タイトル:【授業】かけざんマスター:紀藤トキ

シナリオ形態: ショート
難易度: 易しい
参加人数: 6 人
サポート人数: 3 人
リプレイ完成日時:
2009/06/10 21:38

●オープニング本文


 カンパネラ学園は、学校である。実戦的側面ばかりが目に付くが、通常の科目とておざなりにされているわけではない。つまり、数学とか社会とかの授業もあるのだ。そして、成績のよろしくない者には、追試やレポートがあったりもする。
「‥‥って訳で、明日までに書いていかないといけないんだけどさぁ」
 珍しく、図書館にて。ぐったりした様子の間垣に、柏木達は慌てたように首を振った。こいつらが手伝えるとは誰も期待していないだろう。
「私は学年違うからお手伝いはできない、かな」
 言いながら、課題を見た沙織が瞬きする。『交換法則が成り立つ事を、実例を挙げて説明せよ』というのがそれだった。
(ええと、これって小学生の問題、じゃないかな)
 その疑問は胸中に止めて、沙織は間垣の顔を覗き込む。
「間垣先輩、交換法則、っていう名前がわからないだけだと思う」
 かくて、落第生の間垣と柏木、その他へと沙織先生による数学‥‥というか、算数の補講が行われた。図書館の中では、うるさくしても怒られない区画だったらしい。

☆★☆★☆★☆★☆★

「‥‥という事です。わかりましたか?」
「ああ、わかった。2×3と3×2、順序を交換しても答えは同じって事だな」
 これで寺田に怒られないですむ、と嬉しそうに言う間垣。その瞬間、沙織の笑顔が固まった。
「え、なんで数学の宿題をてらりんが‥‥」
 てらりん、こと寺田教諭。カンパネラの数多い教師の中でも、浮いた噂の多さでは一二を争う人物だ。卒業生のカラスと爛れた関係であったとか、副会長に深夜の個人授業とか。男子学生との逸話ばかりである。もっとも、噂を聞きつけているのは、主に沙織や研究所に出入りしているキャスター准将の孫娘、ミクだったりで、本人は欠片も触れてないのだが。
「ま、まさか間垣先輩。てらりんに気に入られて‥‥、それでっ!?」
 脳内に現れてしまった危険な映像を追い払うように、勢い良く頭を振る沙織。顔色も、悪い。
「ああ、そうじゃねぇよ。数学の教師が休みで、寺田が臨時で来てたんだよ。それがどうかしたか?」
 屈託無く言う間垣の顔を、沙織は再びじーっと覗き込む。
「多分、絵の組み合わせ的に安全だと思うけど‥‥。気をつけてね、間垣先輩」
「お、おう‥‥?」
 いつもよりちょっと熱の入った言葉に、間垣は少し気おされていた。ほっと沙織は、そんな様子に胸をなでおろす。なでおろしてから、ハッと息を飲んだ。
「‥‥って。てらりんが出したって言う事は、さっきの答えじゃ駄目。駄目だわ!」
「え? 何が?」
 きょとんとした間垣と男どもに、沙織が再び補講を行う。主に、乙女の用語で言うところの掛け算について。さっきよりも力強いのは、気のせいでは無さそうだった。
「消しゴムと鉛筆でも、攻め受けが成立するんです。でも、てらりんが納得するような分野と言えばやっぱり‥‥」
 美少年とか美青年に限る、と沙織は更に力説する。そして、『交換法則の実証』とは、その攻め受けが逆になっても萌えるかどうか、という話に違いない、と。
「‥‥えーと、マジ?」
 明らかに疑いの表情を向ける間垣へ、沙織は大きく頷いた。
「レポートに間垣先輩を使って万が一の事があったら恐いから、題材は他の人にしましょう」
 さりげに非道な事を口にして沙織は周囲を見回す。柏木一派はビジュアル面で論外だ。少なくとも、寺田教諭の趣味とは思えない。
「期限は明日まで、でしたね。皆さんにも手伝って貰いましょう」
「て、手伝って貰う、のか?」
 少なくとも、証明の為の題材として名前を借りたりしないといけない。それに、交換してもアリかどうか、も悩みどころだ。
「そうと決まったら急ぎましょう。さぁ、早く早く!」
 困惑する男たちの中で、少女1人がノリノリであった。

●参加者一覧

柚井 ソラ(ga0187
18歳・♂・JG
東野 灯吾(ga4411
25歳・♂・PN
真田 音夢(ga8265
16歳・♀・ER
斑鳩・南雲(gb2816
17歳・♀・HD
直江 夢理(gb3361
14歳・♀・HD
リスト・エルヴァスティ(gb6667
23歳・♂・DF

