タイトル:【HD】海原の町マスター:KINUTA

シナリオ形態: ショート
難易度: 易しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/11/04 12:32

●オープニング本文


 あなたはうたた寝をしていて、ふと目を覚ました。
 覚めてみると、一人電車の中だった。板張りの床の、なんとなく古ぼけた作りの電車。
 ぼんやりしながら外を眺めると、どこまでも海だった。
 自分の側の窓からも、相席の側の窓からも、ただ青い広がりがあるばかり。
 空も濃い青で、入道雲がはるかかなたから湧き出ている。
 これまで見たこともないほど大きい、白玉のような雲。それが広々した平板な水面に、上下逆さに映っている。
 あなたはふと窓を下から押し開けてみた。さあっと風が入ってくる。それは少しも潮臭くないし、蒸し暑くもない。空気の輝きはまさに、夏の盛りなのに。
 よく見ると、電車は海の上を滑るように走っている。線路が浮いているのか、それとも見た目より水深が浅いのか。
 行けども行けども上下に広がる澄んだ青ばかりだ。島影も見えない。あなたはなんとなく腑抜けたよう席に座り直し、一体どこへ行こうとしていたのだったかしらと考える。
 けれど、思い出せない。
 カタン。
 カタンカタン。
 カタン。
 物憂い振動が徐々に緩まってきた。
 チン、チンと鈴のなる音。
 あなたは、それにつられるようにして立ち上がり、下車する。
 停車駅はただ、小さなコンクリートの中洲だった。ベンチとちょっとした屋根がついているだけの。
 電車は静かに波を立てて動きだし、去って行く。
 それを見送ったあなたは中洲から降りる。
 足元にはくるぶしくらいまでの水がひたひた満ちていて、その下は細かな白い砂だった。ここは、海のうちでも浅瀬らしい。
 銀色の魚が何匹か寄ってきて、音もなく逃げた。
 あなたは足を速める。近くに、町があるのが見えたので。
 近づいてみると、全てが水に浸った浅瀬の上。地面も、アスファルトもない。透明な水と白い砂ばかり。後は青空。
 誰もいない。なにもかも静まりかえっている。
 あなたは戸惑いながらちまたをさ迷い、ようやく自分以外のものに出会う。それは街区をのろのろ歩いてくる、一匹の大きな亀だった。
 あなたの前まで来ると、亀は実に分別臭く、ゆっくり呟いた。

「今日は迷い込んでくるのが多い‥‥」

 あなたは驚きつつも、ここはどこかと彼に尋ねる。

「あんたたちが置いていったものが流れ着く先だよ。だけど、そのものは、もう存在しないからね‥‥ここは、いわば幽霊の町さ。いや、町の幽霊か‥‥」


●参加者一覧

ベールクト(ga0040
20歳・♂・GP
井筒 珠美(ga0090
28歳・♀・JG
漸 王零(ga2930
20歳・♂・AA
アンジェリナ・ルヴァン(ga6940
20歳・♀・AA
ソウマ(gc0505
14歳・♂・DG
天空橋 雅(gc0864
20歳・♀・ER
朱鳳院 耀麗(gc4489
28歳・♀・HG
國盛(gc4513
46歳・♂・GP

●リプレイ本文


 真っ青な空の下、井筒 珠美(ga0090)の足元で、銀色の魚が砂に影を落とし泳いでいる。
 彼女はふと顔の左半分を触ってみようとして、ないはずの視界が戻ってきていることに気づき、驚いた。

「‥‥見え、る‥‥だと‥‥?」

 数秒止まり、ああ、夢かと一人ごち、水に反射した光が建物の壁を、揺れながら彩っている中、歩いて行く。
 海に浸っている建築物が行く手に見えたので、思わず立ち止まった。
 それは、在りし日の駐屯地だった。
 金網と鉄条網の代わりとして、満開の桜に囲まれている。
 幾人もの人がそこに佇んでいるのが見えた。
 彼女は息を飲んだ。



 先程喋る亀に会ったが、今一つ怪しめなかった。
 この感覚。ここはどうやら夢の世界か。
 天空橋 雅(gc0864)は、辺りを見回しているうち、数人の人影を見つけ、そちらへ駆けて行った。
 彼らの顔を知っている。つい最近の任務で戦死した兵士たちだ。どうしても、助けられなかった。

