●リプレイ本文
深い森の中、彼らはまどろんでいた。ピクリ、と1匹の鼻が動く。続いて、残りの3匹も。彼らが、大好きであるように条件付けられた餌の匂いだった。妙にツンと来る匂いが邪魔をするが、本能的に怖れを感じるあの匂いはしない。彼らは数日ぶりの大きな狩りの予感に身震いした。
●深き森の向こうから
「そろそろ連中の行動範囲に入る。気をつけてくれ」
運転席の高遠・聖(
ga6319)が後席へと声をかける。動きやすいようにと座席を外したマイクロバスの中では、仲間達が思い思いの姿勢でその時を待っていた。
「勘弁してくれ‥‥」
犬が苦手と言う草壁 賢之(
ga7033)が小さく呟く。自分で選んだ任務だが、やはり嫌な物は嫌らしい。開けた窓から入る柔らかな風に朧 幸乃(
ga3078)の短い髪が揺れる。その風に吹かれながら、六堂源治(
ga8154)は忌々しげに首を振った。
「可哀想に、人生これからって時によお‥‥」
キメラに殺された学生達の事を思い、源治の眉間には深い皺が刻まれる。幸乃は胸元の銀製ロザリオに小さく彼らの冥福を祈ってから、そっとそれをポケットにしまった。相手が狼男の形状をしている以上、伝承の通りなら銀を嫌うかもしれないという配慮だ。
「車両を‥‥見分ける‥‥か。思ったより‥‥狡猾そう‥‥」
幡多野 克(
ga0444)も同じような事を警戒して、銀のアクセ類を上半身から外している。武器の類も、窓の外から見えない場所に固定していた。
「‥‥ふぅ」
持参の本を読み終え、ぼんやりと外を見ていた霞倉 彩(
ga8231)があくびを漏らす。そのまま眠りに落ちる振りをしつつ、彼女の手はバイオリンケースの上から放さない。その中に、彼女の銃器が潜んでいる。
「少し、失礼するわね」
同じく外を眺めていたアズメリア・カンス(
ga8233)へ、ケイ・リヒャルト(
ga0598)が声をかける。アズメリアが手元に持っていた短機関銃へ、持参の香水を軽く振り掛けた。火薬の匂いを誤魔化すための作戦だ。
「警戒されると難しいから、油断なくいかないとね」
そう言って、ありがとうというように会釈したアズメリア。他の仲間の火器類にも撒いていくと、車内は上品なハーブ系の香りに満たされた。
「今‥‥、何か森の中に‥‥動きましたね」
幸乃が囁いた方角に、一同がさりげなく注意を向ける。ゆっくりと走るマイクロバスに併走するように、木々の合間を何か素早い影が縫って行くのが確かに見えた。数は1つか、2つ。彼らが敵の数と予想していた4体には満たない。
「こっちにも‥‥いた。かかったみたい‥‥だね」
少しほっとしたように克が呟き、賢之が頷く。マイクロバスを挟んで逆側の森の中に、やはり2体程度の黒い影が見え隠れしていた。キメラを突き放さないように速度を抑えつつ、聖が停車の頃合を探る。ちょっと開けた記念写真の撮影などにも良さそうな場所。それはつまり、戦いにも向いた場所だ。聖達が選んでいた地点は、少し前に学生達がキメラの犠牲になった場所でもあった。
●奇襲、狼の狩り
「記念撮影の準備はいいか? 俺は三脚を持っていく」
停車し、振り向いた聖が掲げて見せた大きな三脚ケースの中には、彼と源治の得物が収まっている。
「花束はもったわ」
ケイが手にした大きな花束の中には、彼女のフォルトゥナ・マヨールーが仕込まれていた。火薬の匂いも鉄の匂いも包み込むような花の香りが漂う。幸乃が無言で担いだカバンの中には、彼女の武器が入っていた。
「さて、いこうか」
扉を開けて外に下りると、窓越しとはまた違う春の気配が一同を包んだ。暖かな日差しと、やんわりとした独特の空気。‥‥そして肌を刺す敵の視線。併走中も森の深いところと近いところを出たり入ったりしていた為、今のキメラの正確な居場所はわからないが、森の奥に身を潜め、彼らをじっと見つめているのは間違いない。隙を窺っているのか、あるいは距離を測っているのか。いずれにせよ、相手が出てこないならワザと隙を作るのも作戦のうちだ。
「安らかに眠るんだぜ。後の始末は俺たちに任せてよ」
