タイトル:さよなら、兵の右腕マスター:錦西

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 12 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/12/21 07:24

●オープニング本文


 そろそろ私の人生を返してもらっても良い頃だ。
 誰の言葉だったのか、ミラベルは覚えていない。
 けれども、耳に付いたその言葉だけが、脳裏を何度もよぎる。
 選ぶべきは何か。今一度考えるべきなのだろう。



 一之瀬・遥(gz0338)大尉は手の中の銀の指輪を繁々と眺めていた。
 内側に彫られた文字には見覚えがある。
 確か‥‥。
「ヘミングウェイだね」
 一之瀬がその名を記憶から掘り起こす前に指輪の持ち主、ミラベル・キングスレー(gz0366)は言った。
 笑いの中に困ったようなニュアンスが見て取れる。
 一之瀬はそっとその右手に指輪を返した。
「こいつを送った男は、この言葉の意味を知っているのか?」
「知らない、って言うと思う。でも、知った上でわざとやってる気がするかな」
 あの人はそういう人だし。
 諦めを含んだ言葉には眩しさをこらえるような響きもある。
 ミラベルは指輪を右手の人差し指に嵌める。
 それが今の限界。
「難儀なやつだな」
「仕方ないよ。私が好きな人って皆そうだもの」
 笑うミラベルには今度こそ憂いの匂いはなかった。
 冬に近い空の中で、温かみを感じさせる笑顔だった。
 

 一之瀬とミラベルが再会したのは、冬に差し掛かったラストホープ。
 UPC特殊作戦軍のとある事務所の前のことだった。
 2人がここを訪れた目的は小異はあれどほぼ同じ。
 戦後能力者に与えられた選択肢の一つ、エミタ除去に関わることだった。
 一之瀬は手に持った書類を既に事務所に提出し身軽になっている。
 書類は彼女自身のものではない。
 退役し一般人に戻ると決めた彼女の管轄の者達の分である。
 戦争の最中、適性があるという理由で多くの人が能力者としての戦争に駆り立てられた。
 戦時中は周囲がそれを強制する空気もあり、握ったことの無い銃を手に、多くの若者が戦場に向かった。
 ミラベルも同じである。それが軍であったか傭兵であったか、立場の違いしかない。
 ミラベルの鞄には今日受け取ったばかりの申請書類が一式。
 記入の手本に従い必要事項を記入するだけで手術を受けることが出来る。
 しかし‥‥。
「貰ったはいいけど、どうしようかって思っちゃってね‥‥」
 ミラベルはそっと懐に触れた。
 服の上からもわかる拳銃の固い感触に、言いようの無い安堵を覚える。
「染み付いたものは捨てられない、か?」
「うん‥‥。一度味を占めるとね」
 捨てられない。力は麻薬だ。
 それに、武器と同じにするには愛着が強すぎる。
「エミタにも意思があって、ずっと助けてくれてたんだと思うと‥‥それもあるかな」
 青春を奪ったのは戦争だったけれども、最中に青春を思い出す余裕を作ってくれたのは他ならぬエミタの力だった。
 ラストホープの賑わいはエミタの見せた輝きだったのだと、今ならよくわかる気がした。
「いつだったか、夜景を見に行ったのよ、この街の。そしたら何だか、涙が出ちゃってね」
 一緒に行ったタバコの似合う彼女には内緒の話。
 気づかれたかもしれないけど、黙ってる程度には雰囲気も読んでくれたのだと思うことにしてる。
 あのときの情景は、この島に最初に来た時に感じた眩しさを鮮明にしてくれた。
 遠い憧れの街が広がっていた。都市ひとつ分の小さな島でも、その明かりが導いてくれていた。
 だからこそ軍を辞めてから、この街にずっと居続けているのだと思う。
 友人もたくさん出来た。その分だけ恋愛に波乱が多かったのはご愛嬌といったところ。
 赤毛の彼とも友人としてならもっと良い関係だったのではないかと思わなくもないけども、
 それは女性としての弱さばかり出していた自分が悪いのだろう。
 ミラベルが遠い景色を見ているのを、一之瀬は嬉しそうに眺めていた。
 偽り無くそんな時代が来たのだと。
「それはいいが、エミタのことはしっかり考えたほうがいい。気持ちはわかるがな」
 武器を持ち続ければ武器は戦いを呼ぶ。
 バグアの脅威は薄れたとは言え、完全に除去されたわけではない。
 力を持つ者には相応の役割が求められるのだ。
 真に平和を望むなら、エミタ除去は非常に大きな意味がある。
「‥‥とはいえ迷ってる人間はお前だけでは無さそうだな。無理もない話か」
「それもそうね」
 2人は苦笑して事務所の前を見る。
 特に何のためらいもなく書類を出して帰る者も多いが、
 一般人に戻るか否か、書類を眺めながら考え込む者も少なくなかった。
 冬支度の色が濃い景色の中、遠い春に絶望する者は居ない。
 必ず来る春を知っているからだ。
 ミラベルは立ち上がり、冬の空気を吸い込みながら大きく伸びをする。
 空は晴れ渡り、雲ひとつなかった。
 

