タイトル:黒い診療所マスター:紀藤トキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/03/08 04:06

●オープニング本文


「あらかじめ言っておくけれど、成功率はとても低いんだ。命の危険は大きい」
 白衣の中年男は、実直そうな声色でそう言った。上からかけられる彼の言葉が届いているのか否か、少年は思いつめたように手元の書類を見つめている。
「だから、止めたければ止めてもいい。もしも決心がついたら、ここにサインをして」
 机へ向かう少年と、その背後に立つ白衣の男。静かな診療室に、時計の音だけがやけに大きく響く。やがて少年の手が動き出したのを見て、白衣の男は薄い酷薄な笑いを浮かべた。

「今回の依頼は、広報からの仕事じゃない。私の古巣、諜報部から回ってきた仕事だ」
 細い眼鏡をつけた黒髪の女は細い指で机をコツコツといらただしげに叩きながら、開いた左手で書類を繰る。
「‥‥君たちには、エミタ適性が無い人間へ移植手術を行うという闇医師の逮捕をお願いしたい」
 能力者達から起きる疑問の声を抑えるように、女は机を叩いていた指をあげた。そのままポケットからタバコを一本、ライターと一緒に抜く。咥えたタバコに火をつけ、ライターだけ胸ポケットへ戻す所までが、どうやら無意識の所産らしい。
「ああ、君たちの言いたい事は分かる。エミタの移植手術は適性が無い相手には行えない。それに、技術的にも設備的にも、その辺の馬の骨ができるようなものじゃない。だが、そもそもこの医者は実際には移植手術などしないんだ」
 死亡の危険が高く、かつ違法の手術ということで、闇医者は患者に何枚もの書類へサインさせる。もしも死亡しても医師の責任を問わないと言うのはもちろんの事、遺体の処置についても医者側に任せると言う内容だ。
「‥‥子供の臓器には買い手がつくんだよ。嫌な事だがな」
 女はいまいましげに舌打ちをしてから、手元の書類を能力者にも見えるように机上に広げた。
「狙われているのは食べて行くのも辛いような路地裏の子供達だよ。彼らに分かっているのは、能力者になったら食い扶持に困らない、と言うことだけだ」
 もちろん、そういった人々へも地道な広報活動をしているのだが、識字率が低く、テレビやラジオも持っていないような世帯へはなかなか正しい知識を浸透させるのは難しい。適性の無い人間にエミタ移植を行えば100%失敗する、という知識が普及していれば、このような連中の跋扈を許しはしないだろうに、と女はいらただしげに言ってから書類のページをめくった。
「闇医者がいるのは、ここ、フランス南部の片田舎だな。外れにある4階建ての頑丈な建物を丸ごと買い取って使っている」
 元はモーテルのようなものだったらしい。古い街道に面しており、小さな丘の上に立っている為見晴らしはいい。周囲に別の建物は無いが、50mほど離れた所に林があるので、隠れ場所にはよいかもしれない。買い物に行こうとすると10分ほど車に揺られないといけないのだという。
「子供たちを確保するのは別の場所で別の組織がやっているらしい。表向きは普通の医師として活動しているようだな」
 1階には受付と薬剤室、診療室、地下1階には手術室と霊安室がある。4階は闇医師と仲間達の拠点になっていた。2階と3階は犠牲者が偽のエミタ移植手術を受ける日まで、短期の滞在ができるように宿泊施設のようになっているという。
「闇で移植用エミタが手に入るまで、とかなんとか説明しているらしいが、何の事は無い。血液型だとか遺伝子だとか、なんかそんな感じのものが確保した子供のものと合うような注文が入るまでの時間つぶしさ」
 逃亡防止と侵入防止のため、子供たちがいる部屋は窓に格子が入っている他、カメラで監視もされている様子だ。今現在も、2階に2人、3階に1人の子供が軟禁されているらしい。
「この子達には決して危害が及ばないようにしてくれ。くれぐれも、頼むぞ」
 現地には、闇医師以外に6人の仲間がいるという。いずれも、能力者が現われた事で職を追われたなどの恨みを持っている連中だ。元警官と軍人やマフィアの用心棒崩れだと言う。
「いずれもただの逆恨みなのは言うまでも無いな?」
 そう言って、黒髪の女は鼻を鳴らす。6人とも腕に覚えはあるようだが、能力者にしてみれば深刻な脅威にはならないだろう。それより気をつけるべきは、この6人や闇医師が子供たちを人質にすることだ。
「それから、もう1点。この診療所にあるデータの類を奴らに消去させないでほしい」
 おそらく、パソコンが1階に2〜3台、そして、4階にも最低1台はあるはずだという。この手の仕事に関わっている以上、簡単な操作でデータを消すような細工をしている可能性は高い。
「だが、そのデータを抑えることが出来れば、根元から屑を叩く事が出来る」
 闇医師と仲間達については生死を問わないが、なるべくならば生かして捕らえてほしい、と女は言った。
「そいつらには、生まれてきたのを後悔する時間を過ごさせてやりたいのでな」
 女は剣呑な笑みを浮かべて能力者達を見送った。

