タイトル:再び貴方を待っていますマスター:紀藤トキ
シナリオ形態: イベント |
難易度: 普通 |
参加人数: 55 人 |
サポート人数: 0 人 |
リプレイ完成日時: 2009/06/07 23:56 |
●オープニング本文
ラストホープの、ファミリーレストランの片隅で。
『言葉にしなくちゃ、想いは伝わらない! 5月は恋愛応援フェア!』
ピンクの可愛い文字が躍る雑誌を、うだつの上がらない研究員風の白衣の男女が仲良く覗き込んでいた。男の名前をウォルト・マイヤー、女の方は内藤・美沙という。ちなみに、別に恋人同士でもなんでもない。
「‥‥うわ、あの時計ランク入りしてないぞ」
「当たり前だ。この雑誌の購読層は我々よりも若年だからな。あんなもの買える学生がそんなにいてたまるか」
などと言いながら読み進む美沙。すぐに目当ての記事に辿り着く。ウォルトが指を差して読み上げ始めた。
「告白に向いたスポット。3位、学園の伝説の樹。2位、ラストホープ港、星への丘。そして、1位が‥‥」
☆ラストホープ中央公園☆
彼の呼び出しはメールで♪ 真ん中の噴水前でちょっと遅刻で待たせちゃおう☆
おめかしもいいけど、あまり派手過ぎはNGだよ! 自然な魅力で彼をノックアウト!
昨年6月末にはカップル狩りと鎮圧部隊による、凄惨かつ生暖かい笑みなくしては語れぬ戦いが起きた場所だ。知らぬわけではあるまいが、記事はつくづく能天気だった。
「‥‥受賞おめでとう、風紀委員」
「あの後も、非番には地道なパトロールと生活指導に向かっていたからな」
フ、と笑いながら紫煙を吐く美沙へ、暇人だな、と苦笑するウォルト。だが、こんな記事が出た以上、再び混乱が巻き起こる可能性もある。桃色粒子を振りまく連中の増加に比例して、それを肴に騒ぐ連中も増えるのだ。
「ま、昨年のように誤解が原因の暴動の恐れはないが。行き過ぎぬよう、巡回は怠れないな」
「結局、それか。ま、頑張ってくれ」
苦笑いしながら、手を上げるウォルト。
「なんだ、お前は今回も傍観か」
「‥‥ま、男同士でも友情という奴がありましてね」
等と言いつつ、彼は自分の分のレシートを持って歩き出す。去る者の背には一顧だにせず、美沙は公園の見取り図を眺めて薄笑いを浮かべていた。
同時刻、やはり非番だった篠畑は、そのウォルトに貰った男性向けの週刊誌を読んでいた。
「中央公園、か。あれから1年になるんだなぁ」
記事の中身は、似たようなものだ。というか、6月のシーズンに向けてそういう特集が多いのかもしれない。
第七位:ラストホープ中央公園
緑の多い落ち着いた環境の公園。人の行き来もそれなりにある。若者が多目。
いつも世話になっている大事な女性への言葉を、普段着で伝えるのには良い。
「‥‥ふむ」
考え込みながら、携帯端末に目をやる篠畑。結局、その雑誌のせいかどうかはわからないが、その日にラストホープの傭兵達が送信したメールの桃色含有率は普段よりもやや高めだった。
●リプレイ本文
●
夜半、メールの着信音が鳴った。
「‥‥菫さん!?」
智弥が慌てて起き上がる。
『元気か! 元気だな。拒否権はないのです! 良いか、明日LH中央公園で待ってるから来るのです! 逃げたら許さんからな!』
いつも通りの様子に微笑んで、智弥は布団を抱くように横になった。
同時刻、公園。
「ファルルさん。演説用のやぐら建てておいたよ。今年も、穴を掘るの?」
アンジェが、ファルルの姿を懐かしそうに見る。
「嫌な予感がするのよ。転ばぬ先の落とし穴よね」
彼女達『微乳教』の活動はここで始まった。その再現になるのだろうか。
「こんばんは。俺達も失礼するぜ」
「備えあれば憂いなしーってな」
蓮角と奏良も、明日に備えて罠を張るつもりのようだ。
「やはり同志として迎えたいわね」
奏良を見たファルルが呟く。そんな姿を遠くからアルが眺めていた。
「今年もせいが出ることだな」
微笑する。どたばたも嫌いではないが、明日は大事な日だ。
「危険なのは高台と森‥‥か」
頷き、危険箇所を地図に書き込んでから悠季へと送る。既に住まいも同じくしている彼女だが、ムード重視で外で待ち合わせる予定だった。
「あの男も確かに敵ではあるが‥‥最優先ではない」
別のビルの屋上で、祐介が呟く。世のカップル全てを敵と公言する彼にも、優先順位はあるらしい。
「‥‥にしても、流石は最後の希望。妨害は困難か」
LHの対電子戦体制は強固だった。
「勝負は当日。首を洗って待っているがいい」
眼鏡が青白く輝く。
●
そして、翌日。
「チケット、わざわざありがとうね」
礼を言うエレンに、UNKNOWNはいつもの微笑を向ける。
「エレンの待ち合わせは公園だったかな? 私が呼んだのも公園に誘う為でね」
何かあるらしいという彼に、エレンは怪訝そうに首を傾げた。
「何だか物々しく、ない?」
「‥‥去年のアレか。ン? あの男は」
男は鋭い目を広場に向ける。
「少し、所用が出来た。皆と逢って来るといい」
