●リプレイ本文
「よしっと、だいたいこんなもんかな」
設営の終わったテントを見ながら、蓮沼千影(
ga4090)が手についた泥をはたいて落とす。
「それじゃ、携帯していくもの以外はここに置いていくとして」
まひる(
ga9244)はそう言いながら、魔法瓶タイプの水筒をテントの真ん中に置いた。
「コーヒー入ってるからさ、疲れたときにでもテキトーに飲んじゃって」
「お、サンキュー。ああ、しまったな。どうせなら俺も、酒とか持ってくればよかった」
考え込むような仕草で蓮沼がつぶやく。
それを聞いていた御山アキラ(
ga0532)が、ぼそりと言い捨てる。
「不謹慎な」
「おいおい、酷いな。気付け用の酒に決まってるじゃないか。いくら俺でも、さすがにこの状況で飲もうだなんて思わないぜ」
「ああ、なるほど。すまなかった」
まるで感情のこもらない声で言うものだから、まったくすまなさそうには聞こえない。
「とか言いつつ」
一瞬険悪な雰囲気になりかけた空気を吹き飛ばすように、クリア・サーレク(
ga4864)が無邪気な笑みを浮かべて話をつなげる。
「余ったら飲もうとか、ちらっと思ってたでしょ」
「クリアちゃーん。そういうのはさ、わかってても言わないのが優しさってもんだぜ?」
蓮沼のおどけてみせる様子で、空気がふっとゆるむ。
「それじゃあ、捜索、始めよっか。気を引き締めていこう」
まひるの号令で、皆がそれぞれに行動を開始した。
テント内の荷物を整理するクリアを見ながら、蓮沼は無線機を取り出して状況の報告を始める。
「捜索本部、聞こえるか。こちら捜索隊の蓮沼だ」
『こちら本部。感度は良好です』
「ベースキャンプの設営が完了した。これより3班に分かれて捜索を開始する」
『了解』
「要救助者に関して、新しい情報はあるか?」
『今のところ新しい情報はありません』
「了解だ。以上」
通信を終えるのを待っていたクリアが、蓮沼に双眼鏡を差し出す。
「ボクたちも始めよ」
「そうだな。早く見つけてやんねーとな」
「うん」
2人はそれぞれの双眼鏡に目を当てて、山に向ける。
風に揺られた木々が、重いざわめきの音を立てた。
「これはすごい」
山の中腹、丁度谷間になっているあたりの少し視界が開けたところで、カルマ・シュタット(
ga6302)が感嘆のような驚愕のような奇妙な声を上げた。
「うわ」
近くに寄ってきたまひるが、似たような声を漏らす。その隣に並んだ西島百白(
ga2123)は、黙ったまま厳しい目をその先に向けた。
地滑りの起きた現場だった。山肌が大きくえぐられ、赤茶けた土と黄土色の砂や粘土、大小の岩が露出して混沌の様相を呈している。
「なんか、グロいね」
まひるの言葉に2人がうなずく。
肉が爆ぜて傷をさらしているようにも見える。そこかしこから流れ出し、至る所で枝分かれし合流しつつ流れていく泥水は血のようだ。下流の方には、大量の土砂が天然のダムさながらに堆積しているのが見えた。しかし実際には、ダムと言えるほどの強固さはなさそうだ。何かのきっかけがあれば、今にも土石流となって崩落してしまいかねない。
大量の土砂が濁流に変わる様子を想像して、思わず身震いした。
「にしても、どこにいるんでしょうね。早く見つけてあげないと」
「うん」
その場を離れようとしたときだった。
ゆらり、と体がゆれた。一瞬、足を踏み外したのかと思ったが、そうではないことはすぐにわかった。
「じ、地震!?」
まひるが悲鳴のような声を上げる。
「まずいぞ! 木につかまれ!」
西島が叱りつけるように叫ぶ。まひるとカルマは、1も2もなくそれに従って手近な木にしがみついた。
耳の奥から腹の底にかけて、重い音が響く。
揺れはそう長くは続かなかった。
「おさまったようですね」
カルマのつぶやきに、西島がうなずく。
「あぁ、びっくりした」
「余震ですかね、今の」
落ち着いてみれば、それほど大きな揺れではなかったように思う。おそらく、震度は2から3と言ったところだろう。しかし状況が状況だけに、肝を冷やすには十分すぎるほどだった。
がらがらと石や岩の転がり落ちる音が聞こえる。今の余震で、また土砂がはがれたのだろう。
3人のいるところが崩れなかったのは、幸運としか言いようがなかった。
「早くここを離れた方が良いよね」
「そうですね、早く行きましょう」
まひるとカルマがうなずき合う横で、西島は谷間の方を見ていた。その目が次第に厳しいものとなっていく。
どうしたと聞くまでもなく、西島は土砂の溜まった下流の方を指差した。
ダムのように溜まっていた土砂の様子が、先ほどと少し変わっているように見えた。余震の影響なのだろう。だが、そんなことのために指し示したのではなかった。
