●リプレイ本文
「そりゃあもう、来る日も来る日も数字や計算式との取っ組み合いさ」
「それはそうだろーねェー」
ロケット発射台の組み立て作業と計測機器のチェックに余念がないロバートは冗談めかせて笑う。近くで話を聞いていた獄門・Y・グナイゼナウ(
ga1166)は、大きくうなずいた。獄門の目は、作業を進めていくロバートや他の2人の様子に釘付けだ。
「重心や圧力の中心計算、慣性係数に空力減衰モーメント係数、etc、etc」
「ロバート、夜中にあまりにもうなされてるものだから起こしてやったら、数式の海におぼれて窒息するとか言ってたことあったよな」
「あのときはさすがに、自分でも気が狂ったのかと思ったよ」
あたりに笑い声が響いた。
雲ひとつ無い晴天だった。この場についてから早速作業を始めたのだが、やることが膨大で打ち上げにはまだまだ時間がかかりそうだ。陽はとっくに落ち、あたりはすっかり暗くなっている。この分では、夜を徹しての作業になりそうだった。
「そろそろ一息入れてはどうだい。ずっと作業しっぱなしで疲れてるだろ」
エルガ・グラハム(
ga4953)が、カップにいれたコーヒーを持ち上げてみせる。
「それとも、テンション上がりすぎてて、疲れも感じないか?」
また、笑い声が上がる。エルガからコーヒーを受け取ると、口々に礼を言った。エルガは少し離れたところで休憩をとっていたレールズ(
ga5293)とラシード・アル・ラハル(
ga6190)も呼び寄せる。
「みんな、テンション高いですね。獄門さんなんか、目が輝いてますよ」
「当然だよレールズ君! やはり宇宙というのは、科学を志す者にとっては到達点の1つだからねェー」
「科学者じゃなくたってそうさ。あんたの目だって輝いてるぜ、レールズ」
「ははは、そりゃ俺だって好きですから。やっぱり空や宇宙にはロマンがありますよ」
「同感だ」
ラシードは口数こそ少なかったが、皆と同じように興味はつきないようだった。徐々に組み上がってきた発射台や、いまだ開けられていない木箱には目をひかれている。
用途のわからない機器が雑多に広げられている中、ラシードにも用途のわかるものを見つけた。
「これは、ビデオカメラ?」
「ん? ああ、そう。打ち上げの様子を撮るのさ。いくらデータを並べたところで、やっぱり映像のインパクトには敵わないからね」
「みんなに、見せるの?」
「ああ。テレビ局に持ち込んで、世界中の人々に見てもらいたいんだ」
「どうして、今、こんな実験を? キメラに、襲われるかもしれないのに」
「そうだなぁ」
ロバートはどう話そうか、言葉を探しているようだった。
「こんな言葉を知ってるかい? 『人はパンのみにて生くるにあらず』」
「え?」
「夢や希望ってのは、人生の原動力なんだよ。今日をどうやって生きるかだけを考えるより、明日やりたいことがあるから今日を一所懸命に生きるって方が張り合いがあるだろう?」
ラシードはそう言われても、いまいちピンとこなかった。要領を得ない様子で首をかしげる。
ロバートは苦笑して、手招きをする。
「例えばそうだな。これを見てくれ」
近くにいる者を呼び寄せて、ロバートは木箱を開いた。
ロケットだった。緩衝剤に包まれ、あたりを照らす照明を鈍く反射している。長さはおよそ2メートル強、直径は20センチにも満たない。同じような大きさの木箱が後2つあるところを見ると、どうやら3段式ロケットのようだ。
皆の口から、一様にため息のようなものが漏れた。
ラシードの目にも、光が灯る。
「こいつで、宇宙へ行くんだ。どうだい? わくわくしてこないか?」
「うん」
「その感覚だよ。それが生きていくのに必要なんだ」
ラシードにもなんとなくわかる気がした。確かに、こんな気持ちを感じられるなら、もう少し人生に楽しみを見つけることができるかもしれない。
「ロバート氏! ロバート氏! ちょっと質問いいかね!?」
「ああ、かまわないよ」
「見たところ3段式ロケットのようだが、どうして単段式を選ばなかったのかね? コストの面でも重量の面でも切り離し装置の制御と設置の技術面でも、リスクは高いと思うんだが?」
「なぜって、そりゃあ」
ロバートはにやりと笑う。子供のような笑顔だ。
「その方が、かっこいいだろう!?」
予想だにしていなかった回答に、獄門はぽかんと口を開ける。そして次の瞬間には、大きな笑いをはじけさせていた。
「あはははは! 実にシンプルな応えだねェー!」
「実のところ、単段式のロケットはこれまでに何度も打ち上げてるのさ。成功も失敗も含めて、それこそ無数にね。だから今度は、新しいことに挑戦したかったんだよ」
「挑戦! 良い響きだねェー! ついでにもうひとつ。今回使う燃料は?」
「コンポジット推進剤、固形燃料さ。液体燃料はデリケートすぎるから、極力使いたくないんだ。それにエンジンを作るにも高価だし、制御も難しいからね」
