●リプレイ本文
●追跡
「‥‥あれがロッシュ氏でいらっしゃいますか」
駅前を見通すカフェテラスで、ジェイ・ガーランド(
ga9899)が見ていたのは、くたびれた中年男だった。その手に両手で縋るようにして歩く少女が娘のリサだろう。彼と音影 一葉(
ga9077)の2人は、ターゲットから離れ、監視者への警戒を担当していた。
「こんな町にいると、誰も彼もが怪しく見えるってものですね」
親子へ注意を払う者を探して、日々の生活に追われた人々が足早に過ぎ行く様子を眺める一葉。生気に溢れたLHの喧騒と比べると、ザグレブの雑踏は灰色だ。
「‥‥我々がバレないよう、細心の注意が必要で御座いますね」
武器や私服っぽくない装備をカバンに入れたジェイ。彼の気配りに合わせるように、一葉もトレードマークの白衣は尾行の間だけ仕舞っていた。別に色っぽい話もしていないのだが、遠目に見ればデート中のカップルに見えないことも無い。
駅前の雑踏に立つ草壁 賢之(
ga7033)も、親子を視認していた。大事そうに抱える小さな包みに、問題の手首が仕舞われているのだろうか。何処にでもいそうな親子が、人目をはばかるようにキョロキョロと周囲を伺う様子に、彼は『いつもの言葉』を吐く。人道を捨て、追われる身になってでも求める物があると、理解できない訳ではないが、認めるわけにはいかない。
「‥‥うしッ、そんなに手が欲しいなら、救いの手を差し伸べるとしようッ。」
賢之は己に気合を入れるために左掌と拳を打ち鳴らす。
「遺体から、手首だけ持ち去るとは、悪趣味ねえ‥‥」
神森 静(
ga5165)は常の微笑の裏で、やや冷静に2人を見つめていた。ロッシュのやった事は、例えどんな理由があるにしろ、許されるものでは無い。
(‥‥エミタ。非合法な、能力者‥‥)
静、賢之と組んで追跡にあたるフォビア(
ga6553)は、ロッシュの取引相手に思いを馳せていた。喪失した自らの過去の記憶に繋がるかも知れない、その事への期待と僅かな恐れが、少女の気持ちに波紋を投げかける。
「‥‥タクシーに乗るつもりみたいね。須佐さんと黒川さんに連絡しないと」
静が細い眉を顰めて呟いた。監視という立場上、列に並ぶ訳にも行かず、かといって彼女達には追跡の足がない。
「‥‥あ、列の人が‥‥」
目の見えぬ少女に気遣ったのだろう、人々が先を譲った。普段なら微笑ましい光景が傭兵達に焦りを生む。
「‥‥いい、よ‥‥。いける‥‥」
静からの通信にそう答えて、リュス・リクス・リニク(
ga6209)はハンドルを握る須佐 武流(
ga1461)へと目を向けた。早くから待機していた武流は、道行く人の会話に聞き耳を立てていたが、あまり有用な情報は得られていない。せめて聞き出す相手か、内容を絞っていればと思った矢先の連絡だった。
「‥‥今、タクシーに乗った、って‥‥」
「そうか。わかった」
タクシーが何処へ向かうかは分からない。後戻りのできぬ追跡の始まりに、リニクにも緊張が見える。
「心配するな、俺が居るんだ。大丈夫だから、な?」
「‥‥ん。ありがと‥‥、タケル」
優しい手つきで少女の髪を撫でると、武流は前を向いた。少し前方、車線へと出てきたタクシーが、連絡のあった車だろう。
「おう、すまんな」
車へと駆け寄ってきた黒川丈一朗(
ga0776)の声に、つーは片手をひらひらと振って答えた。丈一朗の愛車を、この場に用意したのはつーである。飲酒運転で捕まらなかったのは幸いだ。
「どこにでもいるよな‥‥、こういうヤツはさ」
今1人の同乗者、まひるは常よりも心持ち静かに任にあたっている。事件の首謀者へ思う所が無いといえば嘘になるが、追跡、そして退路の確保が今回のまひるとつーの役割だった。
