タイトル:【PN】エレンの命令違反マスター:紀藤トキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/05/16 23:52

●オープニング本文


「状況は平穏。帰ってくるのは来月でもいいだろう」
『先月もそう言ってましたよね? 隊長』
 PCの回線越しに、久々に見るエレンの顔は相変わらずむくれっ面だ。対する男の風体はといえば、無精髭は生えているし目の下に隈もでき、実年齢よりも老けて見える。むさ苦しいこの大佐がエレンの上官だった。
「別にもう少しくらい滞在が伸びてもいいじゃないか? エレンもしっかり羽根伸ばしてるらしいし」
 めくっている書類が何なのかを察したらしいエレンが画像の向こうで僅かに赤面する。大佐は喉の奥で笑い声を漏らしながら、彼女のLHでの報告書を眺めていた。
『そ、それはまぁ。その‥‥。ですが、基地の衛生管理は継続が肝要です。たまには戻らないと後で仕事が増えるんですよ』
 ドイツ軍は伝統的に、衛生兵以外の女性兵が少ない。というか、数年前までは皆無だった。おおむね、適切な管理を受けていない男所帯が腐敗していくのは世の常であり、この部隊とて例外ではない。
「本当に大丈夫なんですか? この間みたいに第3会議室をビリヤード場にしたり‥‥」
「大丈夫だ」
「やっぱり駄目なんですね? じゃあ、戻りますから」
 男の隣、エレンからは見えない位置で初老の将校が小さく笑った。それに唇をゆがめてから、大佐は重々しく告げる。
「‥‥ああ、それには及ばない。というのはだな。マドリード基地は放棄する事になった」
『ええ!? どういう事ですか』
 落としていた目を書類から上げて、大佐は画面越しにエレンへ目を向けた。
「簡単に言えば、ひ弱なお嬢は邪魔なんだよ、シュミッツ少尉。おって命令あるまで、帰還に及ばず」
 崩れた敬礼をしてから、スイッチを切る。なにやら騒ぐような表情を映したまま、通信回線は途絶した。
「‥‥やれやれ、ドイツ人というのは不器用な事だな。誰も彼もが不慣れな足取りで踊るさまは見るに堪えん」
 肩をすくめる初老の男の出で立ちには一部の隙もない。乱雑な部屋の中で、彼の周囲だけは別物のようだった。
「彼女は連絡役として優秀だ。子供から老人までいる能力者と打ち解けるっていうのは、才能の1つだろうよ。前線で死体と付き合ってすり減らすべきじゃない」
「了解、大佐殿。では、私は行くとしようか。最後まで残って貴君のやせ我慢を見届けたい気もするが、これも任務だからな」
 空軍式の敬礼に、大佐も不満げながら答礼する。初老の男の階級は彼よりも上だった。同地駐留のフランス空軍隊司令である少将が陸上部隊の指揮官の私室を訪れたのはこれが初めてであり、そして最後になる。
「こちらが落ち着き次第、こちらで手配して支援を回そう。それが届けばそう簡単に負けることはあるまいよ。‥‥できればそれまで生き残ってくれたまえ」
 からかい甲斐がある同僚は貴重だからな、と笑みながら、少将はその場を後にした。訪れた静けさの中、大佐は静かに目を閉じて時を待つ。


「ごめん、今回の任務は純然たる私用なの。っていうか、むしろ出るところに出たらまずい類の」
 前回は違ったのか、と誰かが思ったとしてもそれは口にされることは無かった。依頼主のエレンの目つきがそれを許さなかったのもある。
「スペインの状況は知っているかしら? ざっと説明をするわ」
 ばさっと机上に広げられたのは、使い込まれたイベリア半島の戦域地図だった。書き込みの多くは南部に集中している。
「先月末に、ハエンからの陸上部隊が撤収。他の都市も、沿岸部以外は追撃を受けることなく北西部へ撤収しています。欧州軍の発表によると、イタリア方面への攻撃の為の戦力移動と言う事ですが、ここまでは皆さんも知ってますよね」
 きびきびと喋るエレン。その手が言葉と共に地図上を舞う。
「私の原隊はマドリード駐留なの。あの方面ではそれなりに大きな拠点のひとつ。知っている人もいると思うのだけど。‥‥昨日、そこも放棄すると連絡が入ったわ」

