タイトル:北米戦線 雪中の撤退行マスター:柏木雄馬

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/01/13 05:12

●オープニング本文


 『僕』のいた地域に関してだけ言えば、バグアのそれは『侵略』ではなかった。
 バグアは、町を、土地を、人々を、占領などしなかったからだ。
 1000kmもの距離を隔てての、航空戦力による殴り合いを繰り広げながら──地上には、ただキメラをばら撒いていく。
 キメラはただ、破壊し、殺し、前進する。後にはキメラが跋扈する無人の野と廃墟が広がるだけ。
 そこには地球人もバグアもいない。
 だから、それは『侵略』などではなく──キメラによる『侵食』に他ならなかった。

 2007年11月。北米競合地域北西部。
 北米西海岸のシアトルを指向していると思しきキメラの大群の『攻勢』に、この地方を守備していたUPC軍北中央軍は、数十キロに亘って戦線を後退させた。
 現地の志願兵が多数を為す『僕』の属する中隊は、瓦礫の山と化した故郷を盾に、最後衛にあって敵の浸透を阻み続け──その善戦故に敵中に孤立した。
 すぐに重火器は底を突き、戦友たちも次々と廃墟に血の花を咲かせて倒れていく。生き残った『僕』たちは必死に、ただ鼠の様に廃墟を這い回った。
 あるはずのない救援がやって来たのは、皆が明日への希望すら失いかけていたそんな時だった。
 『能力者』。人類が得た最後の希望。彼等は『僕』たち兵隊が倒すのに苦労したキメラたちを苦も無く薙ぎ払いながら、いともあっけなく、『僕』らを連れて離脱した。
 合流地点に辿り着き、脱出の為に用意された古い旧式のトラックに乗り込んだ時には、不覚にも涙が出た。荷台に随分と空きの多い事に気付いたのは、トラックが味方の前線へと走り始めて暫くしてからだった。
 『僕』の属する小隊は、36人中、22人が助かった。他の小隊も似たり寄ったりだったが、第3小隊だけは最後まで帰ってこなかった。


 味方の前線へと後退を開始した『僕』たちだったが、敵もおいそれと見逃してはくれなかった。
「‥‥おい。あそこに飛んでいるの‥‥キメラじゃないか‥‥?」
 揺れるトラックの荷台の上で、一人の兵が身を乗り出すようにして南の空を指差した。
 おいおい、冗談はよしてくれ。そんな馬鹿なことがあるものか。
 口々に悪態を吐きながら、『僕』たちは空を見上げて目を凝らす。分厚い雲に覆われた灰色の曇天の下、幾つもの小さな雲が風に流れて‥‥
「畜生、いやがった。真っ直ぐこっちに向かってくるぞ!」
 その速い雲の隙間からちらほらと。強風の中を悠然と飛ぶ3匹の飛竜型キメラの姿が見えていた。
「退避! 退避!」
 トラックの車列が乱れ、思い思いに回避運動を始める。『僕』たちの乗るトラックは道から外れ、激しく左右にハンドルを切りながら荒野を疾走した。
 『僕』の耳に微かな歌声が届いたのは、そんな時だ。囁くように小さな、だが、透き通るように澄んだ綺麗な歌声。隣に座るユミィの声だった。
 ユミィは第4分隊で唯一の生き残りだ。凄惨な現場だったらしい。能力者に救助された時、彼女の心は壊れていた。
 状況も忘れて顔を上げる。ユミィは、無表情に、ただ淡々と、機械的に歌声を紡ぎ出し続ける‥‥
「敵キメラ、直上、急降下!」
 バートン軍曹の野太い声に、『僕』は慌てて頭上を見上げた。1匹のキメラが急降下の姿勢に入っていた。
 どんなに速く走ろうとも空を飛ぶ敵から逃げられるものではない。軍曹はすぐに見切りをつけたようだった。
「停車しろ! 皆、車から離れるんだ。負傷者を忘れるな。急げ!」
 自ら負傷者を抱え上げ、尻を叩く様に皆を追い出すバートン軍曹。『僕』はユミィの手を握るとトラックの荷台から飛び降りた。
 走る。ユミィは腕を引かれるままについてきた。風を切る音。キメラが滑空状態に入った音だ。不思議と恐怖は感じなかった。
 ユミィを抱きかかえて地に伏せる。直後、『僕』たちのすぐ上を『飛竜』が飛び過ぎていく。羽ばたきが風を巻き起こし、小石交じりに僕らを叩く。
 シギャアァァァ‥‥! 荒野に響き渡るキメラの咆哮。熱を感じた。ギュッと瞑った瞼の向こうに、何か赤い光が透ける。恐る恐る目を開くと、巨大な『飛竜』がトラックに炎を吐き掛けていた。
 ボォゥン、とトラックが一際大きく爆発し、黒煙と炎が吹き上がる。そのまま上空へと羽ばたいたキメラは、他の獲物に向かったのかそのまま戻っては来なかった。
「『足』を失った‥‥」
 炎上するトラックを見て、バートン軍曹が舌打ち交じりに呟いた。
「おい、ジェシー。お前は地元だな。この先の天候が分かるか?」
 軍曹の言葉に、『僕』はハッと息を呑んだ。味方の前線までほんの数十キロ。歩いて行けない距離ではない。だが、負傷者を抱えた上に、天候まで悪化するとしたら‥‥
 吹雪くかもしれない。そう答える前に、ちらほらと雪が舞い始めた。軍曹が再度舌打ちする。天候が悪化するまでに、少しでも距離を稼いでおきたかったに違いなかった。
「小隊集合! 能力者たちも集まれ! 夜営に耐えられそうな場所を探すんだ!」
 軍曹が大声で皆を呼ぶ。
 雪の舞う曇天をじっと見上げながら、ユミィは、ただずっと歌っていた。

