●リプレイ本文
北米、サンフランシスコ近郊の某空港──
危地より無事、助け出されたオグデン第1キャンプの避難民たちは、駐機場に停止した救出機から降りるや否や、その喜びを爆発させた。
無理もなかった。彼らはもう何年も『キメラの海』──キメラの跋扈する危険地帯──の只中に孤立し、怯えながら、かろうじてその命を繋いできたのだ。互いに抱き合う家族や恋人、天に感謝の祈りを捧げる老夫婦── 仲間たちの中でただ一人生き残った青年は、歓喜と安堵、慟哭と慙愧の念をごちゃまぜに抱きながら、自らの肩を掻き抱きつつ、膝を落として落涙する。
そんな歓喜に沸く人々の間を、アグレアーブル(
ga0095)はひとり難しい顔をしながら、早足で縫うように歩いていた。
目当ての人物は人々を抜けた先、輸送機のタラップ近くで屯していた。くたびれた制服姿の将校の集団── 自分と同じく、全く笑顔のない男たちを見やって、アグレアーブルはそれが目当ての人物たちであることを確信する。
「後衛戦闘大隊の状況は? 連絡は取れているの?」
いきなりそう詰め寄るアグレアーブル。副官がその無礼を咎めようとするものの、その場で最も階級の高い男が片手を上げてそれを制した。
「‥‥君は?」
「アグレアーブル。傭兵‥‥です。友達が、いるの。大隊と」
男はそうか、と頷くと、アグレアーブルについてくるよう言った。中佐の階級章をつけたその男は、ユタ救出の指揮を取っていた男だった。所属は西方司令部。半日前までは大隊と共にオグデンにいた。
アグレアーブルは指揮官たちと共に陸上施設の一室へと入った。そこは既に指揮所としての体裁が整えられていた。指揮官は地図を示しながら、アグレアーブルに状況を説明し始めた。
「戦力を消耗した大隊は現在、このアンテロープ島にいる。これは想定していた中で最悪に近い状況だ」
本来であれば、大隊はどこか輸送機が降りられる場所まで後退して、そこで戦線を維持しつつ救出を待つ手筈であった。だが、大隊は想定以上にその戦力を消耗したらしい。守るに固いが退くには難い湖上の島へと移動した。全長20kmにも及ぶ島ではあるが、大型輸送機が下りられる滑走路は存在しない。そして、ヘリでは飛行キメラ群を突破できず、手持ちのクスノペでは数が足りない。
「補給は? 医薬品や弾薬の投下は行わないの?」
「‥‥避難民の救出に大規模な救出隊を派遣したからな。敵がユタ方面に集まってきている」
故に、今度は奇襲ではなく強襲となる。アーバイン橋頭堡の確立と志願兵の新規徴募等により西方司令部の戦力は増大してはいるものの、恐らく、残された機会はあと1度ほどしかない。
「‥‥まさか、見捨てるつもりじゃ、ないでしょうね?」
アグレアーブルがその表情を昏くした。孤立した部隊を見捨てる── 聞きなれた話ではあるけれど、私たちに必要なのは、死せる英雄ではなく生きて戦える兵のはずだ。
まさか、と指揮官は答えた。彼らは戦友だ。味方を助ける為に囮になった。見捨てるような真似はしない。一兵たりとも残さず、必ず全員を救出する。
「‥‥具体的には?」
指揮官はアグレアーブルに対して、事前に準備させていた作戦案を提示した。
それを見たアグレアーブルは目を丸くした。その内容があまりに荒唐無稽なものに思えたからだ。
「‥‥本気、なの?」
「カナダなどからも引っ張ってきた。一応、全員を脱出させられるだけの数は、かき集めることができたはずだ」
アグレアーブルは改めて作戦要項に視線を落とし‥‥ 私も行くわ、と呟いた。
「いいのかね?」
「さっきも言ったけど‥‥ 友達が、いるの」
