●リプレイ本文
その日、ユタの上空は、灰色の雲海に覆われていた。
『雲平線』から陽光が煌き、藍色の空が白々と明けてゆく。綿毛を撒き敷いたようなに一面の雲の原に、屹立する山の峰々──その神々しいまでの空を飛ぶ高坂聖(ga4517)の岩龍は、風景の一部と化したようだった。大空に浮かび漂うように──実際には音速に近しい速度でユタの空へと進入していく。神々の原に境界は見えなかった。だが、膝の上の地図と計器の数値は、聖に目的地に達した事を伝えていた。
「目標上空に到達。周辺空域に敵影なし」
特殊電子波長装置を起動しながら無線機で報告する。センサーに敵影は一つも映っていなかった。KVのセンサーは、地上を這う小さなキメラを高空から捉えられるものではない。地上の索敵は実働部隊の役割であり──彼等は高坂の報告を受け、雲海へのダイブを開始しているはずだった。
雲中に飛び込むや否や、風防越しに見える世界は白一色に漂白された。
機体が振動し、水滴と氷粒がバラバラと機体を叩く。上下感覚を失調させかねない白い闇は、しかし、すぐに晴れ、代わりに舞い散る雪と白一色に染まったユタの大地とが眼前に広がった。
‥‥インターセプターたる飛竜の姿も空に無く、対空砲火も上がってこない。奇襲は完全に成功したようだった。
「こちらアセット。これより降下を開始します!」
平野部の探索に割り当てられた4機のKV。その最後尾を飛ぶアセット・アナスタシア(
gb0694)のディアブロが、作戦区域に入ってすぐ地表への降下を開始した。高度を下げつつ失速ギリギリまで減速してから、人型へと変形して雪の原へと舞い降りる。
「KV依頼はそれなりに数をこなしてきたつもりだけど‥‥ここまで電撃的なのは初めてかも」
平野部の雪は思ったよりも少なかった。アセットは装輪走行で雪を蹴散らしながら、目標を──キメラ『鎧角竜』と『D−Rex』とを探して道路の上を疾走し始めた。プロボ防衛線の近くにいると思われる目標を探索し、殲滅するのが彼女の役割だった。
「雪に紛れて発見されづらいのはいいけど‥‥これじゃ、こっちが相手を探すのも骨だね」
その空を行く3機の内、シュテルンを駆る赤崎羽矢子(
gb2140)が風防の外を舞う雪に小さく眉根を寄せて懸念を示した。この天候故に視界は悪く、距離を取って探索している僚機の姿を視認するのも困難だった。
羽矢子の言葉に頷きながら、阿修羅を駆る響 愛華(
ga4681)は雪に覆われた地表にいるはずの目標を探して目を凝らした。完全に奇襲に成功し、風防越しに見えるユタの空はいっそ長閑と言っても良かった。‥‥ここが戦場だと知らなければ。先程通過したプロボの防衛線を思い返して、愛華は一人、下唇を噛み締めた。『鎧角竜』の脅威を、彼女は実際に目の当たりにしていた。
「‥‥ジェシーたちの為にも、目標2種は全滅させねばの」
友人の雷電乗り、綾嶺・桜(
ga3143)が、発破をかけるように戦友の名を口にする。愛華は無言で頷き、胸元の御守りを握り締めた。
「うん。少しでも楽させてあげないとだね」
グッと気合を入れ直す愛華。どうやら元気を取り戻したらしい愛華に桜はやれやれと口元を綻ばせ‥‥
3機のKVのセンサーが小さく鋭い電子音を発したのはその時だった。
「目標を発見したのじゃ! ‥‥鎧角竜が1匹。防衛線方面へと向かっておる!」
雪原をどこかのんびりと、お供のキメラたちを連れてのしのしと歩く『アルマジロ』を見下ろしながら、桜はエアブレーキを全開にして減速。機体を旋回させるようにして降下を開始した。
「気をつけてね、桜さん! 怪我したらオヤツ作ってあげないからね!」
