、シスター?」
「少し、場所をお借りしますね」
そう言ってハンナが取りだしたのは、小さな写真立て。何時撮ったのか、スーツ姿のエルリッヒがそこにいた。小さな紙飛行機と紅茶を置くハンナを、ファルルは横目で見る。記憶にあるよりも、エルリッヒの顔は柔和に見えた。
「今は、暫しの別れを。何れ天にてお会い出来るのですから‥‥」
ハンナの声に、ファルルとキョーコが無言でそれぞれの杯をあげる。
「お疲れさんでした」
「ああ、そっちもな」
東野 灯吾(
ga4411)に頷いてから、篠畑は襟元に手をやった。
「‥‥ずれて、ませんよ」
セシリアが言うが、普段きっちりしていないだけに慣れないらしい。さっと埃を払う彼女に、篠畑が微笑する。
「何か昔も、こんな事‥‥うぉっ」
ばしゃっとかかった薫り高い液体は、セシリアには跳ねないように計算されていた。
「結婚式には呼んでよねっ☆ お祝儀たっぷり用意して、楽しみにしてるから♪」
さっと逃げ出した慈海がイイ笑顔で笑っている。その声で篠畑に気付いたフォル=アヴィン(
ga6258)が苦笑を浮かべた。
「先日は、我が侭に付き合ってくれてありがとうございます。‥‥凄い格好ですね」
セシリアにタオルを借りて顔を拭きつつ、篠畑が片手を上げる。
「これから、どうするんですか?」
「教育部隊に回る予定だ。ま、呼ばれれば今までどおり、前線にも出るだろうけどな」
ちらっと隣を見てから、納得したように頷くフォル。
「そうですか。んま、お互い頑張りましょう」
「ああ。‥‥とりあえず、だ。今日は無礼講だよなあ」
手にしたビール瓶をしげしげと眺める篠畑を、セシリアがじっと見つめる。
「‥‥仕返し、ですか。御武運を、です‥‥」
見物に回るらしかった。
●マドリードの2人
「そういや、何だかんだで長かったっけか?」
「ブレイズ君には、いつも食べ物持ってきてもらってる気がするわね」
ブレイズに、エレンは笑みを返した。エレン宛の料理といえば、リン=アスターナ(
ga4615)特製のボルシチもそうだ。食い気優先で壁際に陣取ったエレンに、真琴やラウラ、霞澄達が挨拶をしていく。これまでの感謝と思い出と、それを胸に先へ向かうという意思と。
「何か‥‥懐かしい、ね‥‥」
ラシード・アル・ラハル(
ga6190)が薄く笑う。エレンとの思い出の中の大事なワンシーンに、その匂いがあった。
「そういえば、リンさんはどこに‥‥あ」
不意に響いた犬の吼え声に、エレンが相好を崩す。
「最近エレンに会えなくて寂しいから、今回は意地でも付いて行く気だったみたいよ、この子」
飼い犬のユーリが、リンの足元で尾をゆっくり振っていた。
「アルから色々話は聞いてるけど、今回は本当にお疲れ様よ。それと、お付き合いおめでとうという処かしらね」
小さく笑った悠季に、エレンも笑いかえす。今日は、久しぶりによく笑っていると自分でも思った。
「あー、えっと‥‥」
そんなドレス姿のエレンに、挨拶によった稲葉 徹二(
ga0163)が口ごもる。
「これを機に結婚すれば? あ、その前に彼女か?」
悠季の隣から、アルヴァイム(
ga5051)がちょっかいを出したが、少年はからかいに乗る余裕も無い様子だった。
「や、今までありがとうございました。お達者で」
「徹二君も、元気で、ね」
エレンが差し出した手を、俯いたまま握る。パッと顔を上げて綺麗な敬礼を残し、少年は踵を返した。
「‥‥あー」
何かを察したように、アルが視線を泳がせる。肩を突付く悠季に振り返ってみれば、人探し顔の国谷 真彼(
ga2331)の姿が見えた。リンが、不意にエレンを抱きしめる。
「――言いそびれてたわ。国谷君のこと、おめでとう。必ず幸せになりなさい、約束よ?」
囁いて離れかけたリンに、今度はエレンがぎゅっと抱きついた。
「リンさんも、ね」