●参加者一覧

/ 鷹代 由稀(ga1601) / UNKNOWN(ga4276) / ハンナ・ルーベンス(ga5138) / 秋月 祐介(ga6378) / ブレイズ・S・イーグル(ga7498) / 紫藤 文(ga9763) / 遠倉 雨音(gb0338) / キア・ブロッサム(gb1240) / 番場論子(gb4628) / ラナ・ヴェクサー(gc1748) / クラフト・J・アルビス(gc7360) / マキナ・ベルヴェルク(gc8468

●リプレイ本文

 良き門出と思う者にとって、暖かな日差しは何よりの日和であった。
 しかしその場に集まる者全てにとってそうであるとは限らない。
(悩ましいのは誰しも同じということですね)
 秋月 祐介(ga6378)は心中独りごちる。
 彼が見渡しただけでも悩みの種はさまざまだ。
 戦争が終わった事は、それまでの生きる意味の喪失でもある。
 戦争の後こそが目的であったものはそれでも良い。
 だが、戦争で目の前の事から逃避していた者達は?
 事務所の人の流れを見つめる目は、乱反射する虹の光のようにも似て千差万別だった。
(それでこそ、来た甲斐があるというものですが)
「秋月も外すかどうか悩んでんの?」
 長椅子に座っていたクラフト・J・アルビス(gc7360)が見上げてくる。
「ええ、まあ」
 今日はそういうポーズをとっているだけだ。
 本当の目的は戦後の動きを予測するためのフィールドワーク。
 その点で、わかりやすく悩むクラフトに早々に出会う事ができたのは僥倖だった。
「傭兵続けるかどうか、かー‥‥」
 クラフトは天を仰ぐ。この姿勢は今日で何度目か。
 先程まで秋月は彼の悩みを聞いていた。
 彼の今の目的は村の復興。なので当然資金が必要である。
 しかし結婚を間際に控えているため危険の伴う仕事で伴侶に心配をかけたくない。
 細かい理由も無いではないが、おおよそこの2点が秤の上にある。
「ちょっと気分転換に歩いてきたらどうです? 意外と答えが見つかるかもしれないですよ」
 彼の答えは既に決している。
 秋月はそう見ていた。必要なのはそれを納得する時間だろう。
「そうする」
 クラフトは素直に椅子を立ち上がり、隣接する公園に歩いていった。
 戻ってくる頃には答えを見つけているだろう。
 若いゆえに一途な彼を、心配する必要は無い。
「自分も行きましょうか」
 秋月は人差し指と中指で眼鏡の位置を整えると、クラフトとは反対方向に歩き出した。
 彼以外にも、見るべきサンプルは大勢居るのだ。



 そこにかの人物が現れたのは、当然の成り行きとも思えた。
 ロイヤルブラックのフロックコート、兎皮の黒帽子、コードバンの黒皮靴と共皮の革手袋
 若者が多い街ではこの古風とも言える着こなしをする者は珍しかった。
 UNKNOWN(ga4276)はいつものように現れ、いつものように話を聞いていた。
「‥‥ちゃんと聞いてる?」
「いや、全然」
 ミラベルは真面目に今の近況を話したが、
 UNKNOWNの相槌は珍しく適当だった。
 それも正しくないほうの適当である。
「もう、聞く気ないなら聞かないで良いじゃない」
「それでは聞く必要があるかどうかがわからないじゃないか」
 真面目は真面目なのかもしれないが、少々呆れられているようでもあった。
「ミラベル、そういう悩みは大事なことではない。
 ただ動いているだけでは行動とは言えないからね
 これをやりに自分は生まれてきた、と思えることだけを考えていればいい」
 UNKNOWNは片目を軽く瞑り僅かに微笑んでみせる。
 ただ、ミラベルはそう素直にその笑顔を受け取れなかった。
「そういうの難しいよ」
「そうか」
 じきにそれがわかればいい。
 UNKNOWNはそこで話題を終えた。代わりに‥‥。
「ところでだがミラベル、一之瀬にバニースーツが似合うと思わんかね?」
「またその話題か」
 一之瀬が憤然として返す。
 そういえば別の場所でもおなじようなやりとりをしているらしい。
 分別のある大人のように見えて、中身は年齢相応である。
「着るべきだと思うだろう。うんうん
 やはり、着て見なければ行動したとは言えんだろう」
 一之瀬のガードが固いと見てか、ミラベルにターゲットを移し、
 延々と暗示をかけるかのように言葉を繰り返す。
 何度言われても効くはずもないが。
 儀式のようなものでもある。
「おっとそうだ。二人にこの薔薇をあげよう」
 懐から取り出されたのは紅茶色の薔薇が2輪。
 優雅な手つきで一つずつ手渡しにする。
「私もチームを作る機会あれば、
 仲間に渡すつもりで作ったものだが‥‥
 もう、渡す機会も相手も居ないだろうから、ね」
 渡された薔薇は儚げで、何かを訴えてくるようだった。
「UNKNOWN、お前は‥‥」
 一之瀬は言いかけてやめた。
 理解していないものを、今から無理をして理解することなどできない。
 まして人の孤独など、それこそ本人だけのものだ。
「私の戦いはまだ続いている為、本当に楽しむ事はずっと出来ていないが、ね
 別にエミタ云々ではなく人としての在り方を諭す、という戦いだが」
 その言葉の意味は2人にはわからない。
 喜怒哀楽で言えば怒りよりも悲しみの感情が強い声だった。
「おや、誰か来たようだね」
「む‥‥?」
 UNKNOWNに釣られ道の向こうを見る。
 遠倉 雨音(gb0338)が遠くからこちらを窺っている。
 話の邪魔をしては悪いと、遠慮しているのだろうか。
 見えないように壁に隠れ、素知らぬ振りをしている。
「今は「ないもの」について考える時ではない「今あるもの」で何ができるかを考える時である。
 生きる事を十分に楽しんだ、そう言える人生なら十分だ」
 帽子を目深に被りなおす。
 それが別れの挨拶なのだろう。
「ではまた会おう。バニー姿を楽しみにしている」
 飄々とした態度で変わらない台詞を吐くと、UNKNOWNは軽く手をあげる。
 近寄ることのできない彼女のために、わかりやすいように。
 掴みどころがあるようでどこにもない。
 雲を掴んだような感触が2人の胸に残った。



