タイトル:【LP黒獣】復讐の残滓マスター:紀藤トキ

シナリオ形態: イベント
難易度: 普通
参加人数: 11 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/01/17 10:06

●オープニング本文


 中野詩虎の死は、あっけないものだった。幾つもの目撃証言から、死んだらしいとは理解できる。彼の残骸らしき物をその目で見たと言う話も信頼できる者から聞いた。しかし言葉だけでは、理性はともかく感情は納得できはしない。残間 咲のさほど長くは無い人生において感情が理性に優先した事はそう多くは無いが、これはその珍しい側に属するのだろう。
「この辺り、ですか」
 彼女は中野が死んだと思われる場所を訪れていた。ゼダ・アーシュが墜落した場所から、北に十数キロ。それだけの距離を、アースクエイクの腹の刃に突き刺されたまま引きずられ、ようやく死んだのだ。
 彼を追い詰め、撃墜した傭兵達の中の1人が地面に突き刺した短刀。そして、トレードマークのコートの切れ端が、中野の墓標だった。

「‥‥」
 頭上を、戦闘機形態のKVが行き過ぎていく。遥か高空に見える輝きは、バグアのヘルメットワームだろうか。咲が居る場所は、UPCとバグアの間でゼダ・アーシュの貴重な残骸の奪い合いが行なわれている場所からは、少し離れていた。敵も味方も、死んだジハイドには見向きもしない。
「いえ、ここに来る物好きが、少なくとも幾人かは人類側にいましたね」
 自分の事を棚に上げた物言いに、誰かが苦笑した。ここに彼女を案内してくれた傭兵だ。別戦域に回っていたために現場を見てはいなかったが、この場所をもう一度探すために手を貸してくれた者も居る。
「教えてもらえますか。あの男が、どのように戦って死んだのか」
 舌に乗せる価値も無い、という思いは既に失せていた。本来の生命が燃え尽きる最期の瞬間まで咲を恨み続け、死して後もまだ彼女を追い続けた男の妄執は、ここに眠ってもはや誰にも顧みられない。侮蔑よりもなお、憐れだった。あるいは、そう思う事は変化なのだろう。以前の自分であれば、行過ぎる路傍の石など一顧だにしなかった筈だ。
「‥‥せめて、私が覚えていてやろうと思います。そういう下らない男がいた事を」
 その下らない理由で、彼女の大事な仲間を傷つけた男。残間 咲という孤高の狩人に、他者を頼る事を選択させた男。人類の強大な敵を、その我執で道連れにしていった男を。

●参加者一覧

/ 時任 絃也(ga0983) / 終夜・無月(ga3084) / 藤村 瑠亥(ga3862) / UNKNOWN(ga4276) / ファルル・キーリア(ga4815) / 旭(ga6764) / アンジェリナ・ルヴァン(ga6940) / ヒューイ・焔(ga8434) / 如月・菫(gb1886) / アンジェラ・D.S.(gb3967) / ラナ・ヴェクサー(gc1748

●リプレイ本文

●Another place1
 北京を巡る戦いは終焉に向かって動いている。戦いの後の天秤は、人類の勝利へ向けてまた少し傾いた。無論、代価が少なかったわけではない。天津市の郊外に作られた後方拠点では、テントに収まりきらぬ戦傷者が、通信機を囲んで座っている。
『‥‥勝‥‥中野‥‥撃墜の‥‥告を』
「あーくそ、聞こえないじゃないか」
 人類側拠点近くとはいえ、携帯の無線機では入る情報も限られていた。いらいらと言う兵士の横に、黒い腕がつと伸びる。
「ここは影になるから、ね」
 UNKNOWN(ga4276)が言うようにアンテナを立てると、まだノイズは残るが聞けない事は無いレベルにまで音声は回復した。再び固唾を呑んで聞き入る兵士たちの背を見ながら、彼はビールのプルタブを引き、思案に暮れる。
「『中野詩虎』? ――何か、覚えがある気がするな」
 自身の吐き出した紫煙の行方を追うように、見上げた空は青い。

