●リプレイ本文
●出発前:執務室にて
「本当に、一人残らずですか」
国谷 真彼(
ga2331)の言葉に、美沙は頷いた。あの診療所に向かった村人は、生きる為にそれを選んだのかもしれないと、彼は思っていたのかもしれない。いや、望んでいたのか。
「屋根裏‥‥、いや、地下室に隠れれば助かる人もいたんじゃないんですか」
生き延びたかった者もいたと、美沙は告げた。診療所に集まった後に、逃げ出した幾人かが射殺されていたと言う。診療所の地下室は、深かった。そこに逃げ込めば助かったかもしれないのに、と青年は思う。
「‥‥どうだか、な」
写真が裏返される前の一瞬を、拳闘で鍛えられた黒川丈一朗(
ga0776)の目は見逃していなかった。背中から撃たれて、と美沙は言った。誰にとは語らなかったが、写真を見れば判る。異形の爪のようなものが刺さったままの遺体が、そこには写っていた。
「逃げる女の人や子供まで撃つなんて、ひどい‥‥」
ぽつりと漏らした夢姫(
gb5094)に、美沙は真実を知らせるのを躊躇って写真を返したのだろう。逃げかけた村の女子供らは、同じ住人の手で殺されたのだ、等という真実を。
「‥‥」
吐き捨てる言葉も無く、ただやるせない思いを抱える丈一朗の横を、真彼の手が伸びた。
「この写真は、頂いても?」
「‥‥必要なら。扱いは慎重にしてくれ」
美沙の返事に頷き、懐へと入れる。カルテにあった名前と遺体を、彼は可能な限り照らし合わせるつもりだった。吹き飛ばされ、完全に焼け落ちた教会の様子からすれば、全員の特定など不可能かもしれないが、それでも。
「逃げたかもしれない誰かを、探すつもりか?」
「できれば、それも考えたい所ですが。‥‥誰が、どのように亡くなったのかを知っておきたい」
最後の瞬間に生に望みを持ったのが誰か。諦めて炎に呑まれたのが誰か。名前も知れぬ遺体が100人分ではない事を、青年は刻んで置こうと言うのだろう。その様子を、壁際からアンドレアス・ラーセン(
ga6523)がじっと眺めていた。
「背負う十字架ばっか増えてくな‥‥」
空爆で死んだ村人達と、おそらくはあの中佐やその同僚に殺された美沙の同僚と。失われた命と未来を思えば、青年の胸は重い。能力者になって幾度か味わった痛みだ。慣れる日が来るとは思えなかったが、今は痛いよりもただ重かった。
「一体何の為に‥‥、誰の意図で‥‥?」
ロジー・ビィ(
ga1031)が呟く。現地軍に黒幕が存在する事、それ自体は彼女達の誰もが疑っていない。しかし、空爆を企図したのが誰で何故なのかについては予想が出来なかった。辻褄が合わないことが多すぎるのだ。
「カッシングが彼らの生死を『選んだ』なら‥‥。ノアの箱舟の話を思い出すな」
杠葉 凛生(
gb6638)が言う。ノアが箱舟から最初に放ったのは、鴉だったらしい、と面白くも無さそうな顔で続けた。カッシングの使い魔、とでもいうのだろうか。目となり口となっていたキメラの姿が連想される。ルーマニアの駐留部隊が、長きに渡ってカッシングに飼い慣らされていたという美沙の読みが正しいならば、空爆もカッシングの『選別』であるというのが最も自然ではあった。しかし。
「カッシングさんが空爆を依頼したとは思えない。‥‥思いたくない」
その夢姫の言葉もまた、傭兵達の実感だった。あの老人との関わりが深みに嵌っている者ほど、そこに違和感を感じる。カッシングが見せる奇妙な、そして強烈なまでの拘りが、あの村への空爆を許さないだろう、と。
「‥‥現地軍が証拠隠滅を図った、というのもありそうな話だが‥‥」
凛生の言葉は、途中で途切れた。ありそうな、というだけでそれに飛びつくには、彼の人生経験は長すぎる。真実への確実な証拠を持っているのは、おそらく護衛対象のバロウズ中佐だけなのだろう。
「その為にあの男を守らにゃなんねぇのは皮肉だがな‥‥」
