タイトル:【収穫祭】食べ歩き再びマスター:紀藤トキ

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 36 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/10/30 02:09

●オープニング本文


 その日、エレンの出張所前に積まれた物体は、明らかに場違いだった。
「はい、確かにお届けしましたー」
 受領印1つで、コンテナ3つとか届けてくる運送会社には、全く頭が下がる。保冷設備とか発電ユニットが重量のほとんどだから、中身はそれ程じゃないと言われても‥‥。
「お金持ちの考える事って、不思議よね‥‥」
 流麗な筆致の手紙を広げながら、エレンは諦めたようなため息をついた。
『Ciao.マドリードの士官殿。先日は急な依頼で手数をおかけした。傭兵諸君にも、くれぐれもよろしく伝えておいてくれたまえ。その折の礼として今年の各地での自然の恵みをお裾分けしようと思う。有意義に使用してくれたまえ』

 C、とのみ書かれたサインと蝋で押された印。と言うか、そんな物を見ないでも、目の前のコンテナの側面を見ればカプロイアの名がでかでかとプリントされていた。
「これ、どうしよう‥‥。と、去年までの私なら途方にくれたところね」
 エレンは腰に手を当てて眼前の食材の山を睨む。彼女は多くの傭兵達と知り合い、ラストホープに来て成長‥‥、もとい、たくましさを増していた。
「まずは、リストアップしないと。こないだのイベリアで取れた豚さん、ね。ハムとベーコン、少しはお肉そのままもあるみたい。あと、は‥‥乳製品、ね?」
 アイス、ヨーグルト、チーズ、バター、クリーム類と加工品一式に、ミルクそのものも大量に見える。そっと添えられた花籠を除いて全て完璧に保冷されていた。
「ここは、野菜室かしら‥‥? 見た事が無い物が一杯ね」
 呟いたエレンの顔が、すぐに嬉しそうな笑顔に変わる。日本マニアの彼女にとって、京野菜と言うブランドはそれだけで値千金、だ。
「九条葱、千筋京みず菜、壬生菜、賀茂茄子、柊野ささ、海老芋と、丹波やまのいもに丹波くり、紫ずきんと‥‥野菜キメラの手足!?」
 何故かすらすらと漢字を読む、ドイツ生れドイツ育ちのエレン。
「伏見唐辛子と万願寺唐辛子、鷹ヶ峰唐辛子、田中唐辛子、山科唐辛子‥‥。何か辛い物好きな人でもいたのかしら。能力者製一味唐辛子なんてのもあるのね」
 奥のほうには、おいしそうな栗が京都からの物とは別口でドドンと積んであった。それと、香り米が物凄いたくさん。
「季節柄、モンブランとか、マロングラッセとか‥‥。色々できそうね。香り米っていうのは何かしら?」
 そんなエレンの疑問符が聞こえていたかのように、米袋の山の前には『お勧め調理法』と書かれた小さな紙がおいてあった。パエリア、チャーハン、バターライス、サフランライス、グラタン、と色付け、味付けしたものがお勧めなのだそうだ。
「この一角は‥‥、うわぁ」
 あけた瞬間に漂う芳醇な香り。赤・白・ロゼ各種のワイン、シードル、ブランデー、ベリー酒。アルコールがダメな人用には各種ジュース、サングリアと各紅茶があるようだ。他にも、葡萄やリンゴ関連のケーキやジャム、パイにクッキーなどが少しづつ入っていた。
「‥‥な、なんだかこのマークが気になるけど‥‥。次、見てこよう」
 隅にひっそり置いてある髑髏マークのケーキ箱へチラリと目を向けてから、エレンはコンテナを閉じる。
「最後のコンテナは、何かな?」
 危険! 生もの注意! と張り紙されたコンテナをそーっと開き‥‥。
「ちょ、なんかおおきいのが、うじゅるうじゅるって!? 動いてるんだけど!」
 明石直送、大ダコキメラ‥‥であるらしい。コンテナ側面には、『全長15mの蛸を生きたままお届けします』、などと嬉しげに書いてあった。注意書きによれば瀕死のまま活かさず殺さずで鮮度を保っていたらしい。何と言うか、相手がキメラだと分かっていても酷い扱いだ。
「‥‥キメラとか生もの扱いで直送されても‥‥。いや、能力者の人は一杯居る島だから、捌けるのかしら」
 やはり、金持ちの考える事はよく判らない。とりあえず、こいつの解体にはSES武器が必要なようだ。
「となりのは、マグロね‥‥?」
 カンパネラの実習で捕れた分だけでは、世界中に配って回るには当然足りない。それ以外にも漁船は出ていたのだろう。エレン宛のコンテナの中にも一匹丸々鎮座していた。
「うん、大丈夫。この食材なら‥‥、何とかしてくれるわ」
 作る方は、彼女の脳裏に浮かぶ知り合いの顔と、そしてまだ見ぬ調理人たちがやってくれるはずだ。食べる方も、きっと顔見知りもそうでない人も、噂を聞けば来てくれるだろう。傭兵達には、随分お祭り好きな人が多いと、エレンは学習していた。
「‥‥フフフ、楽しくなりそうね」
 彼女はウキウキした表情で本部へと連絡を取る。
『はい、また‥‥食べ歩き関係なんですね』
 微妙に羨ましげな気配が声に漂ったり。
「今度は間違いじゃなく、ちゃんとした依頼、よ。フフフ、よろしくお願いします」
 というわけで、チン、と電話を切ってからしばしの後。本部にはまたもや場違い感漂いまくる一本の依頼が並ぶのであった。
『皆で美味しいもの食べて、楽しみましょう。調理人とお客様を募集します。食材は用意済。調理場や道具は私の兵舎か、自前でお願いします。エレン』

