●リプレイ本文
「はい、そこまで」
男がぎょっとした顔で振り向く。
その向こうで、ティーダ(
ga7172)が小さなため息をついていた。
「な、なんだよあんたらは!?」
「いや、すいませんね。私たち、今ちょっと捜し物をしていましてね」
綾野断真(
ga6621)が人懐っこい笑みを顔に貼り付けて、2人に近づいていく。
その後ろから、リネット・ハウンド(
ga4637)と旭(
ga6764)も姿を見せる。
「ほら、ご存じないですか。ここいらで最近噂になってる例のアレ」
通りに面した小さなアパートの一室だった。うろたえる男を追いつめるように4人の傭兵が取り囲む。ティーダは窓を、旭は隣の部屋に通じるドアを、そしてリネットは部屋の外へ通じるドアを、それぞれふさぐ位置にさりげなく移動していく。
「ま、まさか俺が犯人だとか」
「いやいや。もしもそうだとしたら、こんな穏便には進めてませんよ?」
旭が腰の刀に手を添えると、鞘と金具が揺れて金属質な音を立てた。
男の顔が幾分か青ざめているように見える。
「ただ、ね。私たちもあまり事を大っぴらにはしたくないんですよ。少しの間でかまいませんから、このことは秘密にしておいてもらえませんか。そうですね、最低1週間、できれば解決するまで」
「いや、それは」
「もちろん、タダとは言いませんよ」
綾野が懐に手を入れると、男はぎくりとしたように後じさる。
「わ、わかった! 誰にも言わない、約束する!」
「そんなにおびえないでくださいよ。手荒なマネをするつもりはないんですから」
綾野は懐から出した手を、男の手に握らせる。握り込まされた物の感触に、男はだらしなく相好を崩した。
「へ、へへ、そういうことなら、まぁ」
「助かりますよ。噂になるようだったら、ちょっと困りますからね、私たちも」
それまで貼り付けていた笑顔をひっこめて、綾野がすっと目を細める。
「もちろん、あなたもね」
男は表情を凍り付かせて、頭をがくがくと上下に揺さぶるようにして何度もうなずく。
再び綾野はにこりと微笑む。
「では、お気をつけて」
リネットが体をずらしてドアをひらくと、男ははじかれるようにして飛び出していく。男が建物から出て行くのを確認してから、リネットはゆっくりとドアを閉めた。
笑いをかみ殺すような声が聞こえる。見ると、旭が肩をふるわせていた。
「ずいぶん板に付いてきましたよね、綾野さん」
「そんな風にほめられたって、ちっとも嬉しくないですよ。小悪党になったみたいで自己嫌悪に陥りそうです」
綾野は大きくため息をついた。
「今ので13人目ですか。こんな調子じゃ、口止め料も馬鹿になりませんね」
時計を確認すると、午前3時を大きく回っていた。窓の外に視線を投げかけてみる。さすがに人通りは少なくなっていた。
「もう少し、続けてみましょうか。夜明けまでもうしばらくありますし」
ティーダに視線を戻すと、大きなため息をついているところだった。どうやら聞いていなかったらしい。
「どうしました。疲れましたか?」
「え? え、ええ、ちょっと。い、いえ、そんなには」
「疲れていないはずがないですよ。ごめんなさい、ティーダさん。嫌な役を押しつけて」
「い、いえ、そんなことは」
リネットがすまなさそうにするのをティーダはあわてて押しとどめる。
とはいえ、疲れているのは事実だった。囮捜査を始めてしばらくは、ティーダ自身もいくらか楽しんでいる部分はあった。苦労して演技せずとも、それなりの格好をして黙って立っていればいくらでも引っかかってくるのだから。しかしそれも最初の数人までだった。結果的にとはいえ、騙している形になることに罪悪感を覚えるようになった。その上、男の粘りつくような視線に抵抗を感じるようになってしまった。それを表に出さないようにすると、今度は無表情になりすぎて夜の女の雰囲気を損ねることになってしまう。
「それにしても、男っていうのはどうしてこう、アレなんでしょうね」
リネットはこれみよがしにため息をついてみせる。視線の先には、綾野と旭。男にとってはどうにも居心地の悪い空気になってきた。
「そこで私たちを見られても。ねぇ、旭さん」
「え? え、ええ、そうですね」
「でも、そうですね。リネットさん、いかがです? お疲れのティーダさんと、役を交代してみるのは」
「え、ええ!?」
「ひょっとしたら、男の気持ちが少しはわかるかもしれませんよ」
「む、無理ですよ! 私みたいなのが囮役なんて! 男よりも大きな女なんて見向きもされない」
「そんなことはないですよ、リネットさんなら。ねぇ、旭さん?」
「え!? そ、それは、その」
先ほどの仕返しのつもりなのだろうか。綾野の笑みが、意地の悪いもののように見えてしまう。リネットとティーダの視線も妙な雰囲気で、適当に言いつくろうのも後が怖いことになりそうだ。