 日差しが痛い。
 鷹代 由稀(ga1601)は今日の天気に悪態をつくのをぐっとこらえた。
 戦争が終わったことが、果たして幸いだったのか。
 今の彼女にはよくよく答えが出なくなっていた。
 命を懸けて戦って得た物は左目を失ったという事実だけ。
 欲しいと思ったものは全て砂のように手から零れ、何も残っていない。
「‥‥‥はぁ」
 重い溜息。最近では板についてしまった感もある
 理不尽なんてものは世界には吐いて捨てるほどあるだろう。
 自分より辛い目にあった者も大勢居る。
 自分の事など、命があるだけマシと言われればそれまでだ。
 何の反論もできない。
 それでも‥‥。
(『自分がそう感じてしまった。思ってしまった』以上、その思考は止められない)
 幸せとは主体的な価値観だ。
「暗い顔してるな、お前らしくもない」
 突如掛かった声に顔をあげる。
 そこには馴染みのあまりない顔の男が立っていた。
 ブレイズ・S・イーグル(ga7498)、彼の傷は左目失明どころではない。
 体の半分と血液が作り物で、覚醒するたびに体を傷つけている。
 手には火のついたタバコを持っているが、
 そのタバコも、彼にとって味があるのかさえ怪しい。
「事務所を追い出された?」
「ああ。喫煙スペースがなくてな。世知辛い世の中だぜ」
 そう言ってブレイズはタバコの灰を灰皿に落とす。
 自然、喫煙者2人の距離は縮まった。
 鷹代とブレイズは言うほど付き合いの無かった間柄だ。
 今更話すことはない。
 ならば何を話しに来たのか。
 鷹代はそれが慰めでない事を願った。
 穏やかでない彼女の内心を知ってか知らずか、ブレイズは何を気にする風もなく話を続けた。
「お前はエミタを外さないのか?」
 互いの素性は互いを良く知らなくても普段の行動でおおよその見当はつく。
 元兵士のブレイズと戦いを知らなかった鷹代。
 非日常と日常、それぞれ住処の違う住人。
 当然、エミタを除去して日常に戻ると、鷹代自身も理屈では考えていた。
「迷ってる」
 鷹代は素直に答えた。傍目にも見てわかることだ。隠す事でもない。
 その理由には見当が付かなかった。
「命を賭ける必要がなくなったから、エミタを除去すれば手っ取り早いってのにね」
 鷹代は吸い込んだ紫煙を吐き出す。
 煙はすこし冷たい風に吹かれ、寒空の中に薄く広く消えていった。
 自分は何をしたかったんだろう。
「まだ何かやること、あったかなって」
「それならあるんじゃないか。悪い事じゃない」
 ブレイズの言葉を、何故か重いと感じてしまった。
「そういうあんたはどうするの?」
 自分への疑問をそらすため、と少し言い訳をしながら問う。
 こんな体だ。余命が短いのだと聞いている。
 何故か無性に、他人の行く末が気になってしまう。
 ブレイズの答えは相変わらず気負いがなかった。
「外さないさ。能力者として‥‥これからも生きる」
 言葉の間に何かを隠したのを、鷹代は悟った。
 ブレイズの体の状況は、鷹代の想定したとおりだった。
 余命1年程と宣告され、五感は日々薄れていっている。
 タバコの味もしない、冬の寒さも日差しの暖かさも感じない。
 エミタの補正がなければ少し離れた鷹代の顔も薄ぼんやりとしか見えない。
 文字通り身を削りながらバグアと戦った代償だ。
 今更、身を削りながら戦う必要なんてない。
 彼こそ残りの余生を平穏に過ごすべきだ。
「一般人の俺に、戦う力と恐怖に打ち勝つ心をくれた魔法だ。
 その影響がこれだが‥‥」
 と、黒い義腕を示してみせる。
 手袋で隠した下は戦士の腕だった。
「戦争が終わったとはいえ、脅威が完全に取り除かれたわけじゃない。
 それに今まで自分を生かしてくれた周囲への事も含めて、俺は戦うことを選ぶ」
 それが彼の精一杯の足掻きだ。
「まだ終わりじゃないさ。お前も、そうだろう?」
 それだけ言うと、ブレイズはタバコの火を灰皿で潰した。
「今更、正義の味方でも始める気? 格好のつけすぎよ」
「今なら悪くないな」
 苦笑い。だが、ブレイズのそれは晴れやかにも見えた。
「邪魔したな。あばよ」と一声かけると、彼は近くに止めてあったバイクに跨り、
 あっという間にその場を立ち去った。
 バイクのエンジン音が遠ざかっていく。
 彼は最後まで戦士であることを望んだ。
 命の炎を燃やし尽くして、自身の物語を刻む。
 翻って自分は?
 自分の物語は、どこにあるのだろう。
 鷹代は自分のやるべきことを思い出そうと、視線をさまよわせた。
 



