●リプレイ本文
緑の草原がどこまでも波打っている。かつては広大な小麦畑であったのが、今では名も知れぬ草がはびこっている。畑を、かつての畑を貫いて、一本の道が伸びている。今では、ほとんど誰も通ることのない道。そこを、久方ぶりに一台の車が走っていた。
ハンドルを握るのは、和服の、まだ若い女性。如月・由梨(
ga1805)である。
「‥‥急がなくては」
そういって草原の向こうを見つめるのは、修道女服のハンナ・ルーベンス(
ga5138)である。
「強制的に連れ戻しても同じ事の繰り返しになっちゃうかも‥‥ユージェニーさんを心から動かしたい!」
助手席で水理 和奏(
ga1500)が意気込む。車に乗る一行は、皆同じ思いで肯いた。
「この道で大丈夫でしょうか。お母様の話では、南へ行ったということですけれども」
もう一人の和服の女性、夜明・暁(
ga9047)が確認する。
「この辺りは耕作放置されていて、草丈も高いです。馬とはいえ、歩きやすい道を選ぶでしょう」
ハンドルを握る由梨が応える。
「この道は尾根線だからね。見通しも利くし」
和奏は由梨から借りた双眼鏡を覗いている。
「それにしても、エミタ・スチムソン‥‥最初に会ったのはアジア決戦のときでしたか‥‥」
由梨は、エミタとの邂逅を思い起こす。それは、よい記憶ではない。
「私には、ユージェニーさん、彼女の憧れが、エミタさんを模った虚無に思えてならないのです‥‥」
「ええ、とにかく、彼女のお話を聞いてあげないといけませんね」
愁眉のハンナに、暁も若干焦りを見せる。
「見つけた!」
双眼鏡を覗いている和奏が声をあげる。双眼鏡の向こう、谷沿いの道に、騎乗した少女の姿が見える。
「どちら? 距離は?」
「十時の方向。距離は‥‥一キロ切ってる。谷沿いの道。平行に進んでる」
和奏の報告を受け、由梨は車のスピードを落とし始めた。次第に、ユージェニーの影が近くなる。向こうは軽早足の乗用馬である。次第に、傭兵達のジーザリオとユージェニーは距離を詰めていった。
ユージェニーが馬を停める。愛馬の首筋を軽くなでて慰労する。ちょうど、今は誰もいない納屋があった。彼女は馬から降りると、納屋の脇にある水道の管に手綱を巻きつける。蛇口をひねると、澄明な水がほとばしった。馬に水を飲ませつつ、自身も帽子を脱いで、一息ついた。
「リシテア、もうすぐだね。もうすぐ、会えるわ。私のエミタさま」
愛馬の首筋をなでつつ、彼女は遠くを見つめる。遠く、空の向こうを。
エンジン音がする。丘の向こうから、一台の自動車がやってくる。なんだろうか、と見る間に車は速度を落とす。自分を連れ戻しにきたのだろうか。ユージェニーは身構えた。
中から出てきたのは、和服の女性だった。見るも艶やかな、日本の伝統服。荒野に咲ける、大輪の花が、二輪。それから続いて、修道女、それに学生服を着た女の子があらわれる。ユージェニーはあっけにとられた。
「ごきげんよう、初めまして、ユージェニー・ヴェッティンさん‥‥」
そう、微笑みながら、修道女が静かに挨拶する。
「はじめまして。夜明・暁です。お茶にしませんかぁ?」
和服姿の女性が、微笑みながら茶葉の入った缶を見せる。
「僕は水理和奏。よろしくね!」
セーラー服姿の、ユージェニーより若い彼女は、そういって握手を求める。
「は、はい‥‥よろしく、お願いします」
彼女があっけにとられている間に、車からはキャンプ用品が運び出されていく。あっという間に、ティーパーティの会場がしつらえられた。
暁が、持ってきたティーセットでお茶を淹れる。お茶菓子をトレイに並べていく。
「貴女方は‥‥お母様に言われてきたの?」
ユージェニーは若干緊張しつつ、突然の来訪者達に問う。
「ええ、でもね。私達は、まず貴女にお話を伺いたいの」
ハンナがにっこりと微笑む。ユージェニーの表情は、まだ堅い。
「お母様には伺いましたの。貴女の、エミタへの思いも。‥‥私の大切な人も、エミタ・スチムソンに墜とされたのよ。貴女のお父様と、同じく」
由梨が淡々とした口調で話す。
「でしたら、わかるでしょう。私は、お父様を、あのお父様を墜としたという、エミタさまに会わなければいけないの。憧れなの」
「憧れ、ですか‥‥彼女に対して私は、そういう感情を抱くことはないのですけれど。貴女はそんな風に想っているのですね」
「私が‥‥おかしいのかしら」
ユージェニーの言葉を、だが由梨は否定しはしない。