回収に当たった軍の部隊が残していったらしい小さな石積みの前に源治がしゃがみ込み、花束をそっと置く。瞬間、森から黒い影が躍り出た。
「速いっ!?」
ケイと幸乃が反応するよりもなお早く、駿足で一気に詰め寄った影が凶爪を振るう。狙われたのは、聖だった。こっそりと彼が忍ばせてきた血染めのハンカチは目論見どおりに狼男の注意をひきつけたのだ。
「ちぃっ!」
瞬時に覚醒した聖の腕を猛禽類の翼のようなヴィジョンが覆う。幻影の羽根が真っ赤に染まり、舞い散った。敵の爪は、硬質化した彼の皮膚すら易々と切り裂いていく。
「高遠サンッ!? てめぇら、ふざけた真似しやがって!」
源治が駆け寄ると、その声に驚いたのか狼男は聖から飛びのいた。敵の一足の間合いが、こちらの二歩に相当するようだ。
「すまん、甘く‥‥見たようだ」
「‥‥この傷は、深い‥‥」
幸乃が眉根を寄せる。聖の意識ははっきりしていたが、これ以上の戦闘は難しそうだった。るるるるる、と低い唸り声をあげるキメラの数は3。
「どこかにもう1体いるはずだわ。気をつけて」
ケイが注意深く周囲を見回す。手にしたシグナルミラーをマイクロバスへと向けて合図を送れば、残る4人の仲間がバスから飛び出してくる手はずだったが、事前の予想では全部で4体の敵がいるはずだ。まだ指示を出せるタイミングではない。
「クソ。抜くわけにもいかねェってのが面倒だな」
敵の全てが現われるまで、敵に無用の警戒をさせるわけにはいかない。刀や銃に手をかけたまま、仲間達は歯噛みする。事前の作戦では、敵が揃うまで各自が1体づつを引き付ける予定だったが、ケイと幸乃は動くのをやや躊躇していた。今の集中攻撃を見れば、バラバラに逃げ出したとて個別に追ってくるかどうか疑わしく思っても仕方が無いだろう。聖の工夫を仲間が知らされていなかったのが、裏目に出た形だ。
「どうして、4匹で掛かって来ねェ? ビビってる訳はねぇだろうが‥‥」
その瞬間、マイクロバスが衝撃に揺れた。
キメラは前回の失敗を彼らなりに学習していた。この大きな物を壊しておかなければ、逃げられてしまう、と。余計な匂いがして分かりにくいが、この大きな物の中にもまだ獲物がいるはずだ。バスの外板を無造作に切り裂いてから、キメラは威嚇するように咆哮する。更にもう一撃を加えかけたキメラの動きが止まった。バスから餌が余分に飛び出してきたのだ。やはり、この獲物はたくさんの餌を抱え込んでいたようだ。狼男キメラは歯を剥き出して笑った。
「俺達はケーキの中のイチゴじゃないんだぞーッ!?」
狼男へと抗議の悲鳴を上げながら、バスの切り裂かれた開口部から賢之が転がりだした。
「狩りの‥‥始まり‥‥」
右腕の銀鎖を服の袖ごと引きちぎると、彩の素肌を紫に輝く直線が覆う。それに絡みつくように曲線が延び、彼女の右腕は幾何学的紋様で埋め尽くされた。手元のヴァイオリンケースから取り出した得物を両手にして、彩も窓外へと身を躍らせる。一足先にアズメリアと克は手近な出口から外へと飛び出していた。
「‥‥アレ? 出る方向間違ったかな?」
賢之の目が丸くなる。彼の眼前には、バスを切り裂いた狼男キメラが舌なめずりをしていた。慌てて身をそらしたが、肩口にザックリと爪痕が刻まれる。
「か、勘弁してくれ‥‥」
近接戦は得手でない賢之の本日2度めの口癖が宙に漂う間に、赤褐色の旋風が彼の横を通り過ぎた。キメラの振り下ろした爪は、割って入った幸乃のカバンを切り裂き‥‥、その中に仕込まれた作り物の爪に阻まれる。
「チームは変わる、けど‥‥。よろしく」
「うぃ、Follow Windはダテじゃないですよッ!」
背中越しの幸乃の声には、言葉と同時に銃声が答えを返した。
●狼なんか怖くない
「ぶっ殺すぞ! コラァ!!」
聖の側で手負いの彼を守るように立つ源治へと、2体のキメラが飛び掛る。が、刀で受けに回った源治は巧みに深手を避けつつ、敵の攻撃を何とか捌いていた。
「舐めんじゃねぇ!」
やられるばかりは性に合わない、とばかりに返す刀で、キメラの胴を薙ぎ払う。決して浅くはない手応えだったが、キメラには動じた様子がなかった。怪訝に思う彼の目の前で、噴き出た血は見る見るうちにその勢いを弱めていく。