●黒い病院
「一体、どこに向かってるんだ?」
やや後ろに位置した車内で、無線機片手の丈一朗が首を傾げた。
「裏通り、じゃねぇなぁ」
武流が言うように、タクシーは比較的開けた区画を走っている。警戒班のジェイはザグレブの地図を入手していたが、追跡役の2台はどちらも地理に不案内だった。交代で追う手はずも、行き先も道路事情も分からないとあっては上手くいくはずもない。2台が共に後ろにつけ、交互に前へ出るような形で尾行を気付かれにくくするのが関の山だ。
「‥‥こんな所で、取引‥‥?」
リニクの疑問が言葉になった時に、タクシーがウインカーを点灯させる。すーっと速度を落としたタクシーが停まったのは大きな建物の前だった。
「ザグレブ中央病院、か」
一見すれば普通の病院だ。外来も普通に受け付けているのだろう。人の出入りも見受けられる。
『中央病院、で御座いますね。了解いたしました』
移動手段を確保してこちらに向かっているグループの到着までは少し時間がかかる。とはいえ、下手に正面から手出しして裏口から逃げられでもしたらまずい。そう考えた武流達は残りの仲間が配置に着くまで突入を待つことにした。
「裏側に回ると、何だか感じ悪いですね」
一葉がぶっちゃけた感想を言うのに、ジェイが笑顔を見せずに頷く。2人が陣取ったのは、裏手の駐車場を見下ろすように立つ、別の建物の非常階段だった。大きな建物なので、裏口以外にも非常口が2箇所ほどあるが、そのどちらもを視野に収めている。病院の裏口付近には、目付きと姿勢の悪い男が2人座り込んでいた。時折出入りする病院関係者は慣れているのか気にも留めていないが、普通の病院の光景としては少し異様だ。
「裏口班、準備オッケーですよっ」
そんな様子を見ながら、無線へと囁く賢之。彼とフォビア、静は駐車場の車の陰に固まっていた。
「了解。俺達が突っ込むのを合図に‥‥、って訳にはいかないよな、ジョーさん」
武流が隣の丈一朗の意見を伺うように口ごもる。現場は表口から見ればごく普通の病院だ。一般の客も大勢いるのに、武装して強行突入などできようはずもない。
「俺達は見舞い客の振りでもして中に入ってみよう。騒ぎが起きたら、その時は計画通りに頼む」
幸いにも、正面班の3人の服装はそこまで浮いた物ではなかった。フェイスマスクやゴーグルを置いていけば、市民の中に紛れる事も容易だろう。
「車は頼んだぞ」
つーとまひるに言ってから、3人は院内へと向かう。
「目の見えない女の子ね? えーと、院長先生のお客さんの患者さんだったっけ?」
「あ、さっき外来扱いで内線繋いだら、第二手術室に通すように言われたわよ」
ナースステーションにいた看護婦へ礼を告げてから、3人は足早に指示された部屋へと足を向けた。階下の手術室へ向かう薄暗い通路に人影はなく、傭兵達の気配だけが生々しい。
●赤い灯
突き当たりには手術中のランプが赤く灯る。廊下の椅子に、祈るように腕を組んだロッシュが座っていた。
「あ、貴方達は‥‥!?」
ロッシュの声に、左右に控えていた人影が奇妙にスムーズな動きで傭兵へ向き直る。衣服のような物を身につけているが、生気の無い様子は明らかに人以外の物だった。
「‥‥キメラ!」
目を見開くリニクを庇うように武流と丈一朗が前へ出る。初手でロッシュを保護、それと同時に畳み掛けて1体を倒せれば良し。例え2体相手であっても、並みのキメラならば遅れを取る気はしない。
「や、やめてください!」
彼らの激突を止めたのは、ロッシュの声だった。
「私を捕まえに来たのなら、抵抗はしません。ですから、娘の手術が終わるまでは‥‥」