●死したる敵の墓標
「ここが、あの男の墓ですか」
 荒涼たる荒地に、巨大なミミズが刻んでいった溝が行く筋も残る、その一つの中に、残間咲はいた。中野詩虎の墓標への案内、――というよりは、その捜索を一緒にしていた者達も。
「『そんな目で俺を』‥‥か‥‥」
 ボロボロの布を貫いて突き立った短刀の前で、終夜・無月(ga3084)はその男の記憶を辿っていた。今回倒れた『ゼオン・ジハイドの2』としての彼を知る女性が2人、不快さを表に墓標を見下ろす。
「ゼオン・ジハイドといえど、所詮は生物。あっけないものね」
 ファルル・キーリア(ga4815)は、あの男、中野詩虎の単体での力量をその身で知っている。胸を占める冷たい怒りの源泉はむしろ、友人の本田加奈の重傷による所が大きかったが、ファルル自身に刻まれた傷も、決して小さくは無い。それでも、彼女は相手を評価は出来なかった。したくはなかった、のかもしれない。
「所詮は一匹狼、軍を率いる器じゃ無かったってことね」
 もしもその力を使いこなす指揮官がいれば、脅威たりえただろうか。そう、少しだけ思ってから、首を振る。
「まぁ、バグアもこんなのをまともに使う気が無かっただけかもしれないけどね」
 嘲笑の込められた口調には、詩虎とは別種の自信と倣岸さが透けて見えた。

「姿形もない、ですか。あいつらしい最期っちゃそうなのかもな‥‥。あんだけ力があっても。なーんにもできずに消えてやんの」
 左右の荒野を見てから、視線を落とした如月・菫(gb1886)の声に、力は無く。
「‥‥幽霊っていうのは、そんなものなのかな」
 墓標の脇に膝をついて、旭(ga6764)は小さく呟いた。彼の縁はむしろ、ゼオン・ジハイドになる前の人間・中野詩虎と深い。自分達があの時に逃さなければ、という悔恨は、彼だけではない。中野を追い詰めた面々の中にしこりのように残っていた。
「私の今まで出会った中にもあなたのような者が居た。身体の記憶に、意思に自身の意思が引っ張られてしまうような者達が。彼らは時にその意に抗い‥‥時に受け入れ、時に決別して来た」
 アンジェリナ・ルヴァン(ga6940)が静かに声を掛ける。
「お前が負けたのは私たち傭兵ではない。中野詩虎という、おまえがゲームのキャラクターとして選択したその人そのものだ」
 彼女の選ぶゼオン・ジハイドの2への言葉は、怒りよりも哀れみに満ちていた。
「久しぶり‥‥ということになるか」
 咲に軽く頭を下げてから、藤村 瑠亥(ga3862)は吸っていた煙草を放り投げ、乱暴に靴で踏む。
「これで終わりか‥‥特に何もない」
 彼が知るのは、アンジェリナの言う『中野詩虎』だ。バグアとして蘇った『ゼオン・ジハイドの2』については縁が遠い。ここに眠るのは、彼の知らない男だ。
「間違いなく、終わってるみたいだな」
 周辺を見て回っていたヒューイ・焔(ga8434)は、そう言って肩をすくめた。念入りに、丹念に確認しても周囲に生命の痕跡はない。彼は『ゼオン・ジハイドの2』としての中野詩虎にはまったく縁がなかった。彼の信頼する友が二度戦い、双方に傷を負わせた相手ではあるが、それだけだ。その友から託された牙が、腰の刀剣袋に収まっていた。残間咲から友が託され、そして焔の方が持つに相応しいと託した、残間の牙。しかし、焔がそれを振るう間はなく、相手はこの世から消えた。
「死んだか‥‥中野詩虎の皮を被ったバグアが」
 その声に感慨はなく。ただそう述べる彼の後ろで、咲はただ静かに墓標を見つめていた。周囲が語る言葉を耳にしつつも、自身は何も言わずに。

●異星人:中野詩虎
「‥‥『弱いってのは、辛いよなァ』‥‥ですか」
 そう囁いたラナ・ヴェクサー(gc1748)を、ファルルがチラリと見る。ラナの顔は能面の如くに表情がなかった。ファルルの侮蔑も、瑠亥の遣る瀬無さもなく、そして旭のそれとも違う、空虚。足から力が抜け、ラナはしゃがみこみ、呻く。
「くぅ‥‥」
 全身全霊を賭けて追うつもりだった憎むべき敵が、あっさりと消えてしまった事。梯子を外されたような頼りなさと無気力が表面にたゆたい、その下にまだ収まらぬ激情が渦を巻いている。その脇で、質こそ違えど、菫も同じく行き場の無い思いを抱えていた。
(強くなろうって決意したりもしたのに。これじゃー、まるで馬鹿みたいじゃないですか)
 傲岸不遜な悪党の姿。あの日、その言動を許せないと思った。倒さねばならない、その為に力が欲しいと。しかし、倒すべき強大な敵は倒れてもういない。
(あの日‥‥)
 ラナもまた、無力だった自分を思う。ファルルと加奈、そしてラナともう一人の傭兵を、詩虎は文字通り一蹴し、蹂躙した。傭兵としてのプライドも踏みにじられた。それほど親しかったわけではないが任務を共にした仲間をいたぶり、苦痛を与えながら笑っていた。身動きも出来ずにそれを見せられていた自分に生まれた、憧れとは決して異なる、しかしそれと似た感情。相手を自身の手で打倒し、乗り越えたいと言う思いはあの日に生まれ、もうかなえられる事はない。じくり、と胸の奥で何かが疼く気がした。