 道路沿いで見つけたガソリンスタンドで吹雪をやり過ごした『僕』たちの目の前に広がる風景は、たった一晩ですっかりと様相を変えていた。
 一面に広がる純白の世界。赤茶けた荒野も雪化粧ですっかり真っ白になり、雲の隙間から差し込む光にキラキラと光っていた。
 もっとも、今の『僕』たちには積雪など厄介事でしかない。しかも‥‥
「山を行くぞ。あそこには森がある」
 軍曹の宣言に、兵たちは小さく悲鳴を上げて悪態を吐いた。
 雪原は視界が広すぎる。それは皆分かっていた。だが、負傷者を抱えながら、雪の降り積もった山中を、膝まで雪に埋もれながら数十キロも踏破する、というのは、想像して楽しい未来ではない。
「おい、ジェシー。聞こえるか? 朝もはよからご苦労な事だぜ」
 出発後。雪の中をユミィの手を引いて歩いていると、戦友のウィルが声をかけてきた。上を指差す仕草に顔を上げる。すぐに戦闘機特有の甲高いエンジン音が響いてきた。
「空を飛ぶ連中にとっちゃ、数十キロなんて『一跨ぎ』だろうな。地面に這いつくばる俺たちの事なんか、見えてもいないに違いないぜ」
 ウィルの言葉に、『僕』は小さく苦笑した。
 主戦場は空の彼方。蒼穹は遥かに遠く、花形役者たちが大空を舞台に死の舞踏を舞う下で。『僕』たち兵隊は泥に塗れ、数多の命を削りながら化け物共の血を啜る。
 ウィルの言いたい事は分かる。だが、『僕』は小さく首を横に振った。
 その時、頭上の曇天が赤く輝いた。
 雲を突き抜け、真っ赤に炎上したF−15がバラバラと破片を零しながら地面へと激突し、爆発する。
「‥‥歩兵だろうが、パイロットだろうが‥‥弾が当たれば死ぬ事に変わりはないさ。もちろん、能力者であっても」

 ‥‥2007年12月。『僕』たちは相も変わらず地獄にいた。

●参加者一覧

ブラッディ・ハウンド(ga0089
20歳・♀・GP
桜崎・正人(ga0100
28歳・♂・JG
鏑木 硯(ga0280
21歳・♂・PN
霞澄 セラフィエル(ga0495
17歳・♀・JG
クレア・フィルネロス(ga1769
20歳・♀・FT
綾嶺・桜(ga3143
11歳・♀・PN
南雲 莞爾(ga4272
18歳・♂・GP
響 愛華(ga4681
20歳・♀・JG

