タイトル:【AW】地球にさよならをマスター:氷魚

シナリオ形態: イベント
難易度: 易しい
参加人数: 20 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/04/27 11:45

●オープニング本文


●少女だった傭兵の母の話。

 ――あの、バカ娘‥‥。

 私はテーブルの上に置かれた手紙を読んで頭が痛くなった。
 手紙の最後には『大丈夫だって! 心配しないでママ! 私、もう子供じゃないんだから!』等と書かれている。
 バカ娘の決してきれいとは言えない字と言葉に私は昔の事を思い出して苦笑を洩らす。
 右手に埋め込んだエミタを掲げ、傭兵になると宣言したバカ娘――どうやら大人になって輪をかけてバカになっていたらしい。
 手紙の内容を要約すると‥‥こうだ。

 ――LH2を乗っ取って、ちょっと宇宙に行ってくる。

 で、ある。

 LH2――ラストホープ2と名付けられたそれは、かつてバグアの残した恒星間航行船を基に改修した亜光速航行が可能な船だ。
 LH2は高位バグアによる制御を前提として設計されていたバグア製慣性制御装置兼エンジンを、新たに開発されたエミタ連結による制御へ変更し、この10年間で数度の木星までの実験航海を行って安全に実用可能である所まで確認できている。
 しかし、未だにバグアの技術を運用する事を嫌う世論から実運用に踏み切れていないという事実があった。
 私は電話を取り出し、とある場所に電話をかける。
「あ、私。‥‥うん。悪いんだけど、手伝ってあげてくれる? ‥‥あ? あんたたちだってあの船飛ばしたいんでしょ? そう、うん。いつでも飛ばせるようにしておいてくれるだけで良いから」
 電話の向こうの未来研の担当者にそう告げると、渋々と言った体裁ではありつつも了解の言質をとった。
「クルーは任せるわ。急だけど、ある程度目星はつけてあるんでしょ? うん。よろしく」
 そう言って私は電話を切りため息を吐く。
 2、3日中にはバカ娘はLH2を乗っ取り(とはいえ船を飛ばしたがっている協力者や、船に乗りたがっている人間は結構いるようだが)、広大な星の海へと旅立つのだろう。
 そう思うと、傭兵になったばかりの娘の姿が脳裏に浮かんだ。
「行くのね‥‥ルリ」
 懐かしさとともに嬉しさと言い知れない寂しさが胸を突いた。
 ルリがあの船に乗るという事はもう地球には戻ってこない――来れないという事と同義だ。
 少なくとも世間一般には犯罪者として扱われ、そして亜光速で宇宙をかける船は恐らく今の地球とは違う時間の流れの中を泳ぐ事になる。
 私は冷蔵庫に入れてあったウィスキーの封を開け氷を入れたグラスへ注ぐ。
「私が手伝えるのはここまでよ、バカ娘――」

 ――さよなら、ルリ。

「愛してるわ、二人とも」

 そう口にして私はグラスを煽り、もう6歳になる我が息子の頭を撫でた――。


●少女だった喫茶店の店主の話。

「さて、と」
 ボクは綺麗に片付いた店の中を眺めてため息を一つ吐いて、最後に残しておいたカップにコーヒーを落とす。
 コーヒーの香りが店内を満たすと、ボクはゆっくりと目を閉じた。
 心地よい時間。一番安心する空間。一番――愛していたボクの居場所。
 その空気を胸いっぱいに吸って。
 思い出で胸を一杯にして。

 その想い出と愛を、宇宙に持っていく。

 ボクはいつまでもお父さんに甘えていた。
 本当に。ずいぶんと時間がかかったけれど。
 ボクは自分の足で、自分の道を選び歩いていく。

 みんなそうやって生きていく。

 ボクは飲み終えたコーヒーカップを洗い、最後の荷物として鞄へと詰め込む。
 可能な限りの荷物を、可能な限り大きめのバックパックに詰め込んだせいでかなり重い。
 それを背負って店から出ると、少し名残惜しくなって店内を振り返り――

 ――さよなら。お父さん。

 そう口にしてボクは店に鍵を閉めた――。

●参加者一覧

/ 地堂球基(ga1094) / アルヴァイム(ga5051) / ルナフィリア・天剣(ga8313) / 瑞姫・イェーガー(ga9347) / 美崎 瑠璃(gb0339) / セレスタ・レネンティア(gb1731) / RENN(gb1931) / 孫六 兼元(gb5331) / エイラ・リトヴァク(gb9458) / 美空・桃2(gb9509) / 神棟星嵐(gc1022) / フィン・ファルスト(gc2637) / ハンフリー(gc3092) / ヨハン・クルーゲ(gc3635) / 結城 桜乃(gc4675) / 綾河 疾音(gc6835) / モココ・J・アルビス(gc7076) / 村雨 紫狼(gc7632) / クローカ・ルイシコフ(gc7747) / 村雨 狼騎(gc8089

