●オープニング本文

「第14次『駅馬車』隊は、あと30分で進発準備を完了します。‥‥この駅馬車隊の輸送により、州都の避難民は全て脱出する事になります」
　北米ユタ州、州都ソルトレイクシティ──
　UPC北中央軍・ユタ州独立混成旅団の旅団長は、部下のその報告を聞きながら感慨深く頷いた。
　長かった──
　ユタ州防衛の任を担って西海岸より派遣され‥‥　完膚なきまでに敗北したのは、4年前の事だった。ボロボロになった部隊を纏めて、州都へと逃げ帰り‥‥　そこで逃げ遅れた避難民共々、キメラの大群に足止めされた。避難民を抱えて『キメラの海』──キメラの跋扈する危険地帯を突破するだけの戦力は残されていなかった。そして、当時の西方司令部にも、万単位の人員を敵中より救出できるだけの余力はなかった。
　旅団司令部はすぐに各隊に避難民の保護を命じ、その場での持久を指示した。それから4年──　戦力を回復した西方司令部による救出作戦が実行されるまで、ユタの軍民は絶望の只中に取り残された。
「背後には武器を持たぬ市民たち、全面にはキメラの大群‥‥　我らはただひたすらに、押し寄せるキメラの波濤に抗い、戦い続けてきた‥‥　幾つかのキャンプは耐え切れず、キメラの海へ沈んでいった。‥‥増援を出す事もできず、それをただ指をくわえて見ているしかできなかった自分たちの無力さを、恨み、血を吐くほどに歯噛みしてきた」
　旅団長の言葉に、幕僚たちは万感の思いで頷いた。
　その全員が軍服を確りと着込み、整然と列を成していた。‥‥西方司令部に見捨てられ、やさぐれていた頃には考えられなかった格好だ。或いは、彼らも、救出作戦という明確な目標を与えられて、絶望の中から矜持を取り戻せたか。旅団長はそんな事を考えた。
　‥‥思えば、自分もまた、このユタで惨敗するまでは将来を嘱望された高級士官だった。人望があり、指揮・作戦能力のみならず、部隊の運営能力においても一目置かれていた。
　だが、州都近郊の持久戦に関して、彼は為す術がなかった。為せるだけの戦力がなかったのだ。緒戦の惨敗と併せ、司令部には彼の能力を疑問視する声も出ていた。だが、同時に、圧倒的に不利な状況で州都近郊を維持し得た実績を評価する声もある。
（ここからまたキャリアの積み直しだ‥‥　見ていろ、バグアめ。まともな戦力さえあれば‥‥！）
　旅団長は決意を胸に秘めると、報告をもたらした士官に対し、14次隊を率いるカールセン大尉に「すぐに向かう」と伝えるよう言付けた。
　敬礼と共に笑みを浮かべ、スキップでもしそうな足取りで外へと向かう若い士官。旅団長は苦笑した。まぁ、この地獄からいよいよ脱出できるとなれば、その気持ちは分からなくもない。
　表情を引き締めた旅団長は、居並ぶ幕僚たちを前にして、その労を労おうと口を開き‥‥
　‥‥廊下で何か重いものが倒れるような激しく鈍い音がして、思わずその言葉を飲み込んだ。
　訝しむ旅団長と幕僚たち。次の瞬間、司令室の扉が勢いよく開け放たれ、迷彩服に身を包んだ男たちが銃を手に飛び込んできた。鳴り響くSMGの発砲音。銃を抜きかけた幕僚たちは、それを達成する前に謎の兵士に撃ち殺されていた。悲鳴と怒号。弾痕と血飛沫が壁に飛び散り、哀れな抵抗者が短い舞踏の後で倒れ伏す。
　その光景を、旅団長は呆気に取られて眺めていた。動かなかったのは、何が起きたのか分からず、状況に反応できなかったからに過ぎない。
「なぜ‥‥？」
　旅団長は疑問を発した。侵入者たちはUPC軍の迷彩服を着た──地球人であったからだ。