さっと帽子を下げて、彼は駐車場へと踵を返した。
「褌じゃないと一人前じゃないからね。カップルに相応しくしてあげる為の人助けだと思って」
「駄目だ。この褌は渡せん!」
大石は、爽やかに言いきった。慈海も引き下がらない。
「使用済みのでいいから。むしろ使用済みのがいいから」
「却下!」
「お願い!」
「断る!」
やり取りを横で聞いていた響が、手を打った。
「要するに、大石さんの褌が必要なんですか」
では、と右手を前に出す。2人の視線が集まった所で、左手と勢い良く打ち合わせ。
「はい、ここに」
響は善意であるが、前後への洞察が欠けていた。使用済みの褌が彼の手元にあると言うことは。
「ぬぉおお!?」
暫く画面はそのままでお待ちください。
「大石さん、ふんどしーちょ! あれ? どうしたんですか」
つばきは、蹲ったまま涙目の大石にちょっと引いた。
「同志。俺の褌を狙う敵が現れた」
またかよと今度は本当かの両方の感情が少女の中でせめぎあう。
「そいつに奪われて今の俺は‥‥」
「ま、まさか」
つばきはもう一歩引いた。褌を無くした大石は、ZENRAであろうかと。
「ハッハハハ。ぬかりはない! すぐに予備に着替えたさ!」
予備を用意するより他に脳みそを使え。
「が、マイベスト褌に比べると、恥ずかしいんだ‥‥」
再び前を隠すように蹲る大石。どう違うんだ。そもそも羞恥心があったのか。
「ふんどしーちょ! つばきさん、大石さん、今回はよろしくね♪」
「おお! 良く来てくれた」
続いてやって来た光の手を、一瞬で立ち直った褌BAKA一代が掴む。
「恋人さん達を応援しちゃおう☆」
「そうだ。やろう! 恋人達に褌を広める事が、散っていった褌への、供養になるさ」
「ええと、広めるって何をするんですか?」
中略の間に、LHのカップル達を襲う脅威が1つ減った。
「‥‥カップルの男性を脱がして褌検査とかしたら捕まりますから」
「し、しかし」
「褌じゃないと彼女と付き合っちゃ駄目とかいう法律もないよ」
「な、じゃあこの世界のどこかに褌の楽園があるというのも」
そんな事は誰も言っていない。
「ふむ、あの個性的な美学の持ち主は?」
盛り上がる一行を、伯爵が興味深げに見ていた。
「つばきちゃんがいるし、噂の褌隊かな‥‥?」
参加は止めておいた方がいいってゴーストが囁くの、と南雲が解説する。
「斑鳩さん、伯爵さん。ふんどしーちょ!」
「カップルだな。祝おう!」
奇妙な踊りを始める大石。さらしと褌の少女2人もエールを送り始めた。
「ファイトー、ふんどしーちょー! イケイケゴーゴー♪」
「あ、いや。カップルって訳じゃ‥‥」
照れる南雲。この娘も少しずれている。
「私とは相容れぬセンスだが拘りを感じるね。侮れない相手だ」
伯爵は、何故か対抗意識を燃やしていた。
「‥‥楽しそうですし、また後でお声かけしましょう」
そんな伯爵を黎紀は見なかった事にした。
●
「‥‥随分と賑やかですね。これは、去年の?」
八雲の視界内に、見た顔があった。
「やはり篠畑中尉もいらっしゃいましたか」
「‥‥やはり?」
妙な顔をする篠畑に、頷く八雲。
「お互い、妙なことに巻き込まれる性質のようですね」
「俺は巻き込んだ側だがな」
篠畑の姿を見つけて、セシリアが会釈するのが見えた。
「おや。お邪魔になりそうなので私はこれで」
穏やかな笑顔のまま八雲は広場へと歩き去る。心なしか、常よりも楽しそうに。
「呼び出してすまん。話を聞いて欲しくてな」
「ロシアでの事のお話‥‥ですね」
部下を失い、友が生涯残る傷を負ったあの空の話だ。
「私は、聞く事しか出来ないですけれど‥‥。吐き出す事で、何かになるのなら‥‥」
途切れがちな言葉と違い、少女の目に揺らぎはない。
「私が力になれる‥‥なんて、驕り‥‥ですけど。お話‥‥聞かせて下さい」
セシリアの目は、あの空と同じ青だった。その様子を遠望する灯吾。
「ああいうタイプが好みなのか‥‥そっか‥‥」
呟いてから、何かを振り切るように頭を振る。
「さってと、柏木でも冷やかしにいくかー」
背を向けた表情は、いつもの笑顔。
一方、公園裏。
「来たか。早かったな」
「お兄様のお呼び出しですもの」
カンパネラ学園四天王、疾風のルイと仲間達である。
「御褒美が欲しかったら、がんばるんだな? ‥‥失敗したら、わかっているな」
黒の軍装で背を向けたまま、声だけを投げる紫翠。白ランマッチョが頬を染める。
「で、あなたも行くわけね? せいぜい、がんばっていらっしゃい」
ヤる気満々の従兄弟に呆れたように言う静。彼女は、高台で見物のつもりだった。
●
人が集まる所、商売のタネあり。今年も有希の声に応じて屋台が幾らか出ている。
「今年は、規制が厳しい気がします」
その屋台を守護すべく気合を入れていた有希だが、殆どは手配が間に合わなかった。
「まぁ、あちらも危険物は取り締まられているようですし、やりやすくなったかもしれませんよ」
クラークが言う。
「周囲に罠はありませんね」