●リプレイ本文



 ――乾いた風の匂い。

 沈む夕日の輝きに男はすっと目を細める。
 傾いた太陽が男の影を長く伸ばした。
「宇宙に‥‥行ってくる」
 男――ハンフリー(gc3092) は母の墓を前にそう告げる。
「‥‥これが最後だ。私は母さんに言われた通り自由に生き通そうと思う」
 ハンフリーは決して迷わなかったわけではない。
 しかし人に与えられた時間はあまりにも限られており、そしてこの機会を失ったら次はどれだけ待つか分からなかった。
 だから、彼は宇宙へ旅立つことを選んだのだ。

 ――行ってきます、母さん。

 そう挨拶を残し背を向けたハンフリーの口許には、どこか寂しげな――しかしまだ見ぬ世界への期待を感じさせる笑みが薄く浮かんでいた――。



「テルっ! テルじゃないか!」

「やあ、瑞姫」
 工場の入り口に立つ少女三上 照天――テルに気付き、瑞姫・イェーガー(ga9347)が駆け寄ってきた。
 少し困ったように笑みを浮かべるテルの背中には、小さな体には似合わない大きなバックパックが背負われている。
「‥‥今日、なんだっけ?」
「んー、2、3日中ってとこかな?」
 瑞姫の問いにテルは頬を掻きながらそう応えた。
 沈黙を嫌うように瑞姫が続ける。
「迷いは、晴れたの?」
「えっへへぇ‥‥正直言うとまだ」
 と、苦笑を洩らしながらテルはポケットから封筒を取り出して見せると、瑞姫はこくりと頷いた。
 それは喫茶店「11」に置かれていた手紙だった。
 大切な友人である結城 桜乃(gc4675)の手紙だ。その手紙にはこう記されていた。


 暫く、色々な世界へ、旅に出ます。
 必ず、ココには帰ってくるからねっ☆


「彼を待ってあげられなかったのが、ね」
 この手紙を最後に桜乃が店に来なくなってもう8年にもなる。
 ずっと、待っていたのに。
「テルと、もう逢えなくなるんだね」
「‥‥多分」
 そしてテルは瑞姫へと抱きつくと、瑞姫も優しく抱擁を返す。
「ぶふふ‥‥瑞姫お母さんみたい」
「お母さんだからね」
 少しして二人は離れ、お互いの顔をみて頷き――

 ――じゃあね。またいつか。

 どちらかその言葉を口にしたのかはわからない。
 ただ、この二人にさよならは必要無かったのだろうと思う。

●海賊の時間だ!

「やあ、ルリちゃん。今日が出発かい?」
「そうそう、だから残るんなら船外に出ててね!」
「そうかぁ、寂しくなるなぁ、あ、これうちのから」
 形式的に銃を構えてルリが指示すると、整備員らしきおっちゃんは感慨深そうにそう言って包みを渡すと、村雨 狼騎(gc8089)が覗き込んできた。
「おお、ルリチー人気者じゃん! 流石ボクの愛棒っ!」
「なんか、寒気がはしったよっ!?」
「ボク、そっちの趣味はあったりなかったり〜ウェヒヒ」
「わ、私はないからねっ!?」
「そろそろ艦橋だ。遊び気分はそれ位にしとけよ?」
 地堂球基(ga1094)が苦言を呈すが、口元に笑みが浮かんでいるのはこの二人がLH2強奪に当たり、よく働いたのを知っているからだろう。
「よぉっし! 突入していいかっ?」
 綾河 疾音(gc6835)の言葉に球基は顎をしゃくって促す。

 ばあぁぁぁぁんっ!

「うっしゃぁぁっ! 大人しくしやがれっ! 艦橋は俺たちが乗っ取らせて貰うっ‥‥ぜ?」
「ルリ。きみは操舵訓練をしていたな。操舵手を頼む。ハンフリーは各計器のチェックを」
「これが我々の新たな家か‥‥あぁ、悪くない」
 計器のチェックを行いながら、そんな感想をハンフリーは呟く。
 艦橋制圧にあたっていたメンツは、からっぽの艦橋内で球基の指示に従い持ち場につく。
 抵抗を予想していた疾音はあっけにとられて、構えた銃を下せずにいた。
「あ、あれ? なんか抵抗とかないの?」
「言ってなかったか? その辺りはもう話が付いている。正規の操舵手もいるにはいるが、出航時は乗っ取られた体を見せる為に俺たちで出航させる」
「艦長、残留員の退去命令を」
 ハンフリーの言葉に頷いてから球基はマイクへと向かい――

 ――3時間後、本艦は進発する。地球に残る者は速やかに退艦せよ。

 そう、告げた。


 無重力下の格納庫内を、宇宙服を着た整備員が大小様々なコンテナを隅の方へと移動させている。
「フィーニクスばかりこう並ぶと壮観でありますなー」
 美空・桃2(gb9509)はフィーニクスを見上げながらそう口にした。
 フィーニクスから降り立ったクリューニス人やバーデュミナス人は銀髪の少女――ルナフィリア・天剣(ga8313)と握手を交わしている。