●リプレイ本文

●集う愛の戦士達
「状況はわかりました。お困りのようですね」
「おお! お前はあの時の包装娘。あの節は世話になったのう」
 柏木に物凄い覚えられ方をしていた真田 音夢(ga8265)が、無表情なまま沙織の後ろに回りこんでメモを覗きみる。‥‥少し背伸びとかしないと無理だったらしい。
「交換法則のレポート‥‥ですか」
「流石の私も補習には浪漫を感じられな‥‥ひくっ!?」
 難しい顔をしていた斑鳩・南雲(gb2816)が口元を押さえた。
「南雲様、大丈夫ですか?」
「あれ? しゃっくりが出ひっく! おおう‥‥」
 結構重症っぽい彼女を、心配げに見あげる直江 夢理(gb3361)。彼女も、補習を受ける身である。
「片腕だけ、思い切り上に伸ばすといいって、父に聞きました」
 横隔膜を伸ばす感じで、とか加奈が自ら実演してみせた。おばあちゃんの知恵袋的意味で、微妙に年寄り臭い。
「算数の宿題と見せ掛けて流石寺田だ。一筋縄じゃいかねぇな‥‥」
 少女達の向い側で、東野 灯吾(ga4411)は腕組みをしたまま頷いている。ちなみに、彼もレポートを提出する側だ。
「だが俺も伊達に地獄は見ちゃいねえ。この勝負‥‥受けて立つぜ!」
「おお! 灯吾の背後に炎が見える」
 どよめく柏木。今更言うまでも無いだろうが、彼も落第生である。
「‥‥微妙」
 そんな男くさい雰囲気の集団を、沙織は一言で切って捨てた。微妙と言うのは、どうやらレポートの題材としてと言う事のようだが。沙織の彼氏である間垣と、柏木、灯吾、夢理、南雲の合わせて5名がレポート作成側である。
「これだけの助力があれば、何も恐く無いな」
「私はむしろ加奈様さえ居れば‥‥」
 能天気に言う間垣だが、夢理には別の意見があるようだった。
「フ、友情パワーって奴じゃな。燃えてきたわい」
「いや、今必要なのは萌える方だ」
 拳を打ち鳴らす柏木を、宥める灯吾。会話だけ聞いていると灯吾が知的キャラに見えるから不思議である。
「こ、こうかな? ひくっ‥‥」
 そんな中、南雲は加奈のアドバイスに従って腕を上に伸ばしていた。

「時間が有りません、間垣先輩。急いで始めないと」
 沙織が慌しく周囲を見回す。
「って言われても何をしたらいいのか‥‥」
「フッ、まぁ俺に任せておけよ」
 途方に暮れたような落第生の中、灯吾1人は自信満々だった。何を隠そう、彼には姉が居る。それも、やや今回のお題方面へ偏向した趣味の持ち主だとか。その姉仕込みの知識を、彼は思う存分披露するつもりだった。
「お、いいカモがいるじゃん」
 ニヤッと笑った彼の視線を辿り、沙織が目を細める。イリーナと共に席に着くリスト・エルヴァスティ(gb6667)を素材に選んだ事への賞賛。
「‥‥なかなか、やりますね」
「まぁな」
 認め合ったライバル同士のような、短い会話だ。
「どういう勝負なんだよ‥‥」
「ワ、ワシらにも判るように頼む」
 置いていかれた彼氏と親友は、泣きかけていた。

●リストとイリーナの場合:正史
「‥‥何だろう、あの集団は」
 自分達に向けられる妙な視線に気づいたのは、幾度目かに席を立った時。学生達の様だが、何か迷惑でもかけただろうか。
「早く終わらせて帰ろう?」
 退屈そうにそう言ったのは、妹のイリーナだ。妹と言っても、血の繋がりは無い。KV関連の資料調べがしたいと言ったら、久しぶりの休日に彼女が案内してくれたのがこの図書館だった。確かに、資料は充実している。
「そうだな。向こうが何をしてても、俺には関係ないしな」
 そう頷いて、目の前の書物へ注意を向け直した。すぐに、雑音は消えていく。

