タイトル:願いの音律マスター:風華弓弦

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 1 人
リプレイ完成日時:
2010/03/26 00:27

●オープニング本文


●ある実験計画
 フランス南部の街、カルカッソンヌ。
 年が明け、春が近づいても『ブクリエ』のメンバー達は拠点であるブラッスリを出入りし、変わりなく警戒を続けていた。
 そこへ、一台の軍用車が滑り込む。
 それを目にした者達は人払いを頼まれた訳ではないが、遠慮するように一人二人とブラッスリを離れ、後にした。
 ブラッスリの主、コール・ウォーロックが元軍人である事は、『ブクリエ』のメンバーも知っており。用件までは知らされぬものの、昨年は軍からの要請を受けて、何らかの任についていた‥‥らしい。
 メンバーにはそれぞれ警察や軍に所属していた者もいて、改めてコールへ用件を問う者はいない。
 やがて視界から人の姿が消えると、助手席の扉が開いた。

「どうした? 何か、忘れ物でも‥‥」
 扉が開いた気配に、言いかけてコール・ウォーロックが顔をあげれば、本来この場で見る筈のない相手がそこにいる。
「いや。特にコレといった忘れ物はしておらぬ‥‥と、思うのであるが」
 突然ドイツからやって来た客人は、人懐っこい笑顔と悪戯っぽい目で、そう言った。
「俺も疲れてるか、症状が悪化したか‥‥アレの幻覚が見えるとはな」
「ちょ、アレだの幻覚なのでは、決してないのだよー!?」
 ふっと溜め息をついて煙草を咥えるコールへ、あわあわと大急ぎでティラン・フリーデンが否定する。
「‥‥本物か。『ラスト・ホープ』に飽き足らず、こっちでも不審者しに来たのか?」
「ふ、不審者など、したつもりはないのだよ! ただ単なる、偶然の行き違いであって‥‥」
 慌てっぷりに拍車がかかるティランへ、苦笑しながらコールはコーヒーを入れたカップを二つ、カウンターへ置いた。
 不審者騒動の元になった『けもみみ付パーカー』を着ているあたり、相変わらず不審者の自覚はないらしい。
「で、仏軍はいつから観光タクシー紛いの事を始めたんだ?」
 ティランの後ろで面白そうに成り行きを見物していたレナルド・ヴェンデルへ、コールが目を向ける。
「フランス国内は、不案内だそうでな。それに、このご時世だ」
「そうだな」
 友人の説明にコールが嘆息すれば、いそいそとカウンターのスツールに座ったティランが不本意そうな顔をした。
「言っておくが、当方は方向音痴ではないのであるよ?」
「じゃあ、一つ聞くが‥‥ここが競合地域に近いってのは、知ってるか?」
 ハテと小首を傾げるティランに、再びコールは溜め息をつく。
「で、本題は?」
 埒が明かぬとコールがレナルドへ水を向ければ、カップを傾けてから仏軍の大佐は一つ頷いた。
「ああ。彼の提案する『実験』に、付き合ってもらいたい。例の、コルシカの『洗脳被害』の件だ」
「‥‥実験?」
 当然、怪訝な表情を返す主に、ティランは何か期待する目線を向け。
 苦笑しながらコールは袋詰めのクッキーを出すと、カップの傍らへ袋ごと置いてやる。
「音の刺激でサブリミナル的にすり込みが行なわれていたのであるなら、同じく音波刺激でそれを解消出来ないかという話が、能力者諸氏からあったのだよ。かと言って、同じ事をしては道徳的にも問題があろうからな」
 もしゃもしゃと遠慮なくクッキーを齧りながら、ティランは事情を説明した。
「‥‥で?」
「うむ。まず手始めに、ウォーロック氏にとって精神的抑圧をとなる場所か、状況になるのが一番早かろうが‥‥どうであろうか?」
「断る」
「ナンであるとー!?」
 即拒否したコールにティランが驚愕し、くつくつとレナルドが笑う。
「まぁ、そう言わずに協力してやってくれ。頼める『被験者』は少なく、『被害者』は多い。『治療法』が見つかれば、コルシカの復興もそれだけ早くなる」
「それは、理解できるが‥‥」
 応えて、コールも自分のコーヒーカップを口へ運んだ。
「エミタの調子は、良くないのか?」
「いや。ここへ戻った頃と比較すれば、反応の回数自体は減っていると思う」
「多少は快方に、か。ともあれ、実質的には謹慎中の現状だ。お前も『ラスト・ホープ』へ行く事が出来ず、不便だろう。子供達の事も、気にかかっているだろうしな」
「あいつらの容態は?」
 話にのぼれば気になるのか、懸念をコールが口にする。
「こちらには、何も。特に、何らかの変化はないようだな」
「そうか」
 どこか重い沈黙に、クッキーをもぐもぐと食べながら、ティランは二人の顔を見比べて。
「ならばそれも、どうにか快方へ向かうよう、頑張ってみるのであるよ」
「‥‥どうやって」
 疑わしげに、だが全てを否定しきらぬ表情で視線を投げるコールへ、玩具職人は胸を張った。
「音による外部刺激で脳を刺激して状態の変化を促す、簡単に言えば音楽療法であるよ。とはいえ、刺激となる音に関しては、人によってそれぞれなのだ。そこで、能力者諸氏にも協力してもらい、コレと思う音を持ち寄ってもらうのはどうであろうと、考えた次第なのであるよ」
「つまり‥‥能力者自身がリラックスする音楽、もしくは音。サンプルにしたいのは、そんな感じか?」
 コーヒーの湯気を吹きながら、こくこくとティランは頷く。
「そんな訳だから、後はよろしく頼むよ」
 会話の間にコーヒーを干したレナルドが立ち上がり、コートを取り。
 それを見て、コールはティランへ身振りで席を外す旨を示し、扉へ向かった。

