タイトル:【Gr】貴方が傍にいたらマスター:紀藤トキ
シナリオ形態: イベント |
難易度: 普通 |
参加人数: 51 人 |
サポート人数: 0 人 |
リプレイ完成日時: 2008/11/30 18:39 |
●オープニング本文
「明日、か‥‥」
決戦前夜。部隊は最前線を担う事となっていた。それはいつもの事だ。そして、その度に帰ってこない人がいることも。普段の日々に、一人、また一人と欠けていく顔は覚えていられる。いつまでも、想い出を胸に。時には泣く事もできる。家族を失ったあの時のように。
けれども、大作戦の前と後で居なくなった顔は、多すぎて覚えていられない。人間は、あまりに多くの悲しみを抱え込むようにはできていないから。一人づつの顔を覚えていては、明日から眠る事ができないから。それは浅ましい事かもしれないが、生きて行くとはそう言うことだ。そう、マドリード駐屯部隊の指揮官、ハロルド=ベイツ大佐は思っている。
「そろそろ、俺の番かもしれないが‥‥なぁ」
エレンの上官でもある彼は、数ヶ月ぶりの一服を思うさま楽しんでいた。そんな男をフレームの中から見守る微笑みは、もうヤニ臭いなどと怒る事はない。共に年を取る事も、ない。
「隊長! いつまでのんびりしてるんですか? あ、煙草。やっぱり止めて無かったんですね?」
ノックも無く、扉を開けたエレンに苦笑してから、ベイツは吸いさしを灰皿に押し付けた。一瞬未練を感じてしまう辺りが、生きているという事なのだろう。健康に悪いだとか、部屋に匂いがつくとか、ブツブツと文句を言う女少尉の小言を聞き流しつつ、ベイツは中庭へと出る。後着する部隊に押し出されるようにマドリード市内から出た彼らの部隊は、一般人が避難した後の人気の無い街、小学校の廃校舎に間借りしていた。
「お、揃ってるな?」
揃ってなどいない、と誰かが囁く。そこにはハインツもベックもシェッセルもいない。別の誰かが囁く。奴らも、その辺で飲んでるのだろう、と。
「今日は、おフランスの気取り屋少将殿の自慢の酒蔵から掠め取ってきた酒と、いつもの安酒がある。味のわかる奴は高そうなのを飲んでもいいぞ。ただし‥‥」
「フフフ。のんびりしていたから、もう残ってませんよ」
‥‥この一本だけしか、とウインクしてボトルを差し出すエレンの頭を、ベイツはわしゃわしゃとなでる。
「な、なんですか!?」
「いい子だな、エレン。これが終わったら昇進させてやる」
昔、そう言って頭をなでた我が娘の事は、そろそろ夢に見ることは無くなった。本当に忘れてしまう前に、会いに行った方がいいのではなかろうか、とも思う。ベイツだけではない。彼の部隊は、そんな過去を抱えた連中ばかりだった。目の前の女少尉ですら、バグアによって父親と上の兄を亡くしているはずだ。そんな大佐の思考を察するはずも無く、エレンは口を尖らせる。
「何言ってるんですか‥‥。熱でもあるんですか?」
満点の星空の下、酒を飲む。戦の前日を過ごすにはいい夜だ。遠くで、誰かが下手糞なギターを鳴らし始めた。ベック‥‥は死んだから、ヘンケル曹長か。時と共に、名簿だけではない部隊の穴も埋まっていく。
「そういえば、傭兵達は来ているのか?」
「ええ、もうはじめちゃってる人もいるわよ。これから来てくれる人もいると思うけど」
今宵を楽しんでくれればいい、と大佐は思う。人類の救世主たる彼らは、この戦いも、次の戦いも、そしてひょっとしたら人類の勝利の日まで生き残るだろう。そんな人類の希望に、地べたで死んで行く彼らのような兵士たち一人一人の事を覚えていてほしいとは思わない。ただ、いつか。あの『マドリードで一緒になった部隊の連中』として思い出してくれれば、それでいい。出来る事ならば、楽しかった記憶として。
「ああ、明日もお前は後方待機だ。わかってるだろうが、足手まといだからな」
「‥‥毎回、念を押さなくても分かってます」
彼女にも、できれば長生きして欲しい物だ。大佐や部隊の男達がそう思う理由は、まだ彼女にはわからないだろう。その願いはとても利己的なものなのだ。生き延びて、いつか彼女が産むであろう子に、自分たちの思い出話を語って欲しい、という願いは。
「大佐、少尉をそろそろ解放してくださいよ。俺たちだって綺麗所と飲みたいです」
「明日は作戦開始なのよ。いつもの事だけど、分かってるのかしら」
ブツブツ言いながらも、エレンも付き合いよく兵士の輪に入る。そろそろ、混沌の宴の始まりだ。
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「どうせ飲み干しているだろうと思ってね。追加を持ってきたよ。代わりにと言ってはなんだが、我々も宴席に混ぜてはくれんかね」
事の始めから、グラナダ要塞に関わってきたもの同士、ひょっとしたら今生の別れになるやもしれない。乗り付けてきたワゴンから、モース少将以下のパイロット達がぞろぞろと現われる。整備や管制業務も、今日ばかりは別部隊が代わってくれたのだとか。
「あんたのハゲ頭も、これで見納めか?」
「行き場所がワシと君では上と下、別だからな」
グラスを合わせる中年2人。部隊の長同士がそうであるように、周辺でも適当に入り混じって小さな輪が出来ているようだった。春の頃には、縄張り意識も多少あったのが、嘘のような光景だ。