 行き交う人を眺めている者は多い。
 悩みを抱えるのは一人だけではなかった。
「全く‥‥余暇には‥‥無駄も良い所ではありません?」
 キア・ブロッサム(gb1240) は苦笑い、少し呆れたように呟く。
 無用の長物とする者が居る一方で、彼女にとってそれは財産に違いなかった。
「勿体無いこと」
「そう‥‥ですね」
 対して連れ立ったラナ・ヴェクサー(gc1748)の反応は薄い。
 雑踏の中の感情は、ラナにとって鏡のようでもあった。
「まだ‥‥迷ってらっしゃる?」
 ラナは無言で肯定を返す。
 彼女の義兄が、彼女にこの仕事を辞めるよう願っているのは知っている。
 彼女がそれに素直に従えるほど、エミタに思い入れがないわけでもないことも。
 ラナは何も語らず、しばしの無言が続く。
 視線は再び行き交う人の流れに戻った。
 1分か5分か10分、時間の感覚が曖昧になったころ。
 ラナはゆっくりと口を開いた。
「私は‥‥大切なモノを、今後も守り抜きたい。
 その上エミタは助けになる。‥‥故に、書類は不必要です。
 けれど‥‥義理の兄の願いも叶えたい」
 声の響きには寂しさに似た感情が含まれていた。
 どちらも何かを切り捨てなければならない。
「黒衣の、師であり兄でもある彼は、本当に大切な人。
 彼は私に‥‥家を護って欲しいと言ってくれた。
 戦い続け‥傷ついて欲しくないとも。
 凄く‥‥嬉しかった。
 その彼を‥‥心配させたく、ない‥‥です」
 話が途切れる。
 贅沢な願い、とキアは感じた。
 互いに想う気持ちが選択を迫っている。
 キアはそっと、ラナの懐に入れたままの右腕に触れた。
 こわばっていた腕の力がすっと抜けていく。
「‥‥私は手放す気は無い、かな。
 ‥‥色んな物を私にくれたものですし‥‥。
 味ある食事‥困らぬだけの金貨‥‥。
 ‥‥これ無しで稼ぐのは大変なのです、よ‥‥?」
 そんな話をわざわざしてしまうのは、迷わせてしまっているという自覚故だったろうか。
 振り返り見つめてくる視線に答えることはせず、前を見たまま話を続けた。
「‥‥いつか御話しましたけれど‥‥エミタは持主の願いを形にするのやも、と‥‥。
 私が生きる糧を求め、貴女が兄を追う力を求め‥‥叶えたように‥‥。
 貴女が未来に何かを望み‥‥、叶えるにこれの助力‥‥不要でしたら、
 ‥‥確かに捨てて良い物なのやも、ね」
 あわせた視線からは、少し迷いが消えたのかもしれない。
 ラナはゆっくりと右手を懐から出す。
 懐に入っていたのは封筒だった。
「ま‥‥失おうと‥‥貴女は貴女‥‥。
 御困りになりましたら‥ラナ・ヴェクサーの友に頼ると良い、かな。
 格安でお受け‥‥致しますし‥‥?」
 くすりと笑みを浮かべ、キアは微笑む。
 誰かの事を思うのは心の贅肉、と誰かが言っていた気がする。
 人間と動物と画するものは余裕の有無とも。
 こうやって友人を思う気持ちの余裕も、エミタから貰ったものなのかもしれない。
 これが生きるためには余計なことなのだとしても
(もう少し力を貸しておいて)
 自身のエミタに語りかけるようにキアは祈った。
 再び肩を並べる為に、彼女を護る為に、いかなる未来であれ共にあれる様に。
「私は、駄目な義妹です‥‥ね」
 ラナは諦めたように笑い、封筒の中から取り出した書類を破り捨てた。
 過去には強敵を打ち破るために力を求め、
 今は大切なものを守るためとまた力を求める。
 義兄が心配するのもわかる。
 平時であれば刀は鞘に収まらねばならない。
「でも、まだ‥‥貴女の力に、頼りませんよ。
 格安がどの程度か‥‥判りませんから」
 結論を出すには早い。まだエミタは必要だ。
 思考が振り出しに戻った以上、義兄は良い顔をしないだろう。
 それでも‥‥。
「‥‥キア君。貴女こそ‥何かあったら、頼ってくれても、いいんですからね?」
 見つめた先、くすりと笑ったキアの表情を眩しいと感じた。
 彼女との縁は守り続けたい。
 兄の願い、私の望み、もうすこしだけ見つめなおそう。
 どちらも両立出来る方法はまだあるはず。
「友として‥‥借りは作りたく、ありませんから」
 戦いという接点を失い、日常はやってくる。
 それでも戦友との縁は失われない。
 冬の白い空気は、やがて立ち去る2人の姿を消していった。