先ほどまでなかったものが、そこにあった。
遠目だが、見間違えようもない。
人の手が、土砂の中から突き出ていた。
「そんな」
「クソッ!」
切断されたのでなければ、全身がその下に埋まっているはずだ。先ほどまで出ていなかったのだから、今までずっと埋まっていたのだと考えるのが自然だ。ということはつまり、あの手の持ち主が生きている可能性はほとんど無いということだ。
「とりあえず、みんなに連絡しないと」
ショックを隠しきれない様子で、まひるが無線機を取り出した。
「こちらA班のまひる。C班、応答して」
『こちらC班のクリアだよ。何か見つかった?』
「要救助者を1名発見したわ。ただ」
『ただ?』
「土砂に埋まった状態だったわ。生存の可能性は、絶望的よ」
無線機の奥から、クリアと蓮沼の息を呑む声が聞こえてきた。B班もこの通信を聞いているはずだ。おそらく、同じような反応をしているだろう。
『確認できそう? その、手の持ち主は。お姉さんか、妹さんか』
気は進まないが、しないわけにはいかない。
そして、その場にいる誰もが、もうひとつの可能性に気づきながらも、それを口に出そうとはしなかった。
遭難しているのは姉妹だ。2人一緒にいた可能性が高い。ということは、つまり。
カルマが双眼鏡を、土砂に埋まった手に向けた。手の形状からある程度は推察できるだろうが、どちらか特定するのは難しいかもしれない。
「いや、待ってください。あの手、女の子のものじゃない。おそらく、年配の男性のもののようです」
土砂に埋まっていた圧力で鬱血と内出血がひどく、どす黒く変色していて見分けづらかったが、その程度のことはわかった。
全員の間に、安堵がひろがった。
しかし、と思い直す。救助を依頼されていた人ではなかったとはいえ、彼も要救助者であることは間違いではないのだ。
『掘り起こせそうかな?』
「うーん、どうだろう?」
「無理、だな」
西島が要点だけをかいつまんで説明する。地滑りで堆積した土砂の中に埋まっているのだ。何がきっかけで崩れ出すかわからない。さっきのような余震が起これば、ひとたまりもないだろう。
『そう、そうだね。わかった。位置だけは本部へ連絡しておくね。後は専門家に任せた方が良さそうだから』
「うん、そうだね」
通信を終えた3人はもう一度、土砂から突き出た手に目を向ける。
「ごめんね。苦しいだろうけど、もう少しだけ、我慢してね」
そう言って立ち去ろうとした矢先、カルマが谷間を挟んだ対岸に鋭い視線を向ける。
「見てください」
キメラがこちらを見ていた。犬のような姿をしている。体の大きさは、小柄な人ほどもありそうだ。
「2匹、いや3匹か」
さすがにえぐれた山肌を越えてやってくる気はないようだ。低いうなり声をあげると、身を翻してそのまま背後の山に姿を消した。
「急がないと」
カルマのつぶやきに、まひると西島がうなずく。
無線機でキメラに遭遇したことを伝えると、3人はその場を後にした。
「澄香さーん! 絵美ちゃーん! 聞こえていたら返事をくださーい!」
これでもう何度目になるだろう。返事のない呼びかけをくり返したのは。
焦っても仕方のないことだとわかってはいても、A班からの通信を聞いた後ではどうしてもネガティブな思考がついてまわる。
あきらめる気はない。だからこそ、いらぬ想像がふくらんでしまうのだ。
旭(
ga6764)は思わずため息をついていた。
「どうした、疲れたか?」
「違いますよ」
ぶっきらぼうな御山の物言いに、旭はトゲが入らないよう返事するのに苦労した。
「ちょっと焦ってしまって。焦ったってどうしようもないのはわかってるんですが」
「そうか」
そしてまた、黙々と足を進める作業に戻る。口に出して言おうとは思わないが、この沈黙の空気も気疲れの要因になっているのは確かだ。
「気持ちはわかるわ。私もそうだから」
アズメリア・カンス(
ga8233)の発言を、旭は意外に思った。
御山にしろアズメリアにしろ、表情らしい表情が出てこないのだ。感情というものがないのではないかと疑い始めていたところだ。
ふと、御山が足を止める。
「これを見ろ」
旭とアズメリアを呼び寄せ、自分の足下を指し示す。
人の通る道になっているらしく、下生えもなく踏み固められている。先日までの雨でぬかるんではいたが。そのぬかるみに、大小の靴の跡が残されていた。
「これは」
3人は顔を見合わせてうなずき合う。状況を他班に伝えてから、足跡の向かう先へと急いだ。
道に沿って進んでいくと、唐突に視界が開ける。
「うわ」
「これは、すごいですね」
アズメリアと旭が同時に感嘆の声を上げる。口に出してこそ言わないが、御山もさすがにこの光景には驚いていた。