知りもしない他人の為に、何かをする気にはならないけれど。気に入った子が、帰らなくなるのは、気に入らない。
「だから、迎えに行く」
アグレアーブルは頷いた。
●ユタ州、大塩湖。アンテロープ島北端防衛線、仮『兵舎』──
「どうやら無事、出発することができたようじゃのぅ」
天幕を張っただけの簡易な『兵舎』の毛布の群れ── その中の一つがむくりと身を起こし、装甲救急車を見送ったジェシーとウィルに声をかけた。
わさり、と寝癖のついた髪を手櫛で直し、しわくちゃになった巫女服を手で伸ばす。その少女、綾嶺・桜(
ga3143)を振り返って、ジェシーとウィルは軽く目を瞠った。
「行かなかったのか?」
「ふん。こっちだって、手はいくらあっても足らんじゃろう? それにの、ここだけじゃないぞ? キメラどもが入って来ぬよう、南端にも歩哨を立たせておる」
なるほど、とジェシーは苦笑した。もし僕たちが救急車を止めるようなことがあれば、その時は押し通るつもりであったらしい。
桜はぽてぽてと歩み寄ると、ジェシーたちが籠もる塹壕の端にぽてっと腰掛けた。‥‥この手掘りの塹壕だけが彼らの生命線であると言っていい。この地利を失えば、後は数に任せて蹂躙されるだけだ。
「じゃが、まぁ、それもいつものことか。‥‥おぬしたちとの付き合いも随分と長くなったものじゃのぅ」
しみじみと、だが、どこか呆れたように桜はそう苦笑した。直し切れなかった寝癖がぴょこりと鳥の尾羽の様に立っている。
暫し無言で月を見上げる。
4年以上に亘る戦いの日々‥‥ ただ戦うだけしかない日常の中で、どれだけのものを失ってきたのだろう。勝ったとて得るものはない。ただ取り戻すだけ。だが、それは決して以前の──この血みどろの戦いに身を投じる前のそれとは違う。
失うものばかり大きかった。僕らはその平穏を──恐らくは永遠に──享受することはできないだろう‥‥
「ジェシー軍曹‥‥じゃなかった、少尉。また敵が来ます」
塹壕の中を這い進むようにしてやって来たルーが、ちょいちょいと指で湖上を指差す。ジェシーとウィルはそれぞれ配置に戻ると、塹壕の陰から湖上道路を見下ろした。
月明かりの下、キラキラ輝く湖面の道をひたひたと押し寄せてくる多数の敵── ジェシーは苦笑した。‥‥平穏か。そんなもの、生きて帰れるかも分からないのにお笑い種だ‥‥
そんなジェシーのすぐ横の地面に、薙刀の石突が突き立った。見上げるジェシー。その視線の先には、塹壕の淵で仁王立ちになった桜の姿──
「あやつらは‥‥ダンたちは必ず医薬品を見つけて戻ってくる。それまでこっちはわしらがしっかり守らねばの」
そう言って薬室へと初弾を装填しながら、桜がニヤリとジェシーを見下ろす。
「おぬしらもじゃ。こんな所で死なせはせぬ。まだまだ続きそうな腐れ縁。全てが終わるまでしっかりとつき合わさせてもらうからの」
アンテロープ島の南端には、傭兵たちが設置した仮設の『監視所』が設置されていた。
監視所といっても、小さな天幕に毛布で仮眠所を設け、小さな木のテーブルを運び込んだだけの簡素なものだ。テーブルの上には、大型の軍用無線機がひとつ。‥‥ここから島北端との距離は約20km──岩龍の中和装置でもギリギリの距離だ。手持ちの通信機では届かないので、余っていた軍の車載無線機を一つちょろまかして‥‥いや、借り受けて使っている。
その無線機が、監視所の傭兵たちをコールした。傍らで二挺の銃の手入れをしていた終夜・無月(
ga3084)は、一挺を机の上に置いてから受話器を手に取った。
「こちら北端防衛線、桜じゃ。南側の様子はどうじゃ?」
「‥‥待って。今、セレスタに代わる」