アスの声は、苦々しかった。良くある事だ、と美沙は言う。言う間にもう一本、灰皿の中の煙草が増えていた。
「そんな話を聞くと、あんまり気乗りのする護衛対象じゃないですね。こんなこと言っちゃ駄目なんでしょうけど」
写真を手にした鏑木 硯(
ga0280)の声に、美沙は苦笑を返す。リュス・リクス・リニク(
ga6209)は冷め切った目で資料の中のバロウズ中佐の姿を眺めていた。この中で、この少女が一番冷めているのかもしれない。軍の上層部というだけで、彼女にとっては嫌悪の対象だ。生きようが死のうが、毛筋1つも心は揺れない。付き合いの長い少女のそんな様子に、丈一朗がふと声を掛ける。
「‥‥リニク?」
「‥‥ん、何‥‥?」
軽く首を振ってから、少女は首を傾げてみせた。部屋の隅にいた望月 美汐(
gb6693)が、チラリと目を向ける。少女の声の響きが、暗い過去を持つ自分の心の何かに触れる気がした。
●出発前:求める物
「‥‥せめて、真実が知りたい」
アスの囁き声は、この場に集まった面々の多くに同意されるものだったろう。しかし、アスの隣で紫煙を吐いていた御影・朔夜(
ga0240)は、今回の依頼で予想される『敵』にこそ、興味を持っていた。
「強化人間クラスの敵、か」
自身の諦観にも似た退屈を、その敵ならば終わらせてくれるのだろうか。期待をする自分を、心のどこかが笑っている。何もかもに感じる彼の既知感は、激しい戦いの中ではより強くなるだけだった。
「‥‥以前に会った相手かも、しれませんね」
硯は、そこに幾度か対峙したカッシングの『執事』の影を感じていた。朔夜もまた、硯と共にロシアの大地で刃を交えた相手だ。容易な敵ではないと、知っている。青年の中の渇望が、期待の色を帯びた。
「‥‥そいつなの、かな?」
「誰であれ、爺の配下なのは間違いない、と思う」
リニクの声に、アスが答える。
「犯行の手口からすれば、相手は2組かもしれない。翁本人の可能性もありますね」
真彼が口元に手を当てて考え込んだ。最初の2人の殺害が陰に潜むように行われたのに対して、次の事件は毛色が違いすぎるのだ。
「‥‥どんな方なのでしょうね」
仲間達の会話に耳を傾ける美汐の胸中を占めるのは、顔も知らぬその復讐者を止めたいという思いだった。復讐は誤った道だと、彼女は思う。だから、止めたい。その願いもまた、仲間達の多くが共有している。
カッシングからのメッセージにかけられた暗号について室内の会話が向かい始めると、朔夜は壁から背を離した。
「興味はない。――が、紐解ける事を願っているよ。開けられるのなら是非もない事だ」
部屋を出る彼に、リニクと美汐も続く。
「‥‥探求者、復讐者、医者と犠牲、人間、生きている、‥‥か。6つだな」
相談の結果、美沙に託す言葉はそう決まった。カッシングが自身を指すのに使うだろうと、傭兵達が思った言葉。おのおのが自信と幾許かの不安を見せる中、『生きている』を選んだ夢姫だけは違う思いを持っていた。
「私は、みんなに生きていてほしいから」
少女だけは、カッシングが自称するだろう言葉を予測したのではなく、あの老人に自分が望むことを選んだのだ。それが吉と出るか否かは、判らない。
●現地:罠
レズリー・バロウズ中佐の家は、アスとロジーが訪れた街の外れのなだらかな丘にあった。
「特に弄られた形跡は、ありませんね」
「‥‥良かった」
バイク形態のバハムートの上に立って配電盤を覗いていた美汐に、支えに回った硯がホッとしたように言う。脇に回った2人以外の面々は、正面から訪いを入れていた。
『勝手に入ってくれ。鍵は掛けてない』
インターホン越しの応対に、誰かが舌打ちする。
「では、上がらせて貰うか」
「‥‥ですね」
バロウズ中佐の横柄さを目にした程度で、男達の意志は今更揺るがない。生きたいと願う中佐をその思い故に守ると決めた真彼、そして彼の情報が貴重ゆえに守るべきと思う丈一朗。
「虫のいい言い分だが‥‥、な」