「お主こそ! 無茶をしたら夕飯抜きにして食費を減らすのじゃ!」
快活に答えながら桜は機を変形させると、敵の『行進』を遮るようにその前方へと降り立った。混乱し、慌てたような反応を見せる敵にガトリングの砲身を向け、ツインブレードを振るって見得を切る。
「キメラとは言え油断はせぬ‥‥が、時間もかけてられん。一気に行く!」
砲列も敷かずに散発的に『砲撃』を開始する『砲甲虫』たち。桜はガトリングの火線を扇状に薙ぎながら、双刃を薙刀のように構えさせると鎧角竜目指して路上を一気に突っ込んだ。
その地上の光景はあっという間に見えなくなった。心配そうに振り返る愛華に羽矢子が警告の声を飛ばす。
「おいでなすった。前方、インターセプターが2匹。上がってくるよ!」
素早く視線を転じ、大きく翼を羽ばたかせながら向かってくる飛竜の姿を確認する。どうする? と、どこか面白がるような口調で羽矢子が尋ねてきた。あの大型種は地上部隊の脅威ではあるが、今回の目標にはされていない。
「うん。向かってくるなら蹴散らしちゃおう」
「‥‥上等!」
エンジンが咆哮し、機体が一気に加速する。未だ態勢の整わぬ2匹の飛竜に向かって、2機のKVは一気呵成に飛びかかった。
山間部の探索には3機のKVが派遣されていた。
地形の起伏が激しい山間部では、センサーは思った程には役に立たない。3人のパイロットは目を皿のようにして、白一色に染められた山林を探索し続けた。
「‥‥やれやれ。いつもミサイルを撃ちまくっている俺が暗殺者の真似事ですか。‥‥面白いですね!」
シュテルンのコックピットから地上を嘗める様に探索しながら、ソード(
ga6675)が苦笑しつつ呟いた。山間部の探索は中々に難儀であった。時折、木々の間に動く物を見かけても、他のキメラだったりする。セラ・インフィールド(
ga1889)は嘆息した。まさか、自分が糸目だからか? などと埒も無いことを考える。
センサーに反応があったのは、行程の半ば程に達した時だった。
その情報をソードが僚機に伝達する。最も近い位置にいたのは月影・透夜(
ga1806)のディアブロだった。雪を踏み締めるように斜面を下りる『D−Rex』。その姿を肉眼で確認して、透夜は、近辺に下りられる空間を見つけると、人型へと変形して林中への降下を開始した。
「ターゲットを確認した。これより降下、殲滅する!」
器用に機体を操って、比較的開けた場所へと降り立つ透夜機。地表から見上げる『恐竜』と目が合い、透夜は不敵な笑みを浮かべ‥‥直後、その表情が驚愕に歪んだ。
「なにっ!?」
ズボリ、とKVの『腿』までが雪に埋まる。山間部の雪は予想以上に深かった。
勿論、透夜は時間を無駄にはしなかった。機槍を杖代わりに素早く態勢を立て直し、ガトリング砲を敵へと向ける。重い恐竜にしてもこちらとそう状況が変わるわけでもない。
だが、恐竜は踏み固めた雪を足場にして、思いっきり横へと跳躍した。透夜機の火線がその後を追う。重ガトリングの砲弾は木々を容易く引き裂いて、枝上に積もったパウダースノーをそこら中に振りまいた。
しまった、と舌打ちする透夜の視界に恐竜の姿が霞む。その周辺に、自重で埋まる事のない蟻型キメラ『ヒュージアント』がカサカサと群がってきた。生身でも大した敵ではないが、その数と酸による攻撃はKVにもダメージを与えうる‥‥
轟くエンジン音と共に、透夜機の周辺の雪粉と蟻たちが人工的な強風に吹き飛ばされた。状況を見て取ったソードのシュテルンが人型で降下してきたのだ。透夜機と同様に雪に埋もれるソード機。再び群がる蟻たちに、ソード機が装備した2基の『ファランクス・アテナイ』が火を吹いた。
