タイトル:黒い残照マスター:紀藤トキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2009/10/04 23:23

●オープニング本文


「バロウズ中佐は、減刑無しの終身刑に決まったよ」
 開口一番、美沙はそう告げた。軍法会議であれば死刑は免れないだろうが、情報源としての利用価値を考慮したようだ。
「奴が移送されてからというもの、あの辺りでは軍務放棄と逃亡、それに拳銃自殺が流行っているらしいな」
 苦笑しつつ、彼女は肩を竦める。内通者の処理については、彼女の担当ではないらしい。
「お前達に来てもらったのはアレについてだ。カッシングの置き土産、だな」
 内容については、直属の上司にのみ報告したがそこで止めている、と美沙は言った。
「興味があったんだろう。向こうから突付きに来たよ。こっちは表向きとはいえULTの広報なんだから、当たり前のような顔して軍服で来るなと言いたい」
 彼女が愚痴っている間に、傭兵達が揃う。眼鏡を押し上げてから、美沙は資料を放り投げた。
「こんな任務を受けに来る以上、知っている奴がほとんどだろうがおさらいをしておくぞ。過日、ゾディアック天秤座のクリス・カッシング縁の村を調査した結果、奇妙なデータチップが発見された。パスワード式の暗号化を施されたそれは、奴から我々‥‥というか、傭兵へのメッセージだった、と思われる」
 ここまで一息に言ってから、彼女は資料の表紙を指差した。『閲覧後・消却』と印が押してある。
「読んだら、返してくれ」

>親愛なる、能力者諸君。
> 君たちがこれを読む時、もしも私が実質的な意味で生きているならばこの情報は役に立つまい。
>だが、単に心を強く持つという程度では、バグアの寄生に対抗できる可能性は極めて低いと言わざるを得ない。
>よって、私は自らの最後の実験結果によって自らが怪物となった場合に備え、自身の処分方法をも検討する事とした。

>実験に入るのは、君達がその実行が可能なレベルに到達した物と判断した故でもある。
> 君達に託したい情報とは、ある特定条件下において、私の腕の自由が利かなくなるように、自らを条件付けしてある事だ。
>バグア寄生体は脳の記憶や思考を司る部分にその多くを依存すると推測される為、
>いわゆる条件反射までを制御する事が困難であろうと予測した。
> 何処かで私の外見をした怪物に遭遇したならば、上記の実験結果を確認してくれる事を期待している。

> なお、自身への後催眠により、これらの情報は私自身も忘却するよう試みた。
>バグア寄生体は、寄生された本人の知る物をのみ利用する傾向が見られるゆえ、これは有効な対処だと考える。
>が、それが誤りだった場合、君達に著しい危険がある事を警告しておこう。
>   CC

 しばし、紙を繰る音だけが室内に響く。それが一段落するまで、ヘビースモーカーの美沙は煙草に手もつけず瞑目していた。
「‥‥状況は、理解したか? ならば、依頼についてだ」
 彼女は座りっぱなしの椅子から立ち上がり、机に手を突く。
「1つ。奴のメッセージの意味の理解、並びに必要な調査、資料その他の確認。まぁ、アレを利用するにつき、お前達が必要だと思ったものを挙げてくれ。可能な限り揃えておこう」
 彼が記していたのは、自身の『条件付な弱点』だ。その条件を引き出す為の準備は、整えておくに越した事はない。
「最近、あの老人を前線で見かける事が無いが‥‥、いずれまた出てくるだろう。敵の思い通りに動かされているのは癪だよ、全く」
 そう吐き捨てるようにつけたしてから、彼女は続ける。
「もう1つ。この情報をどこまで広げるか、だ」
 利用できるのは、おそらくはただ一度。実際にカッシングと対峙する人間、つまり能力者達に広めるか、それとも現在それを知っているだろう、少人数に止めるか。
「機密保持の観点から言えば、後者にしたい。だが、有効に利用するならばある程度の周知が必要だ。このあたりを、実際に使うだろうお前達に決めてもらいたい」
 能力者の枠以上に流布するのは、論外だと美沙は思っていた。軍内部、であってもだ。俯いたまま、やや早口に言葉を並べる。
「あの男は、犯罪者で異常者だ。自分がバグアと戦いたい、あるいは実験したい、か? その為に何百人犠牲にした? そんな男が、まかり間違えばマスコミあたりに英雄的犠牲者扱いされかねん」
 上げた彼女の視線は、鋭い。その目で傭兵達を見据えたまま、彼女は言った。
「‥‥敵に敬意も同情も不要だ。我々が勝利するために利用するだけでいい」
 忘れるな、と付け足した彼女の背後のキャビネットには、多くの事件と犠牲者達の情報が詰まっている。
「それから、今回の依頼はこの情報が罠ではないと仮定してくれ。罠、あるいは無効な場合についての対策は、別のチームで行う」
 もっとも、と美沙は唇をへの字にしてから静かに付け足した。
「‥‥あの老人と長い付き合いの身としては、これが罠だとは思えないんだが、な」

