タイトル:鉄道にてマスター:柏木雄馬

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2010/02/11 14:43

●オープニング本文


 何事にも、初めてというものはある。
 その多くは、茹だる様な興奮や、身を締め付けられる様な緊張を伴い‥‥或いは、過大なストレス下、一生もののトラウマが刻まれる。例えばそれは、初めて異性と手を繋ぐ中学生や、初めてハレの舞台に立つ役者やスポーツ選手や──初めて人に銃口を向ける兵士のそれだったりする。
 その日、壮年傭兵・鷹司英二郎が経験した『それ』は、どちらかと言えば後者のそれに近いものであった。──あくまでも本人の主観の範囲において、の話であるが。

「どうぞ。お座りになって下さい」
 目の前の座席に座っていた人の良さそうな青年が、立ち上がってそう笑顔を向けた。
 ガタゴトと揺れる急行の、程よく混んだ車内の中程。荷を網棚に上げていた鷹司は最初、それが自分に向けられた言葉だと気づかずに‥‥2秒ほど呆けた後に、どうやら自分は席を譲られようとしているらしい、と理解した。
 パイロットなどという職についていたせいか、これまで年齢より若く見られてきた鷹司にとって、それは初めての経験であった。中々にショックな事であるな、と、自らの心の動きを冷静に分析する。或いはこれは、自分が機から降りる事を決意したあの時の心持ちにも似ているかもしれない。
 不機嫌な顔をしたつもりはないが、複雑な心境が出たのだろう。余計な事をしたか、と青年が気を使う様な表情をした。このままでは青年の気遣いと心意気を無にしてしまう、と悟った鷹司は、素直に礼を言って席に座った。実際の所、1、2時間立った位で疲れるほど柔ではないが、それを言うのも野暮だろう。
「お正月の帰省ですか?」
「ええ。正月くらい帰らないと、姪っ子がうるさいのでね。本当なら特急に乗らにゃならんのだが‥‥予約の手間を惜しんだばかりにこのザマだ」
 鷹司がそう言うと、隣に座った若い女性が笑顔を零した。小さな男の子を連れたその女性は、青年の連れ添いらしい。一家で帰省する途上との事だった。
「こんにちは」
 母親に挨拶を促され、男の子が元気に笑顔で言った。鷹司が挨拶を返すとはにかんだ様に笑いながら、再び窓へと身を乗り出す。ぷらぷらと揺れるその足から母親が靴を脱がす。まだ目立っていないものの、女性のお腹が膨らんでいる事に鷹司は気がついた。

