●リプレイ本文
●老人の目
「さて。スコルピオのおもちゃはどのようになっているのかね」
その晩も、老人はいつものように楽しげだった。生活と研究の区別が無いタイプの人間らしく寝室も機材で半ば埋まっているのだが、紫のナイトガウンでかろうじて就寝前だと想像がつく。
「‥‥私の眼に気づいたか。ふむ‥‥」
老人の正面、監視役に放たれていたキメラからの情報を映し出すはずのモニターは、通信途絶を示す赤一色だった。
敵に遭遇する事無く邸内へ進み、屋上へと上がった一向。人型キメラの姿は既になかった。ヘリに向かいかけた一同を制するように、ラウラ・ブレイク(
gb1395)の腕がすっと森の一点を指す。
「‥‥あそこに、敵がいる。やれる?」
コクリと頷く、神浦 麗歌(
gb0922)。狙い済ました一矢は紛う事無く黒い怪鳥を貫いた。
「お見事。さすがはスナイパーね」
ラウラの賛辞に、青年は長弓を下ろして頷く。感情の見えない黒い瞳は、次の目標を探すように様子を窺っていた。森側を警戒する包帯姿の音影 一葉(
ga9077)の横で、かつてカッシングの大鴉と遭遇した事のあるフォビア(
ga6553)も注意深く辺りを見回している。
「あの一羽だけ、‥‥みたい」
館の周囲、木々の間をバラバラと落ちる小鴉の姿を見て、彼女はそう呟いた。中枢ユニットを失えば速やかに自裁するのは以前の時と同じに見える。
「何が目当てかはわかりませんが、この状況、それに先ほどの人型キメラ。あの男も興味を持っているという事ですね」
以前の任務では本隊と分かれていた為、顔こそ見ていないが、一葉にとってもカッシングは知らぬ名前ではない。
「その人型キメラは自爆装置が付いていると考えていいんですか?」
「‥‥カッシングの言う事を、信じれば、だけど。‥‥そういう事をする、相手だと、‥‥思う」
麗歌の質問には、フォビアが頷いた。彼女は以前の任務で、実際に老人と対峙した事がある。彼の護衛についていたのが先ほど視認したキメラと同じ物ならば、カッシングは確かに自爆機能を所持していると言った。
「‥‥やれやれ‥‥僕のハードラックも人を巻き込むようになっちゃったかな‥‥」
狭間 久志(
ga9021)が冗談めかしてそう呟く。
「いやいや、久志くん。俺達は運がいいよ。あの墜落で無傷だったんだし、ね」
それに、屋上のヘリも壊されていないようだ、と大泰司 慈海(
ga0173)は笑顔を見せた。
「そうだな。幸い森のキメラもまだ追いついて来てはいないようだ」
後詰で追っ手の動きを警戒していたミスティ・K・ブランド(
gb2310)も自信を垣間見せるような笑みを浮かべる。少なくとも、一般人の操縦士やソーニャ達の緊張は少しほぐれたようだった。
「燃料も余裕があるね。もしもまずくなったら逃げちゃえるよ」
機体チェックをしていた慈海の言葉に、操縦士の表情が明るくなる。
「‥‥大変な事になりましたが、行動は慎重に‥‥などと、私が言うまでもありませんわね」
大規模作戦での怪我をおしてこの場にいる一葉を気遣うようにソーニャが声をかけた。青い顔の一葉は、気丈に微笑み返す。少女の身体は立っているのも辛い状況だった。
「当初の予定と比べると、随分厄介な事になっちゃいましたね」
久志もため息をつく。だがそれでも、彼の、そして仲間達の様子には、困難を幾度も乗り切ってきた者の自信が感じられた。
「‥‥」
そんな輪から一歩引いて、屋内への階段を見つめるルクレツィア(
ga9000)の目に惑いはない。アーネストの事を彼女達に託して逝ったハミルの想いを胸に、少女はこの場に立っていた。おどおどとした雰囲気とは裏腹の芯の強さが彼女にはある。