 外へ出れば、まだ冬の香りが残る風が肌を刺す。
「それで、そっちは何の用だったんだ」
「ああ。例の『彼女』から連絡は?」
「不定期だが、何度か。最後の連絡は二日前だな」
 車の傍らまで歩くとレナルドは足を止め、少し何事かを思案した。
「今朝、トゥールーズの基地へ『出頭』してきた」
「‥‥そうか」
 複雑な顔をするコールの反応に、レナルドは苦笑を返す。
「その様子なら、勧めた訳でもなさそうだな。ともあれ、例の発砲事件は動機に不明瞭な点も多いから、そのまま基地で拘置している。希望すれば面会も可能だが、現状ではそっちも動けない、か」
「無事が分かれば、それでいいさ。すまんな」
 肩を竦めたレナルドが助手席の扉を開け、軍用車へ乗り込んだ。
 走り去る車を見送ったコールは店内へと戻り、ふと思い出す。
「そういえば‥‥置いてってどーすんだ、こいつは」
「もぎゅ?」
 腰からぶら下がった尻尾アクセサリーを揺らしてクッキーを頬張りながら、ティランは小首を傾げた。

●参加者一覧

水上・未早(ga0049
20歳・♀・JG
鏑木 硯(ga0280
21歳・♂・PN
シャロン・エイヴァリー(ga1843
23歳・♀・AA
エマ・フリーデン(ga3078
23歳・♀・ER
ハンナ・ルーベンス(ga5138
23歳・♀・ER
空閑 ハバキ(ga5172
25歳・♂・HA
赤崎羽矢子(gb2140
28歳・♀・PN
イリーナ・アベリツェフ(gb5842
17歳・♀・ST