「すまなかった‥‥いくら償っても、償い切れるものではないが‥‥」

 彼女の言葉に、彼らは反応した。悲しげに眉をひそめている。
 どこかが痛むのだろうか。
 錬成をかけてやろうかという考えがふと頭をもたげる。現実ではないと分かっていても。
 そこで、誰かに呼ばれたように感じた。
 振り向いて声を上げる。
 それは二十年前、輸送機ごと撃ち落とされて亡くなった義兄だった。静かに、照れ臭そうに笑っている。写真そのままの顔かたちで。



 見覚えのない風景。記憶にはない街並みで、ベールクト(ga0040)は立ち尽くしていた。
 清潔な白い家。浅瀬に突き出たポーチのところで、ガーデンチェアに座ってお茶を飲んでいる女性。
 それが誰だか知っている。随分昔に亡くなった母だ。
 彼女は記憶通りの姿と少し違っていた。ふわりとしたドレスを着て、少女のように瑞々しかった。亡くなった時さほど年を取っていたわけではないが、しかし、生活が大変だったこともあって、こうも若げではなかった。
 彼女はベールクトがいるのに気づいたようで、ご一緒にどうですかと、声なく持ちかけてきた。相手が息子であると理解している様子はない。
 けれども、彼はがっかりしなかった。むしろ、積極的に他人のふりをすることに努めた。
「ここは暖かくて穏やかなところですね。実に静かで平和な街だ」

 飢えと寒さ、失意と絶望。母を苛んだそれらはどこにもない。明るさと、静けさがあるだけだ‥‥。



 路地裏の透明な水の中から取り出したナイフは、柄に「No.0」と刻んである。

「ん?‥‥このナイフは‥‥あのころの獲物じゃないか」

 雲がゆったり通り過ぎる中、漸 王零(ga2930)の呟きに呼応するかのように、静寂の世界へ異物が現れた。
 裸足で、血まみれの子供。
 彼にはすぐ分かった。それが殺戮人形として生きていた自分だと。
 子供がふいと背を向け、水を跳ね上げ走って行く。
 王零は追う。
 そして、一つの教会に行き着いた。
 青々した空に映える十字、見覚えがある。

「ああ‥‥これは‥‥」

 あの日の場所だ。惨劇の現場だ。
 目に映るのは幻だろうか。
 幼い彼は、ともに育った仲間を殺していっている。
 皆激しく動いているのに、まるで音がしない。沈黙劇でもしているみたいだ。
 顔色一つ変えず、子供は他に動くものがなくなったところで止まった。
 そのままじっとしている。
 王零の耳に声が聞こえてくる。潮騒のような囁きが。



 ソウマ(gc0505)は脇を通り過ぎて行った人影に目を丸くする。
 幼い自分が、黒い子猫と追いかけっこをしている。目と鼻の先にいるソウマの事を感知していないのだろうか、無邪気に笑っている。
 不思議な感覚だ。写真でしか見たことのない己が、生きて動いているというのは。

「‥‥昔の僕は、あんなふうに笑っていたんですね」

 細められたソウマの目は黒猫に向いた。
 それは、自分自身以上によく知っている存在だ。
 『ノワール』。
 とある物語に出てくる、主人公の相棒の黒猫。その名前をつけた僕の猫。野良で他人には懐かなかったけど、僕にはよく懐いてくれた友達。
 二人いれば、毎日輝かしい冒険が出来た。猫だけど、僕にとっては人間と変わりがなかった。
 あの当時はいろんなことを考えた、なんにでもなれた。海賊にでも、宇宙飛行士にでも、王様にでも。
 それは、なんにも知らなかったからだ。広い世界を取り巻く悪意と脅威を。
 顔を上げるとはらりはらり白い花びらが流れてきた。



 町角に現れた気品あふれるその女性に、アンジェリナ・ルヴァン(ga6940)は矢もたてもたまらず駆け寄った。今しも消えやしないかと脅えながら。
 しかし心配は無用だった。母は逃げなかったし消えもしなかった。
 七つのときに他界した彼女は、優しい眼差しをして娘を抱きとめた。
 堰を切ったように溢れだす。言いたくて言えず伝えたくて伝えられなかった言葉が。

「母さんが亡くなって‥‥私は一度ダメになった。暗く、底のない沼を延々と沈んでいるような‥‥ある時‥‥その沼へ自ら飛び込んで来た人が居た。その人は私に剣を持たせ言った‥‥『強くなってみせて』と。それでようやく母さんが最期に言ってくれた言葉を思い出した‥‥」

 母さん。母さんの紅茶もフルートも私は大事に受け継いだ。でも、少しも助けてくれなかった神様を私は、信じるのを止めてしまったの。母さん、怒らないでいてくれるかしら。 風に乗って、花びらがちらちらと舞う。
 娘の髪にからみつくそれを、母親の指は優しくかきわけて取り除いてやった。