後に続いた凛生が、肩を竦める。朔夜が、煙を細く長く吐いた。
「もう誰も、死んで欲しくない‥‥」
夢姫の願いは、叶う物だろうか。巨体のバハムートゆえ、このまま庭の警備に就くという美汐と別れて、残る面々は玄関をくぐる。
「意外と普通の家、ですわね?」
ロジーの感想どおり、中佐の家は良くも悪くも一般的な物だった。2階やリビングなどに手分けをする予定だったが、護衛対象の顔位は見ておいても良い。そんな風に考えて窓に面したリビングに足を踏み入れた傭兵達は、少し強張った中佐の笑顔に迎えられた。
――1人では、無い。椅子に座った中年のすぐ後ろに、白い肌の青年が立っている。その手には、鞘に入ったままの細身の長剣が握られていた。
「わ、私の言った通り、だっただろう? 諜報部には自由に動く兵が居らんから、こいつらに頼る筈だ、と」
「確かに、お前の言う通りだったようだ」
落ち着き払った青年の声に、幾人かは覚えがある。ロシアの空で、そしてグラナダの空で。KVの通信回線越しに聞いた声だ。
「そ、それじゃあ。私は助け‥‥」
「ああ、お前はもう、用済みだ」
手品のような唐突さで、白刃が抜かれる。
「うひぃっ!?」
身を竦めた中佐の耳元で衝撃波が砕けた。抜き放った二刀を、ロジーが間一髪で振るっていたのだ。それが、男の長剣を逸らしていた。
「罠に掛けられたと理解出来ぬ訳では無いだろうに」
「‥‥チッ」
盾を構えてから走りだす凛生よりも、長剣が速い。しかし、それよりも尚早く、窓の外から巨大な影が走った。窓ガラスが砕け散る。
「‥‥っ」
武器を抜く手間を捨て、無手のまま。経験豊富な仲間達より早く剣の軌跡に割って入れたからくりは、それだった。しかし、耐久に秀でたバハムートとはいえ、強化人間の攻撃に耐え切れるとは限らない。脳裏に、一刀で切り殺されていた関係者達の姿が過ぎった。衝撃に備えて眼を閉じ、身を硬くする。
●現地:戦士の会話
「騙されてなお、この男をまだ守るつもりなのか? まるで狗だな」
嘲笑するような声。青年の長剣は、美汐の背に当たる寸前で止まっていた。
「あなたは誰? 怒っているの? 悲しんでいるの?」
奇術のような素早さで剣を抜いた夢姫は、続く一瞬で間合いを詰める。
「ヒ、ヒィ‥‥」
ようやく状況を察知した中佐が、情けない声を漏らした。
「‥‥これ以上私の邪魔をするなら‥‥」
男が言葉を口にしようとした所へ、銃弾が降り注いだ。剣で逸らし、弾く。
「――邪魔をさせて貰おう。今回も、な」
朔夜の口元には、微笑が浮かんでいた。室内、護衛対象の隣に敵が既にいる。単にその可能性を気に掛けていなかっただけで、知ってはいたのかもしれない。そう言わんばかりに、慣れた既知感がすぐに襲ってくる。しかし、部屋に入った時、男がそこに立っているのを見た瞬間、覚えた感覚は久しぶりに味わうものだった。
「速いが。いつまでも続くものかな?」
銃弾を弾き落とすように長剣が閃くのを見ても、朔夜の笑みは途切れない。この初手に全力を注ぐつもりなのだろう。相手の動きを経験で読んでいるのか、それとも『知って』いるのか、その狙いは、敵の動きをピタリと追い続ける。
「‥‥本気で、行く、よ」
弓を手にしたリニクも、引く手も見せずに矢を射込んだ。相手が強化人間であれば、本気で攻撃を加えても易々と死ぬとは思えない。それは、バグアの強化人間との幾度かの対峙を経てきた少女の実感であり、その結果は今回も変わらなかった。
「‥‥くっ」
受けに回り、凌いでいた男が小さな声を漏らす。2人のクラスはスナイパーだ。青年がいかに凌げども、リロードの隙を見せはしなかった。
「成る程、確かに強い。――だが、それが退く理由にはならんな」
銃を撃ちつつ、横へ回る朔夜が呟く。受けに不向きな長剣で、銃弾と矢を捌く手並みは文字通り常人離れしてはいたが、難敵と知った朔夜はむしろ嬉しそうだった。
「‥‥そこまで、傭兵とやらの『仕事』が大事かっ!」