 ――3時間後、本艦は進発する。地球に残る者は速やかに退艦せよ。

「おー、ようやく出航でありますなー。ほらほら出航準備急ぐでありますよー」
 球基の艦内放送を聞き、桃2は嬉しそうに整備員達に檄を飛ばすと手にした石――エミタへと視線を落とす。
 そのエミタはかつての桃2の小隊長エイラ・リトヴァク(gb9458)から託されたものだった。

 ――私のエミタだ。こいつも、連れて行ってくれ。

 そう言って笑う彼女は、どこか寂しそうに。しかしどこか満足そうに言った。
 そんな小隊長の姿を思い出した後、桃2はエミタを受け取った時に口にした言葉を反芻する。
「エイラ隊長。美空・桃2、行ってくるのであります」
「準備は?」
 その声に顔を上げると先ほどまで異星人達と言葉を交わしていたルナフィリアが目の前に立っていた。
「もちろん、できているでありますよ」
「あぁ、あと格納庫はもう少しスペースを空けておいてくれないか」
「ん? 予定してた希望者は収容済みでありますよ?」
 首を傾げる桃2に対して不敵に、薄く笑みを浮かべてルナフィリアは口を開く。

 ――遅れてくる物があるかもしれないじゃないか。

 そう、白銀の髪を靡かせながら。

 港から出てきたLH2の巨大な艦影をクローカ・ルイシコフ(gc7747)は見つめていた。
 それは、何事にも縛られない者達への羨望もあったかもしれない。

 ――今すぐ、あの船に乗っていきたい。

 木星までの実験航海にも参加し、亜光速制御装置の設計にも携わったクローカにとって、LH2はある意味我が子の様にすら感じている。
 共に機関部の整備・運用を行っていた桃2に後はすべてを任せ、これから自分は純地球製の恒星間航行船の建造に携わる。
 旅立っていく船のデータを収集していく。
 そのデータを秘匿回線で桃2に送信し、そして同じように内部の状況などをモニターしていく。
「‥‥後は頼むよ」
 旅に出る者たちへの良き旅を祈り、口許に笑みを浮かべ自らの本来の仕事へと戻る。
 ただし――無事LH2が星の海へ旅立つ為と言う、本来とは逆の警備ではあるが。

「さて、後はギリギリまで警備のお仕事をするとしようか」

 どこか悪戯っぽく、クローカはそう呟いた。



「軍が動き出したみたいです」

 神棟星嵐(gc1022)が言うと、アルヴァイム(ga5051)はコンテナの中に声を掛けハッチを閉めるのが見えた。
「思ったより早いな、だが誤差の範囲内か‥‥」
 LH2の出航に当たって情報の秘匿に徹していたが、あれだけの船を動かすクルーを集めるには戸を立てる口が多すぎたと言ったところだろうか。
「どんな邪魔があったって、ちゃんとLH2に送り届けますよ」
 フィン・ファルスト(gc2637)の言葉に、「あぁ、頼む」と言葉少なにアルヴァイムは応える。
「それにルナフィリアさんには、随分弟がお世話になりましたし」
「君は行かないのか?」
 不意に投げかけられた星嵐の問いに、フィンは苦笑を洩らす。
「あは‥‥宇宙に興味がないって言うとウソになりますけど、残して行けない人がいますから」
「なるほど。自分はそのままLH2に乗船するつもりですが、何か伝えたい人が居れば伝言をお預かりしますよ?」
「ん‥‥、んじゃあ、LH2に着くまでに思いついたらお願いするよ」
 星嵐はそれに首肯して応え、リヴァティーに乗り込む。
 それにならって、フィンも愛機「こーちゃん」へと乗り込んだ――。



 ――LH2応答せよ、繰り返す、LH2応答せよ。

 セレスタ・レネンティア(gb1731)がUPC軍の戦艦から警告を発した。
 元々全長1000m程だったLH2は、この10年の間に改造・改良が加えられ全長1200mとも言われている。
 その巨躯はセレスタの乗る巡洋艦の優に5倍。沈黙を守る姿が不気味にすら思えた。
「こちらUPC軍警備担当のレネンティア中尉です。LH2のクルーに告ぎます、直ちに投降し下艦して下さい。あなた方は、誰にとっても思い出深いこの地球を離れる事が出来るのですか?」
 問いかけを繰り返すが回答はない。向こうはあくまで沈黙を守るつもりらしい。
 そんな中、一機のKVが苛立ちを隠さないまま発進準備中のLH2へと近づいていく。

 ――ていせーん! 停船せんかーっ!

