●リプレイ本文
春の空気。
それは、何所かひんやりとして、陽が登れば、僅かに暖められ、開いた花の甘い香りが風に運ばれる。
教員に引率された卒業生10人と、その親達が校門の前で、能力者達と落ち合う。
頬を紅潮させつつ、不安気に崩れた学校を見る卒業生。まだ、子供の欠片を脱ぎきれて居ないような姿だが、この節目が終われば、嫌でも子供という括りから卒業する事になる。
「木蓮の元に行きたいっていう気持ちはよくわかります。素敵な卒業式にしましょうね!」
深い緑の瞳を微笑ませ、佐倉祥月(
ga6384)がよろしくと挨拶をする。
「アイロン・ブラッドリィと申します。よろしくお願いしますね」
長い銀糸の髪が春風にさらりと揺れた。アイロン・ブラッドリィ(
ga1067)が穏やかに微笑めば、付き添いの親達が相好を崩す。
「卒業式かぁ〜」
誰に言うとも無く、大泰司 慈海(
ga0173)が、切なげに呟いた。卒業生達を見ながらも、何所か遠くを見るような、眼鏡越しのその瞳は、ずっと昔の記憶の一部を垣間見ているのかもしれない。
「頑張って護りますねっ」
「捜索の間は、なるだけ静かにしていていただけると助かります」
鮮やかな新緑の瞳を微笑ませ、レーゲン・シュナイダー(
ga4458)が頷く。その横では、蓮沼千影(
ga4090)が、心配の無いようにと、具体的に説明をしていた。長身に整った顔立ち。それだけでは無く、培われた営業スマイルと、さりげない礼儀が保護者のハートを打ち抜いていたのは、ここだけの話し。協力は必須だ。そして、万が一には自分達が盾となるから、その間に必ず逃げて欲しいと。
半壊した校舎に何も潜んでいなければ良いのだけれど。
「勿論、そんなことないよう精一杯頑張りますがっ」
精一杯の誠意を乗せた腰の低い笑顔は、卒業生達も、こくり、こくりと頷かせる。
「物好きな人たちね‥」
ぽつっと吐き出された言葉は内面の繊細な思いを隠す鎧。絹糸の束のような、漆黒のツインテールが揺れる。アンジェリカ 楊(
ga7681)は3月に卒業式をする地域に、不思議な感覚を抱く。
アンジェリカも、そんな年齢だった。ハイスクールの生活は、いや、アンジェリカの生活は、バグア侵攻で激変した。何事も無ければ、今年の夏には、卒業だったのに。プラムで踊る事無く、この場所に居る事など考えも及ばなかった。それは、考えても仕方の無いことなのだけれど。
(「卒業生かぁ‥‥」)
長弓クロネリアと呼ばれる、銀色に光る小さな弓を手にした鷹崎 空音(
ga7068)は、己の置かれた能力者という立場を振り返る。傭兵になる前は、普通の高校生だった。学び舎から、卒業生を送り出す、そんな事が出来たのに。そう、思って、ゆっくりと首を横に降る。ふわりと、肩の上で黒髪が揺れた。感傷は、自分らしくない。けれども、払っても切なさは僅かに残る。この、春の甘い香りがそうさせるのかもしれない。
鼻腔をくすぐる、春の香り。空閑 ハバキ(
ga5172)は、とある小説家の言葉を思い出す。
香りは記憶と結びつく。
きゅっと、唇を引き結んだ卒業生達を、目を細めて眺める。この半壊した校舎で何があるかわからない。それなのに、ここに来たいと言うのだから。
(「白木蓮の香りがこの子達の良い記憶に繋がるといいなっ」)
俺には縁の無い行事だと、胸のうちで呟く。でも、だからこそ、無事式を終わらせたいと思うのだ。
まずは、何者も居ないかどうかの確認をと、能力者達は、その足を校舎へ向ける。無線機は貸し出されていたが、誰が持つのか決まってはいなかったようだ。
「何か居るんだったら、この人数だ。出てくるよな」