「しかし、妙な連中はいるようだ。気は抜けんな」
探査の眼を使っていたリュドレイクに、クライブが頷いた。
「それじゃあ、机をお借りしますわ」
隅では、連絡役としてクラークに呼ばれたソーニャがノートPCを広げる。
「もうやってるのかな?」
「あ、はい。どうぞー!」
仕事明けのアスカが、最初の客だった。
「有希さん、角煮と熱燗一つもらえるかしら?」
慣れた様子で注文しつつ、楽しげに周囲の喧騒を見る。
「今日は何かお祭りでもあるの?」
「ああ、それはですね‥‥」
説明する間に、次の客がやってきた。
偶然人を見つけるのは難しい。
「神撫を探してるんだけど。デートのハズなんだよな。見てねぇ?」
「いや? 知らん‥‥けど」
返答が途切れた様子を怪訝に思うこともなく、アスは別の相手へ。
「一緒にいるのは、小柄な眼鏡っ娘で」
「ほほう。生物学的に女性ですか?」
当たり前だろう、と答えるアス。世間にはそれが当たり前でない場合もあるのだ。エアー嫁とか。
「そうか、見かけたら教えてくれな」
慌しく立ち去った姿を、蓮角と奏良は黒い笑顔で見送った。
「ふむふむ、なるほど」
「ええ度胸やなぁ‥‥」
「国谷さん遅いですね。何かあったのかな?」
ソラが言う。3人で服を買いに行こう、と約束していたのだが。
「今日って告白の日、なんでしょ? 誰か可愛い子に捕まってたりして」
笑うエレンを、陰った目でソラは見あげる。彼女や真彼に恋人が出来たとき、自分だけ取り残されそうで。
「エレンさんは、好きな人とかいます?」
「ん? なぁに、突然に」
人差し指を唇に当てるエレン。内緒よ、と言って告げられたのは。
「国谷さん‥‥なんだ」
「フフ、困らせたくないから、言わないでね」
エレンは照れたように笑う。
「飲み物でも買ってくるわ」
呼び止める間もなく、彼女は軽やかに走り出した。少年の心に重さを残して。
「‥‥大丈夫かしら。あの3人」
伯爵をスルーした黎紀が呟く。過去の自分を見るようで心配なのだ。
「言いたい事を全部伝えてしまえれば、いいんですけれど」
●
「君と出会って、もう1年過ぎたね」
「そうね。長いようで短かった1年だったわ」
噴水前で言葉を交わす久志とナティスを、遠望する翠の肥満。久志とは恋敵だった男だ。
「あれから1年か。確かに早いもんだ」
ニヒルに笑い、矢をつがえる。結ばれた文に、彼が新たな恋を見つけた事と2人の前途を心から祝福する旨が記されていた。
「‥‥待て」
放たれた矢を、傷だらけの男が掴み取る。
「2人の邪魔は‥‥、させん」
直前の任務で受けた重傷で、朦朧としたままこの場に駆けつけた王零の気迫。翠は小さく息をついた。
「話せば解る‥‥かもしれないが」
余裕があるかどうか。狭いLH、交友が無くとも知らぬ相手ではない。
「これも‥‥友の道‥‥。さぁ、いくぞ‥‥」
「‥‥ですが、僕も引く訳には行かない。前に進む為にも」
戦士達の向こうで、久志がナティスに想いの丈をぶつける。
「改めて言うよ。その瞳に僕がいつも映っていたい。今までも、多分これからも」
僅かに切った間に、想いを込めて。
「君が好きだ」
こんな自分でも、という言葉を飲み込み、ナティスが微笑する。
「きみが私しか見えないのなら、受け止めるわ」
手の幅の身長と1年を埋めるように、濃厚なキス。
「これでも足りないようなら、触っておく?」
胸を突き出して笑うナティス。その手を取り、久志は指輪を出した。いいかな? と首を傾げてから、そっと細い指へ嵌める。
「ここでできない事は、また今度‥‥じっくりとね‥‥フフッ」
セクシーな衣装でもう一度笑うナティスへ、久志は外套を着せ掛けた。
「解る、解りますよその気持ち」
「誰!?」
振り返った先で、歩が頷いていた。
「愛する彼女の肌を他人の眼には触れさせたくない。そうでしょう」
「あ、ああ‥‥」
呑まれたように久志も頷く。
「内緒ですが、同志たる貴方には紹介しましょう。その究極系が僕の恋人なのです!」
「‥‥」
胸を張る歩の横は空虚だ。しかし、彼の耳には聞こえる。
『知らない人に紹介なんて。でも、恋人って言ってくれて‥‥嬉しい、です』
「ふっ、ついでで言うなんて、卑怯だったかな」
1人の世界に没入した歩から距離を取る久志。うん、君の肘が当たる柔らかい物とかが現実の味だ。
「おめでとう‥‥二人とも」
よろめきながら、王零が姿を現す。翠とは分かり合えたらしい。
「これは‥‥お前達を見守っていると言う、男からだ」
手紙は多少破れていたが、2人の前に姿を現せない照れ屋の青年の気持ちは伝わった。
●
噴水で待ち合わせのカップルはまだいる。初めてのデート。待ち人は、時間の少し前に現れた。
「‥‥遅れて、ごめん」
慌てて駆けて来たイスルにミズキはほっとした笑顔を向ける。
「よかった」
当たり前のデートの光景に、口をついて出た言葉。2人は屋台へ歩き出す。
その少し左では。
「これって、デートですね」
私服姿の菫に、開口一番ニコニコと言う智弥。