　だが、兵士たちはそれに答える事無く‥‥倒れてまだ息のある幕僚に止めを刺していく。代わりに、硝煙棚引く室内に、年の頃は12、3の、一人の少年が入ってきた。すぐ隣に、大きな体躯の白い狼を連れている。
「こどもだと‥‥？　なぜ子供がこんな所に‥‥っ！？」
　言いかけて、旅団長はハッとした。ティム・グレン──州都南方、プロボ方面のキメラ群を率いるその男は、地球人の少年をヨリシロとしている‥‥
「貴様、ティム・グレンか！　どうやってこんな所まで‥‥！？」
　幕僚の一人が叫んだ。ここは州都近郊の避難民キャンプでも最大の規模を誇る州都第１キャンプだ。駐留する戦力も大きく、おいそれと侵入されるわけがない。
　幕僚の言葉に、少年──ティムは嘲笑を浮かべつつ肩を竦めて見せた。
「プロボを出た僕は、この白狼の背に乗って一人、北へと向かってね。州都近郊に出た後は、困っていると言ったら親切な人がこのキャンプまで運んでくれたよ。いや、非力なヨリシロだけど、こういう時は相手が勝手に気を回してくれるから楽でいい」
　後は、正面から堂々と司令部に入り込んだというわけだ。この司令室までの道は彼等が切り拓いてくれた、とティムが傍らに立つ迷彩服姿の男たちを手で示す。
「彼らは‥‥？」
「彼らは以前、あなたたちが僕を暗殺しようとした際に、送り込まれた特殊部隊の生き残りだよ。‥‥覚えてない？」
　言われて、旅団長は初めて気がついた。確かに以前、プロボで戦う後衛戦闘大隊の大隊長から要請を受け、手配をした記憶がある。
「駒の顔は忘れましたか？　‥‥あの時はものの見事に冬眠ポッドをキメラごと爆破されて‥‥その手際が余りに見事だったんで、生き残りをこうして強化人間にさせてもらったよ。洗脳して、彼我の敵の認識は変えているけどね。いや、特殊な訓練を積んだ強化人間は強いねぇ？　その知識と技能と経験の分、下手なキメラより強いんだもの」
　取られた駒を忘れてると酷い目に遭うということさ。ティムは悪戯っぽく笑った。

●
　第14次駅馬車隊の護衛部隊を指揮する、シアトル連隊・第１装甲偵察中隊のボビー・カールセン大尉は、CFV（装甲偵察車両）の上部ハッチから上半身を出したまま、腕時計に視線を落として苛立たしげに眉をひそめた。
　既に進発準備は終え、輸送隊はいつでも発進できる状態にある。にも関わらず、司令部へ出した使いはいつまで経っても帰ってこない。まだ兵たちに動揺は見られないが、既に車両に乗り込んだ避難民たちからは、いつ出発するのか、という苛立ちにも似た感情が伝わってくる。
「‥‥遅すぎますね。なにかあったのでしょうか」
　先任下士官が厳しい顔つきで聞いてくる。大尉は「お偉いさんの考えてる事はいつも分からんよ」と肩を竦めた。まったくついてない‥‥　と口癖を呟く大尉。護衛計画を話し合う為に集まっていた能力者たちが、その日何度目かの「ついてない」に顔を見合わせて苦笑する‥‥
　と、夏の高い空を背景にして、総司令部の方からSMGの乾いた連射音が鳴り響いた。
「なにかあったようですね」
　ぴんと張り詰める緊張した空気の中、淡々と呟く先任。大尉はついてねぇ、と呟きながら、部下たちへ指示を飛ばした。

●参加者一覧

●リプレイ本文

　ユタ州都における最後の避難民輸送は、つつがなくその準備を終えようとしていた。
　Ａｎｂａｒ（ga9009）は、乗車するIFV──歩兵戦闘車の上部ハッチから身を出すと、車上を吹き渡る風に当たって文字通り一息ついた。
「ユタの夏もまた暑いな‥‥　──何か変わったことは？」
「なーんも。──退屈すぎるほどになにもないぜ」