「一之瀬大尉」
 見覚えのある小柄な人物、が走り寄ってくる。
「遠倉か」 
「お久しぶりです」
 駆け寄った遠倉はそのまま一之瀬と抱擁をかわす。
 日本人2人がそういう親愛の表現をするのは、同じ国の人間には奇異に映るかもしれない。
 が、これも多国籍のラストホープらしい風景だろう。
「‥‥何とか、こうして死なずに戻ってくることができました」
「私もだ。無事でなによりだな」
「中尉――いえ、今は軍属ではいらっしゃらないのでしたね。ミラベルさん、その節はお世話になりました」
 遠倉は抱擁をとくとミラベルにも一礼をかわす。
「うん、お久しぶり」
 三人とも、よく生きてこの場に集えたものだと思う。
 南米は戦争の初期から後期にかけて大きく状況が変わった地域であったが、
 通年とおして居えることは、激戦区だったということだ。
「あの、大尉、これからご予定は?」
「いや、特にはなにも」
「でしたら、その」
 遠倉は言いよどむ。
 先にいたミラベルには流石に遠慮してしまう。
「大事な話だったら、席外すよ」
「悪いな。‥どこか場所を変えるとしよう」
「はい」
 遠倉はミラベルに深くお辞儀をし、一之瀬と連れ立っていく。
 ミラベルには2人が親子のようにも見えた。
 年齢的な話をすれば少々失礼な話だが、心情的にはそう間違ってはいないだろう。
「ミラベルさん」
 千客万来である。この後、探さないといけない顔もあるのだけども。
「マキナさん、お久しぶり」
 声をかけてきたマキナ・ベルヴェルク(gc8468)ににこやかに笑顔を向ける。
 マキナは目ざとく手元の封筒をみつけると、小さく首をかしげた。
「ミラベルさんも、エミタを‥‥?」
「どうしょうかなって思ってね」
 ミラベルは苦笑を浮かべる。
 何人もの人に話はすれど、未だにどうするか決まってはいない。
「そうですか。戦場を離れるには、良い頃なのかも知れないですね」
 マキナの顔は寂しいような気配があった。
 非日常を住処と決めてしまった彼女にとって、日常に帰る人は遠い存在にも見えるのだろう。
 マキナも離れてしまうことを否定はしない。
 むしろ余計に愛しく、守りたいとも思う。
「‥‥どうかした?」
「いえ、その‥‥」
 マキナは意を決して顔を上げる。
「唐突で不躾ですが‥‥その、抱き締めて貰っても良いですか?」
 果てまで戦う力を、私にください。
 そのイメージは届いただろうか。
 ミラベルは同性愛者に言い寄られた経験が無いこともないが、
 彼女のような存在は少々特殊だった。
 今回もまた面食らったような顔をしている。
「‥‥うん、いいよ」
 それでも悪意や邪念の類でないのは伝わっていた。
 ふわりと、ミラベルはマキナを抱きしめる。
 手がそっと背に添えられ、優しく撫でる。
 暖かさがじんわりと伝わってくる。
 一分ほど、ハグというのには長い抱擁が終わった。
「‥‥ありがとうございます」
 離れてもほんのりと、熱が残っているような気配がした。
「近い内、また一緒にお食事しましょうね」
「ええ、近い内に」
「それではまた」
 にこりと。見せる事のない、少女らしい笑顔で。
 駆けて行くマキナを見送って、ミラベルは脇の喫煙スペースを流し見た。
「好かれてるな」
「予想外だけどね」
 気軽に手をあげて現れたのは紫藤 文(ga9763)だった。
 ずっとコーヒーを飲みながら待っていたのだろうか。
「流石に外は寒いし、どこか食べにいかない?」
「なるべくおいしいところでお願いね」
 オフィスの多いこの近辺なら良い店も少なくないだろう。
 2人は腕を組む距離まで近づきながら互いに触れない。
 微妙な距離感のまま、他愛無い話は店を見つけるまで続いた。



 事務所が見える位置に構えた喫茶店は、主人の好みゆえか木目を基調とした洗練された内装だった。
 客には事務所の職員らしき人間も何名か居る。
 周辺のオフィスで働く者の憩いの場でもあるのだろう。
 遠倉と一之瀬は熱いコーヒーを注文し、しばし待つ。
 コーヒーが届く頃に、遠倉は本題を切り出した。
「私、色々考えたんですけど」
 自身のエミタを意識する。4年と少しの間にあることが普通になってしまったもの。
 外すかどうかという問いを持ち込まれ、少なからず動揺していたのかもしれない。
「私は――エミタ除去はまだしないつもりです」
 遠倉はそっとコーヒーにミルクを足す。
 何度も整理した内容を、間違わないようにゆっくりと。
「戦場で死にかけたこともありますし、いずれは除去して一般人に戻る事も考えてはいます。けれど‥‥
 決戦が終わっても世界は未だ混迷の中にあって。
 この地球上から完全にバグアの影が一掃されるのはまだまだ先の話でしょう。
 少なからずこの戦いに関わってきた者の一人として、まだすべき事も沢山ありますし、
 それを為すための力も、責任もあるはずだと思いますから」
 一之瀬の表情は変わらなかった。
 少し硬いいつもの顔のまま。
 話を聞きながら何も入れないままのコーヒーに口をつけている。
「だから、私はまだ能力者を続けます。
 両親や親友――そして『彼』はあまりいい顔はしないと思いますけれど」
 今日はそれを伝えに来た。
 きっと彼女も良い顔をしないだろうと理解しながら。
 ややあって、一之瀬はコーヒーのカップをソーサーに戻した。
「遠倉」
 顔をあげた瞬間に目が合う。一之瀬の目は揺らいでいた。
「使命感というのは時に毒だ。
 誰かがやらねばならない、ならば自分が。と思うのは美しく見える。
 だがそれは、良くない暗示だ」
 遠倉は黙ってその言葉を聞いていた。
 一之瀬から視線を外せずにいた。
「いつか辞めるのならそれでいい。だが、遠い事と思わずいつでも辞められる準備はしておきなさい。
 君はまだ若い。今なら、恋人のためだけに生きる事も許される」
 遠倉は唐突に理解する。これは一之瀬達自身の話なのだと。
 一之瀬自身の歩んできた道とその後悔、自戒をこめた警句。
 戦争でしか生きることが出来なくなってしまった人々の、切なる願いなのだと。
「平和を謳歌できるのは、銃を持たないものだけだ。いつか必ず、銃を捨てなさい」
 銃が捨てられなくなる前に。
 そういう彼女の脇にはふくらみがある。
 最早彼女にとっては一部となってしまったのだろう。 
「‥‥はい、覚えておきます」
 少し考えてからの答え。
 未来のことは確約できない。
 それでも‥‥。
「それなら良い」
 苦笑交じりの一之瀬の顔は、とても嬉しそうだった。
 いつか必ず。遠倉は誓いの言葉を小さく胸に刻んだ。