無月は受話器を手にしたまま、天幕の外のセレスタ・レネンティア(
gb1731)を呼んだ。月明かりの下、双眼鏡で対岸に目を凝らしていたセレスタは、天幕まで戻って受話器を取った。ポットから温かいコーヒーを注いだ無月が代わりに対岸の監視に出る。
「こちらセレスタ。現在、島南端にキメラなし。対岸も静かなものです」
「そうか。こちらはこれより戦闘状態に入る。‥‥ダンたちは無事、湖を渡ったかの?」
「ええ、つつがなく」
「そうか。ならばよい」
無線機からロケット弾の斉射音が聞こえ、桜からの通信は切られた。再び対岸の監視に戻るセレスタ。北の方から遠く砲声が響いてくる‥‥
「うにゅ‥‥ただいまなのー」
そこへ、北端で交渉ごとに当たっていたプリセラ・ヴァステル(
gb3835)が帰って来た。工兵の指揮官に、この島南端に対キメラ用の障碍を設置できないか訊ねに行って来たのだ。
「首尾は?」
「うにゅ。ダメだったの‥‥」
あそこ(島南端)から(キメラに)入られたら大変なコトになっちゃうの! 工兵の指揮官と思しき士官にとてとてと歩み寄ってそう進言したプリセラだったが、疲れた視線で見返されてちょっぴり怯んだ。
「‥‥工兵大隊は‥‥俺の部下たちは、プロボからこっち、戦力としてすり潰された。キャンプの施設大隊は避難民たちと逃げたしな。この大隊にもう『工兵』はいないよ」
資材がない、重機がない、人海戦術にも人手が足りない。とてもじゃないが大規模な野戦築城は無理だ、とにべもなく断られたという。
話を聞いたセレスタは息を吐きつつ、手にしたコーヒーを渡してやった。それを両手で受け取って冷え切った手を温めるプリセラ。彼女はそのままセレスタの横に座ると、寒空の下、身体をくっつけ、対岸の監視を始めた。身体をくっつけたのはその方が暖かいからだが‥‥ セレスタにはそれ以外のなにかがあるように感じられた。
「‥‥障碍の設置ができなかったことを気にしているの? 仕方ない。人は自分でできることをやるしかない」
今、自分にやれること、か‥‥ プリセラにそう声をかけながら、セレスタは内心で嘆息した。今回の脱出行では大隊に大きな被害が出た。一人の兵士として戦うことしか出来ない自分の無力さ‥‥ それを噛み締めるしかできないというのは口惜しい。
「うにゅ‥‥それもそうだけど‥‥ ここにいる人たち、なんだか顔が暗いの〜‥‥ このままじゃいけないの‥‥」
そう落ち込むプリセラ。セレスタは天を見上げて暫し考え込み‥‥ 傍らの少女の頭にポンと左手を乗せた。
「そうですね。でも、そんな彼らも、メイソンさんたちが薬を持って帰って来れば、笑顔になるかもしれませんよ」
もうこれ以上仲間を失わない為にも、彼らが帰ってくる場所を守る。一人の兵士でしかない私は、一人でも多く助かる為に戦う。
それでいい。
今の私に出来ることを。どんなに無力に思えても、そこに意味が無いなんてことはないはずだから。
「うにゅ! セレスタさん、あたし、頑張ってみるのー!」
立ち上がり、笑顔で礼を言うプリセラ。とりあえず、今出来ることは対岸の監視である。
プリセラは再びセレスタの横に座り直すと、月夜の闇の中を二人して、キメラがいないか注意深く見張り始めた。
●
その頃、『遠浅』の湖水を蹴立てて対岸へと渡ったダンたちは、廃墟に佇むガソリンスタンドに立ち寄り、燃料と物資を補給していた。
かつて、このユタが『キメラの海』に呑まれる前、市民たちの避難は軍によって行われたのだが、その際、大量のガソリン全てを運び出す事はできず‥‥ 残されたそれらは今、こうして、自分たちのように『キメラの海』を彷徨う『あぶれもの』に対する貴重な『資源』となっている。