●参加者一覧

ゼラス(ga2924
24歳・♂・AA
アッシュ・リーゲン(ga3804
28歳・♂・JG
リーゼロッテ・御剣(ga5669
20歳・♀・SN
リュス・リクス・リニク(ga6209
14歳・♀・SN
イリアス・ニーベルング(ga6358
17歳・♀・PN
フォビア(ga6553
18歳・♀・PN
暁・N・リトヴァク(ga6931
24歳・♂・SN
草壁 賢之(ga7033
22歳・♂・GP

●リプレイ本文

●決行前に勝負は‥‥
「勘弁してくれ‥‥」
 依頼主の女に要求していた無線機。それを受け取った草壁 賢之(ga7033)は天を仰いだ。
『すまん。予算的に人数分は無理だった』
 簡潔なメモと共に、箱の中には3台の無線機が入っている。
「‥‥厳しいのはどこも同じ、か」
 賢之が自分の財布を思いながらため息をつく一方で。
「やぁれやれ‥‥、このテのクズってのはドコにでもいるんだねぇ‥‥」
 今回の敵を思い、アッシュ・リーゲン(ga3804)が肩をすくめる。イリアス・ニーベルング(ga6358)も無言で頷いた。
「久しぶりのゴミ掃除だ‥‥。思い知らせてやらんとな」
 深紅の目に怒りを湛えながら、ゼラス(ga2924)も吐き捨てるように続ける。
「絶対‥‥助ける‥‥」
 リュス・リクス・リニク(ga6209)は自分と同年代であろう、囚われの少年少女達の身が気がかりのようだった。
「ああ。守れなかったら、能力者になった意味が無い」
 そう言い切る暁・N・リトヴァク(ga6931)の目に浮かぶ意志は強い。
「大丈夫よ、大丈夫。私もいるからね」
 安心させるように、リーゼロッテ・御剣(ga5669)がリニクの肩を抱く。任務中だけ姉妹のフリをする事になっていた2人だが、そのやり取りはまるで本当の姉妹のようだ。その様子を見ながら、フォビア(ga6553)は悲しげに目を伏せる。
「生まれてきたのを後悔させるんじゃなくて‥‥、今までの行いを悔やませてほしい」
 依頼主が語っていた今回の敵への脅し文句を思い返して、フォビアは小さく呟いた。それでもその声は思ったより大きく響く。
「うしッ、普段医者には世話になってんだ。今度は俺達が医者を治す番‥‥ってとこかなッ」
 左手の平に右拳を叩きつけ、賢之が大きく気合を入れた。

 能力者達の立てた作戦は3段階。まずはアッシュと暁が情報収集を試みる。続いて、敵の一部が建物から離れた所でゼラスと賢之が制圧、可能ならば更に情報を得る。事前に付近の店でイリアスが聞いてきた所によれば、彼らは主に夕刻に現われるという。
 その後、暁による電線の切断を合図として、建物自体を制圧に掛かるのが最終段階だった。急患のフリをしたリーゼとリニクが事前に潜入、合図と共に後詰のその他の仲間達が階下から、屋上へ移動したイリアスとフォビアが上からの二面制圧となる。更に不測の事態に備え、離れた狙撃地点でアッシュが待機する事になっていた。