●参加者一覧

/ アグレアーブル(ga0095) / 大泰司 慈海(ga0173) / 柚井 ソラ(ga0187) / 鯨井昼寝(ga0488) / 鯨井起太(ga0984) / シャロン・エイヴァリー(ga1843) / 国谷 真彼(ga2331) / 叢雲(ga2494) / UNKNOWN(ga4276) / リン=アスターナ(ga4615) / アルヴァイム(ga5051) / レールズ(ga5293) / 玖堂 鷹秀(ga5346) / シエラ・フルフレンド(ga5622) / 緋沼 京夜(ga6138) / 藍紗・バーウェン(ga6141) / ラシード・アル・ラハル(ga6190) / リュス・リクス・リニク(ga6209) / クラウディア・マリウス(ga6559) / 綾野 断真(ga6621) / 暁・N・リトヴァク(ga6931) / 玖堂 暁恒(ga6985) / 草壁 賢之(ga7033) / 不知火真琴(ga7201) / レイアーティ(ga7618) / リュウセイ(ga8181) / ルナフィリア・天剣(ga8313) / 御崎 緋音(ga8646) / 椎野 のぞみ(ga8736) / ラピス・ヴェーラ(ga8928) / 使人風棄(ga9514) / 最上 憐 (gb0002) / ヨグ=ニグラス(gb1949) / 夏目 リョウ(gb2267) / 斑鳩・南雲(gb2816) / 鳳覚羅(gb3095

●リプレイ本文

●魚介
「やや、結構本格的ね? びっくりしたわ」
 耐火煉瓦やらモルタルやらで組みあげられた小さな石窯。兵舎裏のスペースにできあがったそれを見て、エレンが嬉しそうに笑う。
「思ったよりも安く上がりました」
 アルの手元の領収書によれば、エレンのポケットマネーでも十分な額だ。
「パンも焼けるらしいし、無駄にはならないんじゃないかな」
 膝についた泥を払いながら、暁が立ち上がった。ピザ生地をこねる手を止めて、アグが軽く会釈する。
「そろそろ、いいんじゃないかな? 後は寝かすだけ、だよ」
 額の汗を拭いながら、クラウが声をかけた。生地をこねるのは結構重労働。こくりと頷いて、椅子に腰を落とすアグ。
「机‥‥、これでいい、かな」
「あ、手伝います」
 机を運ぶラシードの逆へ回るクラウを目で追いつつも、休日モードのアグは日向の猫のように怠けていた。
「少尉さん初めまして、宜しくです!」
 やはり早めに来ていたのぞみを、エレンはコンテナへ案内する。鮪漁師の娘の彼女にとって、鮪の処理はお手の物。
「わあー、これは‥‥いい鮪〜! いつか僕もまた大間沖で‥‥」
 思いを馳せる故郷の海は、バグアと人類の激戦区だ。辛さを周囲に感じさせないのは、彼女の人となりだろうか。ワンピースの上に割烹着、三角巾と前掛けをつけて、のぞみはさっそく下処理に入る。
「エレンちゃん、お久しぶりですわ〜」
「3人とも。来てくれてありがとう!」
 ラピスの再会のハグに、エレンの頬も緩む。彼女と姉妹同様のシエラ、緋音の2人も一緒だ。
「緋音ちゃんは、相変わらずラブラブ?」
 エレンの質問には、彼女本人ではなくレイが反応する。
「ええ、相変わらずラブラブです」
 無表情、真顔のレイの腕の中、緋音が嬉しそうに頬を染めた。
「さぁ、準備開始です。頑張りますよ〜っ♪」
 腕まくりするシエラの横で、自分の袖や裾をチラチラと見ている風棄。頼まれてボーイの服装をしてみたものの、普段の装束に比べると少し感覚が違うようだ。
「エレンさん、お久しぶりです。今日は楽しみにしてて下さいよッ!」
 自分の店から持ってきたのだろう。フライヤーを設置しながら賢之が含み笑いを浮かべる。
「Hai、お疲れさま、エレン♪」
 手を振るシャロンは、敷地中央の様子を見ていた。今回のパーティは、敷地の端に屋台っぽく調理スペースを並べ、真ん中のスペースには出来上がった料理とデザート類を並べてバイキング形式で楽しんでもらおうと言う趣向だ。鮪解体と大蛸の処理を終えた後は、手早く中央の準備をしないといけない。搬入から展開に、色々と気を使う事もあるのだろう。
「ありがと、シャロン。フフフ、準備はアルヴァイムさん達がやってくれてるから疲れることして無いんだけど、ね」

 2人が見守る中、中央へは下処理を終えた鮪が運び込まれる。ごろん、と机の上に転がった巨体と対照的に細いのぞみ。
「さー、鮪の解体ショーはじめるよ!」
「おお、あの時の‥‥」
 鮪確保にも参加していたリョウが感慨深げに呟く。単位や誰かの笑顔の為だけでは無く、この時の為に任務を引き受けたのだ、などと感慨に耽りながら、少年は口中の唾を飲み込んだ。
「まずは5枚に下ろして‥‥っと」
「ほほう、見事なものじゃな」
 藍紗が感歎の声を漏らす。相当に体力のいるはずの解体を、のぞみは難なくこなしていった。期待以上の華麗な包丁さばきに、慈海が満足げに頷く。
「はい、解体完了ー! 調理班の皆さん必用な部位おしえて〜」
 少女の声に、待機していた料理人達が動き出した。
「タタキに使えそうなのはどこかな?」
「こっちは脂の少なめなあたりを下さいっ」
「わ、ちょっと待ってね〜。切り分けるから〜」
 笑顔で立ち働くのぞみの隣に、腕まくりした藍紗がサポートにつく。
「うむ、我も手伝おう。手は多いほうが良いじゃろうからの」
「見学だけのつもりでしたが、整理くらいは手伝います」
 今日は骨休め気分だった覚羅が、生来の苦労性のせいか、つい手助けに入ってしまったり。そんなこんなで、鮪の巨体はあっという間に骨と頭だけになってしまった。漁師料理ではそれも材料。丁寧に横へと搬送するのぞみ。その後には大きなコンテナが運び込まれてくる。


