●リプレイ本文
晩秋の空の下、それは大邸宅を上から下まですっぽり覆い見えないようにしている。
構造からするとゼリーというより、ゼリービーンズに近い。
現場を前に、そんな呑気なことをホープ(
gc5231)は思う。
「‥‥酸素が異常に薄いな」
手持ちの可燃物で実験確認したキリル・シューキン(
gb2765)は、冷たい目で周囲を見回した。
ここは銀行家というブルジョアの邸宅。加えてパリのど真ん中。
相当に意図的なものを感じる。
(案外‥‥群衆の中から私たちを見ていたりしてな)
ニコラス・福山(
gc4423)は鼻先が触れそうなほどスライムに近づいている。
攻撃反応がないので、そのあたり大胆だ。そして発言はさらに大胆だ。
「中が見えないのは頂けないな。外から中が見えるスライムにして、どたばたを観察出来ないと、エンターテイメントとして成り立たん」
聞きとがめた海原環(
gc3865)は、早速彼を睨みつける。
「博士、なんですかそのサイコパスみたいな発想。言っていい事と悪い事とがあるんですから。こんな人の命を何とも思わない犯罪者と同列にならないでください」
「へいへい‥‥それにしてもなんだかさっきから、上手く呼吸が出来なくて胸が苦しい‥‥はっ。まさかこれが恋? なんてことだ、人ならざるものに恋い焦がれてしまったのか、私は‥‥」
よろよろっとスライム壁に手をつき胸を抑えるニコラスは、震える手でタバコを吸おうとした。しかし、何度やっても火がつかない。
「‥‥酸素が薄くなっている。こいつのせいか。なんだもう、びっくりしちった」
「茶番はいいです。せめて黙っててください」
そんな彼女をおちょくる男がもう一人いた。黒木 敬介(
gc5024)である。
「や、おひさ。俺のこと覚えてる? 前こっちのこと、思い切りひっぱたいてくれただろ」
「ええ覚えてますとも。何でまた任務が被るんですかね」
「おや嫌そうな顔。でも俺そんだけ根性のある子好き。食べちゃいたいくらい」
言った端から彼は、群衆のうちで不安そうにしている女性に向け愛想を振り撒く。
そんなたらしぶりを脇にしつつ、ムーグ・リード(
gc0402)は準備してきたエアタンクの最終確認を行った。
息苦しいという報告があったことから、確実にこれはいるだろうと思われたのだ。
セティも環も同じものを用意し、敬介は現場の消防から酸素マスクをいくつか借り受けている。
苦しくさせている内容が二酸化炭素らしいということは、キリル、ニコラスの実験によって明らかになった。
「しかしなんというか‥‥ここまで増殖されてると骨だなこりゃ‥‥」
ライン・ランドール(
gb9427)がぼやく。
ひとまず内部の見取り図と中にいるはずの人命リストは作ってもらっている。突入の下準備は出来ているのだ。
後はそう、セティ・D・バウンサー(
gc6285)が言うようにすればいいだけだが。
「まあどうあっても、屋敷の中へまずは侵入。取り残されてる人を救出、酸素が薄い場所から酸素の多い場所へ移動させる、でいいんだよな!」
それがなかなか難しい。
「‥‥一通リ‥‥試シテミル、コト、です、ネ‥‥」
かくして、ムーグの拳銃がまず火を噴いた。
通常武器とは段違いの威力に、スライムの表皮がヒビ入って剥がれる。
しかし、その後から柔らかい部分が滲み出、再度硬化していく。撃ち続けていなければ、たちまち傷がふさがってしまう。
ラインも超機械を携えて加わり、一応穴を空けられることを確認した。
空けた箇所が埋まってから固まるまで、持ってせいぜい二分。固まったものは、体重をかけられるほど強度がある。
「カチンカチンだな、おい」
「聞いたとおり、見かけによらず結構堅いのね〜嫌んなっちゃう」
元気のいいセティもホープも持て余し気味だ。攻撃が効いてないわけでないのだが、回復率が高すぎる。
しかしホープが火尖槍に切り替えたとき、変化が起きた。
攻撃されたそこだけ、スライムが白く濁ったのである。強度は変わらないものの。
「あれ。ちょっと何かに効いてる?」
彼女が目をぱちくりさせたのに続き、キリルがあることを発見した。
とにかく手当たり次第やってみようと、庭にある噴水の水をバケツでスライムにかけたところ、急にその部分だけ軟化したのである。
彼はホープの攻撃を参考に、スブロフに火をつけ投げ付けた。
瞬時に軟化箇所だけ燃え上がり、穴が空く。
そうやって出来た部分は縮れたビニールみたいな有り様になり、なかなか塞がらない。
この弱点が分かって、作業がぐっとはかどった。
出入り口があるとおぼしき場所に皆で水をかけてから、攻撃する。
その作業には、ニコラスも珍しくやる気になっていた。
「私のこの手が輝き叫ぶ、必殺! ライトニングフィンガァァァァー!」
ほどなくして、露出してきた扉を破壊する。
かいま見えた中は、ひたすら暗い。
暗視ゴーグルをつけたキリルが、まず真っ先に乗り込んで行く。
