●リプレイ本文
●ある日のラスト・ホープにて
手帳と万年筆を手にしたティアナが最初に呼び止めたのは、赤い髪の麗人だった。
「あ、あのっ! はじめまして、私こういうものですっ!」
勢い良く頭を下げて名刺を突き出した記者を、一瞬目を丸くして見つめたのは9A(
gb9900)だ。
「‥‥へぇ。新聞記者さんなんだ。ティアナ・ワーズ君か。こちらこそ、はじめまして」
綺麗に笑ってみせてから、9Aはそっと手を差し出す。
握手を交わした後、広場の中心にある噴水の傍に設置してあるベンチへと腰掛け、ティアナは本題である取材を開始した。
「えぇと、それじゃあ早速。9Aさんのバレンタインのご予定は何かありますか?」
「そうだなぁ‥‥特に変わった事はしないかな。事前にチョコを必要な分買って、それを知り合いの男の子や女の子に配っていくくらい」
成程、と手帳に一生懸命メモを取っていくティアナを微笑ましそうに眺めて、9Aは言葉を続ける。
「恋人とかいる訳じゃないから、ははっ、まー今の所の予定としては、寂しく『独りの夜』確定かなぁ」
「えぇ? 9Aさん、素敵な方ですから、てっきり恋人がいらっしゃるのかと思ってました」
驚いた様にそう呟いた記者に、9Aは笑みを少し苦笑に変えて。
「ふふ! たとえ能力者といえどもボクみたいな、世に大勢いるモテない君・モテないちゃんと同じ奴もいる‥‥って事だね」
と少し皮肉っぽく呟く。
「夕食はママが何か、ご馳走でも用意しているかもね」
「9Aさんは、ご家族でラスト・ホープに?」
「うん、そうだよ。ボクは両親と妹と一緒に暮らしてるから」
家族で一緒に暮らしていると聞いて、ティアナは羨ましそうな視線で9Aを見つめていた。
仕事をはじめてからというもの、彼女は家族と全く会っていない。
だから、ほんのちょっとだけ羨ましいと思ったのだ。
そんな彼女を見つめて、9Aはもう一度小さく笑った。
「ところで‥‥君はいつまでラスト・ホープにいるの?」
「私ですか? 予定では1週間ですけど」
「良かったらさ、フリーな時間があればボクと一緒に遊ばない? 島を案内してあげる」
さりげなくティアナの肩に手を置いて綺麗に笑ってみせる9Aに、ティアナは少し残念そうに首を振った。
彼女の持っている手帳には、これでもかというほどスケジュールが詰まっている。
「折角のお誘い嬉しいんですけど、私、明日以降もスケジュールが詰まってて。ラスト・ホープにいる間は、遊べる時間が取れそうにないんです」
真面目にそう返したティアナを、きょとんとした目で見やってから。
「‥‥あははッ! うん、いいなぁ。真面目さんなんだね、君は」
一通り笑った後、彼女の頭を二度撫でて呟く。
「まァでも、折角だからきみの取材を手伝いというか、付いて行っちゃうのも面白そうだよね」
人間観察が趣味の9Aとしては、普段あまりお目にかかれない『新聞記者』という職業のティアナを是非観察してみたかったのだ。
「えぇと、その‥‥」
困った様に眉を下げるティアナを眺めて、9Aはにっこり笑う。
「無理にとは言わないから大丈夫。あ、それとコレ。君にプレゼント。ふふっ!」
チョコレートを手渡して、9Aはもう一度綺麗に笑うのだった。
●恋人達のバレンタイン
バレンタイン当日にティアナが突撃取材を行ったのは、一組のカップル。
石動 小夜子(
ga0121)と新条 拓那(
ga1294)の2人だ。
「いやでも、やっぱり落ち着かないですよ。以前は貰えるか貰えないかでしたけど、今は何が貰えるのか、で」
デート前にそう記者へと答えていた拓那だが、デートの最中も確かに少しソワソワしている様に見えた。
ちなみに、記者は現在抜き足差し足で尾行中だ。
本人達には了承済みである。
デート内容はショッピング。
まず2人が立ち寄ったのは本屋だ。
「あら‥‥。あの作家さんの新作が出ているなんて」
「本当だ。最近忙しくて本を読む暇もなかなか取れなかったからね」
ハードカバーの本を手に取りながら、仲睦まじい様子の小夜子と拓那。
笑みを交わしながら、ふと小夜子が視線を別の場所に移した、その時。
小夜子の瞳が輝いた。
「‥‥猫さんの写真集も、新刊が‥‥!」
彼女にしては珍しく小走りで駆け寄ったのは、写真集コーナーに置かれていた、猫の写真集だった。
「見てください拓那さん。可愛らしいですよ‥‥!」
綻ぶ様に笑う小夜子を見つめて、拓那は小さく苦笑しながら呟く。
「あぁもう蕩けちゃって‥‥。猫は可愛いけど、俺の事も忘れないでくれよ〜?」
遠目に見ていても、とてもイチャ‥‥否、素敵なカップルだ。
少し離れた場所から様子を見ていたティアナは、ほんの少しだけ肩を落とすのだった。
「いいなぁ‥‥」
独り身には、辛い現実である。
ちなみに、ティアナは前日の夕方に小夜子と拓那に了承を取っていた。
「カップルのバレンタインデートを取材させて下さい」
その言葉に、小夜子は一瞬で真っ赤になり、拓那は目を丸くした後に視線を泳がせる。
「あ、あの‥‥参考になるかどうか、分かりませんよ?」
「構いません!」
お願いしますと頭を下げられれば、2人には断れなかったのだ。