「連中のお陰、かね」
「‥‥ですな」
2人の視線の先には、傭兵達とエレン。別の場所では料理自慢がつまみを作ったり、しょうもない宴会芸を披露したりしている。酒が進んでエレンに告白しようとする兵士が何人かいるのも毎度の事だ。どうせ素面に戻ったら忘れているのだろうが。隊内のルールでは、あのうわばみに飲み勝たなければその権利は無い、と言う事になっている。
「おい、お前たち。エレンはともかく傭兵のお嬢さん方に迷惑をかけるんじゃないぞ」
「どういう意味ですか!」
いつものような笑い声。大佐は別に信心深いほうでは無いが、今宵ばかりは祈りを込めて天を仰ぐ。願わくば、明日も御身は我らが傍らに。そして戦友達の傍らに。
●リプレイ本文
●宴
「かつて、この地は異民族の手から、自分たちの土地を取り戻したらしいわ‥‥」
グラスを掲げながら語りだすファルル。グラナダの地とレコンキスタを絡めての簡潔な説明だ。しかし、それでも長すぎると思う者はいるわけで。
「それじゃ、作戦の成功を祈って‥‥」
ファルルがそう言った時には、既に大半は飲み始めていた。
「‥‥乾杯」
離れた場所で軽くジョッキを掲げる長郎。戦いを控えて戦意を高揚させる為に、あるいは落ち着かせる為に。
「おつまみ作ってきたわよー」
シャロンの声に、男どもから歓声が上がる。積まれたのは悪評高いイギリス名物フィッシュ&チップスだ。
「うお、塩の塊が!?」
そんな声を背景に、シャロンは兵達の中にいたエレンに声をかける。
「明日はいよいよ決戦ね‥‥バグアにぎゃふんと言わせてやるわよっ」
威勢の良い掛け声に、兵達から杯が上がった。ファルルやシャロンだけではない。そこここで、乾杯の音頭は幾度もとられている。
「はは、決戦か‥‥」
「大丈夫、何とかなりますよ。今日までだって何とかなってきたんですから」
ふと我に返った兵に、フォルが顔を向けた。根拠の無い言葉かもしれないが、そう願う心は力になると、青年は信じていたから。
「私はお酒は飲めませんけれど‥‥、お酌させて下さいね」
ふわりと言う霞澄に、まだ難しい顔をしていた兵も頬を緩める。
「よ。こっち来るか?」
先に兵士と杯を交わしていたエミールに手招きされ、硯が輪に加わった。視線を回せば、先に来ていたシャロンの姿が目に入る。彼女は、筋骨隆々たる兵士と向き合って、手を握り。
「‥‥何、やってるんだろう」
「シャロンに言い寄る権利をかけて腕相撲」
エミールがさらっと答える。酔っ払いの告白に腕相撲で応えたら、そのままそういう流れになったらしい。
「えー!?」
思わず声を上げた硯にウインク一つ飛ばして、シャロンは汗一つかかずに7人目のチャレンジャーを下した。危なげなどあろうはずはない。それでも挑戦者は引きも切らないようだ。
「誰かが止めないと終わらんぞ、あれ」
ニヤニヤと笑うエミールの横、硯が意を決して立ち上がる。
「ほい、にーさんの分も貰ってきたよ」
ポンとワインの瓶をエミールに投げてよこし、入れ替わりに希明が隣へ座った。
「余り羽目を外すなよ?」
未成年なのに、希明はしっかり自分のボトルをキープしていた。
「日本には『ブレイコウ』って言葉があるんだよ。カタいこといいなさんなって」
そう言う希明の頬は既に赤い。苦笑しながらも、久しぶりに2人で過ごせる時間をエミールは楽しんでいた。恋人連れのゼラスとファティマ、暁と薙もそれぞれのスタイルで兵士達との時間を過ごしている。
「貴方達とは長く一緒に戦ってきた気がする。これからも、後ろを任せられる間柄でありたいものだな」
そんなレティの言葉に、神妙な面持ちで頷く兵士達。お手製のパンプキンピザを持った彼女が颯爽と現れたのは約30秒前。酒の勢いもあって彼女の腰に手を回しかけた曹長は、現在地べたで目を回していた。なお、曹長は隊内の格闘技の教官であったりする。
「さぁ、良ければ注がせて貰おうかな」
そんな事とは知らず、彼女は笑顔で酒を勧めていた。しばらくして起き上がった曹長以下、兵士が何故か全員敬語だったのはさておき、穏やかな時が過ぎる。
「‥‥おや、この人数には足りなかったかな?」
彼女が立ち上がりかけた所で。
「おつまみとか、もってきたってばよ!」
ありあわせでざっくりとした物を、九郎が持ってくる。レティに気がつくと、少しためらってから。
「‥‥あーっと。後で少し時間くれないかな。話があるんだ」
「了解。後で、だな?」
瞬き一つしてから、普段どおりに応えるレティ。どこかから、寂しげなギターの音色が響いてくる。
「出会って半年か‥‥長かった様な、短かった様な。距離は近くなったけど」
ギターを爪弾きながら、悠はレティと過ごした日々を思い返していた。楽しく、時に不安に泣く事もあったけれど、乗り越えてきた時間。自分と同じくレティに心惹かれている九郎に対する複雑な感情も心に重い。
「‥‥ふふ、きっと、これからも続くんやろうね」
それは悠の願望、と言うよりは確信だった。
●不安
「又お会いできましたね。軍曹さん」
ハンナに遠慮がちに声をかけてきたのは、以前依頼で会話を交わした初老の軍人だ。兵に率先して敵へあたり、時には死地へ追いやる事もある彼らこそ、軍そのもの。そして、時にその重荷は1人の人間には重すぎる事もある。例えば、こんな夜には。
「信じています。皆さんと、皆さんの戦友達を」