「なるほどなるほど。それじゃあ次は」
「すまないが、作業を再開してもいいかい。インタビューなら終わった後にいくらでも受けるからさ」
「おお、これはすまない。我々のことは気にしないでどんどん進めてくれたまェー」
「北方面は今のところ異常なし、っと」
誰に言うでもなく、赤村咲(
ga1042)はひとりごちる。
近くで同じように周囲へ鋭い視線を飛ばしている増田大五郎(
ga6752)は、特に反応を示すこともなく索敵を続けている。
「あちらは楽しそうですね」
照明の灯る方をちらりと見て、赤村がつぶやいた。
にぎやかな話し声に混じって笑い声まで聞こえてくる。遮るものが何もないから、ここにもよく届くのだ。
実際、警護するには楽な場所だった。ほとんど砂漠に近い荒野で植物の姿もなく、巨大な岩が転がっているわけでもない。多少の凹凸と膝よりも低い岩があるくらいで、身を隠すところはまったくない。たとえ体の小さなキメラといえど、気づかれずに接近するのは至難の業だろう。
この場に到着してからすでに8時間以上が経過している。にもかかわらず、キメラはいまだ現れていない。少しばかり気がゆるんでも仕方のないところだろう。
「赤村さんは、宇宙に興味があるんですか」
増田が唐突に口を開く。これまでほとんど会話らしい会話がなかったものだから、赤村は反応が少し遅れてしまった。
「そうですね。最近はあまり考えてなかったですけど、まぁ考える余裕もあまりありませんでしたが。でも、バグアが来る前までは、時々考えてましたね。宇宙から地球を見たらどんな姿なんだろう、とか」
設備を整えているところから離れすぎないよう注意しながら、円を描くように巡回する。
夜空には数え切れないくらいの星々が輝いている。月と、そして遊星も浮かんでおり、暗さはあまり気にならなかった。
「でも、僕等の年代なら、だいたいみんなそうなんじゃないですか。TVや新聞では時々そういうニュースもありましたし。映画や小説や漫画なんかにも、そういうのはたくさんありましたしね」
「確かに、そうでした。もうすっかり、遠い昔の話になってしまいましたね」
「そうですね」
2人の口から、思わずため息が出ていた。
「うーん。キメラ、こないね」
麓みゆり(
ga2049)は暗視スコープをつけた目で、ぐるりと周囲を見回す。
「そうですね」
気のない返事だ。神無戒路(
ga6003)はまったく同じ調子で、これまでに何度も繰り返した言葉をまた口に出す。
「来ないなら、それにこしたことはありません」
「そうだねー」
口では同意を示しつつも、麓はどこかしらつまらなさそうだ。戦いたいというより、ヒマをもてあましている様子だ。発射台の設営地から聞こえてくる和気藹々とした話し声も、その気持ちに拍車をかけているのだろう。
「このあたりは、キメラが少ないのかもしれませんね。人類側にもバグア側にも拠点らしいものもありませんし」
キメラとて生き物なのだから、この環境で生きていくのは難しいだろう。地図上では競合地域の扱いになっているが、どちらかというと緩衝地帯という意味合いの方が強いのかもしれない。
「来ました」
神無が南東の方角を指差す。麓が暗視スコープで目をこらすと、確かにキメラだった。四足獣型が3匹ほど。体つきは大きくなく、戦闘能力もそれほど高くはなさそうだ。
無線機を取り出すと、あまり緊張感のない声で報告する。
「みんな、キメラが来たよ。南東の方角から犬みたいなのが3匹」
『了解。援護はいりますか?』
「大丈夫だと思う。危なそうだったらお願いするね」
『了解』
「さてと。それじゃ、お仕事だね」
2人は互いに武器を構えたのを確認してから、キメラの方へと移動を開始した。
夜が明けた。あたりはすっかり明るくなっており、ずいぶん前から照明は必要なくなっていた。もう間もなく、東の地平から太陽が姿を現すだろう。
打ち上げの準備はほぼ整っていた。今は計測機器の最終チェックを行っているが、それももう終わる。
発射台に寄り添うように、ロケットが屹立している。空へまっすぐ向かって、飛び立つのを今か今かと待っているようだ。
全高約6メートル強。ロケットの先端、ノーズコーンには、ロバートともう2人の名前が書き入れられていた。
「チェック完了! 全て異常なし!」
打ち上げの準備を行っていた3人が、ロケットの元へと集まる。1人はビデオカメラを手に持って、撮影を始めた。カメラを向けられたロバートは、咳払いを1つしてからゆっくりと語り始めた。
「始めましてみなさん。私はロバート・E・モリスン。今回のプロジェクトをまとめるリーダーです」
どうやら何度か練習していたらしい。話し方によどみがなかった。
能力者たちは、少し離れた位置でその様子を見守っていた。これまでの警護と同じく2人1組になって、それぞれ四方に配置している。ただ、風下に当たる方角は少し間隔が開いていた。コンポジット推進薬が燃焼する際に有毒ガスが発生すると、ロバートから事前に注意を受けていたのだ。