「結局、あなたの意思は理解できなかった」
 アンジェリナの声が沈黙を破る。それは人間の中野詩虎へ向けられた言葉だった。復讐に執念を燃やした男のことは理解は出来ず、理解できないが故に、自分がそうなる可能性は無いとは言い切れないと彼女は思う。
「だがそれでも私は自分を保ってみせる。『己に克ち続けること』それが私の目指す終着へと続く道なのだから」
 言い切る彼女の声に淀みはなく、菫がチラリとその横顔を見上げた。
「なぁなぁ、アンジェリナの強さって何さ?」
 不意に、口をついて出た問い。アンジェリナは先に墓へ向けて投げた言葉を返す。『克己』。越えるべき物も、見据えるべき物も己の中に在る、と彼女は考えていた。周囲を助ける手段として強さを欲する者、守る為、あるいは倒す為の強さといった物も、もちろんあるだろう。神妙に考えていた菫は、しばし唸っていたが。
「あぁ、やめやめ。悩み続けるなんてばかばかしい、姉さんじゃあるまいし。力がいるかどうかなんて、強くなってから考えれば良いじゃないですか」
 強く在ることと、強さの意味と、まだその入り口に立ったばかりの少女が言葉以上の深さで理解する事は難しいのだろう。今は、まだ。

「‥‥中野とは、どのような男だったのでしょう」
 そんな会話を横に、ラナは咲へ問う。咲は少し考えてから、口を開いた。
「そうですね――」

●Another place2
 空にゆっくり広がっていく紫煙。刺激的な香り。
「――ん?変なムカデの居た依頼、か」
 記憶の隅に答えを見つけて、UNKNOWNは微笑した。40前はまだボケるには早い年齢ではあるが、年々、記憶が引き出されるまでに掛かる時間は長くなるお年頃である。あの場所にいたキメラは、匂いに敏感なムカデの習性を残していた為、彼の咥えていた煙草に惹かれて集まってきて大変な思いをしたものだ。
「そうか。いつの間にかヨリシロになっていたのか――」
 能力者が個人的な理由でバグア側につき、討伐や捕獲の依頼が出るというのもよくある話だった。任務を果たして後、彼がどのような経緯を辿ってヨリシロになったのかまでは、彼の知るところではないが。
「再会する事がなかった男に――ん?」
 乾杯、としゃれ込もうと伸ばした手が空を切る。ビール缶のあった筈の場所には何もなく、強張った笑顔の看護婦が、その腕を掴んだ。
「も、もう1本だけ」
 未練がましく言う男を、小柄な看護婦は慣れた所作で治療所に追い立てていく。アジア地域には、珍しい金の髪。苦笑しつつ歩く彼の胸を、もう遠くなった過去の鈍い痛みが刺した。