　砲塔上では、湊　獅子鷹（gc0233）が太刀を手に周囲の見張りを行っていた。コンクリ片を椅子代わりに、灼熱した装甲上に座している。
「何かが起こるまで何も起こらねぇ‥‥やっぱり護衛任務は性に合わねぇぜ」
　気だるそうに呟く獅子鷹。無理もない、とAnbarは苦笑した。分厚い防御陣地の奥深く、倒すべき敵もない。俺たちの仕事はキャンプを出てからが本番だ。
　ふと視線を転じれば、停車した輸送車両の横を、エレナ・ミッシェル（gc7490）が大きな声で歌を歌いながら、散歩がてらといった調子で弾むように歩いていた。元気よく歌いながら周囲を闊歩する少女の姿に、周囲の兵や避難民たちが笑顔で暖かな視線を送る。
　とはいえ、気を抜いているわけではない。獅子鷹が灼熱の砲塔上にいる理由は、そこが広い視界を確保できるからだ。一見、散歩をしているだけのように見えるエレナも、車列の周囲を見回っている。
「長かった救出作戦も今回の輸送で最後‥‥本当に長かったよ‥‥」
「こら、まだ終わったわけではないのじゃぞ」
　しみじみと感慨深く呟く響 愛華（ga4681）を綾嶺・桜（ga3143）が嗜める。愛華は再び気合を入れ直した。キャンプの皆の絶望の日々、今日で終わりにしなければ──
　SMGの乾いた銃声が響いてきたのはそんな折の事だった。
「銃声‥‥？　か‥‥？」
　広場の空を見上げて翡焔・東雲（gb2615）が呟き、そのまま傍らの阿野次　のもじ（ga5480）を見やる。のもじはパーティー用の鼻眼鏡をかけ、Conguratulations！と書かれた大きなタスキをかけていた。この最後の輸送が成功したら、それを盛大に祝うつもりであったのだ。そして、その両手には、各指ごとに挟み込んだ色とりどりのクラッカー。翡焔の視線に気づいたのもじは、「わ、わたしじゃないわよ？」と慌てて首を横に振る‥‥
　守原有希（ga8582）は、ざわつき始めた人たちに向かって、落ち着くよう、決して車外に出ないよう言い聞かせると、すぐ近くの護衛車両に歩み寄り、運転手に小声で、司令部と連絡を試みるよう頼んでみた。
「‥‥ダメだ。通じない」
　間違いない。司令部で何かがあった。指揮車両へと歩を進める有希。兵たちの動きも慌しくなる。
「やっぱり銃声？　でも、なんでこんな所で‥‥」
　自らの得物──大口径ガトリング砲を備え付けた高機動車へ向かいながら‥‥愛華はハッとある可能性に気がついた。
　バグアの指揮官、ティム・グレン──　彼はこちらの新兵訓練に、二週間、しれっと潜り込んでいた事がある。
「まぁ、奴ならやりかねんの。まず間違いなく生きておるじゃろうし」
　桜も頷いた。二人は急いでカールセン大尉の所へ行くと、ティムが司令部を奇襲した可能性に言及し、すぐにでも駅馬車隊を出発させるよう要請した。
「‥‥そのティムとかいうのがいるかもしれないから、か？」
「絶対にありえない、って事はないと思うんだよ。それと、外縁陣地の駐留戦力から、司令部を遠巻きに包囲するだけの戦力を抽出できないかな？」
「おいおい、無茶言うなよ。俺の所属はシアトルだぜ？　『よそ者』の俺にここの兵隊に命令を出す資格はないよ」
　外縁陣地の各隊も、司令部と連絡が取れなくなれば、指揮系統に従って独自に行動を取るだろうが、状況を把握するにはまだ時間が掛かるだろう。それに、ここにいる自分たちにも確証があるわけでもない。
「‥‥分かった。なら、その確証を得てくるのじゃ」
「桜さん！？　なら、私も‥‥！」
「お主の得物は既に車両に固定されとるじゃろう。面倒くさいからここで待つのじゃ。‥‥こちらに来る可能性も除外できんしの」