 朱鳳院 耀麗(gc4489)はぶらぶら歩いて行く。
 別に川もないのに、孤を描いた石橋がかかっている。
 瓦葺きの民屋がさざ波に寄せられながら林立している。
 しっくいを塗った壁に、円い窓。
 懐かしかった。何となれば、これは思い出にある故郷そのままだったから。
 地震当時のまま崩れ落ちているものも多数見受けられるが、もともとそうやって建てられたのだと言いたげであり、悲愴感はなかった。
 家の前に卓が出されて、人が集っている。
 そのうちの老人が、彼女に向かって手招きした。
 朱のお嬢ちゃん、小姐姐と呼んでいる。声はしないのだけれど。
 見覚えあるような感じがする。あの人もこの人も。

「はて、こんな人がいたじゃろうか」

 耀麗は彼らの顔をもっとよく見ようと努めた。
 しかし、見ようとすればするほど風景はとりとめなくぼやけていく。
 花片があたりに舞い始めたことで、それはますますひどくなる。



 「町の幽霊か‥‥まさか本格的にあの世に来たのじゃあるまいが」

 あるのは果てしない水の広がりと、穏やかな沈黙だけ。
 もし本当にこれが彼岸でも、悪くないなと國盛(gc4513)は思う。
 しかしこんな場所なのに‥‥いや、だからなのか、昔のことを思い出す。
 ひたすら我武者羅に生きていた。自暴自棄と紙一重の刹那的な日々だった。
 それを改めさせたのは、先輩であった一軍人の死だ。それは今でも、鮮明に思い出すことが出来る。
 先輩は自分を庇った結果、死んだ。骨も残らなかった。忍ぶよすがはドッグタグと、それから己の首後ろにある十字架の入れ墨だけしかない。
 思いやりながら、無人の大通りで足を止めた。花びらが宙を漂ってきたのだ。
 それが流れてくる先をなんとなく目で追い、彼ははっとした。
 大柄な人影が、自分のいる方角に向け歩いてくるのだ。
 いつか嗅いだ硝煙の臭いが、うっすらと彼の鼻先を漂い、消える。



 満開の桜は次から次へと花びらを乱舞させて止まることがない。
 その中にあるのはどれもこれも、珠美にとって忘れられない顔ばかりだった。
 困ると引き留めてくれた上官、見くびるなと送り出してくれた戦友、また会おうと言ってくれた上官。もう来るなと刑務所めかして言ってくれた戦友。
 全て失せ果て帰らぬもの。
 走り寄ろうとして足は動かず、呼びかけようとしてあまりに大きい感情は言葉に出来なかった。
 風景も人の姿も蜃気楼のように歪み、かすんでいく。
 皆の口がこう言っているのだけが、はっきり見えた。

『まだ来るな』

 彼女は応えて笑おうとした。しかし、唇が変に歪んだだけだった。目頭が熱い。

「分かってるさ。なにしろ、まだきみたちに弔いの花も手向けていない‥‥お堀の桜並木、全部が終わった後もしあそこが無事なら、桜の季節に一枝持って、供えに行くから‥‥約束する」

 さあっと風が強く吹き、花嵐が視界を塞ぐ‥‥。



「義兄さん、雅です。あなたの妹です。実の親を亡くした私を、あなたの両親が育ててくれて、私はここにいます」

 あなたが守ろうとしたものは私が必ず守ってみせる。
 穏やかに微笑んでいる兄は、黙って雅の言葉を聞いてくれた。
 彼女はいつのまにか、自分の前にアパートがそびえ立っているのを知る。
 兄が背を押し促してきた。
 階段を駆け上がり、記憶にある番号の扉を開く。
 亡くした実の両親がそこにいた。

「父さん、母さん」

 零れそうになる涙を抑えながら、彼女は語った。彼らがいなくなった後も家族に恵まれて育ったことを。そして今は、大切なものを守るために戦っていることを。
 回りがぼやけていく。景色も、家族の姿も。
 花びらが舞っている。
 雅は喉を振り絞って叫んだ。自分が帰ろうとしているのだと直感して。

「遠く離れても、雅はあなたたちの娘です。そのことは決して忘れません。みんな、さようなら‥‥さようなら‥‥」



 紅茶の中にひとひら白い欠片が入って、すうっと溶けた。
 明るい表通りを、雪のような花びらが舞っている。ひっきりなしに。母はそれを見るのが楽しそうだった。

「貴女は今、幸せですか?」

 そうね、と声なき声が帰ってくる。あなたは、と言う問いかけとともに。

「さあて。でも俺もね、こんなきれいなところじゃないけど、どうにかやっていってますよ。問題なくやってますよ」

 伝えたい言葉が山程ある筈なのだが、思い浮かばない。
 けどそれでいいのだろう。長居しても、未練が募るだけだから。
 幸いもうぞろ、目が覚めてしまいそうな気がする。
 彼は最後にもう一度母を見た。

