タイトル:3室 海の上、空高くマスター:柏木雄馬

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/07/23 02:45

●オープニング本文


 2009年12月 南米。某ホテルの一室──

 いつの間にか、日は沈んでいた。
 だだっ広い最上階のスイートルーム──天井の豪奢なシャンデリアは、しかし、その煌びやかな装飾を輝かせてはいなかった。
 暗闇に沈んだ室内を仄かに照らす、ラップトップパソコンのモニタの光。一心不乱にキーボードを叩く音だけが微かに響き、闇の中へと消えていく。
 部屋の片隅、小さなデスクの前に陣取った男は、もう何時間もそこから動いていなかった。キーボードの上で踊る指先──それに合わせて流れるように、脳内に記録された無意味な文字列が次々とモニタ上へと写し取られていく‥‥
 彼にとってそれは、この時点においては無意味なアルファベットの羅列に過ぎない。彼は特異な才能の持ち主で、一見した物を悉く記憶できる『完全記憶』の持ち主の持ち主であったが、記憶を知識として『活用』するのはまた別の話である。だが、今、こうしてライティングソフトに積み上げている情報は、他社に売りつけるだけでも莫大な利益を彼にもたらすはずだった。
 モニタに映るその情報は‥‥ドローム社のF−201に使用されている、『気流制御補助力場発生装置』に関する、性能・運用データを含む諸々の機密事項だったからだ。
「まったく‥‥うかつにも程がありますよ、先輩。こんなものをこの僕の前で見せるなんて、ね」
 男の名は、ラファエル・クーセラ。南米を中心に活動する凄腕のシステムエンジニア。この日、大学の先輩でもあるドローム社第3KV開発室長ヘンリー・キンベルから、F−201系新型機──その気流制御補助力場関係の主SEとしてスカウトされ、その際、「みんなにはないしょだよ」と社外秘の資料を『一見』し、一字一句、小数点以下の数値に至るまで、その悉くを記憶していた。
 自分は運が良い、と、ラファエルはキーを叩きながらほくそえんだ。この日、彼が築いた邸宅は、親バグア派を騙る武装集団の襲撃を受けて半壊していたが、その同じ日にこのような『金を産む卵』を『入手』できるとは。ここでの『仕事』もそろそろ潮時であったから、ある意味、渡りに船だった。こいつを売りつけた金で暫くは豪遊できる。南米にも飽きてきた頃合だし、今度は北欧辺りで一旗上げるのもいいかも知れない‥‥
 数時間をかけ、全ての情報を脳内からデータに『写し取った』ラファエルは、纏め上げたファイルをメディアに保存しようとして‥‥Enterキーを叩く寸前、躊躇うようにその指を止めた。
 ヘンリーの、呆れる程に人の良さそうな、底抜けに呑気な笑顔が脳裏に浮かぶ。或いは、襲撃に際して共に弾丸の下を潜り抜けた事がある種のシンパシーを生じせしめているのだろうか。
 自らの心の内に唐突に沸き起こった情動に、ラファエルは戸惑い、眉をひそめた。保存の確認を求めるウィンドウを点灯させたまま、背もたれに身体を預けて難しい顔で腕を組む。暗闇とモニタの明かり。アンティークな時計の刻むシックな音だけが室内に鳴り響く‥‥
 ボーン‥‥、と鐘が一つなり、ラファエルは身を起こした。そのままマウスには手を伸ばさず、キーボードでOSを終了させる。パソコンは記録の確認を再度求めてきたが、ラファエルはフンと鼻を鳴らすと、電源をぶち切って強制終了させた。
「そうだな‥‥自らの才覚に拠らず稼いだ金に、何の意味があるというのか‥‥」
 フリーランスにはフリーランスの意地というものがある。ラファエルはデスクから立ち上がると、ラップトップをバスタブに投げ沈めてキングサイズのベッドにその身を投げ出した。
 とはいえ、ドロームの鎖に繋がれる気もラファエルには全くなかった。今すぐどうこう言う程カネに困っているわけでなし‥‥ともかく、朝早くにはここを出て、諸々の厄介事から身を隠さないと‥‥

