タイトル:【聖夜】父の悩みマスター:紀藤トキ

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 12 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/01/06 19:46

●オープニング本文


 その二人は、露骨に怪しかった。
「‥‥せめて八木さんには、普通に挨拶してくればいいだろうに」
「馬鹿野郎、そんなみっともねぇ真似ができるか」
 小声で語る二人の視線は、商店街から少し外れた一角にある喫茶店の入り口に向いていた。日本という島国の中では南国にあたるとはいえ、季節は冬。寒そうにコートの襟を立てた男二人が柱の陰でコソコソと話す姿は、行きかう主婦や学生の奇異な目を受けている。
「シッ、‥‥出てきたぞ」
 がっしりとした年上の男が言う。連れは竦めるようにしていた首を、ちょっとだけ柱の陰から出した。店から出てきた女性が、二人のターゲットらしい。

 怪しげな二人の視線など気づかぬ風に、本田加奈は喫茶「ドラゴン」を出た。
「‥‥卵はあるって言ってたから、牛乳と、シロップと‥‥」
 何やら楽しげに言いながら裏手に回ると、すぐにバイクの音が聞こえてくる。
「し、しまった。あいつ二輪なんぞ乗るようになってたのか」
「おやっさん、加奈ちゃんがドラグーンになってるって知ってるだろ」
 ため息交じりの突っ込みに、本田元一佐は狼狽えつつも目標の様子をうかがう。が、走り出したAU-KVミカエルに、徒歩で追い付くのは不可能だ。
「‥‥戻ってくるのは間違いない。ここで張り込みを続けるぞ、いいな」
「なあ、俺はいい加減帰りたいんだが。そろそろ嫁さんと‥‥」
「い・い・な?」
 据わった目で言う元上官に、もう一度ため息を吐く篠畑大尉。結婚3年目にして初めて得た長期休暇が、虚しい。しかし、お互いに素直になれない間柄とはいえ、恩人が頭を下げてきたとあれば、断りきれないのが篠畑という男だった。

−−−−−−−

 ――二日前、ラストホープ。
「加奈ちゃんが、怪しい?」
「ああ。今年のクリスマスも帰れんと言ってきた。子供の頃は、お父さんが帰ってこないと駄々をこねたあの娘がだ」
 沈鬱な顔で言う元の上官に、篠畑は困ったような顔で鞄に手を突っ込んだ。
「俺のとこには、パーティの招待状が来てるんだが‥‥」
「なんだと。俺には一言も‥‥」
 奪い取って覗き込む本田元一佐。日時や地図などと共に「徳島の喫茶ドラゴンにてクリスマスパーティをやるので、宜しければ来てください」と書かれたハガキには、デフォルメされた何人かのキャラクターが描き込まれている。ちなみにSD篠畑は右端にいた。
「‥‥加奈の奥のこの中年は誰だ。まさか、あいつこんな年上の」
「そりゃ八木さんだろ」
 この女の子は、とか反対側の男はとか、果ては隅に描かれた赤服白髭が怪しいなどと言い出す父親に、篠畑は冷たく現実を突きつける。
「加奈ちゃんの隣に描かれてるメガネの青年が彼氏じゃないか?」
「俺は認めとらんぞ! 大体、紹介も‥‥されたような気もするが‥‥」
「ならいいじゃないか」
 などと返答をしていた篠畑を、本田元一佐がジト目で見る。
「もともとあいつはお前に懐いていたし、お前にだったらやっても良いと思っていたのだ。それを‥‥」
「そんな事言われてもなあ‥‥」
 篠畑にとって、本田加奈という少女は初めて出会った時の小学生くらいの印象のままだった。妹のように思っているが、そういう目で見た事はない、などと恋愛ゲームの主人公のようなセリフを口にする篠畑に、かつての上官は白い目を向ける。
「そんな事言って、お前随分と若い奥さんを貰ってたよな‥‥? うちの加奈と変わらん年の」
「‥‥すまん」
 娘の彼氏を見極めねばならぬ、と鼻息も荒い恩人を無碍にもできず、‥‥そのまま、冒頭に続くのであった。

−−−−−−−

「‥‥もう、パーティに出席すればいいじゃないか。そうすりゃ多分本人に会えるか、いなかったとしても話くらいは聞けるだろ」
「うるさい、お前に俺の気持ちがわかるか。加奈の奴、俺にはその男を褒める事しかしないんだぞ」
「そりゃ、おやっさんがそんなだからじゃ」
「あいつの話だけ聞いていたら、どんな聖人君子だか判らん。いいか、そんな奴なぞこの世にいる訳がない」
 娘は騙されているのではないか、と悩む父親。ため息を吐きつつ、つきあうお人よしの男。二人を他所に、喫茶「ドラゴン」のクリスマスパーティの準備は進むのであった。
「いやあ、楽しみですねぇ」
 店内では、何も知らないマスターの八木が、髭の下の唇を綻ばせていた。