「え、えぇと。そ、そうだ! A班の方はどうなってるんでしょうね! ちょっと、無線で聞いてみますね!」
旭はあわてた様子で無線機を取り出し、3人に背を向けてしまう。
その背中に三者三様の視線が突き刺さっているのを感じて、旭は泣きたくなる気持ちを必死にこらえていた。
翌日の昼過ぎ。警察庁舎にほど近い食堂で、傭兵たちが遅い昼食をとっていた。ピークタイムを過ぎているとはいえ、食堂の中はかなりにぎわっている。それだけ、この街には人が多いということなのだろう。
「オトリを泳がせて引っかかるのを待ってるだけっていうのも、なんだかめんどくさいなァ」
皿の上のにんじんをフォークでつつき回しながら、煉威(
ga7589)がボヤく。昨夜の捜査では、成果らしい成果が上がらなかったのだ。
「こればっかりは、待つしか方法がないでしょう?」
クラリッサ・メディスン(
ga0853)が、ゆっくりと言葉を選ぶ。煉威にというよりは、自分に言い聞かせているかのようだ。
「犯人だって毎日犯行に及んでいるわけではないのだし。数週間で4人ということは、1週間に1回ないしは2回と言ったところでしょう。当然、空振りの日があることは理解しておくべきだわ」
「もっとこう、パパッと解決できる方法なんてのはないもんかなァ」
「そんなものがあったら、俺たちが出るまでもなく解決しているだろうに」
榊兵衛(
ga0388)があきれた様子で、行儀が悪いと煉威の手をたしなめる。
「そりゃまぁ、そうなんだけどさァ」
煉威はもてあそんでいたにんじんを、口の中に放り込んだ。
「いや、煉威さんの言うことにも一理あると思います」
それまで黙っていた綾野が、コーヒーカップを置いて口を開いた。
「昨日と同じようにやっていては、あまりにも効率が悪いですからね。2班で調べられたのは、30人前後と言ったところですし」
「この街にいる人の数を考えると、確かにそうですね」
「犯人かどうか判断するためとはいえ、いちいち部屋までひっぱりこんでいては、いくら時間があっても足りないですね」
石動小夜子(
ga0121)とリネットがうなずく。
「もう少し感覚に頼って判断してもいいんじゃないですか。殺気、って言うんですかね。そういうことをする人は、雰囲気みたいなものがあると思うんです」
「いいねェそれ、能力者っぽくて。やっぱ持ってるスキルは有効活用しなくちゃな。地道な捜査は警察とかに任せときゃいいんだよなァ」
旭の提案に、煉威が同調する。異論をはさむものはいなかった。
「それなら路上で判断できますし、効率はかなり上がりますね」
「相手がキメラだとしたら、逆にそのほうがいいかもしれません。気配を探るのであれば、囮役以外の人もできますし」
「だったら、そもそも囮なんて必要ないのではないかしら」
「いや、やはりそれは必要でしょう。被害者の共通点でもありますし。それにまだ、キメラと決まったわけじゃありませんから」
「そうですね。被害者の方の遺体の写真を見せてもらったのですけど、傷口が綺麗すぎるんです。手術とか解剖したみたいな感じで。キメラにこんなことができるとは思いにくいですね」
「でも、唾液の件も気になる」
「そこなんですよね」
結局、これ以上の議論は堂々巡りに陥りそうだということで、早々に打ち切ることになった。その後は夜までまだ時間があることから、自由行動とされた。
「ごめんなさいね、また今度」
クラリッサがそう言ってにっこり微笑むと、男は残念そうに離れていった。
時間は夜の1時過ぎ。クラリッサたちが街角に立つのを始めてから、すでに3時間が経過していた。
その間ずっと周囲に気を配っていたが、それらしい感覚をつかむことはなかった。もちろん声をかけてくる男の中にもいなかったし、キメラが現れるようなこともなかった。
クラリッサは、街灯の支柱にもたれて小さくため息をついた。
「今夜も空振りかなァ」
「ひゃっ!?」
もう少しで飛び跳ねるところだった。
煉威が支柱を挟んで同じようにもたれかかっていた。視界には入っていたはずなのだが、まったく気づかなかった。周囲には気を配っていたのにと不安になってしまう。
「隠密潜行のスキルだよ。そんな気にしなくてもいーって」
「そ、そう」
「にしてもクラリー、意外とかわいい声出すなァ。ひゃっ、だって」
煉威はこらえきれずに含み笑いを漏らした。
クラリッサは怒りや恥ずかしさを覚えるよりも、緊張感のなさにあきれてしまう。
「こんなところで油を売るより、他にすることがあるんじゃなくて?」
「だーいじょーぶ、やることやってるからさ。ほら、そんなことよりお客さんだよ」
近づいてきた男も、普通の男だった。クラリッサはいつも通り、やんわりとあしらう。