2人の連続攻撃を受けきれず、男が下がった隙間に、盾を携えた凛生が割り込む。そして、硯。
「そんな物の為じゃ‥‥、無い」
顔を合わせるのは初めての相手。しかし、この場にいる傭兵の中では、彼が最も多くこの男と戦った経験があった。内心でライバルのようにすら思う敵から向けられた蔑視は、彼にとって不本意だ。
「‥‥っ」
銃弾と矢と、そして硯の二刀に攻め立てられた男は、その意に反して中佐から引き離されていた。もはや余裕は無い。仕立ての良さそうな黒の服も数箇所で裂けている。頬にうっすら滲んだ色は、人と同じ赤だった。
「仕方があるまい。本気で‥‥」
距離を自分から取るように、青年は部屋の端まで飛び下がってから、剣を脇に構える。ぎし、と歯車が軋むような音がした。しかし、動く気配を見せた所で、青年の動きが止まる。
――パァン、と聞こえたのは乾いた銃声が1つ、そして。
「悪いが、俺はお前に罪を重ねさせる訳にはいかん」
煙を上げる丈一朗の銃口は、バロウズ中佐に向けられていた。ほんの僅か、敵の気が緩んだ一瞬に、アスが声を掛ける。
「爺の手先だろ? ‥‥コレは玩具じゃない。これ以上、流血はナシにしようぜ」
エネルギーガンを擬する彼に、黒衣の青年は長剣を再び下ろした。いまだ、戦意は湛えたままで。
●現地:交渉
「‥‥いいだろう。お前達を呼んだのは私の意思だ。それは無駄に戦う為では無い」
だが、と彼は言葉を続ける。バロウズ中佐を何故生かすのか、と。空砲を撃った丈一朗に合わせて咄嗟の演技をする程の器量も無く、中佐はへたりこんでいた。
「‥‥チッ。少しは頭の回る所を期待したんだがな」
丈一朗が不機嫌そうに舌打ちする。それを見つつ、青年の語調は鋭い。
「返答次第によっては、会話の必要を認めない。‥‥答えて貰おう」
「‥‥私は、どうしても真実を知りたいのです。その為に、彼には生きていて貰わないと困ります」
ロジーの言葉に、丈一朗が頷いた。何としてでも、事件の黒幕を暴く。その為に、必要な情報源を生かしておかなければならない、と。
「例え、その男が何も知らないとしても、か?」
あるいは、知っている事を全て聞き出した後ならば、利用価値が失われた後ならば殺しても構わないのか。青年は、まだ臨戦態勢の朔夜やリニク、硯へ油断の無い目を向けながらそう問い掛ける。
「それならば、理解できる。私もそう考えるからな」
「もしそうでも、僕は中佐を守るでしょう。彼が、死にたくないと言ったからです」
真彼が、静かに答えた。
「どんなに醜くかったとしても、生きたいという声は、真実の声のはずだから」
能力者と強化人間の戦闘を間近に見たバロウズは、ただ、うわ言の様に『死にたく無い』と呟いている。それを見苦しいとは、真彼は思わなかった。
「私はもう、目の前で人が死ぬのを見たくない」
夢姫が言う。真摯な視線は、逸らされる事無く青年へと向けられていた。
「どうしたらあなたの気持ちを鎮めることができるかな。お願い、教えて。何か私にできることはある?」
囁き声に言葉は返らず。その隣で、背を向けていた美汐がAU−KVを除装してから振り向いた。
「もし復讐なら止めておきなさいな。死者に寄りかかって手を汚した先なんて何もありません」
彼女も、視線を据えていた。判ったような事を、と呟く青年に、彼女は自嘲する。
「行って来た人間が言うんだから確かです」
その声に何を聞いたのだろうか。キン、と澄んだ金属音が響いた。鞘に収めた剣を自ら下ろして、男は傭兵達の出方を窺うように黙する。最初に口を開いたのは、金髪の青年だった。
「俺は、アンドレアス・ラーセン。‥‥ま、名前くらいは聞いておいて構わないだろ?」
取引をするならば、という含みを持たせた言葉に、男は暫しの間を置いてから、答える。
「‥‥私の名は、エルンスト・バラシュ。故国の流儀に従えば、バラシュ・エルンストと名乗るべきかもしれないが。お察しの通り、カッシング様に仕えている」