●参加者一覧

/ 鋼 蒼志(ga0165) / 柚井 ソラ(ga0187) / セシリア・D・篠畑(ga0475) / 佐々木優介(ga4478) / クラーク・エアハルト(ga4961) / 智久 百合歌(ga4980) / アンジェリカ 楊(ga7681) / シャーリィ・アッシュ(gb1884) / 如月・菫(gb1886) / 夏目 リョウ(gb2267) / 東雲・智弥(gb2833) / 周太郎(gb5584

●リプレイ本文


 南国と言えど、この季節は多少肌寒い。執事服にタキシードを重ねた正装の柚井 ソラ(ga0187)だが、ネコ耳フードは手放せなかったようだ。
「徳島に来るのも、久しぶりですね」
 数年ぶりに訪れる街並みは変わり映えがせず、道行けば思い出の風景が幾つも目に入った。駐車場に目を向けて、彼は懐かしげに眼を細める。
「あそこでモリンに初めて会ったんだったっけ」
 そのまま少し歩いて角を曲がったところで、ワンピース姿の智久 百合歌(ga4980)が目に入った。お久しぶりです、と声を掛けると人差し指を唇に当てる百合歌。なんだろうと思って覗き込めば、見覚えのある後ろ姿が見えた。
「篠畑さん、何をしているんですか?」
「お、おお!? ああ。いや。何でもない」
 露骨に不審な挙動を見せる篠畑と隣の中年の様子を斟酌せず、ソラはニコニコと挨拶する。
「本田加奈の父です。いつも娘がお世話になりまして」
 よそ行きの口調を見せるおっさんにも、ソラは天真爛漫な笑顔を向けた。その受け答えを聞いて百合歌が何かを察したようだ。
「本田さんのお父さんですか。いつもお世話になっています。どうぞ楽しんでいってくださいね」
 丁寧に挨拶する百合歌。俺達は先に準備を手伝ってきます、と頭を下げて、ソラはドラゴンへと歩き出した。その後についていきながら、百合歌は何やら含みのある笑顔を浮かべている。
(ははぁん。なるほど、お父さん、ね)
 楽しくなりそうね、と言えば、そうですねと言葉が返り。二者二様の笑いを浮かべつつ、二人は店へ。ドアベルの音に顔を上げた八木が、パッと破顔する。
「いらっしゃい、ようこそ」
「ルブラレッド、参上! ‥‥なーんて、お久しぶりね、八木さん。クリスマスパーティーのご招待、ありがとうございます」
 百合歌に続いて、お久しぶりです、と挨拶をするソラに懐かしそうに笑い返す八木。店内の様子も街とおなじで、3年前と変わりがないようだ。
「本田さんは?」
 という百合歌の質問に答えたのは、八木ではなく鋼 蒼志(ga0165)だった。
「加奈はいま、買い出しに出てますよ。もうすぐ戻るんじゃないかな。あ、バイクの音がしましたし」
(ほうほう、バイクの音で本人判別がつく程度‥‥、と)
 気安く呼び捨てにする蒼志の応対に、百合歌の目がキラリと輝く。好物のサンマを見つけたネコのように、あるいは、井戸端で世間話の種を見つけたマダムの様に。

 本来の目標である加奈が帰還していた頃、屋外の不審な中年二名の元には、新たな来訪者が現れていた。
「‥‥クリスマス‥‥加奈さんの招待には応えれて、私とは会わない訳ですね‥‥」
「いや、そういう訳ではなく。これには海よりも深く山よりも高い事情が、だな」
 無表情に旦那の言い訳を聞くセシリア・D・篠畑(ga0475)の口元が、少しだけ動いている。それが機嫌の良い証拠だと判るのは親友か目の前の甲斐性なし位だろうが、篠畑は頭を下げっぱなしで気づく由もない。
「‥‥と言うより、男2人でこそこそ逢引というのも‥‥」
「ええと、その、つまりですな‥‥」
 セシリアの事は聞いていたらしい本田がおろおろと間に入ろうとした、が余り役には立っていなかった。
「いえ、大丈夫です。そういう事にも理解ありますから。大丈夫です」
 大事な事なので二度言いました。
「と、冗談はおいて置いて。健郎さん、其方の方は? 確か一度お会いしていると‥‥」
「ああ、以前おやっさんが撃墜された時に、救助に同行してもらったからな」
「なるほど、あの時の。その節は世話に‥‥ちょっと待て」
「はい?」
 きょとんとしたセシリアに背を向け、本田は篠畑を手招きする。
「‥‥その頃だったらまだ高校生位じゃないのか。子供に手を出すとは、見損なったぞ、篠畑」
「ご、誤解だ。付き合いだしたのはそのだいぶ後で‥‥」
 ぼそぼそとやり取りする内容は、セシリアの耳を逃れる事は出来なかった。しかし、これはこれで面白いので、傍観の構えを取るセシリア。商店街に吹く風は、冷たい。