「どうなっているのかは分からないけど、手をこまねいていたくはないの。マドリードの撤収といえば、レオンへ北上するC作戦の最終段階」
 相当の戦況悪化を見込んでいなければ発令されるはずのない撤退命令だ。イベリアから来る情報は赤い悪魔について以外は静かだが、それが故に不気味ではある。
「私の所属連隊は殿を務めるはずだから‥‥、怪我人だって出ると思うの。衛生兵が役に立たないなんて言わせないわ」
 引き結んだ唇は相当に頑固そうだ。もしもやめるように説得する場合‥‥、かなりの面倒を覚悟する必要があるだろう。だが、軍令違反はまずい、まずすぎる。そんな傭兵達の空気を察したのか、エレンはニヤリと笑った。
「実は私って書類上は隊長の部下じゃないのよね。だから、その口頭命令に拘束力はないの」
 どうも、ドイツの旧制度では医療部隊は主軍から切り離されて別編成になっているらしい。UPCに組み込まれたときにその辺の扱いがどうなったのか、そもそも指揮系統に組み込まれていないと言うエレンの発言が本当なのかも、怪しいといえば怪しいが。
「できれば撤退の援護もお願いしたいけど、隊長に睨まれるかもしれないしね。私を現地まで届けてくれるだけでいいの」
 イベリア半島北西部レオンまでの足は、空荷の輸送機に同乗させてもらえるよう手配済みだと言う。
「なんか、あっさりと話が通ってびっくりしたけれど。友軍を疑う理由は無いわよね」
 にしても、あまりにも無茶苦茶な依頼だ。それはエレンとて理解はしているのだろう。
「返事は、1時間後でいいから。事務室で待ってるわね」
 部屋から出際、一同に笑いかけた表情はややこわばっていた。

●参加者一覧

エミール・ゲイジ(ga0181
20歳・♂・SN
霞澄 セラフィエル(ga0495
17歳・♀・JG
三島玲奈(ga3848
17歳・♀・SN
リン=アスターナ(ga4615
24歳・♀・PN
ハンナ・ルーベンス(ga5138
23歳・♀・ER
ラシード・アル・ラハル(ga6190
19歳・♂・JG
Cerberus(ga8178
29歳・♂・AA
阿木・慧慈(ga8366
28歳・♂・DF

●リプレイ本文

●待つ時間は長く
 勢いに任せて依頼を出してみたはいいものの、誰が来てくれるかもわからない。不安な気持ちでエレンが待つ部屋へ、最初に現われたのはハンナ・ルーベンス(ga5138)だった。
「‥‥来てくれてありがとう。何も無いけど、お茶でも出すわね」
 一瞬だけ泣きそうになってから、笑顔に戻るエレン。それから、傭兵達が集まってくる。
「約束していた筈。私たちの力が必要な時はいつでも駆けつけると」
 リン=アスターナ(ga4615)はそう言って微笑した。
「それに‥‥貴女が原隊に戻らないと約束のグラナダで会うこともできないでしょう?」
 小声で付け足したリンの言葉に、隅で紅茶を傾けていたエミール・ゲイジ(ga0181)はラストホープにはお節介焼きが多い、と苦笑する。無論、自分がその一員なのも自覚していた。
「あ、お好み焼き焼けるようになったって? 食べさしてくれんかな? 私も手伝うし」
 ポンポンとまくしたてると、返事を聞く前に三島玲奈(ga3848)は厨房へ入った。先日の食べ歩きに参加できなかったのが残念だ、と言う彼女はエレンの倍は手際よくお好み焼きを作成していく。
「軍隊の仕組み‥‥よく、わかんないけど。でも、たぶん‥‥これって、いけないこと、だよね‥‥?」
 ラシード・アル・ラハル(ga6190)はエレンを澄んだ青い目で見つめている。少年は、彼女の様子から普段と違う様子を感じていた。
「そうですね。誉められた事ではないと思いますが、こういうの私は好きですよ」
 おしとやかな印象の霞澄 セラフィエル(ga0495)が少年の不安を軽くするようにクスリと笑う。そんな一同の様子を、阿木・慧慈(ga8366)は微笑を浮かべながら眺めていた。エレンよりも少し年上の彼にしてみれば、エレンの意地の張り様も可愛らしく見えるようだ。
「ボディガードが必要じゃないか? そうであれば依頼を受ける」
 最後に現われたCerberus(ga8178)は彼女の行く手を遮るかのように入り口を塞いでいた。
「お願い、します」
 やや気圧されながらも、エレンはこくりと頷く。
「支払いは命令違反をしてまでの覚悟と、俺を信じることだ」
 ニコリともせずにそう言って、彼は道をあけた。