『さあ! これなるは明石で捕れた生きたままの大タコキメラ!』
 マイク片手の鷹秀の煽りと共に、コンテナが開く。うにゅうにゅと蠢く中身は、確かに見慣れたタコだった。サイズが見慣れたものとは違いすぎたが。
「‥‥あれだけ巨大なキメラをよく生かして輸送したもんだ」
 レールズが苦笑しながら呟く。
「‥‥ん。タコキメラ。無事に。新鮮なまま。届いて。良かった。ぴちぴち」
 生かしたままの捕獲に苦労した憐の声は、ほんの少しだけ嬉しそうだ。
「‥‥ん。タコ。メスだから。油断すると。男性陣は狙われて。大変だよ」
 そんな助言を口にしつつ、彼女は観戦に入る。
「っしゃ! たこ焼きの具にしてやるぜっ」
 気合十分のリュウセイを始め、武器を手に集まる傭兵達。
「ほわ、大きいねー」
 準備の手を止めて見物に来たクラウが物珍しげに覗きこむ。アグもこくりと頷いた。
「よし、では行くぞ」
 最初にタコに対したのは鬼包丁片手の藍紗。どういう理屈で順番が決まったのかは、眼鏡をキラリと妖しく光らせる鷹秀以外に知るものは無い。無いのだが、慈海はうんうんと腕組みして頷いていた。
「‥‥って、ちょ! そ、そんなとこに入るで、にゃ‥‥ひぁん!」
 お約束の如く、うねうね絡む触手に苦戦する藍紗。憐が首を少し傾げた。
「‥‥ん。メスだけど、そっちの趣味だったみたい。そう言うことも、ある」
 こんな事もあろうかと藍紗が水着着用なのは実に残念である。
「わ、大変。って、ひゃうっ!」
 身を乗り出したクラウにまで、触手がにょろりと伸びた。少女の胴の辺りに絡みつき、引張り寄せるタコ。一部の観客がぐっと拳を握った瞬間。
「た、助けてー」
 スカートを抑えつつ声を上げた少女へ、赤い閃光が走った。刻まれた触手がボトリと落ちる。
「やり過ぎは、駄目」
 ごめんなさい。
「助かったよー、ありがとうアグちゃん」
 駆け戻ってくるクラウの背後、藍紗も触手に天誅を食らわせていた。
「‥‥え、ええと。ああいうタコとは聞いていなかったですっ!?」
 次の挑戦者だったシエラが困ったように横を見る。風棄が冷たい笑みを浮かべてタコを見つめていた。
「代わりましょうか。‥‥次の展開を想像すると、無性に身体を動かしたくなってきました」
 気配に怯えたように縮こまる3本目の触手は、一瞬で切り落とされる。
『タコは勝てない相手と見たら自ら足を放棄するらしいですね』
 さりげに鷹秀が博学をアピールする合間に、4番目の触手がにょろりと蠢いた。
「私も、あれの相手は少し考えますわね‥‥」
「あ、でもちょっと見てみた‥‥いや、何でもないッ!」
 ラピスの上目遣いに、賢之も覚悟を決めたように前へ。親に仕込まれた剣術が、この時ほどありがたく思えたことは無い、とか。
「活きがいいのも結構だが、いい加減シメてやろう」
『兄上も行くんですか? ではそろそろ遊びもお仕舞いですね』
 立ち上がった暁恒を見て、鷹秀は少しメガネの角度を変えた。
「後もつかえているしな。片付けるぞ」
「よしっ。いっちょやってやるか。一斉攻撃だ!」
 覚羅とリュウセイもタコへ。哀れ大タコは無駄に存えたその命を天に返すのでありました。

『さて、では各自、料理に使う場所を引き取っていただきましょうか』
 解体に参加した人も、見守っていた人も新鮮なタコキメラへ手を伸ばす。
「蛸のキメラってのは引っかかるが、蛸わさはおいしいのだよ!」
「ほほう、わかっておるのう」
 覚羅が藍紗とニヤリと笑み交わしたりする横で、リュウセイが早速タコ焼き用サイズに刻みはじめた。
『まだ跳ねているタコの踊り食いをする人はいませんか? 先着順、ですよ』
「むしろどっかの研究所とかに渡した方が良いほど貴重な気がします‥‥」
 腕組みしたまま、生真面目に言うレールズだが、‥‥ULTに渡しても食われるだけかもしれない。
「はいっ。参加したーいっ!」
 年甲斐もなく無邪気に手をあげる慈海。怖いもの知らずのリュウセイも、準備の手を止めて名乗りを上げる。元より見学のつもりだった真琴は、動いてるキメラを見てしまっては尚更食べる気にはならないらしい。
「‥‥ん。目に入る物。全て。食べ物」
 今日の為に一食抜いてきたと言う憐は、一切遠慮するつもりは無いようだ。
「活き作りでもフォースフィールドはないのですね」
 淡々と噛み締めるレイの横で、こわごわとタコを眺めていた緋音。彼女の背を押したのは、誰かが口にした『お揃い』という単語だった。
「あ、意外と美味しい?」
 思わずそんな声をもらした少女に、慈海が頷く。
「以前、ウニキメラ食べたことあるけど、美味しかったんだよねー」
 自然の物に改良を加えた感じなのかな、と呟きつつ箸を進める慈海。踊り食い用の足先はみるみる減って行く。
「‥‥旨そうだな、あれ」
 起太が呟いた一言に、昼寝はギュッと口を引き結ぶ事で答えた。鯨井兄妹は、『かがやけ! 第1回食べ歩かないツアー』をひっそりと2人だけで開催中だ。箸と小皿を用意しつつ、食べない。正座で美味しそうな友人諸氏の語らい、咀嚼されて消えて行く食物を眺めながら耐える。そんな感じの苦行らしい。
「おや、2人とも食べないのかい? 鮪の刺身は美味しいよ」
 真彼の悪気の無い言葉に、無言で首を振る2人。言いだしっぺの昼寝と巻き添えの起太、いずれも悲壮なオーラを漂わしている。
「美味しいですね」
 2人分のどんよりを打ち消すように、幸せオーラを漂わせる着物姿のソラ。
「そうか、鮪が嫌いなら何か他の美味しそうな物を取ってきてあげようかな」
 悪気は多分無い真彼の後ろ姿に、無言で首を振る昼寝。何となく、恨みがましげに横を見る起太の視線には、有無を言わさずツアー参加させられた悲哀が篭っていた。