「そ、そういう訳じゃないのですよ。ただ、そのぉ‥‥」
語尾が小さくなる。俯く少女を見る少年の頬も赤い。
「まずは、どこに行こう?」
言いかけた途端、お腹がなった。どっちの、とか聞いちゃダメ。
アニーは、神撫の横を歩いていた。
「生意気だよねぇ、あの子。家でもそうだったの?」
話題は、彼女の弟の事らしい。
「手がかかってしょうがないんですよ」
アニーが浮かべる微笑は柔らかかった。
「マヘリアさんとは、あれから仲直りできた?」
「‥‥」
次の質問には、曖昧な笑みで前を向くアニー。木陰に隠れたアスが天を仰ぐ。
「ったく、手ぐらい繋げよなー」
しっと団の2名が現れたのはそんなタイミングだった。
「やぁ、神撫さん。いい天気ですね」
「ほんまに、清々しい陽気やなー」
爽やかに笑う蓮角と奏良。神撫に、不信感が湧く。
「走れる?」
「え、ええ」
頷いたアニーの手を取って、彼は逃走を開始した。
「待てやこらぁ!」
「止まれ! しっと魔人オニタロスが成敗してくれる!」
そんな声を背に、木立へと。
「あーあ。まぁ後になったら愉快な思い出に‥‥って、何こっちに逃げてきてんだよ、お前!?」
「アスさん、いいところに‥‥悪いけど、此処はよろしく!」
恋と友情は秤にかけるまでもなく、友人を踏み台にして逃げる。
「神撫さん。ここは俺に‥‥」
「任せた!」
横から現れた灯吾も、躊躇せずに敵へ突き飛ばした。
「‥‥大変、ですね」
木立の間を散歩していた幸乃は素直に道を譲る。
「こちらですよ」
掛けられた声に首を向ければ、響が小さく手招きしていた。即断でそちらへ向かった神撫の姿が、アニーの悲鳴と共にふっと消える。
「どこや!?」
「天に消えたか地に潜ったか‥‥」
追っ手の戸惑った様子に響が微笑した。
●
恋人に渡す物としては合羽は無粋かもしれないが。
「備えあれば、という奴だ」
色々飛び交う戦場では必要な配慮だった。
「そうだな‥‥、木立へ行こうか」
アルの誘いに、悠季は腕を絡める事で応える。彼が行く場所ならばどこへでも。それは依存ではなく。ただ隣でいたいと思う。その為の努力は惜しむつもりは無い。
「‥‥前向き、なのかな」
視線を向けるアルに、微笑を返した。
「じゃじゃん、マリちゃん参上。これは一体何のお祭りかな?」
鷹秀の隣で真里は慌しく周囲を窺う。通りがかったアンジェにマイクを向けてみた。
「私たちは女性が胸で差別されない世界を目指しています」
アンジェが指差した方を見ると、櫓の上にファルルの姿があった。
『格差に不満を持つ者よ! 今こそ、私達、女性の胸の大小による格差を是正するための会と一緒に戦いましょ!』
「ほぇ〜」
ぽかん、と見上げる真里。
「良かったら入信しませんか! 今ならプリンつけますです。プリン」
信者じゃないがお手伝い中だったヨグがその袖を引く。
「道具に頼らず、ありのままの自分で居られる社会の実現を目指さない?」
「ええ!? べ、べつに誤魔化してないよ!」
一部で水風船疑惑のある胸を両手で押さえる真里。
「男としては拘る気持ちも判らないではないですが」
自分は、真里が居ればいい、と鷹秀の言葉が真里の頬を桜色に染める。
「素晴らしい心がけね。世界の男が皆こうならいいのに‥‥くっ」
そんな教祖の祝福を受けて、取材カップルは広場を後にした。
そんな教祖の近くで、マイク片手に騒音を撒き散らす奏良。
「恋愛指南書? 片腹痛いー♪ 基本孤高精神でー、逝☆く☆の♪」
「逝っちゃえー!」
音響担当の慈海も、合いの手を入れている。
「こ、この感覚は‥‥」
その姿を目にした真彼の心中に、衝動が湧き上がった。もしも慈海が声をかければ、今の彼は容易く暗黒面へ堕ちただろう。しかし。
「さ、次はあっちだ。忙しい忙しい」
慈海の眼中に、同志の姿は映っていなかった。
「‥‥この感情は、寂しさなのか」
危うい所で踏みとどまった真彼は、噴水で1人俯くソラを見つける。
「おや? エレン君はまだ‥‥」
「屋台、に。飲み物を買いに行ってくれました」
向けられた瞳の色は暗い。
「真彼さんは‥‥」
ソラの口が動く。
「ん?」
聞きたくない、けれども聞かずにいられない。
「真彼さんは、エレンさんの事好きですか?」
どちらの答えが聞きたいのだろう。答えは、あっさりと。
「もちろん好きですよ? ‥‥屋台でしたね。さ、いきましょうか」
自分は邪魔ではないか、と躊躇した少年の内心を知ってか否か。
「‥‥はい」
これは甘えだ。そう自戒しつつも、ソラはその手を取った。
●
「加奈さんだよねー?」
「は、はい」
頷いた少女に、子虎は笑う。
「ベア隊長の事でお話があるんだけど♪」
「ベア隊長というのは篠畑のことにゃ」
付け足す白虎ともども、いつもの女装である。
「自分がどう思われてるか、興味はないかしら?」
そんな2人の後ろから、くれあが微笑を向けた。
「ええと、どういう事、ですか?」
詳しい話は道すがらと言われた加奈は、少し迷ってから頷く。
「涼人センパイ、待たせてしまいましたか?」