 番場論子(gb4628)は事務所の見えるベンチで受け取ったメールを読み返していた。
 差出人はUPC北方軍カフカス方面担当師団。
 名義は所属当時の彼女の上司になっている。
「派遣任務完了を確認した故に
 原隊復帰し
 元の職務着任を求める」
 番場は携帯端末を懐にしまいこんだ。
 目の前にはULTの事務所。
 手の中にある力が果たして必要なのかどうか、少し計りかねていた。
「エミタ除去に関してはそちらの判断に任せる
 尚司令部における事務処理が滞っているので
 帰参された際には
 円滑運営を図る為に後方勤務詰めに重点が置かれるのを
 出迎える心得をお願いしたい」
 祖国ロシアは今バグア残党との最後の戦いに明け暮れているという。
 だがそれもそう長くは続かないだろう。
 バグアの占領によって乱れてしまった民族や国境の分布で治安は乱れきっている。
 治安を取り戻すには長い時間がかかりそうだ。
(けど‥‥)
 自身に求められているのは後者と番場は考えていた。
 傭兵達はその特性上、雑多な背景と動機を抱えている。
 その中で曲がりなりにも過ごしてきた経験は、住民の慰撫に大きく役に立つはずだ。
 となればエミタは必要でもない。
「貴方もエミタ除去でお悩みですか?」
「‥‥秋月さんですか」
 番場はそっと端末を閉じる。
 この文面は見せたくないと思った。
「ええ、少し」
 番場は祖国のことをかいつまんで説明した。
 元から不安定な治安のことや、民族・国境のこと。
「エミタが無いほうが、平和に貢献できると思うんです」
「平和のために貢献ですか。良いですね」
 彼の中では危機感が既に形を持っている。
 国も人もこの世界は平等ではない。
 大きな戦争ではあったが、力を温存した者が居ないでもない。
 混乱が収まる前と後、どちらも油断は出来ないだろう。
「心機一転すると思えば」
 番場はエミタの備わった右手の甲を眺める。
 決断とは別に、やはり戦友との別れは名残惜しい。
 見つめる先には遠い祖国の影。
 この選択が正しかったのだと、後悔だけはしたくない。
 番場はそっと、右手を握り締めた。



