タイトル:眠れぬ森の聖女マスター:紀藤トキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/06/03 07:21

●オープニング本文


「アーネスト様。お電話でございます」
「僕は今忙しい、と答えてくれ」
 黒衣の執事ににべも無く否を返した眼鏡の青年は、手元のコンピュータから目も上げなかった。アーネスト・モルゲン。4年前、若干20歳で名門モルゲン社を継いだ彼は、父祖の代よりも自社の規模を拡大する事に成功していた。兵器メーカーである同社の発展は、半ばは戦争が常態化した時代の流れに乗った物かもしれないが、残りの半分は彼の手腕による物だ。現時点の見た目は理工系ヲタクにしか見えないのだが、実は辣腕経営者なのである。タイ○ズが『世界を支えるヤンエグ100人』を特集すれば、ランクインする可能性は高い。
「カプロイア伯爵からですが、よろしいのですか?」
 うっとおしげに長い髪をかき上げていた青年は、執事の声にがばっと顔を上げる。
「何! わかった、受ける」
 ずいっと伸ばした手に、心得た様子の執事が通話機を載せる。
「‥‥やぁ、伯。お怪我の具合はどうです? スペインでは随分と無茶をされたと聞きましたが」
 受話器の向こうから聞こえたカプロイア伯の声は元気そうだった。年が近く、兄とも慕う青年の無事に、アーネストはほっとしたように笑顔を浮かべる。
「いえ、僕は伯を尊敬します。一応能力者ではありますけど、僕には戦うなんて出来そうも無いですから‥‥」
 いかに素質があろうとも、引き金を引く勇気が無ければ戦地には立てない。アーネストは銃弾を交わす代わりに、兵器開発を己の戦場と定めたサイエンティストだった。そんな彼に、カプロイア伯が折り入って頼みがある、という。
「え? それはもう。喜んで。ですが、何ですか? 頼みだなんて。K−111のシステムカスタマイズはこれ以上は僕では難しいですよ」
 カプロイア伯の返答を聞いて、笑顔だったアーネストの表情が固まる。
「‥‥え? 女の子を預かって欲しい、ですか?」
 心底嫌そうな声を、通話相手は一顧だにしなかったようだ。諦めたように、アーネストはペンを手にメモ帳を開いた。技術屋の割に、意外とアナクロな青年である。
「はい。ジャンヌさん、ですね? 受け入れ態勢が出来るまで、僕のところで2日間預かればいい‥‥、というですか?」
 女性1人の為に、このような頼み方をするだろうか。いや、カプロイア伯ならばするかもしれない。あるいは、彼にとって大事な女性ということか。などと妄想を膨らませる青年の耳元で、受話器はジャンヌ嬢の詳細を語り始める。
「ふむふむ。教皇のお孫さんで、バグアに狙われ‥‥、って。ちょっと待ってください、そんな要人警備は軍のお仕事じゃないんですか!?」
 眼鏡がずり落ちんばかりに声を荒げるアーネストの耳には、愉快そうな伯の笑い声だけが返ってきた。