「い、いや。さっき来たばかりじゃけぇ」
エリザがついたのは待ち合わせ5分前。雑誌の影響か、飾らないスタイルだ。
「‥‥1時間前からいたよな、柏木」
ベンチで様子を見ていたリュウセイが呟いた。
「そうですね、多分‥‥」
横で透が相槌を打つ。彼も篠畑とセシリアを長時間見守っていた。
「木彫り、か?」
「ええ、落ち着きますよ」
邪魔する人がいたら、一緒に彫らないか勧めるつもりだ、と透は微笑した。ベンチで『ほらないか』とかいうお誘いは実に危険な気もする。
「っと、何の音だ? これ」
柏木の携帯端末の呼出音に、リュウセイの注意が再び噴水へ向いた。一瞥した柏木が、怪訝そうに唸る。
「総帥から?」
『カンパネラの女性徒を誘拐したの。関係ないと思うなら、デートしてれば☆ 白虎』
添付写真を見た柏木が更に唸る。
「VDに手伝いに来とった加奈とかいう名前の。誘拐、じゃと?」
呟く声は、以外に良く通り。
「加奈ちゃんが?」
「‥‥誘拐」
篠畑とセシリアが顔を見合わせた。
「そんな事になっていたなんて‥‥」
奥で、夢理が眼を閉じる。
「私が、お救いしなければ‥‥!」
握った拳には力が入っていた。
「恋の炎に嫉妬の炎。どっちも燃える内が華だね。青春って感じ!」
「そうですか、助けに行かれるのですね、友愛の心のままに」
うんうん、と頷く南雲と、微笑をたたえるハンナの2名は、応援のようだ。
「話は聞かせてもらった! 俺も、手を貸そう」
他人の幸せを守る為、と大地は燃えている。屋台のクラーク宛にもメールは届いていた
「白虎さん、私の身内に手を出しますか」
「そこが‥‥邪魔する人の‥‥?」
覗き込むフィー。
「何かあったらやっとくから、行っといでー」
杯片手に、アスカが2人を送り出す。
●
「応援もいいけど、大石さんはどうなのさ?」
数組目の妨害‥‥もとい、善意の応援を終え、休憩していた褌隊。光がボソッと呟いた。
「好みのタイプってどんな? 褌以外で」
「そうだな。贅沢は言わないがボンキュボン。ちょうど2人と正反うぼえぇえ!」
暴言につばきと光が反応するより早く、飛んできたマイクが大石に直撃していた。
『‥‥この世界は、理不尽に満ちているわ』
マイクの投擲で人を殺せるのもその中の1つ。ファルルの演説を祐介は嘲笑を浮かべて聞く。
「全く、成長していない‥‥。興ざめだ」
視線は胸元辺りに。気配を察知したアンジェが、青年の方を睨んだ。
「やはり現れたわね、全微乳の敵‥‥ッ!」
「残念ながら今の私の敵は君ではない。少し黙っていてくれ、貧‥‥」
飛来したビールジョッキが樹にめり込んでいい音を立てた。
「次弾装填。‥‥次は当てるわ」
サーバからビールを注ぐアンジェ。泡の加減まで拘るのがジョッキ道と言うものだ。
「面白い! 教えてやろう。闘争の本質を」
行き交う人の中へ、祐介は無造作に足を踏み入れる。
「人の壁‥‥。狂ってるわ、貴方‥‥」
「撃てないのかね? ならば、君とのダンスはこれまでだ」
ク、と笑って大股で歩く祐介。その視線の先には、彼が仇敵と狙うカップルの姿があった。
「え、えぇっと、その‥‥うぅ」
何か言いかけていた菫を、無遠慮に祐介が突き飛ばす。
「わぶっ!」
智弥は慌てて受け止めようとした。うん、受け止める過程で事故がおきるのは必然なんだ。
「久しぶりだな、そして死ね」
菫を庇うように智弥が下に。倒れた2人を見下ろして祐介が笑う。
「又暴れているのですか、教授! いい加減にしろぉ!」
身を起こしながら叫ぶ智弥。起こした瞬間に柔らかい何かに顔がうずまった。
「あ、あれ?」
「こ、こここ、この変態!」
意外とある胸を押さえつつ、菫は智弥を殴打してから物凄い勢いで走り去る。
「菫さん!」
「走り去る女を追う。陳腐な構図だがやらせは‥‥!?」
少年の前に立ちはだかる白衣が、吹っ飛んだ。
「最高のタイミングで! 横合いから! 殴りつける!」
アンジェがジョッキをフルスイングした隙に、智弥は全力で走り出す。
「くっ‥‥」
祐介が起き上がった時には、少年の背は小さくなっていた。
「これは素敵ね! 全部台無し! 台無しよ! あっはっはっは!」
「見事だ! 君は今、倒すべき強大な私の大事な素敵な宿敵となった‥‥」
ギラリと眼光を輝かせる祐介。
「あんのぉぉおおん!」
一方、行間で轢き逃げを喰らっていた大石は、意外と元気だった。
●
偶然の遭遇、と言うものもある。
「兄さああああん! 色々言いたいことはあるけどっ、とりあえず蹴られれっ! うりぁ!」
「おや、南雲。元気にして‥‥という質問は、野暮なようですね」
猛烈な勢いで突貫してきた南雲。実の兄である八雲とは、多分バレンタインの騒動の時以来になる。
「相変わらず、いい蹴りです」
と言うことは普段から蹴られていたのだろうか。
「こんにちは、伯爵。差し入れです」
アイスを手にやってきた黎紀が、今度こそ長身の隣へ。
「やぁ、久しぶりだ。個々の美意識の尊重、というのは重要な事だね」