「流石に食料とか薬はなかったけど‥‥ 奥の部屋に何枚か毛布があったよ」
「それと、車のカバーが何枚かと潰れたダンボール箱がいくつか‥‥ガムテープで補強すれば、救急車のカモフラージュや医薬品の運搬などに使えるんじゃないか?」
スタンドの倉庫、そして隣接するコンビニを漁‥‥もとい、探索していた西村・千佳(
ga4714)と月影・透夜(
ga1806)が、それぞれ『戦利品』を抱えて外に出てきた。
風呂敷代わりに使えるんじゃないかな、と提案する千佳。給油をサムに任せ、天羽 圭吾(
gc0683)と共に回収作業の細部をつめていたダンは、眉をひそめて千佳を振り返った。
「フロシキ‥‥? なんだか知らんが、医薬品なら大抵、ケースがあると思うぞ?」
そう言われて、どこかシュンとして見えた千佳に、圭吾が手を差し伸べる。手渡された毛布の強度を何度か引っ張って確かめて‥‥圭吾は千佳にそれを返すと、ポンとその頭に手を置いた。
「なにがあるか分からん。一応、持っていくとしよう」
ぱぁ、と表情を輝かせ(たような気がする)、いそいそと毛布を荷室に積む千佳。そんな二人を見ていたダンが「しょうがねぇな」と苦笑する。
「‥‥本当にいいのか、おまえら? ここから先は掛け値なしに危険だぞ? 能力者ならまだ、島に帰るなり逃げるなり出来るはずだが‥‥」
能力者たちを振り返り、改めてそう訪ねてくるダン。周囲を警戒していた葵 コハル(
ga3897)と響 愛華(
ga4681)は、怒ったように振り返った。
「まだそんな水臭いことを‥‥ この間はこっちこそ申し訳ないと思ってたからね。身体張ってくれた人の為なら、少しくらいの無茶、蹴倒してみせようじゃないの!」
「自分たちが一緒にいながら怪我をさせてしまったレナさんの為、必死に時間を稼いでくれたトマス君たちの為‥‥ 一人でも多くの負傷者を助ける為、必ずなんとかして見せるんだよ!」
グッと拳を握る愛華。分の悪い賭けに付き合ってくれてこうなっちゃったのに、見て見ぬフリをしたら女が廃る。そうコハルが鼻息を荒くする。
バカな奴らだ、と悪態をついて肩を竦めてみせるダン。すまない、とポソリと呟いてから、車に大股で歩み寄る。
「サム! 給油は終わったな?! 皆、車に戻れ! 出発するぞ!」
歩きながら皆に指示を飛ばすダンに従い、それぞれが荷室に走り寄る。
透夜は車に乗り込む前にダンに走り寄ると、探索は夜明けまでか、と確認を求めた。
「そうだな。陽が昇れば、活動するキメラの数は桁違いに増える。発見される危険も増す。捜索というリスクを抱えて活動するには、その辺がリミットだな」
最後に、スタンドの屋上で対空警戒に当たっていた阿野次 のもじ(
ga5480)が、救急車の屋根からクルリと荷室の中へ入り込む。
「最後に私からひとつ。これから医薬品を捜索する中で、『バグアとニアミス』する可能性を頭の隅に入れておいてね」
自らのベルトを締めながら、皆にそう伝えるのもじ。前回、彼女を『自爆』気味に『撃墜』(実際には大破からの放棄・自爆)したバグアが生きていれば、自分たちと同様に医薬品を探しているかもしれない。
「怪我をした自分の為か、或いは『他の誰か』の為か。根拠は‥‥経験? この手のケースでは得てして『ありえないこと』が割と起こるものなのよ」
ありえないこと。即ち、想定外のこと。ああ、せめてヒンクリーと州都の距離が近ければ、自分も愛機を失わないで済んだだろうか。限定された戦場において、奇襲部隊の戦果は奇襲部隊にのみに帰するものであるが故。
何かを悼むように、胸の前で拳を握るのもじ。
