●リプレイ本文
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「エレンさんっ、お久しぶりです! またお会いできて、嬉しいです♪」
駆け寄ってきた夢姫(
gb5094)の後ろで、柚井 ソラ(
ga0187)が立ち止まる。
「エレンさん、昇進おめでとうございます‥‥で、いいのでしょうか?」
「大役を任されたんですね、すごいです☆」
眉を寄せる少年と、何かを感じつつも笑顔を見せる少女との違いに、2人の生きてきた軌跡の差が感じられた。
「申し訳ありません、エレンさんや部隊の皆さんを巻き込んでしまったのは私達の責任かもしれませんね」
頭を下げる霞澄 セラフィエル(
ga0495)へ、エレンは首を振る。
「そんな事は無いわ。それよりも、また来てくれてありがとう」
共に戦った戦友達に彼女は礼を告げた。ソード(
ga6675)が頷く後ろで、緋沼 京夜(
ga6138)は昏い目をサングラスの向こうに隠している。
「早速、状況を確認したいのですが」
アルヴァイム(
ga5051)の言葉に、懐かしげな笑みを見せてから。エレンは一同を小さく低い建物へと案内した。
「‥‥厳重ね。そう聞いてはいたけれど」
一歩足を踏み入れたラウラ・ブレイク(
gb1395)はそう呟いた。低く感じたのは、構造ごと地面に埋まるような形だった故のようだ。何に似ているのか、少し考えてから答えに辿り着く。トーチカの構造に、似ているようだった。
「着て歩かないと移動は難しいですね」
「下に着いたら、外してもらっても平気なんだけど。ごめんなさい」
端から見ると窮屈に見えるのか、エレンはリンドヴルムを着装した二条 更紗(
gb1862)に詫びた。実の所、ドラグーンにとってそれ程面倒な物ではない。学園生も多数いるタシーラクだけあって、扉や地下通路の大きさはゆとりを持って作られているようだ。
「ルカ、笑える?」
後尾を行くルクレツィア(
ga9000)に、空閑 ハバキ(
ga5172)が視線を向け、微笑した。戦いの場で生きていた『蠍座』エルリッヒ・マウザーの別の顔、アーネスト・モルゲンを知るのは、この場ではルカとハバキ、ラウラの3人だけだ。敵としてでなく出会った彼らにとって、友人の目覚めは嬉しい物だった。例え、それが短い逢瀬になろうとも。
●――地下へ
徒歩で行くしかない行程は実際よりも長く感じられる。アルがエレンに確認した所によれば、通路の長さは800m。半ばまでは下り、上向きになってから右に60度程折れ、更にもう一度下がる構造だった。
「いざとなれば、私達ごと生き埋めですか」
ラウラの嘆息に、答えるのは冷たい反響だけ。鋼鉄の4枚の隔壁と、最悪の場合は数万トンの土砂自体が脱出を阻む仕組みは、病人相手には大げさに過ぎるとも見える。
(暗い、湿った地下牢。蠍には似合いの牢獄だ)
階段を降りながら、京夜は胸を焼く憎しみに心を委ねていた。失った身体の痛みすら、その前には影を潜める。守れなかった人々の無念は、彼の中にいまだに鮮やかで。まだ死にたくはなかった筈の彼らの生を踏みにじったバグアを、ただまっすぐに憎む。
それは、記憶に目を背けて笑うよりも、辛く苦しく、楽だった。
終点は、通路ほど冷たい場所ではなかった。白に塗られた室内を照明が柔らかく彩る。無機質に見える機材に混じり、妙に生活観のある家具類が滑稽だった。
「お久しぶりです。それから、初めまして」
ニナの肌は白い。起きている時間のほとんどは、地下で過ごしているのだと言う。目を伏せたルカの手を、ハバキがぐっと引っ張った。
「お茶、淹れたいってルカが。場所とか、教えてくれないかな?」