「困ったな。年頃のお嬢さんか‥‥。何をしたらいいんだ? 預かるって言っても街中はまずいよな?」
 電話を置いて、そのまま悩みだすアーネストに、執事も一緒に考え込む。
「『森の別邸』で過ごして頂いてはいかがでしょう? バグアに狙われていると言う事ですし、警護上の問題もありますゆえ」
 彼の言う『森の別邸』とは、モルゲンの父の代からあるフランス南東部の別荘だった。一見瀟洒な小邸宅だが、実は産業スパイの目を防ぐために過剰なまでの防備が施されている。無論、設備は人間相手を想定したものではあるからバグア相手の抑止力としては期待できないが、もしも敵が攻めてきた際には早期に気付いて手を打てるはずだ。緊急時の避難用に、地下には小型機も用意されている。まさに、このような場合にうってつけの場所だった。
「じゃあ、それでいこう」
 面倒が片付いた、とばかりに笑顔を浮かべるアーネスト。それでは準備を、と下がりかけた黒衣の背に思いついたように声をかける。
「その子、バグアに狙われているといったね? なら、傭兵の護衛を手配しておいてくれないかな」
「‥‥は? しかし、別邸には警備の者もおりますが」
 あくまでもジェントルに首をかしげる執事。青年は首肯しつつも、更に言葉を続ける。
「念には念を、だよ。それに僕が傭兵さんに会ってみたいんだ」
 カプロイアの製品は、その尖った仕様ゆえに軍で正式採用されるよりも傭兵達へ提供される事が多い。傘下の企業であるモルゲン社もそれは同じである。カプロイア製KVの電子部品は、その何割かをモルゲンが開発していた。
「じゃ、任せたよ。僕はこの、プチノフの主任からの宿題を片付けるから」
 それだけを言うと、アーネストは再び作業に熱中しだす。うやうやしく頭を下げてから、執事は部屋を後にした。

「‥‥傭兵とは、面倒な事を言い出されましたね。こちらで聖女を確保すれば、彼もお喜びになられるでしょうが‥‥。はて」
 思案顔で廊下を歩く執事の独り言は、誰に聞かれることもなく。
「まぁ、UPC斡旋の傭兵がしくじれば、我が社の外交的なカードも増えるというものですね」
 一つ頷いてから、執事は歩調を上げた。そうと決まれば、準備も色々と必要なのだ。

 そして、準備を整えていたのは今1人の登場人物もである。
「‥‥いつまでも、安全な場所で守られている訳には参りませんわ。前回のように軽率な行動で皆様に迷惑をかけるわけにはいきませんけれど、せめて皆様と同じ空を見つめて祈りを捧げたいのです‥‥」
 殊勝にそんな事を言うが、実の所、彼女が動くだけで迷惑を被る人間の数は多い。本人が自覚している以上に、教皇の孫娘のカリスマ性は、周囲に与える影響が大きかった。
「‥‥でも、行かなければ。お祖父さまは軽々に動けないのですから」
 そんな事を思う彼女の周囲には護衛の黒服たち。能力者でこそないが、マルセイユで彼女の身柄を預かって後、プロフェッショナルな動きと警戒態勢でジャンヌを守り通してきた。素質はあれど、いまだエミタを得ていない彼女に抜け出すチャンスなどありそうも無い。だが、ジャンヌは焦ってはいなかった。
「‥‥時は来るのです。必ず」
 天が導くのならば、いずれ。その『時』がいつであるかは定かではないが。

●参加者一覧

大泰司 慈海(ga0173
47歳・♂・ER
犀川 章一(ga0498
24歳・♂・FT
シャロン・エイヴァリー(ga1843
23歳・♀・AA
麓みゆり(ga2049
22歳・♀・FT
ネイス・フレアレト(ga3203
26歳・♂・GP
ベーオウルフ(ga3640
25歳・♂・PN
ノビル・ラグ(ga3704
18歳・♂・JG
リーゼロッテ・御剣(ga5669
20歳・♀・SN
ルクレツィア(ga9000
17歳・♀・EP
ゴリ嶺汰(gb0130
29歳・♂・EP