 そのアッシュが真っ先に安全を確認した林で、買い出し襲撃班の2人を除く一行は静かに待機している。
「1Fにいる人数は声からすると3名。カメラの位置は3箇所だ。端には非常階段があったな」
 問題の建物に忍び寄り、情報収集を試みていた暁が簡単な地図を片手に淡々と説明する。林から建物までの距離は50m。首振り型のカメラは動きも早く、能力者であったとしても心得がなければ気付かれずに接近するのは困難だっただろう。しかし。
「これならば、いけます」
 イリアスが言う。瞬天速や瞬速縮地を使えばカメラの死角を縫って移動し、壁面の出っ張りを足がかりに一気に屋上へと駆け上れるはずだ。
「かなり疲れそう、だけど」
 もう一人の屋上制圧班のフォビアも、その行程を確認してから頷いた。隠れるのは不得手だが、カメラの視野に入らなければ見つかる事も無い。
「子供の所在は、2Fの奥と手前、3Fは2つめの窓の部屋だ」
 双眼鏡のレンズを丁寧に磨きながら、アッシュが暁の後を補足する。数時間の観察で得られた貴重な情報だ。
「それと、外から見える限りじゃあ、連中はプロフェッショナルには程遠い」
 アッシュの言葉に、暁が頷く。警戒態勢を敷いてはいるが、惰性に流されてもいるのだろう。
「じゃあ、私の演技もうまくいくかもね」
 うふふ、と笑ってみせるリーゼに、リニクが笑みを返す。
「といった辺りであちらさんのお出ましか」
 暁の言うように、建物の車庫に明かりが見えていた。アッシュが買出し部隊を襲撃する事になっている2人へと無線連絡を取る。
「がんば、ろう‥‥。おー‥‥」
 自分に言い聞かせるように小さく呟いたリニクへ、仲間達からのサムアップサインや首肯が返された。

●襲撃・囮・潜行
 敵が使っていたのは、古臭い黒のセダンだった。建物から十分離れたあたりで、その前に人影が現われる。ジャージを羽織ってテントまで背負い、姿はすっかりヒッチハイカーのゼラスだった。慌ててセダンが急ブレーキを踏む。
「馬鹿野郎、死にてぇのか!」
 よほど腹に据えかねたのだろう。ガラスを開けて万国共通のがなり声をあげるセダンへとゼラスは駆け寄り‥‥。
「馬鹿はお前だ!」
 問答無用で、運転席の男を殴りつけた。反応も出来ぬ男のシートベルトを切り、覚醒者の筋力で有無を言わさず車外へと引張り出す。
「てめぇ! どこの組‥‥、うぉっ!?」
 叫んで銃を抜きかけた助手席の男の肩がパッと鮮血を噴いた。物陰に隠れていた賢之の射撃によるものだ。痛みに耐えながら運転席へ移ろうとした所を、即座に取り押さえられる。
「地獄の責め苦と、懺悔。どっちがいい?」
 縛られ、並んで転がされた2人をゼラスが冷たい瞳で見下ろした。
「家の罠とPCのパスワードを言え」
「ケッ‥‥、誰が言うかよ。化け物め」
 寝転がったまま、運転手が吐き捨てた唾が靴を汚す。眉1つ動かさずに、ゼラスはその男を殴りつけた。加減しているとはいえ、能力者による打撃は男の意識をあっさりとブラックアウトさせる。その横で、賢之はもう1人の敵を尋問していた。
「ほら、さっさと吐けって。50円あげるからッ!」
 口調とは裏腹に、殺気だった賢之の表情。だが、男は膝を撃ち抜かれても口を開こうとはしない。『能力者』への敵意はそれほどまでに大きいようだった。
「しょうがない。時間が惜しいですね」
「そうだな、元々期待はしちゃいない」
 2人は悪党を動けぬように縛り上げなおし、車のトランクへと放り込む。
『追加情報は無し。ゴミを排除、舞台の幕を上げな。オスカーはお前達次第だぜ』
 これから演技で潜入する2人を激励するように、通信機へ向けてゼラスが笑った。

