●リプレイ本文
月明かりに照らされる絶望がある。
その女性は「助けて」と言った。
赤霧・連(
ga0668)は「助ける」と言った。
曇りの無い意思が、女性の意識を晴れさせる。
瞳に理性を取り戻した女性は、やさしく微笑みながら言った。
「有り難う。でも、無理なの‥‥」
辿り着いた町からは人の気配を感じない。
道路や壁に染み付いた血痕が、被害の拡大を物語っていた。
カルマ・シュタット(
ga6302)は役場の前に車を止めると、役場周辺を見回る。
「何かありそうですか?」
声に振り返ると、羽衣・パフェリカ・新井(
gb1850)が壁に手をついて立っていた。
夜間行動に備え仮眠を取っていた彼女だったが、寝起きとは思えない程、はっきりとした口調だ。
「そう簡単には見つからないようだね」
首を振りながら、カルマが答える。役場の回りでは監視装置は発見できなかった。
「急ぎましょう。時間は有限です」
二人が役場のドアを開けると、話し声が聞こえてきた。
「ここに居るのは16人だけか‥‥。他の人の居場所は判らないかな?」
赤崎羽矢子(
gb2140)が住民と思われる青年に話し掛けている。
悔しげに首を振る青年に、ありがと、羽矢子が礼を言う。
「ううむ‥‥参ったなぁ。ここまで酷いとは」
イレーヌ・キュヴィエ(
gb2882)が数十箇所にマークされた地図を見て、後頭を掻いている。カールした髪と一緒に、赤いキャスケットが揺れる。
ボールの出現情報を求めたイレーヌへの回答は、町中、だった。
「早いところ、生存者を役場に集めた方がいいみたいだな」
「木場さん」
イレーヌが見上げると、役場の2階から木場・純平(
ga3277)と夜十字・信人(
ga8235)が降りてきた。
「上の人達は限界だな。疲労に‥‥恐怖か」
メンタルケアを考えていた純平だったが、避難していた人達は普通の会話すらできない状態だった。
「こんな時だからこそ、と思ったんだがな」
信人も渋い顔をしている。信人の話術も、返事の無い相手には通じない。
「すいません。助けに来て頂いたのに、力にもなれなくて‥‥」
唯一、まともに会話ができたのはこの青年だけだった。
「君が話してくれた情報だけでも、十分助かっているさ」
頭を下げようとする青年を、純平が止める。
そんな中へ、食料や薬品を持った早坂冬馬(
gb2313)と連が入ってきた。
「降ろす荷物はこれで全部。車には医療品を残しておきました」
カウンターに段ボールと無線機を置き、微笑を浮かべつつ冬馬が言う。連も少し背伸びをしながら、荷物を置く。
「準備はオッケーです! さぁ、皆を探しに行きましょうッ!」
ジーザリオが四方に散る。
寒そうなあばら屋、一軒家、家畜小屋、少しだけ豪邸。
キメラの奇襲を警戒しながら、傭兵達が虱潰しに探索していく。
町を一回りした時、空が色を変え始める。
イレーヌが手にもった住民一覧を見つめる。
名前に『○』が付けられたのは6名。増えた『×』の数は、20個だった。
夜。森から声が聞こえてくる。
「これは‥‥」
羽矢子が呟く。耳を澄ますと、それが痛みを訴える悲鳴であり、境遇を呪う怨嗟の合唱だと気付く。
「住人の憔悴はこれが原因か。悪趣味の極みだな」
バリケードに背を預けながら、純平が言う。
役所の周りには、集められた家具が積み上げられている。住人探索と平行し、不要な家具を集めてバリケードを作ったのだ。
ダンッ! とテーブルを羽矢子が叩く。
「許さない‥‥!! 人の命を、意思を踏み蹂るなんて」
「まだ終わってはいないさ。できる限りを、ベストを尽くそう」
パイルスピアを構え、純平が言う。声はもう、すぐ近くから聞こえている。
「前に出る。援護は任せるよ」
声が増える。
「少し‥‥多すぎるかもしれないな」
役所の反対側では、カルマがミルキアにその身体を預けていた。
「後ろには生きている人々が居ます。私達は欠片の失敗も許されない」
パフェが超機械一号を起動させる。
優先順序を間違えてはいけない。森へ向ったメンバーとは違い、役所には退路が無い。
「そうだね‥‥。連さんには怒られるかもしれないけど」
カルマがミルキアを構える。深呼吸し、覚醒する。カルマの右手の甲に赤い光が灯る。
意識を集中させ、敵の位置を探る。
左手の草むらから声が2つ。右手の家屋から気配が1つ。少し遠くにはその数倍。
私情を挟む余裕は無さそうだった。
「ねぇ‥‥。助けて‥‥これ外してェ‥‥」
森に入った4人が最初に出会ったのは、助けを求める女性と、木々に触手を絡めたボールだった。
ボールが一瞬震え、風を切る音が聞こえる。
「早坂さん! 捕まっちゃ駄目です」