「よし、突入するぞ! 出口の確保を頼む!」
ムーグ、敬介、ライン、セティが続けて入って行く。
それを追う環の背に、ニコラスは声をかけた。
「出番だぞたまちゃん。さあ、逝ってこい」
「‥‥しっかりフォローしてくださいよ、博士」
どうも当てにならぬと思いつつ、彼女も一応そう返しておいた。
秋刀魚。もとい秋刀「魚」がそこはかとなく生臭い上あまり効かなかったので、壱式を主に使うことにして。
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送風機全開で風を送ってもらっているのだが、入った瞬間口鼻を塞がれるような重い大気が充満していた。
屋敷の入り口で、すでにかなりの人数が倒れているのが見えた。
奥は一体どうなっているのか。
現在通風も採光も扉からのみなので、それが届かない先、暗さに慣れない裸眼だけでは何があるかよく分からない。
「ここ頼む、俺ら奥探ってくるわ」
セティはキリルと右へ、敬介はムーグと左へ、別れて進んで行く。
環はラインとともに、手近にいる人間を救護する。
男女含め、総勢で10名だった。意識が無いのも3人いたが、幸い空気を吸わせると、2人はどうにか持ち直した。残り1名は、しかし昏睡したまま。
足を挫いて立てなくなっている人もいたので、そこはラインが治癒する。
どこかに明かりは無いのかと環はスイッチを探したが、それはすでにオンになっていた。
真っ暗になった時点で不安になって、誰かが明かりをつけようと思ったのであろうか。
その予想は正しかった。先ほど治癒させた人から、階段を降りていたところで急に暗くなり、将棋倒しになったのだと証言が得られたのだ。
ただの偶然とも思えない。
犯人は、近くで経過を見ていたのではないだろうか。
「玄関、10人確保。全員生存」
ラインが屋外への報告を行っている間環は、面白がるかの如き手口について、ふつふつと怒りをたぎらせる。
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一階の左半分を担当していたところ暗がりからいきなり足を掴まれたので、救援に来た身とはいえ、ムーグも思わず身構えた。
足元には倒れている男。意識がかなりはっきりしており、こう唸り上げてくる。
「‥‥とっとと空気をよこせ‥‥」
そして彼がいいとも言わないうち、タンクをもぎ取って吸い始めた。
意地汚いというか貪欲というか。しかしどこかで聞いたような声。
彼が呆れ半分に訝しんでるところ、追いついてきた敬介が頓狂な声を上げた。
「‥‥あっれ、そこにいんのもしかしてロン・アダムズさん?」
「なんだ、またお前達か」
ムーグもすぐさま思い出した。
それは、つい最近依頼を寄越してきた資本家であった。その時彼は労働者からバグアがらみで暴動を起こされていたのだが‥‥まさかこんなところで再会とは。
まあ、金持ち同士国境を越えて色んな付き合いがあるんだろうが。
「‥‥ホカの方、ハ、ドコニイル、カ、ゴ存じデスカ‥‥?」
「さあな。だが恐らく一階より上にはおらん。外に出ようとして皆降りてきたはずだ」
それだけ言うとロンは、敬介から酸素マスクを一つ当然のように取り上げ、自分で歩いて出て行った。
憎まれっ子何とやらという格言を思い出しつつ、二人は仲間にその情報を伝え、引き続き捜索を行う。
内側にまで入り込んで壁状になっているスライムは、外側ほどの厚みはないので、順次破壊し押し通って行けた。
壁に囲まれた中で息が切れている男女がいたので、蘇生措置を施した上、優先的に運び出す。
「待て‥‥私を連れて行け、私を‥‥死にそうなんだ‥‥私は客だぞ‥‥おい‥‥」
そんなふうに喋れる元気があるものは、近くにボンベを置いて後回しにして。
「優先、シ、助けル、ベキ、ヲ、助け、マショウ‥‥」
最終的に、彼らは7人を回収した。そのうちにルブラン氏と家人がいた。
息は戻ったものの、意識の戻らない者が1人出た。
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「お〜い‥‥意識がないなこりゃ、ほら救急車のあんちゃん、さっさと病院に連れてってやれ」
自分の仕事をニコラスは、流れ作業と心得ているらしい。
彼とともに穴が塞がらぬよう監視しているホープは、警察関係者に混じって群衆の監視もしている。
ひとまずこのキメラが攻撃的でないせいか、やじ馬たちも怖がらず、警備線スレスレまで迫ってくる。
中には写真など撮っているものも見えた。
平和な証拠とはいえ、困ったものだ。
「怖いもの見たさってやつかなぁ。分からなくもないけど‥‥」
頭をかくホープにニコラスは言う。
「まあまあ、大衆にしてみればこれも一種娯楽と呼べなくもないんだろう。消防団もっと放水ー」
一帯に飛沫が散り始めたので、群衆は少し遠ざかる。