「来てくれてありがとうございます。‥‥確信はありましたけど」
 待ち合わせの場所で微笑むシャーリィ・アッシュ(gb1884)に、周太郎(gb5584)は見とれていた。別に、着飾っている訳でもない。普段着の彼女をこうして見るのは随分久しぶりで、不躾になりかねない程、間が空いた事に気づいて咳払いを一つ。
「ああ。誘ってくれて、感謝する」
 サングラスが視線を隠してくれるのが、こんなときにはありがたい。
(1年ぶり‥‥、か。今日は、笑った顔を見れればそれで十分だ、と思っていたのだがな)
 あっけなくも目標が叶ってしまった事を喜べばよいのか、そもそも目標の見積もりが低すぎたことを反省すべきか。自省のため息をつく周太郎の内心に気づいてか気づかずか、シャーリィはもう一度微笑する。
「さ、行きましょう。積もる話もありますし、この1年の報告会です」
「そうだな。‥‥そう言えば、今年はギリギリになってしまったが」
 ハッピーバースデー、と続けた周太郎の声を聴いて、シャーリィはきょとんとしてから。
「ありがとう、ございます」
 ゆっくりと噛み締めるように返事を口にしてから、笑った。待ち合わせの場所から目的地までは、少し離れている。見た事のない静かな街。川辺の遊歩道をゆっくり歩く時間に、2人はそれぞれ同じ心地よさを感じていた。

 一方、ドラゴン入り口付近の三人組は、また様子を変えていた。
「‥‥成る程‥‥。私も加奈さんのお相手‥‥気になりますから、此処で‥‥」
「うむ。ターゲットはあの眼鏡の男だ」
 意気投合してしまった元上官と嫁の後ろで、篠畑は天を仰いでいる。数日遅れのホワイトクリスマスになる様子はないが、どんよりとしてまるで彼の気分のように重くるしい。
「なるほど、あの眼鏡の方‥‥。此処から見る分には、加奈さんと随分‥‥」
「ぬぐぐ」
 戻ってきた加奈の為に扉を開ける蒼志に、本田が値踏みするような視線を向ける。
「なるほど、随分優しそうです」
「‥‥ぬぐぐ」
 そう評したセシリアに、難しい顔をする篠畑。たぶん細君も彼に巧みなエスコートなど期待してはいないだろうと思うが、ドアを開けるくらいの気遣いは出来る男になりたい所だ。。


 ひょい、とビニール袋を受け取った百合歌に、加奈が笑顔を見せた。
「来てくれたんですね。百合歌さんも、ソラくんも」
「あ、はい。ちょっと早めに、お手伝いしようと思って」
 奥の方からソラの声がする。実は天井飾りをつけるのを手伝おうとしたのだが、身長の壁に阻まれてちょっと寂しい思いをしたらしい。それでも脚立を抱えてあちらこちら、料理が出てくる前に飾りつけは終わらせてしまいたい。厨房の方は八木と住み込みの店員の2人で見ているようで、いい匂いがし始めている。
「ふんふん、この材料は生クリーム? こっちは任せて本田さんも飾りつけに回っちゃって」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
 買い物袋を手に、カウンターへ回る百合歌。その心はと言えば。
(だって、本田さんが調理場に篭ったら、外の2人から見えなくなるじゃない)
 もう飾りつけはほとんど終わってるようだが、手の届かないツリーの頂上に星を載せようとして、おっと危ない、とかそういうハプニングも期待できる、などとニヤニヤしつつ、チラリと余所見。
「‥‥何してるの、あの人たち」
「え?」
 問い返した八木に指差す先、短い時間の間に混迷が更に深まっていた。