耳元に一声おいて、さっと振り返る。真彼がちょうど、歩いてきた所だった。
「モース少将が、戦っていた場所。そして最後に亡くなった場所は、どこだい?」
問いかける青年の手には、ここに来てすぐに確保したワインの瓶。
「マドリードの空港よ。‥‥私も」
「君の好きなようにすればいい。どこにいたって、僕は君の隣に在ろう」
エレンに最後まで言わせずに、青年は片目を瞑る。
「俺、見送ります」
きゅ、と手を握ってソラが言った。年上の2人は、彼の目から見るとどこかフラフラして見える。ひょっとしたら、心配のし過ぎなのかもしれないが。
「私はあの老人に感謝しなければいけないかもしれないわね。おかげで、私には勿体無いくらい素敵な友人ができたのだから」
リンの声に、吼え声が同意を示すように響いた。
「ミノベ大佐か。俺は、嫌いだったよ。‥‥似てるから、だろうな」
アンドレアス・ラーセン(
ga6523)の問いに、ベイツはそう答えた。片や前線指揮官、片や諜報部門の親玉。性格も似た所などないが。
「俺もあいつも、大勢、死なせてきた」
小銃だけを頼りに死んでいく部下を、上から見る。戦車に乗った自分が行けば、彼らは助かるだろう。しかし、それと引き換えにもっと大きな物を失うと判るが故に、待たねばならない憂鬱。
「しかしな。いつまで待てばいいかは、誰も答えちゃくれん」
おそらく、能力者のミノベも幾度も同じ思いをしてきたはずだ。ミノベは、疲れたのだろう、と言ってベイツは杯を干した。
「そんな時にも、エレンのこと気遣ってくれて、ありがとうございます。アンドレアスも、お疲れさま」
シャロンが男たちの空いた杯に注ぐ。
「いざ一段落して振り返ってみれば、戦っていた時には気付けなかった事ばかりという気もするな」
静かに杯を傾けていた白鐘剣一郎(
ga0184)がそう呟いた。ベイツの痛みを我が物のように感じつつも、ラウラは前を向く。
「皆が繋いだ希望を、人々の笑顔へと繋げる事が何よりの手向けだと思う」
「‥‥そうだな。生き残ってしまった者の、務めって奴か」
ベイツの声に、霞澄が目元を拭った。
「生きていてくれて良かったです‥‥」
そう呟いた少女から、ベイツは苦笑して視線を逸らす。
「ミノベと俺が違うのはな。戦いの後にやりたい事が見つかったかどうか、さ」
カッシングとの暗闘で10年を費やしたミノベは、宿敵が倒れた後の世界に何も見出せなかったのだろう。
「やりたい事というのは、エレンさんですか」
傭兵と兵に囲まれて笑う女性を炎西は目で示す。だが、ベイツは首を振った。
「それもあるがな。ほら、あれだ。アメリカの映画でベトナム帰還兵の凄い兵士が出てくるのがあるだろう?」
戦い終えた異能の兵士が国へ戻り、誤解と行き違いから孤立する物語。最後に彼へ救いの手を延べたのは、彼のような超人ではない戦友だった。
「あの大佐になりたいのさ、俺はな」
その後で、困った時に何度も呼びつけてやるんだがな、と照れ隠しのようにベイツは付け足す。
「ああ。俺たちで力に成れるなら遠慮なく言ってくれ」
神撫がそう言って笑った。
●宴は続き、夜は更ける
宴会というと、芸をしなければ気がすまないタイプは、日本人に多い気がする。宴席の横で、わき目も降らずに演台のような物を組んでいた鯨井起太(
ga0984)と鯨井昼寝(
ga0488)の兄妹もその口だった。
「これより『細かすぎて伝わらない能力者モノマネ選手権』を開催する!」
一方的に宣言した起太の横で、昼寝が胸を張っている。一瞬の沈黙の後、まばらな拍手がパラパラと飛んだ。
「一番赤崎、モノマネやります!」
挑戦に応じるように立ち上がった赤崎羽矢子(
gb2140)が、満座の注目を受けつつ演台へ。
「一つの戦いが終わった。その傷痕は深くとも、人は立ち上がり、それを越えて行くだろう。希望の光がこの地に届く限り」