猛烈な勢いで吐き出された弾丸の嵐が近づく蟻たちを撃ち払う。こいつは中々便利ですね、と感心しながら、給弾作業に気を配る。ソードは撃ちまくる自動攻撃装置に蟻を任せると、砲火と砲声と雪煙の中、自らは跳躍準備を始めた恐竜へとスラスターライフルの砲口を向けた。『雑音』の外に意識を置き、照準。発砲する。高速で連射された弾丸は易々と木々を貫き、恐竜の鱗を砕いて穴を穿った。
その後を、敵に倣って跳躍した透夜機が槍を突き出し突っ込んだ。がっちりと固定した機槍『アテナ』のブースターが火を吹き、さらに加速した透夜機がその質量ごと穂先を敵へと突き込む。ソードの攻撃で瀕死の傷を負っていた恐竜は、その一撃で背骨を砕かれ絶命した。
「山頂より新たな敵! 鎧角竜です!」
上空を旋回するセラが、稜線の向こうから姿を現した敵の存在を地表の二人に警告した。恐らく、斜面の反対側にいたのだろう。山壁に遮られてセンサーには捉えられていなかった。
「丸まって来るぞ! まともに喰らうとKVでも危険だ!」
透夜の読みは当たっていた。その身を丸まらせて鎧の様に硬い外皮で身を包んだ鎧角竜は、山の斜面を転がるに任せて透夜機とソード機に突っ込んできた。
「うおっとぉ!」
悲鳴を上げつつ、その実、余裕を持ってその攻撃を回避するソード。物凄い勢いで斜面を転がる敵を自動攻撃機能の火線が後を追う。
セラは冷静にその軌道を読むと、シュテルンの垂直離着陸機構を使って精密に敵の進路上へと機を下ろした。転がり来る敵の姿を見つめつつ、淡々とした様子でヒートディフェンダーを抜き放つ。セラは敵の行動線から機体をずらすと、すれ違いざまに腰だめに構えた剣を振り払った。PRMシステムによりさらに灼熱した刀身が敵を切り裂き、直後、その質量と回転と強固な力場によってその剣を弾かれる。ジュッ、と雪中に沈む剣。セラは狙撃砲を構えて転がり続ける敵を追い撃ちする。
「止めを刺しに行きましょう。回転が止まってしまえばKVの敵ではありません!」
セラの言葉を是として、3機は地を蹴ってブーストを焚き、空へと機体を持ち上げた。速やかに敵を殲滅しなければならない。索敵すべき範囲はまだあるのだ。
ユタ湖の探索にはただ1機、藍紗・T・ディートリヒ(
ga6141)のアンジェリカが派遣されていた。
湖の水深は浅く、空から見れば隠れられる場所も無い。藍紗が発見した目標は『D−Rex』1匹だった。湖を少し沖に出た所で佇んでいる。ただ、やはり、水場という事もあって、その水際には多くのキメラが存在していた。
どうする‥‥? と藍紗は一瞬、自答した。迷うまでも無かった。時間はそう多くはない。
「行ってくる‥‥京夜」
左手薬指の指輪に唇を押し付け、藍紗は敵中への降下を開始した。盾を構え、文字通り敵を蹴散らしながら砂浜へと着地する。慌てる雑魚には目もくれず、エンハンサーを起動しながら振り返り、レーザーガトリングによる弾幕を湖上の敵へと一閃させる。だが、その一撃は煌くフォースフィールドによって減衰させられた。SESが付与したエネルギーが維持されるには、少し距離が遠かったのだ。
藍紗は思い切って機を跳躍させると、湖の中へと乗り入れ、距離を詰めてからレーザーを発砲した。だが、敵は先の一撃でその威力を思い知ったのか、尻尾で湖面を叩き、水のカーテンでレーザーを減衰させると、そのまま水中に潜り、器用に尻尾を振り泳いで逃走を開始した。
「むっ!?」
小癪な、と唸る藍紗の機体の周辺に、幾つもの水柱が立ち上がった。湖岸に砲甲虫が集まり、各個に砲撃を開始していた。