 せっかくのクリスマスだし、という東雲・智弥(gb2833)の誘いに、二つ返事で応じた如月・菫(gb1886)。不向きな勉強のストレスから、彼女いわく深刻な「智弥分不足」に陥っていたらしい。智弥分不足の症状は妄想、暴走過多。そんな彼女が篠畑達を見れば、過剰反応するのは必至だった。
「何ぞ怪しい三人組‥‥これは事件の臭い!」
 普段と大して違わないという話もある。いつもの事ゆえに慌てず騒がず、彼女の視線の先を辿った智弥。ちょうど逆光で顔などは見えないが、一団の男女がドラゴンの様子を伺っている。
「ちょっと、藪から棒に失礼だよ。‥‥でも、確かにちょっと‥‥不審、かも」
 最後が小声になるのは、やや自信がない故だろうか。一方、根拠のない自信に満ち溢れた菫は、もう事件と思い込んでいるらしい。SES武器のニラガラッハを抜き放たんばかりの様子だ。というか、勉強道具も持ち歩かないのに武器はしっかり持ち歩くあたり、大丈夫なのか受験生。
「確かに、怪しいオッサンたちよね‥・・。綺麗なお姉さんが一人混じってるのも、怪しい」
 そしてもう一人、妄想を広げている娘がいた。招待を受けて店の近くまでは来たはいいが、久しぶりすぎて足が竦み気味だったアンジェリカ 楊(ga7681)だ。
「まさかボルゲに続く新しい敵が、ルブラエンジェルズの拠点を狙って‥‥?」
 そんな独り言が、先行する妄想者の耳に入って化学反応を起こしたとか起こさないとか。
「そういや、徳島って、何か変な特撮みたいな戦闘があったとこだっけか‥・・。まあこまけー事はいいのです」
 ひゃっはー! 変なおっさんは粛清だー! などと剣呑な雄たけびを上げる菫。智弥は慌てず騒がず彼女の手を、ぎゅっと握りしめた。それだけで、照れ性の菫の顔が真っ赤に染まる。
「にゅわわ!? ちょ、いきなり何をしやがるのですか!?」
 付き合って何年目なのかね、君たち。
「あのね、菫。さすがに街中で武器はまずいと思うんだ」
 正論をいいながら、よーしよしといわんばかりに智弥が頭を撫でると、菫からふにゃっと力が抜けた。一見猛獣をあやしているかのようだが、これがこの2人のスキンシップなのだろう。いつか手ひどく噛みつかれない事を祈りたい。
「って良く見たら片方の人、篠畑大尉じゃない。身元不明の怪人って訳じゃなさそうね」
「あ、ホントだ」
 アンジェリカの声に、目を細めた智弥がポン、と手を打つ。その袖をぐいぐいと引っ張る手。
「‥‥今日はクリスマスなのですから、もっと撫でろ」
 いちゃつく2人を置いて、アンジェリカはずかずかと怪しい3人へ接近、有無を言わさず突き飛ばした。
「おわわ!?」
「ちょっと! そんな所に居たら邪魔じゃない。ほら、入った入った!」
 その勢いのまま、自分も店へ向かう。
「あ、いらっしゃいま‥‥お父さん!?」
「あ、加奈のお父さん――」
 入り口付近の2人がそう反応するのを聞いて、アンジェリカはチラッと横の中年を見た。
(あ、そうなんだ‥‥。パパ、か‥‥)
 今は遠い、切ない記憶を振り払うように顔を上げると、
「あ、いらっしゃい、ピンク」
「今日はマスクつけてないんですね」
 百合歌が手を振り、ソラがきょと、と首を傾げる。3年を経て変わらぬ懐かしい仲間の声。内心の喜びは見せず、アンジェリカはジト目を返した。
「‥・・開口一番それはないと思う」
「いやあ、でもあの時は君だけでもつけてくれて、嬉しかったからねえ。あのマスク、結構苦心の作だったんだよ」
 やり取りを耳にして出てきたエプロン姿の八木が、入り口に並ぶ面々を見て二秒ほど固まる。
「‥‥隊長と篠畑君だったんですか。いつから外にいたんですか」
 気まずい微妙な時間。横からニヤニヤ見ている百合歌と、困ったような顔の加奈、篠畑。苦虫を噛み潰したような本田に、表情はないながらも多分状況を楽しんでいるセシリア。一番最初に動きを見せたのは蒼志だった。
「失礼しました。本田さんに篠畑さん、お久しぶりです。入り口で立ち話も何ですし、中へどうぞ」
「‥‥あ。ああ」
 のそのそ、と入ってくる様子は篠畑よりも本田の方が熊っぽい。途中まで歩を進めてから、思い出したように立ち止まり、ゆっくりと視線を巡らせた。
「いい店だな、八木」
 そんな評価を聞いたアンジェリカが、思わず微笑んでから、慌てて表情を消す。
「それは僕の淹れた珈琲を飲んでから言って欲しいですね、隊長。篠畑君も、「ドラゴン」へようこそ」
 珍しい満面の笑みを浮かべて、八木は厨房へ消えていった。やっぱり私もマスクつけましょうか、などと誰かの声が奥から聞こえてきたが、大勢には多分影響がない。


