●リプレイ本文
●街角にて
「うーむ。帰るか‥‥」
年の瀬を迎える街の雑踏は、うきうきと楽しげで。少し居心地の悪い物を感じた篠畑が踵を返そうとする。
「あら? 篠畑さんだったかしら」
久しぶり、と笑う色白な美女に、篠畑は二度ほど瞬きをした。
「‥‥あー、リアリア先生か。あの時は世話になった」
千歳で空中戦に参加し、怪我を悪化させた篠畑の事後処置を行ったのが彼女、リアリア・ハーストン(
ga4837)だった。
「すっかり、よくなったみたいね。その後の経過はどうかしら?」
「見ての通りだ。助かったよ」
等と立ち話している姿は意外と目立つ。篠畑はともかく、ナイトドレスの上にコートを羽織った美女が人目を引いた。
「Hi.誰かと思ったら篠畑中尉。今はLHに?」
などとシャロン・エイヴァリー(
ga1843)が上げた明るい挨拶に、別方向から不知火真琴(
ga7201)も驚いたように視線を巡らせる。彼女より頭1つ背の高いオリガ(
ga4562)がキョロキョロと周囲を見渡し、それっぽい人物を発見した。
「あそこにいるのが、そうじゃないですか?」
街をくたびれた軍服で歩いている奴は、そう多く無い。彼女の誘導で人ごみを縫って行けば、すぐに篠畑の姿が目に入った。
「お久しぶりです。夏にはお世話になりましたです」
ぺこりと頭を下げてから真琴は、篠畑へと同行者を紹介する。
「はじめまして、篠畑さん。今日はよろしくお願いしますね」
にこやかに微笑むオリガの両手は、大量の食材とお酒の詰まった袋で塞がっていた。
「ちょっと待て。今日はよろしく、って‥‥どういう事だ?」
怪訝そうに問う篠畑は、ウォルト達の依頼内容を知らなかったようだ。どうやら、篠畑を交えてホームパーティを開きつつ、彼に対する禁止事項は徹底する、と言う事になったらしい。よそゆきモード継続中のオリガが概略を説明する横で、一緒にどうかと真琴が誘う。
「OK,そういうことなら喜んで。景気良くやりましょう♪」
意気揚々とシャロンが宣言するのにつられ、篠畑も笑った。確かに、1人で景気の悪い顔をしているよりは、大勢で集まって話に花を咲かせるほうがいいだろう。
「狭い部屋だが、飲み食いするだけならどうとでもなる。学生時代みたいで懐かしいな」
いや、こんな華やかな事は無かったか、と懐かしむように言う篠畑の肩が叩かれる。
「――私もお邪魔していい? アレから少し、気になっていたのよ」
試した薬の効き具合が、という言葉は心中に留めて、リアリアは艶やかに微笑んだ。
●男の部屋とは
「あー、掃除機くらいかけとけばよかったか」
一応士官の篠畑があてがわれていたのは、かなり大き目のワンルームだった。病院生活だった篠畑もまともに部屋に入るのは久しぶりらしく、千歳から送られた身の回り品がそのまま固めておいてある。
「‥‥うわ」
冷蔵庫の中身は調味料程度しかない。口の辺りが乾いた醤油の瓶を手に真琴が首を傾げた。
「あー、前の出張の時のままだから。3ヶ月くらい放ってあるなぁ」
「新しく買ったのがあるから、捨てちゃいますね」
さて、と臨戦態勢に入る真琴に、オリガとシャロンが続く。3人も入ると1人暮らし用のキッチンは一杯だ。
「本当はバーとかのほうが雰囲気ではいいんだけど」
リアリアも、カクテルを造るべく、持参の謎飲料を手に冷蔵庫方面へ。
「俺も何か手伝うか?」
等と篠畑も一応口にはしてみる物の、冷蔵庫の惨状から戦力外通告が下された。と、そこで呼び鈴が鳴る。
「‥‥おや、誰だ?」
一番暇な篠畑が玄関へ向かい、扉を開けた。緑髪の美女と、少しワイルドな青年の後ろに少女2人が控えめに立っている。リアリアの時の倍ほど考え込んでから、篠畑は引きつった笑顔で後ずさった。
