●リプレイ本文
「あのお方からの親書だ。ここの偉いヤツに直接手渡せって言われてるんだが」
車から降り立った黒川丈一朗(
ga0776)は、懐に入れていたディスクメディアを取り出して意味ありげにちらつかせる。
正門の歩哨に立っていた3人の男は、困惑した表情を見合わせていた。
「そんな話聞いてねーぞ。あのお方って誰だよ?」
「それは言えない。言ったら俺が殺されてしまう」
黒川が答えるのとほぼ同時に、カルマ・シュタット(
ga6302)が助手席から降りた。ドアを閉めるのに、大げさなほど音を立てる。音に目を引かれた歩哨の男達は、カルマの異様な風体に一瞬たじろいだようだった。だがそれも、すぐに胡散臭い者を見るような目つきに変わる。手にした槍を威嚇と受け取ったのか、肩にかけていた小銃を小脇に抱え直す者もいた。
「おい、よせって! 解るだろう、俺が逃げないように見張ってるんだ! 頼むから早く通してくれよ!」
「わかったわかった。とりあえず聞いてみるから、ちょっと待ってろ」
歩哨の1人が無線機を取り出して、どこかに連絡し始める。他の2人は、カルマを威嚇するように睨みつけていた。そんな様子を見ていると、どこにでもいるようなチンピラとそうは変わらない印象だ。
黒川は、そっと車の中に目配せを送る。後部座席に座っていたセレスタ・レネンティア(
gb1731)は、ひとつうなずいて車を降りた。翡焔・東雲(
gb2615)がそれに続く。
歩哨の1人が、2人を見て軽く口笛を吹いた。
日の落ちた暗い空には、半分より少し大きいくらいの月と、相変わらず不気味な色の矮星が浮かんでいる。2つの星のおかげで、他の星々があまり見えない。もちろんそのせいばかりではなかった。施設の敷地に設置された数多くの照明が、煌々と辺りを照らしていたせいもある。スポーツ施設のナイター設備よりも豪華に見える照明のおかげで、明るさは昼間とほとんど変わらない。UPC軍と戦闘を繰り広げている敵軍施設とは思えないほどだ。何かの狙いがあるのか、そうでなければこの施設の責任者は余程の暗愚なのだろう。
その明るさのおかげで、照明の届かない暗がりが際だつ。深く溜まった闇の中に、何か潜んでいるのではないか。そんな風に思ってしまう。
ホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)はその闇溜まりの中に身を潜めていた。空に向けていた視線を正面に戻すと、施設の壁が照明の光を反射して白く輝いていた。目の前に見えている建物は、事前情報によれば市民達がとらわれている収容棟だったはずだ。作戦が始まれば、まっ先に突入することになるだろう。
ホアキンの隣で、不知火 チコ(
gb4476)が身じろぎする。ここで待機を始めてから、そろそろ1時間は経つ。じっと待っているのもなかなかつらいものだ。ずっと神経を張りつめていればなおさらだ。近くにはクロスフィールド(
ga7029)と美環 響(
gb2863)もいるはずだが、そちらは気配を感じ取ることができなかった。
ホアキンは、手元の無線機に目を落とす。無線機が、かすかに反応を示した。
「こちらセレスタ。黒川さんとカルマさんが施設に入りました。行動を開始します」
セレスタは返事を待たずに無線機をしまい込む。
「ナニ言ってんの、お姉さん。仕事なんて放っておいて俺とイイコトしよーぜぇ?」
歩哨の男が、セレスタの肩に気安く腕を回す。
セレスタは一瞬早く身をかわすと、男の腕を取ってひねり上げた。
「せっかくですがお断りします。これから大事な仕事がありますから」
「てめ、何しやがっ!?」
小銃を構え直そうとしたもう1人の男の首筋に、抜き身の小太刀が押し当てられた。いつの間にか翡焔が男の背後に回り込んでいたのだ。刃が照明を受けて鈍い光を放つ。
「騒ぐなよ。静かにしてるなら、命までは取らないことになってんだ」
憎々しげに睨みつける男を手際よく縛り上げ、猿ぐつわを咬ませて暗がりに放り込む。目つきは反抗的だったが、少なくとも騒ぎをたてるつもりはないようだ。
「さて。それじゃ、あたしらも突入するか」
「ええ」
車から黒川の装備を取り出すと、2人は研究棟へ向けて走り出した。
シン・ブラウ・シュッツ(
gb2155)、白雪(
gb2228)、平野 等(
gb4090)の3人は、生産棟とされる建物の裏口から、既に建物内部へ侵入していた。扉の脇には歩哨の男が2人いたが、気づかれる前に昏倒させることができた。昼間には周囲から激しい戦闘の音が聞こえていたはずだが、2人の男からは緊張感というものがまるで感じられなかった。
「まったく拍子抜けよね。こんな簡単に侵入できるなんて」
「楽できるんだから良いじゃないの」