脳内にいる渋い声の中年に導かれるように、羽矢子は朗々と語る。
「‥‥彼等は闘わねばならぬのだ。その闘いの名は『祝勝会』。酒瓶の林の先に、明日はあるか」
彼女が語り終えた後を、何となく静けさが覆った。
「んー? 反応薄いなー。飲みが足りないぞもっと飲めー!」
わっはっは、と笑う姿は宴会親父そのものだ。その脇で、起太がクールに肩を竦める。
「これだから素人は。僕達が真のモノマネを見せてやるとしようか」
兄の言葉に不敵に笑う昼寝。彼女の出し物はこれだ。
『英国王立兵器工廠のKVである、ナイチンゲールとロビンとリヴァイアサンの搭乗権利はもっているけど、ワイバーンはどうしようかなあ購入しようかなあと毎日考えていたら、自分の身体がワイバーンになってしまったシャロン・エイヴァリー』
犬というより猫科のイメージの少女が四つんばいになって舞台の上をギクシャクと動く。などと書くとどことなく淫靡な匂いが漂うがそんな生易しい芸ではなかった。
「この名と剣を、ウィーン、その身に刻んで、ガシャン! 倒れなさいっ ウィーン、ガシャン!」
ワイバーンの動作音を録音しようと思ったら、現地に一台もワイバーン乗りがいなかった為、効果音は全て口芸である。
「すずりー、ケーキおいしいー? ガシャコン ケーキおいしいー? ガシャコン!」
現地兵士の間で結構人気があるシャロンが題材なだけに、その辺から笑いがそれなりに取れていた。続いて起太が渾身の芸で対抗すべく演台に立つ。彼の出し物はこうだ。
『ワイバーンになってしまったシャロン・エイヴァリーの姿に動揺し、自らもリヴァイアサンになろうと、モヒカンカツラの着脱を繰り返すものの、身体は一向にナイトフォーゲルへと変化せず、途方にくれる硯』
満座が静寂に包まれる中、モヒカンカツラを着けては外し、外してはつけながら右往左往してみせる起太。
「わー、シャロンさーん! シャロンさーん!」
しゅぼしゅぼと効果音を出しながら、うろつく彼だが、観衆の反応はイマイチだった。
「シャロンさんが大変なことになっちゃいましたー!」
そんな声を耳にしつつ。
「‥‥あの2人は‥‥」
怖い笑顔を浮かべたシャロンが、のしのしと舞台裏へ向かっていた。
「健郎のハヤブサもなかなかだけど、俺のディースも頑張って強化したぞ♪」
「R−01もいい機体だ。大事に乗ってやればまだまだ応えてくれるさ」
ユーリと篠畑が、戦場で会うのは今回が初めてだったかもしれない。だが、戦い以外の場所での『戦友』の事を、御互いに忘れてはいなかった。
「お互い、意地でも最後まで生き残ろうな」
「ああ。死ぬ気は無いさ」
ユーリの隣の卓には、マフィンやパウンドケーキ、パイなどがどっさり積まれていた。篠畑の隣でセシリアが神妙に頷いたりしているのは、多分美味しいのだろう。
「‥‥後で、同じ物、作ろうと思って‥‥」
「それは楽しみだな」
桃色結界を作り出した篠畑達はおいて、通りがかった美汐にユーリが手を振る。
「色々作ったんだが、食べていってくれないか?」
「お、ありがとうございます」
まだ美汐と一緒に回っていた八九十が嬉しそうに礼を言った。
夜空を見上げて立つ如月・由梨(
ga1805)の背中に、エレンはふと足を止めた。ソラを制して、1人で近づく。
「由梨さんも、涼みに?」
返事を知りながらも、言葉に出してはそう問う。そんな背中をエレンは幾つも見てきた。
「死に慣れる‥‥嫌なことですね」
ぽつり、とこぼれた言葉は背中越し。足を止めて、エレンはその続きを待った。
「近すぎず、遠すぎない人ですから。ちょっとだけ、愚痴をこぼさせて下さい」
由梨はぽつりと、不安を口にする。戦いに慣れて、いつの間にか恐れが無くなっていた。死を与える事にも、受ける事にも無感動で、そんな自分がふと恐ろしくなる、と。
「あの人の前以外で弱音を吐いたのは初めてかもしれないですね」