●リプレイ本文

●訪問
「こんにちは、コールさん。調子はどう?」
 顔を出したシャロン・エイヴァリー(ga1843)は、繁盛具合でも聞くような気安さでコール・ウォーロックへ尋ねつつ、いそいそとスツールの一つに座った。
 その隣へ、落ち着かない表情ながらも鏑木 硯(ga0280)が腰を下ろす。
「良くもなく悪くもなく、だな」
「難しいところね。で、硯は何にする?」
「えーっと、俺? って、注文?」
 不意を突かれた硯は慌ててメニューを確認し、その視界の隅でもふもふとした物体に気付いた。
「‥‥耳?」
「わ。もふもふさん‥‥!!」
 凝視する硯の後ろから空閑 ハバキ(ga5172)が声を上げれば、カウンターの端でクッキーを咥えたティラン・フリーデンがひょこと顔をあげる。
「もひゃ、もひょひくなひょなよ」
「うん、今回は宜しくね」
 口いっぱいな相手に笑いながら、ハバキもスツールへ腰掛け。
「こっちこっち。ゆきのんはココで!」
 始めて訪れた店の空気に戸惑う朧 幸乃(ga3078)へ、ぶんぶん手を振った。
「シューと、ティランだよ。シューはこのブラッスリで、反バグア支援の『ブクリエ』もやってるんだ」
「始めまして‥‥シュー?」
 ハバキの紹介に愛称かと幸乃が小首を傾げれば、コールは肩を竦める。
「『コール』が英名、『シュー』は仏名だ。好きな方で、どうぞ」
「そう、ですか。でしたら今日は、コールさんと呼びますね」
 躊躇いがちに断る幸乃へ、了解したという風に主は頷き。
「ところで、ティランさん‥‥洗脳だけじゃ足りなくて、改造まで受けたの?」
「のぎょ!? と、当方は、洗脳も改造もされていないのであるよ? よよ?」
 冗談めかすシャロンに、うろたえながらティランが訴えた。
「ホント? 先日の奇行、記事になってたわよ。はい」
『LHにキメラ怪人現る!?』と見出しのついたゴシップ紙をシャロンが置けば、がぼげぼとティランは珈琲にむせる。
 そのたびに、玩具職人が腰から下げたもふもふした狐尻尾風アクセがゆらゆら揺れて。
「尻尾‥‥かわいいな‥‥」
 どこかほんわりと、和み気味なイリーナ・アベリツェフ(gb5842)がぽつと呟いた。
 全員が見える位置に落ち着いていた赤崎羽矢子(gb2140)が、そんな光景に嘆息する。
「不審者というか、ただの変人だよねぇ‥‥アレ」
 それからバツが悪そうに、俯き気味でコールへ視線を移した。
「あー‥‥こないだは、悪かったね」
「さぁ、何の事やら」
 ぼそりと詫びた羽矢子は、とぼける相手に眉根を寄せる。
「結果はともかく、周りに迷惑かけた事には違いないからさ。コールにだって迷惑かけてるんだし、あたしの『借り』にさせてよ」
「そんな細かい貸し借りなんぞ気にしていたら、あっという間に老けるぞ」
「老け‥‥女性に向かって、ソレはないんじゃない?」
 口を尖らせた羽矢子の抗議に笑うコールを見て、水上・未早(ga0049)は少しほっとした。
「どうか、しましたか?」
「あ、いえ‥‥何でも」
 安堵する様子にハンナ・ルーベンス(ga5138)が声をかければ、急いで未早は頭を振り。
「『ラスト・ホープ』と違って、ここは寒いだろう。まぁ、グリーンランドはもっと寒いが」
 とりあえずとコールがハーブティを置き、二人は軽く会釈をする。
「その‥‥ご無沙汰して、すみません。一番大変だった時期に、何の力にもなれなくて‥‥」
「気遣い、ありがとうな。心配をかけたようなら、申し訳ないが」
「いえ、そんな事は‥‥大まかではありますが、経緯は伺っています。私でも何か、お役に立てれば良いんですが‥‥あ、いただきますね」
 カップへ未早は手を伸ばし、ハンナもまた香りに目を細めた。