「‥‥あの2人がどうかしたのか?」
「違う。これからどうにかするんだ」
 自信満々に言う灯吾。

●イリーナ視点の場合by灯吾
 私の声は、冷たく聞こえる。小さい頃から少し嫌いで、だからあまり沢山喋らないまま、大人になった。
「早く終わらせて帰ろう」
 短い言葉の意味、お兄ちゃんは気づいてくれたかな。私の心の声。本、借りて帰れば家でも読めるんだよ。
「しょうがない」
 ため息つきながらでも、立ち上がってくれる。やっぱり聞こえてるのかも。
 ‥‥お兄ちゃん、大好き☆ でも似合わないから、口には出せない。
「早く帰って、動物の出てくるお気に入りのテレビ番組を見たいんだろう?」
 うん、それもあるんだけど。
「そうね。でも一人じゃ詰まらないから」
 一番大事なのは、誰と見るかなんだよ。
「‥‥久しぶりに、一緒に見る? 私の部屋で」
 小さかった頃は、私が寝るまで一緒にベッドでテレビを見てくれてた。
 あの頃は、それが普通だったのに、いつ頃から駄目になったんだったかな。
「ば、馬鹿を言うな」
 慌てたようなお兄ちゃんの顔、意識してくれてるんだとわかって嬉しいけれど。
 でもやっぱり寂しい。寂しいよ、お兄ちゃん。
「俺達は‥‥」
 そう、血が繋がって無い。妹っていうわけじゃなくって、女の子なんだよ。
 それを思い出してくれただけで、今日はいいや。許してあげる。
「冗談。早く貸し出し手続きしたてきら。日が暮れるから」
 照れくさいから、突き放してみた。ちょっと、可哀想だったかな。

 そうだ。入り口で待ってて驚かしちゃおう。突然、腕にきゅっと抱きついてみるの。
 さっきより、もっと慌てるかな。
 ――うふふ。

「‥‥っていう感じだと思うぞ」
「お、おおぅ‥‥ひくっ」
 感心したように呟いてから、慌てて腕を上げなおす南雲。一応彼女にも兄が居るが、余りに異質すぎて対岸の火事にしか聞こえなかったようだ。
「そして逆バージョンだが、こうだ」

●リスト視点の場合by灯吾
 見え透いている。何年、一緒に暮らしていると思っているんだ。心の中で、ため息を1つ。
「いつまでも子供じゃないんだぞ、イリーナ。いい加減に、しなさい」
 本人に聞こえないところで、そう呟いてみた。自分に向けられている目が兄へのものならば。
 ‥‥大丈夫。自分はまだ耐えられる。だが、それが女としての男への物だったら。
(久しぶりに、一緒に寝ながら見る?)
 そんなからかいに、正直に反応する自分に腹が立つ。
 無邪気な駆け引きは、引っかかってみせるまで続くのだろうか。
 ――もしも獣のように振舞えば、普段クールな彼女はどんな表情を見せる?
「度し難いな」
 妹にそんな思いを抱く自分に、苦笑が漏れた。気を静めるために、手洗いへ立ち寄る。
 これから、どれだけこんな時間を繰り返すのだろう。自分は、どれだけこの想いを押し殺せるだろう。
 手洗いの鏡に映る自分を、じっと見つめる。まだ、目を逸らさずにいれた事が、嬉しかった。

 どうやら少し待たせすぎたらしい。
「‥‥眠っているのか」
 机に上半身を預けた妹に、心が少し落ち着いた。
「しょうがない、な」
 そっと上着をかけてから、向かいの席に座りなおす。借りてきた本を前に、寝顔を少し眺めてみた。
 初めて会ったあの頃と変わらない白い肌。眠っている間に、姿勢を時々変えるのも、子供の頃と同じ。
 変わった部分は、今は上着で見えない色々な部分と。それ以外にも、もう1つ。
「‥‥お兄ちゃん‥‥」
 寝言でしか、そう呼んでくれなくなった事、か。
「いつまでも、お兄ちゃんで構わなかったんだがな‥‥」
 だが、もしもそうだったら逆に歯止めが利かなくなっていたかもしれないが。

●前提条件は必要です
「‥‥楽しいお話ですが、レポートとしては大事な事を忘れていますね」
 ふっ、と眼線を逸らして笑う沙織。
「しまった。兄妹のシチュに酔って、逆転とか考えてなかった!?」
「確かに寺田教諭を納得させるのならば、このレポートでは‥‥。交換法則の定義は演算の可換、つまり『結果が同じ』にならなければいけません」
 灯吾の不備を音夢が淡々と指摘した。要するに、この手段では実証はできないと言う持論なのだろう。
「リバ前提のカプなら多少の可能性こそありますが、逆転すると、萌えの方向性、性質そのものを変えてしまいます」
 例えば、典型的な総受けキャラが攻めになった場合では、同等の結果が得られないのではないか、と。それはそれで1つの見識ではある。だが、沙織には別の意見があるようだった。
「出来るか出来ないかを検証するのが証明問題ですから。証明できない、という結果もありだとは思いますよ」
 こんなところだけ、真面目に数学的な話をする優等生。
「それより、何を持って等価と言うのですか? 私は、普遍的な萌えの数値を数量化するには、売り上げを見るのが早いと思うのですが‥‥」
 どこで売るつもりなのか。
「えーと、根本的に何が起きてるのか判んないんだけど」
 悲しい表情で呟く間垣の横に、音夢はとことこと近づく。
「間垣さんの学年なら‥‥。せめて、行列、数ベクトルの加算‥‥」
 どうやら、無駄に終わると見切ったレポートの代わりに、真面目な物を作ろうと思ったようだ。
「す、すまん。日本語で頼む」
 柏木は、2秒で脱落した。そんな、ある意味正しい数学レポートの話を始める一角の横で。
「よし、判った気がするよ。つまりこんな感じで‥‥」
 しゃっくりが収まってきた南雲が浪漫的妄想を開始する。