 食事と言うよりは軽食だった。
 紫藤もミラベルも、お昼を頂くには少し早い。
 サンドイッチを少々に小さなサラダと一杯のコーヒー。
 お互いの近況を軽く情報交換して、落ちてくる破片の対応の話題が少し。
 しかしそれはどちらにとっても本題ではなく、本当に聞きたいことを確認する機会をうかがっているに過ぎない。
「そういえば‥‥さ」
 最初に切り出したのはミラベルであった。
「ん、どうしたん?」
「貰ったこの指輪の中の文字、どういう意味なの?」
 最初は缶のプルタブと言っていたものが、気づけばアルミが銀に変わっていた。
 意図を手放しで喜べるほど素直にもなれず、指輪は未だに人差し指にある。
 紫藤は冗談っぽく笑いながら指輪に視線を向けた。
「その言葉な、日本の漫画で引用されたんだ」
「ヘミングウェイの言葉を?」
 紫藤の答えは少し間が開いた。
 視線が上を向き、目が合う。
「意味も結末も自分で好きに決めればいいんじゃね」
 視線があったと思ったのもつかのま、紫藤はサンドイッチに手を伸ばす。
 知った上での事、だったのだろう。
 けれどもそれは他人の物語だ。
「その漫画で戦場に放り込まれた主人公達は日常に帰った。幸せに暮らしたよ」
 他人の都合に振り回される人生はもう必要ない。
 そう言いたいのだろうか。
「‥‥‥ふーん」
 それをくれた貴方は私を幸せにしてくれるつもりなの?
 いつもなら軽口で聞けた事だったのに、声にはならない。
 紫藤はその様子を感じ取ったのか、手元のコーヒーに視線をそらした。 
「エミタも、外すなら外せば良いさ。か弱いミラベルさんを守るのも魅力的な話で。
 好きにすればいいさ」
 十年後か二十年後か、有利になった人類が痛みより恨みを選び再戦を望むとは考え難い。
 彼自身は少なくともそう考えた。
(その頃に自分も安心して摘出‥‥)
 紫藤はそこではたと気づいて思考を止めた。
 そこまでは良いとして、自分には重大な懸念事項がある。
 過去の経緯もある目の前の彼女を幸せにするべき責任ともう一人自身を慕ってくれる女性の存在。
 既にもう一人の女性の話はミラベルに伝えてあるが、どうするかなどの具体的な話は欠片もしていない。
 この話題を黙っていて良い雰囲気ではないが、答えは出ていない。
 紫藤は気まずそうに視線を斜め下に伏せる。
「この前の話さ」
「うん」
「二人両方の責任をとるって結末はナシだよな、さすがに」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 ミラベルは笑顔だった。笑顔で固まったまま無言になった。
(お怒り御尤もです)
 心の中で土下座の姿勢をしてみるが、殊勝に振舞ったところで場をやり過ごすには相手が悪すぎる。
「責任ってどうやって取るのよ。私の国、一夫多妻制は認められてないんだからね。
 文さんがそんなのだったら、一度協議させてもらうわよ」
 つまりは2:1、容易く想像できる圧倒的不利な修羅場の風景。
 幸運にも深刻な風情でないのは、既に覚悟や諦めがついていたからか。
 戦争が終わってハッピーエンドという結末は、やはり物語の中にしかなかった。
 戦争を理由に後回しにしてきたものが今大挙して押し寄せてきている。
 自分を好きでいてくれる2人の彼女のこともそうだが、帰れないでいる故郷のことも気に掛かる。
「仇を取る」と宣言して別れてきた仲間達はいまどうしているだろうか。
「何、笑ってるのよ」
「いやいや、上手くいかないなって思ってさ」
 予定は狂ってばかり。
 それでも紛れも無く、そこは日常だった。
 望んでも手に入らないと思っていた、かけがえの無い、ありきたりな。
 そして、忘れかけていた。
「もういい」と不貞腐れてぶつぶつ呟くミラベルを眺めながら、
 紫藤は久方ぶりに街角の不良少年らしい笑いを浮かべていた。




 日差しには僅かに陰り。
 思考はループするに任せ、タバコを消費するばかり。
 鷹代の手元の灰皿は気づけば一杯で、そこでようやく時間の感覚を思い出す。
「由稀さん、どうかしましたか?」
 気づけば側にはマキナが居た。
 何の疑いも無いまなざしで彼女は見上げてくる。
 鷹代はようやく自分が見失っていたものを思い出した。
(‥‥そっか、マキナがいたんだ。育てるって決めたんだった)
 純粋で壊れやすい彼女を、守ろうと決めたのだ。
 それが今の自分が為すべきこと。
(もうしばらくエミタは外せないか‥‥。かといって、ラストホープに居続ける理由も無いわけで‥‥。
 そもそも、隣に居て欲しかった人はどちらも居ない‥‥要するに、居場所無いしね。
 一度、いろんなことから離れてみるのも悪くないか)
 鷹代はタバコを灰皿で潰し、深呼吸した。
「マキナは今後の予定、何かあるの?」
「私は‥‥旅に出てみようかと。戦場を巡る旅に」
 変わらない答えに安堵と同じだけの不安。
 決意は固まった。うじうじしていても仕方ない。
 もう少しの間、前向いて生きてみよう。
 今度はこの子に戦い以外の生き方を教えるために。
「――由稀さんは、如何するんですか?」
「私? 私は数日中にラストホープを離れるつもり。
 なんだけど、一緒に来る?」
 マキナは嬉しそうに「はいっ」と返事をする。
「何処か行くなら、お供します」
 鷹代は頷くとマキナの頭を撫でた。
 マキナにとっても、彼女の異変は他人事ではなかった。
 最近の彼女は見ているのが辛かった。
 憧憬の相手だけに、殊更に。
(でも――そう。彼女もまた歴戦の英雄で。
 それはつまり、戦いに疲れていてもおかしくはない)
「それしか出来ませんから」
 笑みは上手くつくれただろうか。
 とかく、彼女を一人にはできなかった。
 今の彼女を、このまま放っておく事も出来なくて。
 何処か儚く、今にも消えてしまいそうな気がして。
「今の時世、何処であろうと戦場には困りませんし‥‥ね」
「戦いって言っても、銃は使わないわよ」
 鷹代も釣られて笑う。
 ふと、昔の一番明るい笑顔を作っていた頃の自分を思い出した。
 居場所とは人、彼女が側にいればひとまず自分にも役割はある。
 黙って出ていくのは少し気が引けるけども。
「‥‥‥‥」
 思い出は後ろ髪を引きはしない。
「ま、会いたいなら探してでも来なさい」
 誰にとも無くそう言った。
 この後、2人は誰にも知られることなくひっそりとラストホープを後にした。