●続く懸念
「ところで、コールさん‥‥以前にお願いしたアクロバット飛行チームの件、提案は通りそうでしょうか‥‥?」
 一口、カップを口へ運んだハンナが切り出せば、『客』へひと通り紅茶や珈琲を出したコールは腕組みをした。
「前に言ったトゥールーズ駐留陸軍のヴェンデルて奴に、話はした。だが常設の『部隊』となれば、目的が必要だからな」
 先を問うようにハンナが首を傾げ、嘆息してコールは天井を仰ぐ。
「高度な機体性能や操縦技術は、バグアを落として生還する為。戦う為に空を飛ぶ事を嫌い、その先を曲技飛行隊に求めたとして、行き着く先に大差はない‥‥と、俺は思うが。シスターは何のために、空へスモークアートを描きたいんだ?」
 投げられた問いに、じっとハンナはカップを見つめ、悩む。
 無為に飛んでも、望みは叶えられず。
 平和を願っても、その先が戦場である事に変わりはない――。
「そういえば、リヌさんはトゥールーズの基地に‥‥今もいるんですか?」
 耳慣れた町の名が出た事で気になったのか、おもむろに硯が聞いた。
「拘留中だ。警察ではなくトゥールーズの基地を選んだって事は、考えがあるんだろう」
 自発的な選択ならいいが、と、コールは気がかりをこぼす。
「リヌ、どうしてるかな‥‥シューも、会ってないんだよね?」
「ああ、基地には入れなくてな」
 ハバキの問いにコールは渋い顔をし、つられて硯も苦笑した。
「でも、無事でよかったです。イヴン達の容体がよくなったら、知らせたいですね」
「うん。それに、自分の意思にない行動に悩んでる筈で‥‥不安も、きっと」
 ぐっと言葉を飲み込んでから、カウンターへハバキが身を乗り出す。
「そういえばコルシカにも、白いカプセルがあったんだよね? 一連の問題と何か繋がりがあっても、不思議じゃないと思うんだ」
「コルシカの、白いカプセル‥‥?」
 耳慣れぬ言葉にイリーナが尋ね、静かに幸乃は話を聞いていた。
「コルシカでバグアが管理する施設にあり、地中海にも沈んでいたカプセルだ。沈んでいたヤツはUPC仏軍が引き上げ、トゥールーズの基地まで能力者の護衛付で搬送。その後、基地で扱いを検討している間に、監視の兵がそれを開けるという『事故』があってな」
「それでもしかして、中からキメラが出てきたとか?」
 ぴっとイリーナが人差し指を差せば、「当たりだ」とコールはラスクの皿を彼女の前へ置く。
「ふぅん。いろいろと、複雑な感じかも」
 人間関係も含めて‥‥だが、そこまではイリーナも口には出さず、さくりとラスクをかじった。
「ん、美味し」
「コールさん、ラスクは裏メニュー?」
「いいや、気分メニューだ」
 言外に色々と含みながら、上目遣いなシャロンにコールは笑ってラスクを用意し、それからティランのもふもふした頭を小突く。
「で、この後はどうするんだ。依頼人」
「そうであったのだ。まずは各人がコレと思ったものを、知りたいのであったのだが」
 すっかり本題を忘れていたのか、ほんにゃり寛ぎモードなティランが今更ながら改まった。