彼らは神の救いを求めているわけではない。それが分かる彼女は、主の救いを述べはしなかった。
「信じています。明日を生き抜き、その先の未来で為すべき事が、皆さんに有るのだと」
ふらりと現れては、しばしの時を過ごして元の場所へと還る。そんな男達の姿が途切れた後で、顔を上げたハンナに皐月が控えめな微笑を向けていた。
「あの人達が‥‥今までスペインを守ってきたんだな‥‥」
だらりと垂れた左腕を庇いつつ、皐月は男達を見る。影も無く、陽気に笑いさざめく男達を。明日、戦いに往く彼らを。
戦いに赴く者の不安。それは一兵卒であろうと勇者であろうと変わらず。あるいは、強き者ほど、より深い恐れを抱くものかもしれない。人の輪から離れて座っていた由梨は、ふと気づくと自分の視線が周囲を漂っている事に気がついた。誰かを、探すように。
「こんばんは。今日は1人なの?」
エレンの声に、我に返る。
「こんばんは」
レンズを巡るラリーの依頼で彼女に会ったのが、随分昔に思えた。
「芸なんていうと、これくらいしかないんですが」
そのエレンを探しているうちに兵士に捕まった薫は、ナイフ投げを披露していた。兵隊の遊びとしてはポピュラーなものだけに、すぐに腕自慢が数名立ち上がる。が、薫の投擲には中々及ばない。
「よっしゃ、盛り上がってきた所で伝統の芸をだな」
「ほ、本当にやるのか? ええい、男は度胸だってばよ!」
とっとと出来上がってしまっていたリュウセイと、何故か捕まってしまった九郎が上半身脱いで登場する。
「ジャパニーズベリーダンサーか!」
腹踊りはなぜか兵達の受けが妙に良かった。むくつけき野郎どもの拍手喝采の前では、傭兵女性達の呆れたような視線も、快感に変わる。‥‥かもしれない。
「皆さん、お待たせしました! 朋特製のおつまみですよー!」
中華風の衣装に身を包んだアヤが、盛り上がる輪へ補給物資を届けにきた。
「つたない腕の料理ですけど、酒の肴にどうぞ‥‥っと」
手のかからない炒め物だが、芳しい匂いは食欲も酒も増進させる。
「ウマそうだな。こっちにも貰えるか?」
手を振るエミールの脇、希明が何か閃いた様子で笑った。
「あ、にいさん、頭にゴミついてるよ。かがんで、かがんで」
ん? とかがんだエミールの首へ、希明が腕を回す。しっとりと、長めに。初めて交わした口付けはワインの匂いがした。
「‥‥やっと渡せたぜ、私のファーストキス」
どこか得意げに笑う、希明。肩をどやしたり背中を叩いたりする兵士達にもみくちゃにされつつ、エミールはまだ少し驚いたような顔をしていた。一緒に騒いで、たまにしんみりと一緒に時を過ごしながら、少しづつ。そんな風に思っていた青年の遠慮がちな一線よりも、彼女が望む距離は近かったようだ。
「フフフ、由梨さん。あっちにいたわよ。早く行かないと、帰っちゃうかも、ね」
青年からの挨拶にそんな言葉を返すエレン。無月には珍しく、足早に去る後姿をエレンは笑顔で見送った。その肩に、誰かが軽く手を置く。
「あ、リンさんも。来てくれてたのね?」
振り向いたエレンが笑みを深めた。
「少し、エレンとお酒を飲もうかと思って」
白ワインのボトルを掲げる年下の友人に、エレンは嬉しそうに頷く。銀と金、静と動、あるいは陰と陽だろうか。どこか対称的な2人は、グラナダを巡る戦いの中で知り合い、友情を育んだ。戦争にも少しくらい、そんな事があってもいい。隅のベンチで、穏やかに季節を振り返りながら、2人はグラスを傾ける。
「こんばんは、2人でいたんですね」
「あら、レールズ君」
エレンが青年を君づけするのはリンの影響だろう。
「長かったですね。まさかこんな大きな戦いになるとは思いませんでしたが‥‥」
悔いが残らないように今夜は楽しみたい、と微笑むレールズに、エレンが猫のように笑った。
「レールズ君とリンさんも、悔いがないように、よね」
片目をつぶって、腰を上げるエレン。夜はまだ長い。
「作戦が無事終わったら祝勝会、やりましょ。その時は腕によりをかけた料理を振舞ってあげるから、覚悟しておくように」
微笑んで手を振るリンに、エレンは今宵一番の笑顔を返した。
●約束
人の声が少し遠い、一角。少し早めに向かったレティよりも更に早く、九郎は待ち合わせ場所についていた。腹踊りで満座の笑いを受けていた時とは変わって、真面目な表情を月明りが照らしている。
「話とは何だろう。クロウ君」
「‥‥俺、レティさんや皆の役に立てるようにもっと頑張るってばよ」
落ち着いて、相手の目を見て。言いたいことはこれが全部ではないけれど、今言わなければならない事は、これだと九郎は思う。
「小隊の皆への脅威をぶっ飛ばして、皆を護れる楯になる。‥‥約束するってばよ」
それは随分前にした約束だ。大男の九郎にしては可愛らしい『約束の仕草』に、レティは笑って応じる。
「死ぬな。強くなり、多くを護れるようになってくれ」
2人は絡めた小指を3度振り、離した。
ぐるりと一巡して、エレンは中央に戻っていた。ハイン手製のつまみを手に、ワインを傾け。
「多少は酔ったフリしたほうが男が喜ぶこともあるよ♪」
「酔ったフリ‥‥?」
慈海に注がれながら、エレンが首をかしげる。その視線の先では、まだリュウセイが派手に盛り上がっていた。
「米さ、米酒だ! のまのまいっいぇぇぇぇいっ!」