野生ツツジの、山肌一面を覆い尽くすような群生だった。立ち入ってみると、腰から下が花に埋もれてしまう。ツツジよりも大きな植物が混ざっていないところを見ると、ひょっとしたら誰かが手入れをしているのかもしれない。それほど見事な、幻想的とも言える光景だった。
「きれい」
アズメリアがうっとりとした様子でつぶやく。
旭には、その光景を言い表せる言葉が見つからなかった。
その横で、御山が声を張り上げる。
「森本澄香! 森本絵美! ここに居るか!」
御山の声が、山彦をともなって周囲に響く。
その呼びかけに、旭とアズメリアが我に返る。変化を見逃すまいと、周囲に視線を飛ばした。
やがて、静寂が返ってくる。落胆しかかった気持ちを振り切って、もう一度声をあげようと息を大きく吸い込んだ。
その時。
「だれ?」
小さな声だった。耳を澄ませていなければ聞き逃していたかもしれない。3人は思わず顔を見合わせる。それで幻聴ではないことを確かめた。
「その声は絵美ちゃんだね? 僕らは君たちを助けに来たんだよ!」
「どこにいるの?」
枝葉をかき分ける音が聞こえる。3人のいる場所からツツジの群生を挟んでほぼ反対側、群生が途切れるあたりに小さな女の子が姿を現した。
「たすけに、きてくれたの?」
「そうだよ。すぐにそっちへ行くから、動かないでね!」
3人は無事でいてくれたことに喜びつつ、他班に連絡をとる。
少女に駆け寄ると、安心したのかその場にへたり込んでしまった。
「あ、あぁ」
目から涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
「さぁ、もう大丈夫。安心して。お母さんとお父さんのところへ連れて行ってあげるからね」
旭が抱き上げようとする腕を、絵美はするりとかわした。
「え、絵美ちゃん?」
「お、お願い! お姉ちゃんを、お姉ちゃんを助けて!」
叫ぶやいなや、絵美は背を向けて走り出す。
3人は胸騒ぎを押さえ込みつつ、その後を追った。
絵美の行く先は、そう遠い場所ではなかった。立ち止まった先が唐突に途切れ、切り立った断崖になっている。以前からこうなっていたらしく、地滑りの起きた現場のような生々しさはなかった。周りはやはりツツジで囲まれている。
「お姉ちゃん!」
絵美が断崖をのぞき込んで声をかける。3人が同じようにのぞき込む。
その下約10メートルあたりに、1人の女の子が居た。わずかな棚に腰掛け、そこに生えていたツツジにしがみついている。かなり衰弱しているらしく、しがみついていると言うよりは寄りかかっていると言った方がいいかもしれない。
「わ、わたしがいけないのっ、近寄っちゃダメって言われてたのにっ」
「大丈夫。僕たちがすぐに助けてあげるから。心配しないで」
絵美を崖から引き離し、3人で対応策を協議する。急ぐ必要があった。
「ロープを持ってきていてよかった。この長さならあそこまで十分届く」
「しかし、支えになりそうな木が近くにないですね」
「このツツジじゃ、確かにちょっと無理ね。1人が降りて、残りの2人が上で支えるしかないわ」
「そうだな。アズメリア、降りるのはあんたがいいだろう。この中じゃ一番体格が小さい」
「そうですね。お願いできますか?」
「わかったわ。迷ってる時間もないしね」
やることが決まれば、動きも早かった。それぞれがそれぞれの役割を迅速にこなしていく。
程なくして、特に問題もなく引き上げることができた。宙づりの状態で夜を明かしたためか衰弱は激しかったが、落ちたときについた傷もそれほど深くなく打撲も軽いようだった。軽く応急手当を済ませると、早々にその場を発った。
蓮沼が、刀についた血を振り払う。地面にぶつかった血の滴が、はじけて小さな音を立てた。
「ふー、びっくりしたぁ。まさかこんなタイミングで襲ってくるなんて思わなかったよ」
クリアが銃を胸に抱えて、大きく息をついた。
全員が無事に合流し、キャンプを撤収している最中の隙を狙ってキメラが襲ってきたのだ。依頼も無事に果たせそうだという一瞬の気のゆるみを突かれた格好になった。損害らしい損害はなかったものの、反省せねばならない点はいくつもあった。
「お家に帰るまでが救助活動です。なんてね」
「あははっ、ほんと、そうだよねー」
陽はすでに大きく傾いている。この様子では派遣されたUPC軍の捜索本部に帰り着く頃には、すっかり暗くなっていることだろう。
テントを使って仕立て上げた即席の担架には、2人の女の子が寝かされ、寄り添って静かに寝息を立てている。
「さっ、帰ろうぜ。そろそろ酒が恋しくなってきちまったぜ」
「好きだねーほんと」
皆の間に、さざ波のように笑いが広がる。
傭兵たちはなるべく音を立てないよう、だがそれなりに急いで、帰途につくのだった。