 ――そして。
「‥‥入って、いいのかな」
「あ、すみません!」
 妙な場面に行き合わせてしまって入りにくかったシャーリィと周太郎を店内へ案内する加奈。なお、もう一組のカップルの菫と智弥はさっさと椅子に座っていた。
「久しぶりです。招待ありがとうございました」
 ミカエルのテスト依頼で一緒になって以来だが、2人ともそれからずっとミカエルを利用している同士。加奈にとっては忘れられない件だったようだ。
「はい、来てくれてありがとうです。そちらの方は、彼氏さんですか?」
 ふふふ、どうでしょう、などと余裕含みの返事の出所は、今日彼が来てくれるという予感がでてきたのと同じ、心の中の場所だろうか。
「あ、外は寒いですよね。他の皆さんも、珈琲か紅茶、いかがですか?」
 勝手知ったる感じで、注文をとり始める加奈。今日はもちろんサービスです、と八木。
「ああ、ソラ君も、ツリーの飾りつけはおしまいでいいですよ。料理と飲み物を出していきましょう」
「はい!」
 急に増えたお客の応対にくるくると立ち働く娘や仲間達の様子を見ながら、本田は一人、空気を読まずにウイスキーを所望した。
「分かる。分かりますよ。飲まずにはいれないですよね」
「‥‥誰だあんた」
 なぜか既に出来上がっている佐々木優介(ga4478)が、奥の座席で頷いている。据わってしまった目を見て、本田元一佐は微妙に嫌な予感がした。こういう目をする奴の相手は、経験上しんどい。
「娘がまともに口をきいてくれるなんて幼稚園が最後ってもんですよ」
「いや、うちはそうでもなかっ‥‥」
 弱弱しい否定の声は、それを圧する大声で粉砕される。
「だけどね、目も合わされなくなり、洗濯物は別々にされ、居間に父親が居るからと言う理由で二階から下りてこない、そんな扱いをうけていても!」
「あんた、苦労してるんだな‥‥」
 そんな酔っ払いゾーンはさておき、パーティがそろそろ始まりそうな時刻だ。にぎやかな店の入り口に、白い装束に身を包んだクラーク・エアハルト(ga4961)が立ったのは招待状に書かれていた時間のちょうど5分前。
「本田さんと会うのも、久しぶり‥‥」
 襟の辺りを正してから、扉を開けるとちょうど大皿が運ばれてきた所だった。並行して、乾杯用の冷たい飲み物も配られている。
「あ、クラークさん。いらっしゃい。ごめんなさい、案内できないんですけど、空いてる席に座って貰っていいですか?」
 ばたばたしている様子に苦笑しつつ、片手を上げて同意を示すクラーク。店内の席にはまだ余裕があるようだ。店できちんとやるパーティというよりもホームパーティの延長らしく、百合歌やソラもウエイトレス役で手伝っている。おつまみやお菓子主体かと思えば、意外とがっつりした肉料理なども用意されていたようだ。
「いやぁ、せっかく大きなオーブンとか買いましたし」
 などと八木が笑っている。今日は食は控えめに、と思っていたシャーリィだが、鼻腔への刺激はなかなかに抗いがたい。お腹がなるのは意思の力でセーブ、セーブ。大きく息を吸い込んで止めると防げるとか。
「それじゃあ、そろそろ始めますか。皆さん、今年も一年お疲れ様でした。カンパイ」
 厨房から出てきた八木がそう言ってグラスを掲げた。
「八木さん、それじゃ忘年会だよ」
 アンジェリカのツッコミは笑ってごまかし、杯を煽る。クリスマスを祝うパーティは、こうして始まった。

「メリークリスマス」
 飾りのない祝いの言葉と共に、グラスが合わさる。どちらも話上手という訳ではなく、それでもシャーリィと周太郎はポツリポツリとこの一年の近況を語りあった。
「どちらも、結局は戦場にいたのですね」
「復興に回ったり、LHを離れたりもしたのだが‥‥な」
 振り返れば、戦争の終焉まで生き延びた事が幸運に思える、と周太郎。シャーリィは、死を望んでいたのかもしれないと自嘲気味に言った。それでも、死ぬ事は無かった。それはつまり、心のどこかで生きたいという思いがあったのだ、と今では思っている。
「そうか。それは良かった」
 生真面目に言う周太郎がおかしくて、シャーリィはクスリと笑った。
「おかわり、頂いてきますね」
 お腹いっぱい食べようとは思わないが、美味しかった物をもう一口。あとはせっかくのクリスマスだから甘い物も食べたい。そんな彼女を見送って、周太郎もほんの少し口元を緩めていた。