最後に、彼女はそう付け足した。
「弱音、吐ける人がいる間は大丈夫よ。‥‥大事に、してね」
去り際、エレンがほんの少し微笑する。家族でも、恋人でも、友人でもいい。人として過ごせる時間と相手がある間は、大丈夫。そう告げるエレンを遠くに見て、ソラが項垂れた。
(「‥‥知っている人が亡くなったのに、泣けなかった。いつか、友達がいなくなっても泣けなくなるのかな」)
慰霊碑を見上げた時に思ったことを、もう一度反芻する。それは冷たく重い石のように、心に沈んだ。
「おや、待たせたかな?」
車を回してきた真彼が、どこか違った空気に首を傾げる。エレンは首を振り、ソラも少しぎこちない笑顔を見せた。由梨はもう、いない。
「ありがと、真彼さん」
ふわっと掛けられたコートに礼を言って、エレンは車に乗り込む。遠ざかるテールランプを見ながら、ソラが溜息をついた。と、同じ様に溜息をつく少年がもう1人。
「‥‥どうしよ」
ラスが後をついてきた理由は、モースの倒れた場所の話を耳にしたからだ。しかし、エレンたちの邪魔をしようとは思わなかった。迷子のような頼りない少年の横顔を、不意にライトが照らす。
「乗りませんか?」
「‥‥フォル」
車の中、フォルが手を挙げていた。頷いて乗り込むラス。ソラは、行こうとは思わなかった。彼らを悼む場に自分が居るべきではないと、思ったから。
一方、舞台裏では。
「昼寝は、もうお酒OKよね? まだまだ注いで上げるから、飲みなさい。そっちも、逃げない!」
ドスの聞いた声で、シャロンが昼寝と起太をアルコール漬けにしていた。
「全く、たまに褒めようと思ったら‥‥」
もへとか、うにょとか異音を発しつつ仲良く転がる兄妹を見下ろして、シャロンは溜息をつく。
「‥‥そういえば、硯はまだかな」
あの騒ぎにも寄ってこなかった所を見ると、外だろうか。シャロンは2人に上着をかけてから、その場を後にした。
●夜と酒、深まり
「伊藤さんも、無事な様で。お互い、生き残りましたね」
挨拶に来たクラークへ、壁際の伊藤 毅(
ga2610)は片手を挙げた。今日は、長話の気分ではない。
「結局、僕はまだ生きてます、か‥‥」
察して立ち去ったクラークを見送って、毅が呟く。その隣に頭1つ低い影がもたれた。
「先輩、また、姐さんを?」
心配げに言う雄二へ、毅は頷く。彼の恋人が逝ったのは、もう10年は前の事だ。だが、バグアへ恨みがあるわけではない、と彼は付け足した。納得いかないのは、自分の事だ、と。
「そうっすか、ならいいです」
行きかう能力者や兵を何となく眺める。うら若い女性の華やかな姿が、幾人も目についた。
「いい加減葬式以外の仕事もしてみたいっすね。第一号は先輩って決めてるんっすよ」
ふと囁いた雄二に、毅は前を向いたまま応える。
「すまんな、しばらくは無理だ‥‥」
無言だけが、その後を埋めた。
「嫌いですよあのじじいは。一人で頑張った挙げ句に勝手にくたばりやがってからに。せいぜいあの世で患者と仲良くしてろってんだ」
やはり隅で、ジュースを手に徹二が呟く。その声を耳にしながら、アスには彼の内心の声が聞こえるような気がした。
「人間とは何か、か」
口に出せば単純だが、答えは容易に出ない課題。それを残して彼方に去った老人と、もう一度話をする事ができれば、と。敵と言う言葉だけで語るには、人間臭すぎる相手だったのかもしれない。
死した人を語る面々を壁際で眺めつつ、叢雲はぼんやりとあの日の事を思う。視界の隅に、何の変哲も無いロビンがいる光景ばかりが思い出されて、らしくないと首を振った。乾杯で一杯だけ飲んだワインに、酔ったのかも知れない。
「叢雲、グラスは?」
「真琴さんも、来ていましたか」
ボトルを手に、注ぐ気満々の姿に苦笑しつつ、叢雲は素直にグラスを出す。漂う芳醇な香りが安酒では無いと主張するが、こんな日にグラスチェンジを言い出すほどヤボではない。