「お茶でしたら、わた‥‥、いえ。そうですね、こちらです」
簡素な設備の給湯室には、カップ麺が積まれている。自分のものだ、とニナは苦笑した。
「紅茶も、料理も。人の為にでないと張り合いが出ませんからね」
「‥‥はい」
お湯を注ぐルカを、ニナは微笑しながら見つめている。
「あの、『彼』の分は‥‥」
「淹れて差し上げてください。毎日同じ顔では、アーネスト様も飽きるでしょう」
そんな様子を見て、夢姫はほっとしつつも不思議だった。知人を実験に供されるという現状を思えば、もっと鬱々としていてもおかしくない気がする。
「綺麗な顔立ちの人、ですね。線が細そうですけど」
眠れる青年を眺めていた更紗の、それは素直な感想。
「よく知らないのですが、『彼』というのは元ゾディアックの蠍でしたっけ? どういった感じの方だったのでしょうか」
更紗の口にした質問は、夢姫も聞きたい事だ。間接的にしか『彼』を知らないソラも。
「俺は、彼と戦った事しかありません。ですが、どこか似ている気がするんですよ。彼も、そう言っていましたね」
ソードが自分の記憶の『彼』を語り始めた。壁に凭れていた京夜は僅かに視線をあげ、また落す。言葉にするには、彼の心は重すぎた。
室内では、アルが自身の装備を改めつつ手順を確認している。ラナンの計算によれば、5分を多少越えても生命維持に問題は無いそうだが、初回ゆえに安全策を取る事にしたらしい。
『どの程度、戦闘力を保持しているかという質問は答えられん。分らん事が多すぎてな』
情報に礼を告げて、彼は室内から武器に転用できそうな物を遠ざけるよう提案した。
「相手がエルリッヒならば。手を抜く事は礼儀を欠くと同義」
淡々としつつも、強い語調で。
「質問を許可願えますか?」
隣では、ラウラがミノベを相手に状況を問うている。何故マドリードへ移送してから公にしなかったのか、という疑問に、彼は意図を隠そうとはしなかった。
『バグアの反応が見たい。それ次第で、その男の利用価値が変わります』
輸送中を狙ってくるか、マドリードの施設に工作を試みるか、それとも。予想を淡々と並べるミノベから、ラウラは危惧が的中した事を知る。
「この先、平穏無事って訳にはいかなさそうね」
『当然です』
静かに、ミノベはそう応えた。京夜は、抑えた口調の中に彼の微かな苛立ちを感じ取る。
「まずは、身体の事を。それから状況を‥‥」
その間も、霞澄は短い時間で出来る限りの事を相手に伝えるべく、頭の中を整理していた。
「お茶をどうぞ」
控えめなルカの言葉に、思い出を語っていたソードは言葉を止める。
「大事な人‥‥、なんですね」
聞いていた夢姫がポツリと呟いた。丁度彼女にカップを手渡していたルカが、自分の事を言われたのかと勘違いしてから、赤面する。
「一人の人間? の中に二つの人格、アレですか二重‥‥多重人格というやつですね」
「何であっても、アイツはアイツ、だ」
考え込む更紗に、ハバキが言う。その表情を、京夜が醒めた眼で見つめていた。
●――実験
「30秒後に、開始します」
エレンが周囲に聞こえるように、言う。タイムキーパーを務めるソラが手元の時計を握り締めた。部屋の奥、バイク形態にしたリンドヴルムに腰掛ける更紗と、出口の脇でゆらりと立つ京夜が、エレンと同じく手前側の室内にいる。残りの面々は、横たわる『蠍』と同じ部屋にいた。
「10秒前、です」
張り詰めたソラの声。
「‥‥大丈夫ですよ」
服の裾を絞っているニナの手に気づいた夢姫が笑いかける。
「3,2,1‥‥0」
ブザー音が鳴っても、変化が出ない。10秒が過ぎ、20秒が回る。一同の注視の中、眠れる男の目が薄く開いた。ハバキが、彼の正面へと身を乗り出して微笑みかける。
「おは――」