 鐘の音が2つ鳴った。
 闇に慣れた目には、窓から差し込む月明りがこの上なく明るく見える。
 ベッドから聞こえてくる安らかな寝息。時計の音だけが常と変わらず時を刻む‥‥
 身動ぎ一つせず、闇の中に溶け込んでいたダークスーツのその男は、手にした拳銃を胸元のホルスターに収めると、音一つ立てずに部屋を出た。

●2010年7月 アラスカ。某宿泊施設の一室──

「わかった、わかりましたよ。まったく‥‥先輩、本当に貴方はしつこい人だ!」
 フリーのシステムエンジニア、ラファエル・クーセラは、昨年度末以来、何度目かになるヘンリーの訪問に、根負けしたように両手を上げた。
「北海に臨む掘っ立て小屋から、南米の安宿まで‥‥どこにでも追いかけて来るんですからね。そこまでして僕の能力が欲しいというなら、それも技術者として冥利に尽きるというもの」
「では‥‥」
「ええ。微力ながら、先輩のお力添えをさせて頂きますよ」
 そのラファエルの返事に歓喜したヘンリーは、宿に戻ると本社のKV企画開発部、同期のモリス・グレーに喜び勇んで電話を入れた。どうやら上手くいきそうだ、と子供の様にはしゃいでみせる。
 モリスは3cm程耳から受話器を離して一通りそれを聞き流すと、淡々とした声でヘンリーに告げた。
「港に1隻のクルーズ船が停泊している。船名は『クイーン・パシフィック号』‥‥そう、西海岸まで運行している。マスクラスだがな、こちらで手を回して乗船チケットを手配しておいた。有給が溜まっていただろう? 休暇がてら、のんびりと帰って来い」
 モリスの『心遣い』に驚愕したヘンリーは‥‥感涙に咽んだりはしなかった。
「‥‥おい。何を考えている?」
「ラファエル・クーセラが該当の船に搭乗している。‥‥契約書にサインはしていないんだろ? 逃げたぞ、あいつ」
 急げ、出港まで間がないぞ、との言葉に慌てて宿を飛び出すヘンリー。本社のモリスは嘆息しながら、指先で電話機のフックを押して回線を切断すると、そのまま内線へと電話を繋げた。
「ああ‥‥企画部のモリスだ。ああ‥‥ああ‥‥よろしく頼む。‥‥分かっている。借り1だ。このまま上手くいったら、内密にしてやってくれ。最終的に社の利益になれば結果オーライだろ?」

●参加者一覧

寿 源次(ga3427
30歳・♂・ST
守原クリア(ga4864
20歳・♀・JG
阿野次 のもじ(ga5480
16歳・♀・PN
守原有希(ga8582
20歳・♂・AA
ヴェロニク・ヴァルタン(gb2488
18歳・♀・HD
ルノア・アラバスター(gb5133
14歳・♀・JG
獅月 きら(gc1055
17歳・♀・ER
桃代 龍牙(gc4290
32歳・♂・CA

