●リプレイ本文
小鳥の囀りに混じって、早朝の庭からペンの走る音が聞こえてくる。
「身体能力は並。武道経験は無し。妙な癖がつく前でよかったです」
辰巳 空(
ga4698)はカルテボードを片手に、ジル・ヴィレールのランニングを見つめている。
辰巳は、ジルの身体能力‥‥主にバランスと瞬発力を測るために、木や岩への飛び乗りや、坂の上り下りを含んだコースを指示していた。
「平凡な素人。結構じゃないですか。教え易いってもんでしょう?」
紫煙を漂わせながら、蛇穴・シュウ(
ga8426)は黙々と走るジルを眺めている。ライターはジルから手渡されたもので、ニネットが持たせたらしい。
創業祭まで2日しかない。訓練メンバーは、祭の補助メンバーよりも仕事が多かったが、創業祭の最中に仕事が無い事を蛇穴は喜んでいた。
「初日から厳しいな。嫌だけど、仕方ないよね‥‥」
佐竹 優理(
ga4607)が持参したソードで素振りをしている。西洋剣の「切断」を重視しない無骨な有り方は、日本剣術を修めた佐竹にはコツが掴み難いようだった。
普段扱っている武器とは大きく異なる重心に、少しでも慣れようと苦心する佐竹だったが、幼少から身体に叩き込んだ型はなかなか抜けてくれない。
暫くすると、ジルが指示されたコースを走り終えて戻ってきた。辰巳がクールダウンの方法や、適切な時間を指示すると、ジルは素直に従った。
近接武器の指導は、佐竹の剣術指南から始まった。
「1、2、3、ハッ!」
正眼から下段へ、正眼に戻し、踏み込みと共に一振り。ジルはぎこちない動きで木刀を振る、当然だが、風を切る音など聞こえない。
「‥‥うん、形は良いんだけど‥‥あのね、腕力だけで動かしても限界があるんだ。速くなくて良いから、まずは真っ直ぐ大きく振る事を意識してみて」
佐竹のアドバイスに頷きながら、ジルが木刀を操る。
蛇穴が一緒にソードを素振りをしている。佐竹が「丁度いい見本ですね」と、辰巳にもソードを持たせた。
武術経験の無い蛇穴の動作と、武術を修めた辰巳の力学的な動きを比べ、ジルに解説する。
「なんだか実験台の気分ですね」
蛇穴がぼやくと、三様の苦笑が返って来た。
未経験の蛇穴が一緒に練習する事で、ジルの緊張は程よく解れている。熟練者の講義に終始するよりも、効率は良かったのかもしれない。
剣術指南が終わると、辰巳による体捌きの指導が始まる。
受身の取り方から、徒手状態での構えへと。
「明日は捕縛術にも触れてみましょうか」
「はい!」
草の上での受身で、ジルのシャツが泥だらけになる。
「が〜んばれ〜。スナイパーは汚れてナンボだよー。砂イッパー‥‥イ‥‥あ、どうぞ続けて」
佐竹が声援を送ると、辰巳と蛇穴がジト目で睨んだ。
「たはは‥‥。お昼、取ってきますねー」
佐竹がニネット宅へと逃げ込んでいく。創業祭の前々日、太陽が南の空に輝いていた。
「先生! これも運んじゃっていいんですか?」
ヴィレール運送の創業祭当日。ティル・エーメスト(
gb0476)が大きな段ボールを抱えている。
「えぇ、お願いします。っと、その段ボールはティル君には少し大きいですね。アル!」
ティルに『先生』と呼ばれたトリストラム(
gb0815)が、荷物を運んできたジーザリオの後部座席に呼びかける。
「ティルもお子様じゃないんだし。別にいいと思うが」
愛称を呼ばれて顔を出したのは、まだ眠そうなレイヴァー(
gb0805)だった。
「つべこべ言うんじゃありませんよ」
トリストラムがコインを投げる。放物線を描くコインをレイヴァーが掴む。手を開くと、「裏」と刻まれた面が見えた。コインを返しても、矢張り「裏」と刻まれている。