●人間:中野詩虎
「一言で言えば、執念深い男でしたね」
 短い返答だが、それで十分だろうと言わんばかりの咲。それでも、ラナの問いに答える様子に、遅れてやってきた時任 絃也(ga0983)は意外の念を禁じえない。そもそも、この場に咲が来ている事すら意外ではあった。全てにおいて超然と、自分達『紅の獣』以外からは常に距離をとっているような仕草ばかりが印象的だったのだ。それは、この場にいる他の面々も、古いなじみであればあるほど感じていた。
「ナイフは奴の妄執を断つ為の楔として使わせて貰った」
「‥‥感謝します。自身の手が届かなかったのは、残念ですが」
 その返答にも、やはり絃也は違和感を感じつつ、言葉を続ける。
「本来は奴自身に使いかったが、あの有様では使い道が其れしか思いつかなかった」
 淡々と、重傷を負っている様子を表には出さずに絃也は戦いの様子を語った。その場にいなかった咲へ、実際に見ていた人間からの言葉だ。
「しかし一度しか相対したことがなかったが、前回戦った時と何か違ったな」
「何か――、ですか」
 やはり淡々と相槌を入れる咲に、絃也は頷く。
「確かに狂った奴だったが、狡猾さなどといった狡賢さを感じた。が、この戦いにおいては其れをまったく感じなかったな。そのせいか何か『手強い』といった感じを受けなかった」
 それには、思い当たる節がある物もいた。墓標へと紫の花を一輪手向け、無月はゆっくり立ち上がる。
「中野詩虎‥‥思えばあの天津での轟音轟く戦場で俺の姿に何を見ていたのか‥‥」
 中野の姿をしたバグアは、彼の姿を通して別の何かを見ていた。そして、怯えたのだ。
「考えてみれば‥‥彼が崩れて行ったもあの時点からでしたね‥‥」
 味方を犠牲にする残酷さを持ちつつも、天津の戦場に現れた時の彼は倣岸なまでの自信に満ちていた。この地で死んだ時の惨めな姿ではなく。そう思えば、原因は天津での戦いに在るのだろう。
「貴方‥‥が関係しているのでしょうか‥‥」
 振り返った無月に、咲は良く知る相手、雨在と同質の物を一瞬だけ感じた。しかし、すぐに違うと思う。存在感は似ているのかもしれないが、本質的に異なる部分があった。
「私はその場にはいませんでした。私ではなく、あの男を追い込んだのはその場にいたあなた達でしょう」
 事実としては、そうだろう。だが、あの結末に繋がっている線の大本に近い場所に、咲の名前は間違いなくある。
 無月と咲の会話を聞きながら、ラナは咲へと目を向けた。今回、中野を死に追いやったのが彼女の作戦だと言う事に、異論は出ないだろう。仲間の手を借りて倒した事に、不満だったわけではない。しかし、中野が路傍の雑草のように踏みにじられた自身の名と顔を、死に行く脳裏に刻みたかったと、ラナは思わずにいられない。作戦の間は、彼女は『残間咲』を演じていたのだから、中野の認識では最後まで、ラナ・ヴェクサーという個人は雑草のままだった筈だ。思えば、行き場の無い感情が眼から零れた。
「‥‥私も中野と同じ、ですか」
 咲に相手にされなかった事が許せずに、胸倉を掴んででも振り向かせたかった。その思いは、ラナにも分る。中野と同種の狂気を孕んで、彼女は戦い続けねばならない。この先、ずっと。『克己』、というアンジェリナの言葉が胸に重い。薄い胸元を押さえた手に、恋人から贈られたネックレスが当たる。

●明日からの彼女達
「‥‥これからどうする?」
 死者への語らいが一段落したとみて、旭が静かに声を掛ける。
「事実上『紅の』はほぼ壊滅。あなたが無事であるならば活動そのものが不可能と言う訳では無いだろうが‥‥今まで通りとはいかんだろう」
 問いは、アンジェリナが引き継いだ。瑠亥、それに焔も視線を向ける。彼女たちにとっては、それは重要な事だった。
「だが‥‥これで紅の獣が消えるわけではないだろう?」
 続いた瑠亥の声は、質問と言うよりは願いの色が濃い。能力者としては活動できなくなっても、残るメンバーの特技はいまだに意味のあるものだ。エミタの支援がなくなろうとも、零のハッキングや雨在の頭脳、それに清総水やリリスの身体能力とて、一般人としては卓越している。清総水家の財力も力にはなるはずだ、と。
「思えば、不思議な集団だった。あなたたちがどうやって集い紅の獣を作ろうとしたのか‥‥興味の対象ではある」
 咲は僅かに口を開きかけてから、閉じた。それを言葉にする術を、彼女は持たない。しかし、アンジェリナ達が思うような理由ではない、とは分っている。彼女達が身を寄せ合ったのは弱さに類する理由だ。天与の才能を持った者が、それ以外の者に心を開く勇気を持てぬまま、同じ弱さを持った者と寄り集まった。始まりは、ただそれだけの事。自分達以外全てを軽蔑する幼稚さが恐れと表裏一帯だと言う事に、ひょっとしたら雨在だけは気づいた上で彼女達につきあっていたのかもしれない。
 ――それから、時間としては短くも密度としては濃い時を過ごした。傭兵達と任務で知り合うようになり、多少は自分達の視野は広がったのかもしれない。しかし、それは紅の獣の仲間との距離とは違う。これから何があっても決して、獣達の距離は他の何にも換わりはしないだろう。