●リプレイ本文

「わ、わっ。本当に豪華なお船! これに乗って一週間のクルージングなんて‥‥楽しみですねっ!」
「ん‥‥船上の、プール、なんて‥‥TV、位で、しか、見た事、ない、です」
 舷側から、出港間際のクルーズ船へと乗り込んだ獅月 きら(gc1055)とルノア・アラバスター(gb5133)は、メインエントランスからオープンデッキに駆け上がると、手摺にぶつかる様な勢いでプールデッキを見下ろした。
 大きな旅行鞄にめかし込んだお洒落な服と帽子──きょろきょろと物珍しそうに辺りを見回す二人は『初めて乗船した豪華客船にはしゃぐ仲良し姉妹』といった風だ。だが、そんな彼女たちは、ヘンリーの護衛につけられた能力者の傭兵だった。鞄には武装が隠されているし、ふんわり棚引くスカートの中には、銃を収めたホルスターが太股に固定されている。物珍しそうに周囲を見回しているのも、不審人物がいないか確認をする為なのだ。‥‥まぁ、半ば素で物珍しかったりするのだが。
「しかし、豪華客船とはな‥‥未だにこんなものが動いている所があったんだなぁ‥‥」
 ヘンリーと並んで乗船した桃代 龍牙(gc4290)が、火の点いていない煙管(これも仕込み刀である)を咥えたまま、半ば呆れた様に呟いた。
「元々、北米には安価な定期クルーズが根付いていたからね。カリブ海や南米はまだ無理だけど、アラスカへは運行できるようになったみたいだ」
 へぇ、と感心してみせる龍牙。だが、ラファエルと同じ船のチケットを後から人数分確保して、なおかつ、同室に捻じ込むとは‥‥
「船会社がドローム資本なんだ」
「ああ‥‥」
 二人は、避難経路や救命艇、階段等の位置確認をしてきた守原有希(ga8582)と寿 源次(ga3427)と合流すると、船室への移動を開始した。
「‥‥中々強敵みたいじゃないか、室長。正直、手応えの方はどうなんだい?」
 源次の問いに肩を竦めるヘンリー。源次は辿り着いた船室の部屋番を確認すると、一応、罠らしきものを警戒しながら扉を開け放つ。
 手狭な──それでもビジネスホテルに比べたら広いだろうか──ベランダ付きの二人部屋。正面、ソファの向こうに並ぶベッドの上で荷を解いていたラファエルは、普通に客として入って来たヘンリーを見て天を仰いだ。
「や。あの襲撃事件以来か。相変わらずご健勝のようでなによりだ」
 源次の挨拶に苦笑で礼を返すラファエル。笑うしかない、といったところだろうか。その心中を慮った源次が気の毒そうに笑みを返す。
「ヘンリーさん、ヘンリーさん! お仕事は勿論、精いっぱい務めさせて頂きますけど、その‥‥非番の時には、あの‥‥」
 入室と同時に船室のベランダに駆け寄っていたきらが、言外に期待を滲ませながらヘンリーを振り返る。
 ヘンリーは苦笑した。
「ああ、いいよ。出港しちゃえばそうそう変な事もないだろうし‥‥」
「やったー!」
 喜ぶきら。ぎゅーっ、と抱き締められたルノアが「‥‥楽しみ」とほくほく顔をした。