 LH2の艦橋に向かって孫六 兼元(gb5331)は警告を発すると、ノイズ交じりにクルーの声が聞こえ出した。

『え、っと。これか』
『違うってルリちー。これこれ』
『あ、ご、ごめん? 狼騎ちゃんちょっとどこ触ってんのさ!?』
『ほら、なんか言ってんぞ。ん? これ繋がってる?』
『‥‥お前ら‥‥』

 ‥‥回線の向こう、なんか賑やかである。
 少しだけあっけにとられた兼元だったが、気を取り直して――
「だ、代表者は身元を明かし、事情の説明をしろ! 何が目的だ!」
『んお? 代表者? あー、俺おれ! この主犯おれっ!』

 どこのおれおれ詐欺か。

「どこの俺だ! 名は!」
『ふっふーん。この船を盗んだのは、この俺! 綾河 疾音!』
『あ、四条ルリですっ!』
『その愛棒の村雨 狼騎‥‥ウェヘヘ』
 そんな名乗りに兼元がぽかーんとしていると、セレスタがLH2に対しどこか呆れたように告げる。
「‥‥LH2のクルーに告ぎます、直ちに投降し下艦して下さい」

 ――すまない。それは出来ない。

 不意に、少しは話が出来そうな男の声が通信に紛れ込んだ。
「あなたは?」
『LH2の艦長を務めさせてもらう地堂球基だ。俺たちは『果ての向こう側』に行く。あんた達の荷物を引き受けてな』
 球基の言葉にふむ。と兼元が反応し通信を開く。
「‥‥つまり恒星間航行を使い、広大な宇宙を旅したい‥‥ロマンを求めたい、と言う事か?」
『そんなところだ』
「なら、一度話してみんか。LH2への着艦許可を頂きたい」
 球基が即答するのに、口許を歪めそう続けた兼元にセレスタが口を挟む。
「な、何を言ってるんですか?」
「直接会って目を見て話してみんと、相手の意図など測れはすまい」
 兼元の言葉にセレスタは少し考えた後、条件を一つ付けその提案を許可したのだった――。 


 格納庫に軍側のKV4機が収容される。
 セレスタの出した条件と言うのが、自分の巡洋艦に乗るクルーを兼元に着けると言う条件だった。
 もちろん兼元の身の安全も考えてだが、そのクルー達の強い希望もあったからである。
「あなたが先ほどの?」
「あぁ、わしが孫六 兼元だ! よろしくな!」
 豪快な男の握手に応え、球基も名乗りを返す。
 こちらの意図を見透かそうとするその眼光を、球基は真正面から受け止めた。
 そんな二人のやり取りを余所に、格納庫の二階から良く通る声が響く。
「瑠璃ねぇ! ヨハン先生っ! モコねぇもっ!」
 受け入れた他のKVから降りてきたのは、ルリが良く知る人たちだった。
 格納庫の2階から無重力下を文字通りを飛び、3人の元へと降り立つルリ。
 そのルリの思考に割り込んでくる声があった。

 ――そこの、美少女、止まれ。

「ん? せんせ?」
 その声がどこから聞こえてきたのか視線を巡らせるルリの頭を撫でる手。
「お?」
「駄目ですねルリ様、出会った時と同じフェイントにひっかかるとは」
 ルリの頭を撫でた手の主――ヨハン・クルーゲ(gc3635)は苦笑を浮かべ言った。
「ず、ずるいよせんせ! 今のはっ! そうだよね、瑠璃ねぇ!」
 美崎 瑠璃(gb0339)に同意を求めるが、瑠璃は厳しい表情を張り付けたまま口を開く。
「この船は軍の管理下にあります。今すぐにステーションへ戻りなさい」
 冷たい、声。
「‥‥瑠璃ねぇ、ごめん。それは出来ない」
「どうしても?」
 まっすぐにルリの瞳をみて瑠璃が問うと、ルリはその瞳を見返して首肯した。
 それに満足そうに瑠璃は頷いて不敵に笑う。
「――はーい。軍人の瑠璃ちゃんのお仕事はここまで。懸命の説得もむなしくLH2は制止を振り切り飛び立ってしまうのでした、ってね♪」
「既に飛び立ち済みでした! ってね♪」
「残念ですが、私たちは一緒に行くことはできません‥‥けれどルリ様のことを地球から想ってますよ」
 ルリの頭を撫でながらヨハンが言うと「いつまでたっても子供扱いするんだからせんせーはっ!」とふくれっ面になる。
 とはいえ、ヨハンや瑠璃の前では子供のころの様に‥‥いや、子供のころと変わっていないからこの扱いは仕方がないだろう。
「ホントはね、あたしもこの船に乗っていきたい気持ちはある。前に話したけど、軍に入ったのは宇宙の果てに何があるのか見てみたいって事だし‥‥これならそれもできそうだからね」
「ふっふーん。瑠璃ねぇには悪いけど、先に私が見てきちゃうよ!」
 拳を振り上げ宣言するルリを見ながら、ヨハンは苦笑を洩らす。
「十年経ってもルリ様はルリ様ですね‥‥。まぁ、そこがルリ様のいいところなんですが」
「まさか、艦船強奪するなんてねぇ‥‥」
 そう言って笑いあう三人。その三人に割り込む影――モココ・J・アルビス(gc7076)の姿があった。
 その手から銀光が抜き放たれルリを襲うが、ルリは寸前でその刃を躱した。
「も、モコねぇっ!? 何するのっ?」
「あなたみたいに甘い人に‥‥この艦にいる人達の命を巻き込む覚悟があるのですか!」
 冷たい言葉。そして続くモココの猛攻にルリは腰に帯びた二刀――村雨 紫狼(gc7632)から譲り受けた天照と月詠を抜き防いだ。
 その剣戟はまさしくその命を刈り取ろうとするかのように、幾度も光の尾を引いてルリを襲う。
 モココの問いかけにルリは応えず回避に専念するその姿は、モココの真意を探ろうとしているかの様にも見えた。
「自分の夢にどれほどの人を危険に晒すのかわかってる? どうしても行くというなら、私を殺して――」