●リプレイ本文

●in the Forest
 森の中を揺られる事しばし、UPC差し回しの大型車は邸宅の門前についた。監視カメラが小さな動作音を立てる。
『傭兵の皆様ですね。お待ちしておりました』
 平板な声と共にゆっくりと開く門を、ゴリ嶺汰(gb0130)がじっと見つめていた。真っ先に依頼を引き受けた彼の、初任務への熱意は相当なものだ。
「改めて、今回はよろしく頼む」
 彼の挨拶に、任務を共にする車中の仲間達が思い思いの返事をする。
「よろしく‥‥お願いします」
 今回の任務が二つ目となるルクレツィア(ga9000)もか細い声を返した。
「ルクレツィアちゃん、硬くならずにね」
 ニッと笑った大泰司 慈海(ga0173)へ、ルクレツィアは一瞬びくりとしてから、おずおずと微笑む。気にしている男性恐怖症はなかなか治らないようだ。
「教皇の孫娘って、物凄いVIPの護衛をする事になっちまったな」
 ノビル・ラグ(ga3704)の面白がるような声に、麓みゆり(ga2049)はまだ会った事の無い少女の事を思う。任務で彼女の替え玉を演じたが、実際に自分と似ているのだろうかが楽しみだ。
「お嬢様はお嬢様なりの悩みってやっぱりあるのねぇ〜」
 そんなことを言いながら、リーゼロッテ・御剣(ga5669)は彼女を命がけで守らなければ、と意気込みを新たにする。戦う事への迷いをひとまず振り払った彼女にとって、これが節目の依頼だった。
「‥‥」
 会話がジャンヌの事になってから、犀川 章一(ga0498)は難しい顔で黙り込んでいた。ジャンヌの悩みへ共感はできるが、守ることが任務の目標だ。何か気の利いた事を言えれば良いが、自信は無い。
「皆の支えになりたいって意気込みはすっごい好感が持てるんだけど、立場って大変ね」
 シャロン・エイヴァリー(ga1843)も、彼女からは出来る限り目を離さぬようにせねば、と思っていた。彼女の言葉に、ルクレツィアがこくりと頷く。一行の中で唯一ジャンヌと出会ったことのあるベーオウルフ(ga3640)は、そんな仲間の様子を腕組みしながら眺めていた。

●Lady Knights and Detectives
 傭兵達は、大まかに分けて3班で手分けする事にしていた。ジャンヌの直接の護衛と、邸内警戒を考える班と、邸外からの襲撃に備える班、そして邸内の調査をする班だ。館へ着いた一行は、まず今後の方針を依頼主と話し合っていた。
「邸内の図面はこれ、周辺のセンサーとかの配置図はこれです」
 白衣のアーネストが、プリントアウトした地図をみゆりへと渡す。普通は印刷しない物なので、必要なくなったら後で処分してください、と青年は気軽に言った。
「そうそう、例の小型機。あれのカギは誰が持っているのかな」
 できれば貸して欲しい、と言う慈海。
「緊急時には、操縦する許可も頂けませんか?」
 続くみゆりの言葉に、アーネストはもちろん、というように頷いた。
「僕がいれば、操縦桿は譲らないけどね。それと、物理的なキーについては、実はかけてない。このコードを入力してくれれば起動できるよ」
 あっけらかんという青年は大物なのか、あるいは少し抜けているのか。
「脱出に使うルートはこれ以外にないか?」
 邸内図を前に、ベーオウルフが尋ねたが、アーネストは首を振る。
「隠し扉とかは無いよ。あれば面白かったかもしれないけど、それが全部です」
 つまり、イザと言うときの脱出ルートは地下への階段が2ヶ所、そしてアーネストの私室のエレベータのみ、ということだ。だが、いかに開けっ広げとはいえ、ベーオウルフが全ての部屋の調査許可を求めた時には、アーネストは困ったように腕組みをした。
「一応、企業秘密とかもあるからね。覗くのはいいけれど研究室や会議室のPCや書類には触らないでくれるかな。僕の部屋も勘弁して欲しい」
 ベーオウルフも別にデータを盗み見たい訳ではない。落としどころはその辺りだろう、というように同意する。
「では、ジャンヌさんの事、よろしくお願いします。後ほど夕食でお話しましょう」
 そう言い残して、青年は私室へと戻っていった。
「さてと、許可も出た事だし調べに行くか。ジャンヌの部屋ってどこだっけ?」
 2階だ、という返事を聞いたノビルは1階から地下にかけて回る事にしたようだ。
「俺は夜型だからな、今のうちに休んで後で働こう」
 休憩用に提供された部屋の場所を確認しつつ嶺汰がいう。
「俺も最初はお休みだけどね。ちょっと屋敷の中の人の顔も見ておきたいな」
「では、一緒に行きますか?」
 慈海の言葉に、同様の事を考えていたみゆりが水を向けた。それ以外の面々も、思い思いの場所へと動き出す。そろそろ12時、ジャンヌが到着する頃だった。