 まぁ、それでも一応、警護はつけねばならぬだろうと。能力者たちは2人ずつ交代でヘンリーにつく事にした。
 初日のペアは、ヴェロニク・ヴァルタン(gb2488)と阿野次 のもじ(ga5480)。だが、のもじは「やらねばならぬ事があるっ!」とどこかに行ってしまった為、ヴェロニクが一人でヘンリーの『護衛』についていた。
「ヘンリーさんと、二人きり‥‥」
 色んな意味で緊張しながら、警護任務に当たるヴェロニク。別れ際、「感謝してよね」とわざわざ踵を返して耳打ちしていったのもじの言葉を思い出し、真っ赤になって沸騰する。
 ラウンジで軽食を済ませて船内の散策に出たヘンリーは、テラスを渡ってプールデッキへとやって来た。そこには水着に着替えたきらとルノアの二人が居た。
「ル、ルノアちゃんの水着‥‥! か、可愛いです‥‥」
「‥‥(照)」
 シンプルな黒のワンピース型の水着を着たルノアを前に、パレオ付きのセパレートを着たきらが身悶える。
 アラスカを発ったばかりという事もあり、プールは貸切状態だった。能力者二人はプールを目一杯に使って、ボール遊びや競泳、水かけっこを思う存分堪能した。
「‥‥海の上にプールなんて‥‥なんだかとっても、贅沢ですー‥‥」
「んー‥‥」
 大型の浮き輪にその身を浮かべ、二人並んでぷかぷかと──まったりとするきらとルノアの様子をテラスから見ていたクリア・サーレク(ga4864)は、むぅ〜ん、と羨ましそうに嘆息した。
「せっかく水着やボールを用意してきたのにな‥‥」
 表情を暗くするクリア。彼女はこの船に乗る前に大怪我を負っていた。
「ごめんね、有希さん。ボクが元気だったら、プールとか、ボーリングとか、いっぱいデートが出来たのに‥‥」
 それにそれに、ばるたんにリボンカチューシャをつけてヘンリーさんにお届けする「プレゼントはわ・た・し(はぁと)」作戦とか‥‥
「‥‥失礼しますね。お姫様」
「え? え?」
 デッキチェア上のクリアを両手でもって抱き上げる。慌てるクリアをそのままに、有希はテラスから廊下へと歩み出た。
「気にしないで下さい。うちは‥‥貴方と一緒に居らるっ事の何よりも嬉しかのやけん」
 その有希の言葉に、言った方も、言われた方も、ぷしゅ〜、と真っ赤になる。
「とっ、とにかく、映画でも見に行きますかっ」
「アッ、アクションだといいなぁーっ! い、いえいえ、寝たりはしませんよー?!」

 親友・クリアを心配そうに見ていたヴェロニクは、そんな二人の様子を見てホッとした。
 ホッとしつつ、何となく不機嫌になる。いや、羨ましいとかそんな事はいえまったくこれっぽっちも──
「そうだ。隣りに比較対照(主に胸部)のクリアさんが居ない今こそ、ヘンリーさんに若い健康美を振りまくチャンスでは‥‥っ!」
 意を決したヴェロニクは、だが、ヘンリーが開けた扉の向こうに見知った顔を見出して声を掛けるタイミングを失った。ガクリと床に手をつくヴェロニク。額に汗を光らせた源次がきら〜んと良い笑顔で振り返る。
「よう。室長にヴェロニクじゃないか。どうだ? 一緒にワンモアセッ!」
 そこはフィットネスルームだった。オーシャンビュー(しか無いが)の広がる窓に面したランニングマシーンで、源次と龍牙の二人が並んで汗を流していた。
「遠慮しとくよ。もう若くもないし‥‥」
「だったら、プールとかはどうだ?」
 その言葉に、グッと拳を握って顔を上げるヴェロニク。だが‥‥
「日に焼けると火傷して赤くなるからなぁ‥‥」
 その日の夜。
 バイキング形式のレストランで、ヤケ食い気味に食べ歩くヴェロニクの姿があった。
 どうしたんだろう? と小首を傾げるルノア。友達の手前、正直、あの喰いっぷりは羨ましい。
「あ、ルノアちゃんのもおいしそう。ね、私のと半分こ、しましょ?」
 向かいの席に座ったきらが、自分のステーキを切り分け、フォークをこちらに差し出してくる。ルノアはそれを暫し無言で見つめ‥‥それを口で挟み取る。「おいしい?」と尋ねるきらにこくこく頷くルノア。自らも切り分けた料理を「‥‥あーん」ときらへと御裾分けする‥‥
「桃代さんはなんでフィットネスに?」
「最近、忙しくてサボっていた所為か、体型がな‥‥とりあえず、二日で、プールサイドでパーカーを脱げる身体を作らないと‥‥」
 その二人から少し離れたテーブルでは、源次と龍牙の二人が食事を取っていた。
「二日? プールサイド?」
「目の保養だよ、目の保養。こうプールサイドのサイドチェアに横になってカクテルをやりながら、柔らかそうな胸の双丘だとか、引き締まった筋肉質の尻とかをだな‥‥」
「‥‥おい。今、不穏当な単語が交じっていなかったか?」