ああいうフリはちょっと、などと曖昧に笑いながら、もう一杯。ほんのり頬を染めつつも彼女に酔った様子は無い。
「たまーには飲んだくれもいいものですよっ」
そんな事を言いながら、黎紀が隣に座る。大佐や兵達についでまわってから、彼女の元に来たらしい。
「盛況ですよね〜。エレンさん目当ての男の方たちも居ますし〜」
クスクス笑いながら。
「本命はもう決まってるのかなぁ〜? 決まってないなら」
私が貰っちゃおうか、などと唇を近づける黎紀。
「わ、ええ!?」
エレンの貞操を救ったのは、やはり先だっての件で縁があったラウラだった。
「もう宴たけなわなのね。ちょっとお邪魔するわよ」
「お邪魔だなんて、助かったわ」
先日のアーネストをめぐる一件で動いてもらった礼だ、とラウラが日本酒を差し出す。
「あは、ありがとう。早速皆で頂いちゃうわね」
ちらっと視線を向けた先の慈海は楽しそうに現れたロジーのお酌を受けて御満悦のようだ。
「じゃ、さっきの御返杯」
「目一杯、充電しとかなきゃ‥‥ですわねッ☆」
「いいねぇ。美味しい美味しい」
エレンにロジーに、注がれる端から楽しそうに杯を干す慈海。
「じゃあ、私からも」
そんなお酌攻撃に、さりげなくラウラも加わっている。
「おい、エレン。ちょっと来い」
そんな中年を囲む美女(!)の輪の向こうから、大佐の声が聞こえた。
「無理や無茶は承知だが、クリス・カッシングとも関わりのある少年を預かってもらいたい。この通り、頼む」
トレードマークの帽子もサングラスも外して、Cerberusが頭を下げる。カノン・ダンピールという少年の置かれた立場と、追われるやもしれぬ危惧と。包み隠さず話した青年に、ベイツ大佐は難しそうな顔を向けた。
「まぁ、その時になってみないと確答はできな‥‥っ!?」
「出来る限りの事はするわよ。友達だもの、ね」
大佐の脛辺りに蹴りをかましつつ、にこやかに言うエレン。またお前は勝手に、などとため息をつきつつも、大佐も彼女の言葉を否定はしない。
「お前さんたちには、PN作戦での借りがあるしな」
避難民を守っての撤退戦の最中の、大型キメラによる強襲。エレンと共に現れた傭兵達がいなければ、大佐を含めた指揮中隊は壊滅していたやも知れない。
「難しい事はこの辺までにして、飲もっか?」
話が途切れるのを待っていた慈海が、杯を持った手を軽く挙げた。
「タダ酒飲めるって聞いたんだけど‥‥お、やってるやってる」
ふらっと立ち寄ったアスとハバキも輪に加わる。
「慈海くぅぅぅん!」
だだっと走り出したハバキは、年嵩の友人に抱きついた。そのまましっかりと唇を重ね‥‥。
「う、息継ぎ忘れた‥‥」
酒臭い息をつく慈海に、けらけら笑うハバキ。その後ろから、彼の大事な友人達が声をかける。
「ハバキ、楽しんでまして?」
にっこり微笑むロジーと、手を振る真琴にもふっとハグを返すハバキ。アスの視線が真琴とのそれと一瞬ぶつかる。胸に過ぎる痛みは思っていたより遠く、微かな物に変わっていた。
「こんばんは、アスさん」
「‥‥ああ」
微笑みを返してから、アスは踵を返す。先刻、調子の狂ったギターの音が聞こえた方角へと。
「チューニング狂ってんじゃねぇか。少し借りるぞ」
車座になった中の男に一言断って、ギターを手にするアス。自分の耳を頼りに、軽く音を合わせてから。
「これでよし、と。返すぜ」
「‥‥ありがとうよ。これでベックの奴も成仏できるかねぇ」
受け取った男の手にはしっかりとギタータコが出来ていた。さっきよりも随分ましな音が流れ出す。
「一曲、やってっちゃくれないか? こいつの持ち主の為に」
そんな言葉に請われて、アスは再びそのギターへ手を伸ばした。他にも聞こえてくる音色に併せて、静かに。
「これは‥‥あいつかな」
思い出すのは、夏のステージ。覚えのある音色は若く、そして少し物寂しい。
「レティさん、来てくれるかな? 来てくれたら‥‥、嬉しいな」
爪弾く手を止めて、絆のドッグタグを見つめながら静かに呟いた悠。その言葉に答えるように、待ち人が姿を現した。
「悠、外は冷えるぞ。珈琲でもどうだ?」
九郎と会ってきたのだろうレティ。自分へとカップを差し出すその表情がいつも通りなのが嬉しくもあり、ほんの少しだけ悲しくもある。
「ね、レティさん。‥‥誓い、守ってよね。うちも、絶対守るから」
そっと手を回す悠を、レティは優しく抱き返した。
●混沌
戦いを前に、再会を喜ぶ者もいた。
「うわ、久しぶり! 元気だった?」
エレンは、薫の手を取ってニコニコと笑う。
「お久しぶりです、エレーナさん」
出会いは、春先の奇妙な依頼。あれから随分時間が経った。少年の目に映る年上の女性は、少し笑顔が丸くなったかもしれない。
「和三盆を使った甘めの酒ですけど、『グリーンティー』の香りが良いかな、と思って、ね」
土産だと差し出したのは、抹茶を使ったお酒の瓶だった。
「フフフ、薫君といえば、お茶だものね」
その耳に、何やら騒がしい気配が伝わってくる。
「あ、こら、変なとこに抱き付くな」
「えへへ。酔ってないよー?」
気疲れもあったのか、物凄い速度でお酒が回ったハバキがラウラに挨拶と言う名前のハグを行って怒られていた。と、上げた視線がエレンの方へと向く。
「エレン! この間はありがとうー!」
「わ、きゃ!?」
猪も真っ青の突撃から、エレンをぎゅっと抱きしめて、そのまま顔を近づけるハバキ。あと3cmで唇が触れ合う辺りで、突進は停止する。