「死者を慰める、というのがどうも、ね」
人が集まるとあれば菓子の1つも作ってくる叢雲が、今日は気乗りしない理由。ポツリと呟いた一言に、真琴はグラスに口をつけたまま、一瞬止まった。
「‥‥叢雲は、死なないで、ね」
聞こえた言葉の割りに、何故か微笑を湛えた真琴を、叢雲は少し怪訝に思う。しかし、言われた言葉は不快ではなく。
「‥‥然う然う死ぬ気はありませんよ。痛いのも辛いのも嫌いですし」
今日は2人ともらしくない、のかもしれなかった。
「お前等の愛で地球を救え涼人ー!」
灯吾はすっかり出来上がっていた。溜息混じりに、柏木が相槌を打つ。
「俺にも誰か紹介してくれー! この際ルイでも構わねえー!」
「‥‥ルイよりはあっちの方がマシじゃないかのう」
指差した先には、いつものメイド姿な総帥こと白虎がいた。
「僕が慰霊碑の前にいたとき‥‥僕の事を『いい子』だと思ったと思うんだ」
ブツブツ言う白虎だが、その声を聞いた関係者は顔に縦線を浮かべつつ首を振る。と、白虎と柏木の間に、白い影が立った。肩越しに柏木へ向けた祐介の視線は、気味が悪いほどに澄んでいる。
「祝勝会も良いが行くべき場所があるだろう」
「行くべき? む」
あっちが来て無いならこっちから行けばいい、と祐介が爽やかに笑った。
「おおお、秋月さん御疲れ様でした」
酔っ払い灯吾に適当に返事をしつつ、祐介は懐に手を入れる。
「総帥達とは、自分が遊んでおいてやるから、さっさと行くんだな」
「すまん、借りておくぞ、教授」
もう教授じゃないんだが、と苦笑する祐介の足元で、灯吾がパタパタと手を振った。
「おーう、またな涼人。‥‥って怪我もう良いんすか?」
「心配はいらないさ、こっちもこっちでやる事があるんでね‥‥って、何をー!?」
懐から取り出した指輪を弾いた瞬間、白虎が正拳を繰り出す。ハート型の指輪がキラキラと光を引きながら宙を舞った。
「闘士の前で2度同じ指輪を見せるとはっ。ああいう人がいるから僕はネタに困らないんだ。僕が‥‥『いい子』のわけないだろうっ♪」
高らかに笑う白虎の前で、祐介が自失した時間はほんの数秒。
「す、すみません。指輪落としちゃったんですが、探すの手伝ってくれませんか!」
恥も外聞も無く床に這い蹲る祐介に、周囲の酔っ払い達も道をあける。中には手伝ってくれる酔狂な者もいたりした。
「こういうのも青春なんでしょうか‥‥?」
「さぁ‥‥」
美汐と八九十や、その辺の有象無象もキョロキョロと下を見回している。
「なんだその‥‥ふぬけた姿は、それが僕と共にリア充と戦った男の顔かー!」
白虎の相手は、誰もしてくれないようだった。いや、約1名の酔っ払いがいた。
「よ、萌えっ子! 虎年だしジュース飲めよ♪」
「う、うにゅ‥‥」
必死に探す祐介の様子に、ちょっとやり過ぎたかもしれないとか思っても口に出せずに少年はジュースを飲む。一口飲んでから、くわっと目を見開く白虎。
「はっ! ボクがあの指輪を教授より先に見つければ、弱みを握れるのではなかろうかっ?」
彼が柏木の事を思い出したのは、祐介の指輪が周囲の協力で何とか見つかってからだった。
(「楽しめましたか? って言うのも変だな。‥‥今日は、笑えましたか?」)
八九十が、心中でそう呟く。声に出したのは、それとは別の言葉だった。
「これ、ブラック・ルシアンって言うカクテルです、甘口で飲みやすいと思いますよ?」
微笑してから、美汐は頷く。その笑みは少しばかり悪戯っぽかったかもしれない。
「升々でしたらお付き合いしますよ」
「‥‥ぇ。それってザル‥‥」
一瞬固まる八九十に、美汐は年齢相応の口調で楽しげにグラスを挙げた。
「では乾杯♪」
●会場の外で
依頼明けの鏑木 硯(
