●リプレイ本文
山腹は荒涼たるものだった。
枯れ草とてない荒れ果てた石だらけの斜面。
くぼみになった陰に居残っている千切れた残雪。
空だけは小気味いいほど澄んで晴れている。
灰色と白と青の景色。
それを瞳に映すリゼット・ランドルフ(
ga5171)は、この北の国での記憶を噛み締めていた。
(久しぶりの、ロシア‥‥ですね。ロシアには悲しい思い出の方が多いんですが‥‥今回も‥‥)
航空機は遮るものもないまま骸をさらしている。衝突の際飛び散った破片を回りに撒き散らして。誰にも手がつけられないまま。
気温は、甚だしいほどではないが低い。
ウルリケ・鹿内(
gc0174)は息の白さを確かめつつ、呟く。
「凍える‥‥と言う訳ではありませんけれど、この環境下では、負傷者の方の体温低下による消耗が‥‥心配です」
それに、と彼女は付け加える。
「高橋さんのお気持ちを考えると‥‥、やるせない‥‥です」
スーザンは自分で自分の腕を叩いている。収まらない震えをどうにか押さえ込もうとして。
もしかしたら、と彼女は一人ごちている。
もしかしたら、パトリシアは違う飛行機に乗ったのかもしれない。偶然名前が同じ違う人がいただけかも知れない。
そうではないだろうと自分で分かっていることを、自分で信じ込みたい様子だった。
狼狽ぶりを諭すつもりで、時枝・悠(
ga8810)が言う。
「守るものを守り、壊すものを壊す。いつも通りだろ、何もかも」
この依頼は簡単な事だ。難しい事は何もない。
(そう思えるのは、乗客の中に知り合いが居ないからだろうか‥‥)
とまれ、他人事のような面をして悠長に構えている時ではないのは確か。
感傷を極力排除し鋭い目で機体を見やると、割れ目でもそもそ蠢いている白いものが確認出来た。
割れた窓からも、その姿はうかがえる。浅ましいウジの形をしたキメラの群れだ。
内部は一体どんな有り様になっているのか。
杉田 伊周(
gc5580)の額は曇る。
「まずはトリアージから‥‥かな」
全てが黒タグにならないことを望むばかりだ。
強く思いながら彼は、仲間を促す。
「状況はかなり切迫しているようだ。急ごうか」
「ああ、ひとまずあのウジ虫どもを皆殺しにしないとな」
グリフィス(
gc5609)は力を込め、銃身を握る。
祈宮 沙紅良(
gc6714)もまた、エネルギーガンを持つ手に力が入った。
生存者の救出はもちろんのこと既に息を引き取った人間についても、これ以上苦しめさせるわけにはいかない。
人の命を文字通り食らう異形から、一刻も早く助け出さなくては。
彼女はちらとスーザンの方を見る。
「多分――そう、そうよ、人違いって、あるし――それに、それに、今日もラッキーカラーにしてきてるし――」
以前と同じくジンクスによって、士気を上げようとしている。
だが、それがどこまで通じるだろうか。
キメラとの戦いに勝利することを目的とした占いは、他人にまで影響を及ぼせるだろうか。
見ておれず視線をそらす沙紅良へ、篝火・晶(
gb4973)が声をかけてきた。
低く、小さく。
「‥‥航空機の事故で災害派遣された自衛隊員達は事故現場に関して仲間に聞かれても黙して語らなかった、という話を聞いたことがあります‥‥」
つまりそれだけ正視に堪えない状況であったということだ。
これから行く現場も恐らくそうだろう。
「‥‥ですから、心してかかりませんと」
その言葉を聞くともなく聞いていたか、スーザンが肩を強ばらせた。無意識にだろう。表情を変えず。
紅苑(
gc7057)はなるたけ声を和らげ、彼女の耳に届くよう言った。