●リプレイ本文

●一日目
 撤退する小隊と能力者、計30人の小集団は、山中の森を味方の前線目指して行軍していた。
 怪我の軽い兵が隊列の前に立って雪を踏み固めて道を作り、その後を担架や負傷兵を支えた兵が進む。その周囲を能力者たちが囲んで周辺を警戒する隊形だ。
 鏑木 硯(ga0280)と南雲 莞爾(ga4272)の二人は、隊に先行して前方の偵察を行っていた。進むべき地形の確認と徘徊するキメラの索敵とがその役割だ。
 見渡す限りの森の中、足跡ひとつない雪の原。表面の凍結した雪をバリン、バリン、と踏み抜きながら、硯と莞爾の二人が進む‥‥
 不意に、前を行く硯がピタリと足を止め、莞爾は前に出しかけた足を止めた。どうした、などと間の抜けた事は聞かない。白い吐息を抑えつつ、視線と耳とで周囲を窺う。
 硯は、なるべく雪を踏み抜かない様に腹這いになると、這う様にして前方の木陰へと移動した。雪の花咲く枯れた茂み、その隙間から前を見る。
 そこに、一匹のキメラがいた。
 一見、大型犬、あるいは狼の様に見えるが、その瞳は血塗られたように赤かった。牙は大きくない。キメラ『チェイサービースト』と思われた。
 硯は、後ろの莞爾を振り返ると、手信号で状況を伝えて呼び寄せた。
「どうします? 敵は1匹です。片付けますか?」
「‥‥藪を突いて蛇を出す、ってのは御免なんだがな‥‥」
 耳元で囁く硯の問いに、莞爾は「やるしかなかろう」と渋い顔で頷いた。戦闘は可能な限り避けたいが、チェイサーだけは話が別だ。迂回しても何かの拍子で探知される恐れがある。追跡されて増援でも呼ばれたら皆なぶり殺しにされかねない。1匹だけというのは僥倖だ。
「‥‥吠えられる前に片を付ける」
「1ターンキル、ですか‥‥『瞬天速』2回でどうです?」
 ピクリ、とチェイサーが耳を立てて二人を見る。その時には何もかもが遅かった。
 次の瞬間、キメラは肉薄した二人の能力者によって、吠える間もなく瞬殺された。

●二日目
 その日、兵と能力者たちの隊列は来た道を数百m程戻っていた。先行班が前方でビートルの群れが屯しているのを見つけ、迂回する事になったからだ。
 これまでにない大規模な敵の出現に、兵たちの間に緊張が走る。そんな中、ブラッディ・ハウンド(ga0089)だけが、大きな欠伸をひとつした。
「あー‥‥退屈だぁ‥‥クソつまらないったらないさぁね」
「気を抜くのはまだ早いでしょう。もう少し真面目にやったらどうですか」
 そんなブラッディの様子に、クレア・フィルネロス(ga1769)がムッとした調子で苦言を呈した。生真面目な性格らしく、融通の利かないその態度が中々に初々しい。よいおもちゃを見つけた、とばかりににんまりするブラッディの視線から、クレアがツイと目を背ける。
「‥‥えーっと‥‥?」
 そんな二人を、わたわたとして見つめる響 愛華(ga4681)。一方、そんな彼等と同じ本隊護衛班の桜崎・正人(ga0100)は、我関せずで周囲の警戒を続けている。
 がしゃぁん、という音をたてて、担架で負傷兵を運んでいた兵の一人が転倒したのは、そんな時だった。
「だっ、大丈夫!?」
 愛華とクレアがすぐに駆け寄る。その兵は「大丈夫です」と答えながら立ち上がり、再び担架を抱え上げた。息が荒い。いい加減、疲労もピークに達しているようだった。
 俺の事は置いていけ、と、運ばれている負傷兵が声を絞り出す。即座に、愛華とクレアが叱り付けた。
「そっ、そんな事言っちゃダメなんだよっ! せっかくここまで生き残ったのに‥‥誰も欠けさせるわけにはいかないんだよ!」
「そうです! 何を情けない事を! 諦めないで下さい。皆、一緒に生きて帰りましょう!」
 叱り付ける様に励ます。負傷兵は言葉も継げず、自分の不甲斐なさにただただ咽び泣いた。
 行軍が再開される。
 クレアも立ち上がり、本来の位置に戻ろうと振り返り‥‥その時になって気がついた。
 持ち場を離れて兵に駆け寄ってしまった愛華とクレア。その二人の抜けた穴をフォローするように、ブラッディの背中がそこに立っていた。
 思わず立ち尽くすクレアと、無言で元の位置へと戻っていくブラッディ。そんな二人を山の斜面から苦笑しつつ見下ろしながら、正人も行軍を再開した。