目の手術は僅かな振動も命取りだ。廊下で派手な戦闘などすればどうなるか分かった物ではない。いや、十中八九、タダではすまないだろう。
「‥‥タケル、待って」
袖を掴むリニクの声に、武流は間合いを保ったまま脚を引く。油断なく身構えつつも、丈一朗も拳を解いた。
「状況は理解した。‥‥エミタは、取引相手の所か?」
丈一朗の言葉に、ロッシュの目が手術室の扉へと向く。どうやら、逃げられたわけではない。が、リニクの胸中には不吉な予感が膨らんでいた。これまでの事件。怯えたようなマフィアの幹部と、異形に変えられた能力者と監視するようなキメラ。その裏側にいる存在がまともな人間のはずは無い。
「エミタは持ち主と共に戦い、それを記憶する。能力者の魂のようなものだ。ただの希少金属じゃない。死んだ奴の無念が刻まれている」
それを分かっていて、取引に使ったのか。丈一朗の声に、キメラの向こう側で中年男が項垂れる。
「‥‥例え何だったとしても、多分私は人殺し以外ならなんでもしましたよ」
愛ゆえに、何でもやってしまうのが人間と言うものだ。それが浅ましいと高所から言うのは容易いが、自分がその立場に置かれた時に黙って耐える事ができるだろうか。
裏口を確保する為の交戦は、一瞬で終わった。いかに場慣れしたマフィアの構成員とはいえ、能力者に奇襲を受けてはひとたまりも無い。
「バックアップは必要ありませんでしたか」
ライフルを降ろすジェイは、ほっとしていた。さすがに街中で銃声を響かせると色々と厄介だ。同じく銃を用意していた賢之も同意見だろう。格闘を軸に制圧したフォビアと静の2人で対処しきれたのは幸いだった。
「ショットガンか爆薬でも使われたら手こずるかもしれないが」
「や、そんな物持ち歩いてるのは怖すぎますから」
そんな会話を交わしつつ、静達は気を失った2人を確保する。事情を聞きだす間、周囲の警戒はジェイ達2人が行っていた。尋問と言うほどの事もなく、すぐにいくつかの事実が明らかになる。
「なるほど、裏の顔のある病院か」
どこかで聞いたような、と顔を顰める賢之とフォビア。美沙からの一連の依頼の発端が、規模こそ小さいが似たような場所だったのを思い出したのだろう。とはいえ、ここはあの事件の物に比べればまっとうな部類の闇医者だった。要するに、表に出れないような怪我をこっそり見るという程度なのだ。
「‥‥ここは、外れ?」
悩んだ所に、正面組からの現状報告が入る。敵に追いつき、追い詰めたが膠着状態だ、と。
「まっすぐに本取引だったとは。商慣行も何もあったものでは御座いませんね」
間にマフィアが仲介している、という予測を外された形になったジェイが階段で首を振る。
「どうしましょうか」
一葉の声にジェイはやや考えたが、持ち場を維持する事にした。敵が裏口から逃げるならば、水際で食い止めるのが彼らの役目だ。
●白衣の悪魔
手術中、の灯りを消しもせぬまま扉が開く。目の手術といえば数時間かかる事もあるだろうが、早い。裏口から回った面々はまだ到着していなかった。
「手術は成功だよ。シャルル氏」
年老いた男の声が、扉の奥から聞こえる。姿を現したのは見上げるような長身、白衣の老人だった。
「それと、待っていてくれた事を感謝するよ、傭兵諸君。私についているそやつらは無粋にも自爆装置とやらを持っていてな」
建物地下での爆発。規模によっては、大惨事に繋がるかもしれない事を、老人は楽しそうに語った。
「もしもそのせいで手術が失敗に終わったとしたら、実に悲しい事だった。お互いにとってね」
「む、娘は‥‥?」
キメラの壁の向こうでロッシュが言う。