「実感をもてない死は、何時までも心に残り続けます。できる限り、遺体の綺麗な形で帰してあげたいですね‥‥。生者が死と向き合うためにも。死んだ方々の安息のためにも」
そうだ、と悠が引き受けて続ける。
「まずはいつも通りに結果で示そう。感傷に浸るのはその後だ」
冷たい風が山を吹き上げて通り抜けた。
●
どうも好ましからぬ他者が来た。
機体の大きな裂け目付近、外気を最も感じられる場所にいたウジ虫が、真っ先にそうと感づいた。
目も鼻も耳もないながら、邪魔者が近づいてくる方向へ正確に頭部を向け、警告音を発する。
しかし対象は退いて行かない。なお近づいてくる。
ウジ2匹が全身で撥ねてそちらに飛びかかった。
たちどころに弾き落とされる。
「やらせるかよ! この腐れ外道が!」
1匹はそう吼えたグリフィスの小銃「FEA−R7」によって。
もう1匹はリゼットの獅子牡丹によって。
どちらも緑色をした体液を噴き出し、じたばたと暴れた。
その口がついた先端目がけ、悠がオルタナティブMを放ち、跡形もなく潰す。
傷からこぼれ湧くみたいに、引き続いてウジが何匹も、機体の裂け目から出てきた。
中に入られるのを嫌がって、意識的に阻止しようとしているらしい。
ならば好都合だ。少しでも多く自分たちに引き付けられれば、その分生存者の安全が確保される。
紅苑はライオットシールドで生白い体当たりを防ぎ、アイムールを力いっぱい振り下ろす。
その隙に沙紅良が、バイブレーションセンサーで内部の様子を確認した。
まだまだみっちりキメラが詰まっている気配と、かすかなる人間の動きが感じ取れる。
「機体後部の方に固まっています。どうやら4名ほどいらっしゃるかと思われます」
落下したとき当たりどころがよかったのかどうか、とにかく生きてはいるらしい。
救護の役割を負う晶、ウルリケ、伊周、紅苑は、そちらの生存者をまず先に確保すると決めた。
キメラ排除の組とともに足を踏み入れ、反応を求めて叫ぶ。
「誰か居ないか!」
晶の声は狭い機内にこもり、反響した。
聴覚がないながら、音による空気の震えは肌に感じるらしい。うようよいるウジ虫が、そこかしこで、チッ、チッと舌打ちめいた声を発した。
攻撃や逃げ惑うといった様子はない。食事をしているものは、そちらに意識が向いている。
しかし――キメラが発生する以前の段階で、機内は無茶苦茶になっていた。
内壁や床が曲がり、扉が外れ、椅子も多く元あった場所からもぎ取られている。
一度天井に当たって落ちてきたという形になったらしきものもあった。
そんな残骸の間に挟まれ完全に潰されてしまっている遺体が、ざっと見ただけで数件確認出来る。
それを引っ張り出して食おうと、ウジが太った体を割り込ませている。
壁は血で汚れていた。ばかりでなく、関節部分で千切れた手足が転がっている。
椅子に座ったまま亡くなっている人の姿もあった。
腹部が千切れてしまい、内蔵が散乱している。
締めていた安全ベルトが体に食い込み、切断されてしまったもようだった。
「‥‥」
伊周は滅入りそうになる心を抑え、生存者がいるとおぼしき後部へ呼びかけながら、移動していく。キメラへの積極攻撃は控え、とにかく人命救助を一番にと。
「返事してください、救援です! 意識がある方は返事を!」
ウルリケが、転がった足を銜え前方を塞ぐウジ虫に向け、凍てついた視線を注いだ。
「お掃除‥‥ですね。お退きなさい」
薙刀「清姫」を振るい、相手の口元を切り裂く。
攻撃により、白い固まりは怒る。足を落とし体全体で飛びかかってきた。
刃先を突き刺し床に叩き伏せると、キメラの血と嘔吐物の入り交じった生臭い匂いが広がる。