伯爵が演壇のファルルに眼を向ける。耳を傾け、内心ですこぶる同意しつつも戻ってこれなくなる事を危惧する黎紀であった。
「大丈夫‥‥ですか」
落とし穴から幸乃に引き上げられ、神撫が姿を現す。
「奇術の種は、明かせば単純です」
響は、追われる神撫達を隠す為に落とし穴を利用したのだ。かなりハードな道行だったが、アニーはといえば。
「びっくりは、しました」
自己申告によれば、そうらしい。
「ま、こんだけ騒げるんだから幸せだって」
遠い眼をするアスの横で、響はスケッチボードに筆を走らせる。
「たまにゃ、ラブソングでも書くかねぇ」
上げた右手で長髪をかき回すアス。
「素敵ですね」
幸乃が微笑んだ。彼女の脳裏にも、何か曲が浮かんだのかもしれない。
「バグアとの戦いが終わったら、一緒になって欲しい」
木立の間で、何気なく言う。2人の距離からすれば、儀式張る様な事でもない。
「婚約指輪は前に送ったからな、今回はこれで」
懐から、署名捺印済みの婚姻届を取り出すアル。言葉にする事と形にする事は、男よりも女にとって喜びで。
「これからも宜しくね、アル。それとも旦那様と呼んで欲しい?」
いつもの調子で答えつつも、悠季の声が弾んでいる。
「旦那様よりは、『あなた』の方が響きが良いな」
微笑を返しながら、アルは自分の心もまた温かくなっているのを感じていた。
(変わったものだな、本当に)
独白は胸の中に。良く似た2人は肩を寄せた。
●
子虎達に連れられて、加奈は公園の高台へ。
「いらっしゃい。お茶でもいかが?」
「あ、静さん。お久しぶりです」
知った顔を見つけて、加奈はほっとしたように座る。ベンチでのんびりしていた蒼志が顔を上げた。
「おや。加奈さんですか。お久しぶり、でいいんですかね」
休養の為に来ていた、と言う青年の身体は傷だらけだった。依頼で受けた怪我だという。
「無理はしないで下さいね」
「ふふ、加奈さんは優しいですね。まぁ、安静にしてれば大丈夫ですよ」
お見舞いに来るなら大歓迎、と青年は言った。
「何しれっと混ざってるのかにゃ? この人は」
ジト眼の白虎に、くれあが高台の下を指差す。
「あ、そろそろ皆さん、いらしたようよ? 篠畑さんは‥‥」
加奈が、手を膝の上で握り締める。
「いないようだね?」
上着を脱ぎ捨て、水着姿になった子虎が呟いた。
少し前。
「‥‥篠畑さん」
「透、か?」
立ち上がりかけた篠畑の肩を、少年の手が押さえていた。
「加奈さんに身の危険は、多分ありません。その上で‥‥」
考えてください、と透は言う。今、行く事が優しさなのか。それとも自己満足なのか。
「僕は加奈さんの所に行きます‥‥」
セシリアに眼を向け、背中を向けた。
「篠畑、困ってるようだね」
「毅‥‥、か」
同年代にしか見えない彼だが一回り年上らしい。
「僕たちの手は、1人分を掴むのにも小さすぎる。ここは任せてもらおうか」
「‥‥そうだな」
「行かないんですか」
頷く。
「今日は、セシリアと話をしに来たからな」
一方、物事が複雑でない奴は、簡単に燃え上がっていた。
「‥‥すまんのう。どうやらデートどころじゃなくなったわい」
「べ、別にデートではありませんわ!」
高台へ眼を向けた柏木に、エリザが続く。
「わたくしも一緒に参ります」
半拍の間。
「‥‥おう」
歩き出した2人の前に、白い特攻服が現れる。
「俺も手を貸すぜ、柏木」
「リュウセイ!?」
少し煤けた灯吾も脇から姿を見せた。
「俺も忘れてもらっちゃ困るな」
「灯吾もか!」
横並びの4人を見下ろし、子虎が笑う。
「さて、そろそろ出番かな☆」
「決戦と聞いて戻ってきたでー」
教祖に口で負けた奏良は、ヨグから両手一杯のチラシを押し付けられていた。
「天下無双の」「萌えっ子コンビ」
正面に、ゴスロリとスク水の美少年が並ぶ。
「トラリオンッ!」
背中合わせのポーズ。構えているのは、イカ墨を溶かした水鉄砲らしい。
「ぬうっ」
エリザを庇った柏木、を更に庇ったリュウセイが黒に染まる。
「柏木‥‥俺の分まで幸せになってくれ」
いい笑顔で親指を立てた顔面に、またも墨が着弾した。
「危ねぇ!」
飛び出した灯吾の姿が不意に消える。落とし穴だ。
「こんなモノで――ッ!!」
大地もイカ墨で黒くなる。が、それに自らの筆を浸して逆襲を開始した。
「夢理さんよ、まっすぐ行くんだぜ?」
「は、はいっ!」
駆け出す少女を守るように、子虎へと筆を躍らせる。
「わわ、くすぐったいよっ」
スク水姿の美少女を襲う青年、にしか見えないが深くは語るまい。
「懲りずにまた来たのか! ‥‥隠し子かにゃ?」
揃いの髪色をしたクラークとフィーに、首を傾げる白虎。
「違います」
即答しつつ、切り込むクラーク。しかし、迎撃には奏良が回っていた。
「女の子に手を上げるなんて外道やなぁ。クラーク」
フェミニストな青年の弱みをつく策だったらしい。一方、フィーは戦場から距離を取った。
「おや、普通の子なのかな?」
微妙な加減で常識人の慈海が、勘違いして保護に向かう。