「お願いします、妹が大変なんです!」
 ぐったりとしたリニクを連れたリーゼが、ドアを激しく叩く。ひょっとして居留守かと思った頃に、ドアは小さく開いた。
「休診だ。帰んな」
 身長は2mほど、そして分厚い胸板、傷だらけの顔。どう見ても堅気ではない男はそう言い捨てる。だが、男がドアを閉めなおす前に、リーゼは隙間へ割り込むように身を寄せていた。
「‥‥せめて少しだけでも休ませて下さい‥‥お礼はタップリしますから‥‥」
「‥‥礼?」
 大男の下から、潤んだ目線で見上げるリーゼ。見下ろす男の視界に、胸の谷間が垣間見える。全てが彼女の計算通りだ。大男は僅かに逡巡した後、唇をゆがめるとドアを開けた。
「リーゼ‥‥姉、さま」
 お腹を押さえて苦しそうな演技をするリニクの肩を安心させるように抱いて、リーゼが大男に続く。中にいたのはもう1人、受付っぽい場所に座る白人だった。リーゼ達は知らぬ事だが、暁が報告した3人目はこの時、ゼラス達にのされている。
「おいおい、入れてどうするんだヨ。隊長に怒られるゼ?」
「急病らしいからな。子供2人でこの時刻、『医者』としては放り出すわけにもいくまい」
(‥‥子供2人!?)
 複雑な思いを感じるリーゼをよそに、大男はサイズが違う白衣を無理やり羽織った。
「ひょっとしたら、どっちかが客の希望に合うかもしれん。うまくいけばボーナスだし、外れなら一晩泊めてやればイイ」
「このロリコンめ」
 能力者の知覚力なら手に取るように聞こえる密談のあと、ニヤリと笑う大男。リーゼの色仕掛けは、不本意な角度からとはいえ通用しているようだ。白人は軽く肩をすくめてから手元の雑誌へと注意を戻した。
「さて、悪いのは腹か? まずは診察だ。‥‥前をあけて」
 聴診器を構える大男を見て、リーゼにすがりつくリニク。そのどこまでが演技なのかは定かでないが、リーゼは『妹』を庇うように一歩前に出た。
「それよりも先に、お礼を。‥‥実は私も苦しいんです。胸が‥‥」
 そう言いながら、ゆっくりと胸のボタンを1つ外す。見せつけるようにさらにもう1つ。
「ほほう、‥・・いやらしい子だ。お姉ちゃんにも診察がいるようだな?」
 ロリコン男の目尻が垂れ下がるのを感じて、リーゼはそこはかとない敗北感を感じていた。

 壁を蹴る音が聞こえたとしても、敵が外を見る頃には、少女2人は屋上に駆け上がって一息ついていた。年齢こそ同じだが、それ以外は対照的に見えるフォビアへと、イリアスが静かに視線を向ける。
「先ほどの事。あなたは優しいですね。私は、今回の敵には怒りしか感じません」
 イリアスが告げたのは非難ではなく、単なる感想。だが、フォビアは少し視線を落とす。
「私は、食べられない苦しみを知ってる。だから、闇医者の人たちに、自分がどれだけ酷い事をしたのかを理解、して欲しい」
 理解して、被害者に心から謝れるようになって欲しい、とフォビアは続ける。憎しみの連鎖の中で殺すよりも、その方がいい、と。
「‥‥甘い、とは思います」
 イリアスの言葉は正直な感想だ。
「私だって、大切なものは失ってきた。その上で、出した答え。これが、私の戦い」
 顔をあげたフォビアの目には、強い意志の光があった。それを見たイリアスは内心で思う。フォビアは、外見だけではなく過去も、そして考え方も自分とは随分違う、と。だからこそ‥‥。
「では、私は3Fの子供を優先します。おそらくは4Fにいる医者は、任せていいですね?」
 驚いたようなフォビアへ、イリアスは穏かな笑みを向けた。彼女の視線の先に、ゼラスが運転するセダンが戻ってくるのが見える。考え方が違う仲間だからこそ、相応しい役割分担があるのだ。

●そして、制圧
「‥‥なんだ、もう戻ったのか。ん!?」
 外から響くエンジン音、微かに響いた銃声は、電力引込み線を暁が拳銃で狙撃した音だ。一瞬遅れて、電灯が一斉に消えた。大男の意識がそれる。瞬間、前をはだけたリーゼが大男に身を寄せた。
「おっ?」
 微かな柔らかい感触にニヤけた大男の表情が、一瞬で苦悶のそれに変わる。リーゼの膝が、大男の鳩尾へと刺さっていた。
「ごめんねぇ。私、ロリコンって大嫌いなの。いい子にして眠ってね?」
 養子とはいえ、一児の母でもある彼女に子供の敵への容赦は無い。その横を、仮病をやめたリニクが階段へと一気に駆け抜ける。2Fから顔を出した別の男を、行きがけの駄賃で殴り倒していた。
「子供‥‥利用した‥‥罰‥‥!」
 階段を派手に転げ落ちた敵は、そのままピクリともしない。
「な、てめぇら‥‥ッ」
 いいかけた白人の視界を、眩しい何かがくらませる。牽制にとリーゼが放った照明銃の灯りは数秒しか続かなかったが、直視してしまった男の視力を奪うには十分だった。玄関のドアが勢いよく開いて、ゼラスと賢之が駆け込んでくる。
「くそ!」
 2Fへと駆け上がるゼラスとリーゼにむけて、目の見えぬ白人が受付の裏からショットガンを持ち出した。たとえ射手の目が見えなくとも、狭い空間と散弾銃の組合せでは回避する術が無い。もしも、撃つ事ができれば。
「ぐったいみん♪」
 アサルトライフルで白人の手から獲物を弾き落とした賢之が笑う。2Fへ向かう仲間を見送ってから、彼は1Fの敵を無力化にかかった。
 2Fにいたもう一人の敵は、子供を抱えて非常階段から出ようとしたところを撃たれていた。追い込んだのはゼラスとリニク、そして狙撃したのはアッシュだ。
「ハッ! させっかよ、阿呆タレ‥‥!」
 そう言うアッシュのスコープ越しに、怯えた少女がゼラスへと抱きつくのが見える。別室の子供も、リーゼが落ち着かせていた。