「む‥‥。器用な奴」
諦めて、レイヴァーが後部座席から降りる。ティルから段ボールを受け取ると、変わりにタッパーの入った紙袋を手渡した。
「ありがとうございます! あぁっ、ホワイトソースです」
「グラタンはティル君のお勧めですからね。一晩寝かせましたので、いい味が出せると思いますよ」
喜ぶティルの顔をみて、トリストラムが微笑む。下拵えした材料を手に、3人はパーティ会場の裏口へと歩き出した。
「あら、皆さんおはようございます」
キッチンに入った3人を迎えたのは、割烹着に身を包んだ櫻杜・眞耶(
ga8467)だった。
早朝から会場入りした彼女は、器具や調味料を確認し、料理の準備を始めていた。
「あ、おはようございまーす」
櫻杜の声を聞いて、キッチンの奥からニネットが顔を出した。その手には、皮を剥がれた蛇が握られており、うねうねと蠢いている。
「おは‥‥ようございます‥‥」
ティルが青くなりながらなんとか応える。櫻杜がヤレヤレ、といった風にため息をついた。
「ニネットはん、お肉を持ったままですよ」
言われて気付いたニネットが、慌てて奥へと戻っていく。
ニネットの近況を気にしていたレイヴァーが、少し残念そうに肩を落す。世間話は仕事の後になりそうだった。
「大丈夫なんですか‥‥?」
「ポンテギさえなんとかすれば、と思ってたんやけど‥‥」
恐々と尋ねるトリストラムに、櫻杜がため息を繰り返した。
悪臭を放つポンテギが作り置きされていたのは、不幸中の幸いだった。
「すみません、手伝わせてしまって」
「いえ、同じタイミングだったのも巡り合わせでしょう。それに、お酒を運ぶのも久しぶりです」
綾野 断真(
ga6621)と早坂冬馬(
gb2313)が、リキュールの入った木箱を運んでいる。
早坂が歩くたび、粘度の異なるリキュールが波打ち、独特のリズムが木箱を揺らす。懐かしい感覚に、早坂の頬が緩んでいた。
「接客の経験が?」
上体を縦に揺らさない、静かな早坂の歩みを見て、綾野が問う。
「以前に少し。まさか、またこんな仕事が出来るとは思っていませんでした」
早坂が微笑む。どうやら、人を持成す仕事を愛しているようだった。
会場に入ると、レイヴァーとティルがテーブル回りを整えていた。
「おはようございます。今日は宜しく」
挨拶していると、横に長いウッドテーブルが目に付いた。腰よりもやや低い高さのそれは、会場の斜め正面に用意されていた。
「これはまた‥‥」
ボトルをテーブル脇に置いた綾野が苦笑していると、期待していますよ、と早坂が肩を叩いた。
突然の銃声がジルを襲う。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
「え‥‥?」
訓練の締めにと、トラックを使った実地訓練を始めた直後だった。
運転席から飛び降り、ソードを構えたジルの頬を銃弾が掠める。
トラックの前方に佐竹が飛び出し、トラックを停めさせる。横合いから突撃する辰巳と蛇穴の狙いを読み取り、適切な対応を選ぶシナリオだった。
覚醒はするものの、本気は出さない。自分の経験談を楽しそうに、丁寧に話してくれた蛇穴は、そう言っていたはずだ。
「蛇穴‥‥さん‥‥」
しかし、目の前に居るソレは違う。小銃を持っている以外、見た目は変わっていない。ただ、視線を合わせるだけで喉が焼けるように乾いた。
純粋な、そして膨大な憎悪がジルに絡みつく。
トラックの前方に居るはずの佐竹の反応はない。確認したい衝動に駆られるが、蛇穴から目を離す勇気は持てなかった。
蛇穴の後ろには、朱鳳を構えた辰巳が立っていた。瞳を深紅に染めた辰巳が近づいてくる。ジルの全身から汗が噴出した。
「あ‥‥」