 長く退屈な旅路を覚悟していた鷹司にとって、一家との出会いは望外の幸運であったと言ってもいいかもしれない。
 だが、運勢などというものは、この世の中のあらゆる道理と同じく、あくまでも主観的で相対的なものにすぎない。つまるところ、彼が感じた幸運など、より大きな事象を前にすればあくまでもささやかなものに過ぎないと理解できるし‥‥だが、それすらも、本人がどう感じ、考えるかで評価は変動する。
「あ、おかーさん。ヒコーキだよ!」
 宝物か何かを見つけたかの様に、母親にそう報告する男の子。その様子に微笑しながら、鷹司は窓の外に目をやって‥‥編隊を組んで飛ぶ3本の飛行機雲に眉根を寄せた。
(「正規軍のS−01? なんだってこんな所を‥‥?」)
 この辺りは前線からも遠く、競合地域ですらない。だが、移動や警戒の為の飛行にしては、そのKVの兵装は重武装に過ぎた。
(「ガチガチの戦闘装備。恐らくは後方の予備兵力‥‥増援か、或いは少数に戦線を突破されたか」)
 どちらにしろ碌なもんじゃない。鷹司が嫌な予感に苦虫を噛み潰していると、列車の頭上をスカウトヘリに先導された輸送ヘリがローター音も高らかに追い抜いていく。ますますもって気に入らない、と唸り声を上げる鷹司。急停車と言っても良い勢いで列車がブレーキを掛けたのは、それから1分と経たないうちの事だった。
「いったい何だってんだ」
 惰性で前進を続けていた車両が完全に停止してから、鷹司は列車の窓を──旧式の車両で、半分ずらしで窓が開くタイプだった──上げて前を見た。長閑な日本の田園風景──LH島暮らしも長くなった鷹司にも、ある意味、懐かしさを感じさせる光景。大きくカーブを描く線路上に止まった車両の先に‥‥線路のすぐ脇の田んぼに墜落した小型ビッグフィッシュの姿が見えた。
 そして、軍人と能力者たちに追われて来る猿の様な生き物と。
 なんだあれは、と、鷹司と同様に窓からそれを見ていた乗客たちが騒ぎ始めた。キメラだ、とすぐに気付いた鷹司が窓から顔を引っこ抜いて鞄をあさる。鷹司は見た事がなかったが、それは『ファイブハンドエイプ』と呼ばれる猿型のキメラだった。その名の通り、両脚と尻尾の先が腕状になっており、まるで腕が5本あるかのように見える。人の背丈の半分位の小型種ゆえ耐久力は高くないが、軽量で動きが速く、壁に張り付く等の三次元機動を得意とする。鋭い鉤爪を持ち、礫弾を投げ放つ事もでき、その攻撃力も侮れない。
 追う能力者たちが逃げるキメラ一斉に銃撃を浴びせかけ、喰らった猿たちがバタバタと倒れ伏す。生き残った『猿』たちは疾走を続け‥‥列車の方へと近づいていた。
 続け様に鳴り響く銃声に、事態を察した乗客たちが騒ぎ始める。猿たちが列車を背にする形になり、追う能力者たちもそれ以上の銃撃は控えざるを得ず‥‥それに気付いたのか、猿たちは停車した列車に近づくと、地を蹴って車両に跳び付き始めた。
 窓枠に飛びついた1匹に、乗客たちから狂乱の悲鳴が上がる。僅かな出っ張りに器用にぶら下がったそれは、車内に入り込もうとぶ厚い窓を叩き割り‥‥直後、車内からの銃撃によって吹き飛ばされる。大型拳銃を両手で構えた鷹司が、フン、と小さく鼻で笑った。
 どうやら運が良いらしい、と鷹司は独り言ちた。旧式の車両故、中央の窓枠が邪魔で猿はすぐには入って来れない。窓が開けられない一枚ガラスの車両だったらこうはいかない。
 ──幸運とは、主観的で相対的なもの。よりによって今日、小型ビッグフィッシュに戦線を突破され、自分が乗る列車が通る線路脇に、このタイミングで墜落するというのは‥‥ぶっちゃけ、目を覆いたくなる様な巡り合わせには違いない。だが、巨大な不幸の中にもささやかな幸運は感じられる。例えば、件の窓枠であったり──例えば、正月休みで帰省中の能力者が他にも乗っているだろう事とか。
「自分は能力者です。大丈夫、落ち着いて、全員、頭を窓より下に」
 銃を構えて左右へ振りながら、鷹司が冷静な口調で車内に告げる。キメラに対抗し得る能力者の存在が‥‥というより、銃という暴力の存在が、乗客たちを表面上、落ち着かせた。理由はなんであれ、取り敢えずは結構なことだ、と鷹司は皮肉抜きにそう思った。
「待ってろよ。悪いキメラはおっちゃんがすぐに追い払ってやるからな」
 怯え切った乗客たちの中、唯一、ヒーローを見る様に目をキラキラさせる男の子に向かって、鷹司はそう片目を瞑って見せた。

●参加者一覧

綿貫 衛司(ga0056
30歳・♂・AA
アグレアーブル(ga0095
21歳・♀・PN
クレイフェル(ga0435
29歳・♂・PN
綾嶺・桜(ga3143
11歳・♀・PN
響 愛華(ga4681
20歳・♀・JG
井上冬樹(gb5526
17歳・♀・SN
杉崎 恭文(gc0403
25歳・♂・GP
ファタ・モルガナ(gc0598
21歳・♀・JG