　言われて、愛華が犬耳尻尾を垂らすと、代わりに「はーい！」とエレナが手を上げた。爛々と目を輝かせながら腰を浮かせかけた獅子鷹は、だが、しかし、翡焔によって制せられた。班を分ける以上、戦力は均等にしておいた方がいい。
「では、こちらはわしとエレナと翡焔と、そうじゃな、あとはのもじ──　ん？　のもじはどこに消えたのじゃ？」

●
　その頃、何かあったと確信したのもじは、即断即決、速攻で、旅団司令部のあるビルに向け駆けていた。
（銃声‥‥事故か、反乱か、敵襲か。最悪は司令部占拠。上層部が人質にでもなっていたら‥‥）
　鼻眼鏡の奥の表情を引き締め‥‥　のもじはそのまま伝令を装い、正面入り口から侵入した。
　薄暗いエントランスホールにせわしく視線を飛ばす。中には‥‥　‥‥人っ子一人、いなかった。
（撤収直前で、元々、もうそんなに人はいなかったはずだけど‥‥）
　それにしたって人がいないにも程がある。
　エントランスを抜けたのもじは、鼻歌を歌いながらT字路で足を止め‥‥背負っていたぬいぐるみを陰からバッと突き出した。
　‥‥反応なし。のもじは咳払いをすると、ぬいぐるみの埃を払って先へと進む‥‥
　と、不意に血の臭いを感じて、のもじは足を止めた。開け放たれたままの扉──　通信室と書かれた紙が張られた部屋の中から、血の臭いは漂ってきていた。
　のもじは素早く扉脇の壁に取り付くと、素早く洋弓と視線を振りながら室内へと突入した。
　部屋に生者はいなかった。床の血溜まりの中、首を真一文字に切り裂かれた兵の遺体が2体──　奥には通信機があり、司令部を呼び出すコールが盛んに繰り返されている。
　別の壁の一面には、いくつものモニター画面。各種の警戒・監視装置だろう。監視装置は全て生きていた。つまり、敵は監視装置を壊さずにビルに潜入した事に──
　瞬間、背後に気配を感じて、のもじはとっさに左腕を喉の前に突き上げた。直後に二の腕に走る熱と激痛。左腕を骨まで斬られた代わりに、のもじの喉は守られた。後頭部で頭突きをかまし、距離を取ろうとするのもじ。だが、敵はそれを読んでいたのだろう。敵が踏み出した足がのもじの足の後ろに引っかかり‥‥動きを封じられた直後、膝が腹部へ、肘が顎へと叩き込まれた。
「この‥‥女の子の顔に肘入れるとか‥‥！　（不意をつかれたとは言え、まさかこんな──！）」
　体勢を立て直す暇はなかった。左腕を捻り上げ、背中に膝ごと押し乗る敵。のもじの思考は、後頭部に肘を打ち込まれた瞬間に暗転した。

●
　司令部の様子を探ってくる。その通信を最後に、のもじは帰ってこなかった。
　大尉は駅馬車隊に、外縁陣地のゲートまで移動を始めるよう、遂に命令を発した。先任に隊を任せ、自らは傭兵たちと共に最後尾に留まり続ける。
「最後の最後で‥‥　あーあ、運悪いな〜」
　どこか明るい調子でボヤいたエレナが、翡焔に呼ばれて走っていく。その背中を見送り、苦笑しながら──同じ様な事を思っていたのだ──Anbarは『探査の眼』と『GooDLuck』を発動させて、周囲へ警戒の視線を飛ばした。
「俺たちの仕事は『駅馬車』の護衛だからな。‥‥最低でも、変事がこちらに及ばぬようにしとかないと」
　一方、司令部ビルへ侵入するべく走った桜、翡焔、エレナの3人は、正面へは回らず、隣のビルの屋上から直接上階へ侵入する事にした。
「もし、司令部を襲撃したのが奴じゃとしたら‥‥キメラがいる可能性は高いじゃろうのう」