「いえ、そんなことはないわ。貴女は、あなたの想いでここまできたのですもの。それは、わかるわ」
「はい、お茶が入りましたよぉ」
と、暁がお盆に茶碗を載せてやってくる。茶碗といっても、キャンプ用のステンレス製のものだが。
「わ、わわっ」
「だ、大丈夫ですか?」
地面には別に何もないのだが、暁が身体のバランスを崩してしまう。ユージェニーがそれに驚いて手を差し出そうとする。
「あはは、大丈夫です。私、いつもどじ踏んで‥‥お茶は、無事ですから」
そういってカップに入った紅茶を差し出す。
「ありがとうございます。ああ、いい香り」
蘭のような華やかな香りがあたりに漂う。
「キーマン、お好きなのね」
由梨がカップを手に微笑む。
「ええ。お父様が、よく欧州から送ってくださったの」
「ふふ、ユージェニーさん、やっと笑ってくださった」
「あ、その、うん、いえ」
ハンナの指摘に、ユージェニーが顔を白黒してしまう。
「うんうん、笑っていたほうがいいよ」
和奏もカップを手にしつつ笑みを見せた。
「それで、お話を聞かせてくれるかしら」
「ええ‥‥私、お父様が亡くなって。私、お父様を愛していたわ。でも、ある日、エミタさまの写真を見つけて‥‥お父様を墜としたのがエミタさまと知ったわ。あのお父様を、あのお父様を堕とすだなんて」
ハンナが促すと、ユージェニーは話を続けた。
「私、想ったの。あのお父様を堕とすだなんて、どんなに、どんなにすごい方なのかしらって。それが、写真で見たあのエミタさまと知って。ああ、私は思ったわ。あの方なら、おかしくないって」
「そうでしたか。それで、エミタに会いたいと、思ったのね」
由梨の言葉に、ユージェニーは肯いた。
「エミタさまの乗る機体の映像も見ることができましたの。思わず息を飲みました。華麗。その一言につきました。あの方が、この機体を駈っている。私、会わなければ、って思いましたの」
「うん。でも、バグアと接触できたとして、どうなってしまうか。彼らは、あなたをどうすると思う?」
暁が、ユージェニーの言葉に、愁眉を見せる。
「どうするか‥‥なんて、でも、私は‥‥とにかく、いかないと」
「貴女も、バグアになってしまうかもしれないのよ」
暁は、更に悲しそうな顔をして、ユージェニーを見据える。
「エミタさまと同じになれるのなら、いいわ」
「駄目よ、それはもう貴女ではなくなってしまうのよ」
暁は思わず落涙した。
「それでも、あなたはエミタに会いたい。そうなのね」
由梨の言葉に、ユージェニーは黙って、だか弱弱しく、肯いた。しばし、沈黙が流れた。
「お菓子、いただきましょう。みんな、おなかすいたんじゃないかしら?」
「僕も手伝うよ!」
暁が、微笑を浮かべて、提案する。和奏も手伝って、お菓子を並べ始めた。
やがて、日が西に傾ぐ。辺りは茜色の夕日に染められていく。傭兵一行は納屋の中にキャンプを張り始める。ユージェニーも、何とはなしに流されるまま、それを手伝ったりした。
やがて夜になる。五人で静かな夕食を取る。午後の間、ユージェニーからぽつぽつと話を引き出せたが、まだ翻意というには決定打がなかった。
暁がぽつぽつと語る。
「ユージェニーさん、貴女がこのままエミタの下へ行ったとして‥‥残されたお母様はどうなってしまうと、お考えなの?」
「母は‥‥もういいんです。仕事ばかりで、ろくに家にもいないような人」
「そうなの、そう思っていらっしゃるのね」
暁は辛そうな顔をする。
「でも、ご家族はお母様だけなのでしょう? そんな、そう、ユージェニーさんは、寂しくないの?」
由梨がやはり辛そうな顔で尋ねる。
「寂しいけれど‥‥でも、いえ、だから、私は行きたいの。行かせて欲しいの」
そう語るユージェニーの、だが肩は力なく落ちている。
また、沈黙が流れることしばし。和奏が、沈黙を破る。
「あのね‥‥僕も好きなお姉さんがいるの! この写真に一緒に写ってるお姉さんで‥‥」
和奏が写真を見せつつ、切ない表情をする。
「今は遠くにいて会えなくて‥‥飛んでいって会いたいくらい寂しくて‥‥愛してるっ‥‥なので僕、同じ様な感じのユージェニーさんに共感しちゃってる‥‥」
和奏がユージェニーの手を取って見つめる。
「僕はハンナお姉さんの妹的存在で、さらに二人共ドロームのミユ社長の妹的存在で、実妹でバグアのリリアを取り戻すために戦ってるけれど、同時に、エミタを取り戻す事だって頑張れるから‥‥! 何より、同じ様に年上のお姉さんに惹かれてるって他人事とは思えなくて‥‥」