 最初の忙しさも落ち着き、あいさつに回っていた加奈は、クラークと立ち話をしている。
「あは、久しぶりに懐かしい服を引っ張り出してきました」
 白の制服は、クラークと加奈がかつて属していた小隊の物。加奈にとっても思い出深い服で、今でも折に触れて袖を通すんですよ、と言う。さすがに、料理や配膳がある今日は控えましたけど、と微笑する後輩へ、クラークは片目をつぶって、
「あんまり話してると、彼氏さんに悪いですから、ね」
 そっと右手をあげた。指差す先、入り口近くの壁際にもたれる蒼志が見えた。多分、彼女を待っていたのだろう。
「あ‥‥はい。ありがとうです。今日は楽しんでいってください!」
 急いで立ち上がる彼女を送るようにグラスを掲げ、クラークはゆっくり会場を進んだ。そう広くはない店内、目指す相手はすぐに見つかる。
「加奈さんのお父さん、ですか。こうしてお会いするのは初めてですね」
 自己紹介を聞いた本田は、席を立って礼をした。クラークと仲間達がかつて北極圏で自分を助けに来た事は、加奈から聞いていたらしい。
「その節は、娘ともども世話になった。あいつに空中戦のイロハを教えてくれた仲間とも聞いている。親として感謝する」
 そこそこ飲んでいるだろうにしっかりした足取りを見て、クラークは内心でほっとしていた。少なくとも、介抱する必要はなさそうだ。
「最近は、一緒に飛ぶこともなくなったのです。けれども、ずっと気にかけていました」
「そうか‥‥。仲間っていうのはそういうもんだ」
 本田は、八木や篠畑の事を思い浮かべているのだろう。クラークにも思い当たる話だ。
「座っても?」
「ああ、どうぞどうぞ」
 断ったクラークに、かなり出来上がった優介が満面の笑みを向ける。家庭に居場所のないサラリーマンにとって、居酒屋で過ごす一時が心のオアシスなのだ。お客さん、ここは居酒屋じゃなく喫茶店です。
「加奈さん、なんか昔よりもしっかりとした印象があるのですよ」
「そうか‥‥。確かに、家を出たのが良かったのかもしれん」
 色々な出会いがあったようだし、としんみりと杯を煽る本田。しかし、同席者はそんな感傷を許しはしなかった。
「いいえ、男ですね。判りますか、家に帰ったらある日突然、玄関に知らない男物の靴があったりするんです」
 優介の気合の入った語りに、クラークは思わず身を引きつつ、
「あ、あはは‥‥自分にも、義娘がいるのですよ」
「それはご愁傷様です。これから大変ですが、強く生きてください」
 冗談というには鬼気迫りすぎた男の言葉に、言葉をなくす野郎2人。クラークと本田はチラリと視線を交わすと、無言で杯を掲げた。話せる事がない時にとりあえず飲んで誤魔化すと飲酒量が増えるので注意しましょう。


 暗くなった道を、一台のリンドヴルムが駆け抜ける。戦争が終わっても、特殊風紀委員としての活動に飛び回る、夏目 リョウ(gb2267)だ。飛び回りすぎて、招待状に気づくのが遅れてしまったらしい。
「パーティーに間に合うように、急いでくれよ烈火」
 リンドヴルムの荷台に乗った大きな袋を見るに、遅れた理由はそれだけではないのかもしれない。懐かしい道を辿り、ドラゴンの店先で急停車する。やはり、宴はもう始まっているようで扉の外まで楽しそうな談笑が聞こえてきた。
「失礼、少し遅れてしまったようだが‥‥、プレゼントを持ってきたのでご容赦願えないかな?」
「おお夏目君、いらっしゃい」
「こっち空いてるわよ」
 常連の声は覚えていたらしく、八木が手を振る。百合歌が手招きしているカウンターには、ソラとアンジェリカが座っていた。
「おやっさん、ルブラエンジェルズのお嬢さん達、久しぶり。メリークリスマス」
「お嬢さんじゃないですよう」
 ソラの小声の抗議に気づかぬ風で、差し入れのお菓子を渡すと加奈が奥へと持って行った。お皿に盛りつけて皆で食べようという事のようだ。
「おや、ガスマスクはどうしたんだい」
 席に着きながら、アンジェリカに尋ねるリョウ。
「‥‥あんたもそれ? まあ持ってるけど」
 ゴソゴソと取り出して顔に当てると、八木が懐かしそうに笑った。今でも時々、皆の写真を見返すんだよ、などと言う彼に、約一名が複雑そうな笑みを返す。そんなこんなで、懐かしい話に華が咲いたり、今までの話を聞きあったり。
「八木さんはお変わりなかったですか?」
「おかげさまで、ね。大繁盛とは行かないけど、お客さんも来てくれてるよ」
 百合歌が聞きたかったのは店の事だけではないのだが、まあそれはそれ。
「あれから、皆はどうしていたのかな?」
 八木がそう水を向けると、皆がそれぞれの3年間を語りだした。アフリカ、アメリカ、宇宙、様々な場所の話や、色々な出来事の話に花が咲く。マスクをカバンに戻してゆっくりコーヒーを味わいながら聞いていたアンジェリカが、自分は最終決戦には出ていない、と口にした。
「経営の勉強をしていたの。‥‥授業をやってる大学を探すのが大変だったけど」
 徳島で皆と一緒に過ごすうちに、家族の復讐に凝り固まっていた彼女は変わっていった。少なくとも、自分ではそう感じている。復讐よりも、という言葉は口には出さず。
「‥‥パパや皆の思い出を、大事にしたいんだ。だから、いつか必ずNYへお店を出すよ。アメリカで一番のチャイニーズカフェを」
「じゃあ、能力者は辞めるんです?」
 首を傾げたソラに、アンジェリカは軽く首を振って見せる。少女っぽい髪形がゆらり、と揺れた。
「‥‥エミタは摘出しようと思ってたんだけど、気が変わったわ」
 理由は、口には出さない。能力者として、自分にもできた事があった。この場所を守った事は誇らしい思い出だから、またいつか、この力が必要になった時の為に。そんな言葉は照れくさくて言いにくい。
「そっか。楊さんは、自分のしたいことが見つかったんですね」
 ソラの向ける視線は、祝福が半分、羨望が半分。彼にはまだ、目標と言えるような物がない。焦る必要は無いよ、と年長者の深い目で言われれば、ほっとするけれども。
「本田さんがなりたいのは、やっぱりお嫁さんなのかしらね」
 クスクスと笑いながら、百合歌は裏口の方を見つめていた。蒼志に誘われて、こっそり外に出ていく加奈に心の中でエールを送る。その後に続くだろう父親とのバトルを期待する、野次馬根性からくる不純な応援も多かったようだが。