　階段を駆け上がりながら言う桜に翡焔はふーん、と呟いた。正直、ティムの事はよく分からない。とりあえず、子供を見かけたら警戒する必要はあるだろう。
「銃声がした、って事は、なにかまずいことが起きてる、ってことだよね？　気をつけていかなきゃっ！」
　グッと気合を入れるエレナ。桜と翡焔は顔を見合わせ‥‥周囲へ警戒の視線を飛ばしながら、屋上を駆け抜ける。
　司令部ビルの窓は鉄枠で補強されていた。それを知覚兵装で焼き切り、侵入する。
「さて──鬼が出るか、蛇が出るか」
　最初に侵入した翡焔は周囲へ警戒の視線を振った。静か過ぎる廊下──　周囲に人の気配はない。翡焔は手信号で仲間を呼んだ。廊下に飛び降り、低い姿勢で走る桜。後続するエレナに続いて、後方を警戒しながら先へと進む。
「動くな！　両手を頭の上に乗せて膝をつけ！」
　と、前方に野戦服姿の兵士が二人、SMGを顔の高さに構えて近づいてきた。
「待て、わしらは能力者じゃ。司令部の様子を確認に‥‥！」
　言いかけて、桜は瞬間、ハッとした。キメラを使う？　本当に？
　桜は手にした小石を兵士目掛けて投げつけた。瞬間、兵士たちがSMGを発砲する。激しい弾幕と跳弾が能力者たちを襲う中‥‥当たった小石が兵士の前面に力場の光を煌かせる。
「敵じゃ！」
　叫び、桜は『先手必勝』と『瞬天速』で一気に敵へと突っ込んだ。後方に下がりながら射撃を集中する敵。それを避けた桜が横へ跳び、壁を蹴って宙を舞う。それを追って跳ね上がる銃口。そこへ、桜をブラインド代わりに突っ込んでいたエレナが『迅雷』で飛び込んだ。内懐に潜り込み、手にした華奢な直刀を切り払う。
　その一閃を、敵はとっさに手にしたSMGで受け止めた。砕ける短機関銃。その破片が舞う中、飛び込んできた桜が両手の爪で切りかかる。左に右、スウェイする敵を追って空中を蹴り、脚爪による回し蹴り。銃剣を抜いた敵がそれを受け弾き、金属音が廊下に響く。
　『エアスマッシュ』で追撃をかけようとしたエレナは、しかし、もう一人の敵に阻まれた。容赦の無い蹴りを腹部に受けたエレナは、飛ばされつつも後転で受身を取って、床を滑りながら起き上がる。敵は既にに肉薄し、銃剣を振り上げていた。目を見開くエレナの前に──　間一髪、飛び込んできた翡焔がその攻撃を受け止める。
　翡焔は両の二刀で敵の刃を跳ね上げると、左の刀身でそれを横へ退けつつ、踏み込みながら右を払った。切り裂かれるボディーアーマー。裂けたその隙間から、バグアっぽい光沢のアーマーが覗く‥‥
　カラン、という音がして‥‥翡焔は、視界の隅に手榴弾が転がるのを視認した。それは後方から投じられたものだった。──警報器で能力者たちの侵入を察知した敵は、挟撃すべく兵を後ろに回していたのだ。狭く、遮蔽物も無い廊下の角──　自分たちは今、敵のキルゾーンの真っ只中にいる‥‥
　翡焔は桜とエレナを引っ掴むと、小脇に抱えたまま窓から外に飛び出した。
　炸裂した手榴弾が窓ガラスを吹き飛ばし、屋上に転がった3人の上に降り落ちた。

●　
　ある意味、鬼よりも厄介な奴が出た、と、桜なら言っていたであろうか。
　司令部方面から悠々と歩いてきたその少年──　本来、ここにいてはいけないはずの存在、ティム・グレンの姿を目の当たりにして。愛華は呆然とその顔を見返した。
　ティムの側には、野戦服姿の屈強な兵が３人いた。その中で最も大柄な兵士の肩に、ぐったりとしたのもじが担がれている──
「見知った顔がいるね。自己紹介は必要ないかな？」
　嘯くティム。車両の無線機は、圧倒的多数のキメラが外縁陣地に対して攻撃をしかけてきたことを報せている。