「予定通り、僕はここで」
ヘリに残る一般人の護衛と、森のキメラの動向確認の為に屋上へ残る麗歌を残して、一行は再び屋内へ向かった。今度の目標は地下通路、そしてその先にある制御室だ。曲がり角や障害物などに差し掛かるたびに、ルクレツィアが仕掛けを見逃すまいと目を凝らす。地図を手にした一葉と彼女の2人は効率的に階下を目指していた。
「この辺りに、監視装置があるはずです」
「あ、これかな?」
「‥‥わかった」
一葉の指示に慈海がじっと眼を凝らし、フォビアが率先してカメラを潰す。
「そこにも、あります‥‥」
「了解、任せて」
まだ男性は苦手なルクレツィアの細い声には、ラウラが応えた。久志とミスティは敵への警戒につく。時折遠吠えが響くものの、屋外のキメラはまだ外郭を歩いているようだった。
『‥‥キメラの接近を確認。小型1』
麗歌の簡潔な報告が届いたのは、目的地の制御室まで間近に迫った頃だった。一同の表情が引き締まる。時間の余裕はそう多くは無い。
●ニナ
「監視装置は、これで全部?」
ラウラの声に、『探知の目』を用いたルクレツィアが頷く。硬く閉ざされた扉の向こうには、おそらくニナがいるはずだ。監視の目と耳を失った相手に言葉を届かせる術は無いが、その気配は感じられるように思える。
「じゃあ、準備するよ。眼を閉じてね」
慈海が閃光手榴弾に手をかけた時、扉が内側から開いた。
「‥‥っ!」
目を潰され、何かが起きている事を理解した敵が、襲撃を座して待つばかりとは限らない。傭兵達の不意をついたキメラは、その腕を斜めに振り下ろした。その前に燐光を纏った赤褐色の風が割り込む。
「‥‥重い、けど」
耐えられない打撃ではない。洒涙雨をエンジェルシールドで支えるようにして打撃を受け止めたラウラが呟いた。
「‥‥何をしてるの!?」
驚きの声は、扉の中からも聞こえる。どうやら、キメラが勝手に動いたようだ。
「ニナ、さん?」
誰かがかけた声に、息を呑む気配が返って来る。それを感じるよりも早く、傭兵達は行動を起こしていた。
「どいてもらおうか」
立ちはだかるキメラを強烈な打撃で吹き飛ばし、室内へと飛ぶように駆け入るミスティ。室内にいた女性へと距離をつめ、その脇に立つ2体目のキメラへも体当たりのように一撃を入れた。轟く竜の咆哮を受け、奥に並ぶモニターの列へとキメラが打ち付けられる。
「ニナさん、逃げないで‥‥」
女性が何か動きを起こすよりも早く、ルクレツィアが彼女を抱きすくめた。彼女には、この女性の姿に見覚えがある。そのまま抱えて連れ去ろうとする少女に、同じく駆け込んできたフォビアが手を貸した。
「ここは引き受けます。急いで下さい」
入り口前のキメラへ、久志が切り込んでいる。感謝の会釈を送りながら、少女達は制御室から急いで距離を取った。
「内通者? いえ、見た顔ね」
眉を顰めつつ、ラウラが手錠を放り投げる。フォビアが受け取り、ニナの腕を拘束した。
「あ、貴女達は‥‥!?」
「話は後で。‥‥あのキメラは、あなたの‥‥、命を狙っています」
敵意半分、驚愕半分といったニナの言葉に、ルクレツィアはそう返す。それは傭兵達の予想に過ぎなかったが、それを裏付けるかのようにキメラ達は制御室から出て来ようとしていた。その出足を挫くべく、ミスティが再び竜の咆哮を叩きつける。
「引き離すよ。皆、急いで」
自爆による損壊を考慮して、交戦場所を屋外にしようという彼らの作戦は、奇襲でニナを奪い取れた時点で成功していた。後は急いで外へと向かうだけだ。距離を開けられたキメラが、背後で腕をぐいっと突き出す。指の付け根の部分から、弾丸が唸りを上げて吐き出された。