●眠れぬ機上のエレン
 あれから、数時間。エレンから所属部隊や大佐、それにエレン自身の事を聞いていた仲間達も、各自で休息を取っていた。
「‥‥じゃあ、玲奈さんも‥‥」
 不在の間のスペイン戦線の様子を玲奈に聞いたエレンは唇を噛む。見知った大勢の傭兵達が機体を失った事は知っていたが、当事者の口から聞くのはまた別だった。掛け替えの無い思い出がある機体を失ったショック。そして復讐心。
「思い出の数だけ弾丸を叩き込んでやる、って。意地やな、これは」
「そう。でも無理はしないでね。もしも私より先に死んじゃったら化けて出るから」
 それは逆やろ、と突っ込む玲奈。元気な17歳はエレンに笑顔を幾度も見せてから、席を立った。
「‥‥隣り、いいかしら」
 まだ眠れぬ様子のエレンの横に、リンが座る。柔らかい沈黙が流れた。
「‥‥羨ましいわね、エレンは。いい同僚に恵まれて」
「上司は石頭だけどね」
 照れくさそうに笑うエレンに、リンは頷きを返す。
「‥‥少し、昔語りをするわね」
 それはリンが軍属だった頃、彼女の周囲にはエレンが語っていたような空気は無かった。味方を平気で見捨てるような上司、そして上官を殴りつけて飛び出したリンをただ見送るだけの同僚。単身で救助に向かったリンは誰一人救う事が出来なかった。
「軍を去った事は後悔しないけど、ね」
 もしも、エレンの語るような隊だったら。そんな夢想は言葉にせず、リンはエレンの肩を軽く叩く。
「合法的な命令違反だったら、堂々と戻ってやりなさい。私みたいに‥‥手遅れになる前に」
 そう言ったリンが、通路の方へ頷きかける。少し前から、ラシードが会話の途切れるのを待っていた。彼女と入れ替わるように、少年が隣りに座る。
「‥‥僕の、実の家族は‥‥アッラーフの、御許に。でも、僕の帰る場所は‥‥ラストホープに、ちゃんと、ある‥‥」
「ラシード君‥‥」
 目の前の少年は彼女など思いもつかぬ悲劇を体験していた。エレンには、まだ母と1人の兄が残されている。声を詰まらせた彼女に、ラシードは言葉を続けた。
「エレンは、何故、戻るの? ‥‥マドリードの、基地は。エレンの、帰る場所‥‥なの、かな?」
 自分の事を気遣う少年の瞳は、エレンの胸に痛い。自分もこのように素直な気持ちを露わにできれば、と。ラシードの問いに、エレンは僅かに迷ってから、口を開いた。
「‥‥隊長達ってね、自分たちのことを死体って言うのよ。死にたがってるの」
 全てを失った人は、誰もが強く立ち上がれるわけではない。生きている事に倦み、意味のある死に場所を求めて志願した兵の行き着く先、その1つが、エレンの連隊だった。
「私はそれが嫌なのよね。許せない」
 その怒りは、医の道に携わる故の言葉と言うよりも、むしろもっと単純で。
「それは、何故?」
「‥‥皆の事が好きだから、かな」
 本人には言えないけど、と笑うエレンの耳に押し殺した笑い声が聞こえた。赤面して振り返る彼女の目に、慧慈とハンナ、エミールの姿が入る。笑っているのは慧慈だった。
「もう、笑う事無いじゃない」
 そう言うエレンも笑っている。
「‥‥そんな大佐が、あんたを離した理由、実は気付いてるんじゃないか?」
 エレンの表情が少し強張った。
「多分、分かってると思う。でも、私は‥‥」
 声のトーンがやや下がる。これが、今の彼女の素の状態なのだろう。
「不味いコーヒーを美味しそうに飲む人は、結構強がりなのかも知れないぜ」
 慧慈は微笑をそのままに、彼女に言葉を投げかけた。返事を求めるわけではない、というようにそのまま踵を返す。
「エレンが自分で帰るって選んだんだろ? なら、大佐に言いたいこと言ってやればいいさ」
 軽い口調でそう言うエミールに、エレンが何か言葉を返す‥‥、よりも早く。
「それを手伝う為に俺はここにいるんだ。ただし、言うんならちゃんと全部言うように、な」
 三枚目風の笑顔の下から紳士の素顔を垣間見せて、エミールはそう告げる。照れくさそうに、それでも頷くエレンを見つめながら、ハンナは考え込んでいた。エレンを連れ戻そうと思う自分の意志は、エレンの願いよりも強いだろうか、と。それは、故郷とも言える孤児院を失い、1人残った彼女にとって重い問いだった。