 ――違うよ。

 ルリの口から洩れた言葉にモココの手が止まる。
「‥‥何が違うと?」
「これは、私だけの夢じゃない。ここにいる一人一人の夢を乗せた船なんだ」
 強い意志の篭った言葉。
 ルリのその瞳はモココの事をはっきりと見据え、告げる。
「だから、モコねぇ。どうしても止めるというのなら、この艦に乗っている人全部を殺さないと駄目――」

 ――モコねぇこそ、その覚悟はある?

「でも、その時は私が最初に相手になる。モコねぇが『止めるのを止める』」
 そう言って二刀を構え直したルリの姿にモココは思わず息を飲んだ。
「‥‥二天一流」
 かつてモココも駒を並べて戦った男の姿がルリに重なった。
 あの強化人間の少女との絆を守る事を。無謀なそんな想いを。背中を押してくれた男の姿が。
 知らずにモココの手に力が入る。
「そこまで!」
 そんな言葉と同時に向かい合う二人の間に割り込む影。
「あんた、あたしたちが大人しく出て行こうってのに暴れさせたい気?」
 鋭い視線をモココに投げかけるのはRENN(gb1931)だった。
 この船の住民たちを守るため、LH2に乗り込むことを望んだ人物である。
「ここの人を傷つけるつもりなら、あたしが全力で相手をしてあげ‥‥」
 RENNがそこまで言った処で豪快な笑い声が格納庫内に響いた。
「ガッハッハ! 信念を持つ者は、簡単には倒れない。ワシの持論だ!」
 兼元だった。
 彼の唐突な持論の表明に、その場にいた皆の頭の上に「?」が浮かぶ。
「わしが問おうと思っていた事も、そこの娘が問い、それにそこの娘が応えた! やはり直接話すると話が早い!」
 モココとルリを見ながら兼元は満足したように、また笑う。

「きみ等の覚悟と信念しかと見届けた。わしは此れより、貴艦を援護する!」

 兼元はそんな宣言をし、また豪快に笑い声を上げるのだった――。


 ――と、言うことらしい。

 球基の代わりに通信に出ているハンフリーの回答に、セレスタはため息を吐いた。
 どうやらLH2の艦長は兼元と意気投合して、まだ艦橋に戻ってきていないらしい。
「宇宙での生活は過酷です、それでも前を向いて行けますか?」
「覚悟は見せたと思うが‥‥それに」
「それに?」
「もし、貴艦らが道を阻んだとしても、精々派手に押し通らせて貰うのみだ」
 その言葉にセレスタは口許に笑みを浮かべる。
 元より上層部からは出発を阻害しないように遠まわしには言われていた。
 軍の動きが早かったのは、強奪行為に対し【迅速な対応をした】と言う見せかけるだけの世間体の問題だけだ。
 結果、強奪を防げなかったと世論に叩かれたとしても、LH2の管理を手放せることは軍にとってプラスになる事だろう。
「それではもはや止めることはできませんね」
「あぁ、我々は一足先に親離れさせてもらう」
「親離れ?」
 そしてハンフリーは口許に笑みを浮かべこう続けた――

 ――さらば。母なる地球よ。と。

 ハンフリーのセリフにセレスタは同様に笑みを浮かべ応える。

「‥‥あなた達の選択が常に最良のものである事を祈っています。Good Luck」
 
 そう。旅に出る者たちへ贈る言葉としては過不足ない言葉だろう。



 せいぜい100人が座れるかどうかの小さな屋外コンサート会場での出来事だった。
 小さなスペースに知らぬ間にカメラが設置され、照明やステージが設営されていくのを偶然通りすがった人々が足を止める。
 そして曲が流れ始めると同時に人々がざわついた。

 ――Valkyrie Rukous.