 ‥‥その『染み』に気付いたのは、それから数十分が過ぎた辺りの頃だった。
 周辺にキメラの残した足跡がないかと警戒する正人の視線が、山の斜面に沿って上に上がり‥‥。山の頂の向こうに広がる抜ける様な青い空。正人はその底なしの蒼さに目を細め、一瞬、心を奪われて‥‥そうして、そこに、その美しさを汚す三つの小さな黒い点を見出した。
 我に返って双眼鏡を押し当てる。舌打ち。小さく微かに、羽ばたく飛竜の姿が見えた。
 鋭く口笛を吹いて隊の皆に警告を発する。手信号。即座に隠れる様に指示を出す。
「飛竜‥‥? 皆、木々の下に隠れるのじゃ!」
 隊列の最後衛(迂回中の今は前衛だが)にあって後方を警戒していた綾嶺・桜(ga3143)が皆に叫ぶ。兵たちはわたわたと慌てて木々の下に潜った。
 あれは死神だ。あのデカブツに見つかったら、助かる人間の方が少ないだろう。故に、皆、祈るように呟きながら、遥か天空を飛ぶ死神を睨み付ける。行け。さっさと行っちまえ。お前たちの敵はこんなちっぽけな虫けらじゃないだろう‥‥
 その祈りが通じたのか、キメラは一度も針路を変える事無く、あっけなく大空を飛び過ぎて行った。
「ふぅ‥‥行ってくれましたか‥‥」
 桜と同じく、後方警戒班の霞澄 セラフィエル(ga0495)はホッとしたように息を吐いて、白銀の洋弓『アルファル』を手にした腕から力を抜いた。
 その弦には弾頭矢。なるべく避けたい事態ではあったが、もし飛竜が下りていたら、この弾頭矢をキメラの口中に撃ち込んでやるつもりだった。
「ほら、だから言ったろ? 空を飛ぶ連中は俺たちなんか見えてもいない、って」
 ホッとしたように大きく息を吐きながら、兵士ウィルがおどけるようにそうった。

●三日目
「連中、しつこいのじゃ。こちらに気付いてはおらんようじゃがの」
 イラついたような桜の言葉に、霞澄は隠れた木立の陰からそっと後方を覗き見た。雪の原に刻まれた道の上を、2匹の犬型キメラが臭いを嗅ぐ様にしながら本隊の方向へと歩いている。チェイサービーストだ。
 先程、本隊後方に現れたキメラたちは、そのまま『雪の轍』に沿って追う様な形で北上してきた。後方の警戒に当たっていた霞澄と桜は、その追跡を察知して『道』沿いの茂みに身を潜めたのだが‥‥このまま放置すれば、本隊まで辿り着かれるのは間違いないようだった。
「仕留めます」
 霞澄はそう言うと、矢筒から数本の矢を取り出してパッと雪面に突き立てた。その内の一本を取り、弓につがえて引き絞る。
 2匹が射程に入ったその瞬間、霞澄は覚醒した。背後から迸る三対のオーラ。それが光の翼となってキメラの瞳に映った時には、最初の矢が先頭のキメラに突き刺さっていた。
 続けて矢を取り、つがえて放つ。二本目の矢も狙い過たずに命中し、そのキメラは何もする間もなく雪の大地へと倒れ伏した。
 次の瞬間、我に返ったもう一匹が、矢をつがえる間に物凄い勢いで逃げ出した。
 あっ、と霞澄が声を洩らす。チェイサーはあっという間に射程外へと逃れ出ていた。
「逃がさんのじゃ!」
 叫んだ時には、もう桜は飛び出していた。踏み固めた道の上を『瞬天速』で疾走する。身体の半分程の大きさの金属爪を棚引かせながら、二度、三度、ついに高速で疾走するチェイサーの前に出る。
「貫くのじゃ!」
 回転するように身を翻らせ、下から突き上げるように爪を振るう。突然現れた桜に対応できず、キメラは鋭い爪に貫かれて絶命した。
「他にはっ!?」
 素早く周囲に視線を走らせ、他の敵の存在を確かめる。もう敵がいない事を確認して‥‥遥か遠くの霞澄を見て、その帰らねばならぬ距離に桜は小さく溜め息を吐いた。