暗視装置を装着したダンが、無灯火の救急車をゆっくりと進め出した。
最初にダンが向かったのは、『キメラの海』の中にあるとある病院の跡だった。
この辺りでは、急遽、市民の避難が行われた為、着の身着のままで移動した人々が多かった。病院も例外ではない。
「そういった病院では、運びきれない医薬品や機械はそのまま放置されていてな。高価な医療機器なんかは後に財団でも回収したりしたんだが、オグデンから遠い所は手付かずで残っていたりする」
今、向かっているのもそんな病院の一つだった。
病院の近くまで辿り着くと、能力者たちはそこでダンに車を停めさせた。そのままとある廃墟に乗り入れさせて、持ち込んだ車のカバーでカモフラージュを施し始める。
「ダンとサムはここで待機していてくれ。護衛をつける。施設の探索は俺たちでやる」
透夜のその提案にダンは反駁しかけたが、結局、ダンはそれを受け入れた。
「レナさんの二の舞になったら切腹モノなんで、なるべく車からでないでくださいね?」
護衛として車に残る事にしたコハルがそう告げて二カッと笑う。
他の皆は隊列を組み、空いていた正面入り口から病院のホールへと入った。既にシャッターとガラスは破られており、何ものかが侵入したことは間違いなかった。
「念のため、調べておくにゃね。流石に空飛ばれたり、寝ていて動かなかったりすると分からないけど‥‥」
まず、最初に、覚醒して『にゃ』言葉になった千佳が床に手を着き、『バイブレーションセンサー』を使用した。
「振動にゃ(無)し‥‥ 院内に動くものは‥‥ いや、階段と廊下に微弱な反応‥‥ こちらに気づいて動き出した?」
であれば、こちらと同等の探知スキルを持っていることに? 愛華は首を捻った。千佳の話から想像するに、蟻とか蜘蛛の昆虫系。経験上、そこら辺りが脳裏に浮かぶ。
「そいつらはなるべく避けていこう。案内板は‥‥」
病院の案内板を探す透夜と圭吾。それはロビーに貼ってあったが、肝心の薬剤庫についてはなにも描かれてはいなかった。
「患者の入れない区画までは流石に描かれてないか‥‥ では分散して探索する。調剤室や薬品庫と思しき場所があるはずだ」
透夜の指示により、能力者たちが各所へ散る。
のもじは屋上からキメラの接近を警戒すべく、階段→屋上へと進路を取った。
透夜と圭吾は1Fの探索。愛華と千佳は2Fに上がる。
「だ、大丈夫だよ、千佳さん。な、なぐれる相手なら私がぶっとばしちゃうんだから」
超機械「マジシャンズロッド」をギュッとその胸に抱えながらくっついて歩く千佳に、愛華が胸をドンと叩く。廃墟と化した夜の病院は、なんとも言えない怖さがあった。どこか外から聞こえてくる狼の遠吠え。ピルピルと震えながら廊下を進む赤い犬耳尻尾と黒い猫耳尻尾(無表情)はやがて階段へと到達し‥‥ 破れて垂れた蜘蛛の糸と、廊下に転がる獣人型キメラの骨を見てゴクリと唾を飲み込んだ。
「だ、大丈夫だよ、千佳さん。く、蜘蛛型なら前に見た事あるよ」
「2人で勝てるにゃ? なんか敵味方見境ないみたいにゃけど‥‥」
そう言う二人の目の前に、階段の上から蜘蛛の巣まみれになったのもじが転がり下りてくる。その後をのしのしとやってくる蜘蛛型は‥‥ 愛華が以前見たものより倍近い大きさがあった。
「そ、そうか! 巣の上に居ればこちらに伝わる衝撃は極小に‥‥!」
「言ってる場合じゃにゃいにゃ。『まじかるビーム』!」
杖を振り、蜘蛛に電磁波を浴びせかける千佳。そこへ粘着糸を吐きかけてくる蜘蛛。愛華が銃を撃ち捲くりながら機械爪を起動しつつ前進し、自分の身に絡まった糸を剥ぎ取ったのもじが洋弓から矢を引っぺがしてから引き絞ってそれを放つ‥‥