●リプレイ本文

 綿貫 衛司(ga0056)は、戦友の墓参りに行く途中で今回の件に巻き込まれた。
 薄く曇った空に煙る早春の、日差しに温むボックス席──相席になった人々と談笑していた衛司は、何も無い田畑の真ん中で唐突に停車した事に訝しげに視線を振った。
(「銃声‥‥?」)
 騒然とし始める車内を他所に、衛司は落ち着いて荷から無線機を取り出した。電源を入れ、つまみを回す。通信は混線して要領を得なかったが‥‥その事実と、断片的に拾えた幾つかの単語からある程度の状況は推察し得た。
「自分は陸上自衛官です! 皆さん、落ち着いて、慌てないで下さい!」
 背広の下の武器をさりげなく確認しながら、衛司は立ち上がって皆にそう呼びかける。UPCやULTを名乗るより馴染みはあるだろうか。ともかく、明確な『リーダー』の登場に、車内は表面上は落ち着きを取り戻した。
「なるべく扉から離れて。窓より頭を低くして下さい」
 遅ればせながら状況の説明を始めるアナウンスが流れる中、衛司は自分の指示に従うよう乗客たちに求めた。いそいそと身を屈める乗客たち。自由席で込み合っていた車内はそれだけで人が溢れ‥‥まともに動けそうにないこの状況に、衛司は軽く眉を潜めた。

 一方、隣の車両では、井上冬樹(gb5526)が蒼い顔をして座席の上に縮こまっていた。
(「‥‥こんな、時に、まで‥‥キメラだ‥‥なんて‥‥」)
 思い、身を震わせる。能力者になって日が浅く、それまで『戦い』とは無縁の人生を送ってきた彼女にとって、この様な状況は未だ慣れぬものだった。パニックを起こしかけている乗客たちを見て「何とかしなくちゃ」とは思うのだが‥‥目を血走らせて怒声を上げる彼等に気後れして、立ち上がりかける度にその身を座席に沈ませた。
(「怖い‥‥」)
 膝の上で拳を握り、ギュッと奥歯を噛み締める。自分が何とかしなければいけないのに、踏ん切りをつける事が出来ない自分が堪らなく嫌になる‥‥
「‥‥キメラだ!」
 どよめく車内。ハッとして顔を上げる。窓の外の猿型キメラは、まるで狙い済ましたかの様にこちらに近づいてきた。
(「‥‥私が‥‥やらなきゃ!」)
 思った時には身体が動いていた。弓袋から弓を取り出し、弓巻きをかなぐり捨てる様にして矢を番える。開けた窓の隙間から放たれた矢は不意を打たれた猿の肩口に突き刺さり‥‥自らにダメージを与えうる存在を察知した敵は、慌ててその針路を変えた。
 ホッと息を吐いた冬樹は、こちらをマジマジと見る乗客たちに気付いてビクリと身を震わせた。驚愕と期待‥‥そして、縋る様な不安の視線。冬樹は息を呑み‥‥覚悟を決めた。
「‥‥自分は、能力者、です‥‥武器も‥‥あります‥‥」
 どよめきと歓声。冬樹は弓を立て掛けると、荷の中から銃を取り出した。実家での弓初めの為に持って来た得意の弓は、しかし、この狭い車内では取り回しに難がある。
(‥‥戦える、力が、あるのだから‥‥私が、頑張らなくちゃ)
 正直、身体の震えはまだ止まらない。でも、自分に出来る事があるのなら。
 冬樹は自分に一つ頷くと、銃を手に、線路沿いに逃げた猿を追って、隣の車両へ走っていった。