 真彼は2人の友人へのお土産を求めてぶらっと歩くも、まだ出来上がった料理は少ない。
「や、国谷くん。タコどうだい? 美味しいよ?」
 しばらく行った所で、慈海がぴちぴち動くタコキメラを手に声をかけて来た。
「‥‥いや、結構」
 あくまでも表の笑顔は崩さずに、視線だけを冷たく返す真彼。口に強引にねじ込もうか、等と考えていた慈海だったがその目を見て考え直したようだ。さすがに、楽しい席で大立ち回りになりかねないのも、困る。
「切った張ったの傭兵やってる時点で、いちいちそんなん気にしてられないと思うんだけどねー」
 それでも気に病む事があるならば、吐き出してしまえばいいのに。少しだけ素の真面目さを見せて、慈海は青年の背を見送った。

 一方、残された少年は。
「こんにちは、ソラ君」
「エレンさん、こんにちはっ」
 ふんわりと笑い、ソラは両手を広げてくるりと回って見せる。
「エレンさんが和装見たいって言ってたから、着物で来ました」
「あは、ありがとう。いいわねー、京都の織物?」
 遠慮無しに襟や袖の手触りを確かめるエレン。微かに漂う香りに、少年がドキッとしたり。
「なんだ、エレン君に見せるためだったんだね?」
 戻ってきた真彼がそう言って微笑んだ。その皿には、準備中の一角からくすねたケーキを乗せている。
「あれ? 2人はどこに行ったんだろう」
 2人は誘惑の多過ぎる地を離れ、瞑想に適した場所を求めて旅立っていた。求道者達の苦難の旅は続く。
「エレンさん、今日は国谷さんと一緒なのですが‥‥、ご一緒できませんか」
「そうだね、エレン君も一緒にどうだい?」
 おずおずと告げる少年と、メガネを外してやや解放的な青年からの魅力的なお誘いだ。
「ちょっと後で良ければ喜んで。沢山食べるわよーっ」
 しかし、今の興味は色気より食い気。気合満点、肩など回したりするエレン。
「おや、エレン君に負けるわけにはいかないですね」
 自信に満ちた表情の真彼と、笑顔のエレンに挟まれて、ソラはほんの少しだけ感じた寂しさに瞬きする。
「柚井君。何から食べたいかな?」
「後から合流するから、先に回っててね」
 2人の気遣いに感じる嬉しさと、寂しさと。もやもやした心を振り払うように、少年は露店スペースの一角へ目を向けた。石窯から香ばしい匂いが漂う、クラウとアグのピザブース、だ。

●ピザ
 テーブルクロスをかけられ、魚臭い雰囲気が一掃された中央の机では、腕自慢の傭兵達が早速ケーキの陳列を始めている。シャロンのヴィクトリアケーキの隣に、ヨグがキャラメルプリンケーキとクリームプリンのカップを丁寧に並べていた。
「今回のテーマは栗で行こうと思ってな」
 元パティシエだった京夜は、季節の味覚の栗を織り交ぜて5種類のお菓子に仕立てていた。パウンドケーキやスィートポテト、ガトーショコラなどに栗の食感を乗せた洋菓子に、カスタードに白餡と栗のシュークリーム。一番のお勧めはモンブラン風のタルトだという。
「普通の生クリームと、栗餡や栗クリームですか。さすがですね」
 葡萄ゼリーやタルト等を並べながら、叢雲は京夜の説明にも耳を傾けている。食べ歩く人々に、一通りの説明は出来るようにと言う準備半分、残りはやはり今後の参考に、と言った所だろうか。
「SHOCK! YOCK! の秋! なーんちゃってー」
 ウキウキした様子で、やはり栗デザートを並べて行く南雲。材料の栗採集は彼女達が行ったらしい。マロングラッセや栗きんとん、甘露煮や栗饅頭など。栗そのものを残した雰囲気のメニューは素朴な味わいが売りだろうか。
「カプロイア伯爵がいるかと思ったんだけどなー」
 当てが外れて、少し残念そうな南雲であった。
「今日はリンさんもデザートなのね?」
 覗きにきたエレンに、リンは母国料理を作った前回とは多少目先を変えてみたと言う。新鮮なチーズを使ったチーズケーキ各種類に目を取られそうだが、そっと添えられた珍しいお菓子をエレンは目ざとく手にとった。
「‥‥チョコとチーズに、チーズを焼いたお菓子、ね」」
「スィロークとスィールニキ。父の故郷のお菓子よ」
 そう言うと、リンは少しだけ目を細める。そんな大量の甘味ブースに、リョウが紹介のポップを添えていた。
「別の機会に、同じ種類のケーキを食べたい人もいるかもしれないからね」
 簡単な作り方だけではなく、事前に撮影させてもらったのか、一部は製作者の写真まで入っている。
「あら、君も何かお菓子、作ってくる側だったの?」
「い、いや。作ろうとはしたんだが‥‥」
 どうやら、物凄い失敗を起こしてしまったらしい。せめて、陳列方面で仕事を、などという少年に、エレンはクスクスと笑って手を貸した。


