●オープニング本文
前回のリプレイを見る ハノイの雑踏の中、男は少女に微笑みかける。
「大丈夫。奉公先で勤め上げれば、帰る頃にはお姫様だ」
寒村の少年少女の向学心を利用して、巧みに引き込む人身売買組織。親子共々、騙された事に気が付かない。何年も経って、一度も返らない子供の身を案じるも、子供達からは定期的に手紙が届く。‥僅かばかりの金と共に。忙しくてごめんなさいという言葉を信じ、向うで可愛がられているのなら、それでかまわないと自らを納得させる親経ち。やがて、任期を終えれば、彼らは向うでいい人が出来たからというハガキ一枚が絶縁状になる。事故で儚くなったという訃報で泣き崩れる。
不審を抱いたとしても、出稼ぎ先は遠い外国だ。
仲介業者を探して回るが、その頃にはもうその仲介業者はその土地に居ない。警察に訴え出ても、定期的に手紙が来るのだから、真剣にとりあってはもらえない。連絡の取れる人探しに、外国まで足を伸ばす警察組織はそうそう無いからだ。
また? という疑問が沸いて捜査する頃には、影も形も見当たらない。
恰幅の良い、男はカウンターのある狭い酒場で、琥珀色の酒をゆっくりと飲み、いつも必ず注文する、フルーツの盛り合わせとバニラアイスを美味そうに食べていた。かかっている曲は、ジャズ。毎日やって来て、同じように飲んで食べると、右手に嵌めた大振りの指輪をいじり、財布から金を出す。綺麗に切り揃えられた爪は、自分で手入れしているのかどうか。
愛想良く金を払い、表に出れば、ごった返す町並み。目立たない場所に止まっているグレーの目立たないセダンに乗り込むと、男は、先ほどのバーと打って変わって渋面を作り、隣にある檻を眺める。
「ぞっとしないな」
「しょうがありません。万が一、捕まったらどうするんですか」
「まあ、そうだがね」
運転席の男が油断無くバックミラーを見ている。
そこには、腹いっぱいに食べて眠っている大きな牙のある漆黒の獣のキメラが一匹、檻に入っていた。
「万が一なんて無いほうが良いよ。私は平和主義なんだからね」
「良くおっしゃる」
含み笑う男2人は、郊外のとある屋敷へと車を滑り込ませた。
「現地警察に下調べをして貰う事は出来なかった」
映し出される、ハノイの町並み。
M。そんな通り名で呼ばれる男が仕切るのは、人身売買。買われた子供はバグアに手渡され、実験対象となるという。子供だけでは無い。老若男女、様々な人々が、様々な手管で翻弄され、連れ去られる。帰った者は居ない。
今回は、子供がターゲットのようだ。
能力者達が手に入れた人身売買の情報は、かつてMに恋人を殺された能力者、和臣・ブラウンからもたらされた。肉食獣のキメラが出る依頼ばかりを選んで戦ったその男は、偶然だろうか、執念だろうか。すこしづづ、Mの行動パターンを読むようになり、関わっているのではないかという地域にまで到達する。そして、依頼後の脱走。
しかし、単身で能力者が凶悪犯を追うのは好ましく無い。万が一の事を考え、UPCから追っ手という迎えが出された。現在、和臣はUPCに拘束され、怪我の治療と詳しい事情聴取を受けている。
「何より、この情報の真偽がわからない。しかし、放っておくにはキメラの絡む危険な情報でもある」
今回、ハノイで人身売買を仲介するのは、身なりの良い、恰幅の良い男だと言う。それがMでは無いらしい。しかし、その男を捕まえれば、道が出来る。
「Mは面白がっているのかもしれないな。小さな手掛かりから自分を視界に捕らえた男の執念を」
UPCの能力者達の活動が広がるまでは、その尻尾さえ掴ませなかったという人の中の裏切り者。
和臣が恋人を無くした時に、人身売買組織への能力者の介入から、その行動の嗜好がプラスされたのかもしれない。バグアにただ組するだけで無く、自分を追う男の苦労と苦難を楽しむ事を。
「Mが見つかるかどうかは、わからないが、外見は中肉中背。黒髪黒目。年は40代後半。細面の柔和な顔だそうだ」
髪型や服装はころころ変わる。コレと当たりをつけれるような外見のパターンは残さないという。ただ、好むのは葉巻。細い葉巻は柑橘系の香りがするという。
●リプレイ本文