 後ろ手に扉を閉めると、店内の喧騒が遠くなった。蒼志は何となく咳払いを一つ。
「加奈に大事な話をしたいと思って‥‥な」
「はい」
 こくりと頷く女性を前に、言葉を飾る気はない。もとより、得手でも無かったから、蒼志は正面から切り込む。
「――結婚しよう」
「よろしくお願いします。ありがとう、鋼さん」
 間髪入れずに返した加奈は、ニコニコと嬉しそうに笑っていた。
「あ、うん。こちらこそ‥‥」
 どれだけ彼女を想っているか、これからも想っていくかを言葉にしようと思っていたのだが。素直で天然な加奈の性格のせいで、あっさりと片付いてしまったらしい。
「‥‥あ。こういう時ってもっと返事まで間を空けたり、する方が良かったでしょうか」
 いまさら、少し心配げにそう付け足す加奈に、微笑して首を振る。
「愛してる‥‥加奈」
 懐から取り出した小箱の中には、ダイヤモンドの指輪。つけるのは父親に報告してから、と言う加奈に、蒼志も表情を引き締めつつ頷いた。この後に控えるイベントへの覚悟は、既に決めている。

 一方、3年目のカップルは相変わらずだだ甘だった。
「智弥、あーん」
「あ、うん。ちょっと恥ずかしいな」
 自分でやった好意の恥ずかしさに耐えきれず菫が暴れかけて智弥が宥めるところまでがテンプレートになっている。
「そういえば、菫はこの先どうするのさ?」
「大学に行くのです。あ、女子大生とかちょっといいなって思っただろ、このスケベ」
 菫だからいいんだよ、などと歯の浮くセリフでカウンターを受け、轟沈。むぐぐ、と悔しげに唸っているようだが、彼氏の方は感慨深げに彼女を見つつ。
「僕も進路は当分学業かな。大学院にも行きたいし‥‥あと、世界を知りたい」
「じゃあ一緒の大学に‥‥行ってやってもいいですよ?」
 上目遣いに言う菫に、それは嬉しいななどと答える智弥。まあ、その前に学力の壁が立ちはだかっているのだが。
「僕が分かるところなら教えるよ」
「‥‥うん。優しくしてくれるなら、教えて」
 もごもごしつつ、それでも嬉しいらしい菫を、テーブルの向かいからニコニコと眺める智弥。二人の関係が進むのは、もう少し先のことかもしれない。


「‥‥健郎さん‥‥これからもお仕事‥‥軍のお仕事、続けられるのでしょうか‥‥」
「ん? しばらくは、そうなるだろうな」
 もぐもぐと食べつつ、そんな会話を交わす篠畑夫妻。ケーキに入る前に、食事をしっかりとっているようだ。寒空の下で立っていてカロリー不足なのだという旦那に、こくこくと同意しつつせっせと美味しそうな物を確保するセシリア。
「止めても、止めなくても、どちらでも良いのですけれど‥‥」
 それは本心からの言葉で。戦争が終わって、以前のように待つ不安は少なくなっている。それ以外に、自分でも戦場へ積極的に向かう事で、思う事もあったのかもしれない。
「ま、地上の戦争はもうすぐ終わる。そうしたら、お役御免になるんじゃないかな」
 本田隊長の所で輸送機を飛ばすのもいいな、などと言う篠畑を、セシリアは穏やかな目で見る。空が好きなこの人は、きっとどんな仕事を選んでも、飛んでいるのだろう。そんな人を好きになって結ばれたのだから、それほど贅沢は言わないけれど。
「‥‥せめてお正月‥‥一緒に過ごせると、良い‥‥です」
 その言葉の裏の内心に気づいたのか、それとも普段通りに鈍いままなのか。篠畑はこくりと頷いた。
「ああ。そうだな。日本の正月は家から出なくてな。御節料理をつついて、テレビを見るんだ」
「そうなんですか‥‥」
 少し偏ってる気もするが、概ね正解かもしれない。のんびりと食事を楽しむ二人の向こうの席では、人生の一大イベントが発生していた。