イレーヌが叫ぶ。本部に頼んだ検死結果には「噛み付かれた痕」という記述があった。
鋭い牙で足の腱を食いちぎられている。相手は人体の急所を理解しているはずだ。
「はぁっ!」
暗闇を1筋の閃光が照らす。冬馬の機械刀から射出されたレーザーが、木の間から迫る触手を切り払う。
焼き斬られた触手が地面に落ちる。あたりに焦げた臭いが拡がった。
「嫌ァァアァァアアアァ」
攻撃を受け、女性の顔が恐怖に歪む。頭を、地面を、手の届く範囲のあらゆる物を掻き毟る。
「落ち着いてください! 私達は、あなた方を助けに来たんです!」
長髪を漆黒に染めた連が、女性に呼びかける。だが、応えたのはボールの方だった。
別の触手が伸びる。地を這い迫る触手を、今度は信人の機械剣が薙ぎ払った。
「取り乱してはいるが、意識はあるようだな」
なら、彼女は救助対象だ。信人が走り、冬馬とイレーヌがその後ろに続く。
連が自作した担架を抱え持つ。ゆっくりと、周囲の様子をうかがいながら、女性に近づいていった。
2振りの機械刀が輝く度、触手が短くなっていく。
移動と攻撃の手段を奪われ、ボールの動きが静かになる。闇の中、球体はただ脈打つだけとなった。
「お待たせ様です。今、助けますからね」
女性の前に屈み、連が覚醒を解く。にっこりと笑顔を浮かべ、女性に手を差し伸べる。
「あ‥‥」
女性の眼に、理性の光が戻る。
「少し痛いかもしれないけど、傷は私が治すから。‥‥ね」
穏やかな表情のまま、イレーヌが超機械を掲げる。怯える女性に向けて、柔らかく微笑んだ。
そして風が吹く。木々が揺れ、月の光が5人を照らした。
「く‥‥っそ‥‥」
胃液が逆流してくる。お願いだから、少し黙って欲しい。
「あが、ぅぅぅう」「死にた‥‥くなィ」
「殺‥‥してえええええ」「助、けて」
羽矢子はキメラよりも、自分自身と戦っていた。
救えない人々を手にかける覚悟はあった。触手は切り払えるし、ボールは撃ち抜ける。でも、彼らの声は防げない。
判断が鈍る。集中が途切れる。照準が逸れ、隙が増える。
「うわぁぁぁあああぁあぁっ!」
ボールが、別のボールを触手で掴んで投げ飛ばしてくる。人間ごと。
反応が遅れる。ボールから生えた少年の顔が近づいてくる。
「ふっ!」
息吹を伴って、純平の槍が伸びる。パイルスピアがボールと少年の身体を貫き、大地に縫い着ける。
ボールが大きく痙攣し、少年の声が聞こえなくなる。
「木場さん‥‥ごめん‥‥」
羽矢子が謝る。
純平は汗と血に塗れた顔を一瞬だけ羽矢子に向ける。サングラスの下、漆黒の瞳が憂いを帯びていた。
氷雨を抜き、純平が戦場へと向き直る。羽矢子もまた、小銃を持ち直した。
電磁波が放たれ、キメラが焼け落ちる。パフェは黙々と、敵を倒していた。
手加減する余裕などない。数の差は圧倒的で、能力者の行動時間には限界がある。
目前の敵は即座に無力化し、錬力を温存しなければ、夜を越えることは出来ない。
「上手くはいかない、な」
カルマが槍に付着した肉片を払いながら後退する。その身体は傷だらけだ。
パフェが練成治療で癒し、カルマが礼を言う。
ボールだけを狙った攻撃は、結果的に『寄生された』人間を死に至らしめるだけだった。
キメラの攻勢が厳しく、単独での切り離しは諦めている。
「逃げてはくれないようですね」
パフェがぽつりと零す。その間も攻撃の手は緩めない。
倒しきれなかったキメラから伸びた触手がパフェに迫る。カルマが槍を薙ぎ、触手を絡め取る。
咄嗟に豪力発現し、触手ごと投げ飛ばす。ボールが家屋の壁に激突する瞬間、フォースフィールドの赤い光が見えた。
巻き上がる砂煙に向けて、パフェが電磁波を放つ。くぐもった悲鳴が聞こえ、絶えた。
「苦いですね」
「‥‥そうだね」
夜は、まだ続いている。
「有り難う。でも、無理なの‥‥」
月灯りの下、破れたワンピースと白い肌と、肉の塊が露になる。
冬馬が懐中電灯のスイッチを切る。信人は女性に背を向け、森の闇を睨みつける。
ボールは巨大な臓器だった。
胃や腸、心臓を模した袋や管が、桃色の皮膜に覆われている。
泥や草が張り付いた臓器は規則正しく脈打ちながら、赤い液体を女性の身体へと送っている。
「無理なの‥‥」
女性の頬を涙が伝う。その雫を、連が優しく拭う。
地面に転がった女性の身体を、ゆっくりと抱き起こす。
「私達が外まで運びます。ここじゃ無理でも、病院ならきっと切り離せます」
連の言葉に女性が首を振る。
「駄目。私の身体、もう食べられちゃったから‥‥」
その言葉を聞いて、イレーヌが瞼を強く閉じる。
歯軋りの音が響く。奥歯を強く噛み締めながら、イレーヌは帽子を降ろして視線を隠した。