言いかけた喉元に、隻腕が伸びた。そのまま床へと叩きつける。半瞬の後に、アルが躊躇なく引き金を引いた。馬乗りになった青年の肩口で、赤い輝きが銃弾を逸らす。白い室内で、その赤は酷く鮮明だった。
「‥‥」
通路へと、無言で京夜が進む。AU−KVを着装した更紗が、そのカバーに入った。硬直したままのエレンの前に、ソラが立つ。
「下がって‥‥っ」
ニナを背に、距離をあける夢姫。ラウラが、アルのリロードの隙に突進する。そのまま、相手の腕を抱え込んだ。ぐ、と力を込めたが、相手の抵抗は無い。ハバキに掛けられた腕からも、力が失せていた。そこまで、5秒にも満たない時間。
「おはよ、アーネスト? 具合は、どう?」
ニッ、と笑って見上げるハバキを、押さえつけていた腕がどいた。
「僕は‥‥何故、生きているんですか?」
落ち着いた、と判断したラウラが立ち上がり、彼に手を貸した。まだ油断なく見守るアルと、ほっと息をつくルカと。
「おはようございます」
微笑んだルカに、青年は戸惑ったように瞬きした。
「1分、です」
ソラの声が、室内に響く。ハバキはもう一度青年に笑みを向けてから霞澄に場所を譲った。彼の目が、ゆっくりとそれを追う。
「お久しぶりですね、前の時は挨拶もせずに失礼致しました」
やや早口で言葉を紡ぐ霞澄を、青年は黙って見た。
「時間もありません、手短に説明を致しますね。まず貴方の体の事ですけど‥‥」
手早く、当人に状況を説明していく。今までの昏睡、迫る死、そして覚醒していられる時間が短い事。
「それと今までと今後の状況ですね」
青年の身体を狙うバグアがいた事。これから、移送される事。
「そして一番大事な事は、今後も覚醒実験が行われる事です」
「‥‥なるほど。僕はモルモットと言うわけですか。当然ですよね」
その言葉に目を微かに細めて、少女は言葉を続ける。
「それでも私は貴方が目覚めて良かったと思っています」
静かな声に、部屋の隅の夢姫がはっとした表情を見せた。
「今、貴方は『生きて』います。残された時間をどう使うかは‥‥貴方『達』次第です」
霞澄の言葉はそう続き。
(生きていれば、時間をどう使うか考えられる、から)
それは、その人だけではなく、その人を想う者にとってもそうなのだ、と夢姫は思う。だから、嬉しそうにしている人が多いのだ、と。
霞澄が語り終えた時、ソラが示した残り時間は1分程だった。内容を事前に整理していなければ、もっとかかっただろう。
「エルリッヒ・マウザーはまだ僕の中にいる、のかな? もし、聞いているのなら」
そこまで言った所で、青年が言葉を切って目を閉じる。再び開いた眼光は、鋭かった。事情を知った『もう1人の彼』に取り乱した様子はない。
「今ここにいるこの僕は敗北者です。どのように扱われようと構いません。それに‥‥」
囁くエルリッヒを、窓ガラスを隔てて赤い眼光が睨んでいる。アーネストと違ってその敵意に気づかぬはずはない。しかし、エルリッヒは微笑を浮かべていた。
「ぼうっとですが、‥‥あの日の事を僕は覚えている」
「久しぶりですね。俺の事も覚えていますか?」
声を掛けたソードに、エルリッヒは頷く。ソードは、微笑を深くして。
「皆さんから預かってきた便箋です。受け取ってください」
「‥‥眠る僕に、読んで聞かせてくれるというのですか」
青年はからかう様にかつての敵を見た。
「フフフ、ロマンチズムに目をやり過ぎると、僕のようになりますよ」
言ってから、彼はハバキに向き直る。
「次があるのでしたら、不用意に近づかないで頂きたい。この僕の身体は、攻撃には敏感なのです」
ダメージを与えて起こす、というやり方であれば、また今のような事は起きると青年は告げた。
「心配、して?」