「それくらいにしとけ。相手は何せ、聖女サマだしな」
ニヤニヤと笑う、金髪ロッカーの大きな手がハバキの額辺りをクラッチしていた。
「び、びっくりした。‥‥もう、聖女サマはやめてよね」
胸元を押さえて大きく息をつくエレン。なおもニヤつくアスにべーっと舌を出す。
「普段の私は、この通り。立派でもないし素敵でもないもの」
そう付け足す口調は真剣だった。アスが何かを口にしようとしたところで。
「アスー! おかえり!」
くるりと反転したハバキがそのまま親友を押し倒す。
「あはは、ごゆっくり、ね。‥‥私も涼しい所に行ってくるわ」
上気した頬のエレンと一緒に、ラウラも立ち上がった。
「グラナダから帰ってきたらゆっくり飲みましょう。ご馳走しますよ?」
「そうね。もう少しのんびり飲みたいわね」
苦笑するエレンに手を振って、ラウラは別の一角へと足を向ける。
「‥‥こんばん、は」
「お、小さい傭兵さんじゃないか」
若い運転手は、リニクの姿を見つけて陽気に笑った。マドリード奪還の時、そして遡れば2月の緊急招集の時にも出会った青年だ。
「今度は随分可愛いお相手だな」
「ちょ、ちがっ‥‥」
ボソリと口にした同僚へ必死に弁解する男。どうやらシャロンに腕相撲で負けてきたところらしい。くすくす笑いながらも、少女は心中の僅かな不安を口にする。自分が、役に立てていたのかどうか、と。
「「この馬鹿よりはな」」
意外と息の合った様子でお互いを指差す兵士達。安心したようにリニクが頷く。
「また‥‥手伝いに、来るね」
10年後にもよろしく、と本気か冗談か分からない口調で青年が返した。
「‥‥んと」
立ち上がったリニクの視界に、見覚えのある赤い姿がうつる。
「フォビア‥‥?」
見つけた相手は、任務で会う時の鋭さは無く、どこかぼーっと人の輪を見つめていた。
「あなたがそばにいたら‥‥」
口をついて出たのは、流れているギターの曲名。壊れかけていた彼女の時間を再び動かした少年を想い、彼を探してラストホープに来てからの新たな出会いを思い返す。憎むべき敵と、追いつきたい目標と、守りたい人たち、そして共に前を見る仲間。
「こんばんは。‥‥明日、だね‥‥」
そう呟いたリニクの声で、フォビアは夢想から醒めた。
「逢える、かな」
「必ず‥‥、見つける」
2人共に、因縁深い敵がグラナダにはいた。倒したい敵、そして壁。脳裏に映る老人を倒す事が一番の目的ではないけれど。
「頑張ろう」
自分を見上げてくる少女の声に頷いて、フォビアはベレー帽を胸に抱く。
「行ってくるね‥‥」
声をかけた相手は、今は会えない少年と、守りたいこの世界。
エレンも、同じ曲を聴いていた。
「笑顔は出せる様になったかね? エレン」
不意にかけられた声に顔を上げると、いつものように忍び寄っていたUNKNOWNの顔が近くに見える。抱き寄せられた事に怒ろうとしてから、エレンは青年の顔色が少し悪い事に気がついた。
「どうか、したの?」
「――私も少し、疲れたのかな」
上目遣いに尋ねたエレンに、UNKNOWNが囁く。連戦による身体の疲れよりも、山羊座の男への届かなかった想いが残す鈍痛が、彼の心を蝕んでいた。
「今、無性に温もりが欲しくて、ね」
す、と近づいてくる口付けを、エレンは拒絶しない。ただ身を硬くして、目を瞬かせる。時間は、思っていたよりも長かった。
「私も弱い男、なのだよ」
そう呟いた黒衣の男へと、エレンはぎこちなく微笑む。
「‥‥少しは、落ち着いた?」
ならば、良かった、と呟いたエレンの耳に、遠くからUNKNOWNを呼ぶ声が聞こえた。
「あれ? ハンナさん? フフフ、ご指名みたいよ」
もう一度微笑んでから、エレンはUNKNOWNの腕をするりと抜ける。
「これから、どうするのかな? 約束どおり、踊るか」
「ごめんなさい。少し、疲れたみたいだから‥‥。その約束は、今度ね」
そうか、と頷いた所に、ハンナの声がもう一度届いた。いつもの微笑を残して、青年は背を向ける。紫煙の匂いが微かに鼻に残った。
●心、疼き
パイロットの集まった一角には、幼さの残る少年の姿があった。
「‥‥あ。僕は、お酒は、ダメ‥‥うぅん、大人になっても‥‥戒律で」
お酌しつつ、返杯は笑顔で回避。そんな様子を見ながら、フォルが穏やかに呟く。
「ラス、初めて会ったころと随分変わったよなぁ」
「‥‥そんなに、僕、変わった‥‥かな?」
きょとんとした少年に、彼女のお陰か、などと笑うフォル。無口で感情も見えなかった少年が、今では赤面したり慌てたり。そんな変化をもたらした理由は、この場所での経験もあるのだろう。
「焼きソバ、どーすか? まだまだあるっすよー」
灯吾の焼きソバの売れ行きは好調だった。この部隊ではたこ焼きがブームだった時期があるのだとか。
「女の子じゃなくて申し訳ないですけど」
ソラのお酌には、士官がイイ笑顔で親指を立てた。
「今まで助けてくれてありがとう。今回もよろしくお願いしますね」
丁寧に挨拶するソードには、まぁ飲めとばかりに酒が注がれる。少し酒が進んだ灯吾は、最前線に出ていた少将に驚いた事を、大げさに語って笑いを取っていた。そんな場所にファルルが通りがかると、蠍座捕獲の英雄に、とふざけた兵士が略礼を送る。
「なんか捕えた内の一人になっちゃってるけど、ただ私はあの依頼が気になって‥‥」