「‥‥詳しく‥‥聞かせて頂けますか‥‥」
震えた声で、いや、実際に震えながらイレーヌが問い掛ける。
連に支えられながら、女性が手を伸ばす。イレーヌの手を握ると、女性はしっかりと頷いた。
他のキメラに捕まり、彼女は森の奥へと引き込まれた。
やがて彼女の前に巨大なキメラが現れる。大きな目や口をもったそれは、内臓のような肌を持った蛭のキメラだった。
逃れようと叫び足掻く彼女を数十本の触手で縛り上げ、蛭キメラは大きな口を開いた。
恐怖に目を閉じる。そして、下半身が焼けた。
続いて、ナニかが沸騰した腰に入り込んでくる。そこで彼女の意識は途絶えた。
意識を取り戻した時には、既に上半身だけになっていた。
下半身があった場所には、見慣れない臓器の塊。ただ、その臓器が自分を生かしている事だけは理解できた。
「後はただ、昼間は森の中を彷徨って、夜になったら町で人を探す。こいつが勝手に動くだけなんだけどね‥‥」
女性は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。
「こいつが死ねば、私も死ぬ。私が死ねば、こいつも動けない」
「動けない‥‥?」
イレーヌが問い掛けると、女性は悲しそうに笑い、森の中を歩けば判るよ、とだけ呟いた。
「ね。私はもう駄目だって‥‥判って貰えたかな?」
その言葉は連と、その後ろに立ってた信人に向けられていた。
連は首を振る。
「駄目です。私は、皆助けるって決め‥‥」
連の頭を信人が撫で、言葉を遮る。連に代わりに、女性の身体を支える。
「冬馬。連とイレーヌを頼めるか?」
「ダメ‥‥っ」
冬馬は静かに頷くと、抗う連と、イレーヌを連れてその場を離れた。
「有り難う」
信人に支えられながら女性が呟く。
静かに、信人がフォルトゥナ・マヨールーをホルスターから引き抜く。
「貴方の死に顔と、この不条理への怒りを一生覚えている」
眼を見つめ、信人が告げる。
女性はゆっくりと目を閉じ、微笑みながら囁いた。
「じゃ、とびっきりの笑顔じゃないとね」
乾いた銃声が、夜の森に木魂した。
徐々に数を減じていった役場への襲撃は、東の空が白む2時間ほど前には、完全に途絶えていた。
寒さと戦っていたカルマを暖かな陽光が包む。
眩しさに目を細めながらも、戦いの終わりに息を吐く。散発的であっても、一晩続いた襲撃は、体力や錬力よりも、カルマの気力を奪っていた。
パフェもバリケードに登り、周囲への警戒を続けているが、その表情には疲れが滲んでいる。
「‥‥‥‥」
カルマの目が明るさに慣れ、戦闘の痕が照らされる。臓器キメラから噴出した血液によって、地面は赤く染まっていた。
「シャベル‥‥あるかな」
飛び散った肉片と、残った死骸が長い影を作る。墓を作りたい、とカルマは思った。
「あるぞ」
カルマ振り向くと、両手にシャベルを持った純平が立っていた。役場の物置から持ち出したらしい。
片方をカルマに投げ渡すと、純平はバリケード上のパフェを見上げる。
「わかっています。周囲の警戒は私が」
気持ちを察したのか、パフェが言う。任せた、と純平とカルマは土を掘り始めた。
「お疲れ様。大変だったみたいね」
羽矢子がコーヒーカップを手渡すと、冬馬は苦笑いを浮かべながら受け取った。
「赤崎さんの方こそ」
女性を弔った後、4人は森の捜索を続けていた。
蛭キメラは発見できなかったものの、干からびた臓器キメラや、断ち切られた電話線を発見する。
「人為的、か。‥‥はい、イレーヌの分」
カップを受け取り、イレーヌが頷く。村が意図的に隔離されたのは、間違いないようだった。
「でも、監視方法まではわからなかった」
イレーヌはカップから漂う湯気を見つめている。黒い液体に遮られ、カップの底は見えなかった。
臓器を生成する特異なキメラに、脱出不能な田舎町、断たれた電話線。
何かの実験である事は明らかなのに、元凶に繋がる道だけが見えてこない。
「許せない。絶対に、許さない」
羽矢子の手の中で、カップが微かに軋んでいた。
ローター音が遠ざかる。町民を乗せ、軍の輸送ヘリが飛び立っていった。
信人がヘリの影を追っていると、連が隣に座り込む。膝を手で抱きかかえ、黙ったまま地面を見つめている。
「許せない、か?」
信人が問い掛ける。連は小さな声で、俯いたまま答えた。
「今はまだ‥‥何も言えないです」
「そうか‥‥」
空を見上げ、ジャケットから煙草を取り出す。
ゆっくりと息を吸い込みながら火をつける。肺が紫煙に満たされても、少しも気が晴れない。
吐き出した煙が風に乗る。散っていく最中、煙がある表情に見えた。
「‥‥不味い」