一方、1Fの透夜と圭吾は、2Fから聞こえてくるどたばた音に「接敵したか」と察していたが、すぐに終息するのを聞いて探索を継続した。一応、「酷い目にあった」という無線であちらの無事は確認してある。
屋内という事で双槍を両の手に分けて持った透夜が音もなく廊下を走る。そのまま廊下の角に取り付き、陰からミラーで通路の先を確認する透夜。‥‥敵影なし。透夜は背後を振り返ると、手信号で圭吾に合図を送る。
両手に銃を構えた圭吾が小走りでそこまで進出し。通路の先へ銃口を振り向けつつ、今度は先頭に立って距離を稼ぐ。
そうやって交互に前に出ながら薬剤室まで進出した圭吾と透夜は、その扉の陰から中の様子を窺った。‥‥破れた窓から風に棚引くカーテン。机の上の書類がカサカサと音を立てる。二人は視線を合わせて頷くと、圭吾の援護の下、透夜が素早く中へと入る。鉢合わせした蟻型をあっという間に蹴散らしながら‥‥二人は奥の薬剤庫へと足を進めた。
「シュッ!」
車の近くに現れた犬型に先に気づくことができたコハルは、ダンとサムにジッとしているよう囁くと、不意を打って敵に肉薄した。
盾で頭部をぶん殴り、空いた頸部に刀を突き入れる。索敵・哨戒に優れたその犬型は、警告の叫びを上げる間もなく、息絶えた。刀身を振って血糊を払い、鞘へと刀をしまうコハル。そこへ探索班の5人が戻ってくる。
‥‥のもじに愛華、千佳の三人は、なぜか白衣にナース服に手術着というなんともマニアックな格好だったが、それについてはなんとなく聞かないことにした。
●島北端、防衛線──
「生憎と此処から先は通行止めでの! 一匹たりとも通すわけにはいかぬのじゃ!」
激しく重火器を撃ち捲くる兵たちと共に、塹壕の端に立ってSMGを撃ち捲くる桜。その激しい十字砲火に避けるスペースも防ぐ遮蔽物もなく、獣人型のキメラたちが打ち倒されていく。
やがて、その損害に耐え切れず、退き始める敵集団。あれを逃がすわけにはいかない。獣人型は回復能力を持っている。逃がせば傷を癒して再びこちらへ攻めかかろう。
「わしが行く! おぬしらは弾薬を温存するのじゃ!」
塹壕から飛び出し、坂を駆け下り、桜が敵中で薙刀を振るう。血飛沫が吹雪の様に舞い、数匹のキメラが地に倒れる。
さらに湖上道路まで進出した桜は、だが、道の先からやって来る新手の集団に息を吐いた。
「‥‥新手じゃ、ジェシー。すまんが、弾を使わせる。先鋒を切り崩した後、そちらへ引き込むので始末を頼む‥‥」
●
「薬剤庫に薬がなかった? ただの一欠けらすらも?」
「ああ。まるで何者かが持ち去った様に、整然と運び去られていた。埃の積もり具合から見て、ここ最近のことではないな。少なくともキメラが荒らしたような感じじゃなかった」
透夜からのその報告に、ダンは何が起きたのか沈思し、想像した。
‥‥或いは、財団が回収したのと同様に。どこか医薬品が不足した避難民キャンプが、今の自分たちと同様、死中に活を求めてそれらを回収しに来たのかもしれない。
ダンは舌を打った。その可能性に思い至らなかったのは迂闊だった。
「どうする? 病院以外を探すか?」
「うーん‥‥病院でなければ‥‥避難所みたいな人の集まってた所とか」
コハルの言葉に、ダンは首を横に振った。人の集まる場所だからこそ、医薬品は必要とされる。財団は知る限り全てのキャンプで医療支援を行っていたが、常に医薬品には余裕がなかった。
「では、病院、薬局、コンビニ、そして、軍拠点とその周辺‥‥」
「製薬工場、卸・物流などの流通関係、役所の災害用備蓄、学校、保健所、研究室、企業の医務室や一般家庭‥‥」