   この瞳に映る 儚く強き者よ。

 舞台袖からマイクを持って現れたその女は、空に向かって澄んだ歌声を披露する。
「‥‥エイラだ」
 群衆の一人がぽつりと女の名を呼ぶ。
 エイラ・リトヴァグ。
 今となっては北欧でトップアーティストに名を連ねる元傭兵だ。
 白銀の髪を屋外の風になびかせるエイラの姿をカメラはじっと捉えていた。

   旅立つのなら 聞いて欲しい。

   私の思いを――。

 その歌声は別れを。しかし旅立つ者たちへの餞別だとも言うかの様だった。
 ステージの裏にはこの舞台を用意した瑞姫の姿。傍らにはまだ幼い息子の姿も見える。
 このゲリラ的ライブは、宇宙に友を送り出す為にエイラの発案で仕組んだ趣向だった。
 瑞姫がステージを用意し、エイラが歌う。
「無事この歌が届くことを祈るよ――テル」

 ――この魂に刻まれし星となった者達の声を
    恐れを忘れるな 生きる残るためならば
    無駄にはしないで 貴方達は希望なのだから――

 鈴の音の様にか細く、しかし想いの籠ったエイラの歌声。
 それに集まった人々は息をのみ、日の光を照り返し光るエイラの銀髪に目を細める。

 ――抱いてはならぬ思い
   詩として 捧げましょう
   私には 守ることさえ出来ないけれど
   旅立ちを 見送ることは出来る――

 頼れる部下だった桃2への送別の想い。
 そして、自分の代わりに渡した自らのエミタには、彼女の無事と共に闘った想い出を宇宙の果てまで連れて行って欲しい想いもあったかもしれない。

 ――この魂に刻まれし蒼い星の想い
   出会った全てが背中を押しているから
   だから 迷うことはない――

 想いのすべてを歌に込めるエイラの姿を瞳に焼きつけながら、瑞姫は愛すべき息子の手を強く握りしめ、瑞姫は空を見上げ呟く――

 ――また、いつか会おうね‥‥テル。

 見上げた空は気持ちいいくらい蒼く染め上げられていた――



「意外にあっけなく紛れこめましたね」

 そんな感想がフィンの口許からこぼれた。
 軍の動きの早さからLH2への接近はかなり警戒されるものと思っていたのだが‥‥。
「軍内部で何か指示でもあったのかもしれません」
 星嵐はモニタ越しに目の前を飛ぶクノスペへと視線を向ける。
 アルヴァイムは何も口にしないが、どこかこうなる事を予想していたかの風にも見える
 周囲に浮かぶ軍の艦船を通り過ぎてLH2へと向かうが、何のお咎めも――

 ――ないことはないみたいっ!

 フィンからの通信。
 ようやくこちらの動きに気付いたかのように警告を飛ばして来た。
 アルヴァイムがどうするのか反応を伺ったが、どうやらだんまりを決め込むつもりらしい――加速するのが確認できた。
 とはいえ、コンテナには異星人達が乗っている。極端な加速は出来ない。
 どうしたものかと星嵐が考えを巡らせていると、フィンから続いて通信が入る。
「あたしが引きつける」
「一人で‥‥ですか?」
「他にいないじゃないですか。後は任せといてくださ‥‥?」
 そこでフィンの言葉が切れる。
 いや、星嵐も同じく何かに気付いたようだ。
「‥‥歌声? 強制的に通信に割り込んできてる?」

 ――この魂に刻まれし星となった者達の声を。

 ――恐れを忘れるな 生きる残るためならば

 どうやら軍のKVにも同様の歌が流れている様で、動きに戸惑いが見えた。
「この歌声は‥‥もしかして――」



 ――うおおおっ!? エイラ隊長の声でありますよっ!?

「しかもあのKVは妹たちのであります! ま、まったく‥‥見送りはいいって言ったでありますのに‥‥」
 そういう割には嬉しそうに宇宙服を着た桃2は、クノスペと星嵐のリヴァティーを受け入れながら驚きの声を上げる。
 アルヴァイムが駆るクノスペが近付くにつれて、各通信にエイラの声が届き始めたのだ。
 どうやら遠距離間通信の中継機をばらまきながらLH2へと飛んできたらしい。
 クノスペはLH2の上部ハッチからコンテナを投下すると、特にメッセージも残さず飛び去っていく。

 自分のやるべき事はやった。とでも言うように。

 飛び去っていくクノスペを見送りながら、宇宙服を着たルナフィリアは笑みを浮かべていたかもしれない。
 あの人――パパらしい。と。
 そしてフィン機に気がつくとすっと敬礼を投げる。
 その姿をカメラで捉えたフィンはLH2へと通信を開き――

 ――行ってらっしゃい、気をつけて!