「それに仕事はむしろこれからですし」
「まぁ、そうなんだけど」
施設の中は、外に反して薄暗かった。ある程度の照明はついているものの最低限でしかなく、外の明るさに慣れた目では内を見通せるようになるまで時間がかかった。
施設の中は吹き抜けになっており、用途のわからない機械類が所狭しと並べられている。足場を組み上げられたところもあり、あちこちを自由に動き回るのは難しそうだ。今のところ、動くものは見あたらない。
「なーんだ。こっちも拍子抜けね。制圧する必要もないみたい」
「制御系を掌握するまで気は抜けませんよ。どこからキメラが出てくるかわからないんですから」
「じゃあ早くそうしようよ」
「その辺の端末からでも操作できるんかねー」
「さぁどうでしょう。でも、一応触らないでもらえますか。何が仕込まれているかわかりませんから」
「はいよ」
平野はそう答えたものの、端末のモニターがめまぐるしく表示を変えている。次の瞬間には、棟内に耳障りな警報が鳴り響き始めた。
「ちょっと、なにこれ」
「まさか」
「いやいやいや! 触ってない触ってない。勝手に動き出したんだよ」
「じゃあどういうこと? センサーか何かがあったとか?」
「それはわかりませんが。ともかく、来ますよ!」
棟内のあちこちから、何かがうごめく気配が伝わってきた。
「まだ安心するなよ、安心できるのはここを出てからだからな」
クロスフィールドが解放した市民に声をかけていた。そこから少し離れたところで、ホアキンが渋い顔をしている。収容棟内にいた巡回員を縛り上げていた不知火が、その隣に並んだ。
「これで全員か」
「そうみたいやね。連れて行かれた人らは戻ってこんかったって言うてはりました」
「キメラの材料にでもされたのか」
「それか、食料とか」
「どっちにしろ悪趣味だな」
収容施設にいた市民は、結局15人しか残っていなかった。中には子供も含まれており、3人が大人に混じっておびえた様子を見せている。
美環は今にも泣き出しそうな顔をした女の子の前にしゃがみ込んだ。何も持っていない掌を女の子の目の前でひらひらさせてから握り込む。次の瞬間、開いた手に1輪の小さな花があった。
「ごめんね。今はこれくらいしかしてあげられなくて。でも、もう少し我慢してくれたら、後でもっとすごいのを見せてあげるよ」
「ホント?」
花を受け取った女の子の顔がほころぶ。近くで見ていた2人の子供達も、幾分か表情が和らいでいた。
「うん、本当。だから、もう少しがんばろうね」
大きくうなずく子供達に、美環はにっこりと笑いかける。
離れた位置で見ていたホアキンと不知火の顔からも渋い表情が抜けていた。
「とにかく、生きてはった人らだけでも脱出させてあげんとね」
「そうだな」
施設内の確認が一通り終わると、クロスフィールドの先導で市民達を誘導し始める。親バグア派たちの抵抗が無いとは言えなかったが、問題になるほどでもなかった。それも、市民達を解放するまでにはほぼ片づけられていた。
建物の出口にさしかかったとき、能力者たちの無線機から切羽詰まった声が飛び出してきた。
平野ら3人が生産棟に侵入した頃、黒川とカルマは歩哨の男の1人に連れられて、研究棟の一室に通されていた。
通り抜けてきた通廊は階層が分かれていたが、この部屋は吹き抜けのホールになっているようだった。部屋の中央にすえられた巨大なシリンダーが目を引く。中には液体が満たされ、大きな肉の塊のようなものが浮いている。室内には用途のわからない機械類が並んでおり、シリンダーの周囲には足場が組まれ、上からのぞき込めるようになっていた。
「おい! そこの! ハカセがどこにいるか知らないか!」
シリンダーの縁に立っていた白衣の男に、歩哨の男が声をかける。聞こえていないのだろうか、白衣の男は反応を返さなかった。歩哨の男は舌打ちすると、3階分ほどはある足場の階段を上り始めた。
「あの様子だと、中心人物はいないようだな」
声を潜めて言葉を交わす黒川とカルマ。上に向かった歩哨の男はそれに気づく様子もない。
「もしかすると、もうとっくに逃げたのかもしれないな。いくら非戦闘員とはいえ、周囲の状況がわからないはずはないだろうし」
「かもしれないな」
「とにかく、あの人だけでも確保しておきたいな」
2人がそろそろと動き始めると、歩哨の男が白衣の男のところまでたどり着いたようだった。
「おい、無視すんな。ハカセがどこに行ったのか聞いてるんだ」
肩をつかんで揺さぶると、ようやく反応を示した。それも、声をかけた方が驚くほどの反応だった。
「うわああぁっ!?」
「な、何なんだ!」