ハノイの町といっても、何所の国でも同じように、小奇麗な建物が並ぶ場所や、生活感に満ち溢れた街角もある。バグア侵攻を受けて居ない町だったが、治安が格段に良いともいえない。もちろん、不埒なマネをする者は、一部であり、それは、やはり、何所の国でも変わらないのだが‥。
自転車やバイクが行き交う旧市街は、騒然としつつ、のんびりとした雰囲気も漂う。グレーがベースの町並みに、色とりどりの雑貨や看板、物売りが出る。溢れるような緑が町と一体になって、そこかしこに根を生やす。湖が、深い水の色を陽の光で鮮やかに反射する。
そこに、人身売買のルートが埋もれている。
風に、ふわりと柔らかく、淡い茶の髪を流され、流 星之丞(
ga1928)は目を細めて、街を見た。
「感づかれないよう気を付けないと‥人を商品にしか思っていないような奴らなら、危険は僕達だけじゃないはずだから‥‥」
今の気候は意外と冷える。湿度の高いハノイの朝晩は、上着を羽織らないと寒いくらいだ。昼間も、長袖一枚では心細い。
コートの内に、護身用にナイフとハンドガンを隠し、目立たない姿で星之丞は歩いていた。いつものトレードマークの黄色いマフラーは、旅行かばんの中で、次の活躍の為に、しばし眠っている。
攫われて、人生を歪ませられる。それは、あってはならない。星之丞の遠い記憶が、昨日の事のように鮮やかに蘇る。そんな組織は、許す事は出来ない。全てを潰す事は無理かもしれないが、自分の手の内に入った事柄だけでも。
「絶対に追いつめて見せます‥誰にも、あんな過去を背負わせちゃいけないんだ」
星之丞は、スクーターを借りるべく、街を移動する。ハノイの足はスクーターが動きやすい。
大勢を移動させるには、それなりの輸送手段があるのではないか。そう考えて、星之丞は動く。紳士録があるのは、何所だろうかと考えつつ。だが、手掛かりは恰幅の良い男というだけである。写真なり、名前なりがわからなければ、紳士録では探しようも無い。
身なりの良い、恰幅の良い男。
そうならば、ここハノイでも裕福層に属するのではないかと、仲間達も思う。
「ハノイじゃ目立つほうだ、よっぽど自信があるのか、警戒心がないのか‥‥」
これ以上の被害者を出すわけにはいかない。必ず、尻尾を掴むと、木々の緑をうつしたかのような瞳に厳しい光が宿る。伊河 凛(
ga3175)は、ガイドブックを借り受けた。車を借りようと、動くが、腰のものに目を向けられて、借りる事が出来ない。何のカムフラージュもしていない、日本刀と短刀氷雨。大小二本の刀はバグアに攻め込まれていない場所ではとても目立った。
「‥人身売買組織か。弱者を食い物にするハイエナ連中ってトコだな。胸糞悪ぃぜ」
美味しい話には裏がある。けれども。と、ノビル・ラグ(
ga3704)は、誰にも聞こえないように呟くと、きゅっと唇を引き結ぶ。攫われた人達がどうなったか。考えずともわかる。その末路を思い、左右に振られた首の動きに合わせて金色の髪が揺れる。
っしと、自身に気合を入れると、軽い足取りで雑踏の中へと分け入って行く。フランスパンの路上売りや、極彩色の布がかけられている店の前を通り、繁華街へと進む。今回彼の役割は家出少年。囮だ。仲介業者のターゲットが子供だという。なので、ひっかかれば御の字と言う作戦に出たのだ。
(「まぁ、本当に家出中だったりするのは秘密だっ」)
見聞を広めるためにという言い訳はあるようなノビルだが、能力者としてラスト・ホープにいるのだから、良しなのかもしれない。
「仕事くれーっ!」
「仕事ぉ? 何所もいっぱいだよ。こっちが欲しいくらいだよ」
「えーっ! そこを何とか無いかなーっ!」
仕事。それは、この場所の重要な懸案の一つでもある。皆、自分の食い扶持を稼ぐのに精一杯で。バグアの侵攻は無いにしろ、経済の余波はじわじわと末端から、その生活を圧迫する。その為に簡単に騙される人も増えたという事でもある。バグアの制圧地から攫えば、何も問題は無く、簡単に人など集められるだろう。なのに、安全な地域から、人攫いを行う事、それがMの性格の一端を現していた。簡単に達成出来る事はつまらないのかもしれない。