「‥‥おじちゃん‥‥何、してるの?」
「うん、哲学的な質問だね。ここにいたら危な‥‥はぉっ!?」
首を傾げるフィーに気を許した途端、パンチ。崩れる中年には、誰が痛打をくれたのかわからなかった。
「大丈夫ですか? ほりましょう、一緒に。発散、できますよ」
差し伸べられた手は、危険な黒さを放っていた。
「危ないですから、こちらにいきましょう、ね?」
ハンナに手を引かれ、フィーは戦場を後にする。
「‥‥ボク、役に立ったかな?」
まだ、できることはあるかもしれない。懐かしい雰囲気を感じるハンナに礼を言って、フィーは屋台へ戻った。
「加奈様は、あそこですね。扱いは悪く無さそうですが」
静と蒼志に挟まれ、戦いの様子を心配げに見る加奈を夢理は見つけた。が、蓮角が少女の行く手を阻む。
「我こそはしっと魔人オニタロス! さあ相手になってやろう!」
「加減は、できません。参ります!」
がつん、とぶつかり合う戦士達。
「んー、ベア隊長はまだかにゃー」
それまでに敗走するのはかっこ悪い、と白虎が悩む。戦況は芳しくは無い。
「篠畑さんは、来ないと思います」
今日はセシリアさんとデートだと思うから、と言う加奈の言葉に夢理と白虎の手が止まった。
●
「とにかく、落ち着けるところ探さないと」
ミズキが腰を下ろしたのは屋台から近い、茂みの傍。
「少し頭を下げたら‥‥、見えない、ね」
「悪い事してる訳じゃないのに、なんで隠れないといけないんだ」
でもドキドキする乙女心。寄り添えば、息が掛かるほどに距離は狭まる。
「この前は告白ボクだったから、今度はイスルくんの番だよ」
そんな近さで笑うミズキに、イスルは息を整えてから口を開いた。
「僕はまだ小さいし、子供だけど、ミズキ姉さんを好きだって気持ちは本当なんだ‥‥」
コクリと頷き、先を促す。少年は澄んだ目で応じた。
「だから‥‥僕と一緒にいてください‥‥。ずっと一緒にいるって約束するから」
「‥‥嬉しいよ。そう言ってくれてさ」
気づけば、周囲の喧騒も小止みになっていた。
「行こうか」
伸べられた手に手を委ねて、2人は立ち上がる。まだ、日は高い。
「壊滅‥‥か」
紫翠が眼を閉じた。
「‥‥よかった、これで死なないですむ‥‥ね」
ごとりと倒れる男を物陰へ引きずり込みつつ、フィーが呟く。恋路を邪魔して馬に蹴り殺されるのを防いでいるつもりだ。通りすがりの愛戦士ことシャレムに骨抜きにされた者もいた。
「‥‥む、胸が。呼吸を‥‥」
どちらかというと、物理的圧力によって。
「愛の力は無限、なのです」
そっと路上に横たえるシャレムに、ハンナが羨ましげな視線を送っていたり。
「‥‥仕方が無い。引き上げさせろ」
ルイへと、紫翠が言い捨てた。
「お仕置きコース、決定だな」
付け足された言葉に、ルイが頬を染める。
「僕はただ皆の幸せを守りたかっただけなのに」
『歩さん、私は貴方を信じます。だから‥‥』
歩の耳元で、幻聴が彼を慰める。
「‥‥いや、迷惑だと言う通報があって、だな」
クライブは、追撃どころじゃないくらいに困っていた。
「僕が愛を貫く事を迷惑だと言うならば、僕は再び世界を敵に回します。いいんですか、敵に回しちゃいますよ、世界」
『いけないわ、歩さん。‥‥でも、嬉しい』
面倒見の良いクライブはため息をつきつつ、若者の肩を叩く。
「‥‥あっちで少し話でもしよう、な?」
酔っ払いの相手をする警官そのものだった。
「はい、チョコセーキ2つ」
「ありがとう」
有希に礼を言ってから、アルは1つを悠季に渡す。
「これも旨かったぞ」
開店からずっといるアスカは、すっかり屋台の主モードだった。
「では、それをこっちに2つ頂けますか」
奢りますよ、という鷹秀に真里は眼をキラキラさせる。
●
「何で素直になれない、うぅ‥‥」
木立の中から聞こえる菫の声。
「みつけた」
智弥は、ごしごしと顔を擦る少女の前に立つ。
「僕は、菫さんのことが好きだ」
幾度でも、何度でも。少年は言葉を紡ぎ続ける。少女が応えるまで。
「菫さんの答えを聞きたい」
「わ、私も。好き、です」
智弥の鼓動が止まった。その間に、菫が顔を寄せる。普段の粗暴さとは違う、躊躇いがちな唇が頬に触れた。
「ぁ」
固まったまま、走り去る少女の背を見送る。
「やったあっ!」
智弥の声に、乾いた拍手が被さった。
「‥‥これだ。これが見たかった! お前の滅びの始まりだ、小僧」
「教授!」
祐介は拍手を続ける。
「後は失う事に怯えるしかない。どこまで相手を信頼できるかな? 所詮はこの私にも声を掛けようとした尻軽女だ」
どん底に突き落とす為の偽装告白な上に、未遂だが。
「光の中で、闇に怯える日々を送るがいい。‥‥孤独という闇を怖れずにすむのは、夜の住人だけなのだからな」
含意のありそうな事をいいつつ、背を向ける教授。実は、告白前に登場が間に合わなかった悔し紛れである。
「‥‥柏木の奴も堕ちたか。だが、私が滅ぶにはもっと何かが必要だ」