「‥‥再生だと? ざけやがって!」
源治が舌打ちした。その向こうでは、華に惹かれるように飛び掛ってきたキメラへと、ケイが花束を突きつける。
「花と共に散るがいいわ。きっと綺麗よ?」
キメラが、花の香りに紛れた火薬の匂いに気づいた瞬間、ケイは花束の内側に仕込んだフォルトゥナの引き金を引いていた。ぎゃうん、と奇妙な鳴き声を上げて仰け反った所へ、克の月詠が振り下ろされる。かろうじて反応したキメラだが、避けきる事は不可能だ。
「どんなに速い標的でも‥‥必ず生じる隙がある‥‥」
淡々と呟きながら彩が引き金を引く。克の攻撃を避ける事に注意の行っていた敵は、まともに彼女のハンドガンを受けた。回復の時間を稼ごうというように、キメラは素早く飛び下がろうとする。だが、その前にキメラの身体を新たな火線が貫いた。
「逃げ道はないわよ」
側面に回りこんでいたアズメリアが軽機関銃の引き金を引き続ける。受けた傷が塞がるよりも早く、新たな弾痕がキメラの身体を埋めていった。どさりと倒れたキメラを後に、ケイと克は源治のフォローへと走る。既に息絶えたかに見える狼男に、彩がデヴァステイターの銃口を向けた。
「‥‥これで、どんな化け物であっても復活は不可能‥‥」
銃声と共に、キメラの頭部が鮮血と脳漿を撒き散らして砕ける。仲間の死におじけづいた2匹が踵を返そうとしたが、ケイと克がちょうど回り込んだところだった。
「あたし、美味しそう?」
与しやすいと踏んだのか、ケイへと飛び掛るキメラ。小悪魔のように微笑みながら、ケイは小銃を向ける。その笑みがやや深く、残酷な色を帯びた。
「‥‥じゃあ鉛の弾丸でもしゃぶってなさい」
躊躇無く打ち込まれた灼熱の激痛に、キメラは悲鳴を上げながら方向を転じる。その先には克がいた。
「所詮はキメラ‥‥。誇り高き狼の血は微塵も感じられないな」
ため息をつきながら、克は武器を構えなおす。彼を突き飛ばそうと振るった爪を捌きつつ、空いた胴へと月詠を送り込んだ。
「ゼッテー逃がさねぇぞ! てめぇ!!」
それまでに傷を負わされた源治が追いすがる。振り下ろした刀が狼男キメラの背中を断ち割った。掠れたような息を漏らして狼男は突っ伏する。だが、もう1匹は、アズメリアの射撃を受けつつも森へ逃げこみかけていた。あと数歩、あと半瞬あれば逃げ切れたやも知れない。だが。
「あなたは、ここで‥‥終わりです」
狼男の疾走よりもなお早く、幸乃がその脇をかけ過ぎる。正面をふさがれたキメラが絶望の視線をあげた。その身に、アズメリアと彩とケイ、そして賢之の放った銃弾が食い込む。前のめりに倒れた狼男は、もう再生する様子はなかった。
「バスの裏の敵は倒せたのかしら」
アズメリアの心配げな声に、賢之が大きく頷く。裏側に回っていたキメラは幸乃と賢之の攻撃にひとたまりも無かったようだ。
「ってことは、これで終わり、か」
●遠く響く歌と想い
交戦自体は僅かな時間だったが、各個撃破作戦で挑んでいなかったならば、1匹や2匹の逃走は許していたかもしれない。運が良かった点もあったが、さほど警戒させずに4匹をおびき出せた時点で成功はほぼ決まっていただろう。全ての敵の絶命を確認して戻る仲間達を、聖が片手を上げて迎えた。
「依頼完了の連絡は済ませた。しばらくしたら、迎えの車を回してもらえるそうだ」
それまで、半時間ほど。一同はこの場所で失われた若い命へと弔いの気持ちを送る。
「いい‥‥歌声、ですね‥‥」
源治の置いた花束の横に、ジュースを置いた克が微笑した。天高く、そして森深くへと、ケイの澄んだ歌声が風に乗っていく。その声にあわせるように、フルートの音色が加わった。奏者の幸乃の性格のように控えめで、それでいて強い響きのレクイエム。花をそっと手向けたアズメリアと、ビールを置いた聖が並んで頭を垂れる。
「‥‥気の利いたこと‥‥できない‥‥から‥‥」
少し寂しそうにそれを見る彩は、仲間達の後ろで静かに黙祷を捧げた。笛と歌声の向こうから、車の音が聞こえてくる。失われた命は帰らないが、この場所で起きる悲劇は繰り返すことはもう、ない。狼男はもういないのだから。