 そう告げた。
 二度と会うことはないだろうクルー達。しかし、さよならを言うのは気が引けた。
 だから、精一杯の言葉で『送り出す』。
 そしてそう思っていたのはフィン達だけではなかったらしい――



 ――通信を艦内全体に届くように開け。

 艦橋に戻った球基が狼騎に指示する。
 艦橋にいないクルーに別れを告げたいものが見送りに来ているかも知れないと思ったからだ。
 それに「ほいほい」と応えて狼騎が通信をオープンにすると。
『ルリーっ! 狼騎ーっ! 達者でなーっ』
「お兄ちゃんっ!?」
 慌てて艦橋から外の宇宙へ視線を巡らせると、狼騎の実の兄、紫狼の愛機ダイバードの姿があった。
「うお。まぢでいるっ!?」
『ルリ、暇を見て愚妹ともども二天一流を叩きこんだんだ! 宇宙に行って忘れたとかいうなよ!』
「ざんねーん! ルリちーは艦橋にいないから返事できないよーっ!」
『うお。せっかく見送りに来たってーのに! どこに行ってんだよ!』
「三上さんとこの新店舗準備ーっ!」
 LH2の艦橋に並走するように飛ぶダイバードに向かって狼騎が応えると、「お、そか」と思い出したかのように紫狼が口にした。
「あ、一応この通信とか全部艦内に聞こえる様にしてるから、聞こえてると思うよ!」
『え? まじか? 今の兄妹の会話も筒抜け?』
「うん、恥ずかしいね!」
『ま、まぁいいか。みかみーん! あの店、俺の事務所にするぜーっ! キミの親父さんとみかみんの想いの詰まったあの場所は、おれが受け継いでいくから安心していってこーいっ!』

●さよならは言わない。

 ――あぁ、任せたよ。紫狼さん。

 新・喫茶店「11」。珈琲を落としながらテルは紫狼の言葉に嬉しそうに応えた。

 地球の「11」と似たような調度で設えた喫茶店は、LH2の居住区の片隅にぽつんと建っていた。
 エイラの歌声と各々の別れの言葉が艦内全体に響く中、ルリ、ヨハン、瑠璃、モココ、RENNが思い思いの席に座り昔話などに花を咲かせている。
「モココって言ったっけ? いきなりルリに斬りかかるってどういうつもりだったのさ」
「わ、私は彼女の覚悟を確認したかっただけです!」
「その割には本気だったじゃないか、あれでルリが怪我したらどう責任をとるつもりだったの?」
 ただし、モココとRENNを除いて。である。
 そのやり取りの中心でルリはテルの淹れた珈琲を啜りながらご満悦のようだったが、カップをテーブルに置くと静かに口を開く。
「はい。二人ともそこまで」
 このメンツで一番落ち着いているのがルリと言う絵が、昔だったら全く考えられない事だろう。
「二人ともこの船の事、私の事で怒ってくれてるのは十分わかってるから」
「だって、ちゃんと藍さんにこの事を説明したの?」
 母となって母の気持ちを良く理解できるようになったモココは、それでもルリに言う。
「してないよ。でも、知ってると思う」
「なら――」

 ――どこに居たって、私はママの娘だよ。

 モココの目を見てはっきりと告げるその言葉には、言葉以上に色々な想いが込められているのが見て取れて、モココは次の言葉を飲み込んだ。
「モココ様、あなたの負けですよ」
「藍さんとルリちゃんの事を知ってるならモココさんも分かるんじゃないかな?」
 この親子はとてつもなく似ているのだ。
 一度決めたら絶対に母を。娘を信じ抜くと言うことが。
「藍さんは知ってるよ。だって、この店開くのに色々手を回してくれたの藍さんだし」
 テルがそう付け加えると、ルリはどこか満足そうに笑みを浮かべながらカップを両手で握りしめ口へと運んだ。
「だから、今はこの時間を大切に過ごす事を優先する事をお勧めしますよ」
「そうそう、テルちゃんの珈琲はほんっとに美味しいんだから!」
「当然だろ? たった一人の為に一杯ずつ淹れてるんだから」
「宇宙だとチューブコーヒーしか飲めないからなぁ‥‥」
 そう言いながらカウンターに突っ伏す瑠璃。
「はー、やっぱりテルちゃんの淹れるコーヒーは美味しいや♪」
 そしてカップから漏れ出るアロマを胸一杯に吸い込んでしみじみ呟き、時計へと視線を落とす。
 LH2の亜光速航行に入る予定時間までそれ程猶予は無かった。
「瑠璃ねぇ。そろそろ時間だね」
「あー、あーっ! もうルリちゃん! それ言っちゃう?」
「瑠璃様、時間というものは残酷なものですね」
 さらりと言うヨハンに不満いっぱいの視線を投げかけた後、カウンターから立ち上がり瑠璃はルリへと向き直り抱きしめる。
「行ってらっしゃい。いつか『向こう』で会おうね」
「うん。先に行って待ってるよ」
 そう応えて瑠璃の背中に手をまわす。
 RENNはモココへ視線を投げかけ、握手を求める。
「ボクはこの体が朽ち果てるまで、ここの人たちを守って見せるから――」

 ――モココさんは、家族を守りなさい。

 その言葉と握手にモココは応え笑みを浮かべながら口を開く。
「‥‥運が良ければ、また会いましょう」
 だれも『さよなら』を口にしなかった。口にすると二度と会えないような気がした。
 きっと、テルと瑞姫がその言葉を口にしなかったのは同じ理由からだったのかもしれない。