「うん‥‥わかってくれるんだ。誰も、わかってくれないと思ってた。だって、私、お父様を殺されているのに、変だよね」
ユージェニーが俯いた。彼女の目から涙が溢れた。少し待って、ハンナも口を開いた。
「何故私がこの依頼を受けたのか‥‥お話します‥‥」
ランタンの明かりがハンナの横顔を照らす。
「『私も貴女を実の妹のように思っている』そういってくれた、バグア北米司令官リリア・ベルナールをバグアの手から取り戻すための、私の戦い。どんなに僅かな望みであっても、諦めない誓い。‥‥だからこそ」
ハンナはユージェニーを見つめる。
「死に魅入られ、エミタさんを模った虚無に駆られる貴女を見逃せなかったのです‥‥この誘惑を断ち切って、初めて貴女は向き合うことができる‥‥貴女の心のエミタさんに」
「私の‥‥心の?」
「ええ」
「私‥‥でも、こうしていても、心の中にはあの方の姿ばかりが浮かぶのよ。私、自分の心を見つめれば見つめるほど、あの方への想いばかり募るの。それも、虚無なの?」
ユージェニーが俯く。
「貴女の心が偽りなどとはいっていないのよ。あなたの心は本物よ」
ハンナが彼女の肩に手を乗せる。
「泣かないで、ユージェニーさん」
和奏が彼女にすがりつく。頬を伝う涙をぬぐう。ユージェニーは肩を大きく震わせる。
「‥‥そうだ! 一緒にユージェニーさんもハンナお姉さんの妹になろう!」
「え‥‥ハンナ、さんの?」
予想外の提案に、ユージェニーは涙を拭くのも忘れて、きょとんとする。
「うん‥‥だから‥‥」
和奏も肩を震わせる。
「だから‥‥行かないで!」
和奏はユージェニーに抱きつく。
「今行ったらバグアに捕まっちゃう‥‥そんなの嫌だよ‥‥」
そういって和奏は嗚咽を漏らす。ユージェニーの上着が涙で濡れる。ユージェニーの瞳にも、再び涙が零れてゆく。
「和奏‥‥さん。ハンナ‥‥さん」
ハンナは、無言で微笑んだ。微笑んで、ユージェニーの頬を伝う涙をぬぐう。
「もしも会いたいというのでしたら、一つ。方法はありますよ」
由梨が、曖昧な表情で切り出す。
「能力者になる検査は受けたこと、ありますか?」
「いえ‥‥ないです。お父様が‥‥避けさせていたようなのですけれど」
由梨は、戦場へ送り出すことを苦としつつも、その道を勧めた。
「戦場にいれば、いつかきっと会えるはずです」
「戦場‥‥」
ユージェニーがつぶやく。その言葉に、顔を明るくするものはいない。
「お茶‥‥淹れますね。泣いたら、のど乾きますでしょう?」
「暁さん、泣いたらのどが渇くなんて、あんまり聞いたことないわ」
暁の言葉に由梨が、少し笑いを交えて応える。
「いえ、その、泣いたら水分使うからのどが渇くかな、なんて‥‥あまり、いいませんよね」
「ふふ、でも一応理にはかなっていますね。お茶は、いただきましょう。ね?」
ハンナも、その表情に笑みを取り戻して、ユージェニーに訊ねる。ユージェニーも、いくらか表情をほころばせて、それに応じた。
朝の陽光が開け放たれた納屋の扉から降り注ぐ。今となっては手入れするもののいない、かつての麦畑が緑に輝く。それを眺める少女の顔も、やはり陽光に輝かしく見えた。
「決めました、私」
空の彼方を振り仰ぐユージェニー。傭兵達は、彼女の言葉を待った。
「私‥‥エミタさまに、戦場で会います」
彼女の瞳に迷いはなかった。
「戦うのは怖いです、でも、私‥‥本当の心を確かめたいの。私の」
「ユージェニーさん」
ハンナが彼女の手を取った。
「貴女の行く道に祝福を。そして、貴女の心を見つけてください」
続いて、由梨が代わりに手を取る。
「貴女を戦場に行かせることが果たしてよかったのか‥‥でも、貴女を信じます」
「ユージェニーさん」
和奏が手を取る。
「僕たちきっとよい友達になれるよ!」
「うん、ありがとう。手紙、書きますね」
最後に、暁が手を取った。
「いつか、またいっしょにお茶をしましょうね」
「はい」
満面の笑みを見せる暁に、ユージェニーも笑みを見せる。
「私、よかったわ。貴女達に会えて。私、生きたい。そう、思えるもの。生きて、いつか、本当にエミタさまに会うの」
草原を風が吹く。ユージェニーの髪を揺らす。ユージェニーの瞳から、一滴の涙が零れた。それは、決別の涙。和奏が彼女に抱きついた。和奏は踊るように、一周した。互いに、笑みを見せる。明日は戦いになるかもしれない。だが――それはまだ明日の話。今日はまだ、互いに笑いあえればいい。