運が良かっただけだ、と言うファルル。
「いやいや、どうせ褒め称えるならば男よりも女性を、という事だよ」
アルや祐希としばらく話し込んでいた少将が口を挟んできた。作戦についての堅い会話は一段落したようだ。お酌に来ていた霞澄に片目をつぶり、持ってくるなら難しい話よりもこちらがいい、と少将は笑った。
「皆で飲むんです。少し、貰ってもいいですか?」
頃合を見て尋ねに来た真彼に、少将は頷く。皐月と踊り始めたUNKNOWNをチラ見して。
「彼と飲むならな、フォアグラやキャビアが好みのようだから、それも持っていくといい」
ニッと笑って見せてから、彼は丁度姿を現したラウラの杯を受けに向き直った。
「‥‥UNKNOWNさんと、ですか?」
少し苦手な相手の名前を聞いて、上目遣いに真彼を見るソラ。
「いいや、別の相手だよ。柚井君も来るかい?」
「お邪魔してもいいんですか?」
真彼の誘いに、少年は本当に嬉しそうに笑った。
走って、走り回って。
「響さん!」
目当ての相手を見つけた少女の顔が赤いのは、走っていたからだけではない。
「こんばんは、私の騎士さま。今日もとても綺麗ですね」
そんな言葉を返す響に、真白の頬に更に朱が差した。
「これ! 差し入れです!」
差し出したクッキーを食べて微笑む様子を見て、にっこり笑う真白。最近習得したという手品を見せてもらいながら、少女はここが戦地だと思えぬ幸せを感じていた。そんな所へ。
「ふむ。楽しそうですね?」
響を見かけたるなが、興味津々といった目で覗きに来た。
「こんばんは。色々な意味で思い出深い夜になりそうですね」
響もそう微笑み返す。
「いつも、こういう時は落ち着かないな」
るなと連れ立って歩いていたミズキは、決戦前夜の空気に少し過敏になっていた。再び響が披露した手品に、今度は2人が目を輝かせる。左右のどちらかに隠した金貨をあてさせる、昔ながらの手品に面白いようにひっかかる真白。
「ちょっとからかい過ぎましたかね。お詫びにこれをどうぞ」
「わぁ、飴ですね?」
最後に出てきた大きな飴に、真白が目を丸くする。そんな穏やかな雰囲気に居たたまれない思いを感じて、ミズキは寂しげに笑った。
「盛り上がってるトコだけど‥‥。少し一人になりたいから抜けるね」
ふらり、と向かった先は少し離れた駐機区画。残された3人の耳に、ギターとサックスの音色が聞こえてくる。
「踊りましょうか」
「‥‥え?」
響が手を差し出した相手は、るなだった。
「教えて頂ければお相手いたしますわ♪」
「それじゃあ、行ってくるね」
るなと響を見送ってから、真白は胸に手を当てる。少し、奥の方のどこかが痛む気がした。
「エレンさん。こんばんは」
「少し、いいかな」
壁際で、ぼーっと空を見ていたエレンにソラと真彼が声をかける。
「い、いつから見てたの?」
「おや、見られて困るような事があったのかい?」
飄々と返した青年の口調は、何かに気づいていたとしてもいつも通りだった。先の防衛戦で亡くなった兵士の墓前に向かいたい、という真彼の言葉にエレンは少し考え込む。
「日本で言うお墓はないけれど、多分」
彼らに声が届くとしたら、と言って彼女が案内したのは、兵舎代わりの校舎内に置かれた連隊旗の前だった。そこには先客が1人いる。
「‥‥あ。お邪魔しています」
座っていたソードの前には、緑茶の入ったコップが2つ。彼なりの行為で死者に手向けを送っていたのだろう。その隣に、3人が立つ。
「彼らにはね、エレン君を紹介する約束だったんだよ」
「私を?」
不思議そうに言うエレンの方へは目を向けずに、真彼はそっと囁いた。
「‥‥約束は生きて、果たしたかった」
遠くに人々の喧騒が聞こえる中、4人は静かに死者に思いを馳せる。過ぎた時間は5分、あるいはもっとだろうか。不意に身震いしたソラとエレンに、真彼は自分のコートをそっと差し掛けた。その衣擦れの動きで、静けさが破れる。
「‥‥少し、冷えちゃったみたいね」
「見ての通り、マイ湯飲みを持ってきました〜。美味しいお茶をくださいな」
小声で囁いたエレンにソードが笑いかけた。
「そうね。お茶、淹れようかしら。2人はどうする?」
問いかけたエレンに、真彼は小さく首を振る。
「行っておいで。僕はもう少し、ここで彼らと飲んでいるよ」
少し迷ったようなソラだったが、彼は青年と時を過ごす事を選んだ。戦いが始まれば離れて立たねばならないのだから、今だけでも、と。
「‥‥次会う時も、今日と同じ。笑顔です。約束です」
この間は泣き顔を見せてしまったけれど、と別れ際に言うソラに、エレンはにっこりと笑った。
●想い育み
「よーし、飲み比べだ! 俺は強いぜ!」
大声を上げるリュウセイに、黎紀が不穏な笑みを向ける。囃し立てる兵士達を見ながら、悠季はこの数ヶ月を振り返っていた。能力者もバグアも憎んでいたあの頃。自棄になって能力者になり、カンパネラで仲間が出来た。何よりも大きな変化は、自分が嫌いで無くなった事。自分達を嫌いで無くなって欲しいと思えるようになった。
「‥‥踊ってみようかしら」
ふらりと足を向ければ、可憐な少女に誘いの手は多く。
「よ、よろしくお願いしますっ」
若い少年兵の目には、怖れも嫌悪も見えない。ただ、憧れだけ。それを壊す事が無いように、自分のように裏切られた思いを抱える事の無いようにと彼女は想う。与えられたこの力で、自分の出来うる限り人々を助けてみたい、と。