こんな調子で本当に大丈夫なのだろうか。まだ始めて2日目とはいえ、こう何もないと不安が頭をもたげてくる。この街にしてもそうだ。連続殺人が起きているというのに、人出の衰える気配が全くない。単純に人口密度が増えたからなのか。あるいは戦時下だから、死に対する感覚が鈍くなっているのかもしれない。
それにしてもこの活気のありようには一種の異様さを感じてしまう。活気と言うよりも熱気だろうか。密閉された空間の中にこもっているようだ。
ふと、異様な感覚に襲われた。周囲の温度が3度ほど下がったような、首筋があわ立つ感覚。
「気づいてます?」
周りの人間には聞こえない程度にささやく。
煉威もこの空気を敏感に感じ取っていた。
「ああ。なんかヤベェのが来た感じだ。ビンゴってやつかな。俺は少し離れておくぜ」
クラリッサは夜の女の顔を崩さず、注意深く周囲に視線を飛ばす。
「かかったようだな」
「え?」
「気づかないか? 空気が変わったのを」
「そういえば」
通りを1本隔てた位置に、榊と石動が立っていた。クラリッサの位置からは見えにくいよう建物に半ば身を隠して、とりとめもない話に花を咲かせる風を装っている。
「旭さんたちに連絡を入れます」
「ああ、頼む」
榊は通りに視線を飛ばす。気配の元はすぐに見つかった。周りの人間は気づいていないのだろう。人混みに紛れるようにして、静かに歩いている。錆び付いた鉈のような男だった。訓練された者が放つ洗練された気配ではなく、澱が溜まって濁ったヘドロのような空気だ。
男は人の波に押されるでもなく、まっすぐ歩いていく。クラリッサの前にさしかかると、その足を止めた。
何か言葉を交わしているようだが、ここからでは聞こえない。やがて話がまとまったのか、クラリッサと2人で歩き出した。
「行くぞ」
「はい」
見失わないように2人を追うのは苦労した。近づきすぎて男に気づかれると台無しだし、かといって離れすぎると今度は人混みに紛れてしまう。適正な距離を保ちつつ、人の波をかき分けるのは骨が折れる作業だった。
2人は人気のない方へ歩いていく。闇の深い路地へ吸い込まれていった。人の多いこの街にこんな場所があったとは、こんなことでもなければ気づかなかっただろう。
2人が路地の入り口にたどり着いたところで、乾いた破裂音が響いた。
「銃声!?」
続けて2度。
榊と石動は、武器を構えると躊躇無く路地に飛び込んだ。
その目に飛び込んできたのは、銃を路地の奥に向ける煉威とその横に立つクラリッサだった。特に被害はないようだ。
路地の奥は行き止まりになっているらしく、さらに深い闇が溜まっていた。その闇の中、男が壁に背を預けて座り込んでいた。荒い息とともにうめき声が聞こえてくる。かすかに血の臭いが漂っていた。
「撃ったのか」
「肩だよ。ナイフみたいなの取り出したから。あと、逃げられないように太股あたり」
少なくとも、命に別状はないようだ。その様子を確認した石動は、無線機を取り出して警察に連絡を入れる。榊は油断無く槍を構えて、男に近づいていった。命に別状はないだろうが、止血くらいはしておいた方がいいだろう。
しかしそんな状況であってさえ、男は憎悪の目を向けてくる。
「お前がやったのか?」
「黙れバグアめ」
男が何を言っているのか理解できなかった。どうやら自分たちに言ったらしいと気づくのに、数秒かかった。
「お前たちが殺したんだ。俺の妻も、息子も! ジャック、ああ、かわいい俺のジャック! まだ2才だったのに! メアリーのお腹には2人目の子供もいた! なのにみんな」
男の声が次第に聞き取りづらくなっていく。口の中でぶつぶつとつぶやいては、罵りの声をあげてかき消していく。
その頃には、B班の能力者たちもこの場に到着していた。何があったのか、状況を説明する。
「バグアはみんな殺してやる! 奴らは人間にとりつくらしいからな。腹を裂いて引きずり出してやったんだ」
引きつったような笑いが漏れ出す。暗くて表情はよく見えないが、少なくとも男の目には誰も映っていないようだった。
含み笑いしていた男の喉が詰まる。何かがこみ上げてきたらしく、次の瞬間には地面に吐瀉物の花が咲いていた。暗い路地にすえた臭いが充満する。
どうしたものかと考えあぐねていると、背後から低いうなり声が聞こえてきた。薄汚れた数匹の犬が、歯をむき出しにして威嚇している。
「キメラ、いや、野犬か?」
「血の臭いにひかれたか」
よほど飢えているのか、逃げるそぶりも見せない。
榊は舌打ちして武器を構え直す。
「仕方ない。やるぞ」
キメラでもない相手に戦うのは気が引けたが、他にどうしようもなさそうだった。
戦闘が終わった頃には警察もこの場に到着しており、男の身柄を確保していた。応急手当を受けた男が車に乗せられて搬送されていく。
「あの男がああなっちまったのも、バグアのせいだってのか。クソッ、なんだか、やりきれねェな」
煉威のため息が、皆の気持ちを代弁していた。
矮星の浮かぶ夜は、まだまだ終わりそうにない。