ジルが一歩後ずさる。辰巳が抜き放った朱鳳を、ゆっくりとジルへと近づける。
数秒という長い時間をかけて、刃先がジルの首に触れる。やろうと思えば、その間に何度斬り付けられただろう。しかし、ジルは構える事すらできなかった。
「キメラの迫力に飲まれてしまったら、あなたはそのまま死ぬでしょう」
辰巳が口を開く。近づけた時と同じように、ゆっくりと朱鳳を下ろした。
ジルが地面に崩れ落ちる。肩で大きく呼吸をすると、両手で持っていたソードが転がった。
「戦場では、萎縮する事こそが最大の失策です。お判りいただけたとは思いますが」
ジルを見下ろしながら、蛇穴が続ける。気を持ち直したジルが俯いたまま頷くと、トラックの影から佐竹が姿を現わした。
「立てるか?」
座り込んだジルに手を貸し、立ち上がらせる。
「いきなりですまなかった。でも、実戦はこういうものなんだ。どんなに訓練を重ねても想像出来ない様な不都合ばっかり起こる」
「‥‥はい」
返事を待ってから、ジルの瞳を見据える。
「大切なのは。それでも自分に出来る事を見出す知恵と精神力なんだ。今日はそれを知って欲しかった」
ジルの最大の欠点は、実戦経験の無さだ。
戦場に立つ恐怖と、その脅威を伝える。蛇穴の乱暴な提案に、佐竹と辰巳は反対しなかった。
「申し訳ない。‥‥でも、トマ君はいきなりこんな状況に放り込まれたのです。バグアどもにね」
突然出てきたの友人の名前に、ジルの目の色が変わる。
「トマが!? 知ってるんですか?」
問い掛けるジルを宥め、また後で、と蛇穴が諭す。
「詳しい話は訓練が終わってから。美味しい料理を食べながらにしましょう」
「それに、実地訓練とトレーニングメニューの説明も残っています。複雑な心境はお察ししますが、そんな中から平常心に戻る事も、また訓練です。急がないと創業祭に遅れますよ」
蛇穴と辰巳が、ジルに微笑みかける。もやもやとした気持ちを深呼吸で落ち着け、ジルは大きく頷いた。
「えへへ。お揃いですね〜♪」
レイヴァーや早坂と同じ給仕服を身に纏い、ティルが嬉しそうに回っている。
トリストラムが用意したオードブルや、櫻杜の創作料理がテーブルを埋めている。
『こちら早坂、聞こえるか?』
レイヴァーがインカムを取り付け、マイクの位置を調節する。テーブルメイクの後、会場内の施設や各員の持ち場を打ち合わせ、今は備品の最終チェックを行っていた。
「OKです。トリスはどうだ?」
『聞こえています。アルこそ、声が上擦っていますが大丈夫ですか?』
自分達の兵舎よりも格段に広い会場に、レイヴァーは不安を感じていた。隠していたつもりだったが、トリストラムには見抜かれたらしい。
「大丈夫‥‥。いつもより多いのは客だけじゃないしな」
ポケットチーフやエチケット用品を確認するティルを見て、レイヴァーが呟く。
早坂が掛け時計を見上げる。短針が17時を差し、会場の扉が開かれた。
「さぁ、お客様に最高のサーヴィスを」
「兄ちゃん! ワイン頼む」「肉! 肉をよこせぇええっ」「バーテンさーん、ミモザおかわり〜」
「チーズ貰っていい?」「あれ、生ハムがもう無い」「おい、あのテーブル‥‥」「ビールまだぁ?」
「あぁ、社長のだな。普通の肉が一切無い」「おぅ、ブルガリアの時の」「マグロ〜♪」
「お久しぶりです。今日は飲めますね」「この揚げ物なんて言うの?」「社員はん、洗い物お願いできますやろか」
「竜田揚げと言います。俺の母国の料理なんですよ」「この鴨のクロスティーニ、美味いな」
「わとと! 危ないところです」「うぁあ、サシミの中に!?」「グラタン焼きあがりました」
「お酒〜♪」「今行く」「マルガリータお願いしますー」「あのテーブルに近づくなんて‥‥」