●喧嘩から生まれた拳と拳の熱き友情!by南雲
 もう駄目だ。こんな壁は、越えられるわけが無い。視界が、押し潰されるように暗い。
 くそ、俺はここまでだったのか‥‥。
「へっ、水臭いのう。レポート程度、わしが手伝ってやる」
 さっと、頭上が開けたような気がした。見上げれば、青空を背景に角ばった笑顔が俺を見下ろしている。
「柏木さん‥‥」
<って、これだけじゃ寂しいから>
 ン、なんだ今のモノローグ!?
「ま、間垣先輩は私の‥‥」
「おわ!? なんで沙織がここに!?」
 慌てて飛び起きたところで、視界が揺れた。足が、滑っ‥‥。
「ワシが連れて来たんじゃ。心配そうにしとったけぇのう」
 ガシリ、と脇を柏木さんが支えてくれた。何だろう、この安心する感じ。
「あ、ありがとッ。柏木さん」
「おう。あまり心配かけるなや。‥‥彼女に、の」
 知ってたけど、やっぱり‥‥。力、強いのな。
「‥‥こういう光景も何かイイかも‥‥」
「えと、もう一人で立てますから」
 沙織の視線が少し恐くて、慌てて柏木さんから離れてみた。
<もう少し、賑やかな方が楽しいよね!>
 ま、また変な声がしなかったか? って。
「あれ? 私接点無いよね? あれ?」
 沙織の友達の、本田さんが、なんかきょとんとしてる。
「うむ。青春だね」
 って何で理事が!? もうわけわかんねぇぞ!

「‥‥って感じで。最後はうやむやにするのも浪漫‥‥ひっく!?」
 力を入れすぎたのか、南雲のしゃっくりが再発したようだ。

●再び、正常なる日々
「今説明したとおり、で解けるはずですから。この問題をやってみて下さいね」
「え、あ、はい」
 一方、現実の間垣と柏木は、音夢の個人講習で大変な事になりつつあった。
「教諭自身は少々変わっている方ですが、あくまでも一般教科の臨時。あまり変なレポートは受け付けないと思います」
 だから、ちゃんとしたレポートをと言う音夢。しかし、一日で速習できる位ならば、そもそも補習を受ける側にならない。
「ぐわあ、わからんー!」
「あれ? 柏木さん。それに、本田さんや間垣さん達も。お揃いで勉強会、ですか?」
 迷惑な大声を上げる一角へと、通りがかった柚井 ソラ(ga0187)が、大きな瞳を向けてくる。
「時期が時期だから、ね」
 学生ならば、忙しいはずだ、と真彼は微笑した。彼自身、ソラに請われて勉強を教えに来た身だ。
「お久しぶりです。ええと、こちらはマグロの件でお世話になった国谷さん」
「あ、あの時の‥‥。間垣先輩から、お話伺ってます」
 そんな感じで、紹介とかしたりしつつ。
「先ほどの課題は、進んでいますか?」
 音夢に指摘されて机に戻る間垣の背中は、すすけていた。
「補習のレポート、ですか‥‥」
 大勢で楽しそうだな、と少し惹かれてはみるも、ソラとは課題科目が違う。それに、真彼に勉強を見てもらう機会など、滅多に無いし。
「俺も今勉強中で、お手伝いはできないですけど‥‥頑張ってくださいねっ」
 微笑んで、ソラは友達の輪に背を向けた。
「良かったのかな?」
「ええ。せっかく国谷さんに来てもらったんですもん」
 満面の笑みを浮かべる少年に、青年は微笑を返してから窓際の席へと。

「わかんねーなぁ。うー、沙織、ここ教えてくれよ」
 音夢の課題に頭を抱えた間垣のヘルプ要請は、相手の耳に届いていなかった。
「‥‥使える。あの2人は使えるわ」
「えーと、沙織、さん?」
 普段と違う彼女の様子に、間垣は恐る恐る声を掛ける。振り向いた沙織が、間垣の両肩を掴んだ。
「‥‥っ!?」
 正面から、自分を見つめてくる幼馴染にドキドキする少年。しかし、少女の心は、彼と同じ方向を向いては‥‥居なかった。
「こういう感じで行けば、てらりんも納得すると思うの」