透夜と圭吾が思いつく限りの探索候補を上げていく。
ダンは頷いた。ともかく、それらを虱潰しに探していく他はない。『海』の奥に進むほど物資が残されている可能性は高くなるが、それだけキメラと遭遇する危険性も高くなる。
「一般や小売は考慮に入れなくていい。労力に比べてリターンが小さすぎる。サム、地図を。透夜、圭吾、ルートを見直す。手伝ってくれ」
その後、救急車は新たに設定したルートを通って、医薬品を求めてさらに奥へと進んでいった。
2件目は役所の備蓄施設。ここは獣人たちの巣になっていたが、最初から全ての物資が運び出されていた。
3件目は中規模なショッピングモール。バックヤードの倉庫から纏まった数を回収できたものの‥‥それらは皆、一般向けの『商品』であって『医療用』のものは少ない。
「必要としてくれる人達が居るんだよ‥‥ だから、出てきて‥‥!」
4件目、保健所。愛華が縋るような想いで、部屋の陰や隅まで、這いつくばって薬を探す。だが、出てくるのは蟻ばかりで、薬はまったく見つからない‥‥
そして、5件目。再び廃墟、病院。
既に空は白ばみ始めていた。これが最後の探索となりそうだった。
「もう時間が無い。病院の方は俺の方が詳しい。俺も現場に出て探索範囲の指示を出す」
ダンはさらに言葉を続けた。俺たちの身を案じてくれているのは分かっている。だが、俺たちにも仕事をさせてくれ──
その熱意を目の当たりにして、なんだかんだ言ってダンさんだね、と苦笑する愛華。コハルもまたやれやれと肩を竦めてこう言った。
「こうなったら言っても聞かないでしょ、このオヂサン。ま、なんとかするわ。無理と無謀をまかり通らせるのが私たち、傭兵のオハコでしょ?」
そんな十八番聞いたこと無い、と困り切る透夜。だが、意外なことに、圭吾がコハルとダンに同意した。
「ただし、病院の玄関までだ。案内板で指示してくれれば、後はこっちでなんとかする。夜討ち朝駆けなんて週刊誌の取材じゃないが‥‥まだ、この時間ならなんとかなるだろ」
圭吾は負傷したレナとそれを悔いるダンにかつての自分たちを重ね合わせていた。
かつて、自分の過ちによって死なせてしまったかつての恋人‥‥ 今のダンたちとは状況も立場も違うが、どうにも他人事に思えない。
(俺自身、感傷に囚われるタチではないと思っていたが、くそっ、結局、俺自身が一番ウェッティだったということか?)
それともなにかを取り戻しつつあるとでもいうのだろうか。この虚無感に満ちた空っぽの自分に?
そのまま押し黙ってしまう圭吾。透夜は溜め息を一つ着くと、しぶしぶダンの同行を認めた。
「ホールまでだ。正直、探索しながら二人を守りきれるか分からないんだからな」
木の枝から病院2Fのベランダへと飛び移り。それを足場に上へと上がる。
そのまま4F建ての屋上へと出たのもじは、給水塔の陰からそっと紺色の空を見上げやった。
星を透かす藍色の空。東の空が紅く染まりつつある。そんな空を背景に、翼を羽ばたかせる飛行キメラの小さな影── のもじは動き出したわね、と呟くと、それが接近してきた時に備えて、洋弓に矢を番えて手を添える。
一方、ホール。
この日、8度目の『バイブレーションセンサー』に、千佳の額に汗が滲む。
‥‥大きな反応が1つ。中央通路に一つある。問題なのは、それが薬剤庫に通じる扉の前に居座っていることだ。
「わぅ。アレに構っている暇はないよね?」
閃光手榴弾を見せる愛華に頷き、配置につく能力者たち。愛華がピンを抜き、それを敵大型キメラ──蟷螂型に放り投げる。
閃光と轟音が轟き、蟷螂型が『悲鳴』を上げる。そこへ双槍を手に突っ込んでいく透夜。敵が抜けて来る事態を想定し、コハルがダンの前で剣と盾に力を込める。