 生き残りのキメラを追撃中であった討伐隊の能力者たちは、突如、前方に現れた列車に舌を打った。
「こんな所に電車が‥‥なんて巡り合わせですか」
「やっべぇ。急がねーと!」
 クレイフェル(ga0435)と杉崎 恭文(gc0403)が呻き、加速する。乾田を逃げ惑っていた猿たちはこちらの心中を見透かした様に、停まった列車に向けて一斉に走り出していた。車内に潜り込まれれば殲滅が困難になるだけでなく、多大な犠牲は免れ得ない。
 猿たちを追いながら、上空を飛ぶスカウトヘリに無線で状況を確認しようとしたアグレアーブル(ga0095)は、しかし、激しい混線にその目的を達する事は出来なかった。使い物にならなくなったそれを無言で見下ろすアグレアーブル。「せめて車内に能力者がいればやり易いのですが」と嘆息するクレイフェルに、「いるかもしれませんよ。‥‥それも結構な数が」と答える。
 その言葉を証明するかのように。開いた列車の扉から顔を覗かせた二人は、アグレアーブルの見知った顔だった。
「ぬ、やはりキメラか! これ幸い‥‥じゃない、大変じゃ! 行くぞ、天然(略)犬娘。車内はそこの年寄り(笑)に任せて、わしらは取り付く猿共を叩き落すのじゃ!」
 妙に活き活きと叫ぶ綾嶺・桜(ga3143)。お正月らしく華やかな色合いの、犬柄の着物に身を包んだ彼女は、友人の響 愛華(ga4681)の実家に半ば無理矢理連行(?)される途中であり、キメラとの遭遇は不本意な旅路を中断する口実たり得る。まさに渡りに船だった。
 一方、水を差された形の愛華の方は不機嫌の極みにあった。
「‥‥やっとお母さんに桜さんを会わせられると思っていたのに‥‥思っていたのに‥‥」
 薄暗い車内から染み出る様に、ゆらりと姿を現す愛華。桜が空いた紐でしゅるり、とたすき掛けにし、爪と機械剣を手に車外へと飛び降りる。愛華は淡い桜柄の着物の袖をぐいと捲ると、旋棍「砕天」──トンファーを構え、キメラへの怒りに燃えながら後に続いた。
「能力者か、ありがてぇ!」
 それを見た恭文が陽が差す様な笑顔を零す。世界は案外狭いものだ、とアグレアーブルは思った。
「アグ」
「はい。これ以上猿が拡散せぬよう、広がりつつ追い込んでいきましょう。まだ列車まで距離のある猿の到達阻止を最優先に」
「おっしゃあっ!」
 拳を打ち合わせた恭文が真っ先に近場の敵へと突っ込んでゆく。クレイフェルとアグレアーブルは鳥が片翼を広げるように敵集団の外側へと回り込んでいった。
「銃は苦手なんだけどな!」
 走りつつ、碌に狙いも定めずに、恭文が先行する猿の背中目掛けて弾をばら撒く。銃撃を受けている事を悟った猿が這い滑る様に『脚』を止め‥‥その右腕に掴んだ土塊を超高速で投げ放つ。頬を切り裂き、掠め飛ぶ礫弾。それをものともせず、恭文は一気に敵の懐へと突っ込んだ。
「ちいとばかし的が小さいが‥‥むしろ蹴り易い位置だぜ!」
 足爪『オセ』のついた脚を振り抜く恭文。だが、猿は持ち前の俊敏さでそれを跳び避け‥‥恭文を飛び越えんとした猿の『尻尾』ががしりと恭文の肩を掴み、そのままスルリと背中に回る。
「っ!」
 とっさに首筋をガードした前腕部を猿の鉤爪が切り裂いた。痛みに顔をしかめつつ、背中の猿を無理矢理引き剥がして眼前の宙へと放り投げる。
「空中なら避けれねぇだろ。喰らえ、我流・崩連脚!」
 高く脚を跳ね上げて敵を蹴り上げ、落ちてくる所へ回し蹴りを叩き込む。宙に血を曳きながら吹き飛んだ敵は、地をバウンドしながら姿勢を立て直して地面に這い‥‥やるじゃねぇか、と恭文が笑う。
 一方、敵側背へと回り込んだクレイフェルは、逃げる敵を追って中央から乾田へと足を踏み入れていた。
 機動力を活かして敵の進路上に回り込もうとするも、田畑の柔らかい土は予想以上にその移動速度を減殺した。身の軽い猿は五本の腕を器用に使い、這い跳ぶ様に地を駆ける。このままでは追いつけないか、という考えが脳裏に浮かびかけた時‥‥側方から撃ち放たれた銃弾が、走る猿の両脚を続け様に撃ち抜いた。
 驚いて振り返ると、いつの間にか側方に回り込んでいたアグレアーブルが銃を構えて立っていた。足場の良い畝──農道を使って大きく距離を稼いだ彼女が、拳銃『黒猫』の最大有効射程付近から援護の銃撃を浴びせたのだ。
 クレイフェルはすぐに行動に移っていた。土を蹴散らし、『瞬天速』で以って強引に敵との距離をつめる。慌てて振り返る敵の腹部に速度を乗せた突きを打ち込み‥‥ゼロになった距離、擦れ違いざまの拳の交差──クレイフェルはそのまま拳を思いっきり天に突き上げると、突き入れたルベウスの切っ先もそのままに、振り下ろす様にして敵を地面へ叩き付けた。
 動かなくなった敵から爪先を引き抜くと、クレイフェルとアグレアーブルは互いに視線を交差させた。親指を立てて見せるクレイフェルと、それに頷きながら淡々と弾を込めるアグレアーブル。特に言葉を交わす事無く再び走り始めると、二人は連携しながら近場の敵を1匹ずつ確実に仕留めていった。