●国谷とソラのイケない個人授業by沙織
「うー‥‥わかんない、です」
 細い眉を寄せる少年に、僕は手を貸さない。彼ならば、すぐに自分で道を見つけると判っているから。‥‥これは信頼だ。
「そうだね。もしも解けたなら御褒美を上げようか。何でも、好きな物をね」
 微笑しつつ、少年を見つめる。頬を朱に染めた少年に、今まで眠らせていた蛇が蠢くのを感じた。
「国谷さん、できましたっ」
 微笑んで頭を撫でると、少しむくれた表情を返してくる。
「それだけ‥‥、ですか?」
 薄っぺらいガラス一枚隔てたその景色は、僕の中の蛇を勢いづかせた。けれども、気取られてはいけない。
 目の前の可愛い小鳥には、今はまだ。
「では、これでどうだい?」
 上体を寄せて、額に軽く唇を寄せる。軽く、そしてすぐに離れた。痕を付けるのは身体ではなく、心でいい。
 物足りなさに疼く位の、浅い痕を。
「よーし。次の問題だって頑張っちゃいますっ」
 素直な少年に頷いてから、手にした本へ目を向ける。さっきから、内容など頭に入ってはいない。
 少年にさほど興味が無いというジェスチャーだ。だから、少年は思ってもいないだろう。
 ガラス一枚向こうの僕が、冷たい血を滾らせた蛇だとは。
「できました!」
 満面の笑みを浮かべて、1つの問題ごとに囀る小鳥。餌をやる親鳥のように、僕は唇を落としていく。
 額に、頬に、次は唇を避けて首筋に。
「‥‥むぅ」
 拗ねる表情が可愛らしくて、その次の課題の時は唇へ御褒美をあげた。
 それが、最後の問題だと知っていたから。帰り支度を始める僕に、か細い呼び声がかかる。
「俺、頑張りました‥‥。だから、もっとご褒美‥‥欲しいです」
 熱を帯びた瞳で、僕を見るソラ。
 ――いいぞ。きみの支配者は僕だ。その思い込みは、あっけなく崩れた。
 焦らそうと思ったのに、手がとまらない。
「‥‥駄目、じゃないです‥‥か?」
 主導権を握っていたのは僕の中の蛇だった。上目遣いのソラから視線を外さず、僕はゆっくりと眼鏡を外す。
「いいですよ。では‥‥」
 肩にそっと手を置いた。僕の中に何かを見たのか、少年の目が微かに揺れる。でも、もう手遅れだ。
「お望みどおり、今すぐにご褒美をあげましょう」
 置いた手に力を込めると、細い膝は簡単に折れる。図書館の一角。机が衝立代わりになっているけれど、横からは丸見えで。
 羞恥に頬を染めて声を殺す小鳥を、僕は自分の色に汚す。

「こんな感じ、かしら」
 沙織の問いかけに、男性諸氏の返答は無かった。
「‥‥やべぇ、今なんか自分が汚れた気がした」
 仲睦まじく何やら言葉を交わす現実の二人を見て、間垣が呟く。
「同じシチュエーションで、今度は逆よね」

●ソラと真彼の教師プレイby沙織
「国谷さんって何でも知ってるんですねっ」
 今日は、真彼が先生で俺が生徒の役回りだ。
 言い出したのは俺だけど、所有物にさんづけするのは、むかつくな。
「‥‥いや、そんな事は無いよ」
 へぇ、否定するんだ。今日は反抗的だね。目を細めるだけで、俺は何も言わない。真彼の頬が微かに震えた。
 図書館の中にこれだけ大勢の人がいるけれど、多分気づくのは俺だけの些細な変化。
「判らない事があったら、聞いてくれて構わないからね」
 耐え切れなくなったらしい。可愛い奴。俺は、凄く楽しくってこらえきれずに微笑んだ。
「んと‥‥訊いてもいいです?」
 かくり、と首をかしげて。上目遣いに真彼の顔を見る。
「キスって、どうやるんですか? 大人の、キス」
「ぇ。あ‥‥」
 喉仏が妙な感じに動くのが見えた。逃げそうな気配を感じて、目に力を込める。視線を、放すのは許さない。
 俺だけを見てればいいんだ。
「何でも教えてくださるんじゃ‥‥ないんですか?」
 目を細めて、右手を伸ばす。頬を優しくなでおろして、顎をつ、と指先で上げた。
「い、今は数学の‥‥」
 まだ、先生のつもりなんだ。のけぞるような姿勢のまま、下ろした目線で訴えてくる癖に。
 早く、許して欲しい、って。
「ふふっ‥‥」
 もう一度微笑んで、手を下ろした。気を緩めた瞬間に、ネクタイを掴む。そのまま、引き下ろした。
「‥‥うぁっ」
「ね? 真彼さん‥‥」
 俺は、肘を突いたまま。手首をかえして、俺は真彼を手前に引き寄せた。
「んむっ‥‥」
 口付けの間も、目を閉じるのは許さない。左手で、襟元を抑えてタイを引き抜いた。肩で息をする真彼に、甘えるように手を伸ばす。
「僕に‥‥何ができるというんだい」
 潤んだ目で、真彼は机についていた両手を揃えた。俺はその手首に、引き抜いたタイを巻いていく。
「もっと‥‥いろいろ、教えてください」
 一巻きごとに、笑みを深くしながら。