 クローカは亜光速航行の準備に入ったLH2をじっと見つめていた。
 自らも設計に携わったそれが、無事に彼らを宇宙の果てへと送り届けることを願う。
「桃2。制御装置に問題はないか?」
『「ぽち」は今日も元気いっぱいであります』
 いつもながらの桃2の返事に、口許に笑みを浮かべながら「そうか」と応える。
 LH2が発見されてから早10年。その間クローカ達はLH2が宇宙を駆け銀河の果てを目指す姿を夢に描いていた。
 この船に関わった大勢の人間の夢を乗せ、この地球圏から旅立つのだ。
『外宇宙に最初の一歩を記したシスターズになるでありますよーっ!』
「あぁ、僕も地球の技術で恒星間航行船を作って、一日でも早くきみ達に追いつけるよう努力しよう」
 桃2と言葉を交わしながらもLH2のモニタリングを続けるクローカ。
 特に問題は見られず、亜光速航行に入れそうだ。

「‥‥いい子だ」

 そして、LH2の艦橋に対し秘匿回線にて見送りの言葉を贈る。

 強奪犯諸君、きみ達は我々地球人の「水先案内人」だ。
 さぁ往け、星海の彼方へ。
 いつか人類は、必ずや諸君の拓いた航路を辿るだろう。
 貴船の幸多き船旅を祈る。

 ――Счастливого пути!

 地球から離れ、新たな海へと乗り出した彼らの良き旅路を祈って。


 ルナフィリアがアルヴァイムが投下したコンテナを整理していると、各種資料の中に映像データディスクがある事に気付く。
 訝しげにそれを拾い上げ、自室で再生したのは実に地球を出発して1週間経ってからの事だった。
 同じくコンテナの中にあった問題を異星人や、乗り込んだ研究者たちと取り組んでいた所為でもあったが、ともかくそれだけの時間が経過していた。


 ――これを見る頃には君はもう宇宙へ出ているだろう
   本決定に関して、私は特に止める理由はない
   そも、君は出会った時から自由の人であったしな

   これから征く、君の旅路は多くの困難があるだろう
   だが、君はそれを踏破しきれると信じている
   ま、私が信じるまでもなく、そう踏んだのでこの道を選んだのだろうけど

   なにせ、私の娘
   そして、私が愛情と信頼を抱いた相手でもあるからな

   では、又会おう
   その時にはお互い子孫同士と会うことになるかもしれんが
   それもまた、宇宙的な風情だろう――


 相変わらず感情の薄い声で。
 相変わらずの表情が読み取れない顔で。
 しかし、精一杯の想いをこめたメッセージだった。

「あぁ、いつかまた会おう――」

 ――パパ。

 血の繋がらぬ、いつも不器用な父へそう応えた時、彼女はどこか優しげに微笑んでいる様に見えた――。



 厨房の奥で色々と準備をしていると、カウベルの音が耳に届いた
 ボクの店に初めてのお客さんが来たらしい。
「はいはーい。いらっしゃいませー!」
 そんなてきとーな感じで店のカウンターに出ると、一人の青年が立っていた。
 ボクの姿を見て、どこか驚いたような――ってうるさい。どうせ子供が店で何してる。とかそんな処でも思ったのだろう。
「ボクがこの店の店主だよ? 文句はとりあえず注文してからにしてね」
 青年はボクの言葉の何が面白かったのか、くすりと笑ったように見えた。
 ボクはいよいよむかっとしてくる。
 おっし、それならとっておきの珈琲をのませてやるぜ!
「特に飲みたいのが無くて、嫌いなものがなければ任せてもらえる? 気に入らなかったらお金貰わないから」
 青年はこくこくと二度頷き、カウンターのスツールに座った。
 どこかで見た事ある様な‥‥まぁ、いいか。
 思考を切り替えてボクは珈琲をを落とす。もちろん濃いめにだ。
 瑞姫に作ってもらった銀の匙に角砂糖を乗せて待っていると、店内に珈琲の香りが満ちていく。
 青年はボクの動きをじっと見ながら、どこか楽しそうにしていた。
「この珈琲の名前知ってるかい?」
 青年はもちろん。とでも言いたげに大きく頷く。

 ――カフェ・ロワイヤル。

 青年のその声に。
 その、仕草に。
 ボクは目を見開いた。

 既に珈琲は落ち切っている。
 それでも、見開かれたボクの目はじっと青年の事を見つめていた。
「そう、か。そうなんだね、キミ‥‥」
 今度は青年の方が目を見開く番だった。
 まさか気付かれると思っていなかったのかもしれない。
 それほどまで彼の外見は変わっていた。確かに微かな面影が残っているくらいだ。
 それならば、ボクはこの言葉で迎えなければいけないだろう。

「‥‥待ち切れなくて探しに出ちゃったじゃないか」

 とりあえず。カウンターを越えて彼に抱きついておく事にした――。

 ――おかえり。

 青年はその言葉に「ただいま」と、それだけ言って柔らかく笑うのだった。
 どこで何をしていたのかは、これからゆっくり聞く事にしよう。