 食後。『21歳以下入場禁止』でカジノに入れなかった能力者たちは、ラファエルと共に自室でカードをしていた。
「ルノアちゃん、ブラックジャックが得意なんだよね」
 とのきらの言葉で、最初はブラックジャックが行われた。きらにルールを教えながら遊んだルノアが最後まで食い下がったものの、結局、最後はラファエルの一人勝ちとなり、ゲームはテキサス・ホールデムに移った。
「‥‥ラファエルさんは、フリーに何か拘りがあるんですか?」
 ポケットカードの2枚に視線を落として表情は動かさず‥‥有希がラファエルにそう尋ねる。クリアはハッとした。ラファエルの逃げっぷりを見ていると、何か理由がある気がする。
「別に理由なんて無いさ。‥‥これまでに俺が開発に関わったものを知ってるか? KVの制御プログラムから、炊飯器まで‥‥こんな事、フリーじゃなきゃ出来やしないだろ?」
 その返事には違和感があった。‥‥返事自体にではない。ラファエルという技術者のありようについて、だ。
「‥‥だけど、逃げても逃げても居場所がバレているんだよな? それって‥‥」
「‥‥その大企業の情報網を自由に出来る、って魅力は大きいんじゃないか?」
 龍牙と源次が言いながらベットする。ターン‥‥リバー‥‥龍牙と源次は一声唸ると、頭を振ってドロップした。ベットするラファエル。有希は無言で勝負を続ける。
 ‥‥そう、ドロームほどの大企業がフリーの一技術者に拘る理由はないはずなのだ。その理由‥‥それが何かは分からないが、或いはそれは、命に関わる様な何かであるかもしれない‥‥

 結局、ラファエルは契約について明言をしなかった。
 散会後、有希はクリアを背負って部屋まで送り届けると、すぐに部屋を辞して自らの部屋に戻ろうとした。部屋番を確認する。自分の部屋は‥‥クリアと相部屋になっていた。
「あれ? 有希さん? 忘れ物?」
「‥‥うちの部屋がここになっとっ」
「はい?」
「うちの部屋がここになっとっんげなば!」
 私の部屋がここになっているんだってば。その言葉の意味を理解したクリアは、その日、一番大きな悲鳴をあげた。
「え? えっ!? えええーっ!???」
 わたわたと慌てるクリア。落ち着け、これは孔明の罠だ。ばる孔明とか、のも孔明とか‥‥どうしよう。今更空室なんてないだろうし‥‥くっ、退路も遮断済みという事か。
「不束な怪我人ですけどよろしくお願い致します(混乱中)」
 しゅぴっ、とベッドの上に正座して頭を下げるクリア。有希も慌てて隣りのベッドの上に正座して「こちらこそっ!(壊乱中)」と頭を下げる。
 えっと、それって、そういうことだよな、と自問する有希。チラとクリアの顔を見上げ──胸の膨らみを視界に捉えて慌てて視線を横へと逸らす。落ち着け、落ち着け自分。女なんて姉たちと同じ‥‥って、うわ無理根本的に別なものだよこれなんだってこんなにいい匂いがして柔らかそうなのかこらどういうことだけしからん‥‥
 突然、ばたんっ! と部屋の扉が開き。二人はビクゥッ! とその身を硬直させた。
「はいよ、御免なんしょ、御免なんしょ」
 と手をかざし、とことこと入ってくるバニー姿の阿野次のもじ。その後について来たラファエルが、のもじの指示に従って、なにやら機械とケーブルとをペタペタと壁面に装着していく。
「おー。映っとる、映っとる」
 モニタを見てニヤリとするのもじ。何事かと、クリアと有希は後ろから覗き込んだ。
「のもじさん、それは?」
「んー。隣りの私たちの部屋の映像。仕事で疲れたばるたんがもう寝てる。‥‥で、さっき、ヘンリーさんに『ドロームとの契約はラファさんにとって一生事。プロポーズ気分でアプローチしないと!』なんて言っておいた」
「‥‥それで?」
「ばるたんの扉の部屋番号‥‥ヘンリーさんたちのそれと変えといた」