「‥‥誰かと思ったら翠さんか」
翠の肥満(
ga2348)はれっきとした男性である。が、時折女性に変貌するらしい。篠畑に悪戯っぽく微笑んでから、彼女――そう、今日一日は『彼女』と表記するのが相応しいだろう――は、昔ながらの牛乳瓶の蓋を開けた。
「篠畑さん、お久しぶりです。あ、これお土産です。どうぞ召し上がれ。あ、開いちゃってるから無駄にしちゃ駄目」
流されるままに口をつける彼を満足げに見る翠。だが、それは序の口に過ぎない。彼女の手元と駐車場の車の中には、LH中を駆けずり回って買い集めた賞味期限の近い牛乳が用意されているのだ。
「いい年こいた大人に療養方針を教え込むってな、ちょいと過保護過ぎんじゃねーかと思うんだけどな」
屈託無く言う小田切レオン(
ga4730)は、苦笑する篠畑とは初対面だった。2人が軽く自己紹介する間に翠が奥へと消えていく。
「ここが篠畑さんの寝室ね? わぁ」
「やっぱりベッドの下はお約束よね。‥‥こ、これは!?」
シャロンが嬉しそうに引っ張り出した本は、『バスケット入門』。
「あー、ちょっと部下とのコミュニケートの為にな。そういえば、あれはリゼット達が提案してくれたんだよな」
「‥‥あ、はい。そうですね」
リゼット・ランドルフ(
ga5171)が目を合わせずに相槌を打つ。先の空中戦で悪化したであろう彼の怪我に、彼女は責任を感じていた。普段と違う少女の様子に考え込む篠畑へと、セシリア・ディールス(
ga0475)が手にしていた包みを手渡す。
「‥‥お土産の、ワイン‥‥です。勿論、健郎さんは飲んじゃ駄目ですよ‥‥」
骨折にはこれを、と差し出されたのは牛乳瓶だった。流行ってるのか? と言いつつも2本目を飲む篠畑。奥では、レオンが女性陣に混じって調理を始めていた。篠畑は立ち働く人々の中、何もせずに待つのは少し居心地の悪い人種である。役立たずなので居場所は無いのだが。
「‥‥あの、良ければその辺、ご一緒‥‥。散歩とか‥‥ぶらぶらしませんか‥‥?」
「ん? ああ、構わんが‥‥」
セシリアからの誘いにちらりと奥をうかがう篠畑。
「あ、行って来ちゃって下さいですよっ。1時間もすれば準備できますから!」
台所から、包丁片手の真琴が笑いかけた。まだ逡巡する篠畑に、レオンもニッと笑顔を見せる。
「女の子に恥かかせちゃダメだろ。この機会にゆっくり羽根休めしとけって。な?」
どうせ怪我が治れば嫌でも戦場だしな、と彼はサラリと付け足した。
●公園の一時
「散歩、か。公園にでも行くか?」
「‥‥はい」
行き先はノープランだったセシリアに、篠畑が言う。他の時はさほどでも無いのに、篠畑に会う時は少し気持ちが弱いらしい。素直に頷いたセシリアの先を、少女より随分年上の青年が歩く。歩幅は違えど、のんびりした篠畑の足取りについていくのはセシリアにとって苦ではなかった。
「暇な時はジョギングしたりしてるんだが、な」
「運動は、駄目‥‥です。‥‥牛乳どうぞ」
なぜか差し出される牛乳瓶、本日3本目。
「ま、まだあるのか‥‥?」
と言いつつも飲み干す篠畑。北海道駐屯歴数年の彼は案外牛乳慣れしているらしい。
「‥‥色々制約あって、残念ですね‥‥」
ポツリと漏らした言葉に、篠畑が苦笑する。
「そうだなぁ。怪我してなければ、この間ももう一曲ぐらい踊ってみたかったんだが」
好きでやった事とはいえ、後で医者にえらい怒られた、と言ってから彼は足を止めた。ついてきていた足音が、途絶えている。
「どうした?」
「‥‥早く、良くなって下さいね‥‥」