「では、我々はここで」
 割り切った様子の黒服達は、出迎えの執事へジャンヌを預けるとあっさりと背を向ける。
「‥‥覚醒した時の方が似ている、のかしら?」
 やや離れて見ていたみゆりが、綺麗な黒髪を1房つまみながら呟いた。ジャンヌは金髪だが、みゆりも覚醒した時は同じように金髪になる。
「‥‥」
 同じように様子を伺う慈海は、やや不機嫌そうだった。黒服の中にジャンヌが心を開ける相手はいなかったに違いない。
 年頃の近いルクレツィアが小さく会釈すると、ジャンヌはほんの少しだけほっとしたように微笑んだ。シャロンの先導でジャンヌと仲間達は階段を上がっていく。
「慈海さん、行きましょう」
 みゆりの声に、慈海は気持ちを入れ替えた。彼女も気になるが、まずは屋敷の中の者を確認せねばならない。

 屋敷の警護は優秀だったが、それはあくまでも一般人レベルでだ。1対1でみゆりが対すれば、一瞬で昏倒させることも可能だろう。
「‥‥でも、様子のおかしな方はいなかったわね」
 不審な反応を見せた者はざっと見た限りではいない。ジャンヌにかけられた賞金を知らぬ事は無いだろうが、元々価値の高い情報などを警護している面々だ。目先の利でぐらつくような人間は雇われていないという事だろう。

「お邪魔するぜ‥‥」
 1階の作りはごく普通の別荘風だったが、ひとたび地下に下ると無愛想なコンクリート剥き出しの通路がノビルを出迎えた。気配を潜めて少年は奥を目指す。注意を払って確認していたが、それらしい危険物や不審な人影に遭遇する事はなかった。
「‥‥特に異常はない、か」
 ノビル同様に地下へ降りていたベーオウルフは脱出用の機体を確認していた。KVより少し大きい、一般的なビジネスジェットだ。航空関連の会社の特別機だけに多少弄った跡はあるが、おかしな細工は見当たらない。

 ジャンヌに用意された部屋は、当然と言うべきか客用の良い部屋だった。
「ジャンヌ、様? さん? 落ち着きの良い呼び方があれば変えるわ」
 さっとカーテンを開けながらシャロンが問う。
「では、ジャンヌ‥‥、でお願いします」
 ジャンヌは嬉しそうに微笑んだ。
「OK、ジャンヌ。じゃ、また後で、ね」
 さっと室内を見てから、シャロンは邸内の警備へと向かう。彼女の護衛はルクレツィアの担当だ。
「ご迷惑をおかけします」
 頭を下げるジャンヌに、ルクレツィアは戸惑ったように口ごもる。
「‥‥いえ」
 それから、目をあげて言葉を続けた。
「ジャンヌ‥‥さんは、行きたいんですよね」
「はい」
 返ったのは強い肯定だった。頷きつつ、ルクレツィアはゆっくりと自分の思う所を言う。ジャンヌが前線に行く事で救える物があったとしても、それは一握り。自分達能力者ができる事と同じ、大局の中のほんの一部。ジャンヌは違う道を選んだ方が、より多くを救えるはずだ、それが何かは分からないけれど。そう言う彼女に、ジャンヌはクスリと笑った。
「私達、無い物ねだりをしてるんですね。交換、できればいいのに」
 あなたが教皇の孫に、そして自分はただの能力者に。本当にそうなれればいいのに、と呟く瞬間だけ、ジャンヌはやけに大人びて見えた。
「聖女だから狙われた‥‥。彼らは死体でも利用する」
 ポツリと言ったルクレツィアに、ジャンヌが瞬きをする。
「ジャンヌさんがバグアに利用されるのは嫌だから、‥‥もしもどうしても動きたくなったら」
 ルクレツィアは真っ直ぐな目でジャンヌを見つめなおしてから。
「私達を、頼って下さい」
 にっこりと笑った。