「見事な奇襲だな、能力者‥‥」
 3F、窓の格子を叩き壊して子供の部屋に飛び込んだイリアスは、鋭い目の中年男と対峙していた。部屋にいた少年は、彼女の背後で震えている。
「この銃の貫通力はお前が盾になっても物ともせん。その子の命が惜しくば‥‥」
「人質か‥‥だが、全ては無駄な事だ」
 大口径の拳銃を向けた男へと、イリアスは覚悟を決めた目を向けた。男の頬が僅かに動く。
「仲間を待っているのか。ならば先に撃つ」
「無駄と言ったぞ。何なら、貴様の行動と私の抜刀‥‥どちらが速いか試してみるか?」
 イリアスの挑発に、男は無言で答えた。引き金を引くと言うほんの僅かな動作。だが、能力者のイリアスの先手を取る事はできない。一瞬の交錯、そして衝撃で引かれた引き金。銃弾はイリアスの腕で止まっていた。跳弾が子供に危害を加える事を怖れたとっさの判断だ。
「‥‥化け、もの‥‥め」
 イリアスにも手加減をする余裕はない。渾身の一撃で壁に叩きつけられた男は、瀕死の状態だった。
「我が身は“呪われし竜”なれど、貴様等ほど魂を化物に堕としたつもりはない」
 黒き右腕を朱に染めて、少女は男にそう言い放つ。

 4Fでは、上からの奇襲は想像していなかったらしい敵が、一瞬で制圧されていた。
「どうして、こんなことをしようと思ったの? 酷いことだって、分かってるはず」
「た、助けてくれ。金ならやる‥‥」
 腕の骨を折られた闇医者が呻くのを、フォビアは悲しそうに見る。今はまだ、彼女の言葉は通じていないようだった。
「制圧完了、死者は2人です」
 イリアスの声。子供の世話に残ったリーゼと、捕虜に睨みを聞かせているゼラスと暁を除いた面々が上がってくる。
「能力者のせいで仕事追われたのは知らん。けど、人を欺いて得するより、損するほうがよいと思え。パソコン、これだな?」
 説教の合間に聞いた賢之の声に、闇医師が力なく頷く。後で問い詰めればパスワードも何もかも吐くだろう。その時、フォビアは命乞いをする気力も失せたらしい医師の横に、リニクがこっそりとしゃがみこむのに気がついた。
「見覚え‥‥ない‥‥?」
 首に下げた小さな指輪を見せた少女は、医師が首を振るのを見て目を閉じ、立ち上がる。
「それは?」
 声をかけられた事に、リニクはちょっと驚いたようだった。
「‥‥知ってる人、探してる」
 リニクは理由までを語ろうとはせず、フォビアもそれを問おうとはしない。彼女が聞きたかったのは別の事だった。
「ずっと、探してるの? ‥‥諦めずに」
 フォビアの言葉に、リニクは指輪を握る手に力を込める事で答える。やや間を置いて、フォビアも医師の傍らに膝をついた。
「‥‥私も、聞きたい事があるの」
 2人の少女が探す相手の手がかりは、ここでは見つからなかった。だが、目の前の3人の子供と、更に多くの子供たちが毒牙にかかる事を食い止める事ができたのは、間違いない。そして、毒牙を繰り出す蛇へと繋がる道筋もまた、能力者達の手によって確保されたのであった。