●妄想はとめどなく
「‥‥っくしゅん!?」
「大丈夫かい、柚‥‥っしゅん。失礼」
 ソラと真彼は、お互いの顔を見合わせて苦笑した。
「誰かが噂、してるのかもですよ?」
 知り合いの名を数えようとした指が、一人目で止まる。そっと見上げた視線の先で。
「ふふ、風邪かな? 傭兵は身体が資本だ。気をつけなきゃね」
 青年は、少年の心の動きには気づかずに、そんな事を言っていた。
「どうかしら、これで単位は頂けると思います」
 自信満々に言う沙織に、灯吾が立てた人差し指を振って見せる。
「チチチ‥‥。それじゃあ、まだ妄想の粋を極めたとは言えないぜ」
「これ以上、どんな余地があるというんですか」
 対抗意識を刺激されたっぽい沙織が、灯吾へと向き直った。青年は余裕たっぷりの表情で、ソラ達と反対側の書棚付近にいる2人を指差す。

「‥‥ほらよ、これだろ?」
「あ、はい。‥‥ありがとうございます」
 以前よりも明るい表情で、礼を言うようになった黒髪の少年から、金髪の青年が眩しげに目を逸らす。
「本、取った位でそんな顔するなって‥‥」

「むう。あのイケメンには覚えがある。が、一緒におるのは、誰じゃ?」
 柏木が腕組みした。
「確かに、今の会話だけで何杯かいけそうですが‥‥」
 完成されていて妄想の余地が無い、とか初見で見切りだす沙織。それを聞いた灯吾は、勝ち誇った笑みを向けた。
「舞台は欧州、時代は昔。暗い森の中の古い城‥‥」
「‥‥っ!」
 沙織が、落雷に打たれたような表情を見せる。
「舞台からフルスクラッチとは‥‥、やはり、貴方が私の好敵手ですか」
 良く判らん方向で竜虎相打つテーブルの反対側では、間垣が音夢に優しくきっちりと絞り上げられていた。

●騎士と王子の物語by灯吾
 不意に、森が開けた。
「‥‥っ」
 差し込む陽光に耐えかねて、片手を庇にする。これじゃあ、まるで俺が吸血鬼だ。
「冗談じゃ、ないっつの」
 血だけが目当てでカノンを捕えた変態爺と一緒にされるのは、心外だ。
 ようやく光に慣れ始めた目を、上へ。くそ、ヘヴィな太陽だ。
「アス‥‥?」
 声が、降ってくる。視界が、不意にクリアになった。音が降りてくる瞬間。いや、それとも違う。
 ――確かに、世界の何かが繋がった感覚。
 塔のバルコニー。逆光のシルエット。言葉にするのももどかしい。アイツがそこにいる。陽光の中に。
「‥‥頼れって、言ったろ?」
 まだ吸われてなかった。安堵が胸の中を降りていく。奴のモノになってなかった。胸よりもっと下へ降りていく。
「すぐ‥‥助けるッ」
 古びた壁は、手入れもされちゃいない。蔦と、剥げた漆喰を足場にすれば、この程度。
 この程度の隔たりは、もう俺を止められない。この身に流れる血に賭けて、欲しい物はこの手で掴み取る。
「どうして‥‥、ここへ」
「言っただろ? どこへでも、助けに行く、‥‥ってな」
 バルコニーへかけた俺の手を、カノンの細い手が掴んだ。記憶していたより細い手は、思っていたよりも力強く。
「無茶‥‥しましたね」
 その白い指が、俺の肘と肩を伝った。首筋から、胸元へ。‥‥もどかしく、撫でる様に触れる。
「こんなに、傷が」
 悲しげな囁きに、旅の間に受けた胸の十字傷と、違う場所が疼いた。
「‥‥お前の為なら、命も世界もくれてやる」
 まだ日は高い。奴は動けない時間。俺の、俺達の時間だ。
「その瞳も唇も‥‥髪の1本迄、全部、欲しい」
「僕は‥‥」
 揺れる黒い瞳が、ゆっくりと閉じられた。