その受け答えを耳にして、誰かが息を吐いた。
「鏑木 硯です」
二刀を収めつつ、硯も名乗る。名乗りたく、思った。
●現地:情報交換
「お前達、そいつはバグアだぞ。敵と取引など言語道断だ。殺せ!」
自身の身が守られたらしいと思った途端に、バロウズは煩く言い出す。
「さっきまで震えていた癖に、これか。自分を棚に上げて、よく言えたものだな」
丈一朗の口調には、彼には珍しい棘があった。こんな男を守らねばならない苛立ちと、それ以上に村人達を救えなかった自らへの怒りが滲み出ているように。
「煩い。‥‥それとも、死ぬ?」
リニクが冷たく一喝すると、少しおとなしくなった。
「まず聞こう。お前の目的は何だ」
凛生の質問へ、エルンストは短く答える。
「‥‥お前達と同じく、真実を」
硯とアスの視線が、期せずしてバロウズ中佐へと向いた。ふてぶてしさをやや取り戻した中佐は、唇をゆがめて耳障りに笑う。
「真実か? お前にはもう話したがね。何度でも言ってやるさ。あの空爆は、お前の大事なご主人様が我々に命令したのだ」
「‥‥カッシングさん、が‥‥」
夢姫が息を呑む。それ以外にも、感情を表に出すかどうかは否として驚く者はいた。不承不承ながらも、その言葉を飲み込む者も。
「‥‥そう。この男の前に話を聞いた幾人かも、死ぬ前にそう言った。おそらくは、この男達がそう信じるに足る事実はあったのだろう。通信越しにあの方の声で指示を受けた、とかな」
エルンストが淡々と自身の疑問を続ける。しかし、それは本当にカッシングだったのか、と。
「直接、お会いしたのは随分前になる。最後にお声を聞いたのは、裏切り者の始末を命じられた時、だ」
その時に、自分が受けたのも通信回線越しの指示だったと、彼は言う。裏切り者へ伝えるように言われたのは、カッシングらしくはない言葉だった、とも。
「‥‥この数ヶ月、妙だと感じた事は無いだろうか。敵として、あの方を見てきたお前達は」
奇妙な事に、口調も声もそんな素振りは無いのだが、それは縋るような色を帯びていた。
●現地:老人の変容
「‥‥大鴉」
ボソリと、ロジーが言った。いつ頃からか、カッシングの目となり手となっていたはずのキメラが動きを見せなくなった、と。あの老人と付き合いの長い傭兵なればこそ、その影が見えないことに違和感を感じる。
「私は、アニス・シュバルツバルトの処遇に違和感を感じた。カッシング様は、あの方なりにあの少女を愛しておられたと、私は思う」
彼はカッシングの為に、そしてあの老人の目的の為に死ぬ覚悟はある、という。彼だけではなく、グラナダで果てた少女や青年達も。それは、余人には理解できぬ事だろう。忠誠、という言葉ともまた違う、何か。それがカッシングとアニスの間にもあったと、彼は感じていたのだが。
「カッシングの目的とは‥‥?」
真彼の質問に、青年は首を振った。答えられないのではない。知らないのだ、と。
「長老は、全てを聞いていたそうだが‥‥。今となっては何もかも闇の中、だな」
平板なモニター越しではなく、最後に直接カッシングに会ったのは、ロシアでの作戦の後。深い傷を負った老人に、古い手記を託された時だ、と彼は言う。
「‥‥屋根裏に置いてあった、アレですわね」
「そうだ。あの場所に置くようにというのも、あの方の指示だった」
探しに来る者が気づくかどうか、そう言いながら血の気の失せた顔で妙に嬉しそうにしていたのを、エルンストは記憶していた。忠誠を誓う彼らにではなく、他の誰かに託した言の葉。それが誰に渡るのかを知りたくて、彼は『目』を村に置いてきたらしい。
「だから、お前達にあれが渡った事も知っている」
エルンストは、夢姫や真彼、丈一朗、そしてロジーと凛生へと目を向ける。
「‥‥診療所の、中? どこ?」
調査の折ではなく、空爆の直前にリニクはその診療所へと入り込んだ。潜入した時のように夜ではなく、日中に訪れた少女の目にも留まらなかった監視の目は、どこにあったのか。