「消えなさい」
紅苑も眉をひそめつつ、跳ね飛んできた数匹を殴り倒した。
スーザンもまた、声を上げている。
「誰か‥‥パトリシア! いるの、パトリシア!」
彼女の声の響きは冷静と言いがたかった。
狙撃を行っているにしても、気がはやっていつも程の命中率が出ていない。
沙紅良にはそう見えた。以前の腕を知っているだけに。
(とはいえ私のやるべきは、敵の殲滅ですわね‥‥救護はひとまずあの方たちにお任せを‥‥)
ばっくり開いた遺体の下腹に頭を突っ込み、臓物をむさぼっているキメラの方を向く。
「その方から離れて下さいませ。‥‥穢れは滅します」
そして歌い出す。敵にとっては呪いの祝詞を。
「諸々の枉事罪穢れを拂ひ賜へ清め賜へと申す事の由を‥‥」
正確に聞くということが出来なくても、疑似生物にとってこの攻撃、不愉快なものであったのは間違いない。
ぶよついた体をもぞつかせ、食事を中断してしまう。
体に比して小さな頭をもたげ、カチカチ鳴いた。
牙を閉じたり開いたりしている口腔目がけて彼女は撃つ。片端から。
立て続けの振動が気掛かりなのか、ほかの奴らも段々落ち着きがなくなってきた。
食事に固執したきりのものも少なくなり、大方浮足立ち始める。
狭い機内をもぞもぞ動き、食えない生者を排除にかかる。
グリフィスはとにかく、目につく限り人間に張り付いているウジ目がけ、撃ちまくった。
興奮してきたキメラは激しく跳ね上がり、壁にぶつかりまた跳ねと、不規則な動きをしながら襲いかかってくる。
「ちっ‥‥弾が切れたか‥‥だがまだやれる!」
彼はナイフに持ち替え、肉塊にずぶりと突き刺した。
リゼットは相手の攻撃を飛び下がってかわし、落ちてきたところ蹴りつけ、口から一気に尾の先まで切り裂く。
裂かれた体の中から、溶けかけた手のひらが転がり出る。
「‥‥っ」
動揺を抑え、背後から来たものを薙いで払う。
悠が遺体の上を這い回り歯軋りするキメラ目がけ、金属片を差し込み裂いた。
直後、前方の扉付近に向かう。呻き声が確かに聞こえたと思ったもので。
行くと少年2人、ぐちゃぐちゃになった機内の透き間に折り重なって倒れている。
激しく擦ったのか、頭の皮膚がべろりと剥げていた。
ウジがその傷口へ、興味深げに寄り付いている。
彼女は大急ぎでナイフを構え躍りかかる。
グリフィスも、また。
「くそ! 狙うなら俺を狙いやがれ!」
キメラを排除した彼らは少年たちを引っ張り出し、自分たちの元に引き寄せた。その場で緊急の手当てを施して。
なんとか正気づいた少年たちは、猫の子みたいに力なく泣き始める。
落ち着かせるため沙紅良は、子守唄を歌った。今はただ、休息の眠りにつけるように。
●
探していた他2名の生存者は、晶によって発見された。
「いました、こっちです!」
中年の男女。
男は椅子に胸を圧迫されて壁に挟み込まれ、女は少年たちと同じく機内の透き間にはまり込んでいた。
どちらも全身を激しく打ち、至る所骨折が見られた。
裂傷も多数ある。声はなく、呻いているだけ。
男性は右手の指が数本もげていた。
伊周が練成治療を施し、両者の意識をはきと取り戻させた。応急処置も施して。
これ以上体を冷えさせぬため、ウルリケが防寒シートに包み、先の少年らと同じくすぐ救援隊に引き渡せるよう移動させる。キメラの攻撃を避けながら。
その時、スーザンが癇走った声を上げた。
引っ繰り返った席の後ろで。
「ああっ、あ!」
彼女の元へ急ぎ紅苑は駆け寄った。明らかに異常な様子だったので。
「大丈夫ですか?」
スーザンはあえぎあえぎ言った。
「パッ、パトリ、シ、ア」