「デートらしい事するのってこれが初だね‥‥存分に楽しもう」
 先を行くルナが振り返って微笑む。
「気になる物が色々あるな‥‥。なるべく多くの種類を食べたい所だが」
 リクスがキョロキョロと周りを見ながら首を傾げた。
「うん。どれがいいかな‥‥。まぁ、適当に思いつきの出たとこ勝負でいいか」
 そう言ってから、ルナが微笑を深くして続ける。
「2人で半分づつにすれば、一杯食べれるな」
「よし、決めた。まずはピッツァにしよう」
 リクスがさっとルナの手を取り、引張る。少女達が向かう先のピザ区画では、下準備に余念が無いようだ。
「わわ、フルーツピザ? 面白そうですっ」
 切った林檎をコトコトと煮始めたアグに、クラウが驚いたりしつつ。
「もう、注文して構わないのか?」
 最初のお客の注文は、タコと鮪の半分づつだった。それを更に2人で仲良く半分こ。1/4づつ食べて、お互いの口元をちょっと拭ったりと微笑ましい。次の客は、真彼とソラ。
「クラウディア君とアグレアーブル君は、キメラを使っていないものを作ってくれているそうだよ」
 実の所、露骨に怪しい外見の野菜キメラとタコを避ければ地雷は回避できるのである。
「ハムと鮪を、下さいっ。2人‥‥、いえ、3人分で」
 焼けるまで10分、と言う事でしばしの待ち時間だ。
「待っている間も楽しいのです」
 後から来た真琴も交えて雑談を始めたが、憐はやや考えてから列を後に。
「‥‥ん。空いた頃に来る」
 軽装備で機動力を確保したフードファイターは、一刻の猶予も無駄にはしなかった。
「んー。いい匂いねー」
 やってきたエレンに、真彼が手をあげる。振り返った真琴も挨拶を。
「またエレンさんの勇姿が見られるの、楽しみにしてますね」
 以前に会った依頼からすれば、何を期待されているのかは言うまでも無い。
「柚井君と一緒に座って待っていたらどうだい? 焼けたら取りに来るといい」
「あっ。じゃ、じゃあ少しだけ。エレンさん、こっちです」
 列から出て、少し離れた所に自分から向かうソラ。真彼にべったりの普段の様子からすれば、珍しい。
「‥‥?」
 不思議そうに後からついてきたエレンへ、少年はさっと振り向いた。
「エレンさん、これ、貰ってくれませんか?」
 小さな、バラを刻まれた指輪を、ちょっとだけ緊張した様子で差し出すソラ。エレンは少し驚いた表情をしてから、にっこりと笑った。
「ありがとう。大事にするわね」
 左人差し指にそっとつけてから、エレンは少年の頭を軽く撫でる。
「焼けましたよー!」
 遠くからのクラウの声に、2人は慌てて駆け出した。


「貴女も、来ていたのね」
「はい、前よりは料理も上手になったんですよ」
 ピザブースの前でばったり会ったリンへ笑顔を見せる緋音。半年前にはうまく作れなかった揚げ物も、今回はしっかりばっちりである。
「それは楽しみね」
「後で、特訓の成果を見に来て下さいねっ」
 急いで走り去る様子からすると、合間にちょっと抜け出てきたのだろうか。
「誰か、俺にご飯を‥‥♪」
 フラフラと漂ってきた暁が、クラウと談笑していた真琴の皿からひょいぱくり。2人の関係は給食と書いて食を給わると読む。

 ちょっと多めに焼いた分は、アグが私用に使うものだった。
「ピザ、食べる?」
 焼きたて、美味しそうなピザの匂いにお腹の虫を鳴らしつつも、昼寝は断固首を振る。
「今回は食べ歩きへの抗議なんだ。何も考えずにむしゃりむしゃりと食べてて良いのかということを、皆に伝えないと!」
 かくーり、と首を傾けるアグ。美味しい匂いはまだ漂っている。
「‥‥そんな理由の抗議活動に、兄を巻き込んで良いのかと」
 しょんぼりしながら呟く起太はスルーで、昼寝は拳を振り上げた。好き嫌いがよくないとか、あえて我慢で心身を鍛えるとか、色々と理由を並べ立てている、が。
「何も考えずに秋の味覚をむしゃりむしゃりしていたら、腹肉がやばいとか。そもそもその程度の単純なもんだいなのです」
「‥‥そう」
 アグは納得したように頷いた。その理由なら、理解できる。できてしまう。かくて、腹の虫と涎を後に立ち去る麗しのピザ。正座のまま耐え続ける2人の未来はどこにあるのか。
「相変わらずね‥‥ふたりとも」
 小さなケーキ箱を手に、シャロンがクスリと笑う。昼寝が意地で拒絶する前に、はい、と箱を差し出した。お持ち帰り用、ということらしい。
「『仲間のために仕方なく』持って帰るのはアリなんじゃない?」
 ウインクを残して颯爽と去って行く戦友に、思わず頭が下がる2人であった。

●ケーキ
「ケーキあるですよー。ケーキ、ケーキ、皆さんのケーキをどうぞよろしくですっ」
 ヨグの一風変わった呼び声に、まだ食事タイムの人々の足が止まる。
「‥‥ケーキ、行きましょう」
 ソラの笑顔に、大人2人は抵抗の術もない。次なる舞台はケーキスペース、だ。
「もうデザートで締め、かな?」
 呟く暁に、まだ日は高いと反論するエレン。彼女の場合、二週目も当然考慮に入っているようだ。
「エレン‥‥こっち」
 ひと休みしていたラシードが振り返る。その頬には。
「フフ、クリーム、ついてるわよ?」
「え、どこ? う、わかんない‥‥、京夜、とって?」
 ふっと困り顔で向いた先、苦笑した京夜がそっと指を伸ばす。
「ははは、今日は甘えん坊だな。口の横んとこだよ、ほら」
 掬ったクリームをラシードに見えるように掲げてから、食べてしまおうと口を寄せる京夜。
「ん‥‥、はむ」
 ひょいっと首を伸ばした少年と、指を挟んでのニアミス。
「おっと」
「ふふ‥‥やっぱり、美味しい。他に言葉、見つからない‥‥や」
 傍から見れば大事件一歩手前だが、当事者達は実に自然体だった。
「な、何か凄い物を見てしまったような気がするのは、私が汚れてるからかしら」
 そんなエレンに、京夜がケーキを手渡す。ぱくり、と一口。感想を言う間も惜しむように二口、三口。
「どうだ、美味しくて手が止まらないだろう、エレン。まだ4種類控えてるからな」
「ええ、美味しいわねー。全部食べてもう一周しようかな」
 京夜に心からの笑顔を返すエレン。
「あはは、今日ばかりはカロリーのことも忘れて、美味しい1日にしましょう!」
「しんちんたいしゃが活発だから、能力者は太らないんですよ! 体重なんかファンタジーです!」
 ウインクするシャロンに、南雲が強く力を込めて同意した。
「エレン君は大丈夫なのかな?」
「うわ、デリカシー皆無ね、真彼さん。そんな事だともてないわよ?」
 もそもそ食べつつ、エレンはどっちもどっちな応対をする。
「うちも太らない体質ですから大丈夫!」
 悩みの無い真琴もニパッと笑って物色開始。次にどこに行くか迷う様子のエレンを、リンが横から手招きした。
「グラナダで頑張った貴女へのご褒美‥‥なんてね。さ、どんどん食べて頂戴」
「ありがと。じゃあ早速。ソラ君もおいで」
 リンの用意したチーズ尽くしコーナーに、チーズケーキが好物のソラが目を輝かせた。
「どれにしようかな。迷っちゃいますね」
 色々食べたいと言う少年は少しづつ手を伸ばす。連れのバキューム人間2人を見るに、食べ残す心配は無さそうだが。
「食べるのには袖が邪魔そうだね。縛っておくかい?」
 スルッとネクタイを外し、和装のソラの片袖をたすき掛けする真彼。『こんな事もあろうかと』2本用意してきたと言うのはサイエンティストのお約束なのだろう。