夏ならまだしもこの季節、濡れたくはない。
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キリルとセティは一階の右半分を捜索していた。
非常に微々たるものだが明るくなってきた。柔らかくなったスライムの体皮が光を通すようになってきたらしい。
だが、同時にみしみし不吉な音がし始める。
「家自体が、重みに耐えられなくなってきているようだな」
「え、そりゃ勘弁。圧死は御免だぜ」
暗視ゴーグルがあるので、彼らの方がムーグたちより仕事がしやすかった。どんどん人を発見していく。とはいえ8人回収したうち、1人窒息していた。
大急ぎで蘇生措置を行い、なんとか呼吸と意識を取り戻させ、連れ出して行く。
「これで全員か? 1、2、3、4‥‥」
皆連れ出したところで、セティは頭数を再カウントし、救急隊や意識のある者に確認を取り、ようやく全員救助がなったということが確かにした。
とにかく死亡者はない。
意識不明のままの2人は緊急搬送した。病院にて本格的、適切な処理が行われることだろう。
かくて人命救助の任務は終了。
一同は続いて、最大の問題を話し合う。
「ところで、残ったスライムはどうするんだ。皆でタコ殴りか。そうなると、確実に家も倒壊するだろうが」
「‥‥スライムだけ破壊して屋敷を破壊しないってのは無理だよな。出来るなら俺ちっと食ってみたいけどさ。なんかこれな、微妙に甘い気がするんだよな」
「食べたのかセティちゃん。冒険者だな。腹壊すぞ」
「あー、そこんとこ大丈夫だと思う。まだ舐めただけだし、俺大概のもんは消化するし。覚醒すると腹減ってしゃあねえんだよな。なんかこの感触、マロニーにも似てるからさあ。鍋にしたら駄目かオペレーターに聞いてみようかな」
ニコラスと会話するセティは、びよんとなったスライムをつまみつつ、ルブラン氏の方を見る。
彼は助けられたものの、終始ぼんやりしている。無理もないが。
しかし一応その意志は確かめておこうと、ムーグが彼に歩み寄った。
「スライム、の、殲滅、ハ‥‥塵、モ、遺さヌ、ヨウ、ニ、シマショウ、カ? ‥‥家、ノ、損壊、ト‥‥敵、ノ、殲滅‥‥ドチラ、ヲ、優先、シマショウ‥‥?」
直後いい年した男から、ぎょっとするほど幼い言葉が発される。
「ぼくのおうち、ぼくのおうちどうしたの?」
ムーグは息を飲む。一緒にいた家人も狼狽した。
「お、お父さん、どうしたんですか」
「おまえ、だれだい。おとうさんて、だれだい。しらないよ」
ニコラスが眉ひそめ、戸惑っているムーグに耳打ちする。
「いかん。間に合わなかったのかも知れん」
「ソレ、は‥‥ドウイウ‥‥」
「単に錯乱しているだけだったらいいんだが‥‥ひょっとして低酸素障害かも‥‥一定以上酸素が運ばれないと脳の機能が壊れてしまうんだ。そんな場合、精神の退行現象がよく見られる」
とすると、搬送された人もあるいは。
ちらりと思うホープだったが、それ以上どうしようもないため、スライムに注意を戻す。
それにしても、アクティブじゃないキメラだった。本当に屋敷の人だけが狙いだったようだ。
「でも軍と何か関係あるのかなぁ? う〜ん、やっぱり難しいことはあんまり考えられないや」
彼女が首を傾げたとき、群衆の方から、屋敷に小瓶が飛んでくる。
「こら! もう誰、そういうことしちゃ」
続きの言葉は飲み込まれた。
瓶が投げ付けられ割れた箇所から、猛烈な勢いで火が噴きだしたのだ。
それはたちまちのうち屋敷を嘗め尽くしていく。
近くにいた人間は皆大急ぎで離れたが、ルブラン氏だけが悲鳴を上げ駆け寄って行く。
「ああ、ぼくのおうち、ぼくのおうちがもえちゃうよう!」
「危ない、あなたも燃えます! 離れてください!」
「落ち着けおっさん!」
それをラインとセティが押さえ込み引きはがしにかかる。
ムーグ、ホープも急いで協力する。駄々っ子のように暴れる大人を傷つけず押さえ込むのは、能力者とはいえ困難だった。
「いやだ、あっちいけ、あっちいけえ!」
ニコラスが救急に向けて叫ぶ。
「おい、鎮静剤、鎮静剤持ってきてくれ!」
環は警戒線の向こうへやじ馬を下がらせようとした。
「皆さん下がって、下がってください!」
敬介も手伝おうとやって来て、やじ馬のうちにさっき見た女をまた見、その隣の青年の顔を初めて認識する――違和感ゆえに。
近くにいた環も同じものを感じた。
炎を前に青年は笑っている。
嘲笑ではない。世にも優しげな微笑だ。何らかの善意に溢れた。
離れたところからそれを視界に留めたキリルは、経験的な疑惑を抱き、警戒線まで歩み寄る。
女が先に現場から背を向けた。
青年はなだめるようその肩を抱き、群衆と共に雑踏へ消えていく。
見送る能力者らに軽く手を振って。
ルブラン氏の屋敷は全焼し、キメラも消滅した。
消防が来ていたこともあり、幸い近隣への類焼は出なかった。