「‥‥死なせない」
狭い地下通路に回避する余裕はない。撒き散らされた弾丸から一般人のニナを庇うべく、フォビアがその身を盾にする。
「この角を曲がれば、後は外まで直線は無いよ」
以前の任務で頭に叩き込んでいた邸内の様子を思い浮かべながら、慈海が仲間達を先導した。
●交戦、そして
ヘリが墜落した中庭とは逆の裏庭に、能力者達は出ていた。戦闘による誘爆を警戒しての選択だ。後を追ってくる人型キメラの到着まで慈海が怪我人の治療を行う。自力で傷を癒せる者は、自らの力で。
「‥‥」
その様子を、ニナは疲れたように見つめていた。おそらくは20代後半であろう年齢よりも、彼女は老け込んで見える。改造の様子は今の所見られない。自爆も、おそらくは手段を持っていないのだろう。
「ニナさんは女性としてもソーニャさんが傍に居るのが嫌なのだと思います‥‥。でも」
何よりも怖れているのは、今までの時間が壊れる事ではないか、とルクレツィアは声をかけた。唇を引き結んだまま、ニナは視線を逸らす。
「ニナちゃんは‥‥アーネストくんとの世界に侵入してきた、俺たちのことが内心は面白くないんだね」
「‥‥貴方たちさえ来なければ」
慈海の言葉は痛い所をついたのか、彼女は思わずそう漏らした。しかし、我に帰ったようにまた口を閉じる。
(恋慕でも忠義でも、誰かを思う心ほど御し難い物はありませんね)
その様子を見ていた一葉が内心でため息をついた。
「言いたい事はあるだろうが、続きは後で、だ」
ミスティが敵の接近を告げる。獣型キメラの乱入を危惧していたラウラだが、その姿はまだ無い。麗歌の報告も、1匹目以降途切れていた。
『どうやら、混乱しているようです』
傭兵達のあずかり知らぬ事だが、カッシングの端末が潰れた時点から、小型の獣キメラはボス的な中型ユニットの到着まで指示待ち状態になっている。屋敷の襲撃という、タイミング重視の緻密な作戦の為に調整されていたのが仇となったようだ。
「さて、じゃあちゃっちゃと片付けちゃおう」
慈海の超機械から漏れた光線が出会い頭に人型キメラを捕える。何らかの力で強化されていたらしい外皮が硬度を、そして持ち上げていた腕が膂力を失った。
「借りを‥‥返しに来た‥‥」
地を這うように近づいたフォビアが月詠を振り下ろす。切りつけた剣先は敵の腕で阻まれた。半ばまで裂かれた外皮の中から、火花が散る。
「機械‥‥?」
感じた僅かな疑問ごと、フォビアは刀を更に押し込んだ。ミスティとラウラ、2人も猛攻を加えている。ニナの身柄は、ルクレツィアと久志、一葉ががカバーしていた。近接攻撃をしかけるトリオに突破を阻まれ、1体は拳を振り回す。だが、浅い。
「ひっ!」
もう1体は、腕に仕込んだ飛び道具でニナへと猛烈な射撃を加えた。荒事慣れしていない女が恐怖に身を竦める。
「何であろうと、女性を守るのは男の仕事ですからね‥‥!」
久志がその身を盾にして、背後への攻撃を容易に通しはしない。決して弱いキメラではないのだろうが、初手で化けの皮が剥がれたのが痛かったようだ。硬質な機械が砕ける音と、生物が裂かれる音が響き、よろめいたキメラの目が赤く輝いたのも束の間。以前に感じた無力感を払拭するように切り付けるフォビアと、彼女の攻撃機会を作るように牽制と防御主体で攻めるラウラが急造のコンビネーションを見せる。
「まずは1体」
ミスティが呟いた瞬間。その視界を白色が埋め尽くした。
2体目の自爆は前衛の3人を巻き込んだが、十分に離れていたニナ達へは及ばなかった。もしも、狭い室内で戦っていたならば結果は考えるまでも無い。
「大丈夫、制御システムは無事ですわ」
モニターが少々割れた程度でほぼ無傷の制御室で、ソーニャが大きく頷いた。