 自室(と彼は思っている)に戻って来たヘンリーは、布団を被って眠っているラファエル(ヴェロニクだ)に気がつくと、ネクタイを緩めてそのベッドの端に座った。もぞり、と動く布団。ヘンリーが語り出す。
「シェイドがメトロポリタンXを陥落せしめた時‥‥俺はそこにいた。燃える街の上を‥‥血と泥に塗れて倒れた俺の上を、アレは悠然と飛んでいた。無力感と敗北感に打ちのめされながら、それを見て思ったよ。‥‥ああ、キラキラと、なんて綺麗なんだろう、ってね。‥‥あの日以来、俺はあれを超える機体を生み出す事だけ考えてきた。『SES−200』を見た時には狂喜したよ。アレを超える機体が生み出せるかもしれない、と。結果は‥‥まだ届かなかった」
 或いは、聞き手は起きていないのかも知れない。だが、ヘンリーはそのまま話し続ける。
「正直、まだまだアレを超える機体は作れそうにない。だが、打ち克つ機体は作り出せるかもしれない。‥‥俺に手を貸せ、ラファエル・クーセラ。お前は何でも器用にこなせる。だが、本当にやりたい事を見出せていない。俺がそれを与えてみせる。俺と一緒に、アレに打ち克つ‥‥いや、超える機体を作るんだ!」
 バッと振り返るヘンリー。そこへ「んー‥‥」と目を覚ましたヴェロニクが起き上がり‥‥
 状況も分からず二人はしばし硬直し‥‥ヴェロニクは寝巻きの胸元をシーツで隠すと(ネグリジェ派だった)、一際大きな悲鳴を上げた。
 どたんばたんと騒がしい隣室をよそに、「あんまりプロポーズっぽくなかったわね」と肩を竦めるのもじ。まぁ、当初の予定は果たせたからいいか、と──無言で機材を片付けて撤収するラファエルの背を見送り、思う。
「ラファさんの場合、人を信じきれてないのが欠点みたいだから‥‥ヘンリーさんの本音を素で聞けば少しは変わるでしょ」
 さて。後はあっちをどうにかしないと。「ドッキリ大成功」と書かれた立て看板でトントンと肩を叩きながら、のもじは修羅場と化した自室へ戻っていった。


 ツアー最終日、その前夜。
 結局、ヴェロニクはその日から部屋の中に閉じこもり、追い出されたのもじはクリアの部屋へと転がり込んで、それに弾かれた形の有希を源次や龍牙が慰めたりして日々が過ぎていった。
 その日、船上でフェアウェルパーティ(お別れパーティ)が開かれる事になっていた。ドレスコードはフォーマル。言付けを受けたヘンリーは、レンタルしたタキシードを着て会場へと赴いた。数多の誘いを断って壁に咲く一輪の花──ちょっと背伸びしたロングドレスに身を包んだヴェロニクがヘンリーを待っていた。
「一緒に踊って頂けませんか?」
 薔薇の香り──差し出された手の平を断る術をヘンリーは持たない。二人が音楽に合わせて踊りだす。
「ヴェロニクさん、あの時は──」
「キスしてくれたら許してあげます」
 冗談めかしてそう言いながら‥‥慣れぬヒールに足を躓かせるヴェロニク。それを受け止めたヘンリーは‥‥そっと、頬にキスをした。
「また子供扱いして!」
 怒るヴェロニクの頬は、真っ赤に染まっていた。

「ドロームの本社は‥‥ここ(西海岸)から近いんだよな」
 照れた様にそっぽを向くラファエル。振り返ったヘンリーは驚きつつ、微笑を浮かべて手を取った。