●参加者一覧

黒川丈一朗(ga0776
31歳・♂・GP
ロジー・ビィ(ga1031
24歳・♀・AA
須佐 武流(ga1461
20歳・♂・PN
国谷 真彼(ga2331
34歳・♂・ST
リュス・リクス・リニク(ga6209
14歳・♀・SN
アンドレアス・ラーセン(ga6523
28歳・♂・ER
フォビア(ga6553
18歳・♀・PN
瑞姫・イェーガー(ga9347
23歳・♀・AA
夢姫(gb5094
19歳・♀・PN
杠葉 凛生(gb6638
50歳・♂・JG

●リプレイ本文


「揃ったな。椅子は適当に広げてくれ。コーヒーはそこから勝手に淹れ‥‥、ああ、たまには私が淹れよう」
 長丁場になりそうだと思ったのか、普段よりも気遣いを見せる美沙。入り口脇にいた柿原ミズキ(ga9347)が、おずおずと周囲を見る。
「‥‥倒せるかもしれない。なら、このチャンスを逃すわけには行かない‥‥、と思ったけど」
 事件に関わった事も無く、カッシングに思い入れも無い。そんな自分がいてもよいのか、と僅かに悩む。
「時間も縁も、気にする事は無い。俺も、カッシングに関わってからたった3ヶ月だ」
 その割りに、深入りしすぎたかもしれない、と杠葉 凛生(gb6638)は言う。だから、それ以外の目も貴重なのだと。
「私も、カッシングさんには会った事がないんです」
 生きている間に、一度会ってみたかったと夢姫(gb5094)が寂しげに笑った。共感、あるいは敬意すら孕んだ空気に、須佐 武流(ga1461)が異を挟む。
「‥‥奴の言う事を利用するのはいい。が、踊らされるのは、まずくないか?」
 彼は、自分も含む全てがあの老人の思惑通りに動かされている気がしてならない。その状況が、気に入らなかった。
「そうだな。まずはこの情報をどう扱うかを決めたい。細目はそれからだ」
 いいか、と言うように美沙は黒川丈一朗(ga0776)を見る。カッシングに関わりがあり、存命中の者は少ない。その安全確保をまず挙げていた彼に気を遣ったのだろう。
「リサ達の安全が第一だという意見は変わらない。『条件』が2人に関わる可能性がある以上、公開には反対だ」
「‥‥リサ? タケル、リサが来る、‥‥の?」
 椅子の上で膝を抱えていたリュス・リクス・リニク(ga6209)が顔を上げた。
「‥‥今日はいないけれど、来て貰う事になる、のかも」
 リニクの頭をフォビア(ga6553)が撫でる。その少女を気にかける点では、彼女も負けてはいない。
「リサ君とカノン君。その2人以外に、カルテに名のあった人物で生存が確認できたのはもう1人。エルンスト・バラシュもあの村の出身だったようですね」
 資料の入った封筒を美沙へと返し、国谷 真彼(ga2331)は言う。もっとも、治療を行なった者で所在がわかる、と限定するならばリサだけだ。
「調べに拠れば、あの日にたまたま村を留守にしていた住人もいなかったようだな」
 美沙が補足する。現地軍は、今までの失態を取り返そうとするように精力的に動いていた。
「俺は広めた方がいい、とは思うんだがな。大勢が関わる方が、奴を倒せる可能性が増える」
 腕組みをしたまま、アンドレアス・ラーセン(ga6523)が言う。内心では、自らがケリをつけたいと思っているだけに、その表情は苦い。
「私は反対です。今回のあたし達の推測が空振りに終わった時、余計な犠牲を出してしまいますわ」
 対するロジー・ビィ(ga1031)の言葉に、フォビアが頷く。
「これが罠じゃないとは言えない、し‥‥」
 言葉を選ぶようにそう言うミズキをチラッと見てから、武流も同意するように首肯した。これが、敵からの情報を元にした賭けであるのは間違いない。
「私は、カッシングさんに長く関わってきた方の意見を尊重したい」
 夢姫は詫びるようにミズキへ会釈してから、丈一朗とリニクを見た。リニクは、興味なさげに首を振る。カッシングを追っていた少女は、自分の届かぬ間に勝手に死んだらしい老人に複雑な思いを抱いてここにいた。夢姫はついでフォビア、最後に美沙へと視線を向ける。
「私、か?」
 驚いたように言ってから、美沙はかすかに笑う。彼女自身には、語るべき意見は無いのだと。
「そう言ってくれた気持ちは感謝する。が、相手はおそらく規格外の生き物だ。私の常識は通用しないだろう」
 それに、長く付き合ってしまうと先入観が目を曇らせる。これまでの幾度かの失敗を思うように、彼女は自嘲した。
「僕も、それについては保留とさせて貰おうかな」
 真彼が多数に従う意志を示したのも、同様の理由だろうか。集合時間の少し前に美沙の下へ来ていた彼は、美沙が背にしていた資料の閲覧と共に、彼女の重荷をも背負ったのやも知れない。凛生が机をコツコツと叩いた。
「俺も、公開には反対だ。これは、あの男が行なった最期の実験なのだろう。ならば、関わってきた俺達がその結果を見届ける事が相応しい、と思う」
 カッシングがどう望んでいたかは知らないが、と凛生は付け足す。発言者が一巡したのを確認して、美沙はゆっくりと立ち上がった。
「反対多数、のようだな。ラーセンは?」
「‥‥解った。従うさ」
 アスは肩を竦める。内心では望んでいた結果ゆえに、その思いは失望のみではなかった。