紅苑の問いかけに答えたのではない。
他人の言葉を聞いている状態ではなかったのだから。
「か、かお、かお、が」
そこにあったのはうつ伏せになった遺骸だった。
あるはずの顔がない。
髪のついた頭後ろ半分の皮が背中までずり落ちているのに、中身がない。
キメラに食われたというのでなく、事故の際加えられた衝撃で、頭蓋そのものが吹き飛んでしまったようだった。
周辺に粘った血が散っている。
戦いに身を置く人間として、あまりにも予想外な光景というものではないのだが、凄惨だった。
紅苑も浅く息を飲む。
しかしすぐ我に返った。
「か、かお、さがさない、と、かお」
スーザンが手探りで床の上を探り出したからだ。熱に浮かされたような定まらない手つきで。
彼女の肩を紅苑は強く掴んだ。語気も強めて。
「落ち着いて下さい。今、貴女のすべき事はなんですか?」
しかしスーザンにはまだ聞こえていない。
紅苑はついに襟首を掴み、顔を自分に向けさせる。
「ここで私たちがしっかりしなければ、 お別れすら満足にできなくなる方々も出るのですよ! 正気を保ってください、スーザン! たとえ何があろうとも! 傭兵というのはそういうものです!」
スーザンの目から涙があふれ出した。頬を伝い顎を通り床に落ちる。
「でも‥‥顔‥‥ないと‥‥誰だか‥‥だから、探さないと‥‥」
ウルリケが彼女へ首を振る。それは許可できないと。
「これは任務ですスーザンさん。私情を挟んではいけません。全てはキメラを倒してからです」
スーザンは唇を噛みライフルを構えた。
冷たく固まった眼差しで、キメラを殲滅しにかかる。仲間とともに。
●
最終的に、生存者は4名だった。
残りの乗客36名は死亡していた。
その分の遺体は何とか全員回収できた。殺したウジキメラを全て外におっぽりだした後、改めて傭兵たちも交じり、救助隊とともに捜索して回ったので。
切れた足や手はもちろん、乗客が持っていた荷物。備品。服――徹底して探した。
その成果で、全員の識別がきちんと出来た。
全て本人と判断可能な形で、関係者の元へ帰れることとなった。発見された荷物とともに。
生存者は、そのまま山麓の病院まで運ばれて行く手筈となる。
「あとは任せましたよ、カサトキン先生」
「おお、よくやってくれた。ついでにな、スーザンを連れ帰ってやっといてくれ。かなり参ってやがる。うるさいのが取り柄なのにな」
ミーチャの言葉に、伊周は黙って頷いた。
パトリシアの頭蓋は見つからなかったのだ。周辺も探し、キメラの腹も裂いてみたのだけれど、どうして見つからなかった。
だからもう、諦めるしかない。
彼女は夕暮れのウラルに、ぼんやり佇んでいる。
パトリシアの収められた柩が、他者のものと一緒に輸送機に乗せられて行く前で。
ウルリケがそこに、そっと近づいてきた。
「あの‥‥。皆で‥‥帰りましょう? せめて、パトリシアさんが安らかに‥‥眠れる様に‥‥」
スーザンの返事はない。
伊周が、彼女らの側まで近寄った。
「最期に見送ってくれる友人がいるだけで、彼女も少し救われたんじゃないかな? ‥‥そう思いたいよね」
輸送機の扉が閉まり、浮き上がり始める。
紅苑は小さく嘆息をした。
リゼットは無言で祈りを捧げる。
グリフィスは敬礼をした。
晶と悠はただ、黙して見送る。
赤い夕陽に向けて小さくなって行く機体に。
「御霊の安らかな眠りを‥‥。生きる私達がその生を引継いで参りましょう」
沙紅良が静かに咏じ、舞を舞い始める。
とろけそうな夕陽の元、それは一幅の絵のようだった。鎮魂という名の。
スーザンの瞳はいつまでも、潤んでいるように見えた。