●四日目、夜
 撤退行の最後になるはずの夜。
 兵たちは周り中から雪を集め、東洋でカマクラと呼ばれる雪洞を作りにかかった。四日目ともなると慣れたもの。手早く固めて穴を掘り、防寒シートを敷き詰める。
 火は焚かない。毛布に包まり丸くなる。食事はFRヒーターで温めたレーションだ。
「わふぅ〜‥‥あったかいんだよ〜」
「ふひゃあぁあ‥‥っ!」
 見張りを終え、冷え切って帰ってきた愛華に懐炉代わりに抱きつかれ、桜は声にならない叫びを上げた。疲れ切って休む兵たちの前で大声を上げるわけにも行かず、桜は一人、身を震わせながら叫び声を呑み込んだ。
(「おっ、お、おのれ、この天然貧乏娘っ! 覚えておれよ、この依頼が終わったら‥‥」)
 怒りと寒さに震える桜の頭にぺったりと頭を乗っけて幸せそうに緩む愛華。奥で寝るユミィが大きくうなされ、ハッとする。
「大丈夫。何も怖くはありませんよ。何も‥‥」
 夜警に立つジェシーに代わって硯がそっと手を握ってやる。ユミィはしばらく汗を滲ませてうなされていたが、そうする内にやがて静かに寝息を立て始めた。
「可哀想に‥‥よっぽど怖い目に遭ったんだね‥‥」
 愛華がユミィの汗を拭いてそっと頭を撫でる。掴んだ硯の手を、ユミィはずっと離そうとしなかった。

 霞澄と莞爾の二人は、見張りを終えた後も寝ずに負傷者たちの雪洞へ赴いて傷の治療を行っていた。といっても、出来る事は包帯を取り替える事位だ。だが、それでも、夜を徹して彼等を看護する衛生兵の助けにはなる。休む暇もないが、彼等を助けるためならば苦にもならなかった。
「しっかりしろ。あんた達の戦争は、家に生きて帰って終わるものだろう」
 莞爾の言葉に、昨日、置いていく様に言った負傷兵は弱々しく笑って頷いた。彼等にとって勝利とは、最後まで生き残って帰るべき所に帰ってこそ意味があるものだ。
「‥‥帰るべき場所のない、俺なんかとは違ってな」
 莞爾のその呟きは、誰の耳に入る事無く、雪に呑まれて消えていった。

「お疲れさん。ココア飲むかぁい?」
 深夜の夜警中。愛華に代わって歩哨に立ったブラッディにカップを差し出され、正人は軽く目を瞠った。MREのココアでなく自前のものだった。戸惑いつつ受け取り口に運ぶ。飲みながら、正人は意外だな、と声をかけた。
「なぁにが? ココアがかぁい?」
「いや、自らを狂犬と呼ぶあんたが‥‥こんな救出依頼を受けるなんて、だな」
「‥‥戦うのも、血を見るのも大好きさぁ‥‥でも、流れる血なんてキメラ連中の血だけでいいんだぁよ。無駄に人が血ぃ流すのなんて、考えただけでもイライラするさぁ」
 ほら、俺ってぇば狂犬だけど、人間様の飼い犬だしぃ? そう言ってギャハハと笑うブラッディ。正人はココアを飲む振りをして隠れて笑みを作る。
「代わります」
 交代のクレアがやって来て、正人はカップを彼女に渡した。美味かった、とだけ呟いて自分の雪洞へと戻っていく。
「何です?」
「ココア。あんたも飲むかぁい?」
 頂きます、と素直に口をつけるクレアに、今度はブラッディが軽く目を瞠った。
 沈黙。
 まんまるの月の下、寒さが身に凍みた頃。ブラッディがようやく口を開く。
「この寒さも明日で終わりさぁね‥‥終わったらあっついシャワーでも浴びたいねぇ」
「真面目に歩哨をして下さい‥‥‥‥でも、シャワーに関しては同感です」
 答えるクレアの口元が、微かに笑っていた。