●午後の日向
 澄んだクリスマスソングが、午後のフロアに響いていた。
 ドラムのひと回しを終えると、未早は手回しオルゴールから手を離した。
「曲は、季節外れですけど‥‥オルゴールは癒しアイテムとしては定番ですし、音色自体は心安らぐものだと思いますよ」
 あとは、と鞄から出したケースを開けば、幾人かには見覚えのあるハーモニカが現れる。
「えぇと‥‥私自身は特に、演奏できる訳でもないんですけど。小学校の頃、学校で習った曲がせいぜいで‥‥エ、エーデルワイスとか」
 僅かに赤くなりながら、俯いて未早は金属製のボディを指でなぞった。
「とりあえず、手持ちで音の出るような物を持ち出してきました。あ、そうそう。これ、ティランさんの所のですよね」
 そのまま未早がぱたんと蓋を閉じ、ハテとティランが首を傾げる。
「うむ、そうであるが。吹くのではないのか?」
「演奏できる人が吹いた方が、効果あるかと思うんですけど‥‥ダメですか?」
 やっぱり恥ずかしいのか、恐る恐る未早が確認すれば。
 困る彼女を助けるように、笛の音がゆっくりと滑り出した。
 音の源を辿れば、ハバキやアンドレアス・ラーセンと同じテーブルで、幸乃が銀のフルートを吹いている。
 耳慣れた旋律なのか、彼女と同郷のハバキはテーブルをタップし、ハミングでメロディを追いかけ始め。
 膝にギターを置いたアンドレアスが、音を拾って弦を爪弾く。
 明るいメロディの曲を聞き返せば、コードを覚えた『伴奏』は更にアレンジを加え。
 うずうずしているハバキに、演奏の手を止めず幸乃が目で合図した。
 すると嬉しそうに幸乃のハーモニカを借りて、軽く低音から高音へグリッサンドをし。
 彼がフルートのパートを吹き始めれば、今度は幸乃がスキャットで唄う。
 曲は知らなくても、聞く者達はリズムを取りながら耳を傾けて。
 楽しげな短いセッションが終われば、自然と拍手が起きた。
「今のは?」
「俺がロスにいた頃、流行っていた曲だよ。ああ、なんか久し振りー!」
 尋ねる羽矢子へ、満足げな笑顔でハバキが答える。
「俺がアスのロフトに転がり込んだ時に、何にも言わないで聞かせてくれた音。すごーく良かったんだ‥‥そんなんで、結局のトコ。寛げる音ってのは、その人の好みや、それまでの経験に基づくものなんじゃないかな」
「コルシカの人なら、ウォーヂェ?」
 真っ先に思い浮かんだ案を羽矢子が口にすれば、ハバキは勢いよく頷く。
「でもシューの好む音がコルシカの人達も好む音と限らないのも、難しいトコだよね。共有し得るウォーヂェで、効果が上がればいいんだけど」
「そうだな。俺も、島民にはウォーヂェがいいと思う。コールには‥‥ケルト民謡か? 種の記憶に結びつくような‥‥」
 思案顔で、アンドレアスも呟き。
「確かに子供の頃から聞く機会が多い音なんか、いいんじゃないかな。よく聞いた歌、とか」
「コールさんと子守唄‥‥すみません、ちょっとイメージが」
 硯の言葉に未早は複雑な表情を返し、ぽしぽしとコールは髪を掻いた。
「安心しろ。俺も、思いつかん」
「言って、ポンと出てきたら苦労はない、か」
 苦笑するシャロンに、ハンナもまた考え込む。
「イギリスでも、特にスコットランドの方はバグパイプの音に親しむと聞きますけどね」
「う〜ん。私は‥‥未早と同じだけど、コレかな」
 シャロンもまた手回しオルゴールを取り出せば、見覚えのある硯はドキリとした。
「毎日、超最先端な機械と一緒に生活してるじゃない? だからたまーに、こういう音に安心しちゃうっていうか」
 ハンドルを回せば、元気な曲に合わせて三匹のイルカが動く。
「リラックスできる音は、皆、個人差があってバラバラだと思うけど、大事な物を連想する音ってことじゃないかな。波の音や風の音で、自然っていう大きなものを身近に感じたり。子守唄や、学生の時に歌った歌なんかは、自分の過去だったり‥‥このオルゴールは、プレゼントしてくれた誰かさんだったり」
 にっこりと笑みを向けるシャロンに、改めて硯は赤くなった。