「村で一番高い場所。あの診療所の鐘楼の上、だ」
「それで、空爆を知った、‥‥か」
凛生が腑に落ちたというように言う。空爆を見越していたにしては、妙な点が多すぎたのだ。言葉は悪いが、急いだが間に合わなかった、という事ならば、ヘリ部隊が帰路に壊滅した事も不思議は無い。
「‥‥しかし、怒りに任せた私の行動は、咎められる事がなかった。いや、そもそもこの地で何が起きているのか、あの方は気にしていないように思える。あるいは、知らないかのように」
持ち場を離れた青年の独断専行は、すぐに叱責を受けるだろうと思っていた。大鴉があの村の周囲に多数放たれているのだから。しかし、その様子は無く。
「あの方ではないモノの為に死ぬつもりは無い。だから、私は真実を欲しているのだ」
「復讐では無く、‥‥ですか?」
美汐の視線に、青年は僅かに苦笑する。
「‥‥復讐を欲する気が無い訳では無い。既に殺した屑どもに詫びようとも思わない。だが、その無価値な男の処分は、貴女達に委ねよう」
●現地:会話の終わり
「諜報部の奴に、つてがある。っても、俺達に仕事を回してるってだけだけどな。話せば解る相手の筈だ」
アスの言葉に、凛生が頷いた。
「今すぐに、という訳にはいかないが連絡を取る」
「そうか。お前達はあの方に何かを期待されているのだろう。それが何故かは、解らない。いや‥‥」
青年は、少し口元を歪めてから夢姫へ目を向ける。それから、真彼へ。
「‥‥少し羨ましく、思う」
「え?」
首を傾げる少女へ言葉は返さず、青年は庭へ向けて歩き出した。
「これから、どこへ行くんですか」
美汐の問いかけは、返事を期待したわけではなく。ただ、復讐を諦めた足に迷いが無いか、尋ねる物だった。
「北へ。あの方が最後に私に命じた任が、そこにある」
彼が縋る物は、やはりカッシングの言葉。それは、丈一朗に村の長老と最後に会った時を思い出させた。
「‥‥あの村の爺さんは話したよ。自分達の犯した罪をな」
「そうか」
丈一朗の投げた言葉に、エルンストは軽く頷く。それ以上でも、それ以下でもなく。
「罪‥‥、か。失うはずだったのに、拾ってしまった命の代償は、どうやって払えば良いものだろうな」
あの村から、老人の手駒になるべく身を捧げた若者達の多くは、グラナダで死んだ。もはや、その罪を負わねばならぬ者は、この男位しかいない。それと、カッシング自身だ。
「自分のしてきた事は理解している。自分が生きる為に、何が犠牲になったかも、だ。私達は、私達の意志でそれを選んだ。お前‥‥いや。貴方達がその生き方を選んだように」
庭に出た青年は、チラリと横を見てから苦笑した。硯と、朔夜が庭先に回っていたのに気づいたのだ。
「別の敵が、いるかもしれませんから」
「手ごたえのある敵ならば、尚良いな」
紫の煙を吐き出し続ける青年は、ひょっとしたら屋内の換気状況に気を使ったのかもしれない。
「次に会う時は、また敵だろう。だが、有意義な時間だった。‥‥感謝を」
エルンストは、室内と庭先、双方に向けて軽く会釈する。美汐と目が合った瞬間、ほんの少しだけ口元を緩ませた様に見えた。
「‥‥?」
瞬きをした瞬間、その姿は消えている。
「‥‥速い、な」
夜闇に溶ける姿を目で追った朔夜が呟いた。グラップラーの能力のような物だろう。能力者の目で無ければ、追う事すら難しかった。
「‥‥さて。この後は朝まで、彼を護衛すればいいのかな?」
真彼の声に、我に返った面々が彼の視線を追う。こっそりと床を這い、あわよくば逃走を試みようとしていた中佐が、リニクに首根っこを捕まれていた。
「また‥‥鬱陶しい‥‥事、したら‥‥。今度は‥‥リニクが‥‥」
耳元に口を近づけて、少女が囁く。
「コロシニキテアゲル」
小さな声に、中佐はびくりと引きつってから、項垂れた。
●CCI