「せっかくだから、叢雲のお勧めケーキは全部食べるよ?」
 叢雲から一通りの説明を受けていた真琴が、のびのびした様子でにこーっと笑った。日差しの下で、見慣れた笑顔も少し眩しい。
「うしッ。俺も太らない方だから、今日は旨い物しっかり食べ‥‥」
 言いかけた賢之に、刺さる視線。
「太らないなら、これくらいは平気ですよね!」
「たっぷり食べてってねっ」
 憤懣の捌け口を探していた向きからは集中爆撃が敢行される。台座にタルト、パウンドケーキが乗って上にゼリーとプリン、という塔は即席の癖に実に美味しそうだ。
「勘弁してくれ‥‥」
「ん‥‥。エベレストケーキと命名する。もし、食べきれないなら、貰ってあげてもいい」
 いつの間にか現われていた憐がフォークを伸ばした。
「あれ? リンさんも参加してたんですか?」
 ふらっと通りがかったレールズが首を傾げる。どうやら、彼女の参加を知らずに来たようだ。
「お勧めは? ‥‥出来ればリンさんが作ったのが良いですね」
 照れたように笑うレールズに、リンが選んだのは素のベイクドチーズケーキ。所作はいつものように淡々と、けれども心持ち柔らかい雰囲気で。
「ん、美味しいですよ」
「‥‥良かった。それじゃあ、これも食べてみて」
 ほっ、と息をついてから、故郷の菓子も薦めるリン。レールズが少し考え込む。
「ん〜しかし、俺が1人でケーキというのも似合いませんね」
 大規模作戦の疲れを気ままに癒そうと参加した収穫祭。そんな台詞がポロリと出たのは、1人だと味気ないとどこかで思っていたのだろうか。
「ならば店番は代わりましょうか」
 いつの間にやら内側にいたアルヴァイムがそう声をかけた。
「本当に神出鬼没ね‥‥。じゃあ、少しの間だけお願いするわ」
 クスリと笑って、リンがエプロンを脱いだ。
「フフフ‥‥、んひゃ!?」
 2人を見送り、楽しげに笑ったエレンが奇声と共に硬直する。
「――楽しくやっているかね? エレン。いい笑顔だ」
 音もなく後ろに回っていたUNKNOWNが耳元で囁いた。うなじにキスを落とす間だけ右手に持っていた煙草を、そっと咥え直す。
「ちょっと! 普通ならセクハラよ、セクハラッ」
 襟元を押さえ、肩をすぼめて赤面するエレンに片目をつぶり。
「エレンさんをいじめちゃ駄目です!」
 むーっと膨れるソラの頭をくしゃくしゃと撫で、黒衣の男は周囲を見回す。
「お、ワインがあるな。寄ったついでに、土産に頂いていくよ」
 手を伸ばした先では、飲み物コーナーを一手に切り回す断真が、近づく夜に備えてソフトドリンクからカクテルの類に並べ変えていた。
「あ、相変わらずよね‥‥。別にいいけど」
「すまんが、少し用事で、ね。時間が取れればまた、顔を出そう」
 まだ頬の赤いエレンに手を振って、謎の男は颯爽と歩み去って行く。

「随分沢山だね。大丈夫かい?」
 あれこれケーキを抱え込んだアグに、真彼が声をかけた。
「‥‥半分、で」
 頷き、クラウが1人で残る店へと目を向けるアグ。まだお客が途切れぬのか、ほわ、とかあわ、とか楽しげな悲鳴が聞こえてくる。
「なるほど、2人で食べるんだね」
 ならば平気か、と呟く真彼の脇を、小柄な2人がプリンを手に。
「リクス? はい、あーん」
 ルナが差し出したスプーンをはむっと咥えるリクス。彼女が手にしたスプーンはお返しとばかりに逆方向へ。
「ルナ、あーん、だ」
「ふふ‥‥リクス、大好き‥‥」
 体重とか気にする必要の無い2人は幸せそうに甘い笑みを浮かべる。
「ふむ。あーん‥‥」
 そんな2人を見ながら、静かに何か考えている様子のアグであった。

●屋台
「お好み焼き3つ、貰えるかしら?」
 ケーキの後は、当然のようにまだ食べるエレン達。次の目的地は屋台スペースだ。
「わかった。ヨーロッパにも‥‥日本伝統の味‥‥広めてやろうじゃねぇか‥‥」
 ニヤリと笑う暁恒の手元に、エレンが見入る。
「クレープ下さい!」
「あ、私も同じのっ」
 鮪料理を並べ終えたのぞみと、栗のデザートを広げてきた南雲が声を揃える。元気な2人は笑顔をかわし、並んで席についた。年のころの近い少女同士、打ち解けるのも早そうだ。
「さざなみ亭復活ですか‥‥」
 お客の絶えぬ様子に、少し感慨深げに呟く鷹秀。
「タカ‥‥、喋ってないで、手を動かせ‥‥」
「まあこんなにやる気のある兄上は久しぶりですし、お手伝いしましょうか」
 鷹秀は待つ間の箸休めにと京野菜のラタトゥイユを盛り付ける。
「和洋折衷ですね! 美味しいー!」
「この後は、ケーキかな‥‥。別腹だから、平気だねっ」
 屈託なく笑うのぞみと、少しお腹を気にする南雲と。少女たちの秋はまだこれから。