「せっかく雪山を越えて戦力のある北に来たのに、みんなさっさと逃げ出そうとしてるしさ‥‥　もう少し僕の出し物に付き合ってよ。でないと‥‥」
　でないと浮かばれないじゃないか。続けられるはずのその言葉は、愛華の怒声にかき消された。
　ティムの周囲に立つ兵──強化人間にされた兵の一人に見覚えがあった。暗殺作戦の際に同乗した特殊部隊の若い兵──
「‥‥ティム君！　君の事は絶対に許さない！」
　火を吐く愛華のガトリング砲。大尉は駅馬車隊の前衛に向け、門を出て突っ走るよう命令を発した。
　砲弾の嵐が着弾して土煙を巻き上げる。シールドを張ってそれを受けるティム。強化人間たちが走り出し、戦場の前面へと展開する。
「Anbarくん、来るよ！」
「車長！　IFVを前に出せ！」
　散開して迫る敵へ向かって、愛華はガトリング砲の砲口を降り、砲弾と弾着とを敵の前面に扇型に撃ち放つ。
　反撃の砲火が護衛車を越え、後方の輸送車両にまで抜ける。その射線にAnbarはIFVを乗り入れさせた。装甲を抜けたバグア銃弾の破片が車内で跳ね回る中、砲塔が旋回し、25mm機関砲が放たれる。気づいた敵がその射線上から慌てて横へと跳び退けた。直後、ド派手な着弾が大地を駆け抜ける。
「撤収援護！　獅子鷹さん、右手ビル屋上に狙撃手がいます！　警戒を！」
「りょーかい。‥‥元特殊部隊の強化人間か。面白そうだ」
　IFVを飛び降りた獅子鷹は、ジグザグに進路を変更しながら敵の一人へ走り出した。足を止め、SMGで迎撃を始める敵兵士。獅子鷹は姿勢を低く保ったまま右へ左へ跳び迫り‥‥そのまま、抜き放った太刀を相手の首目掛けて一閃しする。
　敵はそれをスウェイでかわすと、左手でナイフを抜き放ちながら、獅子鷹の左に、左に回り込もうとした。呼応するようにもう一人が獅子鷹の背後に回る。気づいた獅子鷹は舌を打ち、挟撃される前に目の前の敵を討とうと蹴りを打つ。だが、敵は逆に内懐に飛び込むと、獅子鷹の軸足目掛けて側方から踵を踏み下ろした。自身障壁が無ければ膝を打ち砕かれていただろう。耐えた獅子鷹は、頭突きで相手の顔面を強打する‥‥
　両手に刀を抜いた有希は、その獅子鷹の戦場を掠め過ぎ、更に前に出た。至近を掠める狙撃手の銃弾にも構わずに突進し‥‥のもじを抱えた強化人間へ打ちかかる。敵はのもじを地面に落とすと、SMGを撃ち放ちながら山刀を引き抜いた。その瞬間、有希がSMGの銃口を左の刀身で跳ね上げる。
　敵はその右半身を半歩後ろに下げると、左手のマチェットを斜め上方から振り下ろした。右手の刀でそれを受け流しながら左の刃を払う有希。敵は二刀と戦うのは初めてなのだろう。山刀でそれを受け弾きながらやり難そうに後退さり‥‥　瞬間、有希は大きく一歩踏み出すと、『刹那』兼用の『天地撃』でもって敵の巨体を打ち上げた。そのまま落ちてくる敵の身体の横を『流し斬り』で払い抜ける。アーマーを切り裂かれた敵は、地を転がって有希から距離を取る‥‥
「のもじさん！」
　そうして有希が叫んだ瞬間、倒れていたのもじがアクロバティックに飛び起きた。「友の仇、討たせてもらう！」とティムを指差し警戒させつつ、一目散に後ろへ下がる。
　駅馬車隊の離脱を確認した能力者たちは、すぐに戦闘を中止して大尉の車両へ飛び乗った。大尉は、煙幕と25mm砲弾とで弾幕を形成すると、途中、桜や翡焔、エレナを回収し、そのままあっという間に戦場を離脱していった。
「逃げられた、か‥‥例え全滅しようとも、ここへは戻ってこないだろうな‥‥」
　取り残されたティムは少し困った顔をして‥‥直後、何かに閃き、頷いた。