夜があけて、レズリー・バロウズ中佐はヘリにて身柄を輸送された。その後、どのようなルートを通ってか、重大犯罪を犯した者の放り込まれる刑務所に移送されたらしい。
「‥‥御苦労だった。最後の最後まで、一貫した屑だったな」
報告を受けた美沙は、深く溜息をつく。彼女が助けを送った事そのものが、バロウズの思惑のうちだったと言う事に責任を感じている様子だった。
「もしも、状況が違ったなら。私はお前たちをみすみす死地に送っていたかもしれん」
もっとも、こんな状況でもなければ、まずその状況自体を疑っただろうが。
「そうそう。例のメモリについてだが、良い情報と悪い情報がある。良い情報はデータのプロテクトが外れた事。悪い情報は、その中身だ」
鍵を開けたのは、『生きている』だった。直後に表示されたメッセージに拠れば、『生』と『死』は裏表ゆえに、だそうだよ。
「‥‥確認できた部分については、上にもまだあげていない。上げるべきか、迷っている」
むしろ、上げるべきとは思わない、と美沙は言った。どこかに、内通者がいれば無価値になるような内容であった為だ。
「第二、第三のバロウズがいるかもしれない、と言うことか」
丈一朗の言葉に、美沙は苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。
「だから、これは君達にだけ伝えておく。どのみち、多数にとって意味のある情報ではないんだ」
彼女が告げた内容は、カッシングの『目的』に相当する部分だった。
「バグアの精神寄生に対して自らが勝つこと。それが、あの老人の目指した内容らしい」
未だ謎の多い『ヨリシロ』と呼ばれる仕組み。バグアが他者の体に寄生し、その知識を利用するというのが現在の所、多くに信じられている説だ。カッシングは、それに対抗するべく、実験と研究を重ねていたらしい。
「‥‥で、もしも夢敗れたときの為の保険が、このメモリの中身だったようだな」
自らの意志がバグアに敗れたならば、その遺志を以って自身の肉を纏った異星人を滅ぼす為の手立てを、あの老人は仕込んでいたのだという。
「ま、読めば判る。全く、変人だよ。この爺は」
彼女が広げたプリントアウトは、短い手紙の体裁だった。遺言、と言っても良い物だったかもしれない。
『親愛なる、能力者諸君。
君たちがこれを読む時、もしも私が実質的な意味で生きているならばこの情報は役に立つまい。だが、単に心を強く持つという程度では、バグアの寄生に対抗できる可能性は極めて低いと言わざるを得ない。よって、私は自らの最後の実験結果によって自らが怪物となった場合に備え、自身の処分方法をも検討する事とした。実験に入るのは、君達がその実行が可能なレベルに到達した物と判断した故でもある。
君達に託したい情報とは、ある特定条件下において、私の腕の自由が利かなくなるように、自らを条件付けしてある事だ。バグア寄生体は脳の記憶や思考を司る部分にその多くを依存すると推測される為、いわゆる条件反射までを制御する事が困難であろうと予測した。
何処かで私の外見をした怪物に遭遇したならば、上記の実験結果を確認してくれる事を期待している。
なお、自身への後催眠により、これらの情報は私自身も忘却するよう試みた。バグア寄生体は、寄生された本人の知る物をのみ利用する傾向が見られるゆえ、これは有効な対処だと考える。が、それが誤りだった場合、君達に著しい危険がある事を警告しておこう。
CC』
「‥‥どういう条件反射なのか、とまでは書かれていない。考えろという事だろう。最後まで、らしいやり口だな」
美沙が苦々しく笑って続ける。ずっと追いかけてきたが、最後まであの老人の思考は理解できぬままだった、と。
「理解なんて、何一つできない」
真彼がポツリと呟いた。何が正しいかすら、わからないと。しかし、ひとつ言える事があるとすれば。
「‥‥生きていて、欲しかった、です」
夢姫が、青年の思いをそう引き取った。