首を傾げるハバキにエルリッヒは小さく頷いて、奥のルカへ視線を向ける。
「‥‥っ」
言いたいことが、多すぎて言葉にならない少女へ、静かに会釈して蠍座の男は目を閉じた。
「‥‥おやすみなさい、また」
「時間、です」
ルカの言葉に被さる様に、ソラがそう告げる。
『移送の日時は追って通達します。ご苦労でした』
ミノベの声が、スピーカーから響いた。夢姫が、ニナの固く握られていた手に触れる。
「‥‥あ」
本人も、気がついていなかったらしい。
「ありがとうございます」
ニナは少女に微笑んで見せてから、力を抜いた。
「あの、もしもよろしければ、これを」
ルカが、紅とピンクの花を咲かせた千日紅の鉢を彼女に託す。
「目覚めて何も無い部屋は寂しいから‥‥」
そして、寂しいのは、待つ側も。少女の言葉に、ニナは嬉しそうに笑った。
「これは、知り合いからです。‥‥読む機会があれば」
ソードが封書を渡す。その束は厚くは無いが、重い。
「アーネスト様は、良い方とご縁がありましたね、本当に」
頷くニナ。エレンはそんなやり取りを、眩しそうに眺めている。あるいは、辛そうに。
「私は、ずっと。マドリードであの人と向き合ってきた。だから、割り切れはしないけれど‥‥ね」
「‥‥感想は、まだ早いでしょうな」
始まったばかりだ、とアルが言う。そんな『関係者』を、更紗はただ、眺めていた。1つの体の中に2つの人格。どちらかが主で、どちらかが従なのか。そんな疑問を思う。更紗の視界で、霞澄が呟いた。
「私は見たいだけです、『彼ら』が生きた証を」
「‥‥そうね」
エレンが頷いてから、不意に明るく笑う。
「行きましょうか。ここにいても、邪魔になるものね」
実験の終了後すぐに、降りてきたのだろう。白衣の男達の中に、濃茶の軍服のミノベ。ラナンの姿は無い。エレンの言葉に頷いてから、ミノベは一言付け足した。
「君達とは、この男を簡単に失えないと考える点において、協力できると思います。これからもよろしく」
●――再び、地上へ
「久しぶりですね、夕日を見るのは」
ニナが両手を上へと伸ばしてから、ずっと隣にいた夢姫の頭に手を乗せた。
「ありがとう」
もう一度、今度は屈む様にして耳へと囁く。
「今後の対策は?」
「まずは書面に。それから検討を」
ラウラとアルが額を寄せ始めた。
「あれ? 空閑さん、は」
ふと、きょろきょろ、とソラが左右を見回す。
湿った冷たい空気が残る地下道で。2人は向き合っていた。
「‥‥言っておきたい事がある」
視線は闇に。京夜はそう切り出した。黙って頷くハバキに、普段は語らぬ己の過去を曝け出す。守れなかった仲間、惨めに死んでいった仲間、今はもういない彼らの記憶を。
「俺を殺そうとした蠍の言葉‥‥。守る事は自分を捨てる愚かな行為らしい」
京夜が守りに執着する原点は過去にあった。あの時に感じたのは、怒りよりも絶望だったから。
「だが‥‥、怒りはある。ここに」
そう言って胸を押さえる京夜の腕は義手。彼が生き方を貫く為に失った物を、ハバキは知っている。だから、自分を理解して欲しいとは言えず。
「‥‥それでも。アイツは俺のダチ、なんだ」
囁いたハバキに、京夜は背を向けた。階段を上りながら、言葉を落としていく。
「救いは赦さない。奴が惨めに死ぬのを見届ける為に、俺はここにいる。忘れるな‥‥俺は蠍の敵だ」
「空閑さん。どうしたんですか?」
迎えに来たソラの声に遠くから引き戻されるようで。眩暈を感じて、ハバキは壁に手を着いた。
「ん、いや‥‥。なんでもない」
地上へ向けて歩き出す。物言いたげな少年に視線を向けずに前を向いたまま。
「俺は、俺の友達の為に動く。ソラは、ソラの思う様に動けばいい」
ハバキは、そう言った。