 普段の冷静さも、ちょっと斜に構えた物言いもなく、正面から言葉を搾り出す。それが、自分に出来る限りの誠意だから。
「お父さん・・・・僕に娘さんを下さい!」
 そんな蒼志の心は、本田にも伝わった。しかし、心配そうな娘の視線を受けても、父親は口を引き結んだままだ。
「絶対に、加奈を幸せにします!」
 もう一声、加えてから頭を下げる。本田は身じろぎもせずに黙り込んでいたが、低い声で「ああ」と返した。その返事を聞いてから、頭を上げる。
「・・・・あいつが望んだのなら、それでいい。だが、その約束は覚えておく」
 地の底から響くような声でそう付けたし、くるりと振り返った本田は、どすどすと足音がしそうな歩き方で奥へ向かう。コーヒーカップを洗っていた八木が、面白そうに片方の眉を上げた。
「お父さん、照れてたみたい」
「そう、なのかな」
 疑問交じりの蒼志に、自信ありげに頷く加奈。しかし、やはり心配は心配であり、蒼志青年、この日に食べた料理の味は、後になっても余り思い出せなかったとか。


 時刻はそろそろ9時を回り、流れ解散の後、場所はそのままで二次会に移行するらしい。あるいは、遅れてやってくる面々もいるのだろう。本田と話し込んでいたクラークは、名残惜しげに席を立った。帰る前に、とぐったりしている優介を、少し楽になるように襟元を緩めたり、水を置いたりしている。
「あまり、飲みすぎる訳にもいきませんから‥‥酔いつぶれて帰れないとかになると妻と義娘に悪いのです」
 その単語に反応して優介が何か言いかけたが、酔いが回ったらしく、もごもごとしか言葉を発しない。同席者はわざわざ内容を聞き返すような労をとらなかった。なお、優介はこのまま幸せに酔いつぶれ、翌朝になって慌てる羽目になるのだが、それはまた別の話である。
「‥‥少し、彼と話をしてくるか」
 泥酔者を残して立ち上がった本田は、意を決したように視線をめぐらせる。蒼志とはすぐに目が合った。というより、本田の方を伺っていたのかもしれない。そういえば自分にもそんな時期があったと、思い返すと懐かしさがよぎった。
「いける口なのか、君は」
「‥‥人並みには、ですが。頂きます」
 とくとくと注ぎ、注がれる2人を、同じテーブルから幸せそうに見る加奈。ちらっとその様子を見た篠畑は、ホッと息をつく。
「加奈さんの事‥‥、気にかかりましたか」
「ああ。まあな。おやっさんから、妙な話を聞いてさ。でも、幸せそうで良かったよ」
 本田元一佐が自分を加奈の結婚相手に考えていた、という話を、ありえない事のように語る篠畑。加奈の好意には気づいていたのだがそれは身近な大人への憧れだろう、と思っていた、などと。セシリアはそんな旦那をあきれたように眺めていた。
「多分、あなた以外は皆気づいてたと思いますけど‥‥」
「‥‥え? セシリアも、か?」
 驚いた篠畑へ、ふわりと微笑むセシリア。見とれた間に、彼女はさっと席を立った。
「ケーキ、取ってきますね」
「あ、ああ‥‥。いってらっしゃい」
 この後、篠畑は自分の鈍さについて色々と悩む事になるらしいが、自業自得である。

 帰り道、空は晴れ。ゆっくりと先を行く周太郎の背に、シャーリィは声を掛けた。
「‥‥あの‥‥。一年前、あなたが言ってくれた言葉‥‥」
 足を止め、振り返りかける肩をそっと押さえて、言葉を続ける。
「本当の平和が来たら、今度は私から言います。だから‥‥もう少しだけ、待っててくれますか?」
 背に感じるのは、彼女の額の感触か。少し待ってから、周太郎はゆっくり振り返った。口を開きかけて、少し逡巡してからサングラスを外す。街灯の下、ほんのり照らされるシャーリィがまぶしく見えた。
「いつか全てが終わるまで‥‥。俺はそれを、待たせてもらう」
 前に言った通りに、と。視線をそらさずにそれだけを言った。あるいはいつか、迷惑に思われる時が来るかもしれない。物好きだと笑い話の種になるのかもしれない。それでも自分は待ちたい、と。
「‥‥ありがとう」
「一つ、言わせてもらえるか」
 俯いたまま囁くようにいったシャーリィへ、周太郎は意を決したように告げた。顔を上げて欲しい、と。彼女の笑顔を見る事が、幸せなのだという言葉は口には出さずとも通じただろうか。少しだけ湿った声で返事が聞こえる。
「いま、ちょっとみっともない顔なのでダメです」
「‥‥そうか」
 間の悪さに内心自嘲しながら、サングラスを掛け直した。こうして一緒に夜道を歩ける幸福。それはきっと、二人ともが感じているのだろう。そっと触れた手から、温かさが伝わってきた。