その間に、窓を割って反対側から侵入した圭吾と千佳は薬剤庫へ侵入。ありったけの医薬品をキャスターに載せエレベーターへと放り込む。二人はそのまま蟷螂型を避け、持ち込んだ毛布を使って二階から薬を下へと下ろした。
「毛布、役に立ったじゃないか」
そう言う圭吾に頷く千佳。
その下に車を横付けさせたサムが、ダンと共にそれを荷室に運び入れ‥‥ それに気づいて迫る飛行型を、のもじが洋弓で屋上から不意打ち気味に狙い撃つ。
「よっし、みんな、ずらかるよ!」
車の横で銃を構えて叫ぶ愛華。繋げたカーテンを伝って、千佳を抱えた圭吾が下りて来て最後の荷と共に荷室に飛び込む。病院から飛び出して来る透夜とコハル。吹き飛ぶ入り口と追う蟷螂。後部扉を開けたままの荷室から牽制射が乱れ飛び‥‥最後に、屋上から飛び降りてきたのもじを屋根の上に乗せたまま、救急車は戦場を後にした。
●
だが、島に着く前に夜が明ける。
活動を開始したキメラの群れが、救急車の行く手を阻む。纏わりついてくるキメラたち。ダンの腕を以ってしても、いつもより荷が重いため、それら全てを振り切れない。
島の対岸までようやく辿り着いた時、ついに救急車は力尽きた。砲甲虫の礫弾が地面に弾け、左側の防弾タイヤ二つをその軸ごと吹き飛ばす。
「えぇい、あと少しだっていうのに!」
救急車の周囲に展開し、迫るキメラを迎撃する能力者たち。ダンは皆に、サムと医薬品を抱えて島まで走るよう叫んだ。
ダンは、救急車の燃料タンクに既に穴を開けていた。これでキメラを引きつける。その間に渡るんだ、と。
「ダンさんは!?」
「‥‥いくら能力者でも、そんな余裕はないだろ。俺を運ぶくらいなら薬を運べ」
迫る敵。増え続ける新手。ダンが皆に有無を言わさず、車から漏れ出たガソリンに照明弾を撃ち込もうと‥‥
次の瞬間。後方から放たれた一筋の光条が、サムの背を打とうとしていた獣人の1を貫いた。
それは、監視所から駆けつけたプリセラが放ったエネルギーキャノンの閃光だった。AU−KVの装輪で湖水を蹴立てて止まりながら、再び発砲するプリセラ。その横を無月とセレスタが走り抜けていく。
「うにゅ! どかーん、なの♪」
プリセラの叫びと共に再び放たれる光線砲。セレスタは皆の殿軍に立つとSMGの弾をばら撒きながら、完全に包囲される前に徐々に湖へと後退する。
無月は二挺拳銃を撃ち尽すと聖剣を抜剣し、セレスタの側面に回ろうとする敵の一角を突き崩した。そのまま交互に殿に立ちながら、跳ぶ様に一気に後退する。透夜と圭吾、そして愛華が立て続けに投擲した閃光手榴弾が炸裂し‥‥その隙に、医薬品の入った『風呂敷』を背負って能力者たちは走り去る。
「うにゅ! 乗ってくの!」
バイク形態に変形したプリセラがダンをその後ろへ誘う。ダンはその背に捉まりながら‥‥ 振り返って照明弾を撃ち放った。
引火し、爆発的に炎を吹き上げる装甲救急車。その勢いにキメラたちの足が止まる。
「あばよ、相棒」
呟くダン。のもじがその姿に愛機のそれを重ね合わせ‥‥ 5秒ほど敬礼を捧げた後、走りながら黙祷した。
「わぅっ! お薬の宅配便、お待たせだよ!」
北端の防衛線に辿り着いた愛華が、野戦病院の天幕を潜って叫ぶ。湧き上がる歓声。徹夜で戦い続けた桜がニヤリと笑い、無言で愛華の背を叩く。
その騒ぎに目を覚ましたレナが、頭上にダンとサムの顔を見出し、小首を傾げる。もう大丈夫ですよ、と泣くサムと、車を失ったと告げるダン。それだけで何が起こったのか悟ったレナは目を見開いて‥‥ 礼を言うと共に、始末書モノですね、と微笑んだ。