ハバキは、瓦礫を透かし見る。影になっている場所、2階。注意点は多いと目を配る。
と。校舎入り口で、何かが動いた。
索敵を兼ねて、先に進んでいた能力者達に緊張が走る。次々に変化する能力者達。覚醒だ。
「狙います」
とーんと、飛び出してきたのは陽の光りを受けて輝く、メタルブルーの鱗を全身に纏った小さなキメラ。大きさは柴犬ほど。太い足に太い尾。小さな鹿の角のようなものを生やし、金色の双眸が能力者達を捕らえた。ドラゴンパピィ。
ぐぐっと、尾を振り、駆けて来る。早い。
アイロンの洋弓アルファルが引き絞られる。
ドラゴンパピィは、カッと、真っ赤な口を開けた。その口から出るのは雪礫。90度の円錐を描くように吐き出されるその攻撃は遠距離攻撃の射程とほぼ同じ。
その吹雪にアイロンの矢は僅かに逸れる。
「っ!」
漆黒の髪が瞳と同じ、鮮やかな紫に染まる。人のよさげな姿から、人の目を惹きつけずにはいられないような婀娜っぽい雰囲気を纏う千影が仲間を背に庇い、直撃を受ける。
「しゃきっとおし! 踏ん張りなッ!」
春の陽だまりのような雰囲気で、語る言葉も優しいレーゲンなのだが、覚醒後は優しげな茶のストレートヘアは、ゆるくウェーブを描く銀糸に変り、目元がキツくなる。目元がキツイだけでは無く、その存在が鉄火の塊りのようになる。まるで別人だ。お嬢さんから、姐さんと呼ぶにふさわしい雰囲気だった。
「ふぉおぉ」
覚醒後の変化の無いハバキは、レーゲンの変化に目を丸くする。普段、かわいい妹のように仲良くしている姿からはまるで想像もつかなかったのだ。ちょっと、かなり驚いた。まあ、いいかと、やっぱり前衛で思い切り吹雪を食らったのを治療されつつ、手にする刀、蛍火を構えて走り込む。
吹雪を止めたドラゴンパピィは、くるりと踵を返した。
ダッシュで校舎に駆け込めば、その足には追いつけない。
「逃がしませんよ」
今度こそと、アイロンの矢が、ドラゴンパピィの小さな背を襲う。
きらめく鱗にしっかりと入った。
咆哮が響く。
弱れば、その早い足も鈍る。
千影とハバキが追いついた。
「いきなりのお迎え、ありがとよ」
「あれだ。運が無かったと思ってな?」
2本の蛍火が交互に入れば、もう結果は見えていた。
「はいはーい。大丈夫、大丈夫〜」
目の前でいきなり始まった戦闘に、卒業生達はざわついた。親達は、もう帰ろうと言い出す。キメラを目の辺りにすれば、一般人の心の負担は大きい。
慈海が、にこにこと対応する。
年若い能力者が多かったが、年配者というのはそれだけで、人に与える信頼度は上がるものだ。
「安全が確認されるまで、静かにしててもらえると助かります」
空音も、一生懸命、頭を下げる。
思い出は、かけがえの無いものだ。それを守ってあげたい。無事に、ここで卒業式が出来るのが、一番良いからだ。キメラを見ても、卒業する子達は、怯まない。主に、渋る親達は、子供とそう年の変わらない空音の一生懸命な態度に、口を閉ざす。
校庭に移動する間は、他の攻撃は無かった。校舎内には、仲間達がすでに確認の為に入っている。
なるべく校舎から離れ、集まってもらったその場所からは、白木蓮の2本の大樹がよく見えた。
怖いのは怖い。けれども、その花を見て、ざわめきは次第に収まっていく。
「大丈夫。指一本触れさせないよ」
アンジェリカが、ぽつりと言って、そのまま、校舎と卒業生達の間に立った。小さな、けれども揺るがない背中が、語った言葉の真実味を補強する。
「大丈夫、私達が必ず守るからね」
落ち着いてきた親や、卒業生達へと、祥月が優しく微笑んだ。
そんな、彼等を見て、空音はうんと頷いて、何か動く姿を校舎に見つけた。