「さすがに残りは皆さんに任せますね‥‥」
一葉がその横でサポートに入る。
「生身の戦闘は久し振りですので、後は思い切りやらせてもらいましょう」
珍しく強気の久志が呟いてから、十分も立たずして、森にいたキメラの群れは全滅した。
●
「‥‥」
諦めたように呆然と座るニナから、麗歌は距離を取っていた。事情も分からないのに口を出すつもりはないが、何かを起こす事のないように、挙動へ注意を払っている。
「変わらないと信じていた時間、失いたくない大切なもの。私も‥‥大好きな人達がずっと一緒なんだと思ってた」
ぽつりと呟くルクレツィアに、ニナはゆっくりと目を向ける。
「アーネストさんは‥‥、生きていてくれた方を喜ぶと思います。貴女の事を、失いたくない大切なものと思っているから」
そんな2人を斜めに見ながら、ラウラは微笑していた。誰かがバグアとの関わりを問いただそうとしたならば、止めるつもりだったのだが、制御室に集まった傭兵は誰もそのような意図を持っていないようだった。
「少し甘いが、嫌いじゃない」
そんな様子を評して、ミスティも笑みを浮かべる。
「バグアは、ニナちゃんのことも、アーネストくんのことも、救ってくれないよ。俺は、2人の力になりたい」
慈海がそっと囁くと、項垂れたままのニナの仮面が崩れた。
「‥‥そんな事は、わかっています。けれども」
方法が無かった、と細い声で言うニナを、責める者はいない。
「それで、戻ってくる気があるの? それとも、バグアにつくの。彼の為ならどうする事が一番か、それを考えなさい」
ラウラの言葉で、ニナはゆっくりと顔を上げる。
「戻って‥‥? そんな事が出来るわけが無い」
乾いた口調の自嘲に返されたのは、彼女には思いもよらない言葉だった。
「アーネストくんに、ぜんぶ打ち明けてみてっ。きっと、彼は許してくれるから」
慈海の明るい、前向きな言葉にはニナはふるふると頭を振った。それはできない、それだけは、と呟く彼女へ、強いて踏み込む者もいない。敵意どころか殺意すら向けていた傭兵達の暖かさに、彼女は居たたまれない思いで唇を噛んだ。
「私は‥‥死んでしまえばよかったのに」
漏れた言葉は本心からだろう。それがわかるからこそ、傭兵達は彼女に尚、言葉を投げる。
「貴女は‥‥アーネストさんをこれ以上悲しませるつもりなんですか‥‥?」
その久志の言葉と。
「アーネストさんは‥‥生きていてくれた方を喜ぶと思います」
ルクレツィアの囁き。
「守りたかったのは何? 彼、今度こそ立ち直れなくなるわよ」
ラウラの声が、頑なな女の心へ静かに染みていた。
「それとも大切に思われている自信が無いのですか?」
ポツリ、とルクレツィアが付け足す。それから、更にもう一言。
「貴方のアーネストさんはどんな人ですか?」
「‥‥幼い折からお仕えしてきた、大事な方、です」
何かを思い出すように、ニナは小さく微笑んだ。
「貴女が望む世界はどこに在るの?」
フォビアの囁きに、彼女は小さく、しかし決然と答える。アーネストの後ろ、呼べば答えられる場所、と。それは奇しくも、青年の為に死んだ男と同じ立ち位置だった。こほん、と咳払いをしてからソーニャが彼女へと視線を向ける。
「貴女の覚悟は尊重しますが、私はアーネスト君とどうこうなるつもりは欠片もありません」
「‥‥は、はい。承りました」
それさえ理解してもらえば、以前の事は忘れる、と言うソーニャに、ニナはそっと頭を下げた。
「いろいろあったけど、とりあえず‥‥これで一件落着、かな?」
パン、と手を打って言う久志。知らぬ間に仕込まれた蠍の毒は、致命ではなかった。今は、まだ。