 人に相談する者もいれば、逆に一人で悩み続けている者もいる。
 クラフトは公園でのんびりと空を見上げ始めてはや1時間。
 答えは出ていなかった。
「んー‥‥やっぱり難しいよね。一回相談した方がいいかな」
 恋人の顔がふと脳裏に浮かぶ。
 それはとても正しい選択肢にも思えたが、すぐに思いなおした。
(絶対反対されるな)
 相談と言いながらも、自分の意見が定まっていなければ意見の押し付け合いにもなりかねない。
 それは非常に非生産的だ。
 少なくともここで何かの答えを見つけなければならない。
「自分で考えなくちゃか」
 クラフトは煮詰まった頭をほどくために自販機でコーヒーを買った。
 熱い缶コーヒーは握っているだけでも感覚がよみがえるような気分がする。
 クラフトはプルタブをあけると、一気に飲み干した。
「‥‥ダメだ! どっちもよさげだし、難しいの苦手だし、きめらんねーや!」
 クラフトは諦めてベンチに腰掛けた。
 正面のグラウンドではこの寒さに負けずに、野球を続けている。
 試合は5回裏、そろそろ中盤を過ぎたぐらいか。
 何度かの応酬の後、コントロールを誤ったボールがクラフトの足元に転がってきた。
「すみませーん! ボールとってもらえませんかー!」
 クラフトは何気なくボールを拾い上げる。
 無心になって投げたボールは素直な曲線を描いて子供の手の中に。
 ボールを受け取った子は満面の笑みを返す。
「にいちゃんありがとー!」
 野球は試合続行。もうしばらくは続きそうだ。
「‥‥うーん、どっちもいいんだし、どっちでもいいよね」
 自分にやりたい事は何なのか。
 なんど考えても一つしかない。
「傭兵、続けよっか。今から他の手段探すのめんどいし、見つけても楽しいかわかんないし」
 オレがやりたい方にする。
 悲しかったり、悔しかったりあったけど、
 楽しくやってこれたし、これからも楽しくやってけるんじゃないかな。
 クラフトは走っていく少年達の背を追っていく。
 考え方は楽観的なのかもしれないが、答えが必要なのだ。
 正しいかどうか問題ではない。
「答えは決まりましたか?」
 見ると後ろにはハンナ・ルーベンス(ga5138)が居た。
 振り向いたクラフトに笑顔を返すと、視線は子供達のほうへ。
 元気欲遊ぶ子供達を見に来ていたのだろう。
「ああ。決めたよ」
 帰ってこのまま恋人に答えを伝えよう。
 怒られるかもしれない。
 それが一番怖いことだけども、決めたものは決めたのだ。
 怒られてからその先を一緒に考えよう。
「ハンナさん、またな」
 クラフトは笑顔のまま元来た道を走っていく。
 もうここにはこないだろう。
 それとすれ違うように、秋月は公園の木々の間から姿を現した。
「良いですね。迷いが無いというのは」
 彼の姿は将来に暗い予想を立てる自分には少々眩しかった。
 清濁共に受け入れていくハンナと違い、クラフトの性格は今日の日差しのように少し熱い。
(バグアとの戦争がひとまず終わって‥‥
 歴史に学ぶなら、次はまた人同士での争いか‥‥
 世界政府樹立もすんなり行くとも思えないですし
 むしろ、纏まらずに、かつての国連の様な形だけになる公算の方が高いですかね‥‥
 そうなると、能力者がバグアの代わりにされる可能性も出てくる‥‥)
「秋月さん」
 見透かされたかと焦るが、恐らく違うのだろう。
 先行きへの思いが顔に出たのかもしれない。
 秋月は仕方無しに苦笑を返した。
「ハンナさんはどうするんです。エミタ、シスターには不要でしょう?」
「私は‥‥エミタ除去をしない、と申請して来ました」
 ハンナは過去を思い返す。
 能力者になることを進められたのは数年前。
 これも主の示した道と思い、日々を過ごしてきた。
 素晴らしい友人。掛け替えの無い姉妹の絆。悲喜こもごもの思い出。
「‥‥この地でエミタ能力者の行く末を見守り、何時の日か、確かな記録として残す為にも」
 エミタはまだ必要だ。
「記録して、本にでもしますか?」
「それは書き終わってから考えます」
 後に彼女の手記は「とある修道女のバグア戦争記」と題され出版に至るが、それはまた別の話。
「本、良いですね。自分も作りましょうか。調べたことはまとめて初めて意味があります」
 今までの空気の言い訳をするように、そんな事を呟く。
 その文章を読み返すのは恐らく自分だけだろう。
「今は戦後復興の仕事に携わることが第一ですけど、いずれはです」
 ハンナは時計を見て、少し驚いたような顔をした。
「思った以上に長居してしまいました。私はこれにて」
「ええ。シスターもお元気で」
「貴方にも主の導きがありますように」
 秋月は黙ってその背を見送った。
 変わらないものもあるのだなと感慨にふけりながら。
「自分の予測、外れてくれる事を願いますよ」
 秋月はトレンチコートを翻し、事務所に背を向けた。
 心中を過ぎる幾つかの未来像を思い、ゆっくりと歩みを進めていく。
 明日からの世界がいかに変遷しようと、生きていかねばならない。
 まずは祈ろう。
 ここは一つの分岐点。求める明日を探して、至る者ばかり。
 今日ここを去った者に願わくば祝福を。
 人生という名の物語は、まだ終わっていないのだから。


 ―了―