「すっごい人ですねー」
訓練を終えた4人が到着したとき、会場は歓声で溢れていた。
白いシャツに黒のベスト、クロスタイ。バーテンダーの正装に身を包んだ綾野が、ライトアップされたテーブルでフレア・バーティングを披露している。
ボストンシェイカーとリキュールのボトルが綾野に操られ、舞う。
手元で跳ね上げ、胸から腕へと転がす。色ガラスのボトルが踊るたびに、歓声が沸きあがった。
綾野は細かい技を組み合わせて観客を魅了しながら、カクテル作りを続けている。両手を使う大技も、扱うボトルは2本まで。
出し物とお酒作り、両方で人を楽しませるプログラムだった。
「姉さん、僕も手伝い‥‥うわぁ」
ジルがキッチンに入ると、会場の歓声とは比較にならない修羅場が広がっていた。
覚醒したトリストラムが、信じられない速さでナイフと氷雨を振るう。野菜とサーモンが一瞬で解体され、大皿に盛り付けられる。
「ティル君、スモークサーモンのサラダが上がりました」
『すいませーん。今、手が離せないです。はわわ、歯磨き粉がなくなっちゃいました!』
トリストラムが呼びかけると、ティルの悲鳴が返ってくる。
『俺が行くよ。歯磨き粉は俺のを使って、ティルはお客様に集中してて』
『それじゃ、俺は担当エリアを広げますか‥‥』
レイヴァーと早坂が瞬時にフォローに回る。
能力者ならではの体捌きで人込みを抜け、経験者の二人が効率の良い動作で作業量を補う。ティルはその明るさを、酔った社員相手に活かしていた。
「社員はん、そのフライパンは火から外して結構ですので、トリストラムはんのパエリアをお願いします」
余熱を利用して焼き物を仕上げ、コンロの回転率を上げる。調理場では、炊事に慣れた櫻杜が手伝いの社員を巧く動かしている。
「凄い‥‥」
二人の動きに引き上げられ、社員達の動きも素早くなっている。トリストラムと櫻杜は、完全に調理場を支配していた。
「フッ、エクセレンターたるものこれくらい出来なくてどうします?」
「ジルはんは、会場の方へ行ってくださいな。ニネットはん連れて皆さんに挨拶してはどうでしょう?」
トリストラムが眼鏡を光らせる。ジルが怯んでいるのを見ると、櫻杜が好機とばかりに調理場から追い出しにかかった。
『ニネットさーん。綾野さんがお祝いカクテルを作って下さるそうですよ〜!』
渡りに船なティルの声に背を押され、ニネットとジルは綾野の元へと歩いていった。
午後23時。創業祭は無事に終了し、会場の片付けもほぼ終わった。
残された傭兵達が、テーブル1つを囲んで打ち上げを行っている。
「普通に美味い‥‥。でも、なんで蛇とか虫とか内臓しかないんだ」
「香草と一緒に煮付けたんやろか。工夫はしてるみたいやけど‥‥」
綾野のカクテルを飲みながら、早坂と櫻杜が余った料理‥‥主にニネットの作品を食べている。
「ブルガリアからノルウェー? 随分長旅ですね」
「病院で別れたので、その後のことは知りませんが」
「私も先生やアルさんと旅行に行きたいです!」
蛇穴やトリストラム達が、ジルの友人の話をしている。トマの無事を知り、ジルも安心できたようだ。
「最後までお疲れ様です」
「お先に頂いてますよ」
辰巳と佐竹がカクテルを作り終えた綾野を労う。
「お力になれたようで何よりです。皆さん、お疲れ様でした」
綾野が最後のグラスを掲げ、飲み干した。
夜も老け、傭兵達は帰路につく。
「さて、私たちも帰りましょっか」
9人を見送ったニネットが、会場に鍵をかける。3つの願いが叶えられ、その表情は満足気だ。
フランスの秋の一夜。日常を忘れた人々が、眠りへと落ちていく。
皆さん、おやすみなさい。