「あ‥れ?」
「来る‥かな?」
双眼鏡で、確認をしていた慈海も、瓦礫になっている、前面の校舎から、ひょこりと顔を出した、ドラゴンパピィの姿を認める。
ドラゴンパピィには、この集団はどう見えているのか。武器を手にしているとはいえ、少女が三人。身長のある慈海の手にするのも、武器らしい武器では無い。後は、何の武装も無い大勢だ。
獲物。
そう、認識したようだ。ぐっと身を乗り出すと、ドラゴンパピィ1体が、メタルブルーの鱗をきらめかせて校庭へと飛び降りた。
響く笛の音。
「後ろは任せるよ。目覚めよ、朱雀」
アンジェリカの瞳は真紅。腕から背中にかけ羽根に似た文様が紅く光って現れている。微動だにしない姿勢から、炎が宿っているかのような穂先を持つ、イグニートと呼ばれる槍を構える。
「もう少し。おいで」
冷静な動作で、祥月がアサルトライフルを構える。先の戦闘で、雪礫の射程は知れた。同じぐらいある。その速い足のスピードを落とすには、威嚇も必要かと、銃声を轟かせる。
錬成弱体をかけるには、その雪礫の範囲に入らなくてはならない。正面からでは、雪礫の直撃は免れない。どうしようかと、慈海は慎重にドラゴンパピィの動きを探る。
「っ! 早いっ!」
空音のクロネリアから放たれるの矢は、ドラゴンパピィに当たらない。ならばと、空音は弓を投げ捨て、ファングを装着する。料の手の甲には鮮やかな蒼い翼が浮かび上がっていた。
その足が速ければ、こちらの足も速くすれば良い。空音はにこりと笑った。
早い。
その足ぐらいでなければ、速度と行動の多いドラゴンパピィには追いつく事は出来ないのだ。
「卒業式の邪魔は‥絶対にさせないからっ」
「どこ見てるの? 私が相手だよ」
空音が近付く頃には、ドラゴンパピィも、かなり卒業生達に肉薄していた。軽快なフットワークが、アンジェリカの攻撃を僅かに避ける。
祥月のアサルトライフルが、ドラゴンパピィを何度も狙い撃ちしていたが、致命傷には至らず、接近戦になってしまえば、仲間に当たる可能性もあり、上手く照準が付け難い。その反面、慈海は錬成弱体の範囲にドラゴンパピィを捕らえる。
接近した空音のファングが、ドラゴンパピィを襲う。
ざっくりとファングがドラゴンパピィに入れば、その動きが止まる。
「乾坤一擲! 破ッ!」
アンジェリカのイグニートが、突き刺さり。
「無事かっ?!」
真っ先に校庭に飛び込んできたのはハバキだ。笛の音が響いた時点では校舎内も交戦中だった。
少し時を遡る。
「あんなのが、他に何体居るのやら」
千影が悩ましげに溜息を吐いた。
校舎内は、冷たい。陽が射し込む南側が半壊している為、暗いのだ。廊下をひたひたと歩く。瓦礫の押し寄せる廊下は狭い。ここでの先頭になれば、武器を振るうのも楽にはいかない。対峙するにも、ひとりが精一杯だろう。
「これだけ広い『空き家』なら、キメラが寝ぐらにしていてもおかしくはありませんしね」
「どうだ?」
「こちらには何も」
あちこちを覗くアイロンに、千影が尋ねれば、アイロンは首をゆっくり横に振る。
その時。
中庭から、きらきらとしたモノが走ってきた。ドラゴンパピィだ。
割れた硝子をものともせず、能力者達の背後へと、残った硝子を粉々にする勢いで飛び込んだ。
カッと開かれた口から出るのは雪礫。廊下を舐めるように、冷たい攻撃が全員に届く。アイロンが、レーゲンを攻撃が届きにくい方向へと、とっさに引きずる。
雪礫を吐き出したドラゴンパピィは、また、窓へと飛びあがる。
その時、笛の音が鳴った。
「まじぃ」
同時に攻撃される場合、どうするのか。