目の前に突然とてつもなく恐ろしいものが現れたかのような反応だ。白衣の男は弾かれたように逃げ出そうとし、歩哨の男がそれを押さえ込もうとする。もみ合いになるうち、2人はバランスを崩して足場から落ちてしまった。その下は、シリンダーの中だ。
「なんだ、あの男。一体どうしたんだ」
「さぁ? 薬がキまってるとか?」
「こんな状況でか」
「こんな状況だからこそ、とも言えますが。自分の意志ではない可能性もあるのかも」
兎にも角にも落ちた2人を助け上げなければと、2人は階段を上る足を速める。
その真横で、シリンダーの中の肉塊が動きを見せた。何度か脈動をくり返した後、触手を伸ばして2人の男を捕まえたのだ。声を上げる間もなかった。引き寄せられた2人は、肉の中に取り込まれてしまった。
「食った‥‥のか?」
「これもキメラ、なのかな」
「イヤな予感がする。離れよう」
黒川が言うのとほとんど同時に、肉塊が急激な膨張を始めた。階段を飛び降り、離れて振り返ったところで、容器を埋め尽くした肉が見えた。直後、シリンダーが爆発四散した。培養液が音を立てて流れ出す。支えを失った肉塊は、床にあふれて蠢いていた。
「なんだ今の音!」
「こ、これは」
部屋に飛び込んできたセレスタと翡焔が、惨状を見て顔をしかめた。
黒川はセレスタから装備を受け取りながら、状況を手短に説明する。そうこうする内、棟内に警報が鳴り響き始めた。
「どういう生き物かわからないけど、野放しにしておけるものじゃなさそうだな。来るぞ!」
カルマの言葉通り、肉塊がせり上がって4人に這い寄ってきた。
「こんなものだろう‥‥さあ、狩りの時間だ」
端末のモニターには全ての出入り口を封鎖したと表示されていた。
「それはいいが、俺たちは出られるんだろうな」
「最初に入ってきた出入り口はまだ閉じていない。心配するな」
シンが端末を操作している間、周囲を真白と平野、そして援護に駆けつけたクロスフィールドと不知火が固めていた。既に何匹ものキメラを討ち倒しているが、攻めたててくるキメラの数が減ったようには見えない。
「それにしても数が多いわ。いったい何匹おるんやろか」
「ほんと、満員御礼だなこりゃ」
大小様々なキメラがあちこちから沸いて出てくる。知能を高められた個体もいるらしく、それが周囲のキメラを統率しているようだ。組織的に動くものだから、力押しで殲滅というわけにはいかなかった。
「どうするよ。このまま最後の1匹までやるのは時間がかかりすぎるぞ」
「やってやれなくはないけど、こんな調子じゃ朝までかかっても終わりそうにないわね」
平野と真白が溜息を尽きたそうな声をあげる。
どうすべきか決めかねていると、無線機から美環の声が聞こえてきた。
『研究棟の方は終わりました。残念ながら研究者は見つけられませんでしたが。これから外で待機している軍と合流します』
なんとなく、全員が顔を見合わせる。どうやら考えたことは同じらしい。
「俺たちだけ残って掃討するってのもアレだな」
「そうねぇ。いったん合流して、全員でやった方が早いわね」
「軍の人らもいたはるし」
「火力支援も期待できるな」
「そうと決まれば戦略的撤退!」
応、と答えて能力者たちは一斉に後退を始めた。
「壁やシャッターがどの程度保つかわからないけど、とりあえずは生産棟の中に閉じこめられてはいると思います」
「研究データはほとんど残ってなかったよ。PCもハードディスクごと引っこ抜かれてたしな」
「生産棟の方も研究のデータは残っていませんでした。PCは無事でしたけど、機械類の制御用のものしか入ってませんでしたね」
解放した市民は、既に軍が保護して後方に送り終えている。拘束した親バグア派の人間も同様だ。研究棟には、動ける状態のキメラはいなかった。残るは生産棟のキメラを掃討するだけだ。
「それじゃ、どこか1箇所を開いて、そこから出てきたキメラを集中して叩くということで」
「軍の皆さんには、火力支援と周囲の警戒をお願いしましょうか」
全員が口々に了解の意を出して、配置につく。その表情は明るかった。
「折角の着物、また血で濡らしてしまったわね」
真白だけではない。ほぼ全員が、返り血や埃でずいぶんと汚れている。戦闘の激しさを物語っているようだった。
「さっさと終わらせて、熱いシャワーを浴びたいところだ」
「同感」
「よっしゃ。んじゃあ、最後のもうひと踏ん張りだな」
「ああ。始めよう」
白み始めた空に、戦闘の音が響く。
だがそれは、今までこの街で行われてきたものに比べれば、ほんのささやかなものだった。
その音も、やがては聞こえなくなる。
長い間街を覆っていた暗い雲は、ようやく吹き払われた。
青い空が広がり、差し込む陽の光が街を照らし出す。
頭上から見下ろしていた矮星が、少し遠ざかったような気がした。