「え、え〜と、一曲踊ってきただけますか? お嬢様」
そんな悠季が踊る近くで、シャロンに手を伸ばす硯。
「さっきは助けてもらったものね。‥‥喜んで」
ありがとう、と微笑む硯。いま手を取ってくれた事だけではなく、万感の思いを込めて。
踊る皐月達を見守るハンナに、イスルが挨拶する。他の知り合いにも声をかけようと思ったものの、忙しそうな様子に少年は躊躇っていた。大事な人といるならば邪魔はしたくない。そう背伸びする少年に、ハンナは優しい目を向ける。
「相手を思いやる気持ちは、今ではなくともきっといつか、伝わりますよ」
それはどこか、自分にも言い聞かせるような言葉だった。
「うん‥‥。ありがとう」
少年はライフルを手に、人の切れた方へと立ち去っていく。入れ替わりに、踊り疲れた2人が戻ってきた。
「‥‥久しぶりに、思い切り踊れた。ありがとう、あんのん殿」
青年の手を取って戻った皐月に、ハンナは微笑を向ける。その手には、歌詞の書かれたカードがあった。
「少し歌うのかな? 伴奏をさせて貰おうか」
目ざとく見ていた青年の言葉に頷いてから、2人は声を合わせる。校舎へ向かうゼラスとファティマの後姿を、ハンナの声が優しく押していた。
喧騒から離れて、アヤと朋は人気の無い教室にいた。誰もいない場所で2人きりというだけで、付き合い始めたばかりの2人には刺激が強い。最初は続いていた会話も、ふと途切れて。視線だけが絡む瞬間。
「‥‥アヤ‥‥。なにがあっても、お前は‥‥必ず俺が守る‥‥」
決意を込めた少年の言葉に、少女はこくりと頷く。月に照らされたシルエットが自然に重なった。
「ん‥‥。大好きだよ、朋‥‥」
夢見るように微笑したアヤの顔をまともに見れずに、朋はきょときょとと目線を泳がす。その手を、アヤがすっと取った。飾り気の無いプロミスリングを、そっと手首に巻く。
「‥‥これでよし。大したものじゃないけど。‥‥これで、いつも一緒」
ニコッと笑った少女を、朋はもう一度抱き寄せた。
真白の視線に気づく事無く、るなと響は敷地を抜け出していた。
「‥‥泣いてはいけませんよ‥‥。彼らは死にに行くのではないのですから」
先ほどまで会話していた兵士達を思って、るなは静かに涙を流す。涙などではなく、雨だと言う少女。
(私はこれから何度も、るなさんと一緒にこの満天の星空を見続けたいのですよ)
そっと言葉を胸に秘めて、響は少女の隣で夜空を見上げていた。
同じ夜を渡る風が、駐機場のミズキの頬を撫でる。開放したままのコクピットへは、宴会の喧騒が遠く聞こえていた。
「小隊長、か‥‥」
まだ自信が無い、とミズキは独白する。頼ってくれる仲間達には言えないけど、戦いの前には思わずにいられない不安だ。
「あれ? イスルくん?」
駐機場の隅に、いつの間にか座り込んでいた少年を見つけて、ミズキはコクピットから身を乗り出す。愛銃を抱えたまま、少年は静かに壁にもたれていた。
「‥‥って寝ちゃってるみたいだな。仕方ない、邪魔しないようにしないとね」
薄く笑ってから、彼女は愛機を降りる。足音が遠くなってから、イスルは息をついた。
「怖いのは自分だけじゃないんだな‥‥」
ライフルへと囁いた声は、夜へと消えていく。
振り返る過去と、これからとの会話の合間に、ふと不安が口をつく。
「レールズ君、あまり無茶しちゃ駄目よ?」
「‥‥リンさんは無事に帰ってきてくださいね」
かけた言葉があまりにそっくりで、2人は思わず顔を見合わせた。
「私も貴方も、知らず知らずに無茶するタイプだから、ね」
ため息をつくリンへと、レールズは小箱を差し出す。
「誕生日おめでとうございます。渡しそびれたら嫌ですから」
中に入っているのは、小さなイヤリング。礼を言いつつも、リンは添えられた言葉に複雑な表情を浮かべた。現実的過ぎる2人だけれど、こんな夜くらいは楽観的になれてもいい。そんな思いがふと浮かんだ。
「冗談ですよ。必ず帰って来ますから‥‥勝利と共に」
笑顔と共に親指を立ててから、似合わない真似をした、と青年は苦笑する。
「約束、したからね」
そんな彼に向けるリンの笑顔は、柔らかだった。
急須の中の緑の葉の動きをボーっと見ていたエレンに、祐希がそっと語りかけた。
「その気があるのなら、もうそろそろ動き始めた方が良いですよ」
「え!?」
振り仰いだ顔は、穏やかな微笑み。俯くエレンに、祐希はそっと言い足した。
「‥‥余り時間を掛けすぎると面倒な事になる。私みたいに、ね」
長身の女性の背を見送ってから、エレンはお茶を注ぐ。頼まれた事に応えるのは簡単なのに、自分がしたい事を見つけるのは難しい。
「‥‥自分でも、分らないのよ、ね」
呟くエレンから離れつつ、祐希は自嘲していた。忠告を送るのもらしくないが、それよりも今の弱気な自分に。目標であり、目的でもあった敵がいない。たったそれだけで、心に空虚な隙間が出来ている。
「‥‥ここに‥‥生きて、帰ってこれるでしょうか」
小さく漏らした言葉。小枝を踏む音に振り返れば、赤髪の戦友がそこにいた。
「共に、蠍座に縁あるものとして、な」
アルヴァイムは静かに語る。蠍座の最期の時、刃を交えた面々をうらやましく思う、と。彼の存在を自身より深く知る機会を得たのだから。あの敵は、この青年にも短く鮮烈な記憶を残していた。