●少将の悪戯心
 スペイン北西の都市レオン。ひとまずエレンをCerberusと慧慈、ハンナとリンに任せて、航空作戦の経験者達は空軍の少将を訪ねる。
「おお、待ちわびたぞ」
 満面の笑みを浮かべながら、少将は右手を差し出してきた。
「回収作戦のブリーフィング以来かな」
「うい、お久しぶりっす。以前の任務ではお世話になりました。また何かあれば是非LHの傭兵までどうぞー」
 そんな事を言いながら、代表してエミールが握手を受ける。隣りのラシードも小さく頭を下げた。言葉を交わす間に彼の年齢を聞いた少将は、僅かに痛ましげな顔を見せるが、何も口には出さない。ただ、少年の肩を軽く二度叩いた。
「これ、つまらん物ですが。前にお世話になった隊長さん、おられますか?」
 憧憬を込めた玲奈の言葉には、出撃中、と残念な知らせが返る。
「いつぞやの可愛いお嬢さんが訪ねてきていたとは伝えておこう」
 お土産を受け取りつつ、少将は意外と愛嬌のあるウインクをした。
「先程、待ちわびた‥‥、とおっしゃいましたが、ひょっとして、全部知っておられましたか?」
 霞澄の疑問符に、少将は凄くイイ笑顔を向ける。
「奴に援軍を手配すると言った手前、いつ来てくれるか心配していたのだがね。まぁ、あの様子なら来ると思ったよ」
 どうやらここまでの足も裏で手を回していたらしい。だが、霞澄からお願いされた現地への移動手段については。
「おお、それは忘れていた。危ないところだったよ、お嬢さん」
 これだからフランス人は、とエミールが呟いたかどうかは定かではない。


「優しさと甘やかすことは違う。貴様も大人であればそれをわかった上で向かおうとしているな?」
 手配された車に乗り込む前に、Cerberusが再度エレンの気持ちを確かめるように言う。
「優しさでも無いし、甘やかしなんて思っても無いわ。私は私の我が侭の為に行くの」
 その我が侭を、優しさと言う。その感想は口に出さず、彼は運転席に乗り込んだ。余計な事は言わず、任務にのみ徹する彼が時々かける言葉の意味が分かる程度には、エレンも大人だ。感謝するように小さく会釈してから、彼女も車上の人となる。

●戦場にて
「撃て!」
 戦車砲の直撃が、大型キメラを消し飛ばす。だが、次弾の装填よりも早く、残りが迫っていた。誰かがジープを側面からぶち当てて、止める。稼いだ貴重な一瞬に、歩兵の対戦車ミサイルが立て続けに着弾した。その爆炎を抜けて最後の生き残りが迫る。雄牛の如き外見のキメラが、避難民の後列を視界に入れておぞましき唸り声をあげた。
「この指揮車で進路を塞ぐぞ。そこを撃たせる」
「ヤー」
 僅かな遅滞も無く、車内から同意の声が返る。
「2号車、後は任せた。ここで必ず食い止めろ」
「‥‥後半は了解したわ」
 そう答えたのは、駆け抜けざまにキメラを蹴り裂いたリンだった。
「お届けものです、優秀な連絡員と傭兵を8人程」
 言葉と共に霞澄の矢が飛び、雄牛の右目に突き立つ。
「受け取り拒否は応じかねるから悪しからず」
 苦痛に吼えるキメラに銃弾を撃ち込みながら、リンはちらりと大佐へ視線を向けた。中核の大型キメラを失った敵は勢いを削がれ、引き始めている。
「‥‥確かに届けたぞ。後はお前次第だ」
「はい、ありがとう、ございます」
 敵中を駆け抜けたCerberusの見事な操縦は、エレンには多少きつかったようだ。少しふらつきながらも、上官に向けて彼女は敬礼する。
「エレーナ・シュミッツ少尉、ただいま帰還しました」
 大まかないきさつは隊内にも知られているのだろう。周囲の視線がさっと大佐へと向いた。大佐は、視線を合わさない。
「ひ弱だから帰れなんて、相手の覚悟も知らずによく言った! こっち向いて話くらい聞きや、ドイツ人!」
 喧嘩腰な啖呵を切る玲奈。それもエレンの為、だ。
「‥‥戦闘中だ、後で聞く」
 明らかに逃げの姿勢の大佐を、ラシードの声が打った。
「‥‥後でなんて、ないかもしれないのに‥‥ッ!」
 本人も驚くような大きな声があたりに響く。
「言えなくなってから、何も伝わらなくなってから、後悔したって‥‥遅いんだよッ!」
 無言で指揮車上にある大佐を、ラシードはじっと見上げていた。
「‥‥いいよ、ありがとう。ラシード君」
 エレンが言う。彼女の目は、大佐から離れて横転するジープを向いていた。キメラに体当たりをした代償は、操縦者の重傷。ハンナがいち早く駆け寄っている。
「今は、後で話せると思うから。それよりも、しなきゃならない事をしないと、ね」
 そう言って車から飛び降り、エレンはジープへと走る。