「あいタタタ‥‥ちょっと何々、何事さ? いきなり急ブレーキとかシャレにならんでしょ‥‥」
 転寝をしていたファタ・モルガナ(gc0598)は、電車が急停車した際にその座席からずり落ちていた。首をコキコキと鳴らしながら立ち上がり‥‥車内放送によって事態を悟る。
「え? キメラってかい? あちゃ〜‥‥ツいてないねー‥‥」
 取り乱す事無く嘆息するファタに集まる視線。ファタは一つ目を瞬かせると、コホンと咳払いをして自分が能力者である事を皆に告げた。
「と、いうわけで。落ち着いてくださいね!」
 告げながら、旅行鞄にしまってあったアサルトライフルを組み始める。組みながら、肩と顎で器用に無線機を挟んで通信を試みるが、混線していてまともに通話できない。
 そうこうしている内に窓枠にキメラが取り付き‥‥悲鳴が上がる中、組みかけの銃を構えて座席を飛び越えたファタは、端の窓から車内に入りかけていた敵を銃床で殴り落とした。
「あー、ウザいな、この髪! 全部サルのせいだ、サルっ!」
 最後のネジを締め、弾倉を銃に叩き込み、窓の外に落ちた猿に向かって『強弾撃』による銃撃を浴びせ掛ける。飛び起きて逃げる敵の背へ、覚醒して伸びた髪を煩わしげにかき上げながらフルオートで銃撃を撃ち捲る。
 唐突にすぐ側の車内扉が開き、ファタは慌てて銃口をそちらに向けた。
 そこには同様に銃を構えた冬樹がいた。互いに驚いた表情で銃口を向け合った二人は、心底安堵したように深く息を吐いた。
「なんだ、ご同業かい‥‥脅かしっ子はなしだよ」
 とはいえ僥倖だ、と肩を竦めるファタの背後、車両の向こう端の窓が割れる。振った銃口は、しかし、逃げ惑う人影に封じられる。煙管刀を引き抜いた冬樹が突っ込んでいく‥‥