「この辺りは、軽食コーナーね」
 お好み焼き片手に左右を見るエレン。真彼は既に平らげて、次のメニューを物色中のようだ。
「エレン姉さま、こんにちはですっ」
 パタパタと駆け寄ってくるヨグ。
「楽しんでる?」
 エレンの声には満面の無邪気な笑顔で。
「はいっ。今からうじゅるうじゅる食べるですよ!」
「う、うじゅる‥‥。って、誰かさんみたいね」
 思わず目を瞬いた彼女の横を、赤い長髪の男が通り過ぎて行く。その口元は少しだけ微笑を浮かべていた。
「たこ焼き、食べてかねーか?」
「はいっ、ブルスケッタどうぞですっ♪」
 注文する前から、出来たてを出してくるリュウセイとシエラ。中央に持って行くついで、らしい。
「鮪の刺身と軍艦巻きもあるぞ。それに、こっちの甲焼きと鮪ハンバーグ、カルパッチョも中々の味じゃ」
 藍紗は、同じく鮪づくしなのぞみと交替で店番をしているらしい。
「ん? そこにあるのは?」
「む、流石はエレン。目聡いの‥‥。少しだけじゃぞ」
 のぞみの特製、鮪の内臓酢味噌和えだそうだ。蛸わさと一緒に、マイ宴会用に取り置く辺りが藍紗もオトナである。
「俺も少し、貰えるかな?」
 通り縋った覚羅がひょいっと覗き込んだ。藍紗は頷いて小皿に取り分ける。
「違いの判る相手に食されれば料理も本望じゃろう。礼は、のぞみ殿に、な」
「ホントの漁師料理、って感じよねー。フフフ、でも食べすぎたらコレステロール多そうだから」
 ちょっとだけ、と苦笑するエレン。
「エレンさん、あちらの匂いも美味しそう、ですよ」
 ソラに袖引かれて向かった先は、緋音の豚カツスペースだった。自分たちが取った食材とあって、ソラの口元が緩む。
「カツは揚げたてが美味しい、ですからね」
 よければ後でお持ちします、と蕎麦をすすりながら言うレイ。どうやら賢之が持ってきた手打ちらしい。
「エレンさんにも、成長の後を見てもらわないと!」
 ぐっと握り拳に力を込めてから、緋音が製作にかかる。その横で、レイが味噌ダレを用意していた。
「あは、夫婦露店って感じねー」
「そう見えますか? うふふ」
 成長したのは料理の腕ばかりではないようで、エレンのからかいも緋音はさらっと受け流す。
「グラたんのお蕎麦も、私のパスタも茹で上がりが美味しいのですわ」
「あ、時間潰してもらうなら向こうのブースの方がいい、かもしれないッ」
 後から持って行くので、と何故か含み笑いつきで言うラピスと賢之に礼を言って、エレンは奥へ。

「僕の一番、落ち着く形に、しちゃった‥‥。くつろいでいってもらえると、いいな」
「フフフ、食べてここに来たらそのまま寝ちゃいそう。なーんて、ね」
 中東風、辛い味付けの煮込みや焼肉を出すラシードの区画は、絨毯に座布団完備だった。エレン達以外にも、のんびりしたい一行が忙しい合間の休息を取っている。
「お先してるわよ」
「こんにちは、エレンさん」
 居合わせたシャロンと真琴が少し奥へと詰めてくれた。
「ああ、いい所でお会いできました」
 さっきは忘れていたので、と叢雲が小さなバスケットを取り出す。
「‥‥私、に?」
「今日のお礼と、諸々です」
 お土産だろうか。タルトやケーキ、ムースにゼリーといった洋菓子が小分けされていた。
「ありがとう。後で頂くわね。ソラ君も、好きなのあったら一緒に食べましょ」
「あ、はい。チーズタルトが欲しいです」
 やはり好物に目が行くらしいソラ。
「おや、僕には聞いてくれないのかい?」
「真彼さんに勧めたら、私の分が無くなっちゃうわよ」
 嗚呼、虚しき哉、大食い共の縄張り争い。
「‥‥お待たせしました」
 レイと風棄が2人がかりで物凄い山盛りチャーハンを持って現われたのは、そんなタイミングだった。素材がいいのか、運動神経の賜物か。ウェイター姿の風棄は慣れてしまえば意外と板についている。
「‥‥こ、これは?」
「チャーハンです」
 きっぱりした返事。しかし、米をひたすら香ばしく炒めたそれは世間一般で言う炒飯とは微妙に違う。
「え、ええと。具とか」
「‥‥無くとも美味しい、です」
 無表情に、定理を述べるかのごとく言う少年。
「食べてみたら、どうですか?」
 やはり無表情に勧めてくるレイとに挟まれ、何となく自分が間違っている気がして一口食べてみるエレン。
「‥‥あれ? 結構おいしい」
 豚脂+香り米でしっかり炒めたのだから、美味しいのである。量さえ気にしなければ。
「半年前のリベンジですっ♪」
 召し上がれ、とシエラが持ってきたのは豚の紅茶煮、紅茶ソースだ。彼女らしい一品だが濃厚な味わいはずしりとお腹に堪える。
「いや、これは食べ応えがありそうだね」
 ニコニコと箸をつける真彼。エレンを食べ潰そうと目論んだシエラ達の野望を阻む恐るべき伏兵だ。
「是非、お腹一杯食べて行って下さいね?」
「これで平気だったら、俺はエレンさんを神として崇め奉るわ‥‥」
 緋音の味噌カツと、賢之の天ぷら盛り合わせが戦線に加わった。
「あ、あはは。頑張るわ」
 エレンの箸が少し鈍る。あと少し、だが食の宴とあれば見逃さない小さな怪物が会場には潜んでいた。
「‥‥ん。おかわり。もっと食べれる」
 憐がいつの間にか消費側に参戦している。
「箸休めに、麺類はいかが? 和風のペペロンチーノを作ってみましたわ」
 駄目押しに加わったラピスだが、そこまで辛く無いのは、彼女の優しさだろうか。
「えっと‥‥ビール飲む人には、辛めのほうがいいって、聞いた‥‥から」
 ギトッと赤く輝く焼肉は、香辛料7に肉が3。思わず繰り返したくなるような割合だ。
「あ、あの。私、辛過ぎるのはちょっと‥‥」
「おや? それなら僕の勝ち、かな」
 まだ食べれるらしい真彼の横で、手を上げて降参するエレン。シエラ達が無邪気に勝利を喜びあう。勝利の代償は、いまだ底を見せぬ大量の料理。巨大すぎるラスボスを前に、敵味方が手を組んで戦うのは基本です。
「食べ物は無駄にしちゃ駄目だから、ね。皆で食べましょ?」
 エレンの提案に、代表して答えたのは賢之だった。
「勘弁してくれ‥‥」
 そして、絢爛過ぎる食の宴は、予期せぬ方角へも波及していた。
「‥‥やっぱり私も食べるっ!!」
 くわっと目を見開く昼寝。ちなみに前兆は無い。
「あっ! ずるいぞ昼寝!!」
 正座で痺れた足に鞭打ちつ、兄を尻目に駆け出す妹。途中から正座サボってたのかも。
「‥‥幸せって、こういうこと、かな?」
 まだ続く宴の中で、ラシードがふっとそう呟く。彼は、同じようにエレンと騒いだ半年前から、少しづつ変わった自分を実感していた。そして、そんな中でも集まれる仲間達、と。
「ん?」
 独り言を聞きつけたエレンを見上げて、ほんの少し浮かべた笑顔。
「‥‥エレン、あのね‥‥ありがと」
 理由も分からずに、思わず口をついて言葉が出た。エレンはクスリと笑ってから、見上げる少年をぎゅっと抱きしめる。
「わ‥‥」
「私もね、ありがと」
 少しづつ、変わっているのは彼女もだった。