●吸血鬼伝説by灯吾
 後悔は、しない主義だ。だから、昼のあの一時を、無駄だとは思わない。
「‥‥僕から、離れ‥‥っ」
 夜。あの城から数里ほど離れた、誰のものとも知れぬ小屋で。瞳を赤く転じたカノンの変貌を、俺は見ているしか出来なかった。
「苦しい‥‥、のか」
 クソ爺。クソ爺。奴がカノンに刻んだ呪い。どうして気づかなかったのか。奴がつけた、Dの意味に。
「‥‥アス‥‥お願い‥‥です」
「何」
 天地が、入れ替わった。伸ばした片腕が、俺を引きずり倒したのだと、理解。上になったのは、アイツ。
「お前が望むなら‥‥好きに、していいぜ」
「アスが欲しい。でも‥‥」
 抵抗してください、と囁き声。唇の間に見える、白い牙が唾液の尾を引いている。
 本能が、嫌悪感を生んだ。違う、恐怖だ。喰らわれる、恐怖。そしてほんの少しの甘さと。
「‥‥っ。無理すんな。耐え切れないんだろ?」
「でも」
 生臭い、そして芳しい息が俺に掛かった。耐え切れない。浅ましい。でも、欲しい。
「‥‥あんま、焦らすな」
「‥‥でも」
 抵抗してくれた方が、楽しい。
 そう愉悦を込めて告げたアイツが、俺の肌に爪を立てた。強く。血が出るほど。

●現実だって、大事だよね
「‥‥そして騎士は滅茶苦茶にされたかった心の底の欲求を、黒髪の吸血鬼に弄ばれて、だ」
 灯吾の語りが熱を帯びる。悔しそうに聞いていた沙織が、不意に目を丸くした。
「う、うしろ‥‥」
 振り向くより早く、灯吾の頭上に肘が乗った。
「なーんの話、してんのかなぁ〜?」
 イイ笑顔のアスが、こめかみに青筋を浮かして見下ろしている。そのまま、つむじに体重をかけた。
「あ、痛い痛い痛い‥‥ッ」
 ぐりぐりぐり、自業自得である。

「‥‥の組をアーベル群、すなわち、定義される乗法が可換な‥‥」
 一方、音夢の説明は、優しげだがどんどんと深みに進んでいた。優等生は勉強を教えるのには不向きだ、という言葉の実例だ。
「むっ、人が忙しい間に、間垣先輩! 音夢さんと何、してるんです?」
 そんな犠牲者を、沙織が睨む。気がつくと、小柄な少女と間垣の距離は、手の平の幅ほどになっていた。
「え、ぅわっ!?」
 それに気づいた途端、間垣は椅子ごと後ずさろうとして、転ぶ。
「デレデレするからです‥‥」
 等と言いながらも、すぐに助け起こしに来る沙織に、音夢はじっと目を据えた。
「沙織さんは間垣さんの何ですか‥‥? ただの後輩ですか? それとも‥‥」
「って、何だよ。その言い方」
 苦情を口にしたのは、間垣の方だ。
「沙織は俺の、ただの後輩とかじゃなくって、‥‥そのぉ、だな」
「え、何‥‥ですか。急に」
 間垣と沙織がまごまごしだすのを見て、音夢は始めて微笑した。

 一方。
「むむむ、妄想‥‥ひっく」
 南雲の脳裏に、豪奢なマント姿の青年が浮かぶ。しかも、2人。片方は黄金の仮面をつけているだけで、瓜二つだ。
「ほう、君が噂の」
「こちらも、貴方のお噂はかねがね」
 そんな感じに、長身を折って挨拶をして。
「君とは気が合いそうだ」
「奇遇ですな。同感です」
(なーんちゃってなんちゃって! 無敵のタッグ! は、伯爵さんとゴールドさんが別々だったら、わ、私はどっちの騎士になれば!?)
 バタバタと手を振って慌てていた南雲が、不意に動きを止めた。
「そういえば、妄想される側って、どんな感じだろう。‥‥解せぬ」
 しゃっくりの合間に呟いた一言。
「‥‥南雲さんも何か変な想像とかしてませんでした? この間」
「はっ、まさかあの時の‥‥?」
 加奈の言葉を聞いて、夢理が頬を染めた。
「ん、んん? いつの??」
 首を傾げる南雲に微笑しつつ、加奈は喋り始める。

●ある日の、秘め事
 私、図書委員してるんです。延滞されてる方を纏めてたら、夢理ちゃんの名前があって。借りてた本が、確か‥‥。図解女の子の体――、とかそんな感じでした。
「‥‥まだ、片付けしてるのかな」
 体育委員の夢理ちゃんは、放課後に体育倉庫にいる‥‥って聞いて、回収しに行ったんですけれど。
「あっ御免なさい加奈様‥‥」
「ううん。まだ読んでるなら‥‥っていうか、使ってるなら。延長手続きも出来るから、ね」
 火照った顔の夢理ちゃんは、レオタード姿だったの。忙しそうだから、何か手伝おうかなって言ったんです。
「この本に一人じゃ出来ない所があって‥‥。この部分をどうしても実践したくて――」
 そんな風に言われたら、友達だし、断れない、から。
「終わったら返却致しますので、お相手‥‥して下さいますか?」