「それが何か私は教えて上げられますわ」
むぎゅ、と柔らかい物が祐介を包んだ。シャレムの豊かな胸だと認識するまでに寸秒。
「それは、愛。全てを包み込む愛なのです」
無論、今更胸如きで篭絡されるほど、祐介の闇は浅くは無い。無いのだが。
(くっ‥‥煙幕は検問で‥‥)
混乱する意識を、妙に冷静な自分が眺めている。遠くから、女性の声が聞こえた。記憶を手繰り、それが誰だか思い出す。
(母親、だと? 私は、母を求めていたのか? いや、違う)
冷静な自分が、首を振った。そう、これは。
(走馬灯を見ているだけ、か)
祐介も、酸素欠乏に勝てぬ程度には人間だった。
●
「臆病なんだな。俺は」
壊れた自信と失う事への怖れを篠畑は語り、セシリアは黙って耳を傾ける。日は随分傾いていた。
「特別の『特別』があって‥‥健郎さんは、その『特別』で‥‥」
夕日に頬を染めたセシリアが、今度は口を開く。
「私は、健郎さんの事‥‥好き、なんだと思います」
初めて感じるその想いにつける名前がそれで正しいのか、少女自身にも分らない。
「健郎さんは、分りますか? 私は‥‥健郎さんにとって、どんな存在‥‥でしょう‥‥」
「俺にとってもセシリアは特別、だ」
死を意識した時に、憂い顔が脳裏に浮かんだ。今日初めて鼻の頭を掻く仕草を見て、少女の口元が綻ぶ。
「この間の誕生日と今までの礼、だ。受け取ってくれるだろうか」
ごそごそ、と取り出した小箱の中には、空より海に近い青の指輪が入っていた。
「これからも俺を待っていて欲しい。‥‥空で迷子にならないように」
「う〜ん、やっぱりお節介だった?」
くれあが呟く。
「いえ。迷惑掛けてごめんなさい。私がはっきりしなかったせい、ですよね」
並んで座る白虎と夢理達に、頭を下げる加奈。クラークは少し離れて耳を傾けていた。
「篠畑さん、初めて会った時は彼女さんがいたんです」
素敵な人でした、と加奈は言う。
「亡くなったって聞いて心配で。別に私が、って思ったわけじゃないけど」
聞きながら、透は少し加奈に共感していた。
「不謹慎かもしれませんけど、今日は楽しかったです」
顔を上げた加奈に水がかかる。
「おっと、手が滑りました」
ドリルウォーターショットを構えた蒼志が、掴み所のない笑みを向けていた。
「こんなこともあろうかと、チャイナドレスという着替えを用意してはいるのですが‥‥」
ずぶ濡れで瞬きする加奈の前に、くれあがにっこりとハリセンを差し出す。
「‥‥いかがですか、少しは気分が晴れますよ」
「ありがとうございます」
目元を拭ってから、受け取る加奈。すぱーん、といい音が響いた。
●
「と言うわけで、今回も粛清は失敗したわけだが‥‥」
椅子の上、白虎はジュースのコップを掲げていた。
「しっと団はタダでは転ばない! これより、一周年記念粛清失敗記念打ち上げを開催する!」
「暴れないならお客さん、ですけど‥‥」
「大丈夫ですよ。多分」
警戒したままの有希に、クラークが笑う。今回の屋台は攻撃目標になっていなかった。対象がカップル全般から個人になっていた故かもしれないが。
「まぁ、平和に商売できればそれが一番ですね」
「‥‥アレは敗北を意味するのか? いや、始まりなのだ」
平和の一番の障害は、屋台ソバを啜りながらぶつぶつ呟いていた。ヒビの入った眼鏡が物悲しい。
「少しは気晴らしになった?」
別の卓で神撫が言う。言われてみれば、今日は余計な事を考えられない程に忙しかった。
「面白かったですよ」
微笑を返すアニー。眺めていたアスが杯を掲げた。亀の歩みでも、前に進む友人を祝して。
「色々あったが、面白かったのう」
「そうですわね」
エリザの返事に、周囲を見回してから。柏木は小声で付け足した。
「‥‥これからも、ワシの隣で戦って欲しい、とかいうのは‥‥迷惑、かのう」
チラ、と見上げた柏木は口をもごもごさせている。
「構いませんわ」
もう少し踏み込んで来ても良かったのに。苦笑は、安堵に頬を緩める様子を見て微笑に変わった。
「有希君、ちょっと手が足りません」
そんな光景を支えるリュドレイク達は火の車モードだった。
「焼きソバ、1つお願いねー。さっきのナイアガラーってやつで」
「トルコアイス! クラーク、払いはよろしゅうなー」
攻撃されているわけではないのだが、厨房は思い切り戦場である。隅の方ではクライブが歩と長い会話を続けていた。
「で、あなたは一体何してたわけ?」
静が聞く。紫翠とルイ達も、積極的な悪さをしていたわけではないらしい。
「これですよ」
ルイをぐりぐり踏みながら、カメラを掲げる紫翠。
「カップルの行動は後で見直すと、恥ずかしい物ですから‥‥」
嫌がらせに編集して売ろうか、などと言う笑顔はどす黒かった。
日が沈み、屋台が稼ぎ時を迎える頃。
「今日、僕は1つの恋にサヨナラした‥‥そして今日、僕は新たな恋に改めてコンニチハする」
高台で、1人の男が夕日を見つめていた。
「おりむぅうううんッ!! 好きじゃああああああッ!!!」
大声が夜闇を裂いた。