「で、肝心の条件だが‥‥。地下の扉の条件は、血だったな」
 凛生の言葉に、夢姫が考え込む。ヒントの場所が天と地。白のハンカチと、赤い血。その事に意味があるのか、と。美沙が首を振る。
「奴は現実主義者であって、オカルティストではない。と私は思う。それから、地下の血だが‥‥」
 後日、確認された所によれば『能力者の血』に反応する仕掛けだったらしい。それ以上の意味がそこにあるのかどうかは、判らないが。

 カッシングが執着していた何かがキー、という事で傭兵達の意見は一致していた。
「カノンは守りますわ。何があっても」
「リサも、だ。危険に曝すような事は認められん」
 口々に言うロジーと丈一朗を、武流が一瞥する。彼は、そもそもその2人を巻き込む事が間違っているのではないか、と思っていた。もしも敵の手が伸びたならば、自分たちの傍が一番安全だ、と丈一朗は言う。が、『今の』カッシングがその2人に注意を向けていないのならば、この件に関わらせる事自体が敵の目を引く事になりかねない。
「守る構えを見せれば、そこに何かあると教えているようなものだからな」
「ふむ。ならばリサとアルの身柄はLHに移すように要請しよう。それならば、怪しまれる度合いも少ない筈だ」
 カノンに関しては、既にLHにいる故に要請の必要は無いだろう、と美沙は言う。
「カッシングと言えば大鴉だが‥‥条件とは関わりはないか?」
「判りませんわね。美沙、鴉の出る場所について何か判りませんの?」
 凛生の言葉を聞いて、ロジーが美沙へ尋ねた。例の大鴉キメラの目撃報告については、彼女の所でも取りまとめているらしい。
「全てが奴のキメラとは限らん。普通の動物型キメラも混ざっているかも知れないが‥‥」
 この数ヶ月、目撃報告の数に大した変化は無いという。ただ、カッシングと思しき声との接触報告は、パタリと絶えていた。
「翁は『後催眠』によって、といいました。特定の事柄を思い出さないようにする事は?」
 真彼の問いかけに、美沙は資料を広げる。古くからある催眠療法や、バグアによる催眠操作などを纏めたものだ。その上に、もう一冊。
「国谷に言われて、例の地下で見つかった装置の記録の復元を行っていた。消された時期は、ダイヤモンドリング作戦の後だ。正確に言えば、第二次作戦と第三次作戦の間、だな」
 例の執事に手帳を託したのは、第三フェイズの直後だ。その以前、ファームライドを落された後からカッシングは作業を始めていたらしい。アナログな書面も好んだが情報処理に疎かった訳ではない彼が、データの破棄を本気で行ったのならば、回収は難しかったはずだ。
「しかし、実際はインデックス‥‥目次を消していただけだった。データ自体は丸ごと残していたよ」
「それも何らかのヒント‥‥かもしれませんね」
 カッシングによれば『患者であり実験対象』であるらしい男、元蠍座エルリッヒ・マウザーのデータがそこにあったという。カッシング自身は、その実験は失敗だったとまとめていた。敵対するはずの両者の人格が認め合うという事は、彼にとっては失敗であろう。
「まぁ、失敗作だと断じつつも、将来を案ずるような事も書いていたが、な。バグアに於いて、裏切りは万死に値する事らしい」