ga0280)は、車庫の脇で飲んでいた兵士の輪にそのまま御邪魔していた。警邏はピエトロ中将手配の部隊が肩代わりしているらしいので彼らも非番ではある。
「地下、行かなくっていいのかい? 俺達と違って主役だろう?」
「こんな格好ですしね」
問われた硯は首を振る。タキシードは泥と血で台無しだが、それだけが理由というわけではない。
「‥‥本当は、皆さんの方が御疲れでしょうから」
「可愛い事いうじゃねぇか。でも、お迎えだぜ?」
笑ってから、兵士は後ろを指差す。
「硯、探したわよ。もう、昼寝達が大変だったんだから」
振り返るより早く、声を聞くよりも早く、香水の香りで誰だか分かった。せっかくの祝賀会なのに、泥だらけの格好になってしまったのが今頃少し気まずい。
「あー、その」
今日は、ここで兵隊達と祝賀会をしたい、と言葉に出す前に。
「お疲れさま。私からも一杯、注がせてもらって良いかしら?」
シャロンが輪に入ると、嬉しそうな声が上がった。
「ファンが多いんだぜ。お前さんもうかうかしてると‥‥、ニヒヒヒ」
「はい、ちょっと詰めて詰めて」
いやらしく笑う兵と硯の間に、ふわっと噂の主が座る。香水の香りだけじゃなく、少しばかりアルコールの匂いもするようだった。
「硯はまだ駄目だっけ、じゃあ一口あげるわ」
口笛とブーイングが飛ぶ中、少年はドギマギしながら差し出されたグラスを取った。
「祝勝会なんだし、あんた達にも飲んで貰わないとね」
戦場跡で、羽矢子が言う。手にしたボトルの中身は、地に吸わせた。逝った友軍の者を思い、敵として散った者を思う。彼らは人として在れたのだろうか。残された身に、その問いは重い。
「迷わず、強く、道を誤らず。そんな女になりたかったけど、あの時と変わらず小娘のまま‥‥だね」
囁いた所へ、車が一台通りかかった。少し間を置いて、もう一台が行き過ぎていく。その道の先にある空港は、今は閉鎖されている筈だった。
滑走路は無残に抉れ、平時は旅客で賑わっただろうターミナルには、二つに割れた巨大な円盤が刺さっている。空で見るよりも、随分と大きかった。
「どうか、安らかに」
呟く声が虚ろに響く。悼む気持ちは確かにあるが、それは真綿の奥のようにあやふやな感触だ。仕方が無い犠牲、と冷静に言う自分がフォルの胸の中にいる。一面の廃墟の中、青年が備えた花の白だけが鮮やかだった。
「‥‥ねぇ、フォル。どうしたらいい?」
掛けえられた声に青年は横を見る。頬を濡らしたラスが途方に暮れたように白い花を見つめていた。戦いの手段ならば幾らでも知っているのに、涙の止め方が判らない、と呟く少年の頭に、フォルはそっと手を置く。
「なら、そのまま泣いて下さい。‥‥それは、正しいから」
泣くべき時に泣けるように、少年が変わった事をフォルは喜んだ。その感覚だけは、まだ真綿の奥ではない。
「もうこんな思いは嫌だ」
俯いて花の白を見る少年に、青年は微笑む。頭に置いた手に少し力を込めて。
「ラス、君は‥‥。君も、普通の人間だから」
言い直したのは、自分の為だったかもしれない。
「‥‥もう、パーティは終わった頃かな。この後、どうしよう」
少年達と同じ滑走路の別の一角で、エレンが言う。
「どこへだってついていくよ。邪魔だといわれたら、ふふ、部屋の隅っこで落ち込んでよう」
真彼の笑顔は、いつもより少し柔らかく。下から覗き込みながら、エレンもクスッと笑った。
「あら。今夜は同じ部屋? それはちょっと嬉しい一言かも。‥‥なーんて」
いつものフレーズを言いかけたエレンの唇を、真彼が塞ぐ。引き寄せた身体は一瞬強張り、すぐに重さを預けてきた。
「冗談には、させないぞ」
「‥‥はい」
からかったように見せるのは不安の裏返しだと、誰に聞いたわけでも無いけれど。青年はそういう嘘は良く知っていた。
●そして再び、戦友の眠る地から
夜の、慰霊碑へ続く道。