心配ですから、と付け足したセシリアの表情は、篠畑が振り返った時にはいつもの無表情に戻っていた。
●和食の心
真琴が準備を始めたのは、味噌仕立ての鳥鍋。冬の風物詩だ。
「ふむふむ、案外大雑把でいいのね?」
指示を受けつつ野菜をざくざく切るシャロン。既に準備完了しているリアリアや翠の為に、真琴が簡単な副菜を作っていく。お手軽に作れる事を重視したメニューは、鮪の山掛け、コールスローサラダに大根の明太和えだ。
「飲めない奴の為に、ご飯も炊かないとな」
どっちかというと酒の肴な真琴と対照的に、レオンの用意した品は料理の体裁だった。すっかり宴への期待感の高まったこの空間で、まだ篠畑への配慮が勝っているのは彼と、もう1人位しかいない。
「‥‥買出しとか手伝うこと、ありませんか?」
そのもう1人、リゼットがそう告げる。
「あ、果物、冷蔵庫に入れといてもらえるかな?」
シャロンの声に頷いて、あけた庫内は見事に牛乳で埋まっていた。
「‥‥お腹、空きました」
ほう、っと言うオリガは台所の床にぺたんと座り込み、包丁片手にやっぱり野菜と格闘中。冷たい床に腰を下ろしている理由は、単純極まりない。真琴との背の高さの問題である。
「しょうがないなぁ。少しだけ」
口ではそんな事を言いながらニコニコと、真琴は出来立てのおつまみをお箸でオリガの前へ。餌を待つ雛鳥の如く口をあけるオリガの様子に、真琴は更に笑みを深めた。
「ん? こっちも食うか? 沢山あるから構わないぜ」
レオンの言葉に、目を輝かせるオリガ。シシャモの胡麻揚げを主菜に、白和えや浅漬けが脇を固め、定番の味噌汁と炊き立てご飯の匂いが辺りに漂っている。言葉どおりにたっぷりした量は少しのつまみ食い位では問題無さそうだった。
「ただいま。うまそうな匂いだなぁ」
「おかえりなさい、篠畑さん。コーヒー牛乳にする? フルーツ牛乳にする? それとも、フ・ツ・ウ?」
右手と左手、更にマジックハンドまで利用して迫る翠。
「あー、いや。そろそろ牛乳は‥‥」
「ささ、どうぞ。好意を無駄にしてはいけません。無駄にしたら泣きます」
うふふ、などとしなを作る翠に思わず一歩下がるが、後ろにいたセシリアに退路を阻まれた。
「‥‥骨折‥‥、骨にはカルシウム‥‥カルシウムと言えば牛乳です」
実に見事なコンビネーションだった。
●牛乳などの宴
「皆、飲み物は行き渡った?」
シャロンの声に、グラスやらコップやらを掲げる一同。
「俺は‥‥」
言いかけた篠畑に、琥珀色のグラスが差し出される。
「リアリア特製のカクテル。ハーブ中心に調合してアルコールはほとんど入ってないから安心していいわ」
しかし、牛乳と一緒に飲むと化学反応がスパークして昏倒するとか。そんな危険なグラスは横からの手に奪われた。
「アルコールは駄目です。‥‥牛乳、どうぞ」
「う‥‥、さ、さすがに辛いんだが」
逃げ道を探すも、まっすぐに向けられる少女の瞳からは退避不能である。
「じゃあ篠畑中尉は牛乳で、乾杯といきましょうか♪」
シャロンの音頭で、賑やかに氷が揺れたりグラスが鳴ったり。狭い室内は宴モードに突入した。ちょうど良い加減の鍋が畳敷きの室内中央に運ばれてくる。
「1人暮らしだと、なかなか鍋物には縁遠くなりますからね」
一応、篠畑のことを気遣ったアピールをしつつ、真琴が土鍋の蓋をあけた。ふわっと湯気が立ち上り、それと共に茸の匂いが広がった。鳥系のあっさり出汁に豆腐たっぷりな鍋は見た目からも温まりそうだ。
「おとーふ‥‥あっ」
慣れぬ箸にてこずるシャロン。おたまもあるのだが、やはりここはチャレンジャーの血が騒ぐのかもしれない。
「捕まえた時に、親指に力を入れるといいぞ」
調理は出来ないくせに、篠畑はそんな事だけ詳しいようだ。