 1つの体に同居させられた2つの人格の記憶と感情は、落ち着くべき所に落ち着いたのか、それはまだ判らない。


「記憶ってのは脳以外にもあるって話はある‥‥けど」
 相手が医学に精通しているらしいだけに、そんな事に気づかない事は無いだろう、とミズキが言った。
「いや、人体を熟知しているのはカッシングだ。バグアとは別、かもしれない」
 その差が生きる可能性もある、と美沙が口を挟む。
「‥‥インデックスだけを消して、記憶は眠っている、‥‥か。それを呼び覚ますのが条件、かもしれん」
 再び、凛生が考え込んだ。
「信仰ってのも何か有る気もする。ボクからすればよく分からないけど‥‥」
 縁が無い分、問題を提起する側に回ろうと考えたのだろう。ミズキの言葉に、議論が活気付く。
「教会の鐘の音は、普段の生活に無くてはならない物の筈ですわ」
「十字架が無かったのも、こうしてみると気になるな‥‥」
 が、調べた結果、あの教会へ最後に聖職者が派遣されたのは、カッシングの生まれる更に前だった。前世紀の前半に、子供が生まれた場合は街で洗礼を受けるようにという通知が出ている。あの建物が教会だったのは、本当に昔の事だったらしい。それが故の、名も知れぬ村だったのだろう。
「‥‥生まれた場所には神も無く、か」
 アスが紫煙と共に言葉を吐く。
「腕が利かなくなる、ってどういうことだろう。勿論自分の、だよね?」
 再び、ミズキが疑問を口にする。
「腕の自由が利かなくなる‥‥腕を使う反応?」
 自身の腕を見るフォビア。実戦で行えない方法では弱点になりえない、という彼女に武流が頷く。
「やはり、あの2人を戦闘に連れ歩くのは、違う気がするな」
「戦闘で追い詰めれば、というわけでもなさそうですね」
 真彼が首を傾げた。無意識に、起きる事象のはずだ。意識下であれば、そもそもバグアに察知されない筈は無い。無意識に出るような、癖を知る者といえば。
「人間だった頃の、カッシングを知っている‥‥使用人とか、は?」
 フォビアに問われた美沙は難しい顔をする。カッシングが裏社会に姿を消す以前の事であれば証言も多いのだが、近年の彼を知る者はいない。
「10年以上前の事であれば、判るかもしれんが」
 期待は出来ない、と彼女は続けた。しかし、その発言に触発されたように夢姫が考え込む。
「『怪物』を止めるのは『人』だった頃の記憶? ‥‥村での想い出?」
 一見して平和そうだったあの村。時に取り残されたようにも見えたあの風景は、訪れた面々には忘れがたい。
「ふむ。『あの方はご自分で診た患者は絶対忘れない』‥‥だったか」
 呟いた凛生へ、一同の視線が向いた。それは、あの村に平和裏に訪れた時の事だ。患者に挨拶をされたカッシングは手を上げて名前を呼んだ、と村の住人は言った。用事が無いときに声を掛けるのを、親が禁じる程に。
「‥‥それかも、しれない」
 フォビアが目を閉じる。
「そうだとしたら、やはり‥‥巻き込むことになるな」
「患者の写真や音声・映像では効き目はないだろうか?」
 乾いた口調で言う武流。凛生の言葉は諾とも否ともいえない。美沙は連絡を取る際にそれも確保しておくと約した。