●夜
 日が落ちても、ローマ人の如く宴は終わらない。とはいえ、少しづつペースは緩やかになっていた。
「‥‥片付け、何時始まるんだろう」
 一服しつつ、京夜が考え込む。手には良く冷えた冷酒と最高の肴、そして隣には。
「一先ず、お疲れじゃ‥‥京夜‥‥」
 口に酒を含んでから、藍紗が唇を寄せてくる。ひとしきり味わってから、離れた。酒精を含んだお互いの吐息が鼻をくすぐる。
「大規模とグラナダ。無事に帰って来てくれて、本当にうれしいよ‥‥お互いにお疲れ様」
 キン、とお猪口をぶつけて微笑む2人。

 同様の悩みは、別の場所でも取りざたされていた。
「まぁ、良心の悩みが無いのはいい事だけどね」
 段取り、どうなってるんだろう? 等と首を傾げる賢之の手にはコーヒーカップが2つ。端然と腰掛けて待つラピスに片方を手渡す。
「やっぱりグラたんの淹れてくださる珈琲は美味しいですわ‥‥」
 ほーっと息を吐くラピスに少し見惚れた賢之。食べかけていたケーキをフォークですくって、ラピスは思案気に手をとめる。
「‥‥あーん」
「ん」
 少し照れくさそうに交わされる笑顔。

「今日はお疲れ様でしたっ」
 シエラの笑顔に頷く風棄。慣れた戦闘よりも何倍も疲れた気がするが、嫌な疲労ではない。
「えっと、美味しいですっ?」
 店じまいに入った屋台の隅で、残しておいた料理で2人だけの打ち上げ会だ。間近で聞いてくる少女の頭を、風棄は優しく撫でて返事に代える。
「む、ちゃんと言ってくれないと‥‥」
「美味しかった、ですよ」
 ご馳走様でした。

 片づけが何時までも始まらない理由は、主催が止まらないせいだった。
「あはは、起こさないようにね」
 机の下で丸くなったヨグに毛布をかけて、エレンが向かったのは大人スペース。ソラや真彼と別れて少ししたら再び復活するらしいから、やはり変な胃袋ではある。上には上が居るのは間違いないが。
「いらっしゃいませ。何にしますか?」
 断真が完璧なバーテンモードの微笑を向ける。
「ずっとここでいたの? 少しは食べて貰えたのかしら」
「皆さんが楽しむ手伝いができれば、と思いまして」
 1日立ち仕事だったのだろうが、慣れているのだろう。余り疲れた様子は見えない。
「ご心配なく。私も楽しんでいますから」
 早めに飲み物コーナーを制覇していた暁をはじめ、気遣ってくれる人はいたのだとか。家に帰ってから頂きます、という彼の手元には料理やケーキがお持ち帰りセットになっていた。
「芋ロック、もう少しなーい? あ、エレンちゃん、美味しいよ、これ」
 先客の慈海が笑顔で注いだ焼酎でとりあえず一杯。
「ふー、人心地ついたわ」
「強いんだね。もう少しいってみようか」
 ほんのり酔った女の子は可愛いよね、などと言いながら、二杯目。
「エレーナさん、お酒も強いんですか?」
「先程は大変そうでした。でも、流石ですね」
 別の先客、叢雲と真琴がそう言って杯を掲げる。どうやら、今日の出来事をお互いに話していたようだ。といっても、叢雲が主に聞く側のようである。
「楽しかった? むしろ、美味しかった? の方がいいのかしら」
「うん、でも。やっぱり一番好きなのは叢雲だけどねー」
 にぱーっと笑ってから、もう一杯。真琴も結構飲める口のようだが、随分幸せに出来上がっているようだ。
「‥‥私の料理、でしょうけれど」
 エレンの視線に苦笑する叢雲。しかし、その直前、不意を打たれた叢雲の動揺の表情は、エレンの脳内にしっかり刻まれていたのであった。