●すれ違い、それでも
「俺も同じ立場なら同じことしたかもしれませんね。けど、俺はただの傭兵、依頼人の気持ちが最優先なんすよ」
 項垂れたラシードの横で、エミールが崩れた敬礼を向けた。
「では、そういうことで俺は勝手に撤退援護を‥‥。そうそう、言いたいことは言えなくなる前にちゃんと言っとくべきだと、俺も思いますよ」
 残る敵の掃討に加わるべく、エミールも前線へと向かう。万が一、敵が再びここまで達した時の為に、慧慈達が残っていた。
「ちょっとだけ、あの無謀さが羨ましい気がするんですよ」
 慧慈が見ていたのは、ジープの操縦者を引きずり出す兵士達に混じったエレンの背中だった。依頼主のガードを務めとするCerberusがジープの誘爆の危険性などもさりげなくチェックしている。
「大佐殿や原隊の事を語る時、あの子はとても具体的な事を話して見せた。それだけ貴方達の事をよく見ていたのでしょう」
 話し掛けられた大佐は無言で、しかし視線は慧慈と同じ物を見ていた。
「大佐殿、貴方も、羨ましいですよ」
 何も無いところでのすれ違いでなく、思い合うが故のそれだから、と。
「‥‥ならば代わって欲しい所だな」
 出過ぎた事を言って済みません、と頭を下げる慧慈に向けた視線は決して不快そうなものではなく。
「それだけ、あいつの事を考えてやれる連中がいる。何も俺達の所に‥‥」
「考えたのが彼女の事だけ、だと思われるのは心外ですね」
 慧慈とその横のラシード。そして戦場をかける仲間達。エレンの為だけにここに来たわけではないと、慧慈は言外に語っていた。

 ジープの運転手は、手の尽くしようが無い状態だった。駆けつけた初老の軍医も黙って目を閉じる。ハンナはそんな兵士の手をそっと握っていた。柔らかな光に照らされて、兵士の表情は安らかだ。
「痛みをこらえて‥‥よく頑張りましたね‥‥。気持ちを楽に‥‥、こうして傍に居ますから‥‥」
「‥‥ジル、ようやく‥‥一緒に」
 うわ言で語りかける相手は亡くした恋人だろうか。覚醒したハンナを見るうちに心の中に響く聖歌を、いつしか周囲の兵達も口ずさむ。そんな中、エレンの表情だけが物憂げだった。
「ようやく‥‥、か。私が止めたいと思うのは傲慢、なのかな」
 ポツリと呟いたエレンに、ハンナは気遣うような目を向ける。
「戻りましょう、ラストホープへ。私は貴女と一緒に帰りたい‥‥。貴女には、あそこで為すべき事がまだあるはずです」
 優しいハンナの言葉に、エレンは少し迷ってから首を振った。自分は欲張りだから、両方追いかける。そう言うエレンに、ハンナはそれでも優しい微笑を向けた。

 夜半。エレンと大佐は2人で向かい合っていた。傭兵達の同席は、エレンが断った。もう、勇気は十分貰ったから、と。
「転属する気は無い、か」
「ごめんなさい。私はここが好きなんです。隊長も、皆も」
 傭兵達に背中を押され。口に出せば、思うよりも簡単に言葉になった。
「‥‥馬鹿な奴だ」
「馬鹿だから、死んだつもりの人の命令なんて聞けません」
 娘ほどの年齢の少尉にそう切り返され、大佐は苦笑する。どうやら、彼女は随分と手ごわくなって戻ってきたようだ。それも悪くない、と思うのは、彼も傭兵達に感化されたのだろうか。
「また、あのまずいコーヒーを提供しろ。それで勘弁してやる」
「‥‥まずいコーヒーで、いいんですね?」
 小さく笑うエレンに、怪訝そうな顔をする大佐。後悔しますよ、と付け足したエレンの言葉どおり、LH土産の美味しいコーヒーを皆が飲む中、1人だけ軍用コーヒーを供された大佐は数日後に全面降伏した。