「今は眠っている。数時間したら目が開くだろう。残念ながら、瞳の色は変わるがね」
手術室へと駆け込む男に道を譲り、老人は待ち構える3人の傭兵を見据えた。
「新顔が2人。そちらのお嬢さんは報告を受けているよ」
おかげでお互いの力関係と立場を理解していた取引先を失った、と老人は肩をすくめる。2人の青年の影にいる少女へ老人は薄く笑いかけた。
「お嬢さんについては多少、調査もさせて頂いた。礼、という訳ではないがね。君が探している相手はすぐ近くにいる、と言っておこうか。ま、会えるかどうかといえば君の覚悟次第だが」
謎めいた台詞を告げる老人の笑みが深くなる。
その声は、廊下を駆ける裏口班にも届いていた。聞き覚えは無いはずの声だが、そこから漂う不吉な気配に静が眉根を寄せる。その脇を、フォビアが一歩出た。ふわっと舞う紅色の花の幻影。
「‥‥フォビアさん!? 駄目!」
予感が静に声をあげさせた時には、フォビアは手にした工具箱を投擲していた。そのまま、瞬天速で一気に間合いを詰める。構えを解いていたキメラは反応できない。見事な不意打ち作戦だった。
「‥‥っ!?」
並みの相手ならば。
「やれやれ。最近の若い者は挨拶がなっておらん」
道具箱は片腕で軽々と受け止め、残る片腕がフォビアの胸元を抉っていた。鋭利な刃物のように伸びた爪先が少女の背に赤い切っ先を覗かせる。
「‥‥ぁ」
「どれ、せっかくだからもう一つ頂いていこうか」
引き抜いた爪先がフォビアのエミタへと伸び、抉るように突き刺した。
「きゃぁぁ!?」
全身を走る激痛に背を逸らすフォビア。その悲鳴に動きかけた仲間達の進路を塞ぐように、キメラ2体が腕を広げる。自爆、の単語に一瞬出足が緩んだ。
「‥‥はて?」
ふと、老人が手を止める。しげしげと汗の浮いた少女の顔を覗き込んだ目が細められた。
「聞き覚えのある声だと思えば、アレか。まだ生きていたのなら、私の手で摘むのは惜しいな、実に」
どさ、とフォビアの細い身体を老人は投げ捨てる。
「‥‥さて、残りの諸君はどうするかね。私は契約も果たした事だし、帰らせてもらいたいのだがね?」
彼我の実力差が分かる事が一流の証ならば、武流は一流だった。この相手は強い。もしも手を出すならば捨て身の覚悟がいるのは間違いない。
(リニクを守るか、全てを捨てて敵に挑むか。‥‥どちらを選ぶべきかは判りきってるよな?)
自問しつつも、武流は奥歯を噛み締める。そんな彼らの脇を、老人は無造作に通り過ぎていった。
●アフターケア
「‥‥色々思うところは御座いますが、私には結論が出せません。申し訳ありませんが、お任せ致します」
運転席の丈一朗へ、ジェイはそう告げる。後席にはロッシュ親子が座っていた。これから、2人を国境を越えて逃がそうと言うのだ。生活の当ては、あるのだという。何も知らぬ娘は、まひるに優しく寝かしつけられていた。
「‥‥ありがとうございます」
「最初は、自首して罪を償ってもらおうと思ったが‥‥仲間の頼みでな」
ロッシュの礼に、丈一朗がそう返す。回収任務は失敗に終わったが、だからと言ってこの親子を突き出して点数稼ぎをしようとは、彼らは思わなかった。
「おじさま‥‥、ありがとう」
リニクへと微笑を向けてから、丈一朗はアクセルを踏む。
「‥‥人間の敵‥‥私達の敵。そういう人たちもいましたね」
走り出した車を見送り、一葉がまたため息をついた。幸か不幸か、ジェイと彼女は老人、ゾディアックのカッシング教授と直接まみえる事はできなかった。
「強く、なりたいよな‥‥」
普段に似合わず、そんな事をポツリと呟く賢之。走り去る車の後姿が徐々に遠く、小さくなっていった。