●五日目。
 最終日。味方の前線が大分近づいてきたこの時になって、一行はキメラの襲撃を受けることになった。
 到達した敵戦力は、予想よりも遥かに大きなものだった。
「『ダイアウルフ』の上に『ゴブリン』だと!?」
 獣型の上に騎乗した人型のキメラ。4騎、計8匹のキメラが前後の警戒線を抜け、側面から本隊を直接急襲した。
「負傷者を中心に円陣を組め!」
 軍曹の命令に兵たちが丸く固まる。その周辺を、護衛の4人の能力者が囲んだ。
 その周囲を騎乗したままグルグルと回る『ゴブリン狼騎兵』。まるで西部劇だ。
 正人は弓を捨て、肩にかけた自動小銃を取り出した。この期に及んで雪崩の危険はないだろう。矢を番えるのに時間のかかる弓では皆を守り切れない。
 目の前の敵ではなく戦場全体を見回して、ちょっかいを出してきそうなキメラを狙い撃つ。
 飛び道具を持つ敵を排除すべく、キメラが正人に突進する。正人は退かない。前衛も後衛も無い。ここが最終防衛線であり、最前線だ。
「‥‥っ!」
 それを見て、クレアが円陣から飛び出した。突出し、孤立した標的へと槍をかざす敵キメラ。それこそ、彼女が望んだものだった。
 交差する槍と槍。クレアが突き出した槍に貫かれ、先頭の『ゴブリン』が『落馬』する。クレア手強しと見たキメラたちが彼女を避けるように大きく迂回し、後方の兵士たちへと進路を変える。雪に足を取られるクレアには追いつけない。‥‥だが、それも計算の内だった。
 ドシャアァァッ!
 と、雪原に雪が舞う。雪上での、全力での『瞬天速』。兵士たちに向かう騎兵に、ブラッディが側面から突っかけたのだ。
「ギャハァーっハァーっ、ハッ、ハッぁー! あんま調子に乗ってっとぉ、番犬ちゃんに噛み付かれっぞぉ、キメラどもぉお!」
 先頭のキメラを跳び膝蹴りで叩き落し、落ちたキメラに爪を突き込む。主を失った『ダイアウルフ』はそのまま兵士に突っ込もうとして‥‥『瞬速縮地』で駆け寄った愛華に『獣突』で吹き飛ばされた。
「ここまで来て‥‥絶対にやらせないんだよっ!」
 巨大な斧をブゥンと振り被り、起き上がろうとする『狼』に駆け寄ってその豪快な一撃を叩き込む。すんでのところで身をかわして距離を取る『狼』。睨み、唸る『狼』に、愛華も犬歯を出して喉を鳴らす。
 未だ騎乗している2騎のキメラは、さらにそれらの戦場を迂回して兵士に殺到しようとする。だが、そこに『瞬天速』を全力で使用してきた硯、莞爾の先行組が到着した。
 ビュン、と側面から投げられた槍をキメラが弾く。莞爾のカデンサだ。その間に硯が接近してナックルで殴りかかる。防御を考えない全力の一撃だ。疾風迅雷。疾く殴り、迅く斃す。最終日。最早、練力を温存する意味も無い。後々の事は若さと気力で何とかする!
「待たせたの! よぅ耐えたぞ、天然娘!」
「私の翼は皆を守る為のもの。キメラなどには負けません!」
 そこに到着する後衛組、桜と霞澄。これで今度はキメラが包囲される形となった。
 騎乗という速度の利を失い、数でも劣るキメラたちに、それ以上の為す術はなかった。


 以上が雪中の撤退行、その5日間の顛末だった。
 能力者たちの援護を受け、小隊員22名は誰一人欠ける事無く、味方の前線へと辿り着いた。
「ありがとう‥‥生きて帰れるとは思っていなかった」
 負傷兵の一人が、見事な敬礼を見せながら、担架で野戦病院へと運ばれていった。