「どうか何時までも健やかに‥‥ダスビダーニャ」

 夢でも幻でも、これが御業というのなら感謝を捧げよう。
 神に対してベールクトは、生まれて初めてそう思った。



 なんで殺したの、と複数の声が訴えてくる。生きたかったからだと王零は答え、目をつむる。そうまでして変われなかった部分もあることを認めて。

『そこまでするのに意味はあるのか?』

「ああ‥‥だから‥‥こそ‥‥我は我が道を進むよ」

『俺たちを殺したときどう思った?』

 王零の目が再び開いた。
 教会の中には、幼い自分しかいなかった。血だまりも他の子供たちもいなかった。
 その側を通り過ぎながら「漸 王零」は呟く。

「きっと、悲しかった‥‥」

 「No.0」は血まみれのナイフを手にしたまま、泣いていた。
 王零は己を呼ぶ声を遠くから聞き、彼を置いて、花の舞い散る通りに出ていく。夢から覚めるために。



 花びらが日を浴びて輝いている。まるで光が降り落ちてくるようだ。
 子供の自分はそれを見てはしゃいでいる。ノワールも跳ね回っている。

「ここはなんて美しくて、平和なんでしょう」

 過去には戻れない。けど、こんな世界を望むことは、あの優しい世界をもう一度と望むことはけして不毛なことではない。
 己の望みを新たに胸へ刻み、彼はほほ笑んだ。
 いつの間にか男の子が消えて、足元には黒い子猫だけがいる。
 キラキラした目をして、そいつは高らかに言った。

「まだ冒険は始まったばかり。行こうか、相棒!」

 ああ、そうだ。これは僕自身だ。
 どこかから呼び声が聞こえた。猫の声のようでもある。だが、とにかく自分を呼んでいる。
 ソウマは迷わず走りだした。光の中へ。



 アンジェリナは、この時がもう長くは続かない予感を覚えた。
 懐かしいものがまた、手の届かないところへ行こうとしている。
 彼女は美しい母の顔を見た。亡くなるその時まで、慈しみを惜しみなく与えてくれた人の顔を。

「だから‥‥今は何も言ってくれなくて良い。でももし私が答えを見つけだし、いずれ母さんの下へ行ったならば‥‥その時に一度だけ呼んでほしい。私の名前を‥‥」

 だから今は。今はまだ。

「‥‥『さようなら』だ。12年前のあの日に言えなかった言葉。それを今‥‥伝えさせて欲しい」

 花びらが乱舞する。海も空も見えなくなるほどに。
 ただ母だけがそこにいた。
 さよならを告げられたその表情は、少し哀しそうで、だけどとても誇らしそうだった。



「おやおや、これはすごいのう。ますます季節が分からなくなるわい」

 引きも切らず花が舞い散っている。
 体が持ち上げられるような感覚がしてきた。
 これはきっと、目覚める前の兆候だ。
 耀麗はなんだか名残惜しいような心持ちで薄らいで行く景色を眺める。
 そして、醒めようとするまさにその段になって思い出した。
 あの人も、この人も、自分が幼いとき地震で亡くなった人々ではないか。
 名前を呼ぼうと彼女は口を開きかける。
 そこで−−覚めてしまった。
 目の前にあるのは自室の暗い天井だった。
 しばしの後ほっと息をつき、彼女は一人ごちる。

「‥‥生活が落ち着いたら、戻ってみようかの」



 花びらが風に任せて漂う中、先輩は黙って立っていた。
 こちらも、不思議と言葉が出ない。
 だが、思いだけが伝わってくる。伝えられる。
 赦してくれとは言わない。ただ。今はいつ死んでも構わない等と思っていない。

「生きたいと思っているんだ。先輩が救ってくれた命、粗末にする訳にはいかんからな‥‥」

 そうか、なら大丈夫だな。
 そんな声が耳に届いた気がして、國盛ははっと顔を上げる。
 途端に爆発音が体に響いた。あたりはきつい硝煙に満ちている。
 塹壕の中での、ほんのうたた寝だったらしい。
 そうだ、ここが俺の世界だ。
 彼は立ち上がり仲間とともに走りだす。十字架を背に生きて行くことを、改めて誓って。