場所を移して雑貨店で、商品を眺めながら会話を弾ませる小夜子と拓那。
「凄く綺麗ですね、これ。全部ガラスで出来ているそうですよ?」
「変わった商品もあるんだね‥‥。小夜子、こういうの好きなんだ。覚えとかないと‥‥」
2人の目の前には小さなガラス製のベル ――日本でなら『鈴』と呼ばれるものが置かれていた。
「小さくて、澄んでいて綺麗ですから。‥‥? でも、どうして?」
「ん? 何でもないよ〜?」
目を輝かせながらも商品を手に取る事のない小夜子をちらりと見て、拓那は心の中で頷いた。
来月、彼女の誕生日に贈るプレゼントの候補に、これを入れておこうと。
店から店へと移動している最中、道端に数匹の猫がいれば、小夜子が静かに近寄っていき、拓那が呼びかけるまでずっと撫でていたり。
夕食に入った洋食屋で、お互いに違うメニューを頼んで交換してみたり。
小夜子と拓那のバレンタインデートは、正統派の恋人達のバレンタインデデートだった。
最後を締め括ったのは小夜子から拓那へのプレゼントだ。
「今年は底冷えする寒さですから‥‥。体調には、気をつけて下さいね」
可愛らしくラッピングされたのは、ふかふかのこねこ型のスリッパ。
彼女らしいチョイスの中にも、自分に対する心遣いがしっかりと入っている一品で。
「ありがとうって言葉すら陳腐だから‥‥こうすれば少しは伝わるかな」
抱き合う恋人同士をほんの少しだけ眺めてから、記者はそっとその場を後にした。
想い合う者同士の邪魔をして、馬に蹴られては元も子もないし、何よりも。
「‥‥お幸せに」
やはりこういう時は、2人きりにしてあげなくては。
●別の日の喫茶店にて
「で、では、よろしくお願いします!」
意気込んで頭を下げるティアナに、目を丸くしてから小さく噴き出した荒巻 美琴(
ga4863)が、軽く相手の肩を叩いた。
「そんなに肩肘張らなくっても大丈夫だよ。はじめまして。ボクはグラップラーの荒巻美琴。何を聞きたいの?」
笑顔で問いかけてくる美琴に、ほっとした様子で取り出した手帳と万年筆を握り直したティアナは、ずばりと口を開く。
「では、荒巻さん。荒巻さんはバレンタインデー、どう過ごされたんですか?」
直球で尋ねてくるティアナに、自分と同じ飲み物を勧めながら美琴は小さく首を傾げた。
「名前で分かると思うけど、ボクは日本人なんだ」
だからひょっとしたら、イメージが違うかもしれないと前置きをしたうえで、美琴は言葉を続けた。
「日本では、女性が男性に色々としてあげる事が多いよ。ボクのお義兄さんがいうには『御菓子屋の業界団体が売り上げ向上の為に設定したイベントが広く定着しちゃった』らしいんだけど」
成程、国によってバレンタインの過ごし方が違うのは知っていたが、日本のバレンタインにはそんな意味合いがあったのか。
メモを取りながら、ティアナは美琴の言葉を待つ。
「ボクの場合は家族でゆっくり過ごしたよ。とはいっても、全員傭兵だから、日付をずらして楽しんだんだけど」
過ごした日を思い出しながら、美琴はにっこりと笑った。
「ボクの家族はお姉ちゃんとその旦那さんのお義兄さんでね。ボクとお姉ちゃんの手料理で家族水入らずのバレンタインを過ごしたよ」
「ご家族の仲がいいんですね」
羨ましそうに呟いたティアナを見て、美琴は少し悪戯っぽく唇を引き上げる。
「ボクの方が料理は上手いんだから、こういう時はアピールするチャンスなんだ」
その言葉を聞いた記者は、こくりと首を傾げた。
何に対してアピールするのか。
姉‥‥ではないだろう。家族なのだから、どちらが料理上手かなんて知っているはずだから。
だとしたら‥‥。
「‥‥え?」
「やっぱり気づくよね?」
「え、えぇ?」
まさかまさか。
「うん。ボクが大好きなのはお義兄さん♪」
「えぇっ!?」
まさかの発言に目を丸くして声を上げたティアナに、しーっと人差し指を立てながら楽しげに美琴は言葉を続けた。
「お姉ちゃんと結婚しちゃったけど、ボクの事も大切にしてくれてるのは知ってるから。身内のボクがいうのもなんだけど、お姉ちゃんは割りと懐が広いからね。ボクがお義兄さんに甘えるのも認めてもらってるんだ」
それは果たして懐が広いという姉に驚くべきなのか。
はたまたちゃっかりしている美琴に驚くべきなのか。
目を丸くしたままかっちりと固まってしまったティアナを見て、美琴はやはり笑顔のままだ。
「‥‥あの、ちなみに、不躾ですみませんが‥‥その日の夜は‥‥」
やっとの思いでティアナが復活したのは、美琴が飲み物をおかわりした後だった。
「何があったのかはナイショ。秘密だよ」
「そこを何とか!」
ぜひとも記事にしたい。というよりも、個人的に気になる。
手帳を放り出しそうなティアナと顔を突き合わせて、美琴は最後まで笑顔で告げるのだった。
「たっぷり甘えさせてもらった、とだけ言っておくね」
そう言った美琴が、顔を真っ赤にしながら退席していった新聞記者の後姿を眺めながら、ポツリと呟いた
「ラスト・ホープって重婚、認められるかなぁ‥‥」
という一言は、幸いティアナには聞こえなかった。