 車内に銃声が鳴り響き、窓の外へ閃光が煌いた。中にいる衛司が、窓枠に取り付いた敵に銃撃したのだ。
 沸き上がる悲鳴。しぶとく中に入ろうとする敵に、人込みを押し通る様にして接近した衛司が機械剣を突き立てる。落ちていく敵にホッとする間もなく、逆側の窓に取り付く新手に銃撃を浴びせ掛ける。
 1匹の猿と格闘戦を繰り広げる桜の背後で、肩幅に足を広げて油断なく左右に目を配っていた車外の愛華は、『瞬速縮地』で以って落ちてきた敵に一気に迫ると、手にした砕天を円を描く様に振り抜いた。腕の一本を砕かれた猿が残りの腕で鉤爪を振るう。地を摺りつつ円を描く様に移動しながら、前腕部に添えた砕天でそれを受け──手の中でクルリと回した棍でもって敵の頭部を叩き割る。
 車両近くに到達したアグレアーブルは、敵を横から逃がさぬように銃撃を集中させた。弾倉が空になるまで続け様に撃ち放たれる銃弾。その1発1発が猿の腕を撃ち貫き、踊る様に跳ねる敵の頭部を最後の1発が撃ち砕く。その骸が地に倒れるより早く、彼女は空になった弾倉の再装填を終えて次の目標を探している‥‥
 クレイフェルは、アグレアーブル追い散らされてきた敵を踊る様なステップで次々と蹂躙すると、恭文の方へと視線を飛ばした。車内のファタと冬樹の援護を受けながら猿に止めを差す恭文。既に多くの敵が地に倒れており、この時点で勝利は疑うべくも無い。
「屋根の上にいるぞ!」
 大方の敵を制圧し、車内から外に戦場を移そうとした衛司が屋根の上を走る足音に気付いて叫んだ。
 乗降口の淵を掴み、逆上がりの要領で屋根上へと上がる衛司。グルンと後転して膝射姿勢をとり、逃げようと走ってくる2匹へ向け発砲する。複数の銃弾をまともに受けて倒れる敵。それを見たもう1匹が踵を返して逃げ走る。
「愛華、頼むのじゃ!」
「いくよ、桜さん!」
 車両を背に手の平を組んだ愛華に向かって、走り寄った桜がその手に足を跳び掛ける。瞬間、桜を思いっきり投げ上げる愛華。跳躍した桜は一気に屋根上へと踊り込み‥‥たたらを踏む敵に間髪入れず突っ込んだ。
 頭上で交差した両手の得物が振り下ろされる。×の時に袈裟斬られた最後の猿は、血飛沫を上げながら列車の下へと転げ落ちていった。
「‥‥ふ、わしらから逃げようとは甘いのじゃ」
 呟き、得物を仕舞う桜。その肩を、がしり、と愛華が掴んだ。
「ぬぁっ!? いつの間にっ!?」
「そうだよね。甘いよね‥‥駄目だよ、桜さぁ〜ん。お母さんには妹が出来たって言ってあるんだよ〜」


「お騒がせしました。良い旅を」
「いやぁ‥‥次はこーいうのなしでお願いしたいね」
 鉄道会社が用意した代替バスに乗り込みながら、ファタは疲れ切った様子でそう肩を竦めた。出発したバスを見送って、アグレアーブルが後ろを振り返る。クレイフェルが感慨深そうに呟いた。
「里帰りかぁ‥‥俺には血縁はおらんから遠い響きやけど‥‥」
「血の繋がりだけが人の繋がりではないでしょう?」
 アグレアーブルが言った。彼女にとってこの国は故郷ではないが‥‥能力者になる前の数年間、かけがえの無い日常を与えてくれた土地である。
 そうやなぁ、とクレイフェルは微笑した。大阪の父上さん母上さん、暫く会ってないけど、元気やろうか‥‥
「ともあれ、遠くの親戚より近場の友人です。ここが一段落したら、モンブランを食べにいきませんか?」
 
「あの‥‥!」
 意を決して話しかけた冬樹の声に、負傷者の治療に当たっていた衛司は手を止めて顔を上げた。何かを言いかけて俯く冬樹。手にした救急セットにその意を汲んで、衛司が頷く。
「じゃあ、ここはお願いできるかな? 私は救急に引き継げるよう調整してくるから」
「は、はい‥‥!」
 頷き、立ち去る衛司。冬樹が治療の為に膝をついてセットを開ける。
 そこへ通りかかった恭文は‥‥思わず冬樹を二度見した。荷物が落ちる。何事かと顔を上げた冬樹に向かって、恭文は瞬天速で走り寄りその両手を握り締めた。
「あなたはいつかの女神様っ! じ、自分は杉崎恭文と申します。貴女のお名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか!?」
「え? え?」
 戸惑う冬樹。我に返った恭文がわたわたと慌てて手を離す‥‥

「わぅ〜‥‥せっかくの着物が泥だらけなんだよ‥‥お母さんに怒られる‥‥」
 自らと桜の格好を見て落ち込む愛華。それを見た桜はポン、と背中を叩いた。
「‥‥話を聞く限り、お主の母御は、他人を守る為につけた汚れを気にするような御仁ではなかろう」
 桜の言葉に表情を輝かせる愛華。しまった、と思っても後の祭りだ。
「いや、それとこれとは話が別で‥‥って、こら、鷹司! なんで主だけちゃっかりヘリに乗り込んでるのじゃ! て、こら、はーなーすーのーじゃー‥‥!」