人身売買。人の心を踏みにじるような所業を許すわけにはいかない。断られ続けるノビルを、離れた場所から、キリト・S・アイリス(
ga4536)が見ていた。時折、手にした双眼鏡で、遠くまで見る。蛍火を腰に下げ、ノビルのアサルトライフルを肩にかけているキリトを、ちらり、ちらりと街行く人が眺めていた。
「ああ、知ってるよ」
「本当ですか?」
「本当だよ、こっちだよ」
服にリィナと名のつけたナイフを抱き、ハノイの観光に来た、お嬢さまの様子で、市街地を回る。攫われたという子供の情報は、残念ながら、手に入らない。それを調べなければならないのだから。鷹司 小雛(
ga1008)は、上品な物腰は、確かに、ある程度の裕福層を連想する。しかし、隻眼の彼女に僅かに息を飲む者も少なくない。そして、隙のある妙齢の女性の一人歩きは、妙な手合いを呼び寄せる。
「‥‥困りましたわ」
まただったと、巧みに路地裏で店に連れて行こうとする男や、物を高く売りつけようとする男の手からかい潜ると、小さく溜息を刷いた。見事な黒髪が横を通り過ぎるバイクにあおられて舞い上がる。M。前回の戦いから気になっていたその男の、尻尾の一つや二つ、掴んでおきたいのだけれど。
その近くでは、嶋田 啓吾(
ga4282)と平坂 桃香(
ga1831)が、親子に化けて、仲介業者を探っていた。
ここで捕まえられれば一番だ。けれども、どうも、そう簡単に事は運ばないようだと、随分と歩いた。横を歩く、啓吾をちらりと見ると、桃香は上手くいかないものだなと思い、僅かに途方に暮れた顔になり、実感こもって良いかもと、何となく思った。
「子供の奉公先を探しているんですよ」
啓吾は、盛り場を探して、だれ彼構わず声をかけていた。子供を騙して攫うなんて。実の親子では無いのだが、子を持つ親としては、そんな組織を許す事など出来ない。
「必死だな‥俺でよければ、口利いてやっても構わない」
抜け目無さそうな顔をした、古びた柄物のシャツを着込んだ男が声をかけてきた。
「本当ですか?助かります」
───かかった。
そう、啓吾と桃香は思う。そうして、彼ら2人に、つかず離れず一緒に居たオリガ(
ga4562)も。白銀の髪が陽の光りを浴びて、きらきらと光る。胸に潜ませるのは、桃香から預かった拳銃「S−01」。自身の武器も、同じく、拳銃「S−01」だが、これは軽くて服の上からも、まあまあ、わかり難い。
人身売買という、そういう事が行われている場所が無いわけでは無く、そういう事もあるのだろうと、頭は冷静に判断を下すのだが、感情がそれを裏切る。とても、嫌な事だと。オリガは、僅かによった眉間の間を指でさすると、貸し出された携帯電話を取り出した。他の仲間に伝える為だ。
と、その時、声をかけた男も携帯を取り出した。ひとことふたこと話すと、啓吾にやれやれといったジェスチャーをする。
「悪いな。またの機会にな」
「そんな! 面接するぐらいは、してもらっても良いじゃありませんか」
「面接は済んでるよ」
「‥‥え‥‥」
どれだけの人間に声かけたんだと笑われる。
「まあ、あんた達のせいじゃない。ちょっとまずい事態が起こったんだってさ、だからここではもう奉公人は集めないんだそうだよ」
「‥そう‥ですか」
これ以上押しても、しょうがない。まずい事とは何だろう。離れて囮をやっているノビルは大丈夫だろうか。そう、啓吾が思った時、ふうわりと、柑橘系の香りの煙が漂ったような気がして、後ろを振り向く。桃香が、啓吾の袖を引く。
「お父さんっ!」
「っ!」
僅かに気をとられた瞬間に、目の前の、多分下っ端の下っ端であろう男が、細い路地へと駆け込んで行く。オリガが、その後を追おうと、足を速めるのが見える。
オリガは、脱兎のごとく逃げ出す男を追おうと駆け出したが、その時、啓吾と同じ香りを嗅ぎわけると、その足が鈍った。
細い葉巻。
特徴の無い、何所にでも居そうな、東洋系の顔。ハノイの街に溶け込んだかのような、擦り切れたジーンズに、着古したモスグリーンのジャンバー。どこか場違いなのは、細い葉巻。
「Mっ!?」
思わず呟くその呟きが、Mに届いたのかどうか。バイクにまたがったまま、人の流れの中に埋まって行く。
それを、ただ見ているだけしか出来なかった。