「君は生きたまえ。そして、闘いたまえ。‥‥私は此処にあると示すために」
その輝きに惹かれて、今は眠るあの男が目覚めずにはいられぬように。
「こうやって、アイツとも話したかったな‥‥」
同じ男を想い、ハバキも空を仰ぐ。幾度も泣いて笑って、吐き出した後の平穏。
「ひでー顔ッ!」
その間、ずっと隣にいてくれた親友は、けらけらと笑ってハバキの髪をくしゃくしゃにした。
「『彼』が自由に飛べる空を取り戻しましょう」
決意を込めたラウラの声に、ハバキは無言で頷く。若者達のそんな光景を見ながら、慈海と大佐は静かに杯を傾けていた。
料理の提供が一段落したハインも、今は自らの為にグラスを干す。
「あれだけ言ったのだ。覚悟は出来ているのだろう? ならば、僕達能力者の意地を見せてやろうじゃないか」
長郎は南天を見上げながら、まだ見ぬ老人への宣戦布告を行っていた。
「ううう‥‥もう呑めねぇ」
静けさが増す宴の片隅では、リュウセイが黎紀に潰されている。
「メイクセットで可愛くコーディネートして。ついでに頬か額か首筋にキスマークつけちゃおっかな♪」
不穏極まりない囁きは夜風に消えていった。
●想い深めて
そして、夜の帳が下りた頃。
それは、寒い非常階段で。他愛の無い話も途切れ途切れになり、いつの間にか2人の間を静けさが繋いでいた。
「ん〜〜っと、流石に肌寒くなってきたか? ‥‥ほら」
かけられたコートと気遣いに、ファティマは目を細める。決戦前の空気は、肌で伝わっていた。明日を知れぬ人達の思いに触れ、そして自分達とて明日の戦いを無事に切り抜ける保証などないと知った時に。
今ここに、愛する人がいて、自分がいる。ならば、伝えておかなければならない事があった。意を決して見上げた少女の視線が、赤い瞳に迎えられる。
「あ〜〜まぁなんだ? こういう時に、勢い任せに言うってのは‥‥」
性に合わないと呟く青年は、それでも。少女に先を譲るほど野暮ではなかった。
「好きだぜ、ファティマ。今なら‥‥神様よりお前を愛してる自信がある」
「あ‥‥」
極まった感情は、言葉より先に瞳から滲み出た。
「私も、私も好きです、ゼラスさん。主へ捧げる信仰よりも、貴方を」
愛しています、と囁いて目を閉じたファティマ。
「‥‥あ〜〜月が綺麗だな畜生」
それに気付かず、ゼラスは恥ずかしそうに目をそらしていた。いや、本当に気がつかなかったのだろうか。
「ほら‥‥戻るぞ。勢いに任せて突っ走るのは柄じゃねぇ。ゆっくりと、な」
手を差し伸べた青年にしがみつくようにして、ファティマは真っ赤になった顔を隠す。
「これからも、宜しく頼むぜ? ファティマ」
そう。焦る事も、怖れる事だって無い。2人の時間はこれからも続くのだから。少女が感じていた不安は少し遠くなっていた。
それは、人気の無い屋上で。
「‥‥何か、最近、怪我が多いですね」
きつく響いた言葉に驚いたのは本人だった。冗談めかして言葉を続けて、愛する人が傷つく事を肯定する理由を幾つ並べてみても、由梨にとって傷ついた無月の姿は辛い。
「俺は心配要らないよ‥‥。其れより‥‥由梨が心配」
痛々しい姿で、無月は由梨を気遣う。自分よりも、由梨を。そして他の多くの人達を先に思ってしまう青年を、由梨はそっと抱きしめた。
「無月さんの温もりがあれば、不安なんてありません」
危険に挑む事も、そして覚醒中の自分への不安も、彼がいてくれれば耐えられるから。
「戦場は違いますけど、御守り代わりにこれを。後で返してくださいね」
髪から外したコサージュを、由梨は無月に差し出した。
「必ず‥‥返すね‥‥」
微笑んでから、無月も小箱を取り出す。
「出遭って‥‥一年になる‥‥」
少し照れたように言葉を切る青年は、今この時だけは由梨1人を見つめていた。
「それで‥‥コレ‥‥受け取ってもらえないかな‥‥」
頷いた由梨をもう一度抱きしめて、無月はそっとキスを交わす。名残を惜しむように、離れた唇の間を吐息が繋いだ。
「愛しています‥‥」
「‥‥はい」
どちらからともなく微笑を交わしてから、視線を外す。
「皆にいと高き月の恩寵があらんことを‥‥」
戦士達の輪を見下ろす無月の目は、既に群狼の長のそれに戻っていた。
それは、薄暗い教室で。
「傭兵になる前は、戦う事しか考えてなかった。また仲間を作るのが怖かった。薙さんと出会ってからもすこし、怖かった」
薙の目に映る青年は頼もしくて、そんな思いは透けてこなかった。暁は、穏やかに言葉を続ける。
「だけど、今はみんなといたい。薙さんとずっといたい」
少し、息をついてから。
「好きです。これからも、隣にいてくれますか?」
暁は薙を見つめて、静かにそう言った。言葉にするタイミングが無かった、大事な言葉。
「あ‥‥えっと、何だか恥ずかしい‥‥です」
赤面しつつ、薙は嬉しそうに笑う。
「‥‥でも、とっても嬉しい、です」
微笑んだ薙に、暁がそっと指輪を手渡した。エーデルワイスを模したそれは、彼女との思い出を表しているのだろうか。
「寒い?」
「‥‥平気」
毛布の中で、体を寄せて2人は時を過ごす。頬にそっと口付けをしてから眠りに落ちた薙を、朝まで暁はずっと抱いていた。
そして、決戦の朝が来る。悔いも怖れも、迷いも全て、洗い流して。戦士達は、その新しい日を迎えていた。