「んん? 何だか、覚えのある話のよう、な‥‥?」
 傾けすぎた南雲の首が、結構危険な角度になりつつあった。
「ああ、そういえば」
 ポン、と手を打つ。

●南雲さんの証言
 あの日の私は、確か加奈ちゃんに、用事があったんです。で、あとを追いかけてたら。
「あっ――夢理ちゃんの体、柔らかい‥‥」
「私、いつも一人でしてましたから――もっと、強くして下さいっ」
 おお? 何だか、課外授業とか浪漫な言葉が私に聞き耳を立てろと命じたり命じなかったり。
「ずっと加奈様にして貰えたらいいなって思ってたんです」
 夢理ちゃんの声だ。それと、薄い壁越しに、ぎしっ、ぎしっとか何か軋む音がしてるのが聞こえる。
 あと、ちょっとはぁはぁって荒い息だね。‥‥運動してるのかな? むぅ、謎だ。
「やっぱり‥‥一人でするより、ずっといいです」
 何してるんだろう。楽しい事なら混ぜてもらおうかな‥‥、とか思いつつ。
「今度は加奈様の番ですね」
 ホントに何してるんだろう。上の方に窓があるけど、私の身長だとちょっと‥‥。おお、都合がいい事にあそこに台が!
 ごそごそ‥‥。二つくらい重ねたら、何とか‥‥届‥‥きそう、かな?
「いきますっ――」
「夢理ちゃん、痛いっ!」
 ってちょっと何事‥‥ったっと、台が崩れ、て‥‥おお! なんとお!?
「あっ、御免なさい! 初めてですか?」
「‥‥ん。痛い、の‥‥」
 私もいたい。
「力を抜いて‥‥私に任せて下さいね」
「ぁ。‥‥うん」
 ううう‥‥。匍匐前進で、入り口近くまで何とか。ずりずり、と。
「だいぶほぐれて来ましたね、でももっと加奈様のお体を、とろとろの様にして差し上げますから――」
「あ、南雲さん? あ、あいたたたったた」
 顔をあげた加奈ちゃんが痛そうにするのを見て。
「うひゃっ!? ごごご、ごめんなさい。お邪魔しましたっ」
 ‥‥思わず逃げ出しちゃったのでした。ちゃんちゃん♪

●そろそろ書かないと
「‥‥で、あれは何をしてたの? ごうもん?」
「ち、違います。ストレッチ、です」
 ようやく思い出したが、あらぬ誤解をしている南雲に、夢理がブンブンと首を振る。吹き出しかけつつ、加奈がフォローを入れた。
「健康にいいんですよ。でも、本に書いてあるポーズ、押さえる役がいないと難しいんです」
 あまり運動しなかったから、身体が固いので‥‥、とため息をつく。
「私の次で良ければ、貸し出し予約を入れておきましょうか?」
「うー。じゃあ、ちょっと読んでみるよ」
 新たなチャレンジも、浪漫だね! と、意気揚々と立ち上がった南雲だが。
「あ、あれ? レポート進んでない‥‥」
 当然である。図書館の閉館5分前を告げる、寂しげな音楽が流れてきたのはその時だった。慌てて周囲を見回すが、目に入ったのは修正される灯吾とか、桃色風味の間垣達とか、そんなものばかり。
「こりゃ、駄目かもしれんのう‥‥」
 音夢の善意はともかく、小学生の問題をレポートに出されるようなレベルの落第生にとっては、彼女の提示した課題はエベレストより高かった。
「あ、諦めたらそこでおしまいだって、偉い人が言ってた! えーと、そうだ!」
 南雲がぐっと拳を握る。何となく、目がぐるぐる模様になっている気もした。
「‥‥つまり、項目を入れ替えてもカオスである。以上、証明終わり!」
 どどーん、と胸を張る南雲。
「おお、何だか知らんが終わったんじゃな?」
「終わったー!」
 多分、終わったのは君達の単位だ。

●翌日・提出期限
 寺田教諭は、提出されたレポートをいつもの表情で最後まで読み終えた。
「大学のレポートならばありふれた手口だが、‥‥まぁ、君たちの努力は認めよう」
 唇の端を歪め、寺田は眼鏡のブリッジに中指を軽く触れさせる。
「そ、それじゃあ」
 ぱあっと表情を明るくさせる間垣達を楽しげに見つめてから。
「本来なら不可にする所だが、再提出の機会をあげよう。次は勘違いの余地が無いように学年相応の問題をな」
「え、えええ!?」
 手を取り合い、踊り出しかけていた柏木や灯吾辺りが固まる。‥‥そしてその日の放課後も、図書室では額を寄せ合う落第生と熱心な臨時講師達の姿が見かけられたとか。

「‥‥このレポート、売れそうな気がするんですよね‥‥」
 その前よりも、少しだけ間垣と意識しあうようになった沙織が、そんな不穏な事を呟いていたのは、また別の話。