「それ以外に、しておくべき事は何かあるか?」
 赤みを帯びてきた陽を背に、美沙が言う。いつの間にか、数時間が過ぎていた。
「閃光手榴弾などを準備してもらえますか。多いほうがいいでしょう。どの道、追い詰める為には必要だ」
 真彼が口にしたのは、ある意味現実的な提言。しかし、美沙は残念そうに首を振る。
「我々が物を動かせるのは、主に事が起きてからでね。1つや2つなら、私の手元に用意は出来るが‥‥」
 言いよどむ彼女に、できる限りで構わないと真彼は言う。
「そういえば、カッシングが育ったと言う‥‥、あの村を眼下に収める山の城。城はまだ残っているのだろうか」
 凛生がふと尋ねた言葉に、美沙の表情が引き締まった。
「それについてだが‥‥。残っている、等と言うものではないかもしれん」
 現地軍が目を瞑っていた間に、あの村へ流された資材のリストが上がってきた時、彼女は既視感を覚えたという。
「グラナダに、流れていたのと同じだ。‥‥例の小型ギガワームの材料、だよ」
 あの村には、それだけの物資を要する物は何も無かった。どこに消えたのか。あるいは、何の為に消えたのか。
「調査は初めている。何が出ても驚きはしないが」
 背後には、グラナダ同様にカルパチア山脈が控えている。土質が違うとは言え、バグアが本気で山岳要塞を構築する気ならば掘り抜けるやも知れない。あるいは、それ以外の何か、か。

「エルンストの足取りはわからないか?」
 アスの質問を耳に、ロジーも美沙へ問うような目を向けた。が、それについても美沙は首を振る。
「確実には、わからない。FR程ではないにしろ、あの男の黒い鹵獲機もこちらの哨戒網をくぐる程度のステルス性をもたされているようだ」
 ただ、カッシングが作戦として企図していたであろうラインを考えれば、『北』というのがどこなのか想像はつく、と彼女は言う。
「‥‥グラナダ、ルーマニア、そしてロシア。カッシングは欧州を裂くように楔を打つつもりだったのかもしれん」
 その作戦は人類側の欧州、極東ロシアでの反抗作戦により挫かれたのだろう。挫かれる事まで計算のうちだったのか、どうか。
「買いかぶり過ぎだな。おそらくは」
 言いながら、彼女は3つの地点の中の『北』を示した。中部ロシアのどこかに彼はいる、と。

「カノンに、連絡つけるんだろ? 伝言を頼んでも、構わないか」
 ぶっきらぼうに、アスが言う。直接伝えるのが最上だが、それが適わないのであれば、せめて。
「会えたら、聞きたいこともあったけれど。僕は遠慮しておこう」
 真彼が囁く。アスは、『俺は還って来る。お前が、いるから』としたためてから、メモ用紙を2つに折った。
「確かに、預かった」
 受け取った美沙の、デスクの上の資料をリニクは見る。あの男は、そこにいるのだろうか。
「‥‥お前は、何が、したいの‥‥? ‥‥お前は、何のために‥‥そこにいるの‥‥?」
 その答えを聞く機会は、もう永遠に訪れない。少女に真実の欠片だけを残して、彼は去っていったのだから。

「過去に囚われる生き方しか出来なかった老人‥‥。それ以外の生き方を、私は知っている‥‥」
 一足先に退出したフォビアは、夕日の差す道でそう呟いていた。色々な時に訪れた、猫達の集う場所へと向かう。
「私は貴方の影を越えて、前に進む。貴方が残した過ちに立ち向かうことで――」
 決意を秘めて呟いた少女の指先を、猫が舐めた。