 ファルルが、黙していた咲の後姿へ声を掛けた。
「残間さん、気を付けて。救援を求めたあなたは、彼とは違うでしょうけど、一歩間違えれば立場が逆だったかもしれないわ」
 さして行動を共にしたわけではないファルルだからこそ、彼女の危うさに気づいたのかもしれない。あるいは派手な受勲歴の傍ら、自信と過信の境目に自分がいると理解している故かもしれなかった。
「あなたには仲間がいるんでしょ。それだけは忘れないでね」
 軽く手を振り、ファルルは墓標に背を向ける。

「中野は死んだが、コレでお前さんは牙を納めるのか?」
 2本目の煙草を口に、絃也が言葉を投げた。
「私が、ですか?」
「そう、お前さんがだ」
 自分で考えろと態度では突き放しつつ、絃也は咲から視線は外さない。それは、冷淡にすら見えるほど女性とは距離を置く彼には、珍しい事かもしれなかった。
「俺たちに託したといえば聞こえはいいが。もしこのまま収めるとなれば、俺からしてみれば逃げに映る」
 仲間が戦えないから、というのも逃げだと彼は言う。そして、再び戦場で姿を見る日が来る事を、個人的には期待している、と。

「これさ。貰っといて良いかな。もうちっと、強くなったりしたら、いつか返しに行くのです」
 投げナイフを手にした菫は、絃也とは対照的に視線を合わせずにそういう。
「それは‥‥」
「いやいや、返しに行くっつったら返しに行くからな」
 咲が口を開くより早く、菫が早口で言葉をつむぐ。口を尖らせるようにもごもごと、横を向いた口から出る言葉は、咲の耳には届いたのだろう。
「意味分からんかもしれんけど、私なりのけじめってやつなのです」
 ほんの少し、懐かしむような微笑を咲は浮かべて頷いた。アンジェリナがゆっくりと、語りだす。
「私は傭兵を続ける。そして『彼女』もまた‥‥どこかで自身の意思で生きているだろう」
 赤い髪の、咲を目標とすると言った少女の事だと、咲には分った。常には無い微笑を消して、彼女はアンジェリナに向き直る。
「『あなた』はどうする?」
「私は、前にも言いましたね。目標となるものには、相応の義務‥‥。前を走り続けるという義務が在る、と」
 望むわけではないが、仕方が無いでしょう、とどこか物憂げに言う様子は、以前の彼女と似ていて、そして少しだけ違う。
「興味はありませんでしたが、上級クラスという物もあるようですしね、そういえば」
 しれっと付け足した言葉は、彼女がまだ大きな伸び代を残している事を、後を追う少女達に告げていた。

●死者に、別れを
 日が傾きだした墓標の前に、旭がしゃがみこむ。
「何してるんだ?」
 覗き込んだ焔に、旭は小さな種を見せた。花屋で、しぶとく丈夫な種を選んで貰ったのだと言う。恨みが在るわけでもなく、死者への祝福を与えるつもりも無い。ただ、一つの区切りをつける儀式として、と旭は言った。
「‥‥区切りか」
 荒野を渡る風に頬をなぶられながら、焔は目を閉じる。今日、この場に足を運んだのは中野の死を確認する事が、何かを踏み出すきっかけになるかもしれないと思ったという理由もあった。失われた記憶の向こう、薄いベールが覆うように届きそうで届かない何かに、彼は区切りをつけるべきなのだろう。視線を落とせば、旭が最後のひとかけ、種を覆うように土を掛けるところだった。

「花の無い墓標も味気ないですしね‥‥」
 無月が、自身が供えたのと同じ、一輪の花を咲へと手渡す。紫苑の花言葉は、『追憶』。敵からも味方からも忘却へ追いやられそうな惨めな男の為に、この場にやってきた者が手向けるには相応しい花だ。少しの間のあとで、咲が再び墓の前に歩を進める。
(バグアになっても、ヨリシロになっても。最後まで‥‥人間だったんだろうな、中野詩虎)
 旭が、最後にもう一度だけ彼の事を思い、黙祷した。
「‥‥さようなら、中野詩虎」
 誰かが告げた言葉が、乾いた大陸の空に消えていく。
「おっしゃー、目標はシバリメ! 何とかあいつをけちょんけちょんにしてやるのです!」
 空元気で菫が拳を天高く突き上げた瞬間、吹いた風が薄紫の花びらをふわり、と揺らして去った。