「俺は、和室に合う音が落ち着けますね。小川のせせらぎ、ししおどしの音、笹の葉の風になびく葉音、小鳥の囀り。文化の違いがあるから、効果は判りませんけど。あとは、水の中に全身沈めての身体全体で音を体感するとか‥‥シャロンさんが言ってた波の音なんか、良さそうです」
 落ち着かなさそうに硯がひと息で説明をすれば、イリーナもこくと頷く。
「音を体感するなら、重低音でゆっくりとしたチェロの音も気持ちいいですよ。特にヒーリング系の曲だと深く呼吸している感じがして、落ち着きます。それから、匂いも」
「匂い?」
 ティランが聞き返せば、席を立ったイリーナは厨房からオレンジを取ってきた。
「こういう柑橘系の匂い、です。なんとなく、薄れかけた故郷の匂いを思い出すような‥‥」
 両手で持ったオレンジへ、目を伏せて彼女は顔を寄せる。
「何の果物で、どこが自分の故郷か私は思い出せないけど、すっとした匂いを嗅ぐと少し懐かしい気持ちになって。ちょっとだけ、安心できるから」
 ふと、あの人は元気かな‥‥と、一瞬そんな想いを馳せた。
「何かの、役に立てます?」
「ふむ。匂いというのは、考えてなかったのであるよ」
 小首を傾げるイリーナへ感心した風にティランが思案し、幸乃はキャンドルやフレグランスを取り出す。
「それなら、幾つか用意してきました‥‥試してみます?」
「いや、今は香りが残ると不味い。だが、参考にはするよ」
 礼を言うコールに、幸乃は首肯した。
「では、聖歌はどうでしょう。私が覚醒した時、エミタの作用で心に聴こえてくる曲ですが、とても落ち着くんです」
 控え目にハンナが唄う聖歌は、彼女の内で聖歌隊の合唱の形で聞こえるという。
「馴染みが深くて、人の深い所に根差してるものだね」
 ハンナの案に、羽矢子も脈がありそうだと賛同した。
「でもいっそ、催眠療法で音の他にも洗脳を解く方法を探せばいいのに」
「洗脳が悪化する可能性もあるし、島民個々には無理だからな」
 厄介なもんだと、改めてコールがぼやき。
「広大な心象世界の中で、望まず植えつけられた針を見つけるが如き難事ですが‥‥幸運を、コールさん‥‥」
「‥‥感謝する」
 十字を切り、指を組んで祈るハンナへ、瞑目して礼を告げた。
「ところで、ハバキさんが‥‥」
 遠慮がちに未早が指差せば、うつらうつらとハバキがうたた寝をしている。
「最近、あまり眠れない‥‥ようですから」
 心配顔の友人達へ、誰もが静かに頷いた。
「まぁ、効果はともかく。とりあえず、私はコールさんが料理する時の音、結構好きよ?」
 小声でシャロンが片目を瞑れば、正直にも腹がくぅと鳴る。
「了解した。その前に、リヌから『礼』を渡しておくよ」
 小さな箱をシャロンへ渡すと、コールは厨房へ向かった。
 その背を見送ってから、硯もまたシャロンへ包みを差し出す。
「あの、シャロンさん。これ‥‥先月のお礼に」
 受け取って中を覗けば、イルカやシャチ、クジラなどの他に、いろいろと海の生き物ぽい変な形のクッキーが入っていた。
「これ‥‥?」
「手作り、です。味見も、ちゃんと一応」
 照れくさそうな答えに、ぱっとシャロンの表情が輝く。
「ありがとう、硯! もったいなくて食べれなかったら、どうしよう」
「また作りますから、食べて下さい」
 喜ぶシャロンに硯は笑顔で応え、二人の様子に羽矢子はそっと溜め息を一つ。
「あたし、何やってるんだろ。そもそも、どうしてこんなのが‥‥」
 ちらと見やれば、疑問顔のティランが「むむ?」と目を瞬かせた。
「って、何でもない。まぁ、弄って面白くはあるんだけどさ」
 もふってやろうかと思った矢先、急にティランがぽむと手を打つ。
「実は羽矢子君に、渡す物があるのだよ。女性からの贈り物にはちゃんと礼を返すよう、伯爵に言われたのだ」
 それからイリーナと幸乃、そして寝ているハバキには後でと、ティランは『もふもふな記念』を渡し。
 その背を見ながら、手渡された品物に喜ぶべきか呆れるべきか‥‥力いっぱい、羽矢子は悩んだ。