「‥‥おとーふ‥‥」
眉間にしわを寄せつつ、何とか成功。やり遂げた表情のシャロンだが、彼女が豆腐1つを確保する間に周囲は鍋をすっかりさらえていた。
「‥‥あぅ」
再び土鍋が引き上げられ、コンロにかけられる。
「どんどん食べてくださいね」
「たんと食え! ぎょうさん食え!! まだまだ沢山あっから、慌てずに食え」
お鍋の具合をみて、レオンとリゼットが料理皿を並べてゆく。飲めない篠畑はちょうどよい、とばかりに箸を伸ばした。食べ物の趣味もやや爺くさい篠畑が最初に選んだのは、浅漬け。
「お。ちょうどいい漬かり具合だなぁ。漬物が上手な子は早く嫁にいけるって、うちの田舎ではいうんだが‥‥」
「あ、それはレオンさんですよ。お嫁入り先には困らないですねっ」
等と真琴が笑う。
「そういえば、本田隊長とか加奈とか、元気にしてるの?」
「隊長は今はドイツだったかな? 加奈ちゃんは帰省中らしい」
「‥‥帰省。仙台‥‥ですね」
シャロンと篠畑の会話に、セシリアも少し懐かしそうに加わった。
「ふぅ、美味しいですね。篠畑さんも‥‥」
と、少し酒精を帯びた流し目を向けてから、思い出したようにオリガは口元に手を当てる。
「ああ、お酒は駄目でしたか。残念ですね。でも、美味しいです」
ふぅ、と満足げに溜息をついてから、篠畑の様子を窺うオリガは、実は悪の刺客だった。
「3つしかない禁止事項くらい、守れよな」
レオンの目つきは、少し険しい。もしも篠畑が禁を破るような事があれば、大変な事になりそうだ。が、オリガの繰り出すアルコールの誘惑は牛乳ペアの鉄壁の守備に阻まれ、得点を挙げられなかった。
「楽しいパーティですね。ミステリーなら殺人事件でも起きそうな雰囲気‥‥それとも既に起きているかしら?」
口元を押えて翠が笑う。程よく冷えた果物が出てくる頃には、篠畑は微妙な顔でトイレと席を行ったり来たりしていた。幸いな事に、兵舎には共用トイレがあったので宴席の空気ぶち壊しにはならなかったが。
「‥‥あ」
持参のレモンタルトを切り分けていたリゼットが、戻ってきた篠畑に軽く会釈する。まだぎこちない彼女に、篠畑はため息をついた。
「リゼットたちのお陰で誰も欠けずに済んだ。俺の怪我くらいで気に病むな。って言っても無理かもしれないがな」
少女の頭を2度、ぽんぽんと撫でてから篠畑は宴席に戻る。
「はい、迎え牛乳。ところで篠畑さん、トイレから戻って、手洗いました?」
「洗っとる!」
差し出された牛乳を邪険に払う篠畑。LHの夜は更けていった。
●再び、日常へ
翌朝。
「んじゃ、あんまし無茶ばっかすんじゃねーぞ? どっかの戦場で再会した時は、お互いに背中預けられると良いな!」
少しばかり青い顔で見送りに出た篠畑に、小粋に手を上げてからレオンが背を向ける。
「‥‥早く、元気になってください‥‥」
セシリアの言葉に思わず身構える篠畑だったが、彼女の牛乳はもう弾切れだったようだ。
「今のお時間で、ベア隊の、後進の指導に当たられたらいかがでしょうか。なんて、余計な事かもしれませんけど」
そう言うリゼットはしっかりと正面を向いていた。まずは腹を治す方が先決か、と篠畑は苦笑する。
「次の機会には、その新しい部下の人たちも一緒に騒ぎたいわね」
シャロンが片目をつぶった。真琴につきあってまだ部屋に残っていたオリガも、窓から見送っている。
「後片付けはこれ位、ですね」
「ええ、立つ鳥は跡を濁しません。‥‥牛乳、まだ入るかしら」
真琴と翠は荒れた室内を綺麗に片付けていた。元通りに、とはいうまい。戸棚や押入れにぎっしりと牛乳が詰まっているのはどう見ても元通りではなかったから。