この期に及んで、藍紗は追撃を断念した。湖中より離陸する事は出来ない。湖岸にこれ以上敵が集まれば、戦場からの離脱が不可能になる可能性があった。
「是非もなし‥‥か。他はうまくいったじゃろうか‥‥」
嘆息して唇を噛みながら、藍紗は機を反転させた。離陸する為には、湖岸のキメラの半分は撃ち払う必要がありそうだった。
シュテルンの機構を使って、敵の退路を断つように市街地の路地へと降下した羽矢子は、建物の陰から半身と狙撃砲とを突き出してD−Rexを狙い撃った。長砲身88mm径のレーザー光が光の剣と化して恐竜を切りつける。身体中から血を振りまきながらも、猛進する敵。羽矢子は冷静にその距離を防壁として、ガトリングの連射を浴びせて止めを刺す。断末魔の叫びと地響きが機体を震わせ、羽矢子にその無念を伝えるようだった。
爆音が轟き、羽矢子機を空から襲おうとしていた飛竜が炎に包まれ、雪の大地へと激突した。敵を葬り、翼を翻して空を舞う阿修羅の中で、しかし、愛華はその表情を曇らせていた。
「おかしいよ‥‥目標の数が少なすぎるんだよ‥‥!」
愛華と羽矢子の二人は、すでに作戦区域の南端にまで達していた。にもかかわらず、愛華は最後まで地上に下りる事はなかった。だが、それ以上、考えている暇はなかった。新たな飛竜が3機、編隊を組んで逆落としに降下を開始していたからだ。
一方、その頃、最初に平野部へと降下したアセットは、道路を縦断して最初の市街地へと進入していた。
野営地となりうる為か、廃墟には多くのキメラが存在した。鋭い角を振りかざして突っこんで来る角甲虫をガトリングで撃ち払いながら街中を進み‥‥やがて、壁面に巨大な穴を開けた建物へと差し掛かる。
アセットは思わず足を止めた。その破壊のありようが、他の廃墟のそれとは何か違う気がしたからだ。
「これは‥‥体育館‥‥?」
嫌な予感を捉えた時には、その穴倉の暗がりから『D−Rex』が飛び出していた。フォースフィールドを纏った尻尾による横殴りの一撃が、凄まじい衝撃となってアセット機を打ち倒す。そのまま圧し掛かる様にしてその鋭い牙を突き立てる敵。まるで肉を噛み千切るように、装甲板が引き千切られる。
ゼロ距離からの攻撃に、アセットは可能な限り機体を仰け反らせると、頭部のフレイムホーンによる頭突きを叩きつけた。怯み、僅かに出来た隙間に『エグツ・タルディ』を押し付ける。
ドンッ、という火薬の音と共に、打ち出された機杭が敵を貫いた。直後、脱力した敵が崩れ落ち、アセットはそれを除けながら機を立ち上がらせた。
「‥‥まさか、建物の中に籠もっている敵もいるの‥‥?」
その閃きは、しかし、遅すぎた。聖が報せる残り時間はあと僅かであり、アセットは離陸可能な場所を探して奔走しなければならなかった。
●
「目標はその殆どが殲滅されました。‥‥空から発見できた分に関しては、ですが」
報告を受ける大佐の手元に、雪の大地を歩く『鎧角竜』と『D−Rex』写真があった。作戦後、偵察機によって撮影されたものだ。
「電撃作戦により、ワームが戦場に介入する余地は全くありませんでした。この点に関しては後顧の憂いは存在しません。ただ、市街地廃墟の『巣』にいたり、蟻型キメラが露天掘りの鉱山に掘った横穴等に隠れていた個体が見逃されたようです」
作戦により、該当地域における目標の数は半減した。ただ、残った半数でも地上部隊の手に余るのだ。
「つまり、悪化こそしなかったものの、状況は変わっていない。そういう事だな?」
大佐の言葉に答えるものはいなかった。また、別の手を考えなければならん‥‥大佐の独白は残滓となって、部屋の底へと沈殿した。