仲間達の視線が泳ぐ。卒業生の保護が優先だ。ハバキが、来た道を走り戻る。
ドラゴンパピィは、北校舎に走り込む姿が確認出来た。
卒業生達の無事を確認すると、探索班は、再び校舎に突入を開始する。
ドラゴンパピィの飛び込んだ北校舎は置いておき、まずは南の半壊した校舎を調べる。また、校庭に躍り出られたらたまらない。
幸い、南の校舎の1階、2階共に、ドラゴンパピィは居なかった。
白木蓮の花の香りが2階に上がると強烈に香る。音楽室の割れた窓から、乳白色の花弁が手に取れるほど近くにあった。春の空の色と白木蓮の花の色と、香りが能力者達にも鮮明に記憶される。ここで学んでいれば、確かに、この時期になると、繰り返し思い出す、忘れがたい記憶になるだろう。
渡り廊下に、風が香る。
「おイタが過ぎたねェ、おチビちゃん!」
渡り廊下から、校舎に入れば、明るい日差しに慣れた目に、酷く暗く感じた。その時を狙ったのか、偶然なのか、ドラゴンパピィが能力者達の正面に現れた。先の先制攻撃に気をよくしたのかもしれない。今度は近い。
近ければ。
「レグ、弱体頼んだぜっ」
「ちっち、コケんなよ」
レーゲンの錬成弱体がかかる。
校舎内では剣は振り憎い。ハバキも千影も連携は十分だ。しかし、狭いフィールドで刀は狙った攻撃になり難い。
「困った子ですわね」
逃げようとするドラゴンパピィの胴に、千影とハバキを避けて、前に出たアイロンの矢が刺さる。
咆哮が上がり、その足がふらついた。
「ちょこまか、よく動いたぜ」
「ほんと‥追いつくのが大変でしたと」
千影とハバキの蛍火が、ざくりと止めを刺した。
他に、ドラゴンパピィは居ないようだった。
全部で3体。
廃墟には、キメラが棲み付きやすいのかもしれない。
教師の用意した、カセットテープという旧式な音響機器から、卒業の曲が何曲も流れた。どれも、必ず卒業式で聞く曲だ。
「よかったですわね」
母校での卒業式。平和な時には、当たり前のように行われる行事だが、こんな時勢では、ままならない。けれども、こうして、ここに来れるというだけで、幸せなのかもしれない。跡形も無くなってしまった場所も少なくは無い。アイロンは、静かに曲を聴きつつ、目を閉じた。この子達が大人になる頃には、平和な世界を手渡したいものだと願う。
胸いっぱいに、白木蓮の香りを吸い込む。祥月は、守れて良かったと、微笑んだ。
空気が暖かい。ハバキも、守りきった卒業生達を見て、本当に良かったとそっと微笑む。仲良しのふたりをちらりと横目で見て、くすりと笑い。
精一杯の拍手を送り、泣き出す卒業生達に、ついつい貰い無きして、わたわたとしているレーゲンに、千影は楽しげにこっそり囁いた。
「覚醒した‥強気レグも大好きだぜ♪」
「!」
天へと向かう白木蓮。その香りと卒業式の涙と。決して忘れないと、千影は思う。その横に居る暖かさも。
まるで小鳥がたくさん止まっているようだと、慈海は思う。ここまでの大樹になるには、いったい、どれくらいの年月が流れたのだろうか。
「樹の下で記念撮影する?」
慈海がにこにこと、提案する。
「う、羨ましくなんか、ないんだからね」
アンジェリカが、うっと、言葉に詰まりながら言う。手渡される卒業証書。元気良く、返事をして、前に進む卒業生。この戦いが終わったら、また、学校に行けるだろうかと、胸に押し寄せてくる切なさを、顔には出さずに噛締めた。
懐かしさがこみ上げる。袖擦りあうのも他生の縁。そんな言葉が空音の脳裏をよぎる。
バグア侵攻から、いろいろあったのは、みんな同じなのだろう。手を取り合って涙する卒業生達に、写真とりましょうかと、笑顔を向ける。卒業おめでとうと、心からの言葉を添えて。