夜半に麓と神無がキメラを撃退してから夜が明けるまでに2度、キメラが現れた。そのどちらの襲撃も規模は小さく、問題なく撃退できていた。この様子では、まだ襲ってくるキメラがいると考えておいた方が良いだろう。砂漠地域でキメラの密度が薄いとはいえ夜中にあれだけわかりやすい目標があったのだから、周辺から集まってくる可能性も高い。
「もし、我々の計算通りに進めば、点火から約150秒前後で、高度100キロメートルに達するでしょう」
ロバートは空を振り仰ぐ。雲ひとつ無い青空が広がっている。だが、ロバートはその空を見ていないだろう。さらにその先の世界が見えているに違いない。
「そこはまさしく大気の外側、宇宙空間。我々人類が目指す新世界、果て無きフロンティアの入り口なのです」
ロバートは言葉を切る。カメラはロバートから離れ、空を撮す。
ファインダーの向こうには、太陽の光の中にあってさえその姿を誇示する遊星があった。
「確かに人類が宇宙へ進出するには、数多くの困難と試練が待ち受けています。しかし我々は、それらを打ち砕き、その先へ進むことができるはずです。今日はその一歩を踏み出す記念すべき日になるでしょう」
ロバートが話し終えると3人はロケットの元を離れ、設置されている計器の元へと移動した。カメラはロケットに固定される。
「能力者のみなさん、周辺の状況はどうですか?」
それぞれの方角から異常なしの声があがる。
ロバートは確認して大きくうなずいた。
「では、これより打ち上げの実験を始めます! みなさん、よろしくお願いします!」
拍手と歓声が沸き起こる。
3人はもう一度計器のチェックを行い、問題がないことを確認する。
後は、エンジン点火のスイッチを押すだけだった。
「さすがに、ドキドキするな」
「ロケットを打ち上げる前は、いつもこうだよな」
「何度経験しても、たまらないよこの瞬間は」
笑いあっていた3人の顔が引き締まる。1つのスイッチに、3人の指がかかった。
いよいよのようだ。能力者たちの間にも、見る間に緊張感がみなぎっていく。
「周辺状況の安全確認!」
「チェック!」
「低空に飛行物体なし!」
「チェック!」
「発射準備完了!」
「秒読み開始!」
「5!」
誰かが固唾を飲み込んだ。
「4!」
体の中の音がやけに大きく聞こえる。
「3!」
外の音がほとんど聞こえなくなる。
「2!」
今この瞬間、ロケットとその周囲だけが世界の全てだった。
「1!」
「点火!!」
閃光。
稲妻のような光の筋が目の前に出現した。
垂直に、まっすぐ、空へ向かって。
音速を超えて飛び立ったロケットは、瞬時に視界から消え去った。
目で追うことすらかなわず、見上げた空にはその軌跡しか残っていない。
直後に、音が襲った。
周囲にある空気が全て破裂したかのような音。
発生した衝撃波が髪や服を激しくはためかせ、砂埃を跳ね上げた。
誰も声を上げようとしなかった。
ただ、行方を見つめている。
能力者たちが、ロバートの周囲に集まりだした。
守るべきロケットもすでに空の彼方だ。広い範囲を防衛する必要もなくなった。
データの記録などは、ほとんど自動で行われているらしい。
ロバートやその仲間たちは、計器をじっと見つめ続けている。
そうして、約150秒後。
計器の1つが大きな音を立てた。
ロケットのノーズコーンに納められた高度計から信号を受信したのだ。
到達高度が100キロメートルを越えた、と。
「あれ? おかしいな」
ロバートが不思議そうな声を上げたのは、全員で喜びを分かち合ってしばらくしてからのことだった。
高度計からの信号が途絶えたらしい。
「電池はもうしばらく保つはずなんだが」
ロバートは計器の操作をくり返すが、信号が戻ってくることはなかった。
「ヘルメットワーム、ですね」
「来るだろうとは思っていたけど、想像以上に早かったですね」
神無の指摘にレールズがうなずく。
もっと大型の、ミサイルといった兵器類であれば、速攻で撃墜されていたかも知れないが、今回は無害なロケットということ感知したのか、多少見逃してくれたのかも知れない。
「ロバートさん、撤収作業を急いでください」
「え? いや、もう少しデータの整理をしておきたいんだが」
「それは後にしてください。そうでなければ生きて帰れませんよ」
8人の能力者たちの厳しい顔つきで、事態を飲み込んだようだ。それ以上の異論を挟むことはなかった。
「ぐあー、このタイミングで来るのかよ!」
エルガが罵り声を上げる。
周囲をぐるりと取り囲むように、キメラの群れが現れたのだ。
「離脱優先で行きますよ!」
「了解!」
「いつか、僕らも宇宙へ、行けるのかな?」
別れ際、ラシードの問にロバートは笑ってこう言った。
「希望は、自分でかなえるものだよ!」