「全員で生きて帰るって契約は、まだ有効だからな。またどっかの戦場で会おうぜ」
「ええ。頼りにしていますよ」
駐車場で会ったアレックス(
gb3735)とクラーク・エアハルト(
ga4961)は立ち話をしていた。話し半ば、少女の姿に気付いた青年は微笑して踵を返す。
「俺達は関われなかったが、あの戦いで幾つもの因縁に決着が着いたみたいだな」
近づいてきたトリシア・トールズソン(
gb4346)へ、少年は言った。暗闇で見えぬ要塞を睨む彼の隣に立って、少女は静かに告げた。
「次は一緒に戦うよ」
少年についていくには、少女の翼は短く。だから、この戦いを待つ事を選んだ。離れて戦っていた時間の、辛さや心細さを経て、彼女が出した結論を、少年はいつものように自然に受け止める。
「‥‥分かった。元々、待たせるのは好きじゃないんだ。戦おう、生き残る為に」
ぎゅ、と抱きしめた体から、不安が流れて落ちた。
「なんだ、考える事は一緒ですか。一緒に行きましょうか?」
若者の邪魔にならぬよう、道を違えたクラークが先客に苦笑する。
「『貴重な酒を石にかけるな!』とどやされそうだが、ね」
手にした瓶を掲げて、アルが頷いた。少し坂道を上がれば、碑の有る広場だ。
「物好きが多いことだな」
ギターの手を止めて、須佐 武流(
ga1461)はそう呟く。祝勝会が盛り上がっているだろう時間に、この場を訪れる人間がこんなにいるとは、と。人気の無い時間を選んだつもりだったレールズ(
ga5293)が苦笑した。
「そうですね。‥‥ですが」
思索にふける程度の孤独さは、少し歩けば手に入る。歩き去る彼の背を見送り、武流は再び弦へ指を伸ばした。
「お前を倒した俺は‥‥先に進む」
目標であり壁だった老人へ、彼は誓う。それが、自分達の為すべき事だから。
レールズもまた、老人の死に喪失感を感じていた。人間の在り方に憤り、それでも最後の所では信じる事をやめていなかった老人は、自分の似姿だとも思う。
「‥‥どうしたの? そんな顔して。いい男が台無しよ?」
リンの声に、青年はふと我に返った。随分長いこと考え込んでいたのか、体が寒い。
「ごめん、ここまで長かったなっと思ってね‥‥」
彼女の腰に手を伸ばした。あの老人と自分は違うと、今は思える。愛する人がいて、信ずる友がいるのだから。
「ありがとう、ご老人‥‥。俺達は、人類はあなたを越えてまた一つ成長しますよ」
見えぬ稜線へ帽子を取り、レールズも頭を下げた。
「‥‥おや」
地上の滑走路を歩いていたレティは、夜空を切り取ったような知人の姿に首を傾げた。黒のコートと咥えた煙草、旅人然と下げたアタッシュケース。
「次の為に、ね」
そう言うUNKNOWN(
ga4276)のK−111の脇へ、レティは愛機を並べる。目指すは同じく、空。当直の管制に労いの言葉を投げて、レティの機体は南へ向かう。戦いで荒れた地に種を散布したい、とヘリの手配を依頼した彼女へ、ベイツは首を振った。それならば、あの空を彼らと共に戦った翼で未来の種を蒔いてこそだろう、と。
「これが私の祝勝と慰霊だ。‥‥受け取って欲しい」
レティの声に、UNKNOWNは微笑した。自分が前へ進む間に、レティがほんの少し後ろを振り返ってくれる。それは彼にとって好ましい事なのだろう。人は同時に何もかも見ることは出来ないのだから。
「――乾杯」
高く空へ向かいながら、UNKNOWNはグラスを掲げた。
「嫌いな奴もいるだろうが、好きなやつは無いと寂しいんでね」
神撫が火をつけた煙草を一本、置く。夜空をゆくKVの航跡を見上げて、ふと自分は強くなれたのだろうかと、思った。勿論、碑から答えは無い。
「‥‥長い別れになるが、土産話は一杯用意してやるよ。地球解放の物語だ」
期待しておけ、と微笑してから吸殻を拾い上げる。
「じゃあな、戦友」
答えるように、強い風が短い髪を弄った。