●Afternoon Party
『問題は無いわね』
『こちらもだ』
 リーゼと章一の声は、トランシーバー越しに地上にいる全員の元へ届いていた。どうやら地下は電波が通らないらしい。そろそろ日は傾き、夕食の時間だった。
「よしよし、出来上がったわね」
 厨房を借りて作っていたスコーンの出来栄えにシャロンが満面の笑みを浮かべる。その表情を見ていれば、夕食に何かを仕込まれる事を警戒してここにいる、とはなかなか思わないだろう。

「ドレスアップもした事だし、これで気分は某スパイ映画の主人公ってカンジだぜ」
 借り物の衣装を鏡でチェックしながらニッと笑うノビル。同じく借りたスーツをビシッと着こなした慈海と並ぶと見違えるようだ。
「ルクレツィアさんは、いらっしゃらないのですか?」
「‥‥夕食は後で、頂きます」
 その返事に少し寂しそうな表情を見せてから、ジャンヌは頷いた。

 形式張っていない夕食の席は座る場所も適当のようだった。周辺警戒のリーゼと章一、それにベーオウルフとルクレツィア以外の面々が席についている。アーネストの背後につく黒服は員数外のようだ。ざっとした自己紹介と乾杯も終わり、前菜が卓に並んだ頃。
「危険とわかっていてなぜ来た?」
 酒は飲めない、と断った嶺汰の声に、ジャンヌはフォークを休めて口をつぐんだ。
「‥‥ジャンヌちゃんはどうしたいんだい? これから」
 慈海の直球な質問に、場の皆が意識を向ける。
「戦地を慰問したいと思っています。もう、勝手に行こうとは‥‥思いませんけれど」
 非難や抗議を覚悟するように口を引き結んだ少女に、慈海はふわっとした笑顔を見せた。
「今のままのジャンヌちゃんでいいんだよ」
「それがお前の道なら、好きにするといい」
 嶺汰もそう続ける。ジャンヌはやや戸惑ったようにしてから、にっこりと笑った。
「ありがとう、おじさま方。嬉しいです」
「‥‥俺もおじさま、か」
 微妙な表情の嶺汰に、ジャンヌが笑いを深くする。その笑顔を見ながら、慈海は思った。彼女の笑顔がみんなを救う、その笑顔を護るのが俺たちの役目だ、と。

「嬢ちゃんも厄介だが、あんたの周りも厄介だな」
 そういう嶺汰の視線が、アーネストの後ろに控えた執事風の男へ一瞬だけ向く。無表情のまま立つ執事にこたえた様子は無く、アーネストに至っては彼の牽制に気付く余裕が無さそうだった。
「空を切り裂くのではなく、空を飛びたい。空気と喧嘩したり対話したりしたいんです」
 熱の入った口調でみゆり相手に自分の想いを語るアーネスト。どうやら、彼が趣味で作っている機体の話のようだ。どんどん専門的になる彼の会話に、航空工学専攻のみゆりは興味深げに相槌を打っていた。

●1st and Last attack
 その黒い影に、最初に気付いたのは運び込まれる料理のチェックをしていたリーゼだった。
「猟犬‥‥、キメラ!?」
 明らかに異質な速度で駆け抜ける姿を目にした彼女は、銃を向けるよりも先に呼笛を吹き鳴らした。能力者達は一斉に覚醒し、席を立つ。何かに導かれるように、ホールへと駆け込んだ影は2つ。隣席のジャンヌをアーネストが庇う、その前にみゆりが飛び出した。
「つっ‥‥」
 痛みに顔をゆがめつつ、猟犬を振り払う。攻撃を続けようとした敵が一瞬怯んだように見えた。
「痴れ者が!」
 執事が抜く手も見せずに銃弾を打ち込む。その横から、シャロンが痛烈な一撃を入れた。奇妙に柔らかい手ごたえに眉をしかめつつ、シャロンは敵の前に回りこむ。
「ジャンヌの保護を優先して。これが陽動って線もあるわっ」
「ええ、ここは退きましょう」
 ジャンヌの手を引くみゆりにアーネストと執事が続いた。もう1匹の猟犬が追いすがる。
「悪いが俺と遊んでもらうぞ‥‥!」
 その牙は、嶺汰がその身で食い止めた。意識が飛ぶ程の痛みに膝を折りかけつつも、嶺汰は一行の殿を走る。
「‥‥こちらへ!」
 必死ゆえか、合流してきたルクレツィアの声は常よりも大きい。廊下を駆け抜けて来たベーオウルフは激しい燐光を纏っていた。視線があう。軽く会釈した青年にジャンヌはそっと右手を懐にあてて微笑した。

 どこから、何故。そんな思考は後に回し、一行は地下の格納庫へ向かう。その背では、黒い猟犬を仲間達が食い止めていた。
「もう悩まない。今までの私とは違う‥‥っ!」
 気合と共にリーゼが猟犬を撃つ。銃撃を受けつつも、敵は前を目指そうと猛っていた。だが、シャロンの防御を崩せない。
「そこ!」
 ノビルの銃弾が背中をえぐり、呼笛でかけつけた章一が素早く切り込む。元々奇襲用で戦闘能力は低いのだろう。猟犬は程なくして倒れ、そのまま溶ける様に形をなくしていった。

「‥‥機体正常、行き先は‥‥どこにしますか?」
 操縦桿を握るみゆり。滑走路の開閉機構は無事で、夜空へ飛び出す機影を遮る物は無かった。
「もう少し。待ってください」
 ジャンヌが呟く。機内に敵排除の知らせが入ったのはその瞬間だ。
『こちらは全員無事。調査を開始する』
 章一の短い報告を受けて、ジャンヌがホッと息をついた。
「戻る‥‥、というのは危険だな」
「そうですね。みゆりさん、操縦をお願いできますか?」
 傷が痛むようでしたら代わりますが、と言うアーネストに首を振って、みゆりはゆっくりと進路を北へ向ける。アーネストの指示した行き先は、パリだった。

「これは‥‥酷いな」
 ノビルが唇を噛む横で、章一がさっと脈を取り、首を振る。多少時間がたっているらしく、死体は冷たかった。邸内外のモニター室に詰めた4人が連絡も出来ずに殺され、監視システムも潰されている。2次攻撃に備えての下準備だろうか。少なくとも、知恵の無いキメラにできる事ではない。
「どうだった?」
 上から響くリーゼの声。その調子からすれば、他の場所は平静だったのだろう。
「‥‥ここに俺達にできる事はない。屋敷の者に任せよう」
 納得したように、戻っていくリーゼの気配。室内の様子を見せないのが、不器用な章一なりの優しさだった。
「キメラの出所も分かったわ。天井裏‥‥ね」
 痕跡を追っていたシャロンが首を振る。ジャンヌの来訪を控えて警戒が厳重になるよりも前から潜んでいたとしか考えられない、と警護主任が言う。これも知恵の無いキメラだけで、できる事ではない。
「手引きした奴がいた、ってことかよ?」
「あるいは、仕込んだか」
 首を傾げるノビルに、章一が答えた。一同が沈黙する。それは、嫌な沈黙だった。
「敵だ!」
 その沈黙を、誰かの叫びが切り裂く。
「長い夜になりそう。これでも食べて